ユニバーサル・ミュージアムの最近のブログ記事

ユニバーサル・ミュージアムをめざして89

ミトコンドリア・イブとY染色体・アダム―1

三谷 雅純(みたに まさずみ)



 ニシゴリラ(かつては「ニシローランドゴリラ」と呼びました)を,コンゴ共和国のオザラ国立公園で観察していたことがあります.森の奥まで二日かけて川をボートで遡(さかのぼ)ったところで,村からはずいぶん離れたところでした.もともとはリンガラ語だと思うのですが,現地の言葉で〈バイ〉と呼ばれる湿地性の草原があります――アフリカのそのような草原を,今では英語でも "bai" と呼ぶようになりました.水辺に生える草を食べるために,そこにゴリラが集まってくるのです.わたしはゴリラたちの振る舞いを身近に見る機会を得ました.

 

 ゴリラの社会はシルバーバックと呼ばれる1頭のオスと複数のメスで作られます.基本的に,メスは互いに血縁はありません.そんなところから「ハーレム」と呼ばれたりします.でも人間の作るハーレムとは少し違うようです.人間のハーレムは,ひとりの男に何人かの女が嫁ぐ婚姻習慣のことです.わたしの見知ったアフリカ中央部の森に住むバンツーの農家では,高齢になった村長さんが働き手として若い娘を迎えていました.ですから主体はどうしても男が選択しているように感じました.しかし,ゴリラは違うようです.

 違うところの第一は,メスがオスを品定めしていたことです.例えば若いオス――ソリタリーと呼ばれる,まだメスとペアになっていないオス――と若いメスの出会いでは,オスはあらぬ方を向いて「草を食べている振り」をしています.するとメスがゆっくりと近づいてきて,オスを品定めするように選びます(そのように見えました).メスの気に入れば,メスはオスと並んで歩き始めます.気に入らなければ別べつの方向に歩み去ります.そしてメスとオスがペアーになっていたとしても,新しく表れたオスが気に入れば,メスは平気でオスを取り替えます.一方のオスはというと,メスが選ぶのをおとなしく座って待っているのです.ペアーになっていたオスにとっては当然ですが,新しく表れたオスも気が気ではないはずです.オスたちの早鐘のように打つ心臓の音が聞こえてくるようでした.

☆   ☆

 関西学院大学の高畑由起夫さんが執筆され,まとめられた本が『性の人類学――サルとヒトの接点を求めて』 (1) です.高畑さんはわたしの大学院時代の先輩です.1994年に出た本ですから,ずいぶん前です.出てすぐ読んだ覚えがあるのですが,その時は,何やら生物学で突き詰めていけばヒトが分かる気がして,高畑さんが霊長類学と共に苦労してやっておられる社会学や,場合によっては哲学まで含んだアプローチに,わたしとは方向が違うという思いがしたものでした.

 本当のことを言えば,「方向が違う」と言うよりも,高畑さんの努力は「自分には無理」な伊谷純一郎さんの学問スタイルに近いものでした.人と自然の博物館の準備室長(実質的な初代館長)で,学部時代にわたしの指導をしていただいた伊谷さんが論文や本で示しておられた,複雑な現象から真実を捉え,大胆に抽象化して描き出す.そういう能力は,とても自分にはない気がしていました.それで,伊谷さんとは別の方向を探ろうと足掻いていたというのが近いのかもしれません.

 後になって,ヒトの感覚とか遺伝とかいった多様性,つまり具体的には「発達障がい者」(=発達凸凹者)の心や,ろう者の〈ことば〉の感覚,盲人のとらえる世界の姿といったものを,例外として無視してよいわけはない.近代になって人間の価値を生産性だけで測るようになり,人の多様な能力が例外と見なされ,脇に押しやられていたのだが,こういった多様性は,決して忘れてはいけないことじゃないのかと気付いた時,高畑さんの試みは,とても大切なアプローチだと思い直したのです.それで『性の人類学』を再読してみました.今回は特に,菅原和孝さんの「狩猟採集民の母性と父性――サンの場合」(2) を読み直してみて,新たに感じたことを書いておきます.

☆   ☆

 菅原さんが調査したサンというのは,一般には「ブッシュ・マン」と呼んだ方が分かるかもしれません.南アフリカのカラハリ砂漠を中心に住む狩猟採集民のことです.狩猟採集では,①男は動物を狩り,女は植物を採集する.しかし,②おもなカロリーは男の捕る動物の肉ではなく,女の集める植物のいろいろな部位から得る.③いわゆる「核家族」より大きな社会単位は安定していない――つまり「村長」や「知事」,「首相」や「大統領」は存在しない.④はじめから財産はほとんどなく――あっても弓矢ぐらいでしょうか――「相続」という概念は存在しない,といった特徴があるそうです(菅原さんの記載をわかりやすくするために,わたしなりに書き直してみました).

 わたしが長く付き合った森の狩猟採集民ピグミーにも言えるのですが,母親の子どもに対する授乳期間は,日本の多くの母親で見られるよりも著しく長いのです.菅原さんは,サンの授乳期間は3,4年も続くと述べています.ヒトの子どもは2歳ぐらいになる前に歯が生えていますから,それから後の授乳はお母さんに負担です.乳歯が乳首にあたり,とても痛い気がします.それならなぜ狩猟採集民が長く授乳するのかというと,わたしはピグミーの例から,バース・コントロールだと思っていました.授乳している間は妊娠しないのです.なぜ狩猟採集生活でバース・コントロールが大切かというと,妊娠したお母さんにとって移動しなければいけない生活は大変だからです.家屋というものを持たず,自然の素材だけで組んだテント暮らしです.一日に10キロメートルとか,場合によってはそれ以上も歩くのです.

 ついでですから言っておきますが,わたしは何も「ピグミーはバース・コントロール,つまり産児制限の科学的な知識があって,授乳期間を長くしている」と言っているのではありません.そうではなく,生活の知恵をして「(科学的な根拠はわからないが,結果的に)授乳期間が長い方が移動生活が楽だということを経験的に知っていた」と言っているのです.たぶんサンも同じことでしょう.

 女性は赤ん坊に授乳するだけではなく,子どもを育て,木の実や芋を採集し,現実の生活に必要な作業をします.

 それなら男性はどんな作業をするのでしょうか? それは狩猟です.獣(けもの)を倒して,その肉をキャンプまで持ち帰るのです.ただしサンの狩猟は,食物として肉を得るという目的もあるのでしょうが,それよりも獣(けもの)の肉には、単にカロリーや栄養を得るためよりも,もっと象徴的な意味があるようです.

 わたしは昔,コンゴ共和国のンドキの森 (3) (4) で調査をしていた頃,(狩猟採集民のピグミーではなく,農耕民である)バンツーの猟師モゲッサ・マルセルさんといっしょに森を歩いていたことがありました.わたしは霊長類の調査をしているのですから、動物を見かけたら,まず双眼鏡を出します.しかしマルセルさんは,動物によっては銃を構えます.しとめる動物は森林性のウシの仲間ダイカーやイノシシが多かったと思います.

 マルセルさんは手際よく獣(けもの)を捌(さば)き,火をおこして肉を乾燥させます.生肉は腐りやすいし,乾燥させないと重くて村まで持ち帰れません.農作業に忙しい妻や子に食べさせたい一心です.その肉を乾燥させる火で,わたしはある日,ゴミを燃やしていました.すると,いつもの穏やかなマルセルさんらしくない強い口調で、わたしを叱ります.

「それは〈火〉だぞ!」

 猟師のマルセルさんにとって,〈火〉はわたしが感じる以上に神聖なものなのでしょう.生きて動く野生動物を神の恵みである〈肉〉に変えてくれるもの.われわれにとっての〈稲〉とか,アイヌにとっては〈クマ〉に近いのかもしれません.サンにとっても,狩ってきた〈肉〉はカロリーや栄養で測る以上に尊いものなのだと思います.

 だからだと思います.サンは〈肉〉を平等に分けます.狩りに参加した男性ばかりでなく,女性や子ども,老人や障がい者にも、平等に分けるのです.「神の視線は誰にも平等に注がれている」と言うかのようです.まるで,神を前に行う神聖な儀式のようです――もっとも,サンに我われが認識しているような高度な宗教はありません.菅原さんには「死ねば砂漠の砂になるだけ」と語ったそうです.そう言えば,ピグミーも「死んだら森になる」と言っていました.

 次に続きます.

----------------------------------------------------------

(1) 高畑由起夫(編)『性の人類学――サルとヒトの接点を求めて』(世界思想社,1994年刊)
http://www.sekaishisosha.co.jp/cgi-bin/search.cgi?mode=display&code=0510

(2) 菅原和孝 (1994)「狩猟採集民の母性と父性――サンの場合」『性の人類学』,pp. 204-229

(3) 三谷雅純 (1996) 『ンドキの森―アフリカ最後の原生林』(どうぶつ社,絶版)
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN15594185

(4) 三谷雅純 (1997) 『ゴリラの森の歩き方―私の出会ったコンゴの人と自然』(地人書館)
http://www.chijinshokan.co.jp/Books/ISBN4-8052-0535-0.htm




三谷 雅純(みたに まさずみ)
コミュニケーション・デザイン研究グループ
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして88

水木しげるさんの「幸福の七カ条」

三谷 雅純(みたに まさずみ)



 ずっと不思議に感じていることがあります。それはあまりに多くの若者がゲームに夢中になっていることです。別にゲームそれ自体は健全な遊びだと、わたしも知っています。ここで言っているのは常軌を逸している(とわたしの目には見える)ゲームへの没頭です。

 通勤のために朝と夕方、電車に乗ると、例外なくゲーム機に夢中になっている若者がいます。小型のタブレットやスマート・フォンを覗いている人には、メールをチェックしたり電子書籍を読んでいる人もいるのですが、ゲームをしている人は両手の指がせわしなく動いているので、すぐそれとわかります。中には混み合った駅で歩きながらやっている人がいたりします。電車の中でじっとしてやる分には気にしないようにしていますが、駅を歩きながらとか、夢中になって階段の途中で立ち止まってまでやられると、大いに迷惑です。しかし、わたしが迷惑だと思っても、やっている当人は意に介していないようです。

 テレビを見ていても、やたらと多いゲーム・ソフトの宣伝には違和感を覚えるようになりました。商品を宣伝するのはごく当たり前のことですが、わたしはゲームは知らないので、宣伝を見せられても意味がわかりません。だいたい現代の若者はテレビを見なくなったと聞きますから、ゲームの宣伝をするのにテレビは場違いな気がします。ひょっとするとそれは若者に向けたメッセージではなく、わたしのような、社会的には十分に落ち着いている(はずの)中年や老人をターゲットにしているのかもしれません。ということは、60歳を過ぎたわたしの世代にも、ゲームの愛好者が多くいることを意味します。中年や老人の現実逃避は......、ん?

 なぜこれほど多くの人がゲームに夢中になるのでしょう。ゲームは架空の世界です。いくら事件が起こっても、現実に反映されることはありません――少なくとも、わたしの知っている現実世界には、反映されたことがありません。それなら、何を思って架空の世界に夢中になるのでしょうか? というより、架空の物語世界に夢中になることが不思議だと感じるわたしが変なのでしょうか? それなら、仕事やアルバイトをしてお金を稼ぎ、家に帰ってゆっくり過ごし、眠りに着く。季節になれば、ちゃんと納税をするという、当たり前の生活と当たり前の社会を、そのような人びとはどう感じているのでしょう? 「眠る場所や食べるものは、なければ生きていけないから、身の回りにあることは我慢するが、できれば(架空世界のように)目の前から消えて欲しい」。そんな認識なのでしょうか?(あえてですが、かなり、ひどいことを言っています。わたしの本当の考えは、最後に書きます)

    *

 ここまで考えてきて、水木しげる さんのことを思い出しました。まんが「ゲゲゲの鬼太郎」 (1) で有名な水木さんは、元祖「架空の世界」の住人かもしれません。奥様の武良布枝さんが『ゲゲゲの女房』 (2) というご夫婦の自伝をお書きになりました。そのことは知っていましたが、わたしは残念ながら読んでいません。幸い『ゲゲゲの女房』を原作にした連続テレビ小説(題は同じ「ゲゲゲの女房」 (3) )がNHKで放送されましたが、わたしはこちらの方なら見たことがあります。

 連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の中で、水木しげるさんのやることは、とても変なのです。変なのですが、でも、おやりになることは、少なくともわたしには納得できます。例えば「おばけ」です。普通「おばけ」は恐ろしいものです。しかし、水木さんの周りで暮らす「おばけ」は、のんきで楽天的です。かえって人間の方が怖い。ずっと怖い。人間には明と暗の二面があるからです。怖い「おばけ」もいるのでしょうが、水木さんの側には近寄らないらしい。テレビまんが『ゲゲゲの鬼太郎』 (4) に出てきたおばけたちも、「(おばけの世界には)学校も~ 試験も何にもない♪」と歌っていたぐらいです。

 本当のところ、水木さんは「おばけ」や人生をどう感じていたのかは わかりません。しかし、戦争中、ニューギニアでいっしょに過ごした村人との交流 (5) は生涯忘れがたいものだったようです。そこでは「おばけ」が身近に感じられたのでしょう。幼い頃、鳥取の境港で馴染んだ「おばけ」たち (6) とニューギニアで出会った「おばけ」 (7) とは親戚筋だったのかもしれません。水木さんにとって「おばけの世界」は理想郷に近いものだった気がします。

 以前、どこかで紹介したことがあるかもしれないのですが、水木さんにとって軍隊とは非人間的な組織でした。規律に違反したと言ってはむやみに殴り、反抗は許さず、理不尽さが支配していました。誰が書いていたのかは忘れてしまいましたが、自分の死や敵軍よりも、本当の恐怖は、本来、味方であるはずの自軍の上官だったという感想を読んだことがあります。上官は一時の憂さ晴らしや自分自身の惨めさの裏返しとして部下を殴ったのです。

 水木さんは見張りの時、双眼鏡で鳥を見ていて遅刻し、おかげで敵軍の爆撃を逃れて、味方は全滅したが自分は生き残ったと語っています。ただ、再度の爆撃で吹き飛ばされて、軍医に十徳ナイフで左手を切り取ってもらったそうです。

 この残酷な人間関係や息の詰まりそうな硬直した組織と対照的なのが、日本軍の近くに住むニューギニアの村人の生活です。芋とバナナを植え、粗末な小屋に住み、日本の暮らしからは想像できないほど呑気な生活でした。水木さんは、よほど、この村人の生活が気にいったらしく、何度も村人のもとに通ったそうです。鳥取で馴染んだ「おばけ」たちと親戚筋に当たるニューギニアの「おばけ」のことを書きました。それは村人が儀礼で踊る伝統的な精霊のことです。この戦争体験や現地の村人の生活は、水木さんのいろいろなマンガや文章に、繰り返し繰り返し書かれています。

    *

 水木さんがお書きになったものに「幸福の七カ条」があります。『水木サンの幸福論』 (8) という本に出てきます。それは:

第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。

というものです。

 ここで水木さんがおっしゃっていることの基本を、わたしの解釈を元にお伝えします。

 つまり、世間でいう「成功」を求めても幸せにはなれない。それよりも、自分なりにやりたいことや、やらずにはおれないことを見つけられた人が本当の意味で幸福だ。戦争は人の一生に残酷な傷をもたらす。傷とは人に付けられ、あるいは人に付けたものだ。そして本当の幸せは物質的な物やお金にあるのではなく、こころの豊かさにある。そうおっしゃっているような気がします。

 最初に挙げたゲームという「架空の世界」に夢中になる人びとは、決して「しないではいられないこと」をし続けているわけではないでしょう。無為な時間をうっちゃるためにゲームに夢中になる。「無為な時間をうっちゃるため」なのだから、人生に成功するか、しないかに関わらず、ゲームに重大な意味はない。ただゲーム会社の利益に貢献しているだけだ。そう思えてしまいます。

 わたしはこの人たちを特別な人たちだとは決して考えていません。この人たちは、もう一人のわたしです。わたし自身の明日の可能性です。それは昔、水木さんが軍隊という非人間的な組織で出会ったような「殴られた部下の一人」であり、「殴った上官の一人」でもあります。ただ水木さんとの違いは、「なければ生きていけない眠る場所や食べるもの」を捜し、世間的な「成功や栄誉や勝ち負け」に縛られ、夢を見続けていることではないでしょうか。夢はかなうこともあります。しかし、努力をしてもかなわないことが、案外、多いものです。

 それよりもわたしは、芋とバナナを植える生活にあこがれます。

--------------------------------------------------------

(1) まんが『ゲゲゲの鬼太郎』(ちくま文庫 ほか)

(2) 『ゲゲゲの女房』(実業之日本社文庫)

(3) 連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」(NHK)
http://www6.nhk.or.jp/drama/pastprog/detail.html?i=asadora82

(4) テレビまんが『ゲゲゲの鬼太郎』(フジテレビ など)

(5) ユニバーサル・ミュージアムをめざして81:「私だけ」のものと「あなたたち」
http://www.hitohaku.jp/blog/2016/10/post_2233/

(6) 『のんのんばあとオレ』(ちくま文庫)

(7) 『水木しげるの娘に語るお父さんの戦記』(河出文庫)

Mizuki_Shigeru_New_Guinea.jpg

(8) 『水木サンの幸福論』(角川文庫)




三谷 雅純(みたに まさずみ)
コミュニケーション・デザイン研究グループ
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして87

アートと哲学

三谷 雅純(みたに まさずみ)




 高次脳機能障がい者や失語症者の皆さんといっしょに、当事者に聞きやすい公共放送のあり方を探っています。実験的に作ったサンプルを視聴してもらい、聞きやすいとか、よくわからないといったことを教えてもらうのです。その音声素材として、プロのアナウンサーに「わざと大げさに読んで下さい」とか、同じ文章を「わざと棒読みで読んで下さい」などと無茶なことをお願いして、その音声を録音させてもらっています。関西テレビCSR活動です。アナウンサーの皆さんが協力してくれたのです。ちなみに CSR とは "Corporate Social Responsibility" の頭文字をつないだもので、「企業の社会的責任」という意味です。

 アナウンサーはプロなので、録音する小部屋に入る時はテレビで見るような、言わば「よそ行きの顔」になっています。ただし、わたしと同様、皆さん、生身の人間なのですから、家に帰ってまで「よそ行きの顔」でいるわけはありません。家ではちゃんと眠り、ちゃんと食事をする普通の家庭人です。当たり前です。

 それなら、どのように「よそ行きの顔」に変身するのかというと、わたしが話をうかがった男性は、寝起きは1時間ほど発声練習(だったと思います)をしないとカメラの前に立てないとおっしゃっていました。のどや舌が滑らかに動かなくては、アナウンサーの仕事に差し障りがあるとおっしゃるのです。その修練は毎日繰り返す習慣なのでしょう。

 俳優や歌手といった人たちも同じだと思います。舞台では広い観客席の後ろまで台詞(せりふ)や歌声を届けなくてはいけません。肺活量やドレミファソラシドの音域は、毎日の練習が高い能力を維持するポイントだと聞いたことがあります。落語家や漫才師でも、きっと似た習慣があるのでしょう。

 実はわたしも、ここ10年以上、自(みずか)らに音読を課しています。口をなめらかに動かすためのリハビリテーションです。夕方30分ほど、本を手に持って読み上げます。もし音読をサボるとどうなるかというと、たちまち失語が出て舌やのどが滑(なめ)らかに動かなくなります。会話にならないのです。わたしの場合、会話ができないでそのまま放っておくとせっかく考えたことが形にならず、頭から消えてしまいます。思いついたということは憶えていますから、気持ちの悪いこと甚(はなは)だしいのです。わたしは仕事でセミナーの講師や大学の講義があります。ですから「考えたけれど、頭から消えてしまった」のでは、聞く方が何事が起こったのだろうと戸惑ってしまいます。わたしにとって「〈ことば〉にする」ことは、「思ったことを定着させる」ことなのです――このコラムも「せっかく感じたことだから、わたしの頭から消えてしまう前に定着させたい」という思いで文字にしています。

☆   ☆

 音読する本は、いろいろなジャンルから選びます。わざと漢字だらけの『論語』の解説書を選んでみたこともありました。実を言うと、これにはほとほと手こずりました。それでも終わりまで読み上げました。まだ病後1年目か2年目のことです。

 ついこの間までは、新年を越えて鷲田清一さん『素手のふるまい アートがさぐる〈未知の社会性〉』(1) を音読していました。この本の音読は、開始したのが2016年11月30日、し終えたのは2017年 1月 8日ですから(わたしの癖で開始と終了の記録を付けています)、およそ40日かかったことになります。

 鷲田清一さんは哲学者です。哲学者の文章は難しいものが多いのですが、鷲田さんの文章は読みやすく――それでも充分難しいのですが――、その上、わたしの普段の思考法とは違うので多くのことを教えてもらいます。

 そもそも『素手のふるまい』とは何のことでしょう。それは生身の人間が、さまざまなことにどう振る舞ったかを表す言葉だと思います。2011年 3月11日に東日本大震災が起こりました。被災した東北地方は大きな打撃を受けました。震災の後、土地の人びとと共に、多くのボランティアが復興に参加しました。その中でアートという人間の営みが人びとにどう受け止められたか。そのことを中心に――鷲田さんご自身は震災の記録を意図して書いたのではないとおっしゃっていますが――「アートと社会の錯綜した関係」(p. 239、「おわりに」)を観察し、思索した結果できあがった本でした。

☆   ☆

 この本を音読し始めた時は、どうアートと哲学が繫(つな)がるのだろうと疑問でした。人間なら誰でもアートを作る行為はできます。それでもアートを仕上げるのは特別です。少なくとも他人に見せるためには作品としてしっかりしていなければいけません。きっと「特異な才能を持った天才が、何かのひょうしに創り出したもの」なのではないか。そう思ってしまいます。

 それにしても哲学とアートです。哲学は「理詰めの学問」です。それにくらべると、アートに理屈は必要でしょうか? 理屈よりも感性が必要なのではないでしょうか? 「哲学は理屈、アートは感性」、そう考えれば、まるっきり逆の営みと言えそうです。そうした二つが結びつく余地はどこにあるのでしょう?

 この疑問は音読する内に解消されたように思います。

☆   ☆

 例えば作業を効率化させようとする時にはルーティン化しようとします。流れ作業なら、いちいち考えなくてもいいのだし、計画は誰か他人が立ててくれるのが普通です。それに作業の方法がバラバラでは一定の出来上がりは保証できませんし、少ない人数で大量の作業をこなすためには統一が必要です――それが仕事というものです。まさに仕事のマニュアル化です。しかし、さまざまで具体的な個人が生活する時、「仕事」では推しはかれない、あれやこれやは付きものです。ましてや、どうなるのかわからない社会で生きていくのです。なぜ生きていくのかという目的さえはっきりしない場合があります。リアルな人生では、そんな曖昧さが当たり前なのです。そのことを鷲田さんは、

「政治的な判断においても、看護・介護の現場でも、芸術制作の過程でも、見えていないこと、わからないことがそのコアにあって、その見えていないこと、わからないことに、わからないままにいかに正確に対処するかということが問題なのである」(p. 107、「3 強度 志賀理江子の〈業〉」)

とおっしゃいます。そして、それに続けて現代人の振るまいを指して、

「人びとはそれとは逆方向に殺到し、わかりやすい観念、わかりやすい説明を求める。一筋縄ではいかないもの、世界が見えないものに取り囲まれて、苛立ちや焦り、不満や違和感で息が詰まりそうになると、その鬱(ふさ)ぎを突破するために、みずからが置かれている状況をわかりやすい論理にくるんでしまおうとする」(同上)

とおっしゃいます。しかし、アートを創るという行為はマニュアル化はできません。一回ごとに呻吟(しんぎん)し、思い悩んだあげくに出てくる制作です。そこが哲学と同じだと考えておられるのだと思います。リアルな人生の曖昧さに耐えながら「わからないままにいかに正確に対処するか」が大切であると言っているのです。哲学は個人の思考した結果を他人にわかってもらわなければ意味がありません。皆にわかってもらうためには理屈が必要です。一方、アートは「感性」が大切です。ただし、なぜ「感性」が大切なのか、そのわけはと言うと、ここでも皆にわかってもらうためなのです。そのひらめきは直感で得たものなのでしょう。このひらめきを得る過程が考え続けることではないか。わたしはそう解釈しました。

☆   ☆

 鷲田さんは、当たり前の言い方を疑っています。例えば、

「いまわたしたちの社会に流通している「エコ」「多様性」「安心・安全」「コミュニティ」「コミュニケーション」「イノヴェーション」などの概念は、それを仔細に吟味すればさまざまな不整合や撞着(どうちゃく)に突き当たるはずなのに、さらなる吟味を抑圧し、それに対して正面からは異を唱えさせなくする思考の政治力学が根強くはたらいている。わたしたちの思考を催眠状態に置くような力学である。」(pp. 104-105、「3 強度 志賀理江子の〈業〉」)

とおっしゃいます。よくある「時代の言葉」を疑う。少なくとも、その根源に立ち返って吟味する。それができない現代の人びとは我慢して考え続けることができないと言うのです

 自然現象や環境問題と対比させて考える場合、我われはつい「人」を単純化してしまいます。つまり「均質な人間像」を想定してしまいます。しかし、現実に「均質な人間」などはいません。赤ん坊や子ども、成人、高齢者といったライフ・ステージや発達段階、性・ジェンダー、遺伝的多様性、障がいの有無などは、時と場合に応じて適切に区別しなければ、人権でさえ十分に尊重できない場合があります。例えば、いくらわかりやすい言葉であっても、まだ〈ことば〉の話せない赤ん坊に口で説明するのでは何もわかりませんし、高齢者や身体障がい者に災害から身を守る術(すべ)を説明する時には、体力的なことを考慮しなければ意味がない場合があります。そのことを『素手のふるまい』では、

(個人個人の態度で大切なことは)「おなじ一つのものへと結集ないしは糾合させられることの拒否ということだろう。これを裏返していえば、一つへまとめることのできない多様性の徹底した擁護ということだ。」(p. 236、「8 点描」)

と表現していらっしゃいます。その上で、アートというものを

「生を丸くまとめることへの抗いとして、アートはいつも世界への違和の感覚によって駆動されているはずである。」(p. 238、「8 点描」)

と書くのです。ここで言うアートとは「わたし達の生活実感」に近い意味を持つのだと思います。

 鷲田さんは観念的な思弁の哲学者ではなく、具体的なもろもろの問題と格闘する「臨床哲学者」です。理論も大事なのですが、「臨床」はごちゃごちゃとややこしく、無駄が多く、互いに矛盾することがよくあります。そして「臨床」と言う以上、問題の解決を目指さなくてはならないのだと思います。ただ頭に思い描いただけの、現実にはどこにもいない「人」ではなく、さまざまな立場で問題を抱えて困っている、あるいは問題が解決して笑っている具体的な〈人〉こそ、哲学的に対象とするべき課題だとおっしゃっているのだと思います。

 「臨床」であつかうさまざまな問題は、まさに「ごちゃごちゃとややこしく、無駄が多く、互いに矛盾することがよくあ」るけれど、それに耐えて考え続けようと呼びかけておられます。我われの人生そのものへの応援のような気がします。

☆   ☆

 思えば、わたしのような研究者は、哲学者や『素手のふるまい』に出てくる写真家とか陶芸家と、本質的には同じ存在であったような気がします。ところが現実には、「研究」とは名ばかりの何やらレベルの低いルーティンでお茶を濁し、本来の仕事であるはずの発見の喜びは二の次になっています。作業の効率ばかりがうるさく言われます。その中で鷲田さんのおっしゃることを実践するには、研究者の側に大きな勇気が必要です。しかし、

「知らぬ間にだれによってともわからず設定された社会の構成秩序、その軸線や書き割り(分割線)に沿って生きることができないし、生きようともしない人びと、それが『はぐれ者』である。」(p. 222、「7 〈はぐれ〉というスタンス」)

という生き方は、「アートはいつも世界への違和の感覚によって駆動されているはず」の人びとによって無骨に実践され続けるのだと信じています。第一、研究者は、「他人と違う視点を見つける」ことが生きがいなのですから。

 次は池澤夏樹さん『終わりと始まり』(2) を音読しています。

---------------------------------------------------------------------
(1) 『素手のふるまい』(鷲田清一 著、朝日新聞出版)

(2) 『終わりと始まり』(池澤夏樹 著、朝日文庫)


三谷 雅純(みたに まさずみ)
コミュニケーション・デザイン研究ユニット
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして86

インフォームド・コンセント(十分に説明を聞いた上での同意)


三谷 雅純(みたに まさずみ)


 わたしがやっているメーリング・リスト「サイエンス・サロン」にお便りを下さる方が、新聞で見たと言って大阪府堺市の国際障害者交流センター、通称ビッグ・アイ (1) のことを紹介して下さいました (2)。ネットで調べてみると、ビッグ・アイ の主な活動は芸術・旅行・セミナーの三つのようです。

 芸術は障がい者にも多くの愛好者がいます。わたしがよく話題として取り上げる高次脳機能障がい者や失語症者には、〈ことば〉のコミュニケーションは苦手な人が多いので、絵や写真、音楽といった〈ことば〉に頼らなくても成立する芸術は人気が高いのです。

 ビッグ・アイは障がい者に旅行を勧めています。ビッグ・アイが進めている「バリアフリー・ユニバーサル デザイン旅行」とは、さまざまな障がい者が行きやすいようにと考えた旅行のことです。全国の旅行会社や団体にアンケートを採った支援対象の障がいとは、視覚障がい(全盲)、視覚障がい(弱視など)、聴覚障がい、知的障がい、精神障がい、車いす(歩行不可)、車いす(歩行可能)、電動車いす、人工透析、高齢者(要介護)、高齢者(要支援)、療養者となっていました (3)

 ビッグ・アイのホームページには、各旅行社が寄せたアンケートも載っていました。アンケートの中には重度障がい者や重複障がい者、電動車いすの利用者とともに、脳梗塞、脳血管障がいの後遺症のある人や知的障がい者の援助が得意だと答えたところもあります (4) 。しかし多くの旅行社は、どちらかと言えばコミュニケーションの取りやすい障がい者の援助が多い気がしました。

☆   ☆

 わたしは高次脳機能障がい者や失語症者の協力を得て視聴覚実験を行っています。どんな緊急放送や館内放送であれば高次脳機能障がい者や失語症者は聞きやすいのかを知りたいのです。病気をして以来のわたしの友人には、もともと多くの高次脳機能障がい者や失語症者の皆さんがいますから、常識的なことであれば何のためらいもなく頼んでみます。たいていは「視聴覚実験をしたいので協力して下さい」と言うと、気楽に応じてくれるのです。しかし、わたしは実験を研究としてやるのですから、被験者の皆さんには重い責任があります。そこで「インフォームド・コンセント」、つまり「十分に説明を理解した上での同意」をもらっています。

 「十分に説明」をする時、書類だけでは読んでも分からない人がいます。書類はフォントや行間を直して高次脳機能障がい者や失語症者にわかりやすくした文章を使うというだけではなく、同じ文章をスライドにし、プロジェクターで投影して画像を大きく拡大して、わたしが声に出して読んで説明することを試みています。

 高次脳機能障がい者や失語症者にわかりやすい文章は、だいたい書き方が分かってきました (5) (6)。ところが書いた文章だけでは全く理解できない人がいます。失語症状の重い人です。そんな人には人の肉声が理解してもらいやすいのだ (7) と分かりました。ゆっくり、読み上げると分かってもらえます。そこに笑顔が加わると、リラックスしてもっと分かりやすくなります。ですから、被験者への説明に、わたしが微笑みながら声に出すことは、とても効果的なのです。

☆   ☆

 高次脳機能障がい者や失語症者に研究の内容を説明して「十分に説明を聞いた上での同意」をもらうことが重要な理由は、その他に、まだあります。それを理解するためには、高次脳機能障がい者や失語症者の立場を我が身に置き換えて考えてみることが近道だと思います。

 あなたは理性的に考えることができるのですが、肉声であっても説明を聞くのが苦手であったり、声に出すことがなかなかできないとします。考える能力や結論はあるのです。ただ結論を伝える方法はないのです。

 このような時、成年後見制度を利用すればよいと考える人がいるかもしれません。「成年後見制度」とは、認知症や知的障害、精神障害などで判断能力が低下している人のために助けてくれる人を、家庭裁判所に頼んで選んでもらうことです。財産の管理や契約を安全に行うために必要です。しかし、「結論を伝える方法がない」状態と「判断能力が低下している」状態とでは全く異なります。今は成年後見制度を利用することはおかしいのです。成年後見制度では何も解決しません。

 高次脳機能障がい者や失語症者というのは、ひとりで言葉の通じない外国に出かけた時のようものかもしれません。何しろ「結論を伝える方法がない」のですから。このあたりが多くの人には理解できないようです。

 そこで、我われが期待する制度が「会話パートナー」です (8)。「会話パートナー」は高次脳機能障がい者や失語症者の考えを「翻訳する」「通訳する」という重大な、しかも難しい役割を担っています。

☆   ☆

 わたしは自分の行う視聴覚実験で使うために人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」(文部科学省・厚生労働省, 2014)(9) を参照しました。読んでみると研究者の責務や組織の責任、被験者に対する人権の配慮など、だいたいは頷(うなず)けることばかりでした。その中でひとつ、わたしが注目した記述がありました。それは研究者の出す研究計画書を倫理や科学の見方からおかしくないかを判断する倫理審査委員会の構成要件まで読み進んだ時です。そこには:

倫理審査委員会の構成は、研究計画書の審査等の業務を適切に実施できるよう、次に掲げる要件の全てを満たさなければならず、①から③までに掲げる者については、それぞれ他を同時に兼ねることはできない。会議の成立についても同様の要件とする。
① 医学・医療の専門家等、自然科学の有識者が含まれていること。
② 倫理学・法律学の専門家等、人文・社会科学の有識者が含まれていること。
③ 研究対象者の観点も含めて一般の立場から意見を述べることのできる者が含まれていること。
④ 倫理審査委員会の設置者の所属機関に所属しない者が複数含まれていること。
⑤ 男女両性で構成されていること。
⑥ 5名以上であること。

とありました(倫理指針の16ページ)。わたしが注目したのは、この内の ③ です。「研究対象者」とは、視聴覚実験では被験者のことです。つまり「研究対象者の観点も含めて一般の立場から意見を述べることのできる者」とは、高次脳機能障がいや失語症であればその当事者が、それが難しければ家族や支援者といった「自然科学や人文・社会科学の有識者ではなく、一般の立場から意見を述べることのできる者」が、必ず倫理審査委員会のメンバーに入っていなければいけないと書いてあるのです。これはまさに当事者(か、それにきわめて近い人、少なくとも共感できる人)の参加をうながすものです。

 国の委員会には障害者基本計画にかかわる取り決めに意見を言う障害者政策委員会が定められています。この委員には当事者か、それにきわめて近い人が多く含まれています (10)。地方自治体にも、例えば兵庫県には建物の作りや仕組みが障がい者にとって使いやすいかどうかをアドバイスする「福祉のまちづくりアドバイザー」として、障がい当事者の立場から意見を言う「利用者アドバイザー」がいます (11)。また千葉県の「障害のある人に対する情報保障のためのガイドライン」(12) 改定のための会議委員には、多くの障がい者団体の方が参加されています。

 しかし国と地方公共団体を含めて、その他、数多くの委員会に障がい者は参加していません。上に上げた福祉現場のごく一部に参加しているだけです。わたしは、当事者が自らに関わる社会の仕組みに意見を言うことは当たり前だと感じます。それとともに一般の社会には、障がい者を初めとするさまざまなマイノリティが住むことが当然なのだから、マイノリティがマイノリティとして社会の仕組みに意見を主張することも当然のはずです。マジョリティだけで構成された国や地方自治体の委員会など、どれだけ頑張っても当事者の生の声は聞こえてきません。

 いくつかの障がい者に関わる法律や条令は、これまで、目につきやすい身体障がいをもとに立案され、施行されてきました。そんな中で、発達障がいや高次脳機能障がい、失語症など、脳に関わる障がいは最近になって組み込まれました。行政の中にも当然、脳に関わる障がい者のエキスパートはいます。しかし、組み込まれた歴史が浅く、その知恵が組織全体に共有されていないのです。そのためにエキスパートのいる部署では対応ができる場合もありますが、系統だって対応しているところは存在しない、と言って悪ければ、ごくひと握りです。

 どなたかの「医学研究のための倫理審査委員」などは、わたしは当事者なのですから、ぴったりです。同様にマイノリティの多様な意見が活かされない社会は、マジョリティにとっても住みにくい。わたしはマイノリティのひとりとして、つくづく、そう思っています。

----------------------------------------------------------
(1) 国際障害者交流センター、通称ビッグ・アイは
http://big-i.jp/contents/about/about_big-i.html
にあります。

(2) 紹介して下さったのは、産経新聞【日曜に書く】「障害は人にあるのではない、環境にあるのだ」(論説委員・佐野慎輔さん)の
http://www.sankei.com/column/news/161218/clm1612180004-n1.html
http://www.sankei.com/column/news/161218/clm1612180004-n2.html
http://www.sankei.com/column/news/161218/clm1612180004-n3.html
でした。

(3) ビッグ・アイの旅行に関する取り組みは、バリアフリー・ユニバーサルデザイン旅行に関して
http://big-i.jp/contents/pages/worldi/udtravel/
にありました。

(4) とくに脳梗塞、脳血管障がいの後遺症のある人や知的障がい者の援助が得意だと答えたアンケートは「チックトラベルセンター」(名古屋)のものでした。回答は:
http://big-i.jp/contents/pages/worldi/udtravel/answer_tictravel.html
にあります。

(5) 三谷 (2011) ユニバーサル・ミュージアムで文章はどう書くべきか: コミュニケーション障がい者への対応を中心にした年齢,発達,障がいの有無によるギャップ克服の試み. 人と自然 Humans and Nature 22: 43−51.
http://www.hitohaku.jp/publication/r-bulletin/HN22_06_43_51-1.pdf

(6) 三谷 (2013) 生涯学習施設は言葉やコミュニケーションに障がいを持つ人とどう向き合うべきか : 総説. 人と自然 Humans and Nature 24: 33−44.
http://www.hitohaku.jp/publication/r-bulletin/No24_04-1.pdf

(7) 三谷 (2015) 聞くことに困難のある人がわかりやすい音声: 視覚刺激の付加により高次脳機能障がい者の理解は進むか. 人と自然 Humans and Nature 26: 27−35.
http://www.hitohaku.jp/publication/r-bulletin/NO26_004-1.pdf

(8) 「ユニバーサル・ミュージアム:言葉でない〈ことば〉を「通訳」すること」
http://www.hitohaku.jp/blog/2016/11/82/

(9) 文部科学省・厚生労働省(2014)「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」
http://www.lifescience.mext.go.jp/files/pdf/n1443_01.pdf
 厚生労働省 (2008) 「臨床研究に関する倫理指針」
http://www.mhlw.go.jp/general/seido/kousei/i-kenkyu/rinsyo/dl/shishin.pdf
にも似た約束はあるのですが、「研究対象者の観点も含めて」という文言(もんごん)が抜けています。

(10) 内閣府 障害者政策委員会のページ:
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/seisaku_iinkai/index.html#shouiinkai

(11) 兵庫県の福祉のまちづくり(福祉のまちづくり条例・バリアフリー関連事業)のページ
https://web.pref.hyogo.lg.jp/ks18/kendo-toshiseisaku/hukumachi/201209_renewal/hukushi_top-page.html
「チェック&アドバイス制度」
https://web.pref.hyogo.lg.jp/ks18/kendo-toshiseisaku/hukumachi/201209_renewal/check_and_advice.html
があります。しかし、これは「福祉のまちづくり」という枠組みだからなのかもしれませんが、情報保障の見方は弱いようです。

(12) 千葉県の「障害のある人に対する情報保障のためのガイドライン」のページ
https://www.pref.chiba.lg.jp/shoufuku/shougai-kurashi/jouhouhoshou/
は情報保障に特化したものですが、高次脳機能障がい者や失語症者の意見はあまりないようです。





三谷 雅純(みたに まさずみ)
コミュニケーション・デザイン研究ユニット
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして85

ヒトが地球に残す跡

三谷 雅純(みたに まさずみ)


 昼食を摂った後、昼休みはいくつかの雑誌をインターネットで眺めて過ごします。雑誌と言っても娯楽誌は読む習慣がないので、たいていは科学に関係したものです。本当はソファに寝転がって読めばいいのですが――学生時代、ある人から「科学誌は研究室のソファに寝転がって読むものだ」と教えてもらいました――わたしのいる研究室にソファはありません。それで仕方なく机に座って読んでいます。「ネイチャー」「サイエンス」という雑誌は、申し込めば最新号のさわりを無料で送ってくれます。もともとは英語で書かれていますが、わたしがよく使う「ネイチャー・ハイライト」「今週のサイエンス」は日本語の翻訳です。

 「最新号のさわり」ですが、時には興味を引かれて内容を読みたくなることがあります。しかし記事は有料です。ちょっと「興味を引かれた」ぐらいでいちいち購入していては、いくらお金があっても足りません。そんな時は同じ著者を Google Scholar という検索サイトでひいてみます。すると、大抵はよく似た題名の記事が無料で出てくるのです――「学問は全ての市民に開かれているべきだ」という「オープン・アクセス」の主張です。わたしはよく、この無料の記事を利用しています。

 "Anthropocene"(人新世:ひとしんせい、じんしんせい、アントロポセン = 近年の地質学的な時代の内、「人類の時代」である現代をあらわす造語)という言葉を知ったのも、そんな昼休みでした。

 "Anthropocene" はまだ本当の学術用語ではないと思います。2015年の「ネイチャー」にあった記事 (1) も、この言葉は議論の最中だとありました。しかし、現在が「人類の時代」だという主張は素直にうなずけます。現代を「人類の時代」と呼ぶのは、大気組成の異常な変化やプラスチックごみの増加、農地の拡大と栽培植物の増加、それに野生生物の異常な絶滅といった事情があるからだとしていました。従来の認識で、現代を含む時代は完新世(かんしんせい:Holocene)と言います。しかし、ヒトという生物がむやみに増えて地球に影響を及ぼすようになったことで、地質年代を自然現象とだけ捉えることには無理があると気づいた研究者がいました。この認識では「人類の時代」に新しい名前をつけべきだと考えた人が表れたことも当然でしょう。

 ただし、わたし自身はこの "Anthropocene" という言葉には違和感を感じました。決して専門家の戦わす議論が分かったからではありません。わたしはただ専門家の議論を読むだけで、判断する力や経験はありません。では何に対する違和感だったのでしょう。

 それはどうやら、むやみに増加した「ヒトの繁殖」という現象を指して、人自身が「新しい時代」だと名付けることへの違和感だと気がつきました――決して「違和感があるから認めない」と言っているのではありませんよ。そうではなくて自然現象として捉えてきた地質年代の区分を、言ってみれば「人為現象」である人口の急上昇で区切るのは、別の基準(=ダブル・スタンダード)を当てはめているのではないか。しかし、それってどういうことなんだろう。そんな違和感です。

 もちろんヒトと他の生物の間に本質的な相違はありません。ヒトは地球に生まれた生物の一種です。それなのに、わたしが「ヒトだけが特別だ」と感じるのは、現代に生きる(=ヒトだけがめったやたらに増えた"特別な時代"(まさに「人類の時代」!)を生きるという意味論的な「どうどう巡り」をしてしまった)わたしだけの特別な感覚なのかもしれません。

 学術用語は客観的な基準が必要だが、1,000年、2,000年という進化史的には圧倒的に短い時間の幅だけで地質年代を区切るのは変だ。第一、今は増えているとはいっても人口増加は不安定なものかもしれない。案外ヒトは、近い将来、絶滅しているかもしれない。だから客観的な基準として適当ではないのではない。そういった感覚から出たものかも しれません。

 このような「研究者っぽい」理屈をこねくり回しました。しかし、もっとよく考えてみると、わたしには全く別の感情があるのだと気がつきました。それはまるで運命論者のような感情です。詳しく言うと、わたしの人生は、すでに行く末が決まっているかのような感覚です。もちろん理性的に考えれば「わたしの行く末が決まっている」ことは断じてない。そのことはよく知っています。しかし、心のどこかで「すでに行く末が決まっている」という心の隙間があるのだと気が付いたのです。何だか奇妙な言い方ですね。

☆   ☆

 母が里帰りをして出産したため、わたしは、祖母の住んでいた香川県高松市で生まれました。その時、母方の親族が讃岐(さぬき)の人であるというのは、わたしの意思ではありません。生まれ出て、物心ついたら母方の親族が讃岐(さぬき)に住んでいた。そのことに気がついた。それだけのことです。

 わたしは生まれてすぐ大阪の下町で育ちました。母は大阪生まれですので、いろいろな人がいっしょに暮らす大阪の空気が肌に合ったのでしょう。この大阪育ちということも、わたしの意思ではありません。大阪では、さまざまな民族性や立場の違う人たちが、ひとつのコミュニティで一緒に暮らします。当然、わたしの遊び仲間もいろんな人がいました。このいろんな人たちと一緒に育ったことも、もちろんわたしの意思ではありません。わたしの意思ではありませんが、このような仲間に囲まれて育ったことは、わたしという人間の人格形成に大きく影響したことも間違いありません。

 わたしが研究者という職に就いたのは「たまたまだった」と思っていました。しかし今となっては、研究者以外の人生は考えられません。研究者以外にも、それなりには生きていけたのかもしれません。そうかもしれませんが、研究者以外の人生には何も具体的なイメージが浮かびません。そういう意味では、わたしの人生は「必然だった」と言えるのでしょう。

 まるで本物の運命論者のようです。

 ここまで考えてから、ふと、亡くなった母の態度には「運命論者」とはまったく違う、「意思の強さ」というものを感じていたことに思い当たりました。「母が里帰りして、わたしを産む」のは祖母がいない不安からそうしたのかもしれません。しかし決して必然ではなかった。そこには明確な意思があります。大阪のさまざまな人がいる中で、わたしを育てたのも、育て方に理想があったのでは なかったのでしょうが、それでも意思は感じます。わたしの行く末が「運命的に」決まっているなどということは(わたし自身が理性的に考えた結論のように)ありえない。そうではなくて、おおよその方向は意思で決められるのかもしれない。こんなふうに考えてみました。人生はポジティブに生きるべきです。ただし、場合によってポジティブに生きることは大変ですが。

☆   ☆

 これから先、"Anthropocene" が学術用語として認められるかどうかは分かりません。専門家でないわたしに判断はできません。わたしはヒトも含めて生物は、いつか絶滅するのが自然な理(ことわり)だと思っていますが、"Anthropocene" は「人為的な影響力を抑制しなければ人間は存続できない」と考えた研究者の重要な問題提起にとどめておくべきかもしれません。

 いずれにしても言えるのは、「ひとつの基準」(今の場合は一定の地質年代の名前の付け方)を大切に守り続けることが本当に必要かと問い直す態度は、意識してそうしなければ、既存の事実に流されるということです。

-------------------------------------------------------------------
(1) Richard MONASTERSKY (2015) Anthropocene: The human age. (NATURE)
http://www.nature.com/news/anthropocene-the-human-age-1.17085
http://www.nature.com/polopoly_fs/1.17085!/menu/main/topColumns/topLeftColumn/pdf/519144a.pdf

 その他のわたしが見つけたサイトをお知らせしておきます。

ナショナル・ジオグラフィック日本版「シリーズ 70億人の地球ー地球を変える『人類の時代』2011年3月号」
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/1103/feature02/index.shtml
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/1103/feature02/_02.shtml

「Cover Story: 人類の時代:人新世(Anthropocene)」Nature 519, 7542(2015年3月12日)
http://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/61700

毎日新聞2016年1月28日「我々の世代は...新たな地質年代『人新世』に突入か」
http://mainichi.jp/articles/20160128/k00/00e/040/207000c

日経サイエンス 2016年12月号「特集:人新世を考える」
http://www.nikkei-science.com/201612_060.html

 わたしが見つけた中で一番新しいのは
Colin N. Waters et al. (2016) The Anthropocene is functionally and stratigraphically distinct from the Holocene. (SCIENCE)
https://www.eas.ualberta.ca/wolfe/eprints/Waters_et_al_2016.pdf
でした。



三谷 雅純(みたに まさずみ)
コミュニケーション・デザイン研究ユニット
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして84

「わがまま」の境界

三谷 雅純(みたに まさずみ)



 とんでもなく「わがまま」な人がいます。自分の思い通りにならないと、我慢できなくて暴れだします。そのような人の相手をしていると、誰でも疲れてしまいます。その疲れから投げやりになって、思わずその人の我を認めてしまうのです。

 発達障がいがある人の行動は、付き合った経験のない人には予想できないので「わがまま」だと誤解されがちです。でも、よく聞いてみると、その人なりの理由があるものです。

 自閉傾向のある人は「わがまま」だから「自分ひとりに閉じこもる」のだと誤解されています。でも、最近読んだ東田直樹さんの『自閉症の僕が跳びはねる理由』 (1) には、

「人として生まれてきたのに、ひとりぼっちが好きな人がいるなんて、僕には信じられません。/僕たちは気にしているのです。自分のせいで他人に迷惑をかけていないか、いやな気持ちにさせていないか。そのために人といるのが辛くなって、ついひとりになろうとするのです。」(13.みんなといるよりひとりが好きなのですか? p. 39)

とあります。東田さんも、心から人との関係を求めていることがわかります。しかし、人生の楽しみ方は多くの人(定型発達の人)とは違うのかもしれません。それを:

「僕らは、みんなに分からない楽しみを持っています。それは、自然と遊ぶことです。
 人とかかわるのが苦手なのは、相手が自分のことをどう思っているのだろうとか、何を答えたらいいのだろうとか、考え過ぎてしまうからです。
 自然は、いつでも僕たちを優しく包んでくれます。
 きらきらしたり、さわさわしたり、ぶくぶくしたり、さらさらします。
 見ているだけで吸い込まれそうで、その瞬間、僕は自分の体が生まれる前の小さな分子になって、自然の中にとけていくような感覚に襲われます。とてもいい気持ちで、自分が人だということも、障害者だということも忘れてしまうのです。
 自然は、僕がすごく怒っている時は、僕の体を落ち着かせてくれるし、僕が嬉しい時には、僕と一緒に笑ってくれます。
 自然は友達にはなれない、とみんなは思うかも知れません。しかし、人間だって動物なのです。僕らの心の奥底で、原始の時代の感覚が残っているのかも知れません。
 自然を友達だと思う心を、僕はいつまでも大切にしたいのです。」(47.自閉症の人の楽しみをひとつ教えてくれますか? p. 110-111)

とおっしゃっています。まるで研究者によくある人生の楽しみ方です。実はわたしも似た楽しみ方をします。ですから、東田さんのおっしゃることは、とても他人事だとは思えないのです。

☆   ☆

 もうひとつの「わがまま」が、我慢強い人によくある「我の張り方」でしょう。多くの人には耐えられそうもない状況で、我慢してでも、ひとつのことをやり通します。それはそれで尊いことですが、周りの人にはただの「わがまま」に思えて、辟易(へきえき)します。

 例えば体を動かすことが好きな人がいて、毎日、練習に励んでいるとします。ところが一日でも体を動かさないと、何か怠けているような気持ちになって、いたたまれないのです。時には、運動以外の大切な用事で一日が潰れてしまうことがあります。その用事は運動よりも大切なことなのに、当人は「運動をしていないこと」が気になってしかたがないのです。昔、体を何時間も痛めつけ続けないではおれないというレスリングの選手がいました。その人の「練習」は鍛錬を超えていて、もう「苦行」の域に達していました。そして、その人はすでに健康でなどありませんでした。健康であるかどうかは、二の次になっていたのです。

 ダイエットやボディビルにも、同じことがあります。ダイエットもボディビルも、もともとは健康のためにするものです。しかし、極端なダイエットやボディビルが健康を損なうことは、よく耳にします。皆さんの周りには、痩せ過ぎの若者や薬を飲んでまで筋肉を付けようとするボディビルダーはいませんか。

 でも、ひとつのやり方が習慣になると、ついつい習慣に溺れてしまうという経験も、よくあります。この「つい習慣に溺れてしまう」のは、人の、あるいはヒトの本質なのかもしれません。わたし自身、ほとんど習慣で物事をこなしているのです。

 我慢強い人も、誰かに強いられてしている のではなく、「そうしなければ生活ができない」という背景があった。根拠があるわけではありませんが、そんな気がしています。

☆   ☆

 哲学者の鷲田清一さんが写真家の植田正治さんとともに『まなざしの記憶』 (2) という本を書いていらっしゃいます。その「Ⅱ 跡」の中の「花を贈る」という文章に:

「花には、華やぎがある。妖しさがある。
 濡れがある。熟れがある。
 棘がある。毒がある。
 迷いがある。狂いがある。
 生きとし生けるもののいのちの悶えが、そっくり映されている。
 が、花は散る。枯れる。そして落つ。ここにもまたいのちの定めがくっきり映されている。だから、花を贈るというのは、やがて咲くこと、やがて萎むこともぜんぶひっくるめて、いのちのしるしを贈ることなのだろう。祝福はほろ苦いものでもあるのだ。」(p. 56)

とお書きです。わたしには「花」は「人」のように聞こえます。芽吹き、枯れ落ちるというのは、まるで当たり前の人生を過ごしてきた人の一生のように思えます。

 「わがまま」な性格には、まるで、わがままでない人との間に、明白な境界があるようです。しかし、よく考えると、その境界は曖昧です。「棘」も「毒」も、ましてや「迷い」も「狂い」も、すべて、わたし達の人生そのものなのかもしれません。

-------------------------------------------------------------

(1) 東田直樹さんの『自閉症の僕が跳びはねる理由』は角川文庫(19802)で出ています。

(2) 鷲田清一さんと植田正治さんの『まなざしの記憶』は、角川ソフィア文庫で出ています。



三谷 雅純(みたに まさずみ)
コミュニケーション・デザイン研究ユニット
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして83

人は人の〈ことば〉を待っている

三谷 雅純(みたに まさずみ)


1986_family.jpg


 今、やっている研究は、ある失語症者に人工的に合成した音で機械に音読をさせて、短い文章を聞いてもらおうと思ったことがきっかけでした。肉声ではありません。ロボットのような「声」、というよりもただの「音」と言った方がよいと思います。その男性はたいへん知的な方なのに、失語症のために普通に書いた文章は読み取れません。表音文字の平がなやカタカナが分からないとおっしゃいます。そこで合成音声で文章を読み上げてみたらどうだろうかとコンピュータをお持ちして試していただいたのです。

 合成音声で文章を読み上げるときは、読んでいる位置がはっきり分かるように、後ろが黄色く反転するものが多いのです。こうすることで見たときに、どこを読んでいるかがわかりやすくなります。一方、失語症でない人は読み上げた文章を聞くとき聴覚が働きますから、本来、目に頼らなくてもいいはずです。その方は合成音声で「喋る」文章を「聞いてみて」、その瞬間、目が輝きました。何を言っているのかまでは分かりませんでしたが、「コンピュータが何かを喋っている」ことは分かったそうです。それまでとは異質な感覚があったのでしょう。

 試していただいたのは、わたし以外の失語症者の認識を、わたしが、あれこれ経験し始めたばかりの頃でした。疲れていなければ、わたしは文章を黙読することに不自由はありません。ただし疲れていると、黙読しても頭に入る文章が断片的になります。その結果、読み取れなくなります。そんな時、わたしの場合は「日本語音声合成エンジンに読み上げてもらうと文章の意味が理解できる」ことに気がつきました。日本語音声合成エンジンの人工音声は何種類かが選べます。女性の声や男性の声、子どもの声などです。わたしは女性の声を選んで使っていたのですが――「魅力的な声」というよりも、あくまで機械が作るロボットに近い声です――喋った内容は、わたしにとって、よく理解できたのです。この経験がありましたから、ひょっとしたら先ほどの男性も理解できるのではないかと考え、それで試していただきました。

 この男性の「文章を人工合成音で読み上げた音を聞いたら目が輝いた」という結果は、わたしに勇気を与えました。そして、いろいろな側面から「なぜ目が輝いたのだろう」と考え、マルチメディアDAISYに行き当たりました。

 DAISYはもともと視覚障がい者の読書用に開発された技術です。多くの人は文字を視覚で捕らえます。視覚を使わない人に、普通の本(点字で書いていない本、つまり墨字(すみじ)の本)は読めません。そこで視覚を使わない人にも本を読んでもらいたいと考えた人が、録音を利用して内容を聴覚で捕らえるように工夫したものです。はじめはボランティアさんに吹き込んでもらっていましたが、コンピュータ技術が進歩したおかげで、機械だけでも「音声まがい」の音が出せるようになりました。DAISYは日本語音声合成エンジンを利用する「磁気情報で表した文章」といったイメージです。だからコンピュータとか専用の読み出し機がなければDAISYは読めません。

 マルチメディアDAISYは、このDAISYに、さらに絵や写真などが付けられるように工夫したものです。研究によって、マルチメディアDAISYは視覚を使わない人だけでなく、文字の識別しにくいディスレクシアの人、学習障がいの人にも理解しやすいことが分かりました。そればかりではなく、その他のさまざまな「文字」に取っ付きの悪い人にも読書ができると分かってきたのです。わたしは最初、マルチメディアDAISYで作ったいろいろな文章――絵本や展示解説――を試していただき、何人かの失語症者や高次脳機能障がい者に理解できることを確かめました。しかし、中にどうしても分からないという人もいました。とくに人の肉声でなく合成音声、つまりロボットのような声で喋るのが分かりにくいという人が多くいました。(1) それはなぜだろうと考え、多くの失語症者や高次脳機能障がい者にわかってもらえるものは,どのようなものだろうかと、あれこれ考えたのが,このわたしの研究です。(2)

☆   ☆

 普通の紙に書いた文章よりも、マルチメディアDAISYで分かる人が増えるのは、いくつかの脳の感覚をともに刺激するからではないでしょうか。音声以外の例をあげます。失語症で音の繋がりが言語に結びつかない人の場合、「文字」なら意味が分かるのではないか。なぜなら「文字」は目で見る視覚刺激だからです。もちろん点字は指先で触って感じる文字ですが、ここでは取りあえず置いておきます。

 あるいは「文字」であっても、失語症者や高次脳機能障がい者にとっては、表音文字か表意文字かでわかりやすさが異なる。わたしに失語症者の文字理解について手ほどきをしてくれた男性のように、表音文字の平がなやカタカナは分からないが、表意文字の漢字なら分かるという方がよくいます。漢字や絵と平がなやカタカナでは、脳の中で、解釈を担う部位が違うからというのが理由だそうです。マルチメディアDAISYは音と文章、それに絵や写真で構成された表示形式ですから、その内どれかが理解できるのではないか。

 これがわたしが最初に考えた失語症者や高次脳機能障がい者にわかりやすい「文章」の仕組みでした。でも、これではまるで機械です。つまり機械の部品のように、脳はパーツが組み合わさって精巧な働きをしているというイメージです。失語症や高次脳機能障がいはパーツのいくつかが壊れてしまった。だから,壊れてしまったパーツはあきらめて、別の働きの異なるパーツを増やして、そのどれかで代行させよう。わたしは最初、そう考えたということです。

 この認識は、すぐに間違っていることに気がつきました。わたしの例で説明しましょう。すでに示した人工的に合成した音で機械に「音読」してもらうこととは別のことです。

 例えば長い文章があったら、まだ元気な内は読んで理解できます。そして疲れてくると、だんだん理解が難しくなってきます。どんな具合に難しくなるのかを振り返ってみれば、読んでみて心の中で「音」にすることはできるのですが、その「音」の「意味」が理解できないのです。

 別に失語症や高次脳機能障がいでなくても、似たことは多くの人が経験しているはずです。でもそんな時、読みやすくする方法があります。それは読みたい言葉に赤い下線を引いたり、黄色のマーカーで強調することです。あるいはフォント、つまり字のデザインを変えて見やすくすることです。人によるのかもしれませんが、わたしは太いフォントにすれば見やすくなります。行間を空けることも効果があります。そして決定的なのは、ちょうどこの文章でしているように、意味の切れ目で文章を分けることでした。

 コンピュータであれば、そのようなことは簡単です。下線やマーカーは自由に引けますし、フォントを変えることも、行間を空けることも、すぐにできます。「意味の切れ目で文章を分ける」というのは、意味が変わったら空の一行を挟むということです。

 これらは「視覚情報を加える」ことです。文章を読む時、黙読であっても、いったん心の中で「音」にして、その「音」が言語音なら、それに対応するイメージを思い浮かべる。そういった過程が必要です。しかし、下線やマーカー、フォントの違いは、基本的に視覚的なイメージです。ですから、視覚的なイメージから、いったん心の中で「音」にする「文字」とは関係がないはずです。でもこのような「視覚情報を加える」ことで、わたしは明らかに読みやすくなりました。これはいったい何でしょう?

 難しい言葉ですが「多感覚統合」と呼ばれる現象です。「多感覚統合」が人のコミュニケーション行動に見られれば「多感覚コミュニケーション」(3) になります。

 「多感覚統合」は新しく研究され始めたテーマです。なぜ「多感覚統合」が起こるのか、その細かな脳内で起こるメカニズムはとりあえず置いておいて、具体的にどのような現象なのか、何の役に立つのかが盛んに研究されています。わたしは「多感覚統合」「多感覚コミュニケーション」という現象を知ってから、この現象は失語症者や高次脳機能障がい者にわかりやすい放送法やコンピュータを使った文章作成法にも応用できるのではないかと考えました。

☆   ☆

 アフリカの森の夜、一日の仕事----わたしの調査の手伝いや狩り----を終えた狩猟採集民のピグミーたちは、焚き火を囲んで輪になります。その日のできごとを、身振りや手振りを交えて、おもしろ可笑しく仲間に語って聞かせるのです。森にお酒はありませんが、お酒があれば、もっと大げさな身振りになるのでしょう。

 今朝、ミタニはゾウ道でメスのチンパンジーに出会った。
 チンパンジーは逃げもせず、興味深そうな顔をして、地面にしゃがんでいた。
 ミタニは双眼鏡を出して、チンパンジーの顔を覗いた。
 するとチンパンジーは厭がって、背中を向けた。
 ミタニも覗くのは止め、双眼鏡を下ろした。
 チンパンジーはミタニの方をちらりと見た。
 もう一度、ミタニはチンパンジーの顔を覗いた。
 チンパンジーは、また背中を向けた。

 これだけのことを、身振り手振りを交えて延えんと語るのです。小一時間にもなるでしょうか。さほど可笑しいことだとも思えません。しかし、みんなは笑い転げています。わたしも、つられて笑ってしまいました。

 これが人と人のコミュニケーションの本質です。言葉は大切です。ただ言葉だけではなく、そこにジェスチャーや大げさな表情が加わると、ついつい笑ってしまうのです。焚き火の輪の話は、カバが歩いてきてミタニのテントを見ると驚いて止まった話だとか、夜中になるとテントの近くに(ウシの仲間の)ダイカーが表れるのは、塩味ほしさにミタニがしたオシッコを舐めに来ているのだとかいった話になることもあります(大げさに聞こえますが、本当に語り合っていたことです)。

 もともとピグミーの世界に文字はありません。あるのは話し言葉と表情や身振り・手振りです。このような狩猟と採集に頼った生活と夜の焚き火の楽しみは数十万年に渡って、言葉を使って喋り合うことだけなら100万年ほども続きました。多分、この狩猟採集時代に形づくられたものの感じ方が、わたし達の脳の構造の原型を形づくったことは間違いありません。

 こうして成り立つ会話が「多感覚統合」の見本です。対面でするコミュニケーションは「多感覚統合」の代表です。

 確かに会話は言葉だけでも伝わります。しかし伝わることは無味乾燥です。決して「高揚感」は表せません。表情や身振り・手振りのジェスチャー――気分が乗ってくるとダンスまでが重なって「高揚感」が表れます。時にはその「高揚感」が昂じてトランス状態に陥ることさえあります。

 わたし(=ミタニ)をダシに笑い興じている分には、トランス状態にまで陥ることはないのですが、表情や身振り・手振りといった目から入る刺激が言葉のもたらすイメージを拡大していることは事実です。このような「多感覚統合」によって、失語症者や高次脳機能障がい者で文字がわかりにくい人には役立つかもしれません。言語音だけではイメージに結びつかない失語症者や高次脳機能障がい者も、ひょっとしたら小さな核が拡大されて、イメージが生き生きと広がるかもしれない。失語症者や高次脳機能障がい者は年相応の理解は保っているのだから、ちょっとして刺激から理解可能なイメージが再生できるかもしれない。

 わたしはそんなことを考えました。

 人は家族やコミュニティの中で暮らしています。そこで人はいつも誰かの〈ことば〉を待っているのです。



bomasa891121.jpg

------------------------------------------------------------------------
(1) 三谷 (2012) DAISYを使ったコミュニケーション障がい者にもわかりやすい展示解説の試み.人と自然 Humans and Nature 23, 61-67.
http://www.hitohaku.jp/publication/r-bulletin/No.23-061-1.pdf

(2) 三谷 (2015) 聞くことに困難のある人がわかりやすい音声: 視覚刺激の付加により高次脳機能障がい者の理解は進むか. 人と自然 Humans and Nature 26, 27-35.
http://www.hitohaku.jp/publication/r-bulletin/NO26_004-1.pdf

(3) 田中 章浩, 積山 薫 (2011) 特集「多感覚コミュニケーション」の編集にあたって. 認知科学.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcss/18/3/18_3_381/_pdf
雑誌「認知科学」に「多感覚コミュニケーション」の特集が組まれていて、J-Stage から幅広い論文を無料で見ることができます。同じ雑誌に載っていた代表的な論文では:
田中 章浩 (2011) 顔と声による情動の多感覚コミュニケーション
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcss/18/3/18_3_416/_pdf
は「顔と声による情動」の研究成果をまとめてあります。また、
高橋 麻衣子, 巌淵 守, 河野 俊寛, 中邑 賢龍 (2011) 児童の読み困難を支援する電子書籍端末ソフトTouch & Readの開発と導入方法の検討
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcss/18/3/18_3_521/_pdf
は「多感覚コミュニケーション」を応用した読み困難を支援する電子書籍端末ソフトについて検討した結果が載っています。


三谷 雅純(みたに まさずみ)
コミュニケーション・デザイン研究ユニット
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして82

言葉でない〈ことば〉を「通訳」すること

三谷 雅純(みたに まさずみ)



 田中昌明さんと田中加代子さんはすてきなご夫婦です。訪れると、いつも微笑(ほほえ)んで迎えてくれます。たいていは、まず加代子さんが出てこられ、昌明さんは笑いながら作業所の仕事を続けておられます。おふたりとも背が高いのですが、威圧感はまったくありません。わたしと妻も、あんなご夫婦になれたら素敵だなと言い合っています。

 お二人は、「トークゆうゆう」という名前の、失語症者や高次脳機能障がい者のための地域活動支援センターを主催していらっしゃいます。地域活動支援センターというのは、障がい者が地域に出た時に活動しやすいように援助する施設です。「トークゆうゆう」(つまり「悠々と話そう」)という名前からも分かる通り、この施設の役目は、失語症者や高次脳機能障がい者が余裕を持って喋れるように手助けすることです。参加者の大半は失語症者や高次脳機能障がい者なのです。

 今まで何度か書きましたが、失語症者や高次脳機能障がい者の内面は、ごく普通に、年齢とともに変化していきます。そして理性が失われることはありません。

 言葉は、多くの場合(手話を除いて)、言語音(げんご・おん)が耳に入り、脳に届いてから始まります。脳に届いた「ただの音の繋がり」にしか過ぎない言語音が、「内言語」と呼ばれる複雑な信号の流れになって、言葉の運んできた意味を解釈したり、昔覚えた別の言葉を思い出したりします。そして「これは面白い」とか、「それは、ちょっと違うな」といった反応の仕方を決めていきます。こうして新しく産み出された内言語の反応(ここでは、まだ「意味のある音」ではありません)は、再び音の繋がりの言語音に変換され、喉や舌などの筋肉によって発音されるのです。多くの人では、これが頭の中で一瞬の内に起こります。ですから内言語は存在をまったく意識できません。多くの人は「内言語」という言葉すら知りません。まるで言語音が耳に届くと応えが自動的に口から飛び出す。そう誤解してしまうのです。

 「トークゆうゆう」は地域活動支援センターですから、そこに集まる人は大切な活動の方針を合議で決めます。昌明さんは失語症の重い後遺症があります。会議は大切だと分かっていても、司会がうまくできません。そこは加代子さんの出番です。加代子さんは「トークゆうゆう」に集まった一人ひとりの思いを推し量り、意見はそれで良いかと確かめつつ、会議を進めていきます。こうして「トークゆうゆう」の合意が出来上がっていくのです。

 少し勘のいい人であれば、どなたにでもできそうです。しかし、ことはそれほど単純ではありません。

 会議は集まった人たち全員で行います。10人ぐらいでしょうか。皆さんそれぞれ自分の思いがあります。例えば、ある人は会則はもっと緩い方がいいと思っているかもしれませんし、別の人は、会則なのだから厳密に守らないといけないと考えていたりします。司会者はそのばらばらの思いを汲んで、会の総意としてひとつにまとめるのです。参加者は失語症者や高次脳機能障がい者です。通常の意味で議論はできません。言語音や文章がうまく表現できないのです、しかし、言語音になる前の内言語では、それぞれの意思をしっかりと持っている人が多いのです。気持ちをくみ取り、その人の意見に寄り添う。しかし、自分の思いと混同してはいけないし、誰かの見方をしてもいけない。その上、秘密は絶対に守らなければいけません。本当に難しいのです。

☆   ☆

 「トークゆうゆう」の田中加代子さんのような立場の人を、失語症者の「会話パートナー」と呼んでいます。いくつかの先進的な地域では、失語症者とコミュニケーションを図れる会話パートナーの養成に取り組んでいます。役所に会話パートナーがいれば、たとえ失語症者が一人で手続きに来ても、(スムーズにとは言わないまでも)「言語音で名前を告げない」ので追い返す愚かな真似は、ずっと減ると思いますーー選挙の時、そのような「一人で言語音で名前を告げること」を有権者の条件としている自治体があったそうです。あるご婦人は、投票する権利があり、投票する意思があるのに、失語症で「一人で言語音で名前を告げること」ができないばっかりに、職員から投票を拒否されたということです。(1)

 そのご婦人はあきらめて、しょんぼりしていたそうです。気持ちが萎えそうです。投票所の職員は、どうして自分のことを理解しようとしないのか。悔しさで胸が潰れます----わたしの個人的な思いですが、拒否した職員も,実はご婦人の失語症のことをご存じだったのではないでしょうか。しかし、マニュアルで「一人で言語音で名前を告げること」と書いてあり、それ以外のその方の確認方法が書いてなかったような気がします。マニュアルのせいで、お二人の間には変な溝ができたのかもしれません。

 あきらめて、しょんぼりしてしまったけれど、最初は腹立たしかった。しかし、自分ではどうすることもできない。そんな時、会話パートナーがいて、言いたいことをくみ取ってくれれば、当事者も精神的にずっと楽になるでしょう。会話パートナーが役所や病院にいてくれれば、いろいろな手続きもスムーズに進む気がします。

 もちろん職場では事情が異なるでしょう。仕事は自分のためだけにするのではありません。仕事に関わる同僚や、その他の関係者に対しても重い責任があります。それに働く人一人ひとりには、その人独自の発想やアイデア、作業を進める手順が重要なことが、よくあります。もちろん、自分勝手に仕事の段取りを変えてしまっては、大きなトラブルになることがありますーー旅客機の運航には厳密なマニュアルがあって、決められたとおりに運行しなければなりません。しかし、自由な発想が新たな展開につながる。これはよく聞く話です。仕事を推進していくためには、他の人が思いつかない自由な発想が必要です。その時、通常の会話パートナーでは、変幻自在の発想まで汲み取って「言語音に翻訳する」のは難しいだろうと思います。何しろ、自由な発想はどこから何が飛び出すか分からないのですから。

☆   ☆

 「脳ーマシン・インターフェース」という技術があります。「脳」は人間の脳という意味です。「マシン」は機械です。そして「インターフェース」が「間をつなぐもの」といったような意味です。今、さかんに研究されている、新しい分野です。

 わたしの脳がコンピュータに命令を出すとします。その時、命令を伝える「インターフェース」はキーボードやマウスに当たります。そしてコンピュータが返事を返すには、ディスプレイに写すといった方法があります。わたしの手がキーボードやマウスを操作して、目でディスプレイに写った情報を読み取るのです。ところが「脳ーマシン・インターフェース」では、手や目を使わず、わたしの脳で考えるだけで「マシン」であるコンピュータに命令を伝えます。不思議です。

 別の例で説明します。部屋の電灯を点す場面を想像して下さい。電灯はスイッチで点します。スイッチの入れる時、多くの人は手で操作します。ところが「脳ーマシン・インターフェース」では、考えるだけでスイッチが入るのです。まるで魔法です。しかし「脳ーマシン・インターフェース」を使うと、本当にスイッチが入るのです。

 どのような仕組みかというと、生きた脳を傷つけずに詳しく調べる方法に fMRI とか近赤外分光法という技術があります。fMRI は難しい呼び方なのですが、漢字を使って「磁気共鳴機能画像法(じき・きょうめい・きのう・がぞう・ほう)」とも言います。病院で撮ってもらう MRI(磁気共鳴画像)の応用です。近赤外分光法は脳を流れる血液から、脳のどこが活発の働いているのかを推定します。このような技術によって脳の神経細胞の情報を取り出し、その情報を機械に送って操作するのです。例えば「義手ロボット」に脳の情報を送れれば、手や足の全てが麻痺した人も、物をつかんだり、持ったりできます。(2)

 記憶したり,「急いでやらなきゃ」と次にやることを計画を立てて行うといった高次脳機能についても研究は進んでいます。進んではいますが、まだ人の代わりをロボットが行うにはギャップがあるようです。ましてや「言語音や手話サインと読み取ったり、音やサインで発話したり」といったコミュニケーション機能の代行は、とても難しそうです。〈ことば〉を話す代行、つまり「会話パートナー」や「コミュニケーション支援者」をロボットが実現するためには、もっと神経細胞のネットワークを詳しく知る必要があるからです。〈ことば〉が脳に届いてから、意味のある言語音であるか、風の音とかの環境音であるかを識別して以後の神経ネットワークについては、まだ分からないことが多いのだと認識しています。

 ということは、内言語にまで立ち入って翻訳することは(今のところ)不可能ですから、「会話パートナー」や「コミュニケーション支援者」は当事者に〈イエス〉か〈ノー〉で答えてもらい、内面を探りながら、真意を聞く。その上で翻訳するという気持ちが大切だと分かります。でも、それなら、決まった会話は助けられますが、自由な発想が要求される職場での就労支援は難しそうです。

 自由な発想で新たなことに挑戦する必要が求められる職場とは、例えば「研究職」はその最たるものだと言えます。研究者はルーティンやマニュアルよりも、発想の活発さや独創性を重視します。そんな研究者も「会話パートナー」や「コミュニケーション支援者」に頼れないものかと夢想することがあります。事実、わたしの知る研究者には病気や事故で失語症や高次脳機能障がいになった方がよくいらっしゃいます。そのような方は、わたしも含めて、研究のスタイルや人生の目標を大きく変えることが多いようです。わたしの場合、それまでの野外調査を主にする研究はできなくなりました。しかし、幸いにしてコミュニケーション・デザイン研究ユニットという新しい研究部門が発足しましたので、人類学調査の延長線上にある研究が、失語症者や高次脳機能障がい者の協力でできています。わたしは会話パートナーの訓練を受けたことはありませんが、自分自身が失語症者であり、高次脳機能障がい者ですので、自然と互いの気持ちが分かるのです。

 わたしのケースは幸運な例外です。しかし、わたしと同じ悩みを持っている失語症者、高次脳機能障がい者は多くいらっしゃいます。そのような人と、どのように共感を持つべきか。これもまた人類学の重要な課題です。


---------------------------------------------------------------------
(1) 毎日新聞2013年07月18日大阪朝刊に、二木一夫さんがお書きになった発信箱:1票のバリアフリー」の事です。
http://www.hitohaku.jp/blog/2013/08/post_1762/

(2) 以下のような文献がありました。

日経サイエンス  2003年1月号「思考でロボットをあやつる」M.A. L. ニコレリスと J. K. チェーピン
http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0301/robot.html

「ブレインーマシン インターフェイスの現状と将来」長谷川良平,電子情報通信学会誌,2008

http://www.journal.ieice.org/conts/kaishi_wadainokiji/2008/200812.pdf

「ブレイン・マシン・インターフェースの基礎と臨床応用」平田雅之ほか,脳外誌,2013

https://www.researchgate.net/profile/Takufumi_Yanagisawa/publication/271237212_Brain-Machine_Interfaces_Principles_and_Clinical_Application/links/56b33c5608aed7ba3fef83ad.pdf




 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
コミュニケーション・デザイン研究ユニット
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして81

「私だけ」のものと「あなたたち」

三谷 雅純(みたに まさずみ)



 半年ほど、「ユニバーサル・ミュージアムをめざして」を書かずにいました。いつまで待っても新しい文章がアップ・ロードされないので、三谷は病気なのではないかと心配して下さった方がいました。心配して下さって、ありがとうございます。でも大抵の方は、その方その方の日常の流れがあまりにも速すぎて、いつの間にか、そんなブログがあったということを忘れていたのではないでしょうか。

 世の中全体が、お一人お一人の人生に対して目まぐるしく変わり続けることを求めています。それも有無を言わさずにです。それに応じて情報の質がどんどん劣化し、無数にあるどうでもいいこと、吹けば飛ぶようなことばかりが幅を利かせるようになりました。その洪水の中から、本質的に大事なことを見分けるのが難しくなったのだと思います。「忘れてしまって差し支えないこと」、というよりも「忘れなければ、明日の作業に取りかかれないこと」で溢(あふ)れてしまった。そういうことだと思っています。わたしは、どうしてもしなければならない「明日の作業」そのものから、「どうでもいいこと、吹けば飛ぶようなこと」が再生産され、皆さんの貴重なはずの人生の時間が、いつの間にか無駄に消費されてしまわないようにと祈っています。

 今では違うのかもしれませんが、少なくとも、かつてのサモアやニューギニアの人びとは、昨日も明日も変わらない、貧しく平穏な生活をしていました。芋畑があり、豚を飼う生活です。まるでわたし達の住む世界とは別の惑星の話です――実はわたしは、若い頃から、芋畑があり豚を飼う生活に憧れていました。今でもです。『水木しげるの娘に語るお父さんの戦記』 (1) に書いていた水木さんと同じ心境です。

 病気ではないかと心配して下さった皆さん、わたしは元気です。これからは、また「ユニバーサル・ミュージアムをめざして」を続けていきます。書きたいことは、いくらでもあります。

☆   ☆

 神奈川県にある「津久井やまゆり園」という施設で、19人の重い障がいのある入所者が、無抵抗のまま殺されるという事件が起こりました。東京大学先端科学技術研究センターの福島 智さんは、「重複障害者は生きていても意味がないので、安楽死にすればいい」という容疑者の言葉から、「『ナチス、ヒトラーによる優生思想に基づく障害者抹殺』という歴史的残虐行為」を連想した」(毎日新聞 2016年7月28日夕刊)(2) とおっしゃいます。

 『ナチス、ヒトラーによる優生思想に基づく障害者抹殺』とは、いわゆる「T4作戦」と呼ばれる、精神障がい者を安楽死させる考えのことです。「精神障がい者」には、後に身体障がい者やアルコール中毒者なども含まれるようになりました。戦後のニュールンベルグ国際軍事裁判によれば、「T4作戦」によって虐殺された人びとは、およそ27万5千人とされているそうです(鳥飼行博研究室HPに引用) (3)

 今、「虐殺された人びとは27万5千人」と書きました。この文章を読んでも、「27万5千人」という人数が多いのか少ないのか、よくわからなかった方が多いのではないでしょうか。27万5千人というのは、例えば日本でいえば北海道の函館市山口県下関市の2016年の人口をやや上回るくらいです (4)。何年も掛けてですが、それだけの人を淡たんと殺害した。ユダヤ人やジプシー(ロマ)の人と同じように、27万5千人の障がい者を殺した。ここで注意しておきたいことは、「善良な普通の人びとが、『ナチスの命令で』障がい者を淡たんと殺した」という事実です。普通の人たちが殺した。このことを障がいのある当事者は決して忘れません。なぜなら、それは「町内のお隣さんや職場の同僚が、ある日突然、町内会の用事や職場の仕事として、あるいはそのついでに、何げなく自分を殺しに来る」ことを意味しているからです。

 福島さんと同じく東京大学先端科学技術研究センターの熊谷晋一郎さんは、ご自身の経験を踏まえて、次のようにお書きです。

「私が生まれた1970年代は、脳性まひの子どもが生まれると早期のリハビリで、なるべく健常児に近づけようとするのが一般的だった。もし健常児に近づけなければ、親亡き後、人里離れた大規模施設に入るしかない。当事の、一部の介助者や支援者の愛や正義を笠に着た、うまくリハビリの課題に応えられない寝たきりの私たちを足で踏みつけるなどの暴力。それに対して何もできない怒りと無力感が、緊張とも弛緩(しかん)ともつかない、内臓が落ちそうな感覚にさせた。事件は、あの日々に私を連れ戻すのに十分なものだった。事件報道に触れ、あの頃の身体感覚はよみがえり、街ゆく人々が急に自分を襲ったりしないかと、身構えるような感覚を覚えた。」(朝日新聞 2016年10月16日)(5)

 「津久井やまゆり園」事件から、障がいの当事者は、大なり小なり似た感覚を覚えました。その意味で、この事件はわたしたちの日常に隠れた人間性の一面を暴き出したと言えます。人が人を愛することは紛れもない事実ですが、それとともに、時に人は日常の延長として、激しく(あるいは、こっそりと)暴力を振るうのです。紛争や戦闘は、そのような暴力が顕在化した姿です。

☆   ☆

 先頃亡くなられた永 六輔さんは『大往生』 (6) の中で次のような医者の言葉を引用しています。

「患者にとって病気は『私だけ』のものなのに、私たち医者は『あなたたち』という扱いをしてしまうんです。/反省しています。」(「Ⅱ 病い」、46ページ)

 病気が「私だけ」のものという感覚は、物心ついてからの出来事が、時間軸に沿って厳然と存在したからだという気がします。病気というと日常の節制が足りないとか、遺伝的な問題があるとかといった原因捜しに陥りがちです。実際にそうした見方も必要なのでしょうが、病気が重ければ重いほど、あるいは生き残っても、後遺症によって人生が大きく換わってしまったら、病気というのは人生の中でもかなり重みのある出来事になる。ちょうど家族の誕生や愛する人との分かれと同じようにです。その重みのある出来事のひとつだから、病気以外のさまざまな出来事とともに「患者にとって病気は『私だけ』のもの」なのです。

 一方、ある意味で医者は科学者でなければなりません。科学的な思考ができなくては務まりません。病気を類別し、見極めて治療法を探るのですから、大局的な視点がなければなりません。類別して病気を見ているために、ついつい患者を「あなたたち」と呼んでしまうと言うのです。

 しかし、医者が科学者であるというのは、「医者という人間」の一面にしか過ぎません。医者であれば、患者の過去の思い出や現在の生活がもたらす満足といった、医療データ以外のさまざまな事実にも向き合うことが求められます。ですから、ひとりの人間として患者と対峙する目もまた必要なのです。この思いが「反省しています」という言葉になりました。

 なぜこの医者の言葉を思い出したかというと、「津久井やまゆり園」事件があった直後、わたしの周りでは「人権の根拠」が話題になったからです。

 どの人にも人権がある。そのことは当然です。しかし、よく考えてみると、みんな「どの人にも人権がある」と口にするだけで、はっきりと「全ての人には人権がある」理由はわからない。本当にわかっている人は少ない。と言うより、殆どいない。動物にさえ「人権を認めるべきだ」という人までいる。その時、動物には認められない人権が、なぜ、どの人にも認められるのだろうかと考えていて、「人生を流れる時間の貴さ」に思い至り、先の言葉を思い出したのです。

 人は一人ひとりが掛け替えのない存在だ。なぜなら、その人にしかない人生という歴史を生きているから。この事実は誰も否定できない。だから、どのような人であれ、一人ひとりの人権は守られなければならない。

 これが、わたしが考えて得た結論です。当然、異論はあるでしょう。

 動物に過去の思い出や時間の流れの意識はありません。ヒトの仲間であるゴリラやチンパンジーでさえ、今を懸命に生きているだけです。ですから動物に「人生を流れる時間の貴さ」、つまり「人権」に当たるものはない――「人権」がないからといって、むやみに動物を残酷に扱っていいと言っているわけではありませんよ。残酷に扱ったら、その人の意識の側に「残酷に扱った」という事実が刻まれる。無意識にです。そう信じています。

 「津久井やまゆり園」事件の後、世の中では、犠牲者の実名を明かすべきだという意見がありました。しかし、ご遺族は拒んだようです。実名を明かすことで、何の躊躇もなく障がい者を差別する日本の社会から、何らかの制裁があるかもしれない。こう考えたご遺族は、無言の「暴力」に向き合ってきたのだと思います。

 ただ何人かのご遺族は、この世に生きた証として、実名を明かすことで「その人に名前があった」という事実を残そうとされました。

 わたしなら、どうするでしょうか?

---------------------------------------
(1) 『水木しげるの娘に語るお父さんの戦記』(河出文庫)

(2) 毎日新聞 2016年7月28日夕刊 「相模原殺傷 尊厳否定『二重の殺人』全盲・全ろう東大教授」強者優先の社会を連想...福島智氏
http://mainichi.jp/articles/20160728/k00/00e/040/221000c

(3) 鳥飼行博研究室HP「◆ナチスの障害者安楽死T4作戦:Aktion T4 Nazi Germany's Euthanasia programme」
http://www.geocities.jp/torikai007/1939/t4euthanasia.html

(4) 函館市の2016年の人口:
https://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2015020600107/
下関市の2016年の人口:
http://www.city.shimonoseki.lg.jp/www/contents/1174015659661/index.html

(5) 「相模原事件が問うもの 少数派の排除、暴力を生む」[文]熊谷晋一郎  [掲載]2016年10月16日
http://book.asahi.com/reviews/column/2016101600003.html

(6) 『大往生』(永 六輔 著、岩波新書)



三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして80

和地 俊さんの『私のサックス』(あるいは『私とサックス』)(1)

三谷 雅純(みたに まさずみ)

my_saxophone018.jpg

 若い頃、通った店がありました。静かにジャズを聴きながら、お酒やおしゃべりを楽しむ店です。お酒が出るので、ひとりで入るのは気恥ずかしくて、大抵は誰か仲のいい友だちを誘っていました。地階に下りていく店です。左京区の大学の近くでした。

 店には静かなジャズが流れているので、場違いに騒ぐ人などいません。この店に来ると、わたしは、つい何か考え事をしてしまうので、友人が話しかけても生返事ばかりでした。雰囲気から言えばウイスキーが似合うのでしょうが、アルコールの強いウイスキーだと酔ってしまいます。わたしはいつもビールを飲んでいました。

 普段は、この店ではレコードをかけるのですが、時にはミュージシャンが演奏に来ることがありました。演奏するのはわたしと同世代の若者ばかりだった気がします。名前の売れた、よく知られた人が演奏することはありませんでした。きっとプロを目指す若者が修行の場にしていたり、ひょっとするとアマチュアの音楽好きが練習の成果を試しに来ていたのだと思います。

 フラットなフロアーで生の演奏を聴くのは、何となく恥ずかしいものです。舞台のように演奏者と観客の間に距離がありません。同じ目線で演奏をし、ジャズを聴きます。演奏者もわたしも目を合わすのが恥ずかしくなり、つい目を伏せて演奏をし、目を伏せて聴くのです。トランペットもあったのでしょうが、今でも記憶に残るのはピアノとサックスです。

 先日、和地 俊さんと奥様のえり子さんが演奏するのを聴かせていただきました。えり子さんがピアノを弾き、俊さんがサックスを吹きます。わたしは思わず自分の青春時代を思い出しました。演目も静かなジャズで、ぴったりです。わたしは楽器を弾いた経験がほとんどないのですが、聴く側としては、どのジャンルよりもジャズが好きです。それも静かなジャズが好みです。静かなジャズは心を穏やかにしてくれます。

『私のサックス』(あるいは『私とサックス』)は、和地 俊さんがミュージシャンの立場から、ご自分で経験したことを思い出し、思い出を語った本です。ただし書店で売っている本ではありません。和地 俊さんご自身が作って自費出版の本です。表紙には山田厚子さんの絵が添えられています。筆で描いた絵に派手さはありませんが、その絵は落ち着いた和地さんの雰囲気をよく表しています。

☆   ☆

 和地 俊さんは、左手だけでサックスを演奏します。51歳の時、脳出血になったのです。そのため右手は使えず、言葉も出ません。

 この文章を読んだ皆さんは、ご自身が左手だけでサックスを演奏する場面を想像してみて下さい。小指から人差し指までで穴をふさぎ、それを親指で支える。それにしても、片手ではぐらぐらしそうです。支えるのが親指だけでは不安定です。そのあたり、和地さんは両ももでサックスのお尻(=カーブのふくらみ)を支えて安定させ、指の自由を確保していらっしゃるのでしょう。もしこの通りなら、和地さんは、いつも座って演奏なさることになります。

 『私のサックス』を読んでいて知ったのですが、音楽療法士という仕事があるそうです。体が不自由になったとき、もしその人が音楽に親しんだ人ならば、残された機能を工夫して、もう一度、音楽を楽しめるようにする。そういうお仕事のようです。

 和地さんも音楽療法士の世話で、人に聴かせるだけのサックスが吹けるようになりました。よく聞くことですが、最初はそれまで吹いていたようなまともな音が出ず、はじめて〈ピィー〉と音が出たときには、思わず泣いてしまったということです。

 同じように人の活動を支える仕事に、園芸療法士や臨床美術士があります。園芸療法士は、植物が育つ喜びを活かして人の活動を助けてくれます。臨床美術士は絵画や陶芸、あるいは彫刻の技術を、不自由になった機能を補い、あるいは人によっては「障がい」を負ったから得た感覚を活かして、新しい世界を創造する。そのような手助けをして下さるそうです。

 「障がいを負って得た感覚を活かして、新しい世界を創造する」とは、どういうことでしょう。普通に考えれば「障がいを負う」というのは、「五体満足」な状態から何か機能が欠けたのですから、「補い」こそすれ、「新しい世界を創造する」とは言い過ぎだと感じるかもしれません。

 しかし、こんなふうに考えてみればどうでしょうか。つまり、確かに、ある機能はなくなったのだけれども、それは「健常な機能の一部が欠けた」というだけではなく、代わりに別の機能が付け加わった。しかし、大抵の人は付け足された機能に気が付かず、おまけにせっかくの新しい機能を活かそうとしないもんだから、ついには「本当になかった」ことになる。新しい能力は最初から生まれなかったことになる。今までのリハビリテーションは、そんなところが多かったのかもしれません。

 今さらながら気が付いたのですが、失語症者の集まりでは、音楽や絵画、陶芸といった活動が盛んなのです。そして、多くの人と同じように、生まれついての才能と人一倍の努力が決め手になるのかもしれませんが、人によっては以前とは異なった才能が芽吹き、思いもしなかった大きな花を咲かせる。そういうこともある。そういうことだと思います。ちょうど、和地さんのサックス演奏のように。

☆   ☆

 和地さんは、ホスピスを兼ねた病院の院長から頼まれて、イタリアのカラーラという街を訪れたことがあったそうです。リビエラ海岸に近いトスカーナ地方の歴史的な街だということです。そこで演奏会をしたのです。

 病院では、患者さんたちが力を合わせて、さまざまな活動をしています。例えばバルコニーにはレモンの木をプランターや鉢に植えていますし、壁一面に広がるタペストリーが飾ってあります。それは皆、患者さんたちの作品だというのです。

 演奏会は、小さな部屋に満員の患者さんたちが待ちかまえて、始まったそうです。患者さんたちは、そこが病院であることを感じさせないくらいドレス・アップしていました。日本の病院では、ともすると、一日をパジャマで過ごしていたりしますが、そこがイタリアなのでしょう。客を迎えるときには、どちらが迎える側で、どちらが訪れた側かを混同することはないようです。

 こんな話を聞くと、人生の意味について考えさせられます。ホスピスにいる、死期の近い患者さんだといっても、生活を送る上での礼儀と見栄えは、まだ死期から遠い頃と何も変わりはない。考えてみれば、「死期に近い患者さん」と「〈今はまだ死なない〉人生の盛りにいる人」の違いとは何でしょうか? そもそも、違いなどあるのでしょうか?

 和地さんのサックスは、イタリアの人びとにも受け入れられました。院長は和地さんが左手だけで吹き続けているサックスに、いたく感銘を受けたということです。イタリアでは、障がい者になると家に閉じこもり、外に出なくなるそうです。ただし、これは歴史の古い街の「悪しき習慣」だと思います。歴史が古いとバリアフリーの設備が少なくなり、そこに住む人びとも「当たり前」のこととして古い習慣を受け入れている。そういうことのような気がします。

 そして古い習慣に閉じ込められた人の中から、「障がい者」側の人間として、とんでもない発想が生み出される(かもしれない)。これは「不自由」ということを知らずに暮らす人びとにはとても着想できない、新しい発想だと思います。

----------------------------------

(1) 和地 俊さんの『私のサックス』の表紙には『私とサックス』という題名がありました。題名など、細かいところはどうでもよいということでしょうか。それもまた、見識です。

 『私のサックス』(あるいは『私とサックス』)は、「第31回日本失語症協議会 全国大会」の懇親会場で、参加者の皆さんに配られました。「第31回日本失語症協議会 全国大会」では、わたしも招待講演者としてお話しをさせていただきました。

「第31回日本失語症協議会 全国大会」の内、「ゆっくりと、じっくりと、社会の主人公になる」です。
http://hyogo-pt.or.jp/event/wp-content/uploads/sites/6/6d2e9eb64b3b469b015de4df1414f687.pdf

my_saxophone_bp020.jpg

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして79

では、どうするのか?-2

三谷 雅純(みたに まさずみ)




 わたしの書いた論文「聞くことに困難のある人がわかりやすい音声:視覚刺激の付加により高次脳機能障がい者の理解は進むか」 (1) に添って見てみましょう。

 軽度の人びとは、まるでスピーカーから出たすべての言葉を好き嫌いなく飲み込むように理解しました。肉声はもちろん、合成音であっても、まるで気にしていないかのようです。そして文章を表す挿し絵がなくても、「理解できる」という反応は変わらなかったのです。反対に重度の人は、穏やかな人格で認知機能は充分であったとしても、文章となった途端に分からなくなるようでした。言語音が言葉として意味のない環境音と同じように聞こえてしまうのです。中でも、フォルマント合成音と呼ばれる電気的なロボット音が苦手なようでした。もともと人の肉声を切り出して、音のパーツを組み立てるようにして作る波動接続型合成音だと、少しは「ことば」だと認識ができるようです。

☆   ☆

 日本では、「バリアフリー新法」(2015年 1月改正)改正「障害者基本法」(2011年12月発行)(2) などその他の関連法で、障がい者に取っての障壁を取り除く「整備をしよう」という意気込みは伝わって来ました。工業化製品の品質でもJIS(日本工業規格)によって規格が定められ、JIS高齢者・障害者配慮設計指針 (3) によって、たとえば高齢者は耳が遠い人がいるし、そうでなくても難聴者はいるのだから、そうした人にも配慮した製品作りやサービスのあり方を決めておきましょうということです。今は高齢者や難聴の人の都合だけを言いましたが、同じような配慮はその他の障がいや新しく日本に越してきた人、性差別を受けそうな人びとにも、「こんな配慮でどうだろうか」といった配慮の仕方が考えられています。この国際的な取り決めがISO規格です。

 

 つまり、難聴者やろう者、視覚障がい者を考慮した規準は、すでにあるのです。それなら「そうした規準を守りましょう」と言えばよい。そうではないですか?

 ところが、それが違うのです。どこが違うかというと、そこには、今、障害者差別解消法(2016年 4月施行)(4) で話題になっている「合理的配慮」(5) という問題を理解する必要があります。

 障がい者は、一人ひとり、何が障壁になるかが違います。同じ失語症者と言っても、わたしと別の人では、はっきり違うのです。現実には障がい者と「健常者を自認している人」の間には、差別は現在していますし、障がい者以外にも、さまざまな理屈をつけて、人は人を、それも反撃してこない(と信じている)弱い人を差別したがるものです。そして、こんなことは障がい当事者からは、なかなか言い出せません。言い出せば「あること、ないこと言い立てる、やっかいなヤツだ」と思われるからです。

 差別されてきた人は、その事を身に染みて知っています。ですから、軽はずみな告発はしません。勇気は持っていても、後先のことを考えたら、簡単には告発しません。

 では,どうするのか? それを解消する方法が「合理的配慮」(5) だと考えられています。今は、まだ「考えられている」だけです。本当の解決につながるかどうかは、わかりません。また「合理的配慮」を企画した人の意図がどこにあったかは、わたしにはわかりません。「合理的配慮」は個別の思いを救い上げる機能が、偶然にせよ、あるだろうということです。

 以前にひとはくブログに書いた話題から、よい例を捜してみましょう。例えば、車イスで斜面を下りるのはできそうに思えますが、実際に下りてみると、簡単ではないとすぐにわかります (6)。車イスを操作する練習は、わたしも入院したとき、すぐにしました。それで、わかるのですが、斜面は前向きに下りるものではなく、ブレーキが効きやすいように、後ろ向きに下りるものです。しかし、斜面を後ろ向きで下りるというのは難しい。他人に対する信頼感がなければ、とてもできません。しかし、一般の人が車イスの事情を認識しているとは、わたしにはとても思えません。特にスマホでゲームに夢中になりながら周りを見ないで歩く人がいたり、どこでも平気で自転車を飛ばす人がいるのでは、とても下りる気にならないのです。そんな時、車イスで斜面を下りる恐ろしさは、当人でなければ理解できません。「合理的配慮」とは、素直に立場の違う人の事情を聞いてみて、車イスで移動しやすい勾配を考えたり、それが経済的にできないのなら、人が後ろから支えてあげるといった配慮をすることなのです。――当然、人件費は余分にかかります。それでも「合理的配慮」は、社会にとって大切だと考えたということです。

☆   ☆

 高次脳機能障がい、特に失語症というのは、通常の感覚器官に問題があるというよりも、それを取り込んだ脳の中で起こる障がいのことです。「神経心理学的な配慮」があればありがたいのですが、今は、まだ「神経心理学的な配慮」は病院で行うだけで、一般社会で行うことではない。「神経心理学的な配慮」は夢のまた夢です。ではどうするのかと言うと、ひとつは脳の持つ潜在的な可能性を信じること、もうひとつはコミュニティの包摂力を信じることです。

 脳というものは、研究すればするほど不思議なことがわかってきます。以前は「ウェルニッケ野は言葉を聞く(=言語音を解釈する)中枢、ブローカ野は言語音を作り出す中枢」と考えられていました。わたしも、長い間、そう信じてきました。しかし、今ではそれ以外の機能を多く担っており、さらに他の部位と密接な神経連絡があるとわかったのです。それを活かす方法は、わたしの研究によっても、具体的に探れるかもしれません。

 「包摂」とは、コミュニティが多様な人びとを取り込んで、互いに助け合うことです。難しい言葉のようですが、聞いてみれば当たり前のことです。ただ、「互いに助け合う」というところがミソです。「障がい者」だからといって、一方的に助けられるのではありません。助け、また助けられるのです。一方的に助けられると言うのでは、わたしなら大いに不満です。できないことは、いくら無理強いされても、できません。しかし、わたしでなければできないことも、たくさんあるのです。そのことを無視して、あるいは、わざと、「そういった特性は見ない」でおいて、「障がい者だからできない(はずだ)」と決めつけるのは、あまりにも理不尽です。それはおかしい。

 わたしは、そう思っています。

--------------------------------

(1) 三谷雅純 (2015) 聞くことに困難のある人がわかりやすい音声:視覚刺激の付加により高次脳機能障がい者の理解は進むか. 人と自然 Humans and Nature 26: 27-35.
http://www.hitohaku.jp/publication/r-bulletin/NO26_004.pdf

(2) バリアフリー新法:高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律施行令(2015年 1月改正)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H18/H18SE379.html
改正「障害者基本法」は<わかりやすい版>が障害保健福祉情報システムのホーム・ページに載っていました:
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/law/6laws/kihon_easy_no.html

(3) JIS高齢者・障害者配慮設計指針は,例えば:
「高齢者・障害者等配慮設計指針 事務機器-報知音」(JBMS-71: 2006)
http://hyojunka.jbmia.or.jp/hyojun2/upload-v3/archive/JBMS-71.pdf
など

(4) 障害者差別解消法(2016年 4月施行)は,内閣府から「障害者差別解消法の推進」:
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/sabekai.html
が出ています.

(5) 「合理的配慮」とは,wikipedia によれば、「障害のない人も、その人自身が持つ心身の機能や個人的能力だけで日常生活や社会生活を送っているわけではない。日常生活や社会生活を営むにあたり、様々な場面で人的サービス、社会的インフラの供与、権利の付与等による支援を伴う待遇や機会が与えられているのである。ところが、こうした支援は、障害のない者を基準にして制度設計されており、障害者の存在が想定されていないことが多く、障害者はその支援の恩恵を受けられないといった事態が発生することになる。その結果、社会的障壁が発生する。障害者が利用できるように合理的配慮を提供しないことは、実質的には、障害のない者との比較において障害者に対して区別、排除又は制限といった異なる取扱いをしているのと同様である。 例えば、ホールでの講演において、聴衆に対するサービスとしてマイクが使用される。聴衆はこのサービスがないと講演内容を聞くことができない。障害がない人々に対しても、人的サービス、社会的インフラの付与などの支援(配慮)がある。障害のない人々は、これらの支援(配慮)を受けて日常生活・社会生活を送ることができる。しかし耳の聞こえない人々にはこの支援を利用することができない状況が発生し、これが社会的障壁となる」とあります.一部、読みやすいように変更しました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E7%90%86%E7%9A%84%E9%85%8D%E6%85%AE

(6) ひとはくブログに:
「聞いてみて、初めてわかることがある-1」
http://www.hitohaku.jp/blog/2014/06/post_1883/
「聞いてみて、初めてわかることがある-2」
http://www.hitohaku.jp/blog/2014/06/post_1884/
があります。



三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして78

では、どうするのか?-1

三谷 雅純(みたに まさずみ)




 元来、さまざまな人が利用する生涯学習施設でも、マルチメディアDAISYは役に立ちそうです。このことは、このひとはくブログにも何度か書きました (1)。

 DAISY(Digital Accessible Information System)というのは、コンピュータで使う機械語で作った文章のことです。XHTML (Extensible HyperText Markup Language) と書いた方がよく解るという方も、いるかもしれません。人生の途中で視力を失ったが、習ったことがないので点字がよく解らないという方には、DAISYが福音になりました。また点字は解っても、コンピュータをよく利用するという方には、とても便利です。文字を読むように音声で発音してくれます。そして書籍と同じように文章の途中からでも自由に聞き直せるのです。テープレコーダーが現代風にアレンジされて、コンピュータで扱い易い形になったと言えばよいでしょうか。

 DAISYが聴覚以外の感覚、例えば視覚も使えるとしたら、どうでしょう? つまり、読んでいる文章に合わせた絵や写真が流れるのです。これは、コンピュータで表された絵本とか写真集、動画であればテレビや映画の字幕スーパーの感じです。どのようなものか理解できるでしょうか? 流れる文字を機械が声に出して読んでくれて、その上、読んだ文字の色が変わるのです。カラオケ・ボックスで流れる画面の感じと言った方が近いのかもしれません。

 絵や写真、動画の入ったDAISYを、特にマルチメディアDAISYと呼びます。マルチメディアDAISYは、視覚に頼らない人はもちろんですが、字がうまく読めない人にも役に立つと分かってからは、学校現場では積極的に取り入れられました。教科書をマルチメディアDAISY図書にすれば、字がうまく読めない多くの子どもが理解しやすくなるのです (2)。今では、マルチメディアDAISY図書を使って認知症など多くの人に分かりやすい図書ができないかと工夫しています (3)。興味の対象になる本のテーマを選びさえすれば、マルチメディアDAISYは一般の人にも理解しやすい形式です (4)

 もちろん、ご自分の頭で考えたり、感じたりするタイプの方は、もうわかっているはずです。視覚で世界を捉えることがない人や、聴覚で世界を捉えることがない人にとって、マルチメディアDAISYに意味はありません。絵や写真は目で見て意味があるのだし、音声は耳で聞いて意味があるのですから。

☆   ☆

 ということで、わたしはマルチメディアDAISYが高次脳機能障がい者にも役に立つのではないかと考えて、特に失語症の皆さんに手伝っていただいて視聴覚実験をくり返してきました。

 音で聞く。文字を読む。色を反転させてどこを読み上げたかを示す。音を聞く時は、アナウンサーの肉声が録音してあれば、読み方のスピードやニュアンスも伝わります。絵や写真ならば情景を理解しやすいでしょうし、動画であればもっと多くの情報が伝わります。ものを見たり音を聞いたりといった働きは、脳の別べつの場所が担っているとされています。わたしたちは情報を別べつの場所で処理し、理解し、統合して、「美しい花が咲いている」とか「この人は見た目は恐そうだが、やさしい人に違いない」といった高度なことを判断しているのです。

 マルチメディアDAISYを科学的に言い直せば、聴覚だけでなく文字情報や絵・写真・動画といった視覚から受け取る情報、複数の感覚から受け取る情報を、脳の中で統合して理解しやすくしているのだということになります。字がうまく読めない人や認知症の人は「脳の多様性」があるのですから、うまく聞き取れない人がいる高次脳機能障がい者も、マルチメディアDAISYなら理解できるのかもしれません。

 そう考えて、マルチメディアDAISYを聞いていただいたのです.しかし、結果は予想通りに、とはいきませんでした。

 わたしの書いた論文「聞くことに困難のある人がわかりやすい音声:視覚刺激の付加により高次脳機能障がい者の理解は進むか」 (5) に添って見てみましょう。

 まず、実験を受けていただいた方の中で、自分は高次脳機能障がいではないと自覚している方――この論文では高次脳機能障がい者が主人公ですので、「高次脳機能障がいではないと自覚している方」を「非障がい者」と呼びました――は、今までよく報告されている (3) ように、絵の入ったものの方が、音声だけで読み上げるよりも、より理解しやすいと答えました。

 一般に合成音は聞きづらいものですが、絵の入ったマルチメディアDAISYの形式にすると、肉声と同じように理解しやすいと答える人が多くなります。この結果から、ロボットのような機械の話す合成音でも、充分に理解しやすいと感じるのだと思います。......なぜって、ロボットは存在そのものが絵や写真のように視覚を刺激するのですから。

 ところが、高次脳機能障がい者、中でも失語症者では、程度の軽い人も、重い人も、それぞれにマルチメディアDAISYへの反応が非障がい者とは違っていました。

 軽度の人びとは、まるでスピーカーから出たすべての言葉を「好き嫌いなく飲み込む」ように理解しました。肉声はもちろん、合成音であっても、まるで気にしていないかのようです。そして文章を表す挿し絵がなくても、「理解できる」という反応は変わらなかったのです。

 反対に重度の人は、穏やかな人格で、どのようなことも、充分に理解しているように見えたとしても、文章はまるで分からないようでした。言語音(げんご・おん)が、言葉としては意味のない環境音(かんきょう・おん)と同じように聞こえるのです。中でも、フォルマント合成音と呼ばれる電気的なロボット音が苦手なようでした。もともと人の肉声を切り出して、音のパーツを組み立てるようにして作る波動接続型合成音だと、少しは「ことば」だと認識できるようです。

 フォルマント合成音は電気的な合成音ですから、キー操作で入力すれば、それだけで文章から音が出ます。波動接続型合成音では合成法を身に付けないと音は出ません。それでも、操作はそれほど難しくありません。肉声が一番良いのですが、それが無理なら,波動接続型合成を使えば重度の人でも何か喋っていると気が付いて、注意してくれるのかもしれません(ただのノイズにしか聞こえないのかもしれませんが)。

 次に続きます。

----------------------------------

(1) 例えば:
「失語症者に助けてもらう−1」
http://www.hitohaku.jp/blog_old/2012/06/post_1556/
「失語症者に助けてもらう−2」
http://www.hitohaku.jp/blog_old/2012/06/post_1563/
「失語症者に助けてもらう−3」
http://www.hitohaku.jp/blog_old/2012/07/post_1564/
「学校の先生といっしょに考えてみた−1」
http://www.hitohaku.jp/blog_old/2012/08/post_1599/
「学校の先生といっしょに考えてみた−2」
http://www.hitohaku.jp/blog_old/2012/08/post_1607/
「ユニバーサルなホームページを考える事」
http://www.hitohaku.jp/blog/2013/03/post_1701/
「人びとを迎えるために-2」
http://www.hitohaku.jp/blog/2014/02/post_1834/

(2) 例えば、金森裕治ほか (2010) 特別支援教育におけるマルチメディアデイジー教科書の導入・活用に関する実践的研究. 大阪教育大学紀要 59: 65-80.
http://150.86.125.91/dspace/bitstream/123456789/25255/1/KJ4_5901_065.pdf

(3) 河村 宏 (2011) デジタル・インクルージョンを支えるDAISYとEPUB. 情報管理 54: 305.315.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/johokanri/54/6/54_6_305/_pdf

(4) 三谷雅純 (2013) 生涯学習施設は言葉やコミュニケーションに障がいを持つ人とどう向き合うべきか: 総説. 人と自然 Humans and Nature 24: 33-44.
http://www.hitohaku.jp/publication/r-bulletin/No24_04.pdf

(5) 三谷雅純 (2015) 聞くことに困難のある人がわかりやすい音声:視覚刺激の付加により高次脳機能障がい者の理解は進むか. 人と自然 Humans and Nature 26: 27-35.
http://www.hitohaku.jp/publication/r-bulletin/NO26_004.pdf




三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして77

『バリアフリー・コンフリクト』を読む-3

三谷 雅純(みたに まさずみ)



 さらに『バリアフリー・コンフリクト』を読んだ感想の続きです。

 『バリアフリー・コンフリクト』には、岡 耕平さんがお書きになった「『障害者雇用』って本当に必要なの?」という章があります。「障害者雇用」とは、ひとはく のような公共施設はもちろんですが、私企業も、一定の人数で障がい者を雇わないといけないという制度です。雇わなければお金を払わなければいけません。反対に言えば、お金を払いさえすれば「障害者雇用」に知らんぷりができてきました。

 今、書いたように、お金を払ってでも知らんぷりをしたい企業が、現実にあります。そのような「企業の論理」とは、いったいどのようなものでしょう?

 岡さんは、厚生労働省の実施した平成20年度障害者雇用実態調査 (1) から見えてくる、現代の企業が障がい者を雇う時に抱く懸念を次のようにまとめています。



「社内には障害者にできる仕事はおそらくなく、障害者が安全に働くための保証もできない。一度雇用すると簡単には解雇できないために雇う前に適正を見極めたいが、障害者の適正を把握するのは難しい。さらに、従業員が障害特性について理解できるかどうか、障害者がどの程度意欲を持って仕事に取り組んでくれるかどうか不安だ。」(81ページ)

「こうした懸念は、とりわけ障害者雇用そのものに高いハードルを感じている企業の実感として、かなり一般的なものかもしれない。つまり、多くの企業は障害者に非障害者と同様のパフォーマンスを期待しており、にもかかわらずそれが満たされないのではないかという不安を持っているということだ。」(81ページ)


 「非障害者と同様のパフォーマンス」は、わたしにも似た経験があります。ある方はわたしの能力には何も関心を示さず(あるいは、仕事はおいおい憶えていくだろうから)、わたしの2種2級の障害者手帳だけを見て「健常者と同じように働けるのなら雇ってあげる」とおっしゃったのです。残念ながら、わたしにはその方が求めるパフォーマンスは発揮できませんでした。発揮できないから2級の障害者手帳を持っているのだし、それでも、求めるパフォーマンスに代わる才能は充分にあるつもりです。2級は重度障がいです。わたし一人で二人の障がい者を雇ったことになります。何のことはない、その方は「2種2級の障害者手帳を持った健常者」を求めておられたのです。この「多くの企業は障害者に非障害者と同様のパフォーマンスを期待」する実態には根深いものがあります。簡単にはぬぐい去れません。

☆   ☆

 近藤武夫さんは「読み書きできない子どもの難関大学進学は可能か?」の中で、(障がい者に対する)合理的な配慮など「社会では通用しない」と主張される方に対して反論を試みています。



「『(障害に伴う配慮を社会が、あるいは企業や公共施設などの事業体が提供することは)理想であり現実には存在しないもの』だという言外の前提、つまり配慮がない状態で示される能力を規準にするような考え方をその発言者が持っていることを示している。また、障害による困難・弱みは周囲の配慮でサポートし、それ以外の強みの面でその人の能力を見ようとする考え方を、『甘い』『生ぬるい』考えとして認めない態度が透けて見える。』(108ページ)


 資本主義経済のもとでは、私企業はしのぎを削る競争をしています。その意味では「社会では通用しない」という言葉も安易には否定はできません。ただ、わたしたちは民主主義の社会に生きているのですから、民主主義に根ざした主張も大切です。近藤武夫さんは障がい者の支援をしている側にそれなりの覚悟を求め(障がい当事者にも同じだけの覚悟を求めておられるのだと思いますが、ここでは「支援をしている人たち」に対して):


「周囲からの配慮が得られにくい状況に対して、障害者の側の準備性を高めようと支援していくことは非常に大切である。具体的には、障害当事者が出会う現実場面への対処法としてアサーション(相手の主張も認め、自分の意見も上手に伝える)技法を学ぶ機会を提供するなどのコミュニケーション支援を用意するといったアプローチが考えられる。」(108ページ)


と述べています。

 2016年 4月から「障害者差別解消法」が正式に施行されます (2)。「障害者差別解消法」では差別行為を禁止していますが、「合理的配慮」をしないでいると「差別」をしたことになってしまいます。このことは行政機関では当然ですが、私企業でも努力義務があります。

 つまり先ほどの、「合理的配慮」は理想だが現実の「社会では通用しない」という言い方は、法律の上でも「通用しない」のです。ただし、わたしの経験から言うと競争社会はこれからも続きますし、配慮することを「甘い」「生ぬるい」とする態度が社会的マジョリティ(=「健常な働き手」=気が付いていないだけの「障がい者」)には喜ばれるままだと思います。

 『バリアフリー・コンフリクト』は2012年に出た本ですが、その後、人の心が劇的に変わったという実感はありません。最初に「時代は変わった」と書きましたが、それは根深い感情が見え難くなっただけだとも言えるのです。

 我われの社会は、時として過度な競争を煽(あお)ります。そんな時、障壁が乗り越えられない人がいるのなら、その人が自力で乗り越えられるように配慮する。互いに障壁を作らないように工夫する。工夫したものを社会に示す。思い出して下さい。それが公共施設の役割だったはずです。『バリアフリー・コンフリクト』はその道しるべを示しました。

 ひとはくをはじめとする生涯学習施設では、どうあることが、競争で社会システムから抜け落ちたものを補填(ほてん)することになるのでしょうか? わたしは今、改めて、そのことを考え直してみたいと思っています。

barrier free conflict_part2.jpg

---------------------------------------
(1) 平成20年度障害者雇用実態調査(厚生労働省職業安定局, 2009)
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000002fxj.html

(2) 「障害者差別解消法」
http://www.normanet.ne.jp/~jdf/pdf/sabetsukaisyohou2.pdf




三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして76

『バリアフリー・コンフリクト』を読む-2

三谷 雅純(みたに まさずみ)


barrier free conflict_part.jpg

 前回から『バリアフリー・コンフリクト』という本を読んだ感想を書いています。

 このようなコンフリクトは、何もバリアフリー技術が必要な人にだけ起こるのではありません。一番きびしい形で表れるのは「障がい者」と「健常者」、言い換えれば社会的マイノリティと普通に暮らしている人の間で起こるコンフリクトです。このコンフリクトは進学や就職の時に見られますし、もちろん就労してからも直面するでしょう。

☆   ☆

 最近は望んだ人なら誰でも(それ相当のお金を払いさえすればですが)大学などに入学できるようになりました。学校によっては(試験制度があるにもかかわらず)試験など受けず、学校説明会に参加して氏名と住所を書いただけで入学できるというところまであります。一方、難関大学の入学試験は、以前より、もっと厳しくなっているようです。

 ここで少し変なことを書きます。がまんして読んで下さい。

 入学試験では問題用紙に書いた文字を解読し、文章や数式を書き込んで答えます。また面接試験では話し言葉による応答のようすを調べます。字が認識できなければ、問題に何が書いてあるのかわからず、文章や数式を頭の中で構成できなければ、例え理解していても解答は示せません。何よりも鉛筆を持つ腕(比喩ではなく字義通り「腕」です)がなければ解答は書けません。入学試験は生物学的な意味で「健常者間の競争」の面が強い学校行事です。

 そのような入試制度は「障がい者」には不公平な気がします。そこで、その人に応じた形で不公平をなくすべきだと考えた人がいました。そうしなければ、せっかく類(たぐ)いまれな才能でも、その才能が活かされないからです。こうして入試のあり方にバラエティを持たせることになりました。ただし皆が同意できて、しかも、あまりお金もかからない範囲でなければなりません。このような配慮をすることにした大学が、今日ではたくさん出てきました。

 配慮の例をあげましょう。例えば文章をうまく読めないディスレクシアや視覚で世界を認識しない人には、画面を合成音で読み上げるスクリーン・リーダーというソフトを搭載したコンピュータを用意します。このコンピュータでなら才能を的確に示せるかもしれません。

 ただし、通常、自分で文章を読めない学生がコンピュータに読んでもらったからと言って、スムーズに理解し、解答を構成できるとはかぎりません。そこで、受験生にもよりますが、回答する時間にも配慮を設けました。大体、通常の1.5時間ほどの時間が許されているようです。

 しかし、これではまともな競争にはならないという不満が出ます。かえって不公平だという意見が必ず出てきます。批判が起きて当然でしょう。

 もっとも強い批判は、今、まさに競争にさらされている受験生からのものです。受験生であれば、自分たちは過酷な受験競争に耐えているのに、その競争を「免除」されている者がいると主張するかもしれません。

 社会人になって働いている人はどうでしょう。その人たちは次のように言うかもしれません。競争では障がい者が不利な立場に置かれているのは理解できる。その不利益を是正するのが正義だと思う。しかし、社会に出て働く時には、企業の競争の論理に従うという前提がある。それに社会はきれい事だけで動いているわけではない。言葉にはしないが〈暗黙の了解〉は山のようにある。それをあからさまにバリアフリー・コンフリクトだと言い立てるのは精神構造が未熟だと思う。子どもっぽい気がする。〈正義〉は確かに必要だが、同時に社会には〈競争の論理〉も必要だ。

 多くの方が肯ける主張のはずです。こういう主張は、どこか変でしょうか?

☆   ☆

 日本は資本主義経済の社会です。民主主義、つまり市民(=国民、県民、納税をしている外国籍の人など)が異なる意見をぶつけ合い、合意を得て生活をしていく制度であることに間違いはありませんが、それとともに資本主義という経済システムは力が強い。圧倒的です。いきおい資本主義の覇者(つまりお金持ち)が社会の主流になることは当然なのです。

 企業はお金で測る利益を最大化することが使命です。それが企業の存在意義です。市場(しじょう)の動きに合わせて機敏に反応し、自在に商売の仕方を変えていく。ただし商道徳は守らなければなりません。商道徳と法律や、今日なら国際的な約束事を守りさえすれば、それは「健全な競争」なのですから、どんどんやるべきです。競争に負けるのは、負けるだけの理由(=怠け者であった、先見の明がなかった、etc.)があったからです。

 しかし、この論理でモノを開発し続けるとしたら、もっとも多数をしめる購買者の好むモノばかりが世に溢れることになりそうです。その結果、社会的マイノリティしか買わないモノは市場に出回らなくなります。あるいは、とんでもなく高いものになってしまいます。電動義手の値段や要約筆記者とか手話通訳者の労賃がそうだと思います(ちゃんと確かめたわけではないので、間違っていたら、ごめんなさい)。これでは社会的マイノリティの立場は不利なままです(し要約筆記者や手話通訳者も、せっかく高い技術を身に付けているのに、社会的な立場は不安定なままです)。

 先ほどの入学試験の配慮に対して批判した人のご意見は、どこが変なのでしょう?

 わたしは〈暗黙の了解〉や〈競争の論理〉のルールが、多数者の意見だけで決められている点だと思います。マイノリティの意見は、聞き慣れていないだけに珍奇に聞こえるでしょう。しかし、珍奇に聞こえるからと言って真実でないわけではありません。

 広く市場に認められた技術が「珍奇な障害者支援技術」に転化されている例を紹介しましょう。それは携帯電話です。スマートフォンではありません。プッシュ・ボタンがデコボコの、昔ながらの携帯電話です。スマートフォンは液晶画面でデコボコがないために、視覚を使わない人には使えません。また片手で操作はできたとしても、「できる」というだけで実用的ではありません。そのために左手だけで操作するわたしのような者には、片手にすっぽりと収まらないサイズのものは使えません。

 開発の分野では「リープ・フロッグ」(蛙飛び)という用語が使われているそうです(「役立つはずなのに使われない......」,p. 39)。発展途上国で顕著です。街もない、電気もない、水道も通っていないという村で、携帯電話だけが普及している不思議な場所が、地球上には案外多くあるそうです。そんなところでは家族や地域の人と共有で携帯電話を持ち、100円ほど払って取得した個人のSMSアカウントを利用する。携帯電話は便利です。遠く離れた村の人とでも、家畜の買い付けが交渉できます。バッテリーは「充電屋」にお金を払って充電してもらうのだそうです。

 この「リープ・フロッグ」は、もちろん障がい者にも当てはまります。携帯電話は広く認められた技術です。それが「珍奇な障害者支援技術」にも転化されています。例えばわたしは失語が出る時にも、携帯メールでなら安心してコミュニケーションができますし、視覚を使わない人は電話として普通に使っています。

☆   ☆

 ここまでは障がい者などの社会的マイノリティと普通の人の区別は明白だという前提で書いてきました。ところが現実の我われは、障がい者/非障がい者の境界を、いとも簡単に超えてしまうのです。

 どういうことか説明しましょう。飯野由里子さんは「障害者への割引サービスをずるいと感じるあなたへ」(129ページから146ページ)の中で、こう述べています:


「それまで自分とは歴然と異なる他者として捉えていた障害者が、実は自分と同じかもしれないという可能性に気付いた時、非障害者のなかにはどのような感情がわき上がってくるのだろうか。また、ヤングが指摘しているように、もしそうした感情が障害者に対する不満や敵意として表出され、両者の間に深刻なコンフリクトを生み出していく可能性があるのだとしたら、社会のバリアフリー化を支持するわたしたちの取り組みには今後どのような修正が加えられるべきだろうか。」(143ページ)



 ヤングというのはイギリスの社会学者ジョック・ヤングのことです (1)。彼は、安全な場所にいると思い込んでいる人が何かを不当に奪われていると感じたら、「福祉に依存している者」とか「働けるのに働こうとしない者」といった、(本当はそんなことはないのに)ステレオタイプ化されて描かれがちなマイノリティ(ヤングの元の文章では「貧困者」)に対して、理由なく敵意を抱く(142ページ)と述べています。

 これを読んだ時、わたしは震え上がりました。

 わたしの認識では、特に発達障がいでは定型発達者(つまり普通の人)と「発達障がい者」の間に明白な境界はなく、誰しもが大なり小なり発達のデコボコは抱えているものです。「自閉症スペクトラム」という、最近ではよく聞くようになった言い方はこの認識に立っています。このことを言い直せば「自分は健常だと自負していても、社会のシステムと競争のルールが少し変わっただけで、たちまち『障がい者』に落ちてしまう」人は、案外多いということです。社会システムや競争のルールを変えようなどと言っていると、とんでもない目に遭う。ヤングはそう忠告しているくれているのです。

 次に続きます。

------------------------------------------
(1) ヤング,J.C., 木下ちがや・中邑好孝・丸山真央訳 (2008) 『後期近代の眩暈(めまい)――排除から過剰包摂へ』 青土社.
http://www.seidosha.co.jp/index.php?%B8%E5%B4%FC%B6%E1%C2%E5%A4%CE%E2%C1%DA%F4



三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして75

『バリアフリー・コンフリクト』を読む-1

三谷 雅純(みたに まさずみ)



 『バリアフリー・コンフリクト 争われる身体と共生のゆくえ』 (1) という本を読みました。

 ありきたりの意見が載った本だと、軽く考えて読み始めました。しかし、この本には類書とはまったく異なる論理があり、考察がありました。しかもその論理には説得力があります。いつもこのブログには、値段の安い、手頃な本を紹介するように気を付けているのですが、この本は値段に関係なく読む価値がありました。

 中邑賢龍さん福島 智さん (2) が編者となって、多くの研究者や教員、当事者の言葉を集めて一冊にまとめた本です。立場はいろいろであり、意見もいろいろです。おのおのの著者が自分の頭で考えて書いたのですから当然です。ただし、どの著者の論点も、「バリアフリー・コンフリクトという新しい争いは、どう乗り越えたらいいのだろう」という一点に集約します。そこには経験の反映があり、さまざまな出合いからの思いがあり、実践から得た智恵がありました。決して「どうすれば乗り越えられるのか」という難問に、安心できる解答が提示してあるわけではありません。言ってみれば、この本は自分で考えていくための道しるべなのです。そこに読む価値があると思いました。

 紹介します。

 バリアフリーやユニバーサル、インクルーシブという言葉は、今や常識に近いものになっています。わたしがこのブログを書き始めた頃は、「ユニバーサル・ミュージアム? 何それ?」とか、「インクルーシブ・デザインって流行っているの?」という反応が、博物館人の中からも、現実にありました。それが(自分ではそれらの必要性が実感できなくても)そのような言葉を口に出すことが、ためらわれるようになりました。この数年のことだと思います。

 これはこれでいいのです。ところが、バリアフリーが浸透しても、それによって全てがうまく行くかと言うと、どうもそうではないらしい。バリアフリーが浸透したはずの社会のあちこちで、二次的なバリアー、つまり新たな障壁が目立っているのです。そのバリアーにはどう対処したらいいのだろうと考えて書いたのが、この『バリアフリー・コンフリクト』です。

☆   ☆

 バリアフリー・コンフリクトの例を二つ挙げます。

 視覚で世界を認識しない人が街を歩く時、点字ブロックは欠かせません。多くの点字ブロックは弱視でも確認しやすいように黄色の素材でできており、盲人が使う白杖(はくじょう)でもわかりやすいように、野球のベースより少し小さいぐらいの大きさがあります。しかし、点字ブロックはツルツルしていて、特に車イス利用者にとっては「キャスターの向きが変わって進行方向が定まらない」のです。またデコボコしているために車イスで乗り上げると「振動で体位が安定しない」、さらには「雨天の時は滑りやすい」といった今までなかったバリアーが生まれました(24ページから26ページの「コラム1 〈点字ブロックに見るバリアフリー・コンフリクト〉)。

 ここで「デコボコしているために『振動で体位が安定しない』」という訴えは、当事者でなければイメージしにくいかもしれません。蛇足ですが説明しておきます。体幹を支える筋肉が弱い人や体幹が曲がりがちで真っ直ぐに座れない人がいます。脳性マヒの人はそうです。そのような人が点字ブロックの上を車イスで通ると、姿勢が不安定になって恐いとおっしゃっている、ということです。蛇足でした。

 ちなみに、わたしは歩くとき、車イスはおろか杖(つえ)も使いませんが、それでも雨が降って濡れていると、点字ブロックは滑りそうな気がします。そのために恐る恐る歩いています。あるいは、わざと点字ブロックを避けて歩きます。

 これがバリアフリー・コンフリクト、つまり「バリアフリーの葛藤」の具体的な例です。視覚で世界を認識しない人にとって点字ブロックは、ぜひとも必要な道しるべです。街からなくなれば、この先は危ないのか、行って安全なのかがわからなくなります。しかし、車イスを利用する人にとっては点字ブロックの恐い人がいるのです。

 赤ちゃんを乗せるベビーバギーにも、似たところがあるかもしれないと思ってベビーバギーを押すお母さんのようすを見てみました。しかし、車イスのような大きな一対の車輪と方向を決めるキャスターではなく、ベビーバギーは前輪と後輪が付いているので、点字ブロックの上でも「進行方向が定まらない」ということはないようです。ただし、赤ちゃんに振動が伝わるからだと思いますが、わたしが見ていたお母さんは車輪で点字ブロックをまたぐようにして進んで行きました。

☆   ☆

 別の例を挙げましょう。

 大人は赤ちゃんに呼び掛け、赤ちゃんはその声に反応して笑い、手足をバタバタさせます。これが聴者(=音や音声で世界を認識する人)の赤ちゃんの反応です。しかし難聴の赤ちゃんは音声で呼び掛けても反応できません。音が認識しにくいからです。すると困ったことが起こります。「ことば」(=ふつうは音声言語)の概念が育たないのです。ではどうするかというと、補聴器で音を拡大します。こうすることで音の世界が認識できるはずです。

 もっとも、難聴には伝導性難聴と感音性難聴があります。伝導性難聴は聴覚自体に問題があって起こる難聴ですが、感音性難聴は耳の奥から神経や脳の聴覚を司るところに問題があって聞こえが悪くなります。多くの難聴者は感音性難聴で、たいていは耳鳴りを経験します。

 赤ちゃんの時に補聴器を使い始めた子どもは「音に溢れた世界」を知り、「言語音」を取得する。めでたし、めでたし。

 このように思うかもしれません。しかし補聴器がすべての難聴者に役立つというわけではないのです。補聴器で音を拡大したとしても、聴者が聞くようなクリアーな音は望めず、ノイズに埋もれた濁った音でがまんしなければいけないということは、よくあることだそうです。そこで救世主として現れるのが手話(=視覚言語)の存在です。

 難聴者やろう者にとって、手話はなくてはならない〈ことば〉です。自分に認識できない口話(こうわ:クチビルの形から話を類推すること)で無理をしてコミュニケーションするのではなく、手話だと何でも自由に話せます。手話に支えられた文化、つまり視覚言語という独自の体系で生活することは、難聴者やろう者にとって何とも心穏やかです。

 そして補聴器を使ったり、最近では人工内耳という機器をサイボーグのように手術で耳に埋め込む技術の開発は、手話やろう者の文化を否定するという主張がろう者の側から出されました(木村・市田, 1995)(3)。人工的に「聞こえを良くする」ことは、ろう文化という言語的マイノリティの抑圧だとおっしゃるのです(大沼直樹「人工内耳によって『ろう文化』はなくなるか. p. 65」)。そこに意見の対立が生まれます。これもまたバリアフリー・コンフリクトです。

 そしてバリアフリー・コンフリクトは、点字ブロックや手話の使用にだけ見られるのではありません。もっとも厳しいコンフリクトが社会の主流で生活をする人びと、つまり自分は「健常だと自認する人びと」と「バリアフリー・デザインを必要とする人びと」の間で起こっています。

 次に続きます。

-----------------------------------------------

(1) 中邑賢龍・福島 智(編)『バリアフリー・コンフリクト 争われる身体と共生のゆくえ』(東京大学出版会、2012年 8月初版、2,900円)
http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-052024-9.html
barrier free conflict.jpg

(2) 中邑 賢龍さんのホームページは:
http://www.rcast.u-tokyo.ac.jp/research/people/staff-nakamura_kenryu_ja.html
福島 智さんのホームページは:
http://bfr.jp/
盲ろうの大学教員として非常に有名な方です。

(3) 木村晴美・市田泰弘 (1995) ろう文化宣言.現代思想,1995年 3月号,青土社.わたしは2000年 4月に再販された『ろう文化』で読みました。それほど木村さんや市田さんの「ろう者とは母語として手話を使うマイノリティだ」という主張のインパクトが高かったのだと思います。



三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして74

放送音が聞こえるか?

三谷 雅純(みたに まさずみ)


 博物館に集まっていただいて、〈ことば〉の大切さを調べる聴覚実験をしています。と書いても何のことかわからないでしょうから、説明をします。

 ここ10年ほど、わたしは人の多様性について調べることが多くなりました。中でも〈ことば〉は重要です。この5年ほどは、高次脳機能障がいの人に頼んで聴覚実験を受けてもらっています。被験者(実験を受けていただく方を、こう呼びます)になっていただいて、放送を模した録音の音声を聞いていただき、「今の録音はよく理解できた」とか、「一回聞いただけでは理解できなかった」といったことを答えてもらっているのです。

 「高次脳機能障がい」というのは、病気や事故で脳の一部にダメージを負うと、その後遺症でなります。失語症は高次脳機能障がいの一種です。脳の一部にダメージを負うと〈ことば〉が話せなくなったり、聴覚には問題がなくても音声が人間の声として認識できなくなったりするのです――大抵は耳鳴りがして、ノイズが聞こえる人が多いそうです。人によっては物事の決断が付かなかったり、尊大に見える態度をとったりもするようです。そして高次脳機能障がい者に例外なく言えることは、極端な疲れやすさです。わたしもそうですが、何時間か続けて根を詰めた作業をすると、気が遠くなります。そんな時、わたしにとっては、甘い紅茶がごちそうです。

 幸いわたしは(疲れていなければ)言語音(げんご・おん)を人間の言葉として認識できるので、どのような放送でも、わりと聞きわけられます。しかし、高次脳機能障がい者の中には、聞くことが難しい人が、案外多くいらっしゃいます。そのような人には、どんな工夫をしたら放送音を聞いて理解できるようになるのでしょうか。それを、いろいろ試しているのです。これが聴覚実験の目的です。

 それにしても、なぜ高次脳機能障がい者にとっては、それほど放送音が聞こえるかどうかが問題なのでしょうか? たとえ聞こえなくても、身近な人やご家族がいれば、その人がよく聞いていて、教えてあげればいいでしょうに。

 それはそうです。しかし、身近な人といっしょに暮らしている人ばかりとは限りません。独り暮らしの人も多くいるのです。

 ご自分が高次脳機能障がい者だとして、ひとりでいる時に「緊急災害情報」が流れてきたと想像してみて下さい。「緊急災害情報」です。例えば海岸に近いところに住んでいるのなら、「今から津波が来るから、急いで高台に避難しろ」と促しているのかもしれません。大雨の時には、土砂が流れ込れむから、坂の下や川のそばを離れろと言っているのかもしれません。津波の来ない内陸に住んでいるのなら、地震の時は「あわてて外に出ると、かえって危険かもしれない」と言っていることだってあるのです。ところが高次脳機能障がい者は言語音が聞き取りにくく、何を言っているのかがわからないのです。

 放送は娯楽や楽しみだけではありません。生命に関わる重大なニュースが流れることもあります。「緊急災害情報」で、逃げろと呼び掛けているのか、あわてて外に出るなと言っているのかでは対応がまったく異なります。そんな時、工夫のない放送を並べ立てるのでは危険です。どうすれば、わかりやすい放送になるのかを考えておくことは、とても大切なのです。どうすればよいかがわかったら、放送局に言って、いっしょに可能な放送の仕方を工夫してもらえるでしょう。聴覚実験では、その根本の部分を調べようというのです。

 高次脳機能障がい者にとっては、音声の理解は生死を分けるかもしれません。

☆   ☆

 人と自然の博物館のある三田は阪神地区の北側にあります。阪神地区には阪神・淡路大震災がありました。震災の時、わたしは看護師の妻と一緒にコンゴ共和国北部の国境に近い村:ボマサにいました。そしてボマサ村からウエッソという地方都市に出たときに、「西日本のコーベをいう大都市が地震で壊滅した」と聞かされました。それまでニュースというものは何も聞くことができませんでした。わたしはたちの悪い冗談だと思いました。「西日本」と「震災」が、わたしの頭の中ではすぐに結びつかなかったのです。ところが阪神・淡路大震災は現実に起きていました。阪神地区に大きな地震は起きないというのは、ただの神話にすぎなかったのです。

 実験に協力して下さった方の多くが、この震災の経験者でした。当然、実験では聞きたくもない災害情報を、何度も聞いてもらわなければなりません。そうしなければ、信用のできるデータが得られないからです。

 なるべく精神的な負担にならないように、それまでの実験では学校唱歌や童話の絵本を題材にしてきました (1)。得られる結果が同じなら、無理をして恐い情報を聞く必要はないからです。しかし、それだと緊迫感が違います。本物だけが持つ何かは得られません。それで今回は、直接「緊急災害情報」を使ってみることにしたのです。

 聴覚実験で精神的な安全を取るか、実際の放送に近い「緊急災害情報」を取るか。どちらも一長一短がありそうです。ただ、被験者の方は恐いのを押して実験に協力したのですから、わたしには真剣に分析に取り組む義務があります。


Y&F20151114.jpg博物館で聴覚実験を受けていただいた後の若者と家族の会の皆さん。
ひとはくブログに載せる了解をいただいています。皆さん、笑顔が素敵です。


 もちろん高次脳機能障がい者ばかりではなく、普通に放送の内容がわかる人――病気や事故で脳の一部にダメージを負ったことがない人と自然の博物館で働いている人――にもこの実験に協力していただきます。その第一の目的は、来館者の多数を占める若い人から高齢の方まではどんな放送が聞きやすいかが調べられます。そして第二に、高次脳機能障がい者と比較したデータを取ることによって、高次脳機能障がい者の反応がより明白になるからです。

 今まで取ってきたデータの結果は、「人と自然 Humans and Nature」25号 (2) や26号 (3) にあります。

--------------------------------------------
(1) 小学生向けのお話『くんくんくん おいしそう』を題材に使った時のようすは「失語症者に助けてもらう」
http://www.hitohaku.jp/blog/2012/06/post_1556/
http://www.hitohaku.jp/blog_old/2012/06/post_1563/
http://www.hitohaku.jp/blog/2012/07/post_1564/
にあります。

(2) 「生涯学習施設の館内放送はどうあるべきか:聴覚実験による肉声と人工合成音声の聞きやすさの比較」 25: 63-74.
http://www.hitohaku.jp/publication/r-bulletin/No25_02.pdf

(3) 「聞くことに困難のある人がわかりやすい音声: 視覚刺激の付加により高次脳機能障がい者の理解は進むか」 26: 印刷中.

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして73

「異文化」間の対話

三谷 雅純(みたに まさずみ)


 異文化に属する研究者おふたりの対話を「拝見する」機会がありました.

 対話は議論ではありません.相手を言い負かすことが目的ではなく,相手の意見も認めながらも自分の意見をしっかり示すものです.ですから「対話」が成立するためには,自分の意見をしっかり持つこと,そして互いに度量の大きさや精神的な余裕が必要です.

 おふたりは異なる文化に属する方です.文化に重い軽いはありません.その意味でおふたりは自分の属す文化に高いプライドを持ち,同時に異なる文化には敬意を払うべきだと,日頃からヒリヒリと感じておられるはずです.

 まず男性がその対話の意義を説明します.おふたりの研究者に共通してわかる〈ことば〉は,もちろんあるのですが,日常,使っている〈ことば〉は異なります.そのために,一見,おふたりがコミュニケーションすることは難しそうです.ところが現在のICT(インフォメーション・アンド・コミュニケーション・テクノロジー:情報通信技術)を使えば,そんなおふたりがコミュニケーションすることも,さほど難しくなくなりました.この対話のテーマ設定や話に必要な時間はどれくらいを想定しているかといった打ち合わせは,メールを使えばまたたく間にできてしまいます.このようにして打ち合わせをなさったのでしょう.

 にこにこ微笑んでおられる女性は流れるように手を動かします.笑っておられること以外わたしにはわからなかったのですが,確かに口元も動いているようでした.ただ,女性のおっしゃったことがわかる方はあまりいないらしく,女性は意味の切れ目で〈ことば〉を止め,それを同時通訳者の女性が訳していかれます.男性も女性の〈ことば〉がわからないので,通訳の方が訳すのを待ってご返事をなさいます.

 対話はこうしてゆっくりと,しかし確実に進んでいきました.

 その対話から,わたしも初めて女性のたどった道筋を知りました.その女性によれば,研究職に就くまで女性は旅行会社に勤めていたそうです.最初はコンピュータの画面上で,その内,自分と同じ〈ことば〉をしゃべる人たちの旅行に添乗するようになったそうです.

 女性の転機はヨーロッパで国際語に出会ったことでした.幸い女性はその国際語も身に付けていたので,旅行者の日常の〈ことば〉とその国際語の間で通訳することができました.つまり,その女性は4言語かそれ以上を使いこなせたことを意味します.これは希有な才能だと思います.

 対話はまだまだ続きます.通訳の方も,おひとりでは疲れてしまいます.そのために,通訳者が交替してあたりました.(1)

☆   ☆

 もう,おわかりかも しれません.対話をしていた男性研究者は広瀬浩二郎さん (2),女性研究者は相良啓子さん (3) とおっしゃいます.おふたりとも(わたしの知る限り)ごく普通に日本で過ごしてこられました.日本語はわかりますし,話すこともできます.しかし,女性の日常お使いになる〈ことば〉は音声日本語ではありません.日本手話といいます.日本手話は日本語ではありません.文法が違います.ですから日本手話をお使いになる方は,それだけで,少なくともふたつの〈ことば〉を使いこなしていることになります.

 広瀬さんは視覚に頼らずに世界を見る研究者として,このブログにも何度か登場願いました.指先の感覚が鋭いことから,自分では視覚に頼らずに世界を見る人たちのことを「蝕常者」と呼んでおられます.また「蝕常者」の学びのスタイルや学問のあり方を「手学問」と呼んでいらっしゃいます.

 相良啓子さんはこのブログにご登場願うのは初めてです.相良さんは十代後半まで聴者(ちょうしゃ:聴覚に頼って世界を聞く人)でしたが,お多福風邪の後遺症で,ろう者になったということでした(ご自身で,確か,そうおっしゃいました).

 この文章の出だしでは,わざとおふたりの名前や,お使いの〈ことば〉を伏せて記述を進めました.そのために,どこかの少数言語を話す(晴眼者で聴者の)おふたりの対話だと思われた方もいたでしょう.この勘違いは,半分,当たっています.どこが当たっているかというと,日常の〈ことば〉が違う異文化に属する人と人の対話だという点です.広瀬さんは視覚に頼らにずに音声言語で,つまり聴覚言語でコミュニケーションを取っておられますし,相良さんは聴覚に頼らにずに日本手話で,つまり視覚言語でコミュニケーションを取っておられます.聴覚言語と視覚言語というコミュニケーションの仕方が違うおふたりの対話を可能にするのが,ひとつはコンピュータのようなICTであり,もうひとつは人による日本手話-音声日本語の同時通訳です.(もう一度強調しておきますが,日本手話は日本語とは文法の異なる別の言語です.現在のところ日本手話に書記体系はありません.日本手話-音声日本語の同時通訳は,大変な技術なのです.)

touch a shell.jpg

☆   ☆

 それにしても広瀬さんや相良さんのことを「異文化に属する」とは,ずいぶんひどい言い方だと憤慨された方がいるでしょう.同じ民族なのは明白なのに,その人たちを,まるで「異民族あつかい」するとは何事だと怒る方がいらっしゃるかもしれません.わたしは「異民族あつかい」をしているのではないのです.「異文化に属する」と言っているのです.

 それなら「文化」とは何で決まるのしょうか? 習慣で決まりますか? それとも食事の調理法?

 コミュニティの多くの人が共有する地域の歴史でしょうか? あるいは〈ことば〉の違いですか?

 いろいろな側面があります.その中で,わたしは〈ことば〉が一番わかりやすいと思います.〈ことば〉は自分自身を表現する重要な手段のひとつだからです.今,わたしは「言葉」や「ことば」ではなく,カッコ付きのひらがなで「〈ことば〉」と表現しています.これは通常の発話言語(=聴覚言語)だけでなく,手話(=視覚言語)も言語の仲間だということを表そうとしたからです.その〈ことば〉で,それぞれが異なる存在であることを主張する.ここではそれを「文化」と表現したのです.その「文化」というものがはっきりと示すのが,目を使わずに世界を認識する広瀬さんの存在であり,耳を使わずに世界を認識する相良さんの存在だと感じるのです.このことを,もっと別の言い方をしてみましょう.それは「一人ひとりがそれぞれ異なる存在であることを主張する〈ことば〉を持つ」のですから,当然,我われも,個別の「文化」に属するのだと思います.

 例えば幼い子どもは,〈ことば〉がうまく扱えません.そのような子どもも,ここでいう「文化」を持つのでしょうか? わたしは持つと言えるのではないかと思います.もちろん,通常の意味で「文化」を持つ主体はコミュニティを構成する人びとです.子どもは最初から人びとに含まれてしまいます.その人びとが〈ことば〉で独自性を主張するから「文化」なのです.しかし,ここで「子ども」と言ったのは,「子どもは〈ことば〉で自己主張はできないけれど,独自の世界観を持つに違いない」と思ったからです.子どもたちは〈ことば〉がうまく扱えない.しかし,子どもたちなりの世界の見方をしている.アイヌやピグミーや手話を日常使っているサイナーといった人びとは「無文字文化」に生きる人です (4) が,「子ども」とは「無言語文化」とでも言いたい存在に思えたのです.

 考えてみれば,わたしのような失語症者や高次脳機能障がい者とまとめられる人や知的障がい者,認知症者の中にも,決して数は多いわけではないのでしょうが,高度な「無言語文化」の体現者が存在します.まだ地域を移って間もない移民や難民も同じかもしれません (5).〈ことば〉で自己は表現できない.しかし,理性で(あるいは人間としての自然なの感情で)世界を捉えている.おいしければ,「おいしい」と(〈ことば〉ではなく態度や表情で)表し,美しいものに接したら,素直に「美しい」と(〈ことば〉ではなく態度や表情で)伝える.

 そのような一人ひとりの居場所は,元来は〈ことば〉のいらない美術館や音楽ホールにあるのでしょうか?

------------------------------------
(1) 国立民族学博物館公開シンポジウム「ユニバーサル・ミュージアム論の新展開-展示・教育から観光・まちづくりまでー」(2015年11月28日~29日)
http://www.minpaku.ac.jp/research/activity/news/rm/20151128-29

(2) 広瀬浩二郎さんのHPは
http://www.minpaku.ac.jp/research/activity/organization/staff/hirose/index
にあります。

(3) 相良啓子さんのHPは
http://www.minpaku.ac.jp/research/activity/organization/staff/sagara/index
にあります。

(4) もちろん「無文字文化」に属するからといって,「文字を使わない」などということではありません.アイヌ民族は日本語で読み書きをしますし,そればかりかアイヌ語を話せるアイヌ民族は,今となってはほとんどいないと思います.ピグミーも母語以外に,共存するバンツーや旧宗主国の音声言語を話しています.サイナーは手話を表す文字はありませんが,日本語の読み書きには,当然,不自由しません.

(5) わたしの書いた生涯学習施設は言葉やコミュニケーションに障がいを持つ人と どう向き合うべきか : 総説
http://www.hitohaku.jp/publication/r-bulletin/No24_04.pdf
に、高次脳機能障がい者や知的障がい者,認知症者やまだ地域を移って間もない移民な難民といった人びとが理解しやすい文章の書き方をまとめました。

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

 

ユニバーサル・ミュージアムをめざして72

「柳に風」
「河合雅雄さんがおっしゃったこと」へのご感想-2

三谷 雅純(みたに まさずみ)


 このブログは、自分では認識できない多様な人びとの感覚や世界観もあるんだとおもしろがって書いています。河合雅雄(かわい まさを)さんの書かれてきたことも、本質は同じだと思います。

 前回書いた兵庫県宝塚市のシンポジウムでご一緒した日本脳外傷友の会の東川悦子さんは、河合さんの「柳に風」について、こうお書きです。


 本日の「柳に風」のお話も、東京下町生まれの私にとっては、ちょっと反省させられるお話しでもあります。まあ最近は歳のせいか、まともにあちこちにぶつかって、喧嘩を吹っ掛けることはなくなりましたが......。

 <ケ・セラ・セラ>と思う反面、日本脳外傷友の会を立ちあげた動機も、あまりにも脳損傷者への施策が何もなっかったことへの怒りから発しています。運動を始めてみれば、あちこち問題だらけ。そして今や、日本国憲法さえもあやしくなっているという世の中に、怒らずにはいられないという気もします。

 5歳で終戦を迎え、子供ながら、焼け野原(の中)で、絶対戦争のない平和な国を作ろうと思っていたのですから。その後70年も頑張って働いてきて、 こんな世の中しか作れなかったのかと思うと、死んでも死にきれないという気もします。

 一方で、なるようにしかならいのだから、<ケ・セラ・セラ>。今日も元気に終わった、明日も元気に働こうとも、思うのですね。

 忙しい日々の中で、「あれ、こんな花が咲いた!」と喜んだり、おいしいもの食べて満足したり、単純なものです。

 「昨日又、かくて ありけり、明日もまた かくて ありなん」(1) の東川です



 姫路循環器病センターで言語聴覚士をなさっている高月容子さんも、似た感想を送って下さいました。


 毎日カリカリしながら生きていく中、この度の『柳に風』のお話はとても身に染みました。

 これからは『柳に風』を思いながら、出来るだけ肩のちからを抜いて生きていこうと思います。



 中西祥子さんは高次脳機能障がい当事者の立場から、次のような感想を送って下さいました。文意を変えないように気を付けながら、少し読みやすくしました。中西さん、これでいいですか?


「柳に風」の話 ほんとうに 私も そう思いました。

私は 子供時代から 心臓が 悪い事は わかってたけど、私には ナカナカ(なまじっか)体力が あったのです。心臓の事には自覚が ないし 対策も 何もしてないので、心房細動の不整脈が原因で 脳梗塞に なったのです。それで 後遺症が 残りました。

8年前に (別の)大きい病気をしたので 自覚しようとしてます。頑張り過ぎないように してます。

私の後遺症の「失語症」と「聴覚失認」は、脳の中で 別々に起こっていると 思っています。

(脳梗塞の)入院時に 担当の先生から 「一過性脳虚血発作(TIA)が 以前から2~3回 あったと思います」って 言われた。入院の時から 「前ぶれ」のような事が 気づきに(なって、)思い出しました。その時から 妹と筆談でコミュニケーションが 出来ました。

通院の時に 難しい本で(=を示して) ST(=言語聴覚士の)先生から「聴覚失認」(とは、どういうものか)を教えてもらいました。

「一度の脳血管障害で 両側の聴皮質や聴放線が障害されることはまれで、多くは過去に脳血管障害の既往(きおう)があり、そのときは一次的に片麻痺や失語症状が出現するが回復し、そのあとに反対側の大脳半球に脳血管障害が生じて、初めて言葉も音楽も聞き取れなくなる。」

「(中西さんの)聴皮質あるいは聴放線が損傷されているにもかかわらず、聴覚作用は完全に失われることはない。残存聴覚作用は脳のどの部位で認知されているのか。単なる半射作用なのか、まだわかっていない。大脳に副次的な聴皮膚の在存がありうると推測している。このようにもう一つの聴覚神経系は脳のどこにあるかを明らかにすることが大きな課題として投げかけられている。」

私の障がいを このメモでは 解りました。それで 前向きに できました。



 以前のこのコラムで登場をお願いした関 啓子さん (2) は、ご自身が神戸大学で言語聴覚士を目指している学生に教えている方です。また高次脳機能障がい当事者でもあります。


 私にとって「柳に風」と言う河合雅雄さんの発言は、レジリエンス(=回復力や復元力)という意味に解釈され、大変深い内容と思います。クローズアップ現代でも取り上げられた「折れない心」を意味します。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3486_all.html

番組によれば、(ナチスの行ったユダヤ人や障がい者に対する)ホロコースト(=大量虐殺)を経験した子どもたちの調査の結果、落ち込み前向きに進めない子どもがいた一方で、トラウマを乗り越え前向きに明るく生きた人たちもいたそうです。

その人たちに共通する性格傾向は、逆境にあっても楽しみを見出す、ユーモアを解するなど人生に前向き・肯定的とくくれるようなものであったとのこと。

私は自分の経験を語るとき、よくこの言葉を借用しています。


 皆さん、ありがとうございます。

--------------------------------------------------
(1) 「昨日又、かくて ありけり、明日もまた かくて ありなん」は、島崎藤村の「千曲川旅情の歌」の二番のはじめ「昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ」から取ったものだと思いますが、東川さん、違いますか?

(2) 関 啓子さんのホームページは、
http://brain-mkk.net/
です。


三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして71

「柳に風」
「河合雅雄さんがおっしゃったこと」へのご感想-1

三谷 雅純(みたに まさずみ)


 今回のコラム「河合雅雄さんがおっしゃったこと (1) に興味を持って下さった方から、いくつかご感想をいただきました。ありがとうございます。

 本題に入る前に、少しだけ寄り道です。

 10月に兵庫県宝塚市で高次脳機能障がいの啓発シンポジウムが開かれました。これに参加してきました。シンポジウムでは言語聴覚士の方が「高次脳機能というものを、どうとらえるべきか」とか、高次脳機能障がい者ご自身の対談が企画されていたので、わたしにとっては本当によい勉強になりました。わたしも失語症という高次脳機能障がい者のひとりですが、ダメージを受けた脳の場所は一人ひとり違うので、さまざまな高次脳機能障がい者の意見は新鮮です。新しい認識が得られるのです。

 脳にダメージを受けた「さまざまな高次脳機能障がい者」というのは、ちょうど手足や内臓など、ダメージを受けた身体の場所によってそれぞれ違う症状が出ることに似ています。脳は身体のいろいろな場所を個別にコントロールしているからです。ただし、身体の動きを司るだけではなく、脳は思考や感情といった形にはならない重要な働きもしています。身体のコントロールよりも、もっと広い範囲にわたるのです。

 夕方からシンポジウムの参加者が集まって、歓談と意見交換をする機会がありました。本当であれば、わたしは夕方から行われる催しには参加しません。高次脳機能障がいのせいで、極端に疲れやすいからです。しかし、その日は大勢の高次脳機能障がい者が参加しています。医師や言語聴覚士もいます。体調が悪くなっても大丈夫そうです。安心して任せておけばよいでしょう。わたしは歓談に参加して、おしゃべりを始めました。

 しゃべり始めて一時間も経った頃、おかしな感じがしました。初めての感覚です。最初は何が起こっているのか、よくわかりませんでした。

 おしゃべりをしている相手の口元が、音もなくパクパクと動いています。その上、微笑んでいます。でも声は聞こえません。確かにワーンというノイズは聞こえるのですが、言葉が聞こえない。ふしぎな感覚でした。わたしは、これが「聴覚失認」かもしれないと思い当たりました。厳密には違うのかもしれません。しかし、ノイズは聞こえるのに言語音は聞こえなくというのは、いかにも「聴覚失認」だと思えてしまいます。

 いずれにせよ、その聴覚失認(もどき?)の感覚がわたしの身に生じて初めて、やっと「聴覚失認」を実感できた気がしました。聴覚失認という現象が不思議でも何でもなくなりました。それまでのわたしは「言語音が聞こえる」のは当たり前でした。言葉は身近にあったのです。それが具体的に「聴覚失認」を体験したのです。

 大げさに聞こえるのかもしれませんが、自分自身の「聴覚失認」は、研究者として貴重な体験だった気がします。

 10分ほどして、わたしの聴覚はもとに戻りました。わたしと話をしていた人は医療関係者でしたので、わたしのようすが変だと気が付いたかもしれません。でも幸いなことに、その方はごく自然に振る舞い、微笑んで、わたしが話し始めるのを待っていて下さいました。きっと、ようすは変だが、その内、元に戻るということを経験から知っておられたのでしょう。

☆   ☆

 このブログに書いてきたことは、多様な人びとの感覚を見直し、人を「目が見えない」とか「耳の聞こえない」といったマイナスのイメージで捉えるのではなく、こんな世界観もあるんだとおもしろがる。伊藤亜紗さんが『目の見えない人は世界をどう見ているのか』で書かれたこと (2) を、目を使わない人だけでなく多様な人を対象に書くことでした。ですから、このコラムは福祉がテーマではありません。ましてや自分のことでもあるのですから、失語症や高次脳機能障がいの不利益を訴えて「哀れを誘う」ことでもありません。わたしの書くことに障がい者の「不幸」や「悲しみ」といったテーマ設定はありえません。

 河合雅雄(かわい まさを)さんの書かれてきたことも同じだと思います。

 性格によるのか、志向によるのかはわかりません。「自分は河合さんと似たところがあるから、河合さんのように偉いのだ」などと言うつもりもありません。河合さんは河合さん、わたしはわたしです。それぞれ別の人格なのですから、個人個人、分けて判断してもらうべきだと思っています。

 インドネシアに連れて行っていただき、わたしが脳塞栓症を発症した後も、いっしょにフィールド・ワークをして下さった元京都大学霊長類研究所の渡邊邦夫さんは、次のような感想を送って下さいました。意味がわからないといけませんので、カッコに入れて補います。


私も河合さんから「柳に風」の話を聞かされたことがあります。

河合さんは、子供の時から喧嘩はそれなりに強かったんだけど、いかんせん結核をやったせいで(体力が)長続きしない。すぐに熱が出るので学校を休むことが多く、(そんな時)裏山に入っては自然と語らっていたんでしょうね。それで、いろんな思いやイメージを膨らませて、人にわかりやすく伝える術を身につけたんだと思います。

「原稿を頼れた時に、イメージがすっと湧いてきたものは、すぐに書ける。そうでないものは、呻吟しても、なかなか書けない」と言っておられました。長い自然との語らいによって身についたものを、一気に文章にして書いていく。それが面白く読める含蓄のある文章の基になっているんでしょうね。

自分の不幸を話のネタにして、笑い飛ばしてしまう。

このアフリカのロアロア(=ロア糸状虫)にやられた時でも、医者に行ったら他にもたくさんの熱帯病を持ち帰っていて、大変重宝がられたとか、(河合さんの書かれた)『ゴリラ探検記(3) でもジープが横転して大怪我をしながら、「『ライオンがいるぞ』と言って気を失った」と書く。

事故の時に一緒だった水原洋城さん (4) に、本当ですかと聞いたら、「肋骨を何本も折って、アコーディオンみたいになっていて、イタタ!イタタ!しか言わなかった」とか。

こうやって前向きにプラス思考で生きて行くのがいいんでしょうねぇ。なかなか真似のできないことです。

サル学者の仲というのも、必ずしも、いつもいいだけじゃなかった。当然でしょうね。河合さんは「いつもは仲が悪いけど、何事かがあれば団結するんだ」とも言ってました。

私は川村(俊蔵:しゅんぞう)さん (5) の弟子だったけれども、河合さんには可愛がってもらいました。本当は私が勤務した宮崎県の(京都大学霊長類研究所)幸島観察所には直系の弟子をいれたかったのでしょうけれども、そんなことは、おくびにも出さずに、幸島の運営だけでなく、たくさんの支援を頂きました。

偉い先生はたくさんいたけれども、やっぱり人間的に、とてもできた先生だったなぁと思います。だから今でもたくさんの人に取り巻かれているし、91歳になっても、まだ重要なポストで活躍できる。堺屋太一さんが「80歳過ぎて、まだ影響力を残していたら、人は妖怪と呼ぶ」と書いてますが、まぁ、河合さんは大妖怪でしょう。


 わたしのひとはくブログを覗いて、いつもご感想を下さる山家健盛さんは、下さったお手紙の中で、このように書いておられます。


私は 伊谷先生や河合先生のご著書 何冊か読んでおります。河合先生の事は三谷さんからもお聞きしておりますが、ご自身でも片肺がつぶ(潰)れている事を書いておられます。弟さん(=ユング派の心理学者だった河合隼雄さんのこと:三谷)の方が先にお亡くなりになったのに、河合先生は今もあちこちの会に出席して挨拶されておられます。

一病息災を体現されているのが、河合先生だと思います。

河合先生がおっしゃった『ヤナギに風について......』は、本当だと思います。しかし、ついつい かっとする事もあるのが日常生活で起こりがちな事かと思います。心したいものです。


 残りは次に続きます。

--------------------------------------------------
(1) コラム「河合雅雄さんがおっしゃったこと」は:
http://www.hitohaku.jp/blog/2015/10/post_2074/

(2) 伊藤亜紗さんの『目の見えない人は世界をどう見ているのか』は:
http://www.hitohaku.jp/blog/2015/09/post_2065/
http://www.hitohaku.jp/blog/2015/09/post_2066/

(3) 『ゴリラ探検記』は光文社版や講談社学術文庫で出ていましたが、今は筑摩書房の全集
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480045065/
でしかないようです。

(4) 水原洋城さんは日本モンキーセンターの研究員、東京農工大学の教員をお勤めになりました。わたしの本棚を見ると『ニホンザル行動論ノート』(どうぶつ社)がありました。

(5) 川村俊蔵さんについては「河合雅雄さんがおっしゃったこと」
http://www.hitohaku.jp/blog/2015/10/post_2074/
に書いておきました。



三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして70

河合雅雄さんがおっしゃったこと


三谷 雅純(みたに まさずみ)



 今年(2015年)のノーベル生理学・医学賞に大村 智(おおむら さとし)さんが決まりました。アベルメクチンという物質を発見され、製薬会社といっしょに、アベルメクチンを基にしたイベルメクチンという似た名前の薬を開発されたそうです(ややこしい!)。Wikipedia によれば、イベルメクチンはリンパ系フィラリア症の特効薬だそうで、アフリカや中米、南米の国ぐにで駆虫薬として投与され、毎年およそ2億人もの人びとの生活を守っているそうです。

 リンパ系フィラリア症は、別名ゾウ皮病とも呼ばれています。「皮膚がゾウの皮のようになる病気」です。何とも、おどろおどろしい名前です。カメルーンで親しくしていた知り合いの奥さんは、首が腫れていたので、いつもスカーフで隠していました。また別の男性――この人はそれほど親しくはありませんでした――は股(また)のリンパ節に寄生されて、片足が木の幹のように膨れあがっていました。リンパ系フィラリア症ではなく、同じ仲間の寄生虫であるロア糸状虫症だったと思うのですが、調子が悪いとおっしゃるムスレムのお爺さんは、顔をのぞき込むと眼球に糸状虫がいるようでした。

 大村さんの研究は、このようなアフリカや中南米ならどこにでもある、そして人びとの生活を台無しにしてしまう寄生虫病を防いだのです。わたしも、アフリカでは確かノテジンというフランス製の薬を週に一回一錠服用して、糸状虫の寄生を防いでいた憶えがあります。

☆   ☆

 この「ユニバーサル・ミュージアムをめざして」とノーベル生理学・医学賞の大村 智さんが何の関係があるのかと思われでしょう。実は人と自然の博物館名誉館長の河合雅雄(かわい まさを)さんがアフリカ中央部のカメルーンという国で、マンドリルというサルや、その他の樹上性霊長類の調査を指揮しておられた頃、ロア糸状虫症(=ロア・フィラリオシス)という小さな白いミミズのような寄生虫に感染されたことがありました。それを大村さんのノーベル賞受賞で思い出したのです。わたしは大学院生として、河合さんのカメルーン隊に入れてもらっていました。

 リンパ系フィラリア症とロア糸状虫症は別の寄生虫病ですが、フィラリアという同じ仲間の虫(糸状虫:しじょう・ちゅう)が寄生してかかる病気です。河合さんは日本に帰ってからロア糸状虫が見つかると、たくさんの原稿用紙を抱えて入院されたと記憶しています。ロア糸状虫の駆虫をしている間に、貯まった原稿を書いてしまおうとされたようです。

 河合さんは、精神的にタフでした。

 決して健康体というわけではありません。しかし、精神的にはタフでした。

 「河合雅雄さんが健康体ではなかった」などと書くと、このブログの読者には驚かれる方がいるかもしれません。しかし、健康体ではなかったことは、すでにご自身がいくつもの本に書いていらっしゃることです。秘密でも何でもありません。河合さんは小学校3年生の時、小児結核にかかったそうです。その結核のために片肺が潰れてしまいました。そのために体が弱かったのです。河合さんはわたしに、「片肺飛行の身体障害者だと申請をしていたら、もう少し税金が安くなったかなあ」と、笑いながら、冗談口で言っておられました。「片肺飛行」とは、エンジンが片方、止まってしまった飛行機ということです。

 療養で良くなっていたのですが、大学生になった時、結核は再発し、兵隊に行かずに篠山の家で療養されたとおっしゃいます。その療養生活のせいでだと思います。河合さんは小さな動物をかわいがり、飼っておられました。しかし、動物を飼っていたことの意味が、病気の経験のない方には通じないことがありました。

 人と自然の博物館でされた講演で、療養中にかわいがっていた小鳥を圧死させてしまったことがあると話されたことがあります。よく慣れた小鳥だったそうですが、背中で遊んでいて、急に河合さんが寝返りをうったために、背中と布団に挟まれて圧死してしまったのです。

 それを聞いた聴衆は河合さんのおっしゃっていることの意味がわからないという雰囲気でした。気まずい空気が流れました。

(あの偉い河合先生がおっしゃっているのだから、きっと大変なことに違いない。しかし、小鳥を殺してしまったことのどこが、それほど大変なのか、さっぱりわからない)

 河合さんは反応のないことに一瞬とまどい、しかし、気を取り直して講演を続けられました。講演会の最後には、何事もなかったように安心して、皆さん、拍手をしていました。

 今では有名になりましたが、河合雅雄さんが童話を書くときのペンネーム「草山万兎(くさやま まと)」は、ウサギの行動観察したことが由来だと伺っています。当事、大阪市立大学に勤めていた梅棹忠夫さんが河合雅雄さんの病気のことを知っていて、療養中の篠山の自宅でウサギを飼って、学問としてウサギの行動観察をするように勧めたのだそうです。

☆   ☆

 わたしが脳塞栓症になって以後、河合さんはよく「柳に風」の話をして下さいました。

「ヤナギは強い風が吹いても折れることがない。風を受けて流すからや。風に刃向かって行ったのでは、ぽきっと折れてしまう」

 これは、わたしや河合さんは体力がないことをよく自覚して、休む時には休む。そのことが大切だと言われていたのだと思っています。場合によっては諍(いさか)いに巻き込まれることもあるかもしれません。そんな時は「よく吹く風だ」と受け流しておくのが良い。そう言われていたのだと解釈しています。

 事実、河合さんは、今では90歳を超えておられます。

「伊谷(純一郎)は亡くなった。川村(俊蔵:しゅんぞう)も亡くなった」

 伊谷純一郎さんは、わたしの学部時代の、もうおひとりの恩師です。川村俊蔵さんは、直接、教えを受ける機会はありませんでしたが、(インドネシアの)スマトラ島の調査では大変に有名な方です。このコラムにも何度かご登場願ったかもしれませんが、川村さんの大学院生だった方が京都大学を定年退官された渡邊邦夫さんです。わたしは川村さんにはお世話になる機会がありませんでしたが、その代わり渡邊邦夫さんとはジャワ島のパンガンダラン自然保護区にご一緒して、病気をしてからも、調査に連れて行ってもらいました。

 伊谷さんと河合さんは仲が良かったのですが、河合さんによると、性格はずいぶん違ったそうです(わたしは学部学生という立場でしたので、伊谷さんには、河合さんに接したように親密に振る舞うことはありませんでした。わたしが人と自然の博物館に来たのは、伊谷さんにお誘いいただいたからです。河合さんはその後に館長として来られました)。

「伊谷はイラチや」
「思い込んだら、我慢できんのや」
「(病気の)経験がないので、ちょっとしたことでシュンとなる」

 伊谷さんは体力があったが、「柳に風」と受け流すことができず、ぽきっと折れてしまう。そんなことをおっしゃっていたのです。そういえば伊谷さんには、うつの時がありました。

☆   ☆


「伊谷は亡くなった。川村も亡くなった」

 同僚が亡くなるというのは心細いものです。河合さんでも諍(いさか)いに巻き込まれることがあったに違いありません。しかし、体力がないことを自覚して「柳に風」と力を受け流し、決して折れることはありませんでした。90歳を超えた今でも活躍しておられます。

 わたしは先日、61歳になりました。


KAWAI_Masawo_90_years_old.jpg90歳のお祝いの席で 左から、わたし、中川尚史さん(京都大学)、奥さま、河合さん 
/三浦慎悟さん(早稲田大学)が撮って下さいました。

--------------------------------------
(1) 梅棹忠夫(うめさお ただお)さんは国立民族学博物館の初代館長でした。

(2) 伊谷純一郎さんは京都大学理学研究科で教員をなさり、その後、人と自然の博物館の準備室長をなさいました。言うならひとはくの第ゼロ代館長です。

(3) 川村俊蔵さんは大阪市立大学で動物行動学の教員をなさり、京都大学霊長類研究所でアジアの霊長類の行動を研究なさいました。

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして69

世界のとらえ方が違う人-2

三谷 雅純(みたに まさずみ)



 『目の見えない人は世界をどう見ているのか』をお書きになった伊藤亜紗さんは,美学という哲学の一分野を研究していらっしゃいます.また,ご自身でアート作品を制作してもいらっしゃいます.

 美学というのはふしぎな学問です.もやもやとして輪郭が明らかでない,しかし,確かにそこにあるものを言語化する,言葉に直す試みだそうです.「輪郭が明らかでないもの」は,普通,言葉では表せません.なぜなら,「言葉にする」とは,何らかの意味で「形をはっきりさせる」とか「定義を下す」といった行為だからです.言葉では表せないものの代表が「美とか優美といった質をとらえる感性のはたらき」(p 25)であり,さらに「芸術」(p 25)だそうです.もやもやとして輪郭が明らかでないものを言葉に直そうとするのですから,美学では「質をとらえる感性のはたらき」や「芸術」が攻略の目標になるのです.

 伊藤さんはある時,世界はこうだと感じている,その感じ方は人によって違うのだと気が付いたと言います.世界とは実のところ,個人個人で皆,違うと言っていいのです.その感じ方,つまり伊藤さん個人とは異なる世界観を持つ代表者が「目の見えない人たち」でした.「世界のとらえ方が違う人-1」にも書きましたが,伊藤さんのアプローチは決して「世界の中心にいる健常者が施(ほどこ)す福祉」ではありません.「見方を変えれば,世界はがらっと変わる」.そのドキドキ感こそ,伊藤さんが本当に伝えたかったことだという気がします.

 同じような試みは別の本にもありました.志村真介さんのお書きになった『暗闇から世界が変わる――ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの挑戦』 (1) です.

 「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」(Dialog in the Dark: DID 〈暗闇での対話〉)はすっかり有名になりました.DIDのイベントを取り入れている博物館もあります.このコラムの読者には,ご存じの方も多いと思います.しかしDIDは,有名なわりに誤解を受けることが多いようです.「視覚障害者の暮らす世界を疑似体験できるイベント」だと誤解している方が多いのです.

 志村さんは「視覚障害者世界を疑似体験」することを否定はしません.否定はしませんが,しかし,このイベントの本質は違うと言います.まず,このイベントのようすを説明しておきましょう.

 DIDの会場は真っ暗闇です.その真っ暗ななかに,何かの品物や出来事があります(世界を目で見ている人にとっては,「隠されています」).その品物や出来事を使って暗闇だからこそできるしかたで楽しみます.楽しむ人は8人までのグループです.みんな「世界を目で見ている人」です.つまり普段は視力に頼って生活しています.ですがそこは暗闇です.視力は役に立ちません.きっと,すくんでしまって一歩も動けない人もいるでしょう.それを助けるのが「目の見えない人」なのです.DIDでは「目の見えない人」のことをアテンドと呼びます.

 アテンドとは「案内人」という意味です.「目の見えない人」にとって暗闇は日常生活を過ごしている場所です.暗闇を自由に動けなくては,そもそも生活自体が始まりません.暗闇を自由に動ける能力があるのですから,急に視力を失って立ちすくんでいる「目で見ている人」をガイドすることは簡単でしょう.雑作もないことのはずです.しかし,「目で見ている人」にとってはというと,そこでは「目の見えない人」がスーパーマンのように感じるはずです.暗闇という空間では「世界を目で見ている人」ができないことをするのですから.

☆   ☆

 日本では,本当に真っ暗闇にできる体育館のように大きな施設は,あまりないようです.しかし,DIDが始まったヨーロッパでは,例えば「暗闇のディナー(当然ワイン付き)」や「暗闇のボート乗船」といった催しがあると聞きます.8人もの人が一度に食べる「暗闇のディナー」には,ずいぶん大きな食卓が必要です.給仕は暗闇で日常生活を送るアテンドが勤めてくれるのでしょうが,それにしても料理を作ったり,運んだり設備は必要でしょう.第一,暗闇で注がれたワインをこぼさずに飲む時には,きっと緊張するはずです.「暗闇のボート乗船」に至っては,広い空間も必要ですが,それ以上にプールが必要になります.ぐらぐら揺れる不安定なボートに乗り込む時はアテンドを信頼して,普段は「目で見ている人」が「目の見えない人」に介助してもらう以外に方法はありません.

 日本のDIDは,例えば「世界を目で見ている」小学生が集まってロープを握り,キャーキャー言いながらそのロープを頼りに進むとか,その進んだ先に何かおもちゃが置いてあって,それを子どもたちはこわごわ触ってみるといったものだと聞いたことがあります(違っていたら,教えて下さい).その時のアテンドは「目の見えない」スーパーマンが務めてくれます.暗闇の中で自分がどこにいるのかわからなくなってしまった子は,このスーパーマンが見付けて,ちゃんと連れ戻してくれるそうです.

 状況が変化したら「世界を目で見ている人」は何もできなくなり,「目の見えない人」がスーパーマンに変身する.これが肝心です.

 ひとはくは,最近,少しずつ変わってきています.ですが「世界の中心にいる健常者が施(ほどこ)す福祉」が大事だと誤解している人は,まだ多いように思います.ひとはくにとって障がい者は,あくまで来館者の側にいます.接遇は大事なことですが,「障がい者が提供するサービス」というDIDのような発想は浮かばないようです.しかし,それでは伊藤さんが伝えたかった「見方を変えれば,世界はがらっと変わる」というドキドキ感は経験できません.「健常者が世界の中心にいる」のは,世の中の仕組みを組み立てたのが,たまたま「健常者」だったからです.この先「健常者」の定義が変わったら,もっとドキドキすることが起こるでしょう.ドキドキすることが起こらないのは,きっと,ひとはくの発想が「健常者が世界の中心にいる」時代の感覚を引きずっているからです.

 DIDはユニバーサル・デザインを取り入れているそうです.「目の見えない人」がアテンドとして,車イスの人やろう者にDIDを体験してもらうのです.ここまで読んできて,わたしの書いた状況が把握できるでしょうか? これを説明するために,少し長くなりますが『暗闇から世界が変わる』から引用します.

「あるとき電動車椅子の人が七人同時に入場したことがありましたが,この状態では暗闇の中をふつうに進むだけでもたいへんでした.ややもするとスピードの出る電動車椅子が互いにぶつかったり,アテンドが轢(ひ)かれてしまう危険性もあるのです.

 これではスタッフの負担が大きくなるだけでなく,なによりもゲストが心から楽しむことができないので,以降はすべての人を受け入れることを前提に,あえて制限をつける形に変えました.

 たとえば車椅子が必要な人は,電動ではなく手押しのものにしてもらいました.また耳が聞こえない聴覚障がいのある人には,事前にアテンドたちと打ち合わせをしてもらって,どのような形でコミュニケーションを行うかを決めるようにしました.その人のための特別ルールのようなものをつくるのです.この話し合いには,一緒に入場するユニット(=グループのこと:三谷)の他のゲストに入ってもらうこともあります.」(pp 100-101)

 つまり「暗闇のスペシャリスト」である「目の見えない人」は,アテンドとして車イスの人や耳の聞こえない人を遇するために,どうしたら安全に楽しめるのかを思案したと言うのです.考えてみれば「暗闇のスペシャリスト」なのですから,「目の見えない人」がアテンドとしてDIDの接遇に心を砕くのは当たり前です.しかし,「健常者が中心にいる世界」ではありえないことです.ありえないことですが,そこに本当の人間性があるのだと思います.

 志村さんは,「どんな立場や役割の人でもフラットになれる場所」がDIDだと言います.

「DIDという場を使って,多くの人たちに『新しい対話のあり方』を伝えたい.それによって世の中が変わっていく.そんなことを考えながらこれまで走り続けてきました.」(p 6)

ともお書きになっています.「新しい対話のあり方」とは,きっと「目の見えない人」(=アテンド)が,(車イスの人や耳の聞こえない人が含まれている)「世界を目で見ている人」といっしょになって議論する姿だと思います.

 なお志村真介さんご自身は,(たまたま)「世界を目で見ている人」のおひとりです.

---------------------------------------------------

(1) 『暗闇から世界が変わる――ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの挑戦』(志村真介 著,講談社現代新書2306)
DID_ShimuraSinsuke.jpg


三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして68

世界のとらえ方が違う人-1

三谷 雅純(みたに まさずみ)




 このブログ「ユニバーサル・ミュージアムをめざして」を最後に書いたのは5月29日のことでした.更新してから4か月が経ってしまいました.わたしにとっては,あっと言う間でした.

 何をしていたのだと叱られそうですが,少しだけ言い訳をさせて下さい.

 兵庫県立大学の学生に出題する試験やレポートの問題を考えて採点するとか,学会に出席するとか,データを整理して論文を書くとか,博物館セミナーの準備をするといった大学や博物館で働いている研究者なら誰でもやることは,もちろん(きわめてたくさん)ありましたが,その中でも一番大変だったのが,人と自然の博物館で出している研究紀要「人と自然 Humans and Nature」の締め切りが7月31日だったことでした.

 研究紀要「人と自然 Humans and Nature」は市民科学者が投稿できる雑誌です.別に博物館や大学に属していなくても投稿できます.新たな発見があり,それを裏付けるデータがそろっていれば,どなたでも投稿できるのです.もちろん論文には論文の書き方の約束事があります.それをチェックしていただくために,経験のある方が読んで「ここは意見を弱めて,こんなふうに修正するべきだと思います」といったコメントを付ける制度(査読といいます)があります.出版するにはその査読を通っていただく必要があります.しかし,原稿の不備――体裁が十分に整っていないなど――といったことを除いて,投稿をお断りすることはありません.

 ただし,わたしの能力が問題です.

 わたしはというと,この研究紀要の編集委員長を拝命していますので,いろいろな方が「論文を書くのは初めてなのだが」と言って問い合わせてをしてこられます.その問いにお答えするのはわたしの大事な役目です.決して嫌になったりはしません.また執筆をしてみたいという方は,市民の立場で豊かな経験をお持ちです.皆さん,それ相当のプライドをお持ちです.そのプライドを尊重しながら,論文の原稿を書く初歩をお教えするのです.これはこれで,想像するよりもずっと大変なのです.どうしても時間がかかります.その問い合わせが混み合う「原稿の締め切り日」は特にそうでした.前後合わせて数か月間は,質問にお答えすることに忙殺されていました.

 そして,まだまだ編集委員会の作業は終わりではありませんが,それでも今,やっと(少しだけ)時間が取れたというわけです.今のは,このコラムが書けなかったことへの言い訳でした.

(今年の締め切りは過ぎてしまいましたが,自分こそはと思った方は,ぜひ来年の7月31日をめざして執筆して下さい.博物館での役割は変わるのが普通ですが,わたしが編集委員長を拝命している限り,どんな初歩的な質問にでもお答えいたします.ただし,わたしには失語症がありますので電話は止めて下さい.声しか伝わらない電話は苦手です.お手紙かメールか,あるいは直接お会いして話を聞かせて下さい.)

☆   ☆

 このコラムに書きたいと思ったことは,いくつもありました.その中からテーマにしたかったことを思い出して,書けることを書いてみます.まず最初は本の感想からです.

 このところ,いくつかの本が,従来,「視覚障害者」や「聴覚障害者」と呼ばれている人たちの感覚を見直し,「目が見えない人」とか「耳の聞こえない人」ではなく,こんな世界観もあるんだとおもしろがる,そのおもしろがり方を提案しています.素直に「世界のとらえ方が違う人」の存在を知りたいということだと思っています.例えば,伊藤亜紗さんのお書きになった『目の見えない人は世界をどう見ているのか』 (1) です.

 『目の見えない人は世界をどう見ているのか』は,なんとも謎めいたタイトルです.晴眼者(=目を使う人)にとって「世界を見る」という行為,つまり自分の周りの自然とか品物は目で見るのがあたりまえです.それを,わざわざ『目の見えない人は世界をどう見ているのか』とは,いったいどういう意味なのでしょう?

 いま,わたしは「自然とか品物」を例に出しましたが,それなら他人の態度はどうでしょう.「他人の態度」は,もちろん(表面的には)目で見ることができます.自分に親しみを感じてくれている人なら,親しみを感じていることの表現として,笑顔で接してくれるでしょう.親しみはおのずと立ち居振る舞いに表れるはずです.しかし,いつもそうでしょうか?

 笑顔で接してくれる人が皆,自分に親しみを感じているのなら,嘘をつく人はいないはずです.嘘つきでなくても,人は誰でも顔を合わせて人と接するときには,柔らかな態度を取るものです.でも,その人と別れた後でも好感を抱き続けるかどうかはわかりません.好感を抱き続けるには,一定の精神力が必要でしょう.つまり,「目で見てわかることには限度がある」ということです.そんな時は,目ではないところ(こころ? 脳?)で感じたことが重要になるのです.

 『目の見えない人は世界をどう見ているのか』で,伊藤さんがおもしろがっていることに,ものの「内」と「外」,「裏」と「表』は,目を使わなければ等価になるということがありました.どういうことか説明します.ある盲学校の美術の先生が紹介していた例だそうです.

 「その先生は授業で,粘土で立体物を作る課題を出しました.すると,ある全盲の子どもが壷のようなものを作り,その壷の内側に細かい細工を施(ほどこ)し始めたそうです.見える人からすると,細工を付け加えるならば,外側の表面に施(ほどこ)すのが『自然』です.しかしその子は壷の内側に手を入れ始めた.つまりその子にとっては,壷の『内』と『外』は等価だったということです.決して『隠した』わけではなく,ただ壷の『表面』に細工を施(ほどこ)しただけなのです.」(p 77)

 どういうことかわかりますよね.指先で触れているのが表面だとすると,その子にとっては指先で触れていける全てが表面です.手首を傾ければ,指先は「目の見える人」にとっての「外側」が触れます.また指を「くの字」に折り曲げれば「内側」にも触れることができます.どちらも触れることができるのですから,どちらも「表面」です.「目の見えない人」にとって「内」と「外」は関係ないのです.この話は強くわたしの印象に残りました.「内側に細工をするなんて,見えのしないのに」.そう,まさに目で見る人には「見えもしない」のです.しかし,目を使わない人にとっては,「見えて」当然です.

☆   ☆

 伊藤さんが「ソーシャル・ビュー」と呼ぶ,絵(や写真)の鑑賞技法があります.4,5人くらいの集団で絵を見て,おのおののが,見えたことを言葉(ことば)にします.それはどんな絵で,色使いはどうで,全体としてどんな印象を受けるかをしゃべり合うのです.しゃべる内容は,特に決まっていません.それぞれが自分の感じたままに言い合うのです.とても自由な鑑賞技術です.約束はひとつだけ.それは鑑賞する集団に目の見えない人が含まれるということです.

 ここまで読んだ方は,「晴眼者が目の不自由な人を助ける絵や写真の鑑賞会」をイメージしたかもしれません.しかし違うのです.ソーシャル・ビューとは,言ってみれば「鑑賞者のライブ感を大切にした,絵や写真を言葉にするプロセスを味わう技法」を言うのだそうです.

 ソーシャル・ビューのおもしろさを,伊藤さんは「見えないもの,つまり『意味』の部分を共有することにある」と表現しています.つまり,(目に頼った生活をしている人にとって美術鑑賞とは)「しばらく眺め,場合によってはまわりをまわったりして,自分なりに気になった部分を『入り口』として近づいてみる.もやもやしていた印象を少しずつはっきりさせ,部分と部分をつなぎあわせて,自分なりの『意味』を,解釈を,手探りで見付けていく」(p 165)ことです.この「遠回り」を,鑑賞する人たちみんなで共有しようというのがソーシャル・ビューです.「目の不自由な人を助ける」ボランティアのサービスとは根本的に違います.

 感想を言い合う途中で,目を使わない人は疑問に思ったことを問いかけます.例えば,ただ「水に飛び込む人がいる」と聞いただけでは幾通りもの情景が想像できます.そこを問いかけるのです.問いかけられた目を使う人は,もっと詳しく観察して「子どもです」「笑っています」「インドの景色のようです」と伝えます.こうして初めて目を使わない人にも具体的なイメージが湧くのです.これは目を使わない人が世界を見るとき,普段から,普通に行っていることだそうです.そして,これは目を使わない人に具体的なイメージを伝えただけではありません.疑問を問いかけることによって,目の見える人のイメージも確かなものになる.つまり,ここでは目に見えない人が誘いかけることで,目の見える人のイメージをより具体的なものに変えることができるのです.

 現代アートでは印象も大事ですが,解釈はもっと大切なのだそうです.一枚の抽象画があるとしましょう.人は一枚の抽象画からさまざまな印象が導き出せます.パブロ・ピカソの「ゲルニカ」 (2) という作品では「悲しみ」を感じた人もいるでしょうし,「怒り」を感じた人もいるでしょう.ところが「ゲルニカ」に描かれた顔を「奇妙」だと思ったり,「おかしな顔だ」と思った人もいて当然です.そう感じたからといって,別に変ではありません.美術の教科書には「ゲルニカ」は「戦争への怒りを表現した作品」だと書いてありますが――確か,そう書いてあったと思いますが――,教科書の解釈だけが正しいという保証はありません.

Guernica.jpg                 パブロ・ピカソ作「ゲルニカ」1937

 そのことよりも,解釈はさまざまであり,「怒り」を表現していると言われればそんな気がする.でもピカソの描く絵は漫画みたいで,確かに顔が「おかしい」と言われれば「おかしい」.どちらか一方が正しいというわけではありません.ここで本当に大切なのは,人の心に映った感情が「魔術的な変貌を遂げる」ということなのだそうです.このようにして,わたしたちは誰でも「頭の中の作品を作り直している」.目を使わない人は,そのようなやわらかなイメージで「世界を見ている」.そのことを,普段,目を使って生活している人にも経験してもらうのがソーシャル・ビューの本質です.伊藤さんは「他人の目で見る面白さ,他人の見方を自分で実感する豊かさを,ここでは見える人も経験するのです」(p 182)とおっしゃいます.

 次に続きます.

------------------------------------------------------

(1) 『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(伊藤亜紗 著,光文社新書751)
ItohAsa_Book_Koubunnsya.jpg

(2) 「ゲルニカ」(パブロ・ピカソ作,1937).『目の見えない人は世界をどう見ているのか』では,アメリカの画家マーク・ロコスの絵が紹介されていましたが,ここで紹介していいかどうか迷ってしまいましたので,ピカソの「ゲルニカ」の白黒版にしました.



三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして67

「権利と義務」は誤解されている?

三谷 雅純(みたに まさずみ)



 わたしは「ユニバーサル・ミュージアムをめざして66」 (1) で,「『権利/義務』は片方だけでも行使できるように思いますが,それは誤解です」と書きました.それに続けて「原理的にできません.『わがまま』な主張は,健全な倫理観から『許されない』のではなく,『主張』として成り立たないのです」と書きました.インクルーシブな社会のあり方について,ある人だけに生じた不自由を主張して直してもらうとすると,それは確かに,最初は個人の要求です.しかし,相手の行政や企業の担当者が誠実に取り上げて,どうしたらいいのだろうと当事者といっしょになって,一生懸命,考え始めた時点から,それはすでに「個人の要求」ではなく,「公(おおやけ)の要求」になると主張したのです.なぜなら,同じ不自由を感じている人は誰でも,その不自由さから解放されるからです.社会的に障壁だと気付かなかったことが,ひとりの主張や要求によって皆が気付けるのなら,立派に「義務」を果たしたと言えるのだと,わたしは考えました.なぜなら,その人の要求によって,社会が少し変わるからです.

 ところが,最近読んだ荻上チキさんの『未来をつくる権利 社会問題を読み解く6つの講義』 (2) という本に,「権利/義務」と無理に言わなくても,条件によっては「権利」だけで成立するという意味のことが載っていました.例えば「人権」がそうです.「人権」はどのような人でも、例外なく認められる権利です.「どのような人にも認められる」ということは,ある人が「寝たきりである」とか,「赤ん坊である」とか,「知的障がいである」といったこととは無関係に認められる権利であるということです.お母さんのお腹の中にいる胎児にすら認められています.さすがに受精卵には認められないでしょうから,成長が進んだ「いつの段階から,受精卵は人になるのか」という議論があったりします.人であれば例外なく認められる権利ですから,なかなか「義務」を果たせない人も,現実に存在します.

 荻上チキさんは,「権利」と「義務」を分けて考えます.「人権」は人であれば無条件に認められるものだが,誰が認めるのかと言えば,それは「国」だと言います.「人権」の場合は,「国」と「国民」の組み合わせで「権利」と「義務」のセットが成立するというわけです.つまり,「国」は「人であれば」という条件ですべての「国民」に「人権」を認めた以上,「すべての人が権利を行使できるような社会制度を整える『義務』が生じる」わけです.

 「権利/義務」は,条件によって「権利」は「権利」,「義務」は「義務」とバラバラにできるということは,言われてみれば当たり前のことです.納得できます.と言うことは,「ユニバーサル・ミュージアムをめざして66」でわたしが主張したことは,間違っていたということでしょうか? でも,最初に述べた「ユニバーサル・ミュージアムをめざして66」のわたしの主張を改めて読んでみても,どこが間違っているのかわかりませんでした.これはこれで理屈は通っているように思います.どこかに見落としているところがあるはずです.どこが,おかしいのでしょう.

☆   ☆

 このことを考えていて,わたしは,「国」と「国民」のそれぞれに「権利」と「義務」は存在するのだが,荻上さんの議論では,両方ある内の片側が見えなくなっているのではないか? つまり,「国」にとっての「権利」,「国民」にとっての「義務」は,理解するのが難しいので,まるで無いことにしているのではないか思い当たりました.

 早い話が「国」にとっては「人」のすべてが「国民」ではないということです.

 誤解を招きそうな言い方なので,きちんと説明しておきましょう.

 荻上さんは「国」とか「国民」とお書きですが,「国」や「国民」という言葉の使い方には,わたしの使い方とはギャップがあります.わたしなら「人権」のことを問題にするときは,「市民」という言葉を使います.「市民」というのは曖昧な言葉かもしれませんが,少なくとも「国民」とは違います.なぜなら,日本に住む人のすべてが日本国籍を持つとは限らないからです.

 元来,「国民」はひとつの民族ではありませんし,生まれたときからその国籍を持つと決まっていたわけではありません.例えば,現在は日本国籍をお持ちの作家 C.W. ニコルさんは,もともと南ウェールズにすむケルト民族です.長野県北部にある黒姫の森が気に入り,ニコルさんはそこに住み始めました.そのときはまだ日本人ではありませんでした.ニコルさんは日本人でないことに不便を感じたのでしょう.やがて日本に帰化をします.(3)

 横浜の中華街に生まれた陳 天璽(チェン・ティエンシ)さんが国立民族学博物館に就職したときは,台湾籍も中国籍も日本籍もない,まったくの無国籍でした.そいて移民やマイノリティ,国境や国籍の問題に研究者として取り組んでいました (4). 研究の必要上,調査で海外に出ることや,学会などで海外に出掛けることがよくありましたが,そのたびに自分の身分を保証してくれる国がない「無国籍」の苦労を身に染みて感じたそうです (5).陳さんもニコルさんと同じように,後に日本国籍を取りました.

 お二人の例は日本国籍が取れた幸運な例ですが,不都合がある人の全てが日本国籍を取れるとはかぎりません.例えば日本語が不自由だったり,経済的に自立していなかったりする人は,申請しても日本国籍は取れないと思います.難民はなかなか認めてもらえませんし,日本で生まれたとしても,難民の子どもが日本籍を取ることは,今でも難しいのではないでしょうか.つまり,ある人が帰化を申請したときに,認めるか認めないかを決めるのは,いわば国家の「権利」と言えそうです.「国家」は誰と誰を自分の国の国民と認めるのか決める「権利」を持ち,それ以外の人は国民とは認めない.一旦,国民と認めてしまったら,「すべての国民が権利を行使できるような社会制度を整える『義務』が生じる」のだと解釈できるのです.このことを,さらに別の言葉で言い直せば,(もちろん,国民であろうとなかろうと「人権」はあるに決まっていますが)国家は,少なくとも国民以外の人の人権には,(あまり?)配慮しなくてもよいとなってしまいます.だからこそ,ニコルさんや陳さんは,何か不都合を感じることがあったので,日本国籍をお取りになったのです.

☆   ☆

 ここまで考えてみて,わたしは,「国」と地方では人の捉え方が違うのだと思い当たりました(どちらかが悪いと言っているのではありませんよ.「人の捉え方が違う」と言っているのです.念のために).

 我われの感覚で地域コミュニティというと,何とかそこに住んでいる人の顔が思い浮かぶ範囲ではないでしょうか.隣近所よりももうもっと広い範囲で,かと言って市内の人全部ではかなり多過ぎる.そんな範囲に住む人は,どこそこの地方出身だというばかりではなく,外国籍の人や「ユニバーサル・ミュージアムをめざして66」で書いたような障がい者がいることでしょう.わたしたちは,お隣かそのまたお隣に,外国籍の人や障がい者が住んでいることを当たり前だと受けとめています.ひょっとすると地域によって感覚は違うのかもしれませんが,少なくともわたしが子ども時代を過ごした地域では,多くの外国籍の人や障がい者が住んでいました――わたしが育ったのは,大阪市内の下町です.ですから何となく,外国籍の人であっても「国民」だという気がしていたのです.しかし,実態は違っていて,市民感覚ではあって当たり前の「権利」でも,「国」のレベルでは認められていないことがよくありました.

 無国籍だった陳 天璽(チェン・ティエンシ)さんは,もともとご両親の国籍があった台湾に行ったとき,台湾籍がないということで入国を断られました.しかたがないので日本に戻ろうとすると,やはり国籍がないことを理由に日本にも入れなくて,途方に暮れという経験があるそうです.生きた人を,杓子定規な法律に当てはめての矛盾が出てしまうのです.杓子定規な法律に当てはめることを何か変だなと思ましたが,その「変だな」という感覚は,きっと「地域コミュニティ」とか「市民感覚で」といった日常感覚と国レベルで理解しておかなければいけない法律運営の混同があったのでしょう.

 国家レベルの感覚というのは,たぶん「法律を犯して悪いことをする人を取り締まる」ものでしょう.このことは日常のコミュニティで対応する人の数とは大きな開きがあるのですから,当然と言えば当然です.それに対して,地域コミュニティで顔の見えるレベルの人付き合いをするときは,最初から人を疑ったりはしません.疑っていたのでは,いっしょに暮らしていけません.「法律を犯して悪いことをする人」も現実にはいるのですが,地域コミュニティで暮らすとなると,「人びとの性格には悪いところもあるけれど,良いところもある」と気がつくものです.その気付いた良いところが国レベルの法律にも,何とか活かせないのだろうかと思ってしまいます.

☆   ☆

 「ユニバーサル・ミュージアムをめざして66」は「ユニバーサル・ミュージアムをめざして65」(6)とともに,「障害者差別解消法」が2016年(平成27年)4月から施行されることを話題にしたエッセーです.国が法律で障がい者差別を認め,解消する手段を法律にしたことは,すばらしいと思います.それとともに差別の解消は,元来,互いに顔の見える地域レベルでこそ、細やかに実現できるものだと思います.そのことを考えると,今はまだ気がつかない つまずきが出るのかもしれません.

----------------------------------------

(1) ユニバーサル・ミュージアムをめざして66
http://www.hitohaku.jp/blog/2015/03/post_1988/

(2) 荻上チキさんの『未来をつくる権利 社会問題を読み解く6つの講義』(NHK出版)は:
https://www.nhk-book.co.jp/shop/main.jsp?trxID=C5010101&webCode=00912162014

OgiueChiki_NHK_Press_FP_02.jpg

(3) C.W. ニコルさんのことは:
C・W ニコルさんと森を歩く――『アファンの森の物語』書評――
http://www.hitohaku.jp/blog/2014/06/post_1888/
にあります.

(4) 陳 天璽(チェン・ティエンシ)さんのホームページは:
早稲田大学国際学術院のページは
http://www.wnp7.waseda.jp/Rdb/app/ip/ipi0211.html?lang_kbn=0&kensaku_no=6398
2013年3月までお勤めであった国立民族学博物館のページは
http://www.minpaku.ac.jp/research/activity/organization/staff/chen/index
にあります.

(5) 陳 天璽さんの経験は,『無国籍』(新潮文庫 ち-6-1,552円)にくわしく書いてありますが,絶版になっていました.

Stateless_FP.jpgのサムネイル画像

(6) ユニバーサル・ミュージアムをめざして65
http://www.hitohaku.jp/blog/2015/03/post_1984/



三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

 

ユニバーサル・ミュージアムをめざして66

 

さまざまな人が創る社会-2

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

H26_poster (elder).jpg平成26年度「障害者週間のポスター」最優秀賞(中学生の部) 
埼玉県立特別支援学校大宮ろう学園中学部三年 石渡 智樹 くん(埼玉県)

 新しい「障害者差別解消法」は2016年(平成28年)4月から施行される予定です.すべての障がい者の尊厳と権利を保障する法律です.国際連合(国連)の「障害者の権利に関する条約」や2011年に改正された「障害者基本法」が基(もと)になっています.

 

 「障害者基本法」の改正や「障害者差別解消法」の成立では,一般の方には耳に新しい考え方が取り入れられています.それは「障がいの社会モデル」「環境配慮」にプラスした個別の「合理的配慮」です.難しい言葉(ことば)ばかりなので,まず,それぞれどういう考え方かを説明しておきます.

 

 「社会モデル」は,「個人モデル」とか「医療モデル」と呼ばれる考え方と対比して示されます.「個人モデル」も「医療モデル」も同じ考え方です.例えば交通事故にあって手や足を失ったり,頭に外傷を負ったりすれば,手術やリハビリテーションが必要です.そして事故に遭(あ)ったのは運が悪かったのだとか,あるいは自分が不注意だっただけだと,わたしたちは考えてしまいます.これが「個人モデル」とか「医療モデル」と呼ばれる考え方です.

 

 右や左をよく確認してから道を渡れば事故には遭わなかったのに,ぼんやりしていた自分が悪い.自分の不注意で事故に遭い,病院に入院してお金が要り,その上,人生が変わってしまったのだ.誰か文句を言う筋合いのものではない.わたしたちは,つい,そんなふうに考えてしまいます.

 

 でも現実には「事故がよく起こる曲がり角」が存在します.少なくとも誰もがそう信じている場所があります.そこでは,人間なら誰でもうっかりしてしまう何かがあるのではないでしょうか.いわゆる「ヒューマン・ファクター」です.「事故が起こったのが社会の責任だ」――「事故の多い曲がり角」を作ったという意味で――というのは,いくら何でも言い過ぎですが,事故にあった不幸を,全部ひとりで背負うべきだと,わたしは決して思いません.ましてや遺伝的な変異やお母さんが妊娠していた時の事故で障がい者になったのなら,まったく当人の責任ではないのです.「障がい」というのは,望まない事故や病気,遺伝的な変異の結果をそう呼んでいるだけなのですから.

 

 「障がい者」も市民であることは間違いないのですから,市民社会の一員として,社会の主流にいる人たちと同じだけの義務と権利を持つはずだ.そういう考え方が「社会モデル」です.現在,世界の主な考え方は「社会モデル」になりました.

 

 「環境配慮」とは,今までにあったバリアフリー・デザインやユニバーサル・デザインのことです.できるだけ多くの人が活動しやすくなるような 心づかい を言います.ただ「多くの人に認識されていないけれども不便なこと」というのが現にあります.例えば,今,流行りのタッチパネルは視覚以外の手がかりがありませんから,視覚を使わない人の役には立たないでしょう.それに,マニュアルに頼った「ユニバーサル・デザイン」ふうの施設も,人によっては,かえって活動し難(にく)くなることがあります.

 そんな時,むちゃな要求でないのなら,個人個人の不自由さから出てきた要求であっても,ちゃんと応じるべきだという考え方が「合理的配慮」です.この考え方なら,困ったときには「困っている」と言えるのです.国や地方公共団体は,そんな要求に誠実に対応する義務があります.民間企業でも努力しなければなりません.公共財を作り,管理する公共団体が,市民――国民ではありません.日本の国籍は持たなくても,納税の義務を果たし,要求する当然の権利を持つ市民――から出た個別の,しかし,その人の身になってみたら当たり前の要求には,誠意をもって応えるのが当然です.

 

 学校教育で行われているインクルーシブ教育は,すでに「個別の要求に合った対応」がなされている例です.手話や点字は勉強をするために大切ですし,時間のかかる人には時間をかけて課題――例えばテストなど――に取り組むことが認められます.ついでに言えば,このような配慮は「障がい者」ばかりでなく,いろいろな社会的マイノリティにも認められなければなりません.

 

☆   ☆

 

 先ほど「市民」と書きました.しかし,「市民」とは誰の事でしょう.

 

 「市民」とは,我われ一人ひとりのことです.ここで言う「市民」は,例えば「市民運動」(=草の根運動:a grass-roots movement)や「市民劇場」(a people's theater)で使う「市民」のことを指します.「神戸市に住む人」という意味で「神戸市民」と言ったりもしますが,ここでは,「特定の行政単位に住む人」という意味ではありません.「個人で自分の意見を持っている人」とか「権利を行使し,義務を果たす人」といった意味です.赤ん坊や幼児,子どもは大人と同じような判断力がなくて「市民」とは認められないという意見もあるでしょうが,ここでは,人権を持った人は誰でも「市民」ということにします.赤ん坊はやがて意見を持ちますし,おじいちゃんもきっと意見を持っていたはずです.よそから来た人にも,当然,意見があります.ですから赤ん坊の△△ちゃんは(まだ税務署で納税はできせんが)「市民」です.認知症の○○のおじいちゃんも,モスレムで日本に来たばかりの□□の奥さんも,みんな「市民」なのです.

 

当然,障がい者も,誰に恥じることのない「市民」です.

 

 (ここからは障がい者に向けて書きます)

 

 「市民」であれば,権利があると同時に義務があります.「権利/義務」は片方だけでも行使できるようにも思いますが,それは誤解です.原理的にできません.「わがまま」な主張は,健全な倫理観から「許されない」のではなく,「主張」として成り立たないのです.例えば,ある人だけに生じた不自由を主張して,施設のどこかを直してもらうとします.それは確かに,最初は個人の要求でした.しかし,行政や企業の担当者が誠実に取り上げて,どうしたらいいのだろうと当事者といっしょに考え始めた時点から,それはすでに「個人の要求」ではなく,「公(おおやけ)の要求」になるのです.なぜなら,同じ不自由を感じている人は誰でも,その不自由さから解放されるからです.社会的に障壁だと気付かなかったことが,ひとりの主張や要求によって皆が気付けるのです.その時,社会がほんの少し変わるでしょう.その人は「権利」を行使するとともに,立派に「義務」を果たしたのです.

 

 障がい者や病人や,見知らぬ土地に来たばかりの人は,その土地に住む人と,あまり大切な話をした経験がありません.どうして大切な話をしないのでしょう? 障がい者の例で言えば,まず第一に,社会的主流にいる人とは主張が異なります――マヒがあって大きな扉(とびら)が開けられない,視覚を使わないので触れなければ理解できない,聴覚を使わないので視覚言語(=手話)や書き文字でなければ理解できない.だから,わたしに変わって扉を開けてほしい,触(さわ)れるようにしてほしい,視覚言語や書き文字を使ってほしい.多くの人にとって,このような要求は奇妙に聞こえるのかもしれません.ですから今までは,大抵の場合,このような要求を主張しても「わがまま」だと言われたり,おだやかに無視されたりしてきました.第二に,社会的主流にいる人の言語,つまり普通のしゃべり言葉(ことば)を使ってご両親や介助者が本人の主張(だと信じていること)を代弁してきたので,その人なりに論理を組み立てる練習ができていないのです.

 

 しかし,いくら説得力があっても,皆に伝わらないのでは主張になりません.「十分な理由」を共通の言葉(ことば)で示すことは,経験のあまりない人にとって大変です――本当に大変です――が,何が言いたいのかが わかるように説明する責任があります.言ってもどうせ「わがままを言うな」と怒鳴られたり,無視されるだけだとあきらめていては,いくら待っても伝わりません.

 

☆   ☆

 

 もう一つ,自分の不自由を主張するときに,ぜひ考えてもらいたいことがあります.それはさまざまな属性を持った他者の存在です.これも障がい者の例で説明しましょう.

 

 世の中には,実にさまざまな障がい者がいます.と言うか「障がいの社会モデル」では,社会の主流にいない人は誰でも,生活をしたり,仕事をする上で,いろいろな不自由を感じています.その不自由さは,別の障がい者にわかる場合もありますが,多くは理解できません.

 

 わたしは右半身のマヒがあり,失語症もあります.ですから,言葉(ことば)の出ない歯がゆさは――自分の内言語では,もちろん何を言うべきかがわかっているだけに.そして,うまく言語化できないと,自分でも考えていたことが思い出せなくなるので――痛いほど感じます.しかし,聴覚を使わない ろう者が太鼓の演奏会で感じる空気の振動感や躍動感は,説明を聞くまで,本当のところはわかりませんでした.ていねいに説明をしてもらったから,空気の振動から音楽を楽しむ術(すべ)がわかったのです.

 

 ろう者が太鼓の演奏会で感じる空気の振動感と同じように,新奇な感覚は社会的な主流に属する人ばかりでなく,ほかの障がい者にもわかりにくいのです.しかし,複数の障がい者が自分の不自由さだけを主張するのでは,聞く方は困ってしまいます.どうしていいかわかりません.そこは心を広く持って,自分以外にもさまざまなことに不自由を感じる人がいるという前提で,共に不自由を感じなくする方法を探るべきです.そうしないと「市民」として「権利/義務」を行使することにはならないと思います.それよりも「共に不自由を感じなくする方法」を探ることで,思いもかけなかったアイデアが湧くものです.

 

 一人ひとりの多様さを,皆で感じ,考えてみることにしませんか? そうして産み出される社会は,今よりも,ほんの少しだけ暮らしやすくなると信じて.

 

 いかがでしょうか?

 

 

 

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして65

 

さまざまな人が創る社会-1

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

 

 H26_poster.jpg

平成26年度「障害者週間のポスター」最優秀賞(小学生の部)
玉名市立玉名町小学校四年  両角 藍さん(熊本県)

 

 「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」,通称「障害者差別解消法」が2013年(平成25年)に成立しました.この法律には国際連合(=国連)の条約:「障害者の権利に関する条約」をめぐって,ちょっとした歴史があります.この条約はすべての障がい者の尊厳と権利を保障するための人権条約です.国連では2006年に採択され,日本も早く受け入れるつもりだったそうです.ところが日本の批准に対して,日本国内の主要な障害8団体で結成しているJDF(日本障害フォーラム)から待ったがかかりました.それは「日本の法律では,障がい者の権利が、きちんと保障されていない」からでした.批准してこの条約を認めるという前に,ちゃんと国内法を整備しなければいけない.ということは,言い換えれば「『障がい者の権利を保障して,差別を禁止する』日本の世論は十分に高まっていない」と指摘を受けたのです.そこで日本は2011年に「障害者基本法」を改正して,基本的な考え方を整理し直すことにしました.結局,日本の批准は2014年になりました.

 

 「障がい者を差別してはいけない」というのは当然のことです.しかし,何が差別になり,何が障壁(しょうへき)になるのか,たいていの人は戸惑うことがあるでしょう.そんな時は,本当に「障がい」が何だったのかイメージできません.イメージできないから「結果的に差別してしまう」ことがある.ことさら差別する気はないのです.しかし,そのために障がい者は,社会に出て働いたり,自分の立場で意見を言ったりできなくなる.これは大きな社会的損失です.このようなことをなくしましょうということで,「障害者差別解消法」は作られました.これで障がい者の権利を保障する気運は作られました.

 

 もちろん人のこころはさまざまですし,中にはあからさまな差別をする人も,現実に,います.「障がい者の権利を保障する」と言っても,まだ気運が整っただけです.この法律ができたのだから,今すぐ実践すればよさそうですが,なかなかそうはいきません.そのために,皆さんに「障がい者の権利」とか「差別の禁止」とかの意味をよく理解してもらおうと,準備期間を3年ほど設けたのです.施行は2016年(平成28年)4月の予定です.ずいぶん悠長(ゆうちょう)に思えますが,「差別の解消」は,それほど時間をかけなければ実現しないということです.

 

☆   ☆

 

 わたしは失語症の方としゃべっていて,困った顔をされたことがあります.どんなことを言った時かというと,わたしは,

 

「多くの人は『障がい』をネガティブなものと捉えがちです.ところが、見方を変えればポジティブに捉えることもできます.例えば,ろう者は手話で示された多くのジェスチャーを順に覚えて会話をしますが,これはろう者以外にはできません.ろう者にとって手話は母語の人も多いのですから,当たり前といえば当たり前です.聴者(ちょうしゃ:聞こえる人)の発話言語(=音声を発して意味を伝える言語)と同じように,ジェスチャーを覚えなければ手話のコミュニケーションは成り立ちません.

 

盲人も同じです.盲人にとって指先は目のようなものです.ものに触れることで,いろいろなことを認識します.ものの大きさや形,質感,光沢といったものまで認識できるのです.そのイメージの再現力は,目を使う人には及びもつきません.この鋭い指先の触覚があるからこそ,点字で意味を記録し,イメージを伝えることができるのです.

 

失語症者や高次脳機能障がい者は,なかなか言葉が出てきません.しかし,言葉になる前の〈ことば〉,つまり内言語(ない・げんご)では,しっかりものが考えられる人がいます.そうして考えたことの中には,当事者でなければ思いつかなかったことも,きっと多くあるはずです.

 

「障がい」とか,「障がい者」というと悪いイメージばかりを持ちがちですが,わたしも含めて失語症者や高次脳機能障がい者は,「~が足らない」のではなく,「他の人にはない~の長所がある」のだと考えることはできないでしょうか?

 

 これを聞いていた失語症者は困った顔をされました.

 

「失語症の長所って何ですか?」

「私は失語症でよかったと感じたことは一度もありません」

 

このように,おっしゃったのです.わたしは,そんなネガティブに考えなくてもいいのではないかと思いましたが,ポジティブに評価する理屈は,残念ながら,とっさには思いつきませんでした.でも絶対に,どこかいいところがあるはずです.でなければ,人間として価値があるのは,人生の盛りである「若者」の一時期だけということになりかねません.「若者」以外の大部分の人は,全員,どこかが欠けた人です.

 

 でもちょっと待って下さい.若者だけが完全な人間ではありませんよね.そんなことは当たり前です.赤ん坊には赤ん坊の才能があり――事実,赤ん坊には共感覚や写真のような記憶能力があるのだが,〈ことば〉の獲得とか象徴性の獲得とともにその能力を失うという話があります――,思春期の少年・少女には,おとなには見えない「過去」や「未来」がチラチラと見えてしまうというのは,都市伝説に過ぎなかったとしても,よく聞く話です.高齢者が互いに矛盾したことを共に認める能力がある――「清濁併せ呑む」――のは,長い人生の結果だと思います.だとすると失語症者や高次脳機能障がい者も,少し視点を変えただけで見え方ががらりと変わり,ポジティブな資質になるということが,きっとあるに違いありません.先ほど挙げた「内言語の沈思」はポジティブな資質ではないでしょうか.だとしたら,後は当事者の出した結論を聞き取り,普通の〈ことば〉に直す才能を持った「翻訳家」がいたら,「内言語の沈思」の結果は社会でおおいに役立つでしょう.

 

☆   ☆

 

 ひとはくを始めとする多くの公共施設は,バリアフリー・デザインやユニバーサル・デザインに取り組んできました.法律では,このような工夫を「環境整備」と呼んでいます.バリアフリー・デザインでは,目に付いた欠陥を直すことで,さまざまな人がスムーズに活動できるようにします.例えば段差があるときは,ゆるやかなスロープを渡すとかの工夫があると,たいていの車イス利用者や足もとが不安定な高齢者も安心して上り下りができます.ユニバーサル・デザインは,バリアフリー・デザインよりも,もっと多くの人が利用しやすい工夫を言います.理想としては,すべての人が使いやすくできれば,それに越したことはありません.

 

 それにしても「すべての人が使いやすい」デザインって,いったいどんなデザインなのでしょう? そんなことがありえるのでしょうか?

 

 わたしは,厳密にはありえないと思っています.しかし,ひとはくを始め,多くの公共施設が,現にユニバーサル・デザインを取り入れてきました.その理由は,ユニバーサル・デザインなら誰にでも「平等」に設計できるからです.公共施設では,何よりも見かけの「平等」が大切です.だから,そうしてきたという背景があると思います.法律で規準が決められたバリアフリー・デザインや,マニュアルに従ったユニバーサル・デザインです.現実にそれを使う障がい者には,どういうわけか計画に意見を言ったり,実地に使って確かめてみたりといった機会が,あまりないように思います.意見も聞かない,確かめてみることもしないために,公共施設では,使いたくても使えないといったことが,実は,よくあります.

 

 それは「体のいい差別」だと感じています.「バリアフリー」とか「ユニバーサル」とか言っているだけに,よけい質(たち)が悪く感じられます.

 

 さまざまな立場の人が集まって意見を出し合い,互いに自分以外の人の主張を尊重しあって,少しずつ,ひとつのものを創り上げていく.それは元来,すてきなことですが,手間もお金もかかります.しかし,今までそうした手間やお金をかけてこなかったことの方が不思議です.必要なことにまで手間とお金を惜しむのは本末転倒です.新しい「障害者差別解消法」は,障がい者の人権を守り,障がい者の権利を保障するための法律です.それは「さまざまな立場の人が集まって意見を出し合い,互いに自分以外の人の主張を尊重しあって,少しずつ,ひとつのものを創り上げていく」ことの保障でもあるのです.

 

 新しく何かを公共財として創り出す.その試みに,わくわくしませんか?

 

 この稿は続きます.次は障がい者の側の責任について書こうと思います.

 

 

 

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして64

 

「ハンナ・アレントの『人間の条件』考」へのコメントなど

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

 わたしは「サイエンス・サロン」という市民団体のお世話をしています。Eメールや手紙を通して、科学に関してしゃべり合うという主旨の団体です。わたしが人類学や霊長類学に興味を持っていますので、テーマはどうしてもそちらに傾きます。でも人類学や霊長類学というのは、元来、世の中の問題を考えてみるのに相性がいいのです。そのおしゃべりや議論から、ひょっとしたら、普段、自分が思ってもみなかった新しい何かが生まれるかもしれない。そこでは専門家もシロウトもない。時どきは実際に集まってみると、もっと楽しい。形式張らない、ある意味でルーズな集まりです。形式や約束に囚(とら)われず自由に語り合う(当然、他人にも形式や約束を強制しない)というのと、議論は良識を持ってするというのが、ルールと言えばルールでしょうか。その「サイエンス・サロン」の参加者が、「『人間の条件』考-1」「『人間の条件』考-2」を読んで感じたことを書いて送って下さいました。その内のいくつかを紹介します。プライバシーに配慮して、一部、書き替えましたが、文意は変えないように気を付けています。「サイエンス・サロン」の参加者には、ひとはくブログに書いてもいいと同意をもらいました。

 

 どの方もアレントの『人間の条件』そのものではなく、小玉重夫さんが『難民と市民の間で』で取り上げた学校教育に集中してコメントを下さいました。ある年配の男性からは、次のようなお手紙をいただきました。

 

 

 スクール・カーストがあるとか 学校が監獄や難民収容所のような状況にあるとかが、日本の学校でも現実の実情としてあるのでしょうか。

 

 私の経験では、そんな話は全く信じられません。昭和20年(1945年)生まれの私の小学生時代には、先生方(私の場合 6年間で 4人の女の先生でした)は 我々生徒を平等に親切に育てて下さったと思います。現在の日本の学校は、ハンナ・アレントの書いた本にあるような状況になっているのですか。どなたか、現在の学校の様子を教えて下さい。

 

 私個人の思い出で言えば、小学校に入った時、幼稚園の様なお遊戯が無くなって、学校へ行くのが楽しくて仕方ありませんでした。小学校5、6年生の頃は、色々と生徒会がらみの役についたりしていましたので、卒業式の時は役から離れられる開放感で嬉しくてたまりませんでした。

 

 生徒会の役員には、志願してなるのではなく、全く立候補する事なく、学級会の無記名投票によって振り分けられる方式でなる仕組みでした。それで、成りたい役に就けるかどうかは、投票が終わるまで分かりませんでした。しかし、5、6年生になれば、学級会だけではなく、学校全体の生徒会での役が回ってくる仕組みだとは、皆 納得していた事だったと思います。生徒会で決めた事について、一々先生方に文句を言われた事もなかったようですし、当事の小学校のどこを探しても監獄や難民収容所のような所は、ありませんでした。

 

 

 現在、わたしは60歳になります。大阪市の公立中学校に通いました。そこでは家庭で満足に食事ができず、よく貧血で倒れ、あることがきっかけで教員やクラスの子どもと折り合いが付かなくて学校に出てこなくなった女の子や、成績は抜群によかったのに、学費が出せないからと中学を卒業してすぐ就職した男の子、卒業間近になって一家で夜逃げをし、実質的に中学校を卒業できなかった女の子などがいました。このような話は、わたしの子ども時代には嫌になるほどありました。全部、わたし自身の身近で起こったことです。お手紙を下さった男性にその話をし、今だけでなく、わたしの時代にも、学校現場の「監獄」化や「難民収容所」化は本当にあったことを説明しました。

 

 すると、ご自分でもお子さんを育てながら働いておられる女性が、次のように書いて下さいました。

 

 

 何らかの理由で家族や肉親と暮らせない児童養護施設の子どもたちや、沖縄の基地で働くアメリカ人の父に棄てられた母子家庭の子どもたちを招待するキャンプに参加したことがあります。子ども達はみんな、小ぎれいな身なりをして、部外者の私にも、にこやかに接してくれました。しかし、キャンプ中、その日の感想を書く時間に、驚きとともに強い悲しさを感じる出来事がありました。彼らは小学3年生以上だったのですが、ひらがなを正しく書けない子どもがとても多かったのです。自分の名前でさえ、怪しい漢字で綴(つづ)る子どももいました。

 

 彼らの多くは過去十分な教育を受けられずにいたり、現在も受けられずにいます。親からネグレクトや暴行といった虐待を受け、生きて行くのに精一杯の状態であることも多いのだそうです。もちろん、施設や集まりの中で学習の補てんはなされていますが、追いつけないのが現実です。

 

 2013年TBSで放送された「ブラックボート」というドラマで、そういった学力に問題のある生徒がイジメの対象となり、学級崩壊の原因となる様子が描かれました。「スクール・カースト」の出現の過程はいろいろあるかと思いますが、現代では、学力格差がその大きな要因となっているような気がします。

 

 子どもの教育にいくら費用がかけられるか、どれだけ時間がかけられるか。

 

 当時、「スクール・カースト」という言葉は知りませんでしたが、学校での生き辛さの一端は、親が生むものかもしれないと思うと、悲しさと憤りで涙が止まらなくなりました。

 

 

 また別のある男性は次のように書いて下さいました。

 

 

 小学4・5年生の頃だったと思います。私は休憩時間にふざけていて、同級生に差別用語を使って罵ってしまったのです。勿論、心から発したのではなかったのですが、その同級生は大きく泣き崩れてしまいました。

 

 私は謝ることが出来ませんでした。意地を張ったとか、非を認めなかったのではありません。軽率に発した言葉が、相手にこのような大きな心理的衝撃を与えたことがショックで、声も出なかったのです。周りにいた同級生は、それをとがめることも無く、先生から注意されることもありませんでした。しかし、その出来事は「心のしこり」となって、50年以上経った今も私を苦しめ続けています。

 

 スクールカーストという言葉は、最近になって時々耳にするようになりましたが、私の小学生のころにも、それに似通ったものが有ったように思います。

 

 クラスの中には、上位、中間、下位的なグループがあって、上位のグループに属するのは、成績が良く家業が地域の名士や、教員・公務員・銀行員と言った家の子供、中間は、普通の成績で会社員や商店・農家の子供、そして下位はそれらにあたらない子供たちです。現在のスクールカーストは、コミュニケーション能力や、空気を読む能力が、その階層付けのポイントになっているようで、その点は随分様変わりしているように思いますが、クラスの中に序列や階層が存在することは、変わらないように思います。

 

 

 もちろん学んだ地域と時代によって、受けた教育には差がありました。次に紹介するのは関東で小学校時代をすごされた女性からのコメントです。

 

 

私が小学校教育を受け始めたのは戦後5年しかたっていない時でしたので、それまでの軍国教育から解放されて、一気に民主主義教育をしなければならなくなった頃のことです。兄たちは教師のそうした転向を目の当たりにしなければならなかったでしょうが、幸いに私は民主主義教育そのものの新鮮な時期に東京都の公立小学校で学ぶことが出来ました。

 

ただ、その当時は外地からの引き揚げ者や都市へ移動してきた人々(私の家族もそうですが)で急激な人口増加により、小学校の数が足りず、小学3年まで60人学級の二部授業というすさまじい状況でした。後で二つの小学校が分かれてできた時代です。そうした中では、先生一人が120人の生徒の面倒を見ていたことになりますので、一人一人に目を行き届かせるというようなことはおそらくなくて、毎日の授業をこなすだけであったろうと思います。4年生になってやっと50人クラスの一部授業になったのではないかと思います。

 

今思い出すと、先生はよく家庭訪問をしていたように思います。約束なくぷらっと。それが特別扱いではなく、どの子の家にも行っておられたようでした。卒業後大人になってからわかったことでしたが、クラスの中に在日コリアン(男子)がおられたようでしたが、日本名でしたので、私たち子供も父兄も全く知らずにいました。そのことを知ってから、そういえばと思いだしたことでは、先生がその子によく教室内で「上目遣いに人を見るな」と言っておられたのを思い出しました。彼は大人になってからその時のクラスのクラス会をやろうと奔走したり、先生とは全て意思が通じているようでしたので、卒業後も先生と交流があったのではないかと思います。先生の注意はおそらく、卑屈にならずに、堂々と生きろというエールではなかったかと思います。

 

先生は大学卒業したての先生でしたから、新しい民主主義教育を良い方向で実践していこうとしておられたのではないかと思います。同学年には5クラスありましたが、私の印象では、あともう一人の女の先生が同じような雰囲気を持っておられたと思います。ただ、暴れん坊の男の子たちは良く廊下に立たされ、まだビンタなど受けていたようでしたが、まだその時代には父兄も教師をとがめることはありませんでした。その暴れん坊グループも先生を慕っていましたので、良いこと悪いことの判断に納得が行っていたのかもしれません。今ではもちろん体罰に訴えるべきでなないと思います。

 

そうした雰囲気で過ごすことが出来ましたので、三谷さんの文章を読んで大変驚き、教師の質の低下を考えさせられました。その後、私は私立に行きましたので、やはりあまり問題を感じずにいました。

 

 

 最初にご意見を寄せて下さった男性は、わたしが書いたことに対して、改めて、次のように書き送って下さいました。

 

 

 我家は共稼ぎでした。妻は三交替勤務の看護婦でしたので、子供の学校行事には私が行く事も多くありました。子供の小学校では、長男の5・6年での担任の女先生が頼りなかったです。子供の事に余(あま)り関心がないように見られました。長女の5・6年の担任の先生は、私が教えていただいた様な(熱心な)女先生でした。長女が卒業した後も、学校へ勤務途路の先生にお会いすると、娘の事を色々聞いて下さったものです。

 

 世の中が豊かになり、何となく暮らして行けるようになって、一生懸命に生活していた頃の気持ちが 世の中の人々から失われてしまったのかも知れません。

 

 

☆  ☆

 

 わたしが使っているコンパクトな百科事典(マイペディア PC版)によると、哲学というのは「〈現実〉の整合的・体系的説明とその批判」だそうです。たとえば歴史で言えば「誰が行ったか」ということではなく、「なぜ、そうするのか」という疑問に答えようとする試みだと思います。わたしが行っている人類学や霊長類学と深く重なります。

 

 大阪大学の総長を務められた哲学者の鷲田清一さんは、お書きになる文章が分かりやすいことで有名です。その鷲田さんが最近書かれた岩波新書の『哲学の使い方』という本に気になることが書いてありました。病院でお医者さんが患者さんを診るのは臨床医学ですが、それと同様の意味で「臨床哲学:139~214ページ」ということをおっしゃるのです。つまり、哲学はあんまり難しい言葉を使いすぎていて専門家だけのものになっているが、それではいけない。たとえば、患者さんに対して病気やケガの状態を説明する時、専門家であるお医者さんは専門家でない患者さんに分かるように説明をしようとする。哲学者もそうあるべきだとおっしゃったのです。

 

 その通りだと思います。

 

 その意味で、ハンナ・アレントは、あまりにも考えたことを直接的に書きすぎていたのかもしれません。わたしも、『人間の条件』を読んでそのままでは「ひとはくブログ」に載せる感想にならないと思ったので、『人間の条件』の応用編として、教育の問題に強い関心をお持ちの小玉重夫さんがお書きになった『難民と市民の間で』を取り上げて、自分の理解できなかった点を補おうとしました。

 

 アレントの考えたことは教育の問題だけではなく、今、世界中で問題になっている「富裕層による経済支配」や「剥き出しの暴力」、あるいは「隠された暴力」と「(経済的な、さらに民族間の)格差」にも関係があります。アレントの立場で哲学を見直すと、哲学は数学に似ています。論理の積み重ねが大事なのです。ただ数学はどなたが解いても同じ答えが出るはずです――もちろん現実には違います。でないと、数学者は議論をすることが目的であるはずの「論文」は書けません――が、哲学は立場によって回答が違います。いろいろな前提があるということでしょうか。

 

 わたしたちの周りには、建前ではない、言ってみれば「皮膚感覚」で感じるヒリヒリとした問題があります。これを子どものように突きつめて考えるのが哲学です。建前ではとっくに解決したはずなのだが、「皮膚感覚」では、とても解決しているように思えない。心のどこかですっきりしないものを感じるのです。ひょっとしたら、わざと解決しないだけかもしれません。それを、ぐずる子どものように言い立ててみても始まらない。暴き立てないで、そっとしておくことが「大人の智恵」というものかもしれません。しかし、ここまで考えてみても、やはり心は静まらないのです。

 

 わたしは最初、人はなぜ、生まれたところを捨てて、未知の土地に出て行くのかが知りたくて『人間の条件』を読みました。ユダヤ系ドイツ人のアレントが、故郷を捨ててアメリカに亡命したからです。『人間の条件』を読んだのはまた、昔、わたしの周りにいた一人ひとりの子どもたちに共感を覚えたからでもありました。わたし自身が、そんな子どものひとりでした。

 

 わたしは長くアフリカを旅して廻りました。その時強く感じたのは、「人の生き方は、どこまで行っても同じだ」という単純な事実でした。考えてみれば当たり前です。でも未知への恐怖や、場合によっては憧れから、別の大陸に行けば別の生き方があるかもしれない。そう思ったことはないでしょうか? それが行ってみると、別の大陸にも「わたしと同じ人」がいた。家族を愛し、子どもの成長を喜び、やがていつか死ぬことを悟る。しかし、その「わたしと同じ人」が、たとえば「イスラム国」では剥き出しの暴力に走る。自分の身を振り返った時、それがなぜなのだろうと心の底から感じるのです。自分も暴力をふるい、またふるわれるということです。恐ろしくてなりません。

 

☆  ☆

 

 鷲田清一さんは『哲学の使い方』の終章「哲学という広場」に、誰もが疑問に思っているのに、表立っては聞けないことの例をまとめていらっしゃいます(226ページ)。カッコ書きは、読みやすいように三谷が入れました。

 

◎「サステイナビリティ」という思考は、人類が育んできた思考のうちの何をサステインし(=維持し、持続し、支持し、承認し、あるいは確認し)、何を捨て去るのかの最終的な選択を明示していない。

◎(さまざまなものの存在を認める)「多様性」の論理は、なぜ人格に限っては統合をいい、逆に多重人格については病理とするのか、その帰趨(きすう)を突きつめていない。

◎「安全・安心」の追求は(「防犯カメラ」の設置のように)必然的に監視社会を招来することを見ようとしない。

◎「コミュニティ」の称揚(しょうよう)は、かつて人びとが、ある理念や情念を共有することで成り立つコミュニティから脱出するところにこそ「自由」を見たことを、明確に総括することを避けている。

◎「公共性」や(インターネットを含めた)「情報公開」は、根拠を突きつめることなく、その言説の知政学的意味を問いつめることなく流通し、唱和されている。

 

 

 

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして63

 

ハンナ・アレントの『人間の条件』考-2

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

 Hannah Arendt_Biography_FP.jpeg

 ハンナ・アレントの伝記

 〈子ども〉という存在は「小さな大人」ではありません。〈子ども〉は、異文化に生きる、大人とは異なる存在です。わたしたちはそのことを、フランスの歴史学者フィリップ・アリエスの『〈子供〉の誕生』という本で知りました。つまり、「異文化に生きる子ども」は決して支配するべき存在ではなく、教え、導きながらも、「異文化に生きる人」として尊重する必要があるという事です。

 

 「異文化に生きる子ども」の尊重は、よく言われる「子どもを導くことの放棄」ではありません。大人には(教師には、親や家族には、地域コミュニティを構成する大人たちには)、子どもにいつか受け継いでもらわねばならない価値観を、責任を持って示す必要があります。その責任を自覚しなければいけません。

 

 「国民国家」は形を変えて、「福祉国家」と呼ばれるようになります。その「福祉国家」は、さらに形を変えて、今では「ポスト福祉国家段階」に入ったと言われているそうです(『難民と市民の間で』:160ページ)。このあたり、わたしは教育現場に詳しくないので、実感としてはわからないのですが、学校を「監獄」のようなものと捉(とら)えたミッシェル・フーコーの視点から、イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンの言う「難民収容所」として捉(とら)える必要があるということのようです。

 

 どういうことかというと、「監獄」に捕らえられた囚人は更正して社会に復帰することが可能だが、「難民収容所」の難民は、見捨てられ、いつかは「忘却の穴」に捕まる。そして最初からいなかったことにされる。学校は「すべてではないにしても、ある意味において、見捨てられた状況に子どもがおかれるスクールカーストに象徴されるように、アガンペンが描いたような難民収容所化していく側面がある」(『難民と市民の間で』:160ページ)。

 

......このように冷静に分析されると、息を呑みます。思わず言葉を失います。

 

 それほど強いストレスにさらされたら、「異文化に生きる子ども」でなくとも、大人でさえ引きこもるには十分です。アレントが『人間の条件』を考えた時代は今とは異なりますが、わたしたちの周りを見ると、ヒトラーとナチズムに追いかけられ、亡命をし、難民として「忘却の穴」に捕まったアレントの時代と今が、それほど違うとは思えなくなります。

 

☆   ☆

 

 アレントが『人間の条件』で試みたことは、「私たちが行っていること」を問い直すことです。そこでアレントは「私たちが行っていること」を「労働」「仕事」「活動」の三つに分けました。『人間の条件』:19ページから20ページからの引用です。少し長くなりますので、わたしが要点だと思った文章だけを引用します。

  

 労働 laber とは、人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力である。人間の肉体が自然の成長し、新陳代謝を行い、そして最後には朽ちてしまうこの過程は、労働によって生命過程の中で生みだされ消費される生活の必要物に拘束されている。そこで、労働の人間的条件は生命それ自体である。

 

 仕事 work とは、人間存在の非自然性に対応する活動力である。(中略)仕事は、すべての自然環境と際立って異なる物の「人工的」世界を作り出す。(以下、省略)

 

 活動 action とは、物あるいは事柄の介入なしに直接人と人との間で行われる唯一の活動力であり、複数性 plurality という人間の条件、すなわち、地球上に生き世界に住むのが一人の人間 man ではなく、複数の人間 men であるという事実に対応している。確かに人間の条件のすべての側面が多少とも政治に係わってはいる。しかしこの複数性こそ、全政治生活の条件であり、その必要性であるばかりか、最大の条件である。

 

 アレントが言ったことを、わたしなりに解釈してみます。

 

 「労働」は人間の生物学的側面に重点を置いています。つまり、息を吸ったり食物を食べたりといった、生物学的なヒトとして必ず行わなければならない行為です。なぜ、人間の生物学的側面が「労働」という言葉で表されているのか、わたしには、よくわかりませんが、いずれにせよ、命ある存在は誰でも、寿命を全(まっと)うし、そして必ず死ぬという人間の基本的な条件です。

 

 「仕事」は自然や環境への人間の働きかけのことです。仕事の基本は手仕事から始まります。家でする作業であるか、職人の仕事であるかを問わず、何かを作り出します。作り出した品物の一部は市場(しじょう)によって「商品」となります。「商品」を公正に測るためには物差(ものさ)しが必要ですし、「商品」の抽象的な価値を定めるためには「貨幣(かへい)」が必要です。それに加えて、芸術家の「仕事」もあります。もともと芸術は、呪術や神話、「狂気」から作り出されましたが、今では「商品」として市場(しじょう)で交換されることがあります。

 

 このような「労働」や「仕事」は、一人の人間が世界とどのように向きあうかの問題です。つまり「労働」では自然の存在として、「仕事」では人工的に作り出す「工作物」の質が問題です。そしてアレントは、これらより、人間にはもっと重要な行為があると言います。それが「活動」です。

 

 「活動」では人と人の対話が基本になります。コミュニケーションが成立しているかどうかが大切なのです。古代ギリシャの例をひいたアレントは、とくに「政治的活動」を「活動」の中心にすえます。このことを現代風に言い直せば、「活動」とは「多くの人がいるコミュニティで社会活動に励む」といったところでしょうか? 「多くの人」とは、個性を持たない「不特定多数の人」のことではありません。一人ひとりが異なった、多様な意見を抱(いだ)いた多くの人びとのことです。多様な人びとだからこそ、対話が重要なのです。

 

 わたしたちの周りでは、実にさまざまな異論に出くわします。そして、そのほとんどが、(少なくともわたしには)最初は理解できません。なぜ、そんなことを言うのか、実感が湧かないのです。しかし、その多様な意見をよく聞いてみると、急に実感できることがあります。よく聞くことで、その人の生きてきた時代や生活する社会の背景を知ることができるからです。また自分とは認知の仕方が異なる、例えば、ろうや盲の人であれば、具体的な認知の異なり方を知ることで、その独特の意見が実感できるようになります。多様な意見は多様な原因から生みだされます。言うならば、それは「必然」なのです。それを知ってなお無視することは愚かです。その愚かさをこそ、知るべきです。

 

 アレントの言い方とは違いますが、彼女の言葉をわたしなりに意訳し直せば、以上のようになります。

 

 アレントは、現代では「活動」が廃れて、人びとが対話をしなくなった。その結果「仕事」だけが残った。しかし、これは人間本来の生活ではないと考えました。人間が人間であるためには政治家のように忙しいだけではだめで、哲学者のような静かな思考が必要だと言うのです。確かに政治家をはじめとする実務家には余裕がありません。もう少し哲学的な思索が必要です。ただし、静かに考えているだけでは社会が廻らないというのも事実です。現代という時代に生きる人びとが哲学者(や黙考する人びと)を軽く扱いすぎていることは恥じるべきですが、同時に実務家の存在も重要です。その時、誰も彼もが物事を考えず、『イェルサレムのアイヒマン』のように真面目に、淡たんと「仕事」をしていたとして、それが必ずしも人びとに幸福をもたらさない。そのことも、心して知っておくべきです。

 

☆   ☆

 

 科学者として人間の行動に興味があるわたしの立ち場で、アレントの言ったことを、もう少し突っ込んで判断してみます。まず、アレントが「労働」と呼んだ行為についてです。人も地球の上で動物から進化したのですから、ヒトの側面を持つことは当然です。人間は他者の心はわからない。ただ類推するしかない。我われに、いわゆる「超能力」などはないのです。その時、たまたま類推のじょうずな人が「空気の読める人」であり、苦手な人が「空気が読めない人」と見なされる。しかし、本当は誰も他者の心は読めないのです。その意味で、人は誰でも五十歩百歩です。「空気の読める人」の類推した「他者の心」だと信じるものは、実際に他者が思っていることとは異なるかもしれないからです。

 

 わたしにとっては「仕事」と「活動」が、なぜアレントのように二分されるのか、本当のところはわからないままでした。「仕事」とは社会で行われる基本的な行為です。社会で行われるのですから、必然的に、自分以外の他者と交渉を持たなければなりません。そこでは必ず、コミュニケーションが付いて回ります。昔の職人は寡黙(かもく)でしたが、うまくはないにせよ、コミュニケーションなしに「仕事」が成立したとは思えません。先ほど現代的な「活動」を「多くの人がいるコミュニティで社会活動に励む」ことと言い直してみましたが、現代の市場経済社会では、「仕事」には必ずお金が絡むだけで、「市場経済社会」という足かせを取っ払ってみれば、「仕事」も「社会活動」も、人が人とコミュニケートすることには、何も変わりはありません。

 

 これは「アレントへの反論」ではなく「多様な見方のひとつ」です。

 

☆   ☆

 

 アレントの『人間の条件』は、ナチズムの時代を生きたユダヤ人の「歴史に裏打ちされた哲学」という意味で、共感できる点が数多くありました。しかし、古代ギリシャの人びとの考え方や、ヨーロッパの歴史感覚にはなじめないものも感じました。

 

 その上で、わたしが疑問に思ったのは、次のふたつです。

 

 ひとつは、アレントは古代ギリシャの自由市民の考え方を理想において「公的領域」(≒「公共空間」)を考えました。では、そこに欠けている奴隷の考え方――「奴隷」という立ち場におかれた人びとの考え方、感じ方は『人間の条件』のどこにも書いてありませんでした――は考慮しなくてよいのかということです。

 

 これは、わたしでなくても、現在の価値観を身に付けた常識のある人なら、けっして「考慮しなくてよい」とは言いません。アレントも常識人です。ただ「哲学」という「言葉にこだわる学問」を研(みが)いた人です。「奴隷の考え方が明確に理解できる記録がないから、言及しなかった」ということかもしれません。しかし、わたしには疑問に思えました。

 

 ふたつ目はアレントや『難民と市民の間で』を書いた小玉重夫さんやフーコーが、あたかも、かつての帝国主義国家が人格を持っているかのように国民の「私的領域」、つまり「プライベートな事柄」に踏み込み、「産めよ、増やせよ」と軍国主義をあおったと読める記述があったことです。「国民」はまだしも、抽象的概念である「国家」は物事を判断できません。「国家」に人格はないのです。だとすれば、「国家」に代わって「産めよ、増やせよ」とあおった誰かがいるはずです。それは誰だったのでしょうか?

 

 王さまでしょうか? それとも、その時代の政治や軍の実権を握っていた誰かでしょうか? このことを考えていて、わたしは、ある考えに思い至りました。それは、またしても「同調圧力」でした。人格を持った個人は、王さまや実権を握っていた誰かも含めて、悪人ではなかったのかもしれない。しかし、その人たちが集団となり、個人の感覚や感情ではなく、考える行為を放棄したときに生まれたのが「同調圧力」だったとすればどうでしょうか。その「同調圧力」で、「産めよ、増やせよ」とあおったのかもしれない。『イェルサレムのアイヒマン』の中で、アレントはアイヒマンのことを、疑問も持たず、ただ与えられた職務をこなした「凡庸な役人」と呼んでいたことを思い出しました。

 

 

 

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして62

 

ハンナ・アレントの『人間の条件』考-1

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

Hannah Arendt_illust.jpgハンナ・アレント(wikipedia より引用)

 

 子どもたちの世界には、〈スクール・カースト〉と呼ばれる現実があるそうです。クラスの中に身分制のような序列がある。そのカーストにいったん捕まると、抜け出せない子どもがいる。下のカーストにされた子どもは〈引きこもり〉、やがてクラスのみんなはその子がいた事も忘れてしまう。まるで子どもの「難民化」です。

 

☆   ☆

 

 なぜ故郷を捨てて、危険を冒してまで見知らぬ土地に旅立つ人がいるのだろうかと、このところずっと考えていました。死ぬかもしれないのにです。などと書くと、わたしやわたしの家族がどこかに旅立ちたがっているかのようですが、そうではありません。このことを考えはじめたのは、昨年の冬に『ゾミア』を読んだからです。『ゾミア』によれば「遺伝子のつながった民族」などは後から為政者が作りあげた虚構にすぎず、実際は、遺伝的にはあまり関わりのない雑多な人たちが、「新しい民族」を創り、勢力を競ったといったことがよくあった。そのことを知ったことが始まりでした。

 

 『ゾミア』はイエール大学の人類学者:ジェームズ・C・スコットが書いた本です (1)。2009年にオリジナルが出て、2013年10月に日本語の翻訳版が出ました。「ゾミア」とは東南アジア大陸部の広大な丘陵地帯を指します。ベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ビルマ(=ミャンマー)と中国の4省(雲南、貴州、広州、四川)が含まれます。人びとは山の斜面に小さな村を作って住んでいます。中国の漢族やタイ、ビルマといった、水稲耕作が基本の大きな国家とは異なった倫理観や宗教を保(も)つ、言うならば、大きな国家からは独立した「自由な民族」です。

 

 わたしたちの周りにも多くの異民族が混じり合い、ひとつのコミュニティで同居しています。日本列島のなかでも、昔からさまざまな人たちが混住した歴史があります。多様な文化が花開き、さまざまな言葉が話されました。中には権力者による移住もありましたが、経済的な理由や、ことによったら冒険心から故郷を離れ、移住し、混住したコミュニティもあったと思います。それは一種の「聖域」とか「自由領域」に当たるのでしょうか。つまり統治権の及ばない「アジール」です。

 

 新しい集団が生まれるには人と人の出合いが必要です。その出合いのためには、出会うまでの間、さまよわなければなりません。では人は、どんな時に故郷を離れる決心をするのでしょうか。そのことを確かめようと、ハンナ・アレントの『人間の条件』(2) を読んでみました。ただし、アレントは哲学者であり、『人間の条件』はアレントの哲学的な思考の結果です。わたしがそのまま読むのは難しい。そこで、アレントの思想を長く研究してこられた矢野久美子さんの『ハンナ・アーレント』(3) をあらかじめ読んで下準備をし、『人間の条件』を読んだ後、さらに教育哲学者の小玉重夫さんが書いた『難民と市民の間で』(4) を読んで、わからなかったところを補おうとしました。

 

☆   ☆

 

 ハンナ・アレントの『イェルサレムのアイヒマン』(5) のことは、たしか開高 健のルポルタージュ (6) で知っていました。記憶はおぼろげですが、開高もアレント同様に、アウシュビッツでユダヤ人殺害を命じたアイヒマンを、「凡庸な役人」と評していたように思います。

 

 『イェルサレムのアイヒマン』は『人間の条件』の後に書かれています。この本の主張は、「アイヒマンはナチズムへの盲信によってユダヤ人を殺害した冷酷な人物」という世論に反し、「どこにでもいる、凡庸な役人のひとりであった」というものでした。この主張からアレントには大変な非難が巻き起こり、彼女はユダヤ人の友人を次つぎに失ったということです。

 

 アレントはドイツで生まれました。ユダヤ人でしたがユダヤ教徒ではなく、両親は社会民主主義者だったそうです。

 

 学生時代は、すでに家族を持っていた大学教員マルティン・ハイデガーと恋仲になりました。しかし、ハイデガーはナチに優遇され、大学の総長にまで登りつめます。一方のアレントは大学を去り、同じユダヤ人の哲学者カール・ヤスパースに指導を受けて博士論文を執筆しています。そのヤスパースもユダヤ人であったために大学を追われてしまいました。アレントもドイツを追われ、フランスのパリに亡命したのです。「ドイツで大学教授たちのナチへの同調を目の当たりにした彼女は、二度とこうした『グロテスクな』世界とかかわるまいと考え」たそうです(『ハンナ・アーレント』:51ページ)。

 

 ところがフランスはドイツに宣戦布告し、ドイツから亡命したアレントたちは、ユダヤ人であるかどうかの区別なく「敵性外国人」として強制収容所に入れられます。アレントはこの収容所体験をあまり詳しくは語っていないそうですが、劣悪な環境だったことは間違いありません。この収容所体験の後、収容所を逃げ出したアレントたちは、アメリカに亡命します。大著『全体主義の起原』(7) やこのコラムで取り上げる『人間の条件』、先に述べた『イェルサレムのアイヒマン』などを刊行するはアメリカでのことです。

 

 『人間の条件』を読むときのキーワードに、「国民国家」「公共空間」「忘却の穴」といった言葉があります。

 

 現代では「国民国家」でない国を想像できないという人が多いのかもしれません。「国民国家」とは「国家」の構成員は「国民」であるような国家のことです。暗黙の了解として、「国民」は「同じ文化を担う民族」(拝外主義的な主張では「単一民族」)であるという前提があります。近代になってヨーロッパで起こった考え方だそうです。もちろん日本でも、例えば在日朝鮮人や在日台湾人(中国人)といった人たちはコミュニティの構成員、つまり納税をしている市民ですが、日本国籍の持たない人はよくいます。またアイヌ民族や琉球民族は日本国籍をお持ちですが、同調圧力が極端に高い日本では、まるで独自の言葉や文化を持たない「日本民族」のように扱われています。

 

 「公共空間」は『人間の条件』では「私的領域」と対比して、「公的領域」という言葉で表されます(『人間の条件』の43ページから132ページ)。もともとは古代ギリシャのソクラテスやプラトンの時代にさかのぼる考え方で、市民一人ひとりが議論をとおして社会正義を実現するといったことです。現代の「公共空間」は、本当は学校制度にこそ求められるべき(『難民と市民の間で』:43ページ)ですが、今、日本の学校は「公共空間」からもっとも遠い場所になってしまいました。「スクール・カースト」や「引きこもり」といったことに関連して、このことは後でもう一度触れます。

 

 そして「忘却の穴」です。このキーワードは『人間の条件』ではなく、『全体主義の起原』で出された概念です(『難民と市民の間で』:22ページ)。しかし、『人間の条件』を深く読むためには必要です。もともとはアウシュビッツなどで殺されたユダヤ人が、まるで最初からいなかったかのように歴史から消されてしまった事実を指します。収容者の名簿や記録から抹消され、個人の持ち物は焼き払われたのです。当然、収容所管理者は「ユダヤ人がいた」ことは知っていたはずですが、「ユダヤ人はいなかった」という暗黙の同調圧力が働いて、「記憶にないふりをしていた」ということです。このことも、現代の教育問題に関連して、後でもう一度触れます。

 

☆   ☆

 

 アレントは、「公的領域」、つまり「公共空間」がなくなり、民族性や性差、年齢といった個別の属性が見えなくなったら、さまざまな属性や個性をもって議論しあうことがなくなるという意味のことを述べました。それなら個人の差異を表す方法はなくなったのかと言えば、そうではなくて、「単一の価値尺度」(例えば「偏差値」や「収入」)がそれに代わったと小玉さんは解釈しています(『難民と市民の間で』:136ページ~138ページ、『人間の条件』:65ページ)。

 

 そもそも、なぜ近代の帝国主義的な「国民国家」では、「公的領域」で大切だったはずの個人の独自性が軽んじられたのでしょうか。わたしはそれを「水稲栽培の労働習慣」、つまり「コミュニティの構成員は皆、共同で労働しなければ水田耕作はなり立たない」からだと思っていました。しかし、ヨーロッパにアジアのような水田はありません。別の理由あるはずです。それは何でしょう?

 

 『難民と市民の間で』の143ページに、フランスの哲学者ミッシェル・フーコーが近代の権力は個人の「私的領域」(=プライベートな事柄)に介入し、それまでは公に口にすることがはばかられた「子作り」を問題にしはじめたと述べたそうです。わたしは思わずヒザを打ちました。ようやく合点がいきました。「富国強兵」や「殖産興業」が「国家の意思」として国民に要求され、「産めよ、増やせよ」とせき立てられる。軍隊を強くするためです。その影響は子どもに及び、元来、「公的領域」は個性の尊重がなされて当たり前なのに、個人の独自性は無視され、横並びの「単一の価値尺度」が横行するようになりました。日本では農家には「水稲栽培の労働習慣」があった上に、海外から「富国強兵」の外圧が掛かった。これが「同調圧力」というものの正体ではないのでしょうか?

 

 元来、「子ども」は「小さな大人」ではなく、〈子ども〉という異文化に生きる固有の存在です。そのことをわたしたちは、フランスの歴史学者フィリップ・アリエスの『〈子供〉の誕生』(8) という本で知りました。「異文化に生きる子ども」とは、決して支配する存在ではなく、教え、導きながらも、「異文化に生きる人」として尊重するべきだという事です。

 

 『難民と市民の間で』には、「『忘却の穴』に落ち込む子どもの難民化」ということが述べてありました(154ページから161ページ)。今は社会全体に「同調圧力」が強いのだが、その中でも特に「同調圧力」の強い学校組織では、「空気が読めない」という理由で「スクール・カースト」の下位に追いやられた子どもは、子どもや教師の輪に入れてもらえず(=はいらせず)、引きこもり、やがてクラス一人ひとりの記憶から消えていく。まさに「『忘却の穴』に落ち込む子どもの難民化」です。

 

 次に続きます。

--------------------------------------

(1) お隣の山地民『ゾミア――脱国家の世界史』書評-1, 2
http://www.hitohaku.jp/blog/2014/01/post_1822/
http://www.hitohaku.jp/blog/2014/01/post_1823/

(2) 『人間の条件』(ちくま学芸文庫)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480081568/

The Human Condition_FP.jpg

(3) 『ハンナ・アーレンと』(中公新書)
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2014/03/102257.html

(4) 『難民と市民の間で』(現代書館)
http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN978-4-7684-1002-8.htm

(5) 『イェルサレムのアイヒマン』(みすず書房)
http://www.msz.co.jp/book/detail/02009.html

(6) 『声の狩人』(電子版が出ていました)

(7) 『全体主義の起原』1,2
http://www.msz.co.jp/book/detail/02018.html
http://www.msz.co.jp/book/detail/02019.html

(8) 『〈子供〉の誕生  アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』
http://www.msz.co.jp/book/detail/01832.html


 

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして61

インクルーシブ。 ん? 何のこと?-2

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

 

 2014年12月7日の日曜日に、ひとはくの博物館セミナー「むすぶ、ひらく、ユニバーサルなこと」を開きました。「障がい者と社会のあり方」について、皆で本音をぶつけてみようというのが、このセミナーの主旨です。セミナー参加者には、あらかじめ要求を出していただき、それに応えながら、よいセミナーを作り上げていく。まるで"インクルーシブ・セミナー"です。

 

☆   ☆

 

 セミナーを準備する前に、ある参加者から「三谷さんの書いた原稿の意味が、今ひとつ判(わか)らないのだが、それを説明して欲しい」と注文を受けていました。わたしが「ユニバーサル・ミュージアムをめざして」の57 (1) と58 (2) に書いた、「誰が美しいと決めるのか?」の事です。こうおっしゃるのも無理はありません。その方は高次脳機能障がいの一種で、ろうに似た聴覚失認という症状あり、カタカナや、ひらがなばかりだと意味が取れないという症状もお持ちだからでした。この原稿で使った大事な言葉は「バリアフリー・デザイン」、「ユニバーサル・デザイン」、「インクルーシブ・デザイン」の三つです。三つとも、そろって外来語です。読んでもカタカナばかりで、さっぱり意味がわかりません。

 

 その上「誰が美しいと決めるのか?」の文章では、「ユニバーサル・デザイン」と「インクルーシブ・デザイン」の二つに、どんな違いがあるかがわかっていないと、議論できません。ところで、わたし自身、かつてはそんな言葉が区別できなくて困ったことがありました (3) 。そこで、今回のセミナー「むすぶ、ひらく、ユニバーサルなこと」ではこの三つを取り上げ、わたしなりの解説を試み、自由に議論していただこうと思ったのです。

 

 聴覚失認の方というと、「聞いてもわからない」、「頭の中から言葉が消えてしまった人だ」と誤解している方が、よくいらっしゃいます。わたしも似た経験があるので強調しておきます。頭の中から「言葉」が消えてしまうことは決してありません。そうではなくて、言葉を形作る音が、まるで風や波、洗濯機のモーターが廻る音と同じように聞こえてしまい、意味をなさないのです。しかし認識は、しっかり保っていらっしゃいます。

 

 そうした人と会話をする時には、「要約筆記(ようやく・ひっき)」という技術があります。喋った言葉を、そのまま文字に直していくのは「口述筆記(こうじゅつ・ひっき)」ですが、それだと書き手が疲れます。いつ喋り始めるかわからないので、息も抜けません。その上、何から何まで記録したのでは、読む聴覚失認者にとっては情報が多すぎて、頭がパンクしてしまうのです。そこで、要点だけを書いて行く「要約筆記(ようやく・ひっき)」が生まれました。

 

 ただ「要約筆記」をするのには技術が必要です。講演会などでは、ろう者や聴覚失認者のために、手話通訳者と共に要約筆記者が活躍しますが、よい要約筆記者であるためには練習が必要なのです。でも要は慣れだという事にしておきます。わたしに立派な「要約筆記」はできませんが、今回のセミナーでは、白紙を大量に持ち込むことにしました。この白紙に喋ったことの要点を書いて、参加者にお示しすることにしたのです。――実際は、わたしがヨチヨチと左手で書くのを見かねた別のセミナー参加者の方が、筆記を引き受けて下さいました。セミナーが終わってから、書いた紙はコピーを取って、皆で一部ずつお持ち帰りいただきました。筆記を引き受けて下さった○○さん、ありがとうございました。

 

☆   ☆

 

 今回のセミナー「むすぶ、ひらく、ユニバーサルなこと」では、「バリアフリー・デザイン」、「ユニバーサル・デザイン」、「インクルーシブ・デザイン」の違いについて、わたしなりに説明をしてみました。こうすれば、ひとはくブログ「誰が美しいと決めるのか?」も、どうしてそう書いたのか、意味がわかってもらえるのではないかと考えたのです。

 

seminar_01.GIF

 

 まず「バリアフリー・デザイン」からです。

 

seminar_02.GIF

 

 バリアとは「障壁(しょうへき)」のことです。生活をする上で、いろいろ障壁になることがある。その障壁、つまりバリアを取り除けば、困っている人が生活しやすくなる。具体的には、視覚障がい者の進路をガイドする黄色の点字ブロックや、車イス利用者のために階段をスロープにするといったことが当たると思います。

 

 しかし、困難が困難だと認識されない人にとってはどうでしょう? 解決が技術的に難しいとか、お金がかかりすぎる場合です。困難が「困難である」と認識できないのならば、当然のことながらバリアを取り除く努力はされません。多数者が無知であっても起こります。例えば宗教上の理由で学校に通うことのできなかった(=母語以外の言葉はしゃべれない)人が、突然、異民族の中に投げ込まれたとしましょう。そんな人が近所に住んでいても、多くの人は(=その人にとって異民族のコミュニティでは)どう対処したらいいかわからないでしょう。「難民」には、そんな人が現にいます。

 

 「バリアフリー・デザイン」に対して、わたしが抱くイメージを図に表すと、次のようになります。

 
seminar_05.GIF

 

 バリアフリー、つまり、バリアから自由になる人が一部にいるのに、同じ社会に暮らしながら、バリアが無くならない人もいる。これは理不尽です。なくさなければ、ご近所として平穏には暮らせません。それなら「バリアフリー・デザイン」は止めて、最初から、もっと多様な人が住む生活を想定したらどうでしょう? この方が居心地はいいでしょう。それが「ユニバーサル・デザイン」です。

 
seminar_03.GIF

 

 「できるだけ多くの人が利用可能であるように製品、建物、空間をデザインすること」が、「ユニバーサル・デザイン」に根ざした社会のあり方です。障がいがある人やない人、年齢、性別、民族や母語、人種にかかわらず、さまざまな人が、いっしょに生活できるようにしようという考え方です。「ユニバーサル・デザイン」なら、「バリアフリー・デザイン」のように、困難があっても無視されるということは、(建前上は)無くなります。

 

 都道府県や市町村、あるいは公(おおやけ)の施設では、「ユニバーサル・デザイン」の考え方を採り入れている所が多くあります。この考え方なら、知らない内に人を差別する畏(おそ)れはなくなります。そもそも、そのような地方自治体や公(おおやけ)の施設で働いている全ての人が、「人権」を理解しているかと言えば、そんなことはありません。当然、ルールを無視する人もいるのです。そこで、「ユニバーサル・デザイン」の考え方をマニュアルにして、考え方は理解できなくても、「こんな場合は、こうしましょう」と、例をあげておく事がよくあります。マニュアルがあれば、「なぜそうするのかは理解できなくても、取りあえず、そうしておく」事が可能になるからです。

 

 実際には、マニュアルに忠実に従っていたとしても、本質を理解していないために、バリアがバリアのまま残される――それでもマニュアルには従っているのだから、設置者の責任ではない!――事がよくあります。例えば階段の手前で「危険、注意!」の点字ブロックはあるのだが、点字ブロックと階段の手すりが遠くに離れすぎているために、視覚障がい者の手が手すりに届かなくて、実質的に「注意!」は用をなさないといったことがあります。また車イスを使えば自力で上り・下りできるはずのスロープが、上半身にマヒがあるために力が足らず、現実には上り・下りできなかったり――中でも下りるのは恐い――と言ったことは、しょっちゅう、驚くほど身近で起きています。

 

 つまり、「よくできたマニュアル」があり、それに従っていたとしても、「実際に使う人の意見は、何も聞いていない」という愚かな事が起こっているのです。言いかえると、「ユニバーサル・デザイン」とは、具体的な生活者ではなく、どこにもいない「人というもの」=「抽象的、観念的、非現実的な人」を対象に組み立てた、仮想空間にある「仮の図面」に沿った建物や社会だと言えるのかもしれません。きつい言い方かもしれませんが、これは現実に起こっている事です。

 

 「ユニバーサル・デザイン」に対して、わたしが抱くイメージを図に表すと、次のようになります。

 

seminar_06.GIF

 

 非現実的な、目の前にいない人を想定して作る「ユニバーサル・デザイン」は重大な欠陥があるのですから、別のデザインを考えましょう。計画の作り始めから困難を抱えた人が参加する「インクルーシブ・デザイン」はどうでしょうか。

 

seminar_04.GIF

 

 「インクルーシブ・デザイン」では、作り始めから高齢者や障がい者など、いろいろな立場の人が、その人なりの要求を出し、デザイナーといっしょになって、その要求を実現するように計画します。その人が美しい、使いたい、行ってみたいと思うようなデザインを創造していくのです。「美しいはずだ」とか、「使いたいはずだ」、あるいは「行ってみたいはずだ」というのではなく、「当事者がデザイナーといっしょになって社会を創る」という考え方です。協働(きょうどう)という言葉がありますが、それに近いのかもしれません。ただ、あくまで具体的に困っている A さんや B さんと、デザイナーの a さんや b さんが共同で創り出す、具体的な「美しい」もの、「使いたい」もの、「行ってみたい」ところという意味です。

 

 「インクルーシブ・デザイン」(4) に対して、わたしが抱くイメージを図に表すと、次のようになります。

 

seminar_07.GIF

 

 「インクルーシブ・デザイン」には、丁寧(ていねい)な共同作業が必要です。当事者は、「困っている事の本質」をよく理解して主張しなければ、ただのワガママになってしまいます。またデザイナーも、自分のことではなくても(=実感ができなくても)「本当に困っている事の本質」は理解する必要があります。

 

 「インクルーシブ・デザイン」はいいことずくめのように思えます。しかし、現実に、社会の全てにわたって実現することは難しそうです。「ユニバーサル・デザイン」に比べて、何倍ものお金が必要ですし、マニュアルも、なかなか作れないでしょう。第一、あまりにも多くのデザイナーが必要です。しかも、デザイナーなら誰でも、敏感な人権感覚を持っているわけではありません。これは当たり前です。

 

 そのような中で、「インクルーシブ・デザイン」を実践しようと努力している場所があります――「できている」と言っているのではありませんよ。それは教育現場です。生涯学習施設でも努力している場所はあるのですが、ここでは学校教育を取り上げます。

 

seminar_09.GIF

 

 なぜ教育に「インクルーシブ・デザイン」なのでしょうか? それは公共財であり、社会的共通資本である「教育」という営みでは、一人ひとりの要求や才能、興味などを尊重しなければならないからです。そのために教育は、もともとインクルーシブ・デザインとは相性が良いのでしょう。「インクルーシブ教育」(5) という言葉もあります。

 

 教育の受け手――学校教育では生徒――の一人ひとりの要求を満たす教育では、担任はデザイナーに当たります。ひとりの先生がひとりの生徒を世話するのが理想でしょう。しかし、現実にはそうもいかないのです。それで副担任を置きます。授業や教室の運営を主にするのは担任ですが、一人ひとりの生徒が教育を受ける時、何かに困っていると、副担任がそれに応じた補助をします。地域によって、またクラスによっても違うのでしょうが、副担任が複数いる場合もあります。繰り上げ算ができなかったり、漢字が書けなかったりする生徒に合わせた教え方をしてくれますし、突然、海外から来た生徒には言葉の面倒もみてくれます。簡単な挨拶は、ハングルや北京語、広東語、南米のスペイン語やポルトガル語、フィリピンのタガログ語といった、生徒の母語に合わせた言葉を使ってくれる公立学校があるそうです。

 

 生活する上での困難、特に「障がい」の考え方は大きく変わりつつあります。新しい「障碍観(しょうがい・かん)」では、〈医療モデル〉から〈社会モデル〉に移行しつつあります。〈医療モデル〉では、「障がい」はケガや病気といった「治すべきもの」でしたが、〈社会モデル〉では、いびつな社会の仕組みが「障がい」を新しく作り出していると考えます。「健常者」という抽象的、観念的、非現実的な「ひと像」を持ち続けるより、現実的で多様な人を目の前にして、具体的な対処法を考える方がよい。わたしは、それが〈社会モデル〉だと解釈しています。

 

 「コミュニケーション障がい者にわかりやすい文章とは?」ということを考えて、この話題を終わりにします。

 

seminar_10.GIF

 

 この図は、IFLA(国際図書館連盟)という組織が本や文章を読みにくい人のためにまとめた、「読みやすい図書」の対象となる人びとを表す図です (6) 。円がだいたいの対象グループを表し、四角形は読みやすい図書を示しています。この図と具体的な「インクルーシブ・デザイン」との関係は、わたしにも、まだよくわかりません。さまざまな人の読みにくさを同時に満たす文章の書き方を工夫しているのですから、ひょっとすると、これは「ユニバーサル・デザイン」の試みなのでしょうか?

 

 「バリアフリー・デザイン」、「ユニバーサル・デザイン」、「インクルーシブ・デザイン」のそれぞれに欠点はあります。大切な事は他人の〈こころ〉を理解することですが、社会には大勢の多様な人が生活しています。一律に「他人の〈こころ〉」を理解しようと言っても、機嫌の悪い、理解する余裕のない時は誰にでもあるものです。必ずしも理解できるとはかぎりません。そこで、デザインが必要になるのです。

 

 人と人の触れあいにデザインを利用しようとする時は、「ユニバーサル・デザイン」とか「インクルーシブ・デザイン」とかといった言葉には囚(とら)われずに、誰も区別することなく、しかし丁寧に、対応する事が必要ではないでしょうか。

 
☆   ☆

 このようなセミナーでした。いかがだったでしょう? 全国の皆さん、感想をおよせ下さい。

 

-----------------------------------------------------------
 (1) 「誰が美しいと決めるのかー1」
http://www.hitohaku.jp/blog/2014/10/post_1923/

(2) 「誰が美しいと決めるのかー2」
http://www.hitohaku.jp/blog/2014/10/post_1924/

(3) 「ユニバーサル・ミュージアムをめざして4:ことばの整理」(2012年4月10日付けひとはくブログ)
http://www.hitohaku.jp/blog_old/2012/04/post_1498/

(4) たんぽぽの家が出した「インクルーシブデザインの手法によるユーザー参加型デザインの仕組みづくりに関する調査研究」という報告書:
http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/cyousajigyou/jiritsushien_project/seika/research_09/dl/result/08-07a.pdf
の21ページから57ページには、
具体的な制作の過程が載っていて、よくわかります。

(5) 「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)概要」(文部科学省)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/044/attach/1321668.htm

(6) 三谷雅純 (2013)  「生涯学習施設は言葉やコミュニケーションに障がいを持つ人とどう向き合うべきか : 総説」(人と自然 Humans and Nature 24: 33−44)
http://www.hitohaku.jp/publication/r-bulletin/No24_04.pdf
の図1(40ページ)にあります。


 

 

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

兵庫県立大学 自然・環境科学研究所

/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして60

インクルーシブ。 ん? 何のこと?-1

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

 

seminar 0 black_line.gif博物館セミナー「むすぶ、ひらく、ユニバーサルなこと」

 

 口(くち)では「誰にでも読みやすい文章」を書いたり、「誰にでも わかりやすい話し方」をすることは、とても大切なことだと言います。しかし、実際にやってみると、大変に難しいことが よくわかります。言葉は、時や場所がら、場合に応じて柔軟に使い分ける必要があるからです。具体的には、たとえば、いつ育ったかによって書く文章は変わりますし、使う話し言葉も変わります。おじいさんや、おばあさんに、子ども言葉で話したのでは相手を傷付けます。素直なおじいさん・おばあさんなら、怒り出すかもしれません。反対に小さい子どもに対して、おとなのように話しかけるのも変です。これは考えものです。

 

 同じように、自分とは違うコミュニケーション手段を使う人に対しては、自分と相手が共にわかる方法を探さなければなりません。たとえば、耳があまり聞こえない難聴者や聴覚失認者、ろう者には、話しかけるよりも、書いて意味を伝えることが大切です。また手や腕にマヒがある人は文字を書くことが苦手ですから、書きたくても、ゆっくりとしか書けません。わたしは右半身にマヒがありますが、字や絵が必要な時は左手を使って、それこそ、ヨチヨチと書き、また描くのです。わたしとの〈文字を介した対話〉では、テンポが遅いのは我慢(がまん)して いただかねばなりません。

 

 ひとはくの博物館セミナーで、わたしは「むすぶ、ひらく、ユニバーサルなこと」を企画してきました。ちょうど12月3日から9日までは障害者基本法によって障害者週間と定められています――12月9日が「障害者の日」です――し、国際連合で1992年に宣言された「国際障害者デー」が、毎年12月3日です。それに合わせて、このセミナーを企画したのです。「障がい者と社会のあり方」について、既存の考え方に縛られずに、皆で本音をぶつけてみようという意図があります。

 

 ところが、しばらく前から何とはなく皆さんの集まりが悪くなってきました。なぜかと考えて思い付いた理由が、この企画は飽きられてしまったかもしれないと言うものでした。それとも、ひとはくは公共の博物館ですから、「県の福祉施策を宣伝する場に利用しているのではないか」と誤解されたのかもしれません――わたしは本務が兵庫県立大学の教員ですから、「兵庫県はまったく関係がない」とは言いませんが、あくまで研究者であり、大学の教員です。行政職員のつもりはありません。とりあえずは、障がい者を含むヒトの多様性や社会の多様性を全面的に肯定してみる。そこから出発すると、世界はどう見え始めるのかが、わたしの発想の基本です。セミナーの企画にも、基本的に研究者の発想があるのです。ですから、場合によっては兵庫県行政の施策方針に反する主張もあるに違いありません。

 

 2014年の博物館セミナー「むすぶ、ひらく、ユニバーサルなこと」は、受講された方が少なかったので、最初は困ってしまいました。しかし、ある時、ふと気がつきました。

 

受講者が少なければ、その方の特別な要求に合わせたセミナーを創ってみたら、どうなるのだろう。

 

 さまざまな方が参加して下さるのなら、あまり特定の方ばかりの要求に合わせたセミナーはできません。極力、皆さんが満足できるように、セミナーのやり方を工夫しなければなりません。しかし、2014年度は人数が少ないのだから、セミナーのやり方を、特定の人に合わせることができます。よい考えに思えました。

 

 わたしは、このアイデアにワクワクしました。それって、つまり、インクルーシブ・デザインのやり方ではないのか? そう、まさにインクルーシブ・デザインです。受講者は、ただ座っている「お客さま」ではなく、その人なりの要求を出し、それに講師(=三谷)が応えて、セミナーを創り出す。その中から新しいものが生まれる。そういうことかもしれません。一回ごとに、個別のセミナーを創っていくのです。

 

 そのようなセミナーを創り出すためには、あらかじめ受講者の困難さを、よく知っておく必要があります。幸い2014年度の受講者は、以前から深い付き合いのある方ばかりでした。

 

 具体的なセミナーの内容は、後で述べます。今は、まだどうしても超えられないインクルーシブなセミナーの課題を書いておきます。

 
☆   ☆

 ひとつは、いくら工夫しても残る「特定の人」のことです。今回は、この困難がある方はおられませんでしたが、たとえば「赤ん坊」はセミナーには参加できません。なぜなら、赤ん坊は言葉がわからないからです。少なくても2歳ぐらいにならないと、会話ができません。本当の意味で社会性が育つのは、小学校の高学年ぐらいだと言います。

 

 「赤ん坊がセミナーに参加できないなどと、当たり前のことだ」と切って捨てないで下さい。ここで言う「赤ん坊」には、1歳に満たない本当の赤ん坊もいますが、それよりも、もっと多くの人が含まれるからです。幼児や児童は「赤ん坊」とは違いますが、精神の発達では赤ん坊に毛が生えたようなものです。知的障がい者の心は――肉体の年齢はどうであれ――発展途上の段階です。認知症者でも同じです。一旦は獲得していた社会性ですが、だんだん失われることが多いのです。これらの人全員が、今は「赤ん坊」と呼んでいる人たちです。この「赤ん坊」に接する術(すべ)を、ぜひとも見つけなくてはいません。

 

 もうひとつは、どのデザインにも付き物の短所のことです。ユニバーサル・デザインにせよ、インクルーシブ・デザインにせよ、長所があれば、必ず短所もあります。このブログは「ユニバーサル・ミュージアムをめざして」ですので、ユニバーサル・デザインに寄りかかっているみたいですが、実際にはインクルーシブなものの見方をしていることも多いのです。

 

 わたしが言いたいことは、他の人の優れたアイデアをそのまま借りてきて実行するということではなく、アイデアの優れたところを生かしつつ、自分たちの実際に生活するコミュニティに合った具体的なものを創り出す。それが超えていかなければならない課題だと思います。ユニバーサル化、インクルーシブ化といった名前にはこだわらずに、物事の本質を探っていきたいと思うのです。

 
☆   ☆

 次は「インクルーシブ。 ん? 何のこと?-2」として、具体的な博物館セミナー「むすぶ、ひらく、ユニバーサルなこと」のようすをお伝えします。お楽しみに。(一気に書いてしまおうかと思いましたが、書き切れませんでした。)

 

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして59

何日もかかって アフリカの森を歩いた事がある。

三谷 雅純(みたに まさずみ)

OdzalaBai-07-03.JPG 半年がかりで、アフリカ中央部の森を、歩いて旅した事があります。

 土地の言葉で、わたしが〈ンドキの森〉と呼んだ森が出発点でした。広い広い無人の森でしたから、最初、その森に名前はありませんでした。しかし、その中をンドキ(=悪霊)川が流れていたので、そこから「ンドキ」という名前をもらったのです。その〈ンドキの森〉に初めて足を踏み入れてから、わたしはコンゴ人民共和国、カメルーンと横断し、ギニア湾にある赤道ギニアの洋上アルプス、ビオコ島を駆け上りました。消耗の激しい半年でした。わたしは、何とか自立して、誰も知らない森を自分の力だけで見付け、新しい調査地を開拓したかったのです。わたしは結局、つい最近、世界自然遺産に登録された〈ンドキの森〉、現在のヌアバレ=ンドキ国立公園 (1) を調査地にしたのですが、今、改めて思い出すのは、1988年から1989年にかけてのカメルーン南部の森での出来事の方です。

☆   ☆

 それにしても、どうして人は不安に襲われてまで、未開の地に足を踏み込むのでしょうか? わたしも、〈ンドキの森〉という、誰も知らない未開の地に踏み込んだのですから、自分のことを振り返ってみればよいようなものです。カメルーンの森で出会った人たちも、ご本人が、あるいは高だか数世代前のひとりの男性が――不思議ですが、ことごとく男性でした――、カヌーで川辺を行き来して、家を建てる固い地面を捜したのでした。固い地面が見つかったら、近くに飲める水が流れているかどうかを確かめます。水が確認できたら辺(あた)りに生えている木の種類を見て、農地になるかどうかを見きわめます。農地になりそうだと判断し、そこに住む決心がついたら、焼き畑にするための最初のひと斧(おの)を振り下ろしておくのです。

 この旅の最中に、なぜその村を開いたのかと問う機会が、何度かありました。

 理由はいろいろでした。村が滅びてしまったからという話をよく聞かされました。

 例えば感染症です。ある村は、かつて、もっと北にあったのですが、皆既日食の年、みんなで太陽を見ていると目が痛みだした。血の涙が出て、人びとは死んでしまった。その場所には、もう住めないからと、残ったもの何人かで今の場所に移ってきた。それがこの村の始まりだと教えてくれました。

 別の村では、昔は千人を超えるほどの大きな村だったそうです。ある時、病気が流行り、人びとはバタバタと死んでいった。そのために村は滅びた。そして河川の何十キロも上流に、同じ名前の村を開いた。今は少数のバンツー農耕民と狩猟採集民のピグミーが、いっしょに暮らしている。新しく村を開いたのが、あの村長だと、椅子でくつろいでいる老人を指さして聞かせてくれたこともありました。

 まるで、むかし話そのままです。わたしたちの周りにも、よくあった事に違いありません。しかし、何世代にも渡って、安定して暮らす事が当たり前のようになると、「人が死に絶える」とか「村が滅びる」というのは、日常感覚では捉えきれなくなってしまいました。わたしたちの普通の言葉で言い直すと、それは「コミュニティが滅びる」とか、「ひとつの地域が滅びてしまう」ことに当たるのでしょう。アフリカで村が滅びるというのは、それほど大変な事なのです。しかし、よくある、当たり前の事でもあります。

☆   ☆

 バンツー農耕民は、もともとは、今で言うカメルーンとナイジェリアの国境近くに住んでいたサバンナの農耕民だったそうです。その人たちが、ある時、サバンナから森の中へと逃げ込んだという話があります。バンツーは北から南下してきた異民族に追われたディアスボラなのだそうです。その異民族もディアスボラなのでしょう。今から、三千年とか、四千年とかいう大昔の話です。我われにとっては縄文時代に当たります。

 サバンナのような乾燥して見晴らしのよい土地から、森という、湿り気の多い、見通しの悪い土地に入るのですから、おそるおそる、恐ごわと、歩を進めたような気がします。そんな想像をしてしまいます。一気に、雪崩を打って侵入したというのではないのです。

 カメルーンには、〈マキザール〉という「森の精」の言い伝えがありました。小さな、人のように見えるのですが、明らかにピグミーとは違う。夜になると人を襲い、殺してしまう。〈マキザール〉から逃れるには、――記憶は不確かですが、確か――〈白魔術〉があったと思います。〈白魔術〉が使えるのは、村の長老だけだと聞いたように思います。

 多くの動物とは違って、人はなぜ広大な地域に住むようになったのかと考えていて、カメルーンの森の奥に点在する村の消長に思いが至りました。〈マキザール〉の言い伝えは、〈むら〉という空間、つまり自分たちバンツーの住むその場所だけが「人の住む世界」であることを意味します。その外には〈異族〉、つまり人間以外の生き物がいるという意味です。そのためでしょう。〈マキザール〉は恐ろしい「森の精」ですし、ピグミーもバンツー(=バンツーの言葉では「人」という意味)ではないのです。

 アフリカのサバンナで長く文化人類学を研究しておられる川田順造さんは、『サバンナの博物誌』(ちくま文庫) (2) という本の中で、西アフリカのサバンナに住むモシ族の人たちは、住んでいる家や住む場所、さらに「気心の知れた人びと」、つまり「いっしょに暮らす人たち」を指すのに〈イリ〉という言葉を使うのだと書いておられます。この〈イリ〉に対する言葉が〈ウェオゴ〉です。〈ウェオゴ〉は野獣や荒れ野の精〈キンキルシ〉のいる場所なのだそうです。川田さんは、〈イリ〉と〈ウェオゴ〉に当たる概念をわたしたちの周りに探すとすれば、ひょっとして〈さと〉と〈やま〉に当たるのかもしれないと書いておられます。人が居住し、畑仕事をする〈さと〉に対して、〈やま〉はクマや鬼の住む異界です。〈キンキルシ〉はちょうど、カメルーンの森林地帯では〈マキザール〉に当たるのでしょう。そうだとすれば、〈マキザール〉のいる森は、サバンナでは、人ではない、得体の知れない何かがいる「荒れ野」に当たります。

 「新しい村を築く場所を探す」ということは、まさに、「〈マキザール〉や〈キンキルシ〉のいる場所」の中で、恐ごわ歩を進めることなのです。「〈マキザール〉や〈キンキルシ〉のいる場所」に踏み込まなければ、「新しい村を築く場所」は探せない。しかし、そうだとしても恐がっていては何も始まらない。「人が死に絶える」とか「村が滅びる」というのは、アフリカに限らず、人にとっては、それほど頻繁に起こる事なのですから。

☆   ☆

 ヒトは地球上のあらゆるところに分布しています。その移住の様をあれこれ考えていたので、今回は原稿が、「ユニバーサル・ミュージアムをめざして」で立てていた主題からは、ずれてしまいました。これがどう結び付くのかは、そのうち、説明します。

-----------------------------------------------

(1) 世界自然遺産はコンゴ共和国のヌアバレ=ンドキ国立公園とともに,カメルーンのロベケ国立公園と中央アフリカ共和国のザンガ=ンドキ国立公園が含まれる「サンガ川流域の3か国保護地域」として登録されました.

(2) 『サバンナの博物誌』(ちくま文庫)

Kawata_FP.jpg


三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして58

 

誰が美しいと決めるのか?-2

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

 

 Inclusion through Design_FP.jpg

  ジュリア・カセムさんの『「インクルーシブデザイン」という発想:排除しないプロセスのデザイン』という本を読んで、インクルーシブ・デザイン(この本では、分かち書きのない「インクルーシブデザイン」)やユニバーサル・デザインについて考えたことを書いています。

 

☆   ☆

 

 もうひとつ。この本を読んでいて、これは何か変だと感じたことがありました。それはデザイナーとデザイン・パートナー(ここでは障がい者や高齢者)が、共同してものを創っていく(219ページから221ページ)という発想です。

 

 誤解しないでほしいのですが、デザイナーが美的感覚や創造力を生かし、障がい者や高齢者が自分の経験を生かすというのは、まさにインクルーシブな協働です。デザイナーが美的独善に陥(おちい)る愚を防げますし、デザイン・パートナーは積極的に創作に貢献できるのです。ただこのことを、さらに突っ込んで考えてみると、例えばデザイナーが障がい者だったら、どうなるのだろうと思ってしまうのです。

 

 もしデザイナーが障がい当事者だとしたらどうでしょう? その場合は、デザイン・パートナーはデザインだけに没頭するデザイナーの頭を冷やすことが求められるのでしょう。そうでないと、その障がいのあるデザイナーは自分にだけ便利なデザインをしてしまうかもしれません。自分の思いだけで良しとしてしまうのでは、インクルーシブなものはできません。感覚の違う人たちがグループになり、コミュニケーションしあい、協力しあうことで、より使い勝手のよいものができあがる。そのことの方が重要なのだ。つらつら、そんなことを考えました。

 

 カセムさんの言うデザイナーとデザイン・パートナーは、健常者と障がい者や高齢者のことです。イギリスではデザイナーの60パーセントが40歳以下の青年で占められている(198ページ)そうです。デザイナーにこっそり潜む障がいがあっても(人には自分でも気が付かない障がいがあるものです)、その障がいは、まだ目には見えないでしょう。そしてユニバーサル・デザインやインクルーシブ・デザインの利用者は、デザイナーの生きる世界の「外側」にいる障がい者であり、高齢者です。カセムさんも、この思考の罠(わな)に捕まっているのかもしれない。そんな気がしました。

 

☆   ☆

 

 デザイナーは単なる技術者ではない。美的な感覚と感性がためされる芸術家です。わたしは霊長類学という、70パーセント理系、30パーセント文系の人類学(もちろん、研究者によって見方は異なります)を専門にしているので、わかる気がするのですが、デザイナーにとって審美性とか美的感覚は、とても大切なものなのです。

 

 わたしには、仕事をする上では美よりも真理が重大事です。しかし、カセムさんにとっては真理よりも美が重大事なのかもしれません。ただし、真理と美は介在するものが違います。つまり、「真理」は文化や時代性といったものに影響を受けない(はずの)ものですが、「美」は文化によっても、また時代によっても変わるのです。先ほど「判断する基準」について書きましたが、ここでも同じことを言います。何を美しいと感じ、何を醜いと感じるのかの基準を示さないと、わたしのようなデザインのイロハも知らないシロウトは戸惑うばかりなのです。

 

 わたしは、「人(あるいはヒト)に理想の姿などはなく、時代と場所に応じて多様に変わる『人(あるいはヒト)像』だけがある」のだと思っています。そのように仮定して、ものごとを考えています。この考え方から、多様な人(あるいはヒト)を生かすためにはどうすればよいかと考え、ユニバーサルな物事の発想を探ってきたのです。その上で問いますが、では障がい者スポーツに使うスポーツ義足やスポーツ車イスやチェアスキーは、はたして美的でしょうか。かっこう良く、機能的です。わたしなど、スポーツ車イスやチェアスキーが乗りこなせたら、世界は変わるだろうなと思います。しかし、「美的」というのとは違うと感じるのです。

 

 もちろん「美的」だと感じる人もいるのでしょう。人によって感覚は違うのが当然です。そんな感覚の違いは、使用者(=障がい当事者)によってもあるはずです。例えば男女には感性に差があるでしょう。育ってきた環境も影響します。年齢も違います。障がいの種類も違います。視覚障がい者と失語症者では、美しいと感じる内容が大きく違って当然です。そんな多様な人びとがいるのだから、その人たちには、使い勝手だけではなく何を美しいと感じるか(あるいは、感じないか)を、当事者にこそ選ばせてほしい。そう思いました。デザイナーは創意を発揮した提案ができます。しかし、デザイナーは必ずしも障がいの当事者ではありません。だからこそ、インクルーシブ・デザインにはデザイン・パートナーが必要だと発想したのではなかったのですか。

 

 違うでしょうか?

 

 

 

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして57

 

誰が美しいと決めるのか?-1

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 athletes.JPG

平成25年度 誰にでもやさしい観光地づくり形成事業 観光バリアフー推進モデル事業 報告書から引用しました。
発行 : NPO法人バリアフーネットワーク会議(沖縄市照屋)
http://barifuri-okinawa.org/bfn/

 

 障がい者のスポーツ大会で、もっとも有名なものがパラリンピックです。国際的な大会です。パラリンピックでは、スピードの出るスポーツ・タイプの車イスとか、板バネのような強くしなう義足など、日常では使わない、しかしスポーツの世界では当たり前の装具をご覧になった方も多いでしょう。アスリートたちの、まさに手足となる道具です――リハビリテーションの世界では、このような道具の内、身に付けるものを装具(そうぐ)と呼ぶので、ここでもそう呼びました。もちろんスポーツ大会ですから、必要以上に力の出る装具は認められません。補助ロボットのたぐいもタブーです。補助ロボットを付けて競技に出たら、ドーピングをするようなものですものね。しかし、一定のルールの中でなら、従来の装具概念を打ち破った新たな装具が認められます。制約の中で、いかに速く、いかに強いものを創り出すか。それはデザイナーや技術者の腕の見せどころです。デザイナーや技術者にとってパラリンピックの競技場とは、感性と知恵を競うアリーナであり、スタジアムなのです。

 

 わたしが、パラリンピックは「デザイナーや技術者の腕の見せどころ」だと知ったのは、ジュリア・カセムさんの『「インクルーシブデザイン」という発想:排除しないプロセスのデザイン』 (1) という本を通じてでした。現代では障がい者のための道具を創るデザイナーや技術者には、パラリンピックなど国際的な競技大会が格好の舞台となったのです。それなら、現代のようにパラリンピックが脚光を浴びるまでは何を通じてだったかというと、......それは戦争でした。

 

 大昔から、戦争はさまざまな技術を発展させてきました。火薬や大砲はもちろんですが、最近では衛星写真やコンピュータ技術など、「戦争のおかげで発展した技術」がいろいろあります。障がい者は戦争のどこから恩恵を受けているのかというと、それは義肢(ぎし)です。金属の棒を足にくっ付けただけのような素朴な義足――報道写真で見たことがあります――から、最新のテクノロジーを駆使して、脳波で人工関節や人工筋肉の動きが当節できる義足まで、失った手足を蘇(よみがえ)らせる技術なのです。

 

 戦争はどんどん過酷さを増しています。無人戦闘機ではパイロット役の技術者が、「日常の業務」として家から通勤できるオフィスで、遠隔操作のミサイルを放ちます。そして死者の数――ミサイルを発射する側にではなく、発射される側の――は、うなぎ登りに増えていきます。兵士が身体を張って陣地を争ったころの戦争とは、較べものになりません。兵士ばかりでなく、ごく普通の家族や親子までが殺されます。いくら「大義」があったところで、国家が人を死に追いやるのが戦争の実態です。できるだけの補償はし(て見せ)なければ、国家の体(てい)をなしません。その補償のひとつが、高度な技術を駆使した装具の開発にあったのです。時代の潮流が追い風となって、現在はそれがパラリンピックに受け継がれたのでした。戦争は現実に起こる人間の行いですが、戦争を「戦争」と言葉に出すことが、はばかられたのかもしれません。

 

☆   ☆

 

 インクルージブ・デザインとユニバーサル・デザインは、もともと同じような考え方です。ただしカセムさんは、ユニバーサル・デザインという言葉が嫌いなようです。『「インクルーシブデザイン」という発想』によると、ユニバーサル・デザインは官僚的で、当事者(=障がい者や高齢者)の使い勝手ではなく、形式をそろえることだけに腐心していて、当事者の意見を聞くことがない(この本の66ページから70ページ、78ページから79ページなど。以下、同じようにページ数を表記します)とおっしゃいます。日本では「ユニバーサルデザイン」という言葉が浸透してきましたし、多くの役所で、今や「ユニバーサルデザイン」は大流行です (2)。わたしが書いている、このコラムも、「ユニバーサル・ミュージアムをめざして」です。確かに、「当事者の意見を聞かず、形式だけをそろえる愚を犯して、それでよしとする」というのは、昔も今も、日本の悪しき習慣です。その習慣を改めるために、「みんなの美術館プロジェクト」 (3) では、美術館を訪れるさまざまな困難を抱えた人たちの声を集め可能な解決策を提案しています (4)。また、このコラムには、以前、博物館員になりたい車イスを使う中学生の博物館探検記(=ひとはくの良い所と悪い所):「聞いてみて、初めてわかることがある-1」 (4) を書いたことがあります。自分たちの周りにはたくさんの当事者がいる。それにも関わらず、それでも当事者には聞こうとしない態度を皮肉ったのです。マニュアルに頼って、あるいは「専門家」や「デザイナー」と称する人が勝手に決めることで、不便の何がわかるというのでしょう?

 

 このカセムさんの本を読んでいて、わたしが不思議に思ったこともあります。それは、ユニバーサル・デザインは(利用者でなく)デザイナーにとって安全で退屈、そしてしばしば醜い(185ページ)と書いてあったのです。「醜い」とは強いことばです。「ある品物が醜い」という以上、そこにはそれなりの判断基準があるのだと思います。どのような規準で判断されたのでしょうか。これを「デザイナーとしての審美性」(191ページ)だとおっしゃっても、その審美性には、さらに、何が美しいのか、何が醜いのかという客観的な規準があるはずです。ところが、この本の中に、明確な規準は書かれていませんでした。これは、いちばん不思議な点でした。

 

 ユニバーサル・デザインは形式的で、みんなに使いやすいものは、本当には実現しない(68ページ)のだと、カセムさんは主張されています。まさにそうだと思いました。だから多様な人それぞれの要求をデザインに生かすことが大切だと主張されているのです。これも、そのとおりだと思いました。

 

 しかし、「醜い」という判断は強烈です。おそらく、それは、多民族から成り立つコミュニティでは――カセムさんはイギリス人だということですが、ヨーロッパは自分たちとは生活習慣の違う異民族が隣り合って生活しています。第一、グレートブリテン・北アイルランド連合王国(=イギリス)自体が、もともと独立した制度や習慣、そして伝承を持った、いくつもの民族で成り立ったものなのです――曖昧(あいまい)なことは嫌われます。ヨーロッパでは、定義の明確な法という文章で定めることが重要なのです。その法定主義的な文化や習慣が、芸術家という、もっとも自由な精神をもっているはずのカセムさんには、耐えられなかったのかもしれません。

 

 次に続きます。

 -------------------------------------

(1) 『「インクルーシブデザイン」という発想:排除しないプロセスのデザイン』 ジュリア・カセム著、平井康之 監修/ホートン・秋穂 訳、フィルムアート社 (Inclusion through Design by Julia Cassim)

http://filmart.co.jp/books/design/「インクルーシブデザイン」という発想/

Inclusion through Design_FP.jpg 

(2) 「インクルーシブデザイン」や「ユニバーサルデザイン」という書き方には、表記の〈わかりやすさ/わかりにくさ〉という点で大きな問題があります。最近の日本語では、外国語を表記する時に、「ユニバーサル デザイン」のような分かち書きも、「ユニバーサル・デザイン」のような中黒も使わなくなりました。なぜでしょうか? それなりの理由はあるのでしょうが、わたしは、よく知りません。おかげで、失語症などの高次脳機能障害者やコミュニケーション障がい者が、〈読めない・理解できない〉ということが、よく起こります。しっかりとした認識能力を持っていたとしてもです。おそらく、ひらがなやカタカナのような表音文字でも、「分かち書きをしない」とか「中黒を入れない」というのが、「いま風の日本語」なのでしょう。しかし、当事者の戸惑いを知った上で、当事者の存在を無視してまで流行を優先するという態度に、わたしは書き手の傲慢(ごうまん)さを感じます。意識しないで書いているのなら、そこにはまた別の傲慢さが潜んでいるのでしょう。ドイツ語は単語をやたらと続けて書くことがありますが、英語やフランス語では単語ごとに区切るのが当たり前です。先日、本当にひどいと思った例がありました。ある本の表紙に「ユニバーサルデザインハンドブック」と大まじめに書いてあったのです。悪ふざけで書いたのではありません。これなど高次脳機能障害者やコミュニケーション障がい者でなくても、一回読んで(眺めて?)わかる人は、圧倒的に少ないのではないでしょうか。

 

(3) みんなの美術館プロジェクト

http://www.museumforall.org/

 

(4) 『みんなの美術館デザインノート』(みんなの美術館プロジェクト Museum for All Project Museum x Inclusive x Design Committee)

http://www.museumforall.org/102work.html

http://www.museumforall.org/pdf/DESIGN_NOTE.pdf

 

(5) 「聞いてみて、初めてわかることがある-1」

http://www.hitohaku.jp/blog/2014/06/post_1883/

「聞いてみて、初めてわかることがある-2」

http://www.hitohaku.jp/blog/2014/06/post_1884/

 

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして56

人の多様性をマネジメントする?

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 impala_FP.jpgのサムネイル画像

「私の眼前に一頭のインパラが現れた。黄金の草地に足を着き、透き通る大気に首を立て、たった一頭でたたずんでいた。インパラは草を食むこともなく、歩きまわることもなく、緊張している様子でもなく、だからと言って気を抜いてくつろいでいるふうでもなかった。誰かに追われることもなく、誰かを追いかけることもなく、静かにそこに立っていた。インパラの濡れた美しい目は、周囲のすべてを吸収し、同時に遠い世界を見据え、遥か彼方を見渡していた。」(中村安希『インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸684日』集英社文庫)

 

 アメリカ合衆国の大手優良企業の間では、1990年頃から「ダイバーシティ・マネジメント」(=人の多様性マネジメント:さまざまな人が力を合わせて企業のために努力すること)講習が大流行だという噂を聞きました。わたしは「ダイバーシティ・マネジメント」という言葉を知らなかったのですが、調べてみると、個別の多様な意識を持った人から成るアメリカでは、従業員を雇う時には、従業員の意識を大切にしなければ企業としての連帯感は芽ばえない。例えて言えば、中国出身の漢族のお母さんとスペイン出身のラテン系のお父さんがいる女性がいたとして、その女性を雇いたいなら、それぞれの民族性とその女性が混血であるという事実を大切にした職場環境を作らなければならないという事です (1)

 

 今は「ダイバーシティ」、つまり「人の多様性」を問題にするのですから、性別やジェンダー、青年とか高齢者とかといった心の発達段階、さまざまな障がい、それに(生物学的には実在しないが)社会的な「人種」、つまりアフリカ系かアジア系かといった特徴も大きな問題になります。このようなもろもろの差異をていねいにフォローしていかなければ企業としての生産性は上がらない。第一、評判が悪くなる。反対に、社員が持つ多様性を有効に生かせれば、ものを買う消費者の本心まで引き出せる。これは「高齢の女性は髪の毛がペタンとしてしまうのを気にしている」とか、「若い男性は仕事が忙しくて海に行けず、そのせいで肌が焼けないのを気にしている」といった類のことです。こういったことは、当人でなければ、なかなか気が付きません。しかし従業員にとって他人事でないのなら、企業も従業員を通してそれに気づき、商品開発に生かせる。こうすれば多様性は生かせる。そういう理屈です。

 

 そう言えば、アメリカの子ども向け番組「セサミ・ストリート」は、子どもが、「社会にはいろいろな人がいる」と素直に認識できるように作られていると聞いたことがあります。確かにエルモやクッキー・モンスターは、わたしの知るあの人やこの人を思い出させます。おまけにビッグ・バードというキャラクターにいたっては、人でなく鳥だということです。

 

 ただし「ダイバーシティ・マネジメント」は、現実のアメリカにあるビジネス潮流です。ユニバーサル・ミュージアムのような(日本では、まだまだ?)「夢物語」や「絵空事」ではありません。企業に「ダイバーシティ・マネジメント」を教えるコンサルタントには、一日当たり平均 2,000 ドル、日本円では20万円以上ものお金が支払われるそうです。有名なコンサルタントだともっと高いそうですし、中には長期契約で数百万ドル(数億円!)ものお金を支払わないと引き受けないというコンサルタントまでいるそうです (2)

 

☆   ☆

 

 それにしても、アメリカの「ダイバーシティ・マネジメント」、つまり「人の多様性」のマネジメントですが、先ほども書いたように、わたしはその存在を知りませんでした。自然科学や博物館運営の話ではなく、基本的にビジネスの世界の出来事です。「ダイバーシティ・マネジメント」には限りませんが、世事に疎いわたしには、知らないことは多いのです。それでも「人の多様性」なのですから、このコラムを連載する者としては、うわさぐらいは聞いていてもよさそうです。それが聞いたこともなかったのです。

 

 欧米発の情報なら、「グローバル経済」や「市場主義」、あるいは「競争社会」でさえ、日本社会は喜んで取り入れてきました。ところが「ダイバーシティ・マネジメント」がわたしの耳に届くことはありませんでした。不思議な思いです。これはいったい、どうしたことでしょう?

 

 「競争社会」や「市場主義」は、そう呼ばなかっただけで、最初から日本社会には根付いていたものだと思います。例えば「丁稚(でっち)」という制度は少年たちを下層労働で競わせましたし、商人の商いは「ものを売る」ことが基本です。このような習慣は自然に企業に引き継がれ、現代風に名前を変えたのです。「グローバル経済」は少し説明が必要ですが、要は商家の需給バランスが崩れ、規模が大きくなって、国境を越えなければ身の置き所がなくなっただけ。そんな気がします。少なくとも企業倫理や経営志向(嗜好?)は何も変わっていない。もとのままで日本の企業は国際企業になった。違うでしょうか?

 

 それならば「ダイバーシティ・マネジメント」は、なぜ取り入れられなかったのでしょう? 「『日本人』は同質性の高い民族グループだからだ」という意見が、今、確かに聞こえました。確かに同質性は高いのです。なぜなら、今では習い性のようになった水稲耕作(すいとう・こうさく)の労働習慣では、陸稲(おかぼ)や雑穀(ざっこく)の栽培よりはるかに、人びとが力を合わせた労働力が求められるからです。収穫量の多い水稲を基本にする限り、日本に住む人びとは、例え民族グループが異なっても、同じ顔をして労働しなければならない。それができなければ村八分になるか、アジール (3) にでも行くしかありません。

 

 「ダイバーシティ・マネジメント」は「日本人の舌には合わなかった」。だから最初からなかった事にしてしまった。それが真相ではないのでしょうか。

 

 これは、言ってみれば「しろうと談義」です。しかし、まったく根拠のないものでもありません。昔から親しくしているある学校友だちと気楽な話をしていて――わたしの友人の中では数少ない企業人です――彼の言ったことを思い出し、なぜなのだろうと考えた結果です。

 

☆   ☆

 

 中村安希さんはバックパックで世界を回るノンフィクション作家です。アメリカのカリフォルニア大学アーバイン校で舞台芸術学を修められ、日本に帰って「母国の社会へ適応するため、できる努力はしていた」時に、イラクに行った日本人青年が人質になり、命を落とすという事件が起こりました。次の文章は、中村さんがお書きになった『インパラの朝』 (4) という本に載っていたものです。ヨルダンの安宿で聞いた爆撃音の振動を描いた「ヨルダン [夜空に散る火花]」という章にありました。

 

 「私はテレビの前に座って、遠いどこかの国で人が死ぬのをじっと見ていた。そして私はいつの間にか、迷惑を被った人になった――血税を納める納税者として、日本国民の一員として。随分とのん気な迷惑だった。

 多角度的な論争や事情の細かい検証は、日増しに敬遠されていったし、代わって論調の統一と事態の安易なフレーズ化が、好意的に受け入れられた。事件の神髄や世界の裏面の抜本的な再考なんて、聞いただけでも面倒だった。政府もメディアも国民も、事件に早く決着をつけ、さっさと忘れてしまいたかった。青年はイラクで見捨てられた。イラクで人がたくさん死んだ。誰かが大声でこう言った。

 『反日分子』

 分子? 私は化学が苦手だった。」

 

 中村さんは日本での一見平穏な仕事に苛立ちを深め、「経済的な優位性と人的犠牲が組みになり、人命の尊重と経済面の不利益が別の組みになっていて、世界に可能な選択はその二組に一つのはずだったが、現実は四つを混同させて、建て前と本音に再分割した」のだと考えたそうです。そしてこの章を、次のように締めくくられます。

 

 「不運にも事件に巻き込まれたら......。恐ろしいことが待っているだろう。恐ろしいのは人質になることや犯人からの暴行ではなく、日本の世間の冷笑や、残してきた日本の家族への激しい批判と非難だった。両親は国家に頭を下げて世間に許しを乞うてでも、娘の命を救うために命乞いをするだろうし、それを止める権利はない――国家に個人を救えるだけの力があるかは別として。

 けれど、と、私は考えている。それが子から親に対する残酷な要求と知りながら、それでも無理を望むなら、運の尽きた娘について胸を張って語ってほしい。誰かに聞かせる必要はない。ただ呟(つぶや)くだけで構わない。

 『とても幸せな娘でした。少なくとも自宅のテレビの前でポテトチップスを食べながらぼんやりと座っていたのではなく、現実と彼女の間の距離をたとえわずかであったとしても縮めようとする試みの中で志半ばで敗れたのだから。あの子は日本が好きでした。だから日本を離れました。そして、世界が好きでした』と。」

 

 もちろん微妙に違いますが、世界や日本に対しては、わたしも似た感情を抱いています。

---------------------------------------------

(1) 谷口真美さんという早稲田大学の先生がお書きになった論考が役に立ちました。

谷口真美 (2008)  組織におけるダイバシティ・マネジメント.  日本労働研究雑誌 574/ May: 69-84.

http://eforum.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2008/05/pdf/069-084.pdf

 

(2) ダイバーシティ・マネジメントのコンサルタント料については、

有村貞則 (2000)  ダイバーシティ・トレーニングの失敗とその原因. 山口経済学雑誌 47: 69-118

file:///C:/Users/mitani/Downloads/C050048000403%20(2).pdf

の73ページに載っていました。

 

(3) 歴史家の網野善彦さんのお書きになった『無縁・公界・楽――日本中世の自由と平和』によれば、アジールとは地域コミュニティーを逸脱した人が、どうどうと暮らせる場所であったそうです。犯罪者や離婚をしたい女性などもいましたが、盲人やハンセン病者もアジールに逃げ込んだということです。そういえば、宮崎 駿さんの映画「もののけ姫」の中で、砂鉄から鉄を採るタタラ場には、顔を包帯で包んだハンセン病者や多くの女性がいたことを思い出します。

 

『無縁・公界・楽――日本中世の自由と平和』(網野善彦、平凡社ライブラリー150)

 

(4) 中村安希『インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸684日』(集英社文庫)。「ヨルダン [夜空に散る火花]」は、この本の115ページから119ページにありました。
http://www.shueisha.co.jp/shuppan4syo/21nen/outline01.html

 

 

 

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

兵庫県立大学 自然・環境科学研究所

/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして55

 

どんな声なら聞こえるか

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

hitohaku_and_water.jpg

 「どんな声なら聞こえるか」。そんなこと、大げさに言うほどのことでもないと言われそうです。でも、「ユニバーサル・ミュージアムをめざして」で問題にしたいのは、生涯学習施設(つまり、「博物館や美術館、図書館」)の案内放送とか展示解説の放送の声が聞こえるかどうかという意味です。ある館内放送が、例えば、この声は若い女性アナウンサーが吹き込んだものだとか、別の声は初老の男性アナウンサーが吹き込んだということが、聞こえでは問題になるのかもしれない。そのために「どんな声なら聞こえるか」と言っているのです。

 

 そんなの、別にどうだっていいではないか。吹き込んだ人が女性でも男性でも大して変わらない。

 

 だったら、合成音声と呼ばれる声はどうでしょうか。よく、「ロボットのような声」と呼ばれる、抑揚(よくよう)のない機械のような声(音?)のことです。これだったら、わたしが「どんな声なら聞こえるか」と聞いても、不思議には思わないかもしれません。

 

 現実には、今は最初から電気的に作った、全くの人工合成音声は少ないようです。声優さんが吹き込んだ声を元にして、そこから言葉を再構成する技術が進みました。言うなら、半なまの合成音声です。半なまの合成音声なら本物らしく聞こえると言います。人の話し声に特化したボイスロイドとか、歌声に特化したボーカロイドとかいう製品も売られているくらいです。ですから、世の中の人が、合成音声にあまり違和感を感じなくなりました。今でも「ロボットのような声」はありますし、わざと電気的な処理をして自然な人の声をつぶし、「ロボットのような声」にした歌手さえいます。ただ技術はどんどん進んでいます。うっかりしていると、合成音声と肉声が聞き分けられないほど、合成音声の質は上がっているのだそうです。

 

 しかし、ちょっと待って下さい。合成音声の品質がそれほど上がってしまって、少し聞いたぐらいでは見分け(聞き分け?)がつかないのなら、アナウンサーという職業は、この先、なくなってしまうのでしょうか? いくら何でも、そんなことはないと思うのですが。

 

☆   ☆

 

 多分、どれほど技術が進んでも、人の果たす役割が消えることはないのだと思います。「人の果たす役割」というのは、例えば「医師や看護師が病人やけが人をケアしたり、学校の教員が生徒や学生の前に立って物事を教える」といったことです。ロボットでも教えれば、手順に従ってケアをします。授業ができます。現に顕微鏡でなければ見えない手術ではロボット医療が進歩していますし、授業をインターネットでやる予備校がはやっているそうです。それはそれで技術としては立派なのでしょうが、人間がやる<ケア>や、人間が人間の前に立つ<授業>とは、どこか根本的に違う気がします。その「根本的に違う何か」とは、あいまいです。しかし、その「あいまいなもの」こそが、人の果たす役割なのです。人のやるケアを<ケア>とし、人が人の前に立つ授業を<授業>としたのは、そこにプラス・アルファがあるのだと明瞭に示すためです。本当は、そのアルファが大切なこともあるのです。

 

 このことを認めていただいたとして、さらになのですが、それでも合成音声は難聴者に評判が悪いのです。難聴者ばかりではありません。聴覚失認と呼ばれる人では、脳の受けたダメージのために音声が普通の音――医療の世界では、「言語音」に対して「環境音」と呼びます――とゴチャゴチャになって、音声とは認識できないのです。人の肉声でも同じかもしれませんが、聴覚失認の人にとって合成音声は「音声」と認識することが難しいのです (1)。

 

 このような人びとに対して、わたしは「どんな声なら聞こえるか」と問いかけたいと思います。だから、「そんなこと、大げさに言うことでもない」とはとても言えないことだと、わかってもらえたでしょう(か?)。

 

 人はいくつものアイデンティティを感じながら生活をしています。それはちょうど人を分ける方法が、男女とか、年齢とか、血液型とか、国籍とか、宗教とかといった具合に、いくつもあるということです。生涯学習施設では、来館者と施設職員といったふうに(一応は)分けられます。今、問題にしていることは、「言葉がわかりやすいか、わかりにくいか」です。「言葉のわかりにくい」人は、どんな立場の人にもいますから、「言葉のわかりにくい来館者」とか、「言葉のわかりにくい施設職員」がいるということになります。

 

 「言葉のわかりにくい施設職員」なら、その施設で働いている人は多かれ少なかれ、その人は「言葉のわかりにくい」のだと知っているはずです。ですから同じ職場で働く人の間に配慮があれば、問題はないはずです――組織によっては配慮のないケースがあります。そんな時はたいてい、ハラスメントが起きているのです。しかし「言葉のわかりにくい来館者」とは、日常の接触がありません。その人が「言葉のわかりにくい」のだとわかりません。その、普段、付き合いのない人とどう接するのか? そこがもともとの始まりです (2) 。

 

☆   ☆

 

 音声合成の技術はどんどん進歩しています。そしてその技術は、健聴な人だけの技術に留まっている気がします。これでは社会のあり方として歪(いびつ)です。しかし、商品であれば健全なやり方なのでしょう。買う人がどれほどいるかは、重要な判断基準です。市場経済を無視しては、どんな理想も実現は難しいからです。ただし、人の社会は市場経済の原理だけで動いているわけではありません。人間は規格どおりに作られたロボットではないからです。人には個性があります。一人ひとり多様なのです。売れる商品だけを作っていく社会では、いつか規格化された商品に押しつぶされます。

 

 市場経済の原理にプラスして、どんなアルファが付けられるのか。それが人間としての知恵だと思います。

----------------------------------

(1) 母語が異なる人びともいます。このような人が引っ越しをしてきて間がないと、聞いても、言語音と環境音、つまり風や波の音と何も差がないことになります――外国語を習い始めて間がない頃のことを思い出して下さい。

 

わたしが書いた研究紀要の総説「生涯学習施設は言葉やコミュニケーションに障がいを持つ人とどう向き合うべきか : 総説」の第2部「対応策について」も見て下さい。

人と自然 Humans and Nature 24: 33−44 (2013)

(2) 「言葉がわかりにくい人」を、「仕事ができない人」とか「一人前に扱うべきでない人」だと誤解しないで下さい。言葉がわかりにくくても優秀な人は、いくらでもいます。

 

 

 

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

兵庫県立大学 自然・環境科学研究所

/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして54

C・W ニコルさんと森を歩く――『アファンの森の物語』書評――

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

data033.jpg

 親しくしている方が信州に行ってきたとおっしゃって、本を届けて下さいました。その方とは、もう、長い付き合いです。いつ知り合ったのか記憶をたどると、ニコルさんの穏やかな声に行き当たりました。その方と共に、ニコルさんと談笑した記憶にたどり着いたのです。その方も、わたしがニコルさんと談笑していたことを憶えていたのでしょう。奥さまとお二人、長野県の黒姫(くろひめ)を訪れた際、わたしの為にニコルさんの本を求められたのでした。本の名前は『アファンの森の物語』 (1) といいます。

 

 その方は化学畑の技術者でした。実験室のお仕事が多かったのだと思います。しかし、その職業とは裏腹(うらはら)に、野遊びが大好きです。魚釣りやハイキングといった趣味をお持ちでした。

 

 その方は読書と歴史も好きなのですが――事実、古い歴史のある街(まち)を歩くこともなさるのですが、数多くお持ちの趣味の中で、わたしは野遊びが一番好きだとおっしゃるような気がします。

 

 だからでしょう。十年ほど前から狩猟免許をお持ちです。狩猟免許には種類があって、ライフルや空気銃、罠猟(わなりょう)など、使う猟具に応じた免許が必要なのですが、その方は空気銃の免許をお持ちでした。

 

 狩猟というと鳥や獣(けもの)を殺す残酷な行為だと、頭から毛嫌いする人がいます。理由もなく野生動物を殺すことは慎むべきです。しかし、わたしは野生動物を狩って肉を得ることと、理由もなく殺すこととは、本質的に異なる行為だと思っています。頭から毛嫌いする人は、その区別がつかないのでしょう。

 

 その方は区別がつくのです。キジやカモといった獲物が捕れれば、料理をして、きちんと食べるのだそうです。野にいるキジやカモは、確かに温かい血の通った野生生物です。そして調理をすることによって食物になります。人にとって火のコントロールは象徴的な儀式でもあるのです。人の本質的な行為のひとつだと思います。

 

☆   ☆

 

 『アファンの森の物語』は、南ウエールズ出身のC・W ニコルさんが日本に出会ってから、長野県北部の黒姫で森の一部を買い取り、手入れをし、いろいろな方と協力して、現在の「アファンの森」ができあがるまでを記録した本です。その歴史にはニコルさんのさまざまな思いが込められているのでしょう。実際、最初の黒姫の森は、「幽霊林」と呼ばれる、人が利用しなくなった荒れ果てた森でした。

 

 「アファン」というのは、ウェールズに住むニコルさんたちケルト人の言葉(ことば)――英語のことではありません。スコットランドやアイルランドと同じように、ウェールズに住むケルト人も他民族に侵略され、英語という強者の言葉(ことば)を強要された民族なのです。ちなみに「アファン」はウェールズ語で「風の通る谷間」という意味だそうです。もともと南ウェールズには、アファン・アルゴード森林公園と名付けた公園があったのだそうです。

 

 先に「さまざまな思い」と書きましたが、ニコルさんの主張は一貫しているようです。それは、「人の手が入らない森は荒れた森だ」という主張です。わたし自身はコンゴ共和国で、ンドキの森という無人の原生林に初めて足跡を記(しる)しました (2) 。その森で、消耗の激しい、全身、泥だらけの調査を経験しました。しかし、ニコルさんは「人の手が入らない森は、荒れた森だ」とおっしゃるのです。ニコルさんとわたしの言うことは、矛盾して聞こえます。なぜなのでしょう?

 

 本物の原生林は、そうおいそれとあるものではありません。ンドキの森にしたところで、わたし達の侵入を阻んだ沼地には、驚くほど昔――数十年前――のアブラヤシの種がひとつ、腐らずに残っていたのです。アフリカでアブラヤシは大昔から栽培されていました。多分、新しい森を求めた進取の気性に富むピグミーの若者がンドキの森に入り込み、森に歩道のように伸びたゾウ道をたどって、アブラヤシをかじり、捨てたのだと思います。そのような森に少しばかり人が入ったとしても、森は何事もなかったかのように振る舞います。しかし、大昔から人が生活に使い、利用してきた森では、人が使わなくなると、とたんにツルがはびこり、空間がふさがれて、簡単には入れなくなるのです。ウェールズも日本も、すでに本当の原生林はありません。どこまでも人の痕跡が続くのです。そのようなところでは、積極的に利用することが、美しい森を維持するためには、とても大切なのです。ニコルさんとわたしの言うことは、何も矛盾していません。

 

 ニコルさんも自分用の狩猟免許を手に入れ、地元の猟友会に参加しました。猟師こそが、もっともよく森を知り、伝統的に自然に親しんできた人びとだからです。もちろん今では、元来の意味で猟師はいません。つまり、「狩猟だけで生計を立てている人はいない」という意味です。にも関わらず現在でも信州の「猟師」は、雪の中で火を起こし、クマを狩ることができるのです。

 

☆   ☆

 

 ウェールズのアファンの谷は、炭坑で栄えた地域にあったのだそうです。ニコルさんが少年の頃は、石炭を掘る時に出る土砂や石でできたボタ山が、あちこちにあったようです。その時、アファン・アルゴードに森はすでになく、炭坑で働く人びとは、ずらりと並んだ集合住宅で暮らしていたということです。

 

 ところがエネルギー源が石炭から石油に変わると、ウェールズの鉱業地帯はさびれてしまいます。アファン・アルゴードでは、風雨にさらされたボタ山から有毒物質が流れ出したということです。

 

 そのアファン・アルゴードのボタ山に緑がよみがえりました。ウェールズの人びとは、ボタ山に緑を再生したのです。最初は根で土砂を留(と)めるために草を生やし、次に土を豊かにするカバやポプラ、カラマツといった木を生やす。このような樹種は空中窒素を固定して土を肥やします。そうしている内に、やがてハリネズミやキツネ、イタチ、リス、シカなどの動物がもどってきます。森は少しずつにぎやかさになるのです。こうした努力の結果が、アファン・アルゴード森林公園として結実しました。

 

 ニコルさんは石炭採掘のボタ山で荒れたウェールズと、人の介入で豊かに森が再生したウェールズのふたつを間近で見ました。この経験があるからこそ、信州の黒姫でも「幽霊林」を「アファンの森」と名付け、人為的によみがえらせる努力をしてきたのだと思います。

 

 わたしが『アファンの森の物語』からイメージしたのは、産業革命以前のウェールズの豊かな森と人びとの暮らしでした。ニコルさんはそこに、自然と人のよりよい(とニコルさんが信じる)関係を見つけたのではないでしょうか。黒姫の「幽霊林」を「アファンの森」と名付けたのも、人の努力によって、自然と人はよい関係を再生できると信じているからだと思います。

 

☆   ☆

 

 ニコルさんには、『アファンの森の物語』以外にも、『勇魚(いさな)』 (3) という小説があります。幕末の紀州・太地浦とカナダの話です。片腕を失ったクジラ捕りが軸になって展開する歴史物語です。捕鯨は非難されがちです。希少生物の保全という見方は肯けます。しかし、伝統的な猟法で捕る捕鯨も残るべきだという気がします。捕鯨が、みさかいもなく市場経済と結び付くことがいけないのだと思うのです――市場経済は現実の経済システムですから、否定するべきものではありません。ここでは、市場経済の枠では括(くく)れない事実も、現実に存在すると言っているのです。

 

 ニコルさんは、基本的にはクマを守りますが、クマ狩りもします。やみくもな保護ではなく、関係を維持したいという保全の発想です。クマは森の一部です。クマは人も含めた循環のサイクルを作り出します。ニコルさんにとって、人とは、重要な循環を形作るはずの自然の一部なのでしょう。

 

 今回は、あまり「ユニバーサル・ミュージアムをめざして」にふさわしい内容ではなかったかもしれません。

 

--------------------------------------------------------------

(1)  『アファンの森の物語』(C・W ニコル 著、アートデイズ、1,400円+税)

http://ci.nii.ac.jp/ncid/BB12379705

 

(2) 『ンドキの森』(三谷雅純 著、どうぶつ社、絶版) 残念ながら絶版になっていますが、古本では、まだ、きれいな物が手に入ります。この本の出版の後、ンドキの森は世界遺産に登録されました。

http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN15594185

http://kodomonohon.com/bul/314/314_w.html
http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/forest-elephant/aj011_3.html

 

(3) 『勇魚』 上・下(C・W ニコル 著、文春文庫、絶版)

 

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして53

 

聞いてみて、初めてわかることがある-2

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

hitohaku.jpg 

 兵庫県の中学生には、地域のいろいろな場所を選んで行ってみて、そこで職業体験を積むという制度があります。「トライやる ウィーク」と呼んでいます。<ひとはく>にも何人もの中学生がやって来ます。博物館員の「修行」をしていくのです。今年は、わたしもお世話しました。ただし、お世話はしましたが、お返しに、多くのことを教えても、もらいました。<ひとはく>の建物で、車イスでは不便なところを探してもらったのです。わたしがお世話した男の子は、日頃から電動車イスを利用していました。この課題は、彼にしかできませんでした。

 

 館内で見つけた困ったところは、床の段差でした。段差にはスロープが付けてあるのですが、上るには車イスのモーターでも大変でした。その上、下りるのにも介助がないと、スロープが短くても恐いのです。わたしにもマヒがあるのですが、障がい者がスロープや階段を下りるのは、本当に恐いのです。

 

 展示の前の幼児用の踏み台は、車イスには邪魔になります。踏み台がないと小さな子は展示が見えません。かと言って、車イスの人も展示が見たいのです。これには困りました。全国の皆さん、何か良いアイデアがあったら、ぜひ教えて下さい。

 

☆   ☆

 

 4日間の内、3日目と4日目は、博物館の外側を見て回りました。

 

 三田市はもともと山がちな地形ですので、<ひとはく>のあるフラワータウンにも、大小の起伏があります。博物館はそんな中に作られたので、どちらに行っても坂に突き当たります。そこを車イスで行くには誰かに助けてもらうか、いっそのこと諦めるしかありません。でも、諦めていたのでは、「トライやる ウィーク」の課題を遂行(すいこう)することはできません。博物館の裏手にはダラダラ坂が続いているのですが、その坂でも、車イスの人が自分ひとりで上り下りするのは無理だと思います。今、「無理だと思います」と書いたのは、障がい者は、その障がいをもたない人が想像もしていなかったことが、できてしまうことがあるのですが、その坂は、車イスの中学生が自力で上り下りするのは、どう考えても無理だと思うからです。

 

 ボランティアの人に引いてもらって、あるいは押してもらって、坂は乗り越えました。ただし、案の定、その坂を下り、また上ると、男の子はへとへとに疲れていました。肉体的にと言うよりも、精神的に疲れたのです。

 

 4日目は、屋上に出る方法を考えました。何とか車イスで行く作戦を、ふたりで考えます。ミッション・インポッシブルです。

 

 前にも書きましたが、階段は車イスでは無理です。羽根がないのに「飛べ」と言っているのと同じです。では、どうするか? 昨日、長いダラダラ坂では苦労しました。へとへとに疲れてしまいました。

 

 博物館周辺のことをよく知っているわたしが、助け船を出しました。

 

 車イスで屋上に上がるには、

 

① 博物館の通用門のそばのスロープを利用する。一番、簡単です。しかし、この方法は、車イスでは勾配がきついかもしれません。

② 博物館から100メートルほど離れた商業施設のエレベータを使う方法。この方法は勾配がなく、楽ですが、人混みをかき分ける必要がありそうです。人混みで疲れてしまう可能性があるのです。

③ 商業施設のそばのスロープを上る方法。でも、これだと①とあまり変わりません。

④ 時間はかかりますが、ぐるっと深田公園を回って、反対側から屋根に取り付く方法。深田公園を回るには、1キロほど歩かなければいけません。

 

 作戦会議の結果、このよっつの方法があるとわかりました。後は男の子が、それぞれのコースの良いところ・悪いところを判断して、自分にとって、どれが良いかを選ぶことです。

 

 迷いましたが、結局、②の博物館から100メートルほど離れた商業施設のエレベータを使う方法を選びました。実はわたしも、②が一番、車イスに向いているのではないかと思っていたのです。ただし、わざと②に誘導したのではありませんよ。

 

☆   ☆

 

 たかが100メートルです。ですが、途中、何カ所もの障壁がありました。まず博物館と商業施設の間にある道路です。車が通ります。横断歩道を探さなくてはなりません。次に段差です。フラワータウンは、いたる所に段差があると言いました。商業施設の前にも大きな段差があるのです。それを避けるようなスロープを見付けたい。しかし、スロープの勾配は恐いかもしれません。それをクリアーしたら、今度は人混みです。商業施設の中には大勢の人が歩いています。その人たちを避けて、エレベータを見付けるのが、また一苦労でしょう。

 

 あれこれ工夫し、苦労しながら、やっとの事でエレベータを見付けました。これで上の階に行けます。もう安心です。

 

 ところが、エレベータは目的の階には止まりませんでした。目的の階には、決まった時間が来なければ、止まらないのでした。このことは、わたしも知りませんでした。決まった時間は午前10時です。幸い10時はもうすぐです。「どうする」と聞くと、「10時まで待つ」と答えました。

 

 10時になってエレベーターが目的階に止まる時間になると、突然、ガラガラとシャッターが開き、専門店街の店が開きました。男の子はびっくりしましたが、シャッターが開くところは初めてだといって、興味深く見入っていました。シャッターが開くところだけでも、商業施設までやって来た甲斐(かい)があったというものです。でも時間はありません。先を急ぎます。

 

 商業施設の次は、三田市の公共施設やスイミング・スクールの入ったビルです。そのビルを抜けると、直接、歩道橋に出ます。それが博物館の屋上に続く一般歩道になっているのです。

 

 「ここが屋上だよ」と言うと、キョトンとしていました。そして周りを見回してみて、やっと自分の状況がわかったようでした。「登頂(とうちょう)の記念写真を撮ろう」というと、ピース・サインを出しました。屋上に当たる歩道を、端から端までぐるっと回って「下山」しました。「下山」では、博物館近くのスロープを、ボランティアの人の力を借りて下りてみました。

 

☆   ☆

 

 男の子は<ひとはく>が、はたして自分を「トライやる・ウィーク」に受け入れてくれるかどうか、とても不安だったそうです。車イスで博物館員にトライすることなど、できるのだろうか。字は書けるが、ふつうよりも大きな字だし、ハサミは使えるが、ぎごちない。何よりも疲れやすい。疲れやすいという事を、博物館の人はどこまでわかってくれるだろう?

 

 基本的には、わたしも同じです。わたしには、脳塞栓症(のう・そくせん・しょう)の後遺症があります。車イスは使わないのですが、マヒした右手で字を書いたり、ハサミを使ったりすると、とても疲れてしまいます。第一、それほど長時間は続けられません。ですから、わたしの作業を補佐して下さる方が必要なのです。でも、わたしは仕事を続けています。なぜ仕事を続けているかというと、きっと、わたしにしかできない事があるはずだと、固く信じているからです。

 

 「きっと、わたしにしか、できないことがある」。それは何だろうと、わたしは今でも探し続けています。あなたの「トライやる・ウィーク」の記録ノートに、わたしは「課題をやりとげました。これからもがんばって」と書いてしまいました。あなたは、十分、がんばっているのにと、書いてしまってから後悔しました。今、書き直すとしたらこう書きます。

 

 「課題をやりとげました。これからも、未来の『博物館員』をめざして下さい」

 

 

 

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして52

 

聞いてみて、初めてわかることがある-1

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 
hitohaku3f.jpg

 わたしには、聞いてみるまでわからなかったという経験が、何度もあります。聞いてみて初めて「そうだったのか」と思い当たる。聞いてみることは大切です。勝手な思い込みはひかえるべきです。当事者の意見を尊重するべきです。特に本人が身近にいる場合には、そして、気楽に話してくれるなら、ぜひとも聞いてみるべきです。

 

☆   ☆

 

 兵庫県には「トライやる ウィーク」という制度があります。中学2年生になった時、子どもがおとなの仕事を「学び」に行くのです。中学生になって、子どもの世界から、いろいろな世界が見えるようになった時に、おとなの世界を覗(のぞ)いておけば、現実の社会を知るいい機会になるはずだ。現実の社会に繋(つな)がるかもしれないという試みです。

 

 現代に生きる子どもたちには、現実の世界と空想だけで作ったバーチャルな世界が、区別できなくなっている人がいます。と言うより、(わたしも含めた)おとなには、現実世界の変化が速すぎて、「空想の出来事」だと思っていたことが、いつの間にか現実に起こっていると言った方が実感があるのでしょうか。でも、どれほど「想像を絶すること」であっても、現実の世界では、やるべきことと、やるべきではないことがあります。「できること」と「やっていいこと」は別物です。

 

 「トライやる ウィーク」に参加する中学生も、頭で考えただけの知識ではなく、現実の可能性として将来が思い描けるようになる。「トライやる ウィーク」は、そうあってほしいという試みかもしれません。今年は、わたしもひとり、中学生を預かることになりました。

 

 その生徒は、初めて出会うわたしに緊張気味でした(中学生ですから、初対面では、緊張して当たり前です)。しかし、会ってみるとハキハキとした、言うべきことが言える男の子でした。実を言うと、わたしも緊張していました。どんな中学生だろうと、内心、ドキドキだったのです。しかし、彼の言い方を聞いて安心しました。どうやら、わたしにうちとけてくれそうです。

 

 「トライやる ウィーク」は、その子といっしょに4日間、博物館の建物を見て回りました。

 

☆   ☆

 

 彼は博物館員になってみたくて<ひとはく>を選びました。ほかの中学生も、それぞれの研究員について行きました。標本の整理法だとか、ビオトープ("人工の自然"と呼べば、わかりやすいのかもしれません)の掃除といった、地味だが大切な日常の作業があるのだと教えてもらいます。

 

 その男の子には、どんな仕事をやってもらえばいいのでしょうか? 実は、その子でなければできないことがありました。それは「<ひとはく>の建物で、あなたにとって不便なところを教えて下さい」という課題でした。

 

 その子は電動車イスを使っていました。

 

 法律や条令では、公共の建物は誰でも自由に行き来できるように整えましょうと決まっています。ですが、<ひとはく>は20年以上前に建ちました。<ひとはく>が建つ前には、同じ建物がホロンピア館として博覧会で利用されていました。<ひとはく>の建物は古いのです。どれほど手直しをしても不便は残るでしょう。そんな不便を、車イスを使う来館者になって見付け、こんなところに、こんな不便があったのだと教えてほしい。こんな課題は彼でなければできません。それに、背の高さが車イスを使う彼と同じ幼児の目線ですから、その意味でも不便なところが見付かります。車イスを使う当事者や幼児でもなければ、おとなには、なかなか不便に気がつきません。そんなところは、ぜひ直して行かなければなりません。今すぐ手直しができなくても、こんなところに、こんな不便があるのだと知っておかないと、将来、直すことはできないのです。その男の子の責任は重大です。

 

 わたしたちは作戦を立てました。まず二日がかりで館内を回って、不便を探します。次に博物館の周りを見て回ります。博物館の外は深田公園という市民公園になっています。また起伏の大きな三田市では起伏をカバーするために、博物館の屋上が一般の歩道になっているのです。ただし、男の子に歩道のことは秘密です。行ってみて、どのように驚くかが楽しみです。公園や屋上に車イスで行くためには工夫が必要です。階段は使えません。そのためのルートを考えました。山登りの要領です。

 

 その子にとって、山登りの計画を立てるのは、初めてでした。しかし、その辺はわたしが得意なのです。心配いりません。わたしは以前から野外に出ることが得意でした。登頂の計画なら「まかしておきなさい」なのです。

 

☆   ☆

 

 館内を回って、彼が教えてくれた不便なところです。

 

1.うかつな人が段差と感じない段差も、彼の腕の力やモーターの力では、乗り越えられなかった。

2.机の高さの設定は低いものがあり、研究室の机は低すぎて利用できなかった。お弁当を食べるための机や情報端末は、車イスのままでも座りやすかった。

3.コンピュータが出すクイズの問題は、中学生でもわからない言葉が出ている。問題はひとはくの研究員が作ったのだが、何を聞いているのか、よくわからない問題があった。

4.ビデオ・コーナーはクッションの効いた棒状のイスになっていて、3,4人で見るのに便利だった。だが、車イスだと造り付けのイスがじゃまになって、ビデオの途中で押すスイッチには指が届かない。指が届かないので観る事を諦めてしまった(残念!)。

5.地球の仕組みを調べるコーナーは、おとなの背丈があって、やっと、磁石が回転することで何をしているのかがわかる。子どもや車イスの人では、スイッチは押せても、それでどうなったのかがさっぱりわからなかった。

6.背の届かない子のために、あちこちの展示に幼児用の踏み台が置いてあるが、車イスだとかえって邪魔になる。

7.スロープの勾配がきついので、恐い。恐竜ラボや駐車場の段差のスロープ、2階フロアーから1階フロアーを結ぶスロープは、ひとりだと恐かった(ボランティアの人が助けてくれたので、何とかなった)。

 

 車イスの利用者がスロープを恐いと感じるのは当然です。わたしには、どれほど恐いかがよくわかります。わたしも脳塞栓症(のう・そくせん・しょう)で右半身がマヒしているのですが、病気になるまでは平気で下りていた階段が、マヒをしてからは恐くてたまらなくなったのです。今でも、我が家の2階から1階に下りる階段は、手すりがあるのに恐い。

 

 しかし、段差が乗り越えられないとは、思いもしませんでした。男の子の腕にマヒがあるせいかとも思いましたが、それだけではないようです。電動車イスのモーターの力を借りても乗り越えられなかったのです。館内を自由に動き回るのは、ひとりでは無理だということです。

 

 幼児用の台と車イスでは、要求がバッティングしています。幼児用の台を置いたら車イスは入れない。車イスを優先したら、小さな子が見られない。う~ん......。

 

 外に出た時のようすは次に書きます。

 

 

 

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして51

憂うつな数学者-2

三谷 雅純(みたに まさずみ)


 A Beautiful Mind_FP.jpg



 大学の理学部で習う数学は、授業を2、3回さぼると、もう何をやっているのかわからなくなります。と言うより、数学はとことん抽象性の高い学問なので、「他人の解き方を学ぶ」のではなく、「自分にあった思考法のイメージを見付ける」学問だと理解しています。わたしの場合、数学(の「お勉強」)は高校までは、それなりに得意だったのですが、大学ではあっさりと挫折しました。以後、研究に必要な最低限の数学しかしていません。ですから、3回生や4回生の専門課程で数学を専攻した友人は、どこかまぶしく、光り輝いているように見えたものです。

 当然、数学者になるものだと思っていた、そんな友人のひとりは、大学院に進学するかどうかで迷っていました。結局、その友人は「自分には、とても数学者になる才能があるとは思えない。だから数学者になることは諦める。大学院には進まず、数学の教師になろうと思う」と言ったのです。なぜその人が数学者ではなく教師になろうと思ったのか、真意はわかりませんでした。きっと数学者になるには、人並み外れて「個性的」である必要があったのでしょう。友人は常識人であり過ぎたのかもしれません。

☆   ☆

 シルビア・ナサーの『ビューティフル・マインド』(新潮文庫) (1) は、数学者ジョン・ナッシュ (John Nash) の伝記です。ナッシュの数学者としての思考力は、群(ぐん)を抜いていました。大学院時代に研究したゲーム理論では、後にノーベル経済学賞を受けています。しかし、その振る舞いは自己中心的でした。ナッシュは発達障がいのせいで、自分以外の第三者にも<こころ>があるのだと、なかなか認識できなかったのです。

 ナッシュは傲慢(ごうまん)でした。マサチューセッツ工科大学 (MIT) に教員として勤めていた頃、あんまり他の数学者をバカにするので、「Gナッシュ」(この本では「歯ぎしり野郎」と訳してありました:英語の "gnasy" は歯ぎしりのことです)とあだ名が付きました。すると反対に、こう言い返したそうです。

「Gはもちろん天才 (Genius) のGさ。実際、このごろのMITには天才がほとんどいないからな。そりゃ、まず、ぼくさ」(p. 352)。

 またナッシュは、得意そうに社会的俗物性をひけらかしていたそうです。この本には「自分は旧家の出であるとほのめかし、パーティではワインの香りを嗅(か)いで、『うん、これはなかなかいけるキャンティだ』などと言った。とりわけその俗物性が際立ったのは『ほとんどユダヤ人ばかりの社交場で、自分はユダヤ人ではない』と強調したことだろう」(p. 352)と書いています。ナッシュが人種差別論者であったのかどうかはわかりませんが、少なくとも「人種差別論者」として振る舞ったのは確かです。これは発達障がい者によく見られる、幼児性の表れだと思います。

 このような自己中心的な振る舞いは、家族にも向けられました。ナッシュには奥さんの違う息子がふたりいたのですが、最初の奥さんとは、通常の夫婦関係が築けませんでした。と言うより、ナッシュには、その奥さんや、ふたりの間に生まれた赤ん坊が、自分と同じように<こころ>のある存在だとは理解できなかったのです。奥さんの言葉によれば、ナッシュは「(息子のためにではなく、自分の満足のために)息子のそばに、いつもいたいようでした」(p. 414)と言っています。しかし、充分な給料をもらっているにも関わらず、当然負担するべき赤ん坊の養育費や奥さんのための生活費は負担しなかったそうです。

 2番目の奥さんは、ふたりの間の子どもの事よりも、まずナッシュのことを考えて過ごしたようです。この奥さんはエルサルバドルの裕福な家庭の出身でした。お金には困っていなかったという出自も、ナッシュのことだけを考えて生活できた事に関係があったのかもしれません。

 

 そのような人と友人として付き合うのは、わたしには、ためらわれます。できれば付き合いたくない。しかし、ナッシュのような人は、どこにでもいるものです。あなたの周りにも、きっといるでしょう。付き合わずに済ますというわけにはいきません。第一、気付いていないだけで、私たちの中にも「ナッシュ」が潜んでいるのかもしれないのです。

 

 数学者としての高い能力やノーベル賞の受賞という世間的な成功とは裏腹に、ナッシュのたどった人生は、決して成功したものではありませんでした。ナッシュの発達障がいには統合失調症の遺伝的素因がありました。統合失調症には遺伝的な要素が深く関わります。ナッシュの統合失調症は、ふたり目の息子が生まれた時期から現れます。30歳頃のことでした。この時期から10年以上に渡って、ナッシュは入退院を繰り返しました。

☆   ☆ 

 わたしは、この本を読む時、注目したことがふたつあります。それは:

1 統合失調症がよくなった後、ナッシュは第三者にも「その人独自のこころがある」と悟るようになるのだろうか? そして、

2 統合失調者であるナッシュの子どもは、どのような人生を送るのだろうか?

 というふたつです。



 治療の後、ナッシュは、「人には誰でも、その人なりのこころがある」と悟った態度を取りました。例えば、ノーベル賞を受賞した後のエピソードでは、

「実のところ、現在のナッシュの生活にとって、研究は主要な事柄ではなくなっている。重要なのは、家族や友人や共同体と再度結びつきを深めることで、これはすぐにも実行しなければならない緊急事態だった。彼のなかでは自分が他人に頼り、他人も自分に依存する関係について、むかし抱いていた恐れはもう消え失せ、自分を必要とする人々と和解し、その世話をしたい気持ちが一番大切になっていた。いまでは、およそ二五年も仲たがいしていた妹マーサと週に一度は電話で話をし、息子のジョニーが、もっとも大事な、絶え間のない関心の対象となっているのだ。」(p. 911~p. 912)

とあります。統合失調者であったナッシュの人生は、すっかり変わりました。そのうちにナッシュは、

 

「頑(かたく)なで、よそよそしく、自己中心的で、時間に(金銭にも)うるさかったナッシュが、いまでは皿洗いも、預金の出し入れも、毎月曜の晩に連れ立って家族療法に出かけることも、まずアリシアに相談せずには何ひとつ勝手にことを運ばず、彼女の言うことを聞き、彼女を助けようとして」(p. 918)

いたということです。アリシアというのは2番目の奥さんのことです。このようなエピソードについて、この伝記を書いたナサーは:

「ナッシュは、おそらく知的には後退し、若いころに匹敵する業績はもう達成できないかもしれない。だが、かつての人間以上の人間になったのはまちがいない」(p. 925)

と述べています。穏やかな生活ができるようになったのなら、それが一番です。数学者としてキラキラ輝いていた(ギラギラしていた?)としても、友人はおろか、家族のこころも認識できないよりは、ずっと幸せなのではないでしょうか。

☆   ☆

 ふたりの息子の内、弟は父に似て大学で数学を教えました。そして統合失調症も出てしまいました。弟の名前はジョニーです。

「(ジョニーの症状は)しばらくのあいだは落ち着いていたが、そのうちに紙で作った王冠をかぶり出した。ある日の午後、彼は金がほしくなり、自分は国王(ソブリン:独立国家の統治者)だと信じていたためにソブリン銀行から金が引き出せると考えた。ところが、銀行前のATMから現金は出てこないどころか、差しこんだ銀行カードも戻ってこない。みじめな思いで動揺したジョニーは、ソブリン銀行に口座を持っている母に、ATMのところへきてカードを取り出してほしい、と電話をする。(中略)そのうちに(自分の思い通りにならないので)ジョニーが怒りだし、太い棒きれを拾い上げて、はじめに(息子の窮状を聞いて駆けつけていた)母を、それから父を突きはじめた。通りの向こうの歩行者が、若い男が年老いた男女を脅している光景を見て足をとめた。ナッシュはそのひとりに向かって、警察を呼ぶように大声で頼んだ」(p. 912~p. 913)

☆   ☆

 父と音信がなかった長男ジョン・デヴィッドは看護師になりました。長男は他人の力になることに喜びを見いだしたのです。しかし、ジョン・デヴィッドに再会した時、長男のためにと思ってしたことのようなのですが、ナッシュは真意に反して「冷淡でよそよそしい、と言われかねない言い方しかできなかった」そうです。「仕事の選択にも文句を言い、看護師などは、自分の息子にはそぐわない職業だとほのめかし、看護学の修士号を取るぐらいなら医科大学に入るべきだ、と強要した」ということです。この長男へのふるまい方を見ると、ナッシュの本質は何も変わらず、「ナッシュはナッシュのままだ」と言いたくなってしまいます。

☆   ☆

 統合失調症のような遺伝的な病気では、「治癒」とは呼ばず「寛解(かんかい)」と言います。統合失調症は「治る」のではなく、「落ち着く」ものなのです。それは一生付き合うべき、性格のようなものです。ですから、その人を遠ざけたり、閉じ込めたりするよりも、症状が落ち着いたら、できるだけ社会の中で生活するように仕向けるべきです。

 かつて統合失調症は不治の病だと思われていました。しかし、ナッシュのように寛解(かんかい)して、ふたたび社会生活を送れる人が現れました。今では、かなりの統合失調症が寛解(かんかい)の後、社会に復帰しているはずです。それを実現するためには、クッションのような柔軟な共同体が必要でしょう。そして統合失調症者は、時として「悪夢に捕らわれる」のですから、統合失調症者の良いところとともに悪いところも、周りの人はよく理解しておく必要があります。ノーベル賞の受賞記念講演によれば、ナッシュの精神の安定には大学の図書館が効果的だったそうです。図書館であれば静かな上に、必要であれば情報がすぐに利用できる環境だからです。また、当事、新たに起こったコンピュータのプログラミングに没頭できたことも、効果があったと言うことです。何が良いかは、きっと、その人によって違うのだと思います。


 長男への態度を見ると、自己中心的で傲慢(ごうまん)なままのナッシュでした。このような人を見ると、無念な気持ちになります。落ちつている時もあるのですが、問題によっては、簡単に以前の自分に戻ってしまうのでしょう。

 ナッシュの苦しみは、どのようなものなのでしょうか? わたしには、この本を読んでもまだ、十分には実感できません。しかし、その苦しみが積み重なって、時には穏やかに、時には傲慢(ごうまん)になる。このことを考えていると、わたしたちの人生も同じなのだと気づきます。こうと決めたからといって、その通りにできる人などはいません。その上、人は誰しも自分の人生を逃れることはできないのです。それを、自分を縛る「鎖」と考えるか、「自由への跳躍台」と考えるかは、その人自身によるのでしょう。努力は実を結ぶこともあるし、結ばないこともある。しかし、結ばなくても、努力することで新たな生き甲斐が生まれるのだと思います。今のわたしは、それを信じています。

---------------------------------

(1) 『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡』(シルビア・ナサー 著、塩川 優 訳、新潮文庫 シ-38-6)

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして50

憂うつな数学者-1

                              三谷 雅純(みたに まさずみ)

751px-John_f_nash_20061102_2.jpgのサムネイル画像                              数学者 ジョン・ナッシュ(2006年、ドイツでの数学のシンポジウムで。Wikipedia より)


 ネイチャー (Nature) という雑誌があります。最新の論文やニュースを載せた科学誌で、たまたま流行の最先端にいる科学者は、この雑誌に何とか論文が載らないものかと四苦八苦するそうです。

 そのネイチャーです。Eメール・アドレスを知らせておけば、毎週、自動的に新しい情報を送ってくれるサービスがあって(無料です)、同じような科学誌サイエンス (Science) といっしょに、わたしはネイチャーに情報を送ってくれるように頼んでいるのです。そのネイチャーに面白い記事がありました。2014年1月16日号の「今週の注目記事」に、「自閉症と統合失調症に見られる遺伝的変異」という論文があったのです。その論文の解説によると、自閉症と統合失調症には共通した遺伝的な変異、つまり多くの人との違いが見つかるのだそうです。

 自閉症は発達障がいの一種です。一方の統合失調症とは、遺伝と環境が深くかかわった精神疾患です。およそ100人にひとりの割合で罹(かか)るそうです。この2種類の症状には、遺伝子のレベルで共通性があるというのです。

 「やっぱり」と言うか、何と言うか。この2種類の精神疾患当事者には症状に共通するものが結構あるし、ご本人が発達障がいだった人の親族には、統合失調症の人がよくいると耳にします。発達障がいでは必ず引き合いに出されるアルバート・アインシュタインにも、統合失調症の息子さんがいたということです。

 ヒトに限らず生物の遺伝の大半は、ある遺伝子があるかないかと言った単純なものではありません。自閉症や統合失調症も例外ではありません。複数の遺伝子が関わっています(医学の世界では、それを「多因子遺伝(たいんし・いでん)」と呼んでいます)。ネイチャーの記事は、「関わりのあるたくさんの遺伝子の一つに共通の変異があり、たまたま症状が出ていない人でも、脳の構造には、症状が出ている人と同じような変化が見られる」というものでした。ところが、これに輪をかけて、さらに驚くような発見が報告されていました。インターネットで調べてみると、2013年のランセット (The Lancet) という雑誌には、自閉症と統合失調症だけでなく、ADHDや双極性障害(そううつ症)、大うつ症の五大精神疾患と呼ばれるもの全てに、共通の遺伝子が影響しているというのです。

 誤解のないように、もう一度繰り返しておきますが、このような「精神疾患」と言われる症状が出るのは、いくつもの遺伝子から同時に影響を受けた時だけです。その遺伝子は、元来、全ての人が持っているものです。その程度が大きく、しかもある環境がそろったから症状が出た。何も「特別な人」だけが持っている遺伝子ではありません。「ある環境」とは、「強い精神的なストレスがかかった時」とでも言えばいいのでしょうか。どんな時に「強い精神的なストレス」がかかるのかと言うと、具体的には「愛する人の死」とか、戦場で「殺されかけた」、あるいは戦場で「人を殺した」体験などのことです。

 自閉症と同じく統合失調症にも、症状には軽い/重いがあるそうです。つまり、多数者と変わらない人――ストレスがなく、症状の出ていない人は、そう言えるのかもしれません――から、重い統合失調症の人まで、症状は人によって連続的に変化するそうです。自閉症スペクトラム同様、統合失調症にもスペクトラムが存在するのです。

 重い統合失調症の人はその疾患に苦しみますが、軽い統合失調症の人――「統合失調型人格障がい者」と呼んでいます――は、見るからに変わった人です。変わった人ですが、しかし、しきたりに捕らわれずに、飛んでもないことがひらめいたり、高い創造性を示したりすることがあるそうです。つまり、<天才>なのです。

 トーマス・アームストロングさんの『脳の個性を才能にかえる』によれば、この<天才>は、アウトサイダー・アートの美的感覚に共通するものだそうです。アウトサイダー・アートというのは、通常の芸術文化ではなく、「外にいる人びと」が創る芸術です。そしてその作品には、独自の芸術的価値があるそうです。そのよい例がヘンリー・ダーガーです。ダーガーはアメリカのシカゴで清掃員の仕事をしていました。そして、ダーガーが死んだ後、アパートには、誰に見せるでもなく創作した絵画と文章の山が発見されました。自分のためだけに描き、また書き上げたのです。その大部(たいぶ)の原稿は、『非現実の王国と呼ばれている国で、子ども奴隷の反乱によって発生したグランデコ・アンジェリニア戦争のヴィヴィアンの少女たちの物語』というシュールな題が付けられていました。世界の善と悪の戦いを描いた戦争ファンタジーで、多数の挿絵(さしえ)もあったそうです(『脳の個性を才能にかえる』の「第8章 べつのキーで考える――統合失調症」,214ページ)。

 人間の歴史では、統合失調症の人を「神懸(かみが-)かりの人」とか「聖なる愚者(ぐしゃ)」と呼んで、かつては、通常の人とは異なる特別な存在として尊重したようです。シャーマンには統合失調症の人がよくいたのでしょう。カメルーンのカラマルエというサハラ砂漠に近い街で出会った男性のことです。わたしが見かけたその男性は、素っ裸で市場の太陽の下に寝そべり、陰を求めるわけでもなく、一日を寝たり起きたり、フラフラと歩き回ったりして過ごしていました。何も着ていないにもかかわらず理知的で、目の奥底には静かな精神性や分別といったものの存在が感じ取れました。市場に買い物に来た男女や市場の商人は決してその男性を追わず、その男性もまた、人びとの邪魔にならないように振る舞っているようでした。わたしはその男性の言葉を、直接、聞いたわけではありません。しかし、今から思えば、その男性は統合失調症だったような気がします。フランスの哲学者ミッシェル・フーコーの『狂気の歴史』によれば、(十八世紀より前には狂気が深刻には受け止められず)「当事、狂人は容易に放浪しうる生活を営んでいた。都市は狂人を市域の外に放逐しがちだったし、ある種の商人や巡礼に預けられなかった場合、彼らは人里離れた野を自由にさまようことができた」そうです(『脳の個性を才能にかえる』,217ページ)。

 人は<天才>をうらやみます。自分にはできないことを、苦もなくやってしまうからです。しかし、<天才>には<天才>なりの苦悩があります。アメリカ人の数学者、ジョン・ナッシュ (John Nash) は、ゲーム理論で有名です。1994年にはノーベル賞を受けました。そしてナッシュは、たとえ恋人であったとしても、自分以外の人に自分とは異なる精神が存在し、それを尊重するべきだと認識できない精神発達の遅れがありました。

 次に書くのは、シルヴィア・ナサーという人が書いたジョン・ナッシュの伝記『ビューティフル・マインド:天才数学者の絶望と奇跡』の読後感です。(次につづく)

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして49

わたし達は、皆、当事者の一人ひとり

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

activity_camp_MMitani05Dec.jpg

キャンプ生活の活動。フジのツルを使って何かを作ります。

 
 「平均的な」という言い方をします。「平均的な成績」とか、「平均的な体格」とか言う時の「平均的な」です。「平均的な」に「人」を付けた「平均的な人」は、「多数を代表する人物像」という意味が含まれます。「平均値」をはずれるような人は稀(まれ)だと、多くの人が信じているからです。

 ですから、何かを新しく決める時、「平均的な数値」になるように決めておけば安心です。そんな気がします。一番人数が多いのですから、それだけ満足する人が多いはずです。このやり方は選挙や世論調査でも同じです。選挙をして、「一番、得票の多い人を代表にする」とか、世論調査では、「これこれの意見が一番多い」という時と同じ理屈です。

 

 多数決で決めるのは民主主義的な気がします。しかし、少し考えてみると、多数決では決められないものが よくあることに 気付きます。好きか嫌いかといった好みの問題がそうです。甘いミルク・セーキが好きな人に、苦いお茶は強制できません。たとえ苦い味を好む人が多くいたとしても、苦い味を「全体の味」にすることはできないのです。

 性や年齢でも同じことが言えます。今いる集団に男性が多いとか、女性が多いという理由で、その集団のシンボル・カラーを決めようとするのはナンセンスです。シンボル・カラーを決めるのであれば、その集団の特徴をよくあらわす色を選ぶのが普通です。例えば水泳が好きな人の集まりなら水がイメージできる水色にするとか、フラダンスの同好会なら風と花がイメージできるツートーン・カラーにするとかです。人生をどう生きるべきかと言った信条(しんじょう)でも同じでしょう。隣に住む人がどんな信条(しんじょう)を抱いているかは、あなたの信条(しんじょう)とは関係がありません。信条(しんじょう)は人によって違います。今まで生きてきた経験で決まるものだからです(もちろん、「正しい生き方」はあると思いますよ)。

 よく考えてみると、全ての人は必ず、「平均的な特徴」とは違う、はずれた性質を持っています。他の教科に比べて数学なら何時間でも夢中になれる人がいますし、運動は得意ではないけれど、スキーなら任せてほしいという人もいるはずです。「平均的な特徴」は集団全体の傾向を知るには役立ちます。しかし、個人個人がどうであるかはわかりません。個人と集団は分けて考えなければいけません。

☆   ☆

 我われは一人ひとりが個人として生活しているのですから、社会は、その人の生活にあった場所や時間、制度や道具を揃えておけば住みやすくなります。そうでないと、「平均」からはずれた特徴を持つ人――くり返しますが、皆、どこかに「平均」からはずれた特徴を持つはずです――は、何かを我慢しなければなりません。

 ところで、「平均」からはずれた特徴を持つ人が何かを我慢するというのは、それほどいけないことでしょうか? 我慢は生活に付きものです。我慢しないのは我が儘(わがまま)です。そうではないでしょうか?

 これは大切な問題ですから、はっきりと書いておきます。わたしは、決して我が儘(わがまま)だと決めつけることはできないと思います。

 

 次に書くのは、ただの、わたしの空想です。キャンプをする場面を想像してみて下さい。山でテントを建てたり、火をおこしたりする活動です。自分でやってみれば、すぐにわかることですが、キャンプ生活には、すぐ馴染む人もいれば、なかなか馴染めない人もいます。○○さんは見かけによらず簡単に火がおこせたが、横柄な口を利く□□くんは、言葉のわりに、ひとりでテントも建てられないとかです。それでも大体の人は、何日かすれば自分ひとりでキャンプ生活ができるようになるものです。キャンプの世話をやく年長者のキャンプ・リーダーは、あるグループに合格点をあげたくなりました。しかし、ひとつ困ったことがあります。キャンプの経験をしに来ていた△△ちゃんは脳性マヒで、うまく歩けなかったのです。指や手も器用には使えません。ひとりでキャンプ生活をすることができないのです。こんな時は、どうしたら良いのでしょうか。

 わたしは、△△ちゃんがひとりでキャンプ生活ができないからといって、決して我が儘(わがまま)だとは思いません。

 では、どうすれば良かったのでしょう? キャンプに参加している皆が、助けてあげればよかったのでしょうか? それもあります。しかし、もっと大事なことは、脳性マヒの△△ちゃんに、反対に「助けを借りる」ことなのです。「助けを借りる」? 普通の人が脳性マヒの人に助けを借りる? 一体、何のことでしょう。

 それは、人と人が助け合う工夫の仕方を学ぶということです。キャンプ生活の本質は、自分ひとりで何でもできることよりも、助け合う工夫の仕方を学ぶことにあるのです。

 △△ちゃんのことで困っていたキャンプ・リーダーは、健常者、つまり非障がい者だったのでしょう。非障がい者であるリーダーが自分のわかる範囲で考えてみた。キャンプ生活で大切なことは、自分ひとりで何でもできるようになることだと考えた。そう考え、実践したリーダーは立派でした。しかし、脳性マヒの△△ちゃんは、自立よりも、互いに助け合うことが大切だったのです。そのことに思いが及ばなかった。これはリーダーの(健常者=非障がい者としての)至らなさです。

 キャンプに参加した△△ちゃんにとって、キャンプでは人の助けを借りるばかりではなく、自分でも、どうすれば人の助けになれるかを、懸命に試行錯誤したはずです。健常者のように動けないことは、自分自身が一番よく知っていたのですから。その意味で、このキャンプの体験は貴重でした。我が儘(わがまま)にならないように自分をコントロールし、仲間に助けてもらいながら、自分もまた、どうすれば仲間の力になれるかを工夫する。このことを実際の経験を通して学んだのですから。

 教科書ではなく、経験を通して何かを学ぶ。人は、経験から学ぶことの方が、教科書で学ぶことよりも何倍も多いと思います。

 わたしの空想は続きます。わたしは、△△ちゃんが、将来、経験を積んだキャンプ・リーダーになれたら、そんなすばらしい事はないと思っています。脳性マヒで身体は思うように動きません。ひとりでリーダーはできないかもしれない。しかし、健常者(=非障がい者)との共同リーダーになら、なれます。障がい者同様、健常者にも、非障がい者ゆえに気が付かないことは多くあります。人と人が、互いに気が付かないことを補い合う。すばらしいチームができるでしょう。

 人を平均値でだけ見る感性は愚(おろ)かです。多様な人のあり方を考慮して、新しい枠組みで見るべきだと思います。人を集団ではなく個人個人で見る。そのためには、パラダイムの転換が必要です。

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして48

人びとを迎えるために-2

三谷 雅純(みたに まさずみ)

communication_disorder_MitaniPresentation.jpg

八木 剛さん撮影

 平成26(2014)年2月4日に、人と自然の博物館で「障がい者を迎えるための接遇研修」を行いました。神奈川県立 生命の星・地球博物館の田口公則(たぐち きみのり)さんが「視覚障がい者への接遇」を、わたしが「コミュニケーション障がい者への接遇」を説明しました。今回書くのは、「コミュニケーション障がい者への接遇」のようすです。この話題はわたしの総説を基に構成しています (1)

☆   ☆

 コミュニケーション障がい者とは誰のことでしょう? このことを理解するには、人の一生を思い出してみるのが近道です。人間の一生は胎児とか赤ん坊から始まります。胎児にせよ赤ん坊にせよ、<ことば>は喋れません。言ってみれば、胎児や赤ん坊は「コミュニケーション障がい者(のような存在)」です。

 普通に<ことば>と聞いて思い浮かべるのは音声言語(=発話言語:はつわ・げんご)でしょう。音声言語をうまく使いこなすには喉(のど)の器用さが必要です。自由に音を作り、音を発する。音がなければ発話(はつわ)は産まれません。しかし、喉(のど)の器用さよりも もっと大切なのは象徴性(しょうちょう・せい)です。象徴性(しょうちょう・せい)は、人だけの特徴です。

 「象徴性」とは何でしょうか? 例をあげて説明しましょう。子どもが「車だよ」と言って積み木を手に遊んでいたら、それは積み木を象徴的に「車」と見なしているのです。なぜなら、積み木は木材の切れ端であって車ではないのだし、しかも遊んでいる子どもは積み木と車とは別物だと知っているはずだからです。別物だと知っていて、あえて積み木を「車」に見立てて遊んでいるのです。

 同じように、子どもが座布団を赤ん坊のように負ぶって「あやす」時もそうです。座布団をくるくる巻いて、ちょうど赤ん坊ぐらいの大きさにして背負います。「赤ん坊」を象徴的に表すものとして、座布団を丸めて遊ぶのです。ママゴト(飯事)遊びも、まったく同じです。子どもが集まって雑草の葉を千切(ちぎ)り、ドングリを並べて「食事」を作ります。それをまるで本物みたいに「食べる」(まねをする)のです。

 このような象徴性は<ことば>にも必要です。例えば<バ><ナ><ナ>という三つの音を聞いて、どんなイメージを浮かべたでしょうか? 「バナナ」という単語を知った人なら、あの甘くて黄色の、細長い果物(くだもの)をイメージしたことでしょう。しかし、本来<バ><ナ><ナ>という音の連なりに理由があるわけではありません。<ピ><サ><ン>でも、<ム><サ>でもよかったのです。ところが<バ><ナ><ナ>でなければいけなかった。それは、日本語(や英語やフランス語)には<バ><ナ><ナ>という音の連なりに象徴的な意味が込められているからです。だから、その意味につられて、思わず甘いバナナをイメージしてしまったというわけです。

 元来は連なりにすぎなかった音から物事がイメージできる。これが<ことば>の本質です。ヒト以外の、例えばチンパンジーやゴリラが、音の連なりから何かをイメージすることはありません。人の赤ん坊は<ことば>の象徴性を「理解」し、「音の連なり」を意味のあるものとして捉(とら)えます。そして(健聴なら)聞こえた音をまねし、自分で発音してみて、周りの人の発音と比べるのです。これをくり返すことで、いつしか正しい発音の<ことば>を話すようになる。これが母語の獲得です。

☆   ☆

 コミュニケーション障がい者には、この象徴性の獲得が遅かったり、元もと備わっていた象徴性を導く脳の神経回路が、事故や病気の後遺症で壊れてしまった人たちがいます。知的障がい者や発達障がい者は獲得の遅い人たちですし、失語症者の一部は、その能力が二次的に失われてしまったのです。

 忘れっぽくなったり、自分のいる場所や時代が混乱する失敗は高齢者に多いのですが、若くても出てしまう人がいます。このような人は認知症者と呼ばれていて、コミュニケーション行動や<ことば>に問題が出ることがあります。中には<ことば>を話さなくなる人までいるのです。

 もっと別の理由で、音声言語を話す人とコミュニケーションの取りにくい人がいます。最初から伝達するモードの異なる人たちです。ろう者は生まれつき聴覚を使いません。ですから耳に頼る人のように、赤ん坊の時、「周りの人の発音と較べてみる」ことはありません。その代わり視覚言語が発達します。これはサイン言語とも呼ばれています。つまり手話のことです。

 ろう者は音を聞くことがありません。ですから聴覚に頼る人とは話ができません。話ができない状況を避ける方法はふたつあります。ひとつは健聴者も手話で話すこと。もうひとつは書き文字で対応することです。最近は講演会などに手話の同時通訳を付けることが多くなりました。「手話も自然な言語(=日本では日本語)の一種だ」という認識が広がったためです。また講演内容を同時通訳のように文字で書き、OHPやコンピュータで画面上に表す「要約筆記(ようやく・ひっき)」という技術も普及しつつあります――人と自然の博物館の講演会やセミナーでは、未だにどちらも、全く、ありません(わたしが少し試みています)。

 盲人や弱視者のような視覚障がい者は音声言語での会話が可能です。しかし、絵や風景の説明をしてもらっても、盲人の側がそうした説明に慣れていなかったり、説明をする側が盲人に説明をする訓練をしていないと難しいでしょう。また生まれつき盲(もう)だと、感覚のするどい指先が目のような役目を果たすのですが、例えば「色」や「遠くの風景」、「星座」などは指先で触(さわ)れません。この場合、正確に認識することは難しいのかもしれません。もちろん、盲人や弱視者は、講演会でも会議でも、音声言語が十分に伝わります。それでも視覚情報に頼らねばならない印刷した文字(墨字:すみじ)やコンピュータ画面上の絵とかグラフ、ガラスで囲まれた展示品などは指先で触ることができません。タッチスクリーンで入力をする携帯情報端末や携帯電話は、今、大流行(おお・はやり)ですが、全盲の人には何をしているのかがわかりません。視覚だけに頼る情報は、全盲の人にとって「ない」のと同じです。

communication_disoeder_audience.jpg

八木 剛さん撮影

 このように、一口にコミュニケーション障がいといっても、多種多様な人がいます。多種多様な人なのですから、対処法もさまざまだと、ついつい思ってしまいます。ところが対処法は、意外なほど単純なのです。

 例えば文章は、全盲の人を除けば:

大きくルビを振る。
(ルビには限りませんが)「おおきく るび を ふる」のような分かち書きを活用する。
活字はできるだけ大きく、文章は少なくする。
絵や写真の多用は有効な事が多い。
絵記号やパラパラ・マンガ、折り紙、バード・カービングやデコイ(=木で作った鳥の飾り物)も利用できる。

以上のことに気を付ければ、多くの人とコミュニケーションできます。

 また発話言語で話をする場合には:

話しことばとともに、話しことば以外のジェスチャーや絵、書き文字などの視覚的な手がかりを与えるように工夫する。
ゆっくり、はっきり、くり返して話す。

といったことが大切だとされています。

 コミュニケーション障がい者に何かを伝えたい時、便利なのがマルチメディアDAISY (2) です。マルチメディアDAISYなら絵や写真が使えますし、文字に書いただけでも、機械が声に出して読んでくれます。ですから、全盲の人も使えます――多くの図書館には、テープレコーダー代わりの、絵の出ないDAISYが普及しています。わたしの書いた『ヒトは人のはじまり』もDAISYにして いただき ました (3) 。しかし、テープレコーダー代わりのシンプルなDAISYは、絵や写真が使えないので、ユニバーサルな利用はできないのです。マルチメディアDAISYになって初めて、全盲者も含めた全員が文章を読めるようになります。マルチメディアDAISYの課題はまだまだ多く、現在、研究開発中です。しかし、順次公開されていて、すでに利用可能です。

☆   ☆

 これからの課題について、ふたつ挙げます。

 ひとつは多様な来館者への対応法です。人と自然の博物館ではフロアスタッフと呼んでいますが、来館者に直接対応する博物館員は、「活字はできるだけ大きく、文章は少なく」とか、「ゆっくり、はっきり、くり返して話す」こととかは、十分、訓練を積んでいます。わたしは、子ども向けのオープン・セミナーでチンパンジーが絵を描いたり、釣り棒をシロアリ塚に突っ込むようすをコンピュータ画面で見てもらうのですが、それだけだと、小さな子は飽きてしまいます。それで、フロアスタッフにお願いして、「おんぶザル」や「だっこザル」の折り紙をしていただくのです。その時は、わたしなど真似ができないほど巧みにコミュニケーションを取ります。小さな子は、わたしの話なんかより、フロアスタッフと折り紙目当てで集まって来ているに違いありません。

 しかし、まだ言葉が喋れない赤ん坊や思春期の青年、高齢者ではどうでしょうか? 「孫にせがまれて参加したお祖母さんが、孫といっしょに折り紙をする」といった例はありますが、赤ん坊(があまりに非現実的なら、赤ん坊を連れたお母さんとかお父さん)や青年、高齢者の楽しめるプログラムや教材は、あまり ありません。このような性や年齢、障がいの有無など多様な人びとが楽しめるプログラムや教材は、これから工夫して創り出さなければ、世の中に多くはないのです。

 思春期の青年向けに作られた絵本として、LLブック(=読みやすい図書)の『赤いハイヒール』 (4) を挙げておきます。

ll_book_red_highhiil.JPG 恋愛やキスをする場面など、普通の絵本にはありえませんが、この絵本は幼児向けに作られたのではなく、文字の読みにくい青年のために作られたので、このような場面が入れてあります。このスライドは、マルチメディアDAISYの『赤いハイヒール』を一部改変して作りました。

 

 ふたつ目は、マルチメディアDAISYの録音素材の問題です。DAISYにせよ、マルチメディアDAISYにせよ、今、商品として売られているものは人の肉声を吹き込んで作られたものです。本をDAISYに作り替えるような場合は、訓練を受けたボランティア・アナウンサーの存在が重要です。ボランティアがいなければ、せっかくの本を楽しめない人が、たくさん、いるからです。しかし、図や写真の入った書類や展示解説など、何でもかんでも人間のボランティア・アナウンサーに録音していただくというのは非現実的です。

 そこで、「ぜひ人工音声で」ということになるのですが、人工音声で作った録音をコミュニケーション障がいのある皆さんに聞いていただくと、結構多くの人が「何を言っているのか、わからない」とおっしゃいます。わたしが説明する声はわかるのに、「人工音声はわからない」とおっしゃるのです (5), (6), (7), (8) 。なぜでしょうか? 単にコンピュータで作る音に慣れていないだけかもしれません。人工音声では<ことば>にとって大事な象徴性を導く脳の回路が働かないのかもしれません。あるいは、人工言語には音響学的な問題があるのかも知れません。事実、人工音声というのは、健聴者にそれらしく聞こえる事が優先され、音響構造は肉声とは異なる点が多いのです。コミュニケーション障がい者にも聞こえやすい人工音声が安価にできれば、DAISYだけでなく、介護ロボットや駅とか空港の自動アナウンスの声も、コミュニケーション障がい者にとって格段に聞きやすくなるでしょう。

 生涯学習施設では既存の学問を学ぶだけでなく、性や年齢、障がいの有無に関わらず、皆で協力して創り上げる楽しみがあります。それは、まさにユニバーサルな空間の創造です。

-------------------------------
(1) 「人と自然 Humans and Nature」24: 33-44 (2013). 「生涯学習施設は言葉やコミュニケーションに障がいを持つ人とどう向き合うべきか: 総説」
http://www.hitohaku.jp/blog/2014/02/04.pdf

(2) マルチメディアDAISYの説明がしてある web ページは:
http://www.iccb.jp/mmd/
http://www.dinf.ne.jp/doc/daisy/about/index.html

(3) DAISY版『ヒトは人のはじまり』は、新宿区立図書館に作っていただきました。
http://www.city.shinjuku.lg.jp/content/000125745.pdf
 読みたい人がいれば、地元の図書館や各地の点字図書館に頼めば取り寄せてくれるはずです。

(4) 読みやすい図書『赤いハイヒール』
http://www.dinf.ne.jp/doc/daisy/book/multimedia/redhi.html

 

ll_book_red_highhiil_FrontPage.JPG

 

 

 

 

 

『赤いハイヒール』は、知的障害のある若い女性の恋のお話で、シンプルに理解しやすい文章で構成されています。また「障害」のある人たちとその親の思いや、自立への強い願いが「赤いハイヒール」によって象徴的に描かれている本です。この本は1994年、スウェーデンの「読みやすい図書基金」から出版されました。「読みやすい図書基金」は、国の補助を受け、普通の本では理解がむずかしい方々を対象に、「わかりやすい・読みやすい」ということを念頭におき、イラストや写真の構成、レイアウト、文字の大きさ、ストーリー構成、語彙など様々な工夫をした本や新聞を出版しています。『赤いハイヒール』は「世界のバリアフリー絵本展(2002年)」で、国際児童図書評議会から、障害のある青少年向けの推薦図書に選ばれました。((財)日本障害者リハビリテーション協会の web ページに載っていた翻訳者からの推薦)

(5) 失語症者に助けてもらうー1
http://hitohaku.jp/blog/2012/06/post_1556/

(6) 失語症者に助けてもらうー2
http://hitohaku.jp/blog/2012/06/post_1563/

(7) 失語症者に助けてもらうー3
http://hitohaku.jp/blog/2012/07/post_1564/

(8) 「人と自然 Humans and Nature」23: 61-67 (2012). 「DAISYを使ったコミュニケーション障がい者にもわかりやすい展示解説の試み」
http://hitohaku.jp/blog/2014/02/NH23_05_61_67.pdf


 この研修は一般財団法人 全国科学博物館振興財団による平成25年度 科学系博物館活動等助成事業13112「コミュニケーション障がい者にも理解しやすい展示解説技術の研修」(人と自然の博物館,対応者 三谷雅純)として採択されたものです。最後の「これからの課題」にあげた点は、まさに平成25年~27年度 科学研究費助成事業(基盤研究(C))25350404(研究代表者 三谷雅純)で取り組んでいる課題です。関西テレビCSRでは、CSR推進部の森田誠二さんとアナウンサー部の山本悠美子さん、新見彰平さん、製作技術部の水川賢一さんをはじめとする皆さんにお世話になりました。お礼申し上げます。

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして47

人びとを迎えるために-1

三谷 雅純(みたに まさずみ)


IMG_6759_02.jpgのサムネール画像                             貝を使って視覚障がい者の観察法を説明する田口公則さん

                            (神奈川県立 生命の星・地球博物館)(八木 剛さん撮影)

 

 平成26(2014)年2月4日に、人と自然の博物館で「障がい者を迎えるための接遇研修」を行いました。講師はわたしと共に、神奈川県立 生命の星・地球博物館の田口公則さんにもお願いしました。田口さんが視覚障がい者への接遇 (1) を説明し、わたしはコミュニケーション障がい者への接遇を説明しました。自分の経験を基にした話です。普段、障がい者への接遇などあまり考えていなくても、理解していただけるようにと工夫した話でした。聞いていたのは人と自然の博物館で働いている人や一般市民の皆さんです。誠実に講義を聞き、議論にも熱心に参加して下さいました。

 この文章は、コミュニケーション障がい者が読みやすいように工夫してみた ところが あります。そのために、普通はしない表記法やルビの振り方があります。○○さん、こんな事で、わかりやすく なりましたか?

☆   ☆

 田口さんは視覚障がい者が多く通う特別支援学校――田口さんが訪問した時には筑波大学付属盲学校と呼ばれていました――と交流があります。学校に出かけて出張授業をすることもあるそうです。出張授業の内容は、その学校の先生と相談して、一つひとつ、いっしょに創り上げていくのだそうです。

 視覚障がい者が多く通う学校では、どんなことを学ぶのでしょう? そのことを知るために、田口さんはまず、当事の筑波大学付属盲学校の理科の授業を参観させてもらいました。田口さんにとって、このことが、とても大きな影響を与えたそうです。当事、この学校の生物の授業では「肉食獣と草食獣の頭骨を観察する」という課題に取り組んでいました。この学校には、他の学校にはない独特のやり方として、生徒たちが自分でポイントを探り、観察することが挙げられるそうです。授業は何日もかけてじっくりと進みました。田口さんはそこに、普通の学校では忘れられている「理科の本質」があると気付きます。

 もちろん視覚障がい者に「目で見て観察する」という習慣はありません。「指先で触って観察する」のです。時間はかかります。ですが時間がかかる分、より詳しい観察ができます。その上、筋肉の付き方によって表面のざらざら感とか、つるつる感は変わります。「目で見て観察する」ことでは得られない、「指先で触って観察する」事で初めて解る事があるのです。

 例えば猫――肉食獣――の頭骨です。両目は正面にふたつ並ぶように付いているが、山羊や牛――草食獣です――の目は、どちらかと言えば頭の横に付いています。また猫はキバ(犬歯)が他の歯より大きく、奥歯は肉を切り裂くような形だが、山羊や牛は草をちぎって、すり潰すのに便利な歯をしているといった事も解ります。「指先で触って観察する」生徒たちは、そんな事を、何日もかけて自分たちで見つけていきます。場合によっては、指先で軽く弾(はじ)いた骨の音も、発見した事実に含まれていたかもしれません。このような観察が一学期の間に何回も続きます。そうして生徒は「ほ乳類の頭骨」を理解し、「目で観察する」生徒がけっして見る事のない、視覚障がい者が生活をする上で本当に役に立つ事実を積み重ねていくのです。現在の実践でも同じです。この、じっくり観察をして、自分で何かを見つけ出すという「理科の本質」を、何とか博物館でも生かせないものでしょうか? これが、その時の田口さんの思いでした。

 田口さんの授業参観は続きます。学校では頭骨授業のまとめを上野動物園でやらせて もらうことに しました。上野動物園に行けば、普段は触(さわ)れない動物の骨があります。例えばライオンとかカバといった動物のことです。生徒たちは、もう何か月も「触る観察」を続けてきました。その上で新しく経験するライオンやカバなのです。どんな動物かは、あえて教えませんでした。それでも、学校で触った頭骨の知識をフルに生かして、今、触っている動物はライオン、横にいるのはカバと、生徒たちは苦もなく言い当てたそうです。多分、アフリカのほ乳類というヒントはもらっていたのでしょう――でないと、ライオンとトラでは形ばかりではなく、大きさも似ています。区別がつき難(にく)かったはずです。

 盲学校(特別支援学校)で触る観察――触察(しょくさつ)と呼びます――を参観させてもらって、田口さんは生徒たちの観察の仕方が地質調査にそっくりだと思ったそうです。地質調査では、まず沢(さわ)沿いに地層を調べ、大きく把握して、その後で何本もの沢(さわ)に分け入って詳(くわ)しく調べます。これが地層の広がりを把握する方法です。つまり、線状に把握した知識を空間的に広げていくわけです。全体を把握するまでは、とても時間と労力がかかる作業です。このプロセスは、まさに触察(しょくさつ)と同じなのです。

 研修のお話を聞いて、霊長類学者のわたしが感じたことも、率直に書いておきます。視覚障がい者には、確実に、指先から産み出されるイメージが頭の中に組み立てられています。それがどのようなものなのか、視覚に頼るわたし(=三谷)が言葉で表現する事はできない。それでも、「触って産み出されるイメージ」には興味がそそられます。わたしにとって「イメージ」という言葉には、多くの視覚情報が含まれているからです。視覚を使わないで「触って産み出されるイメージ」がどのようなものなのか。想像してみるだけでなく、ヒトの多様さを調べている霊長類学者のわたしは、可能なら、そのイメージを実感してみたい。現代の科学レベルでは可能でしょうか?

☆   ☆

 盲学校で得た経験を博物館にフィード・バックした事例も紹介していただきました。晴眼者のご家族や子どもに「触る」という観察方法を体験してもらうのです。目の前の対象物をじっくりと観察し、自分の言葉で理解する体験です。

 神奈川県立 生命の星・地球博物館には「アンモナイトの壁」 (2) という展示があります。壁一面に、アンモナイトの化石が降り積もっているイメージです。アンモナイトというのは巻貝(まき・がい)のようですが、巻貝の仲間というよりも、どちらかといえばイカやタコに近い動物です。今でも生きている仲間にはオウムガイ(オウム貝)がいます。

         touch&observe.jpg IMG_6756_02.jpg

                       ヒオウギガイの貝殻を触って観察してみる。(八木 剛さん撮影)

 見えないように袋に貝殻(かいがら)を隠し、指先で観察をします。よく見かける二枚貝(にまい・がい)は、少し触ればどんな形なのか、だいたい想像が付きます。貝の外側がギザギザしているとか、貝柱(かいばしら)が付いていた跡(あと)には、くぼみがあるとかいった事です。巻貝(まき・がい)も、指先で触ればどんな形かは、簡単に想像できます。ところが、ある小学生がオウムガイ(オウム貝)の殻に指を突っ込んだ時、びっくりしてしまいました。普通の貝のように奥まで指が入ると思って突っ込んでみると、指が壁に触れたのです。小学生は驚いて、「奥がある!」と叫んでしまったそうです。(3) (4)

 アンモナイトやオウムガイ(オウム貝)の殻は巻貝(まき・がい)の殻と同じように見えますが、触れてみると、殻の中が壁で仕切られているのだと解ります。アンモナイトやオウムガイ(オウム貝)は、この壁で仕切られた空間にガスを溜め、ちょうど浮き袋のようにして、海の中を浮いたり沈んだりして生活していた(生活する)のです。しかし、その事は殻を外から見ただけでは解りません。触ってみて初めて解る事なのです。

 この体験は、晴眼者である子どもには貴重なものだったはずです。アンモナイトやオウムガイ(オウム貝)の殻の中には「浮き袋」が備え付けられている。まず学校では教えてくれません。しかも「奥がある!」と叫んだ小学生は、その秘密を自分ひとりで見つけたのです。人生の真実は教科書に書いてあるのではありません。自分で探し出すものです。そして、その秘密は、多くの「触って観察をする人」には、以前から、当然の事であったのかも知れません。この体験は、資料を持つ博物館という生涯学習施設でこそ学ぶ事ができる醍醐味(だいご・み)です。

☆   ☆

 田口さんは学芸員の仕事を、「来館者が自ら驚きや矛盾を見つけるお手伝いをすることだ」と言います。来館者の気が付いたことを、(科学的には少々間違っていたとしても)安易に否定するべきではない。なぜなら、来館者の気づきは、科学的な事実の確認よりも、もっと大切な、興味を引き出すことそのものに繋(つな)がるからだとおっしゃいます。そこには、一方的な解説ではなく、対話を通じた観察の積み重ねがあります。じっくりと時間をかけることができるか? 相手のペースを待つことができるか、です。

 じっくり時間をかけ、相手のペースを待って、対話を通じた観察を積み重ねる。ここに、我われの学ぶべき点があるようです。

 田口さんは化石を含んだ土砂の処理を小学校にまかせて、化石が出たら届けてもらうようにしたことがあったそうです。そして見つけた化石はちゃんと登録番号を付け、その番号を、ひとつずつ小学校に送っていったという事です。何年か後に大学生がやってきて、小学生時代に化石を発掘して博物館に届けたのだが、その化石標本を見せてほしいと申し出ました。博物館に届けたのは、もう何年も前の事です。田口さんはその元小学生に、化石の登録番号を記録した紙は持っていますかと聞いたのですが、もちろん持っていません。それで、うすうすダメかもしれないとは思ったのですが、元小学生の名前で検索をしてみました。すると見事にヒットしたのです。収蔵庫に案内し、その検索結果から棚を探すと、確かにその青年が小学生の時に見つけた化石があったという事です。その元小学生は大喜びをしました。この時ほど、博物館の学芸員でよかったと思った時はないそうです。

 博物館という生涯学習施設は、本質的に50年、100年と続きます。長い年月の間には、力を入れるべき学問分野や、やるべき仕事の内容は替わって当然でしょう。しかし、博物館の仕事は「流行りのファッションを売る仕事」とは違います――「流行りのファッションを売る仕事」を貶(おとし)めて言っているのではありませんよ。社会的責任の取りようが異なると言いたいのです。我われの担うべき社会的責任は、博物館という公共財を維持し、発展させていくことであるべきです。

 わたしの「コミュニケーション障がい者への接遇」のようすは、次に書きます。

---------------------------------
(1) 「ユニバーサル・ミュージアムをめざして」
http://nh.kanagawa-museum.jp/faq/3ronshu/31.html
3周年記念実行委員会 1998 「自然科学のとびら」第4巻第1号3頁より転載

(2) 「アンモナイトの壁をじっくり見よう」
http://nh.kanagawa-museum.jp/research/tobira/archives/8-3/taguchi.html

(3) 生命の星・地球博物館の講座「アンモナイトの壁をしらべよう」のようすは
http://nh.kanagawa-museum.jp/event/report/rp33.html
にあります。

(4) 生命の星・地球博物館の講座「貝がらのふしぎを調べよう~ホタテの巻~」のようすは
http://nh.kanagawa-museum.jp/event/report/rp43.html
にあります。

 この研修は一般財団法人 全国科学博物館振興財団による平成25年度 科学系博物館活動等助成事業「コミュニケーション障がい者にも理解しやすい展示解説技術の研修」(人と自然の博物館,対応者 三谷雅純)として採択されたものです。

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして46

 

「気が付くと『ユニバーサル社会』が出現していた」のご感想など

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)


 「ユニバーサル・ミュージアムをめざして42:気が付くと『ユニバーサル社会』が出現していた」 (1) には、思いの外、多くの方からご感想をいただきました。ありがとうございます。このひとはくブログで、いくつかを紹介いたします。文意を変えないように気を付けて、わたしの責任で、一部、書き直しています。

 わたしが提起した話題は、ある大学で本当に起こっている事です。だからだと思いますが、大学の現教員や元教員の方からの感想が多く寄せられました。どの方も「学生の現状には、ほとほと困り果てている」という事だと思います。ただし、わたしの意図としては「学生の受講態度を非難する」のではなく、「将来が想像できない(学生を含めた)人びとの姿に気が付いた」という事でした。ある方はその事を、

 ひとはくブログを読ませていただきました。気付かないうちに出現していた「ユニバーサル社会」は確かに居心地が悪く納得できませんね。市民も受け身で自ら動き真理を探究してはいないという印象です。「大学」とは名ばかりの場所の住人の,こうした振る舞いは,しばしば耳にします。これでは三谷さんの目指す「ユニバーサル」な社会は遠いと思います。同時に三谷さんの「ガッカリ」さも想像します。残念ですね。理想の状況ではないのに,気がつけばそうだったなどということがないよう私達もいつも目を覚ましていないといけないな,と思いました。

と書いて下さいました。別の方は、もっと直接的に、

 底辺私立大学の現状は、ほんとうにひどいです。

と書かれましたし、

 今回のひとはくブログに考えさせられました。今の社会、夢や希望はどこへ行ってしまったのでしょうか……。

と書いて下さった方もおられます。

 よくわたしに感想を下さる ある男性は、具体的な事例や意見を交えて、次のように書いておられます。

 『ユニバーサル・ミュージアムをめざして42』を読んで驚きました。大学がおかしくなって来ている事は、新聞で読んだり、ラジオで聞いたりはしていました。三谷さんが実際に変になっている大学へ教えに行っておられたとは、というところです。

 まだ会社で働いていた頃、新しく入社して来た若い人々の中に、「そんな事は、教えてもらっていません。」などと言う人が混じるようになって、「へえっ」と違和感を持ったものです。殆(ほとん)どの人は大卒で会社員になっているのに、仕事の事で、そんな事は教えられていませんと言うのは、どういう事かと思いました。私らが入社した頃は、先輩が色々と教えてくれるという事などありませんでした。自分で、本や雑誌などを読んで、仕事の事を調べたり、先輩がやっているのを見て覚えたりするのが一般的でした。私の場合、入社したのは小さな会社で、私の担当になった部署に先輩は居ませんでした。研修先で教えていただいた仕事上の参考文献を購入し、仕事をして行ったものです。それと、時々は工業研究所の先生に相談しに行ったりしました。

 ○○市で中学に入学した時、校長先生が祝辞で、「君達は、今日から子供ではありません。大人の仲間入りをしたのです。今日からは、責任を持って、紳士として行動しなさい。」と言われました。“紳士”とは何の事かと思ったのですが、要するに大人らしくしろと言う事だと理解しました。急に大人としての自覚が持てるものでもないのですが、先生方が子供扱いしてくれないので、その内 何とはなく それなりの自覚を持つようになるものです。

 今は、高校生でも子供扱いしていませんか。高校生だけではなく、大学生すら子供扱いしているのかも知れません。それで、三谷さんが教えに行っておられた様な幼稚な大学生が居る大学ができてしまったのかも知れません。

(中略)

 人によるのかも知れませんが、早くに子供扱いを止めてしまうと、それなりに大人として振る舞えるようになるのではと思うのですが、如何(いかが)でしょうか。(○○市の中学校のように)中学生には、大人の自覚を持つように教育方法を変えて行くのも、一つの方法かも知れません。

 (私より)ずっと年上の方の中には、昔のように兵役を取り入れるべきだなどと言われる人もあるようです。子供っぽい高校生らには、何か社会訓練を義務付けると、大人の自覚が持てるようになるかもと言う方も居ます。

 日本が豊かになった結果の現状なのかも知れません。いよいよとなれば、生活保護も受けられますし。昔は、生活保護を受けるのは恥しい事だという意識があり、苦しくとも一家全員で頑張っていたようだと妻が言っていた事があります。他人からの援助、行政からの援助も潔(いさぎよ)しとしない意識も、子供を早く大人らしくする事になっていたと思います。

☆   ☆

 中学校で教えておられた元教師で、兵庫県域の水生昆虫にも詳しい西村 登さんは、

 ブログに「大学生と呼ぶのをためらうほど幼く……授業は成立しませんでした」とあります。他の方の著書を読んでも、現代の大学生の授業態度の悪さ、話を聞かない態度を嘆いておられました。小・中・高でも同様のことがあると聞いています。私は幸い体験していません。(三谷さんが話題にしておられる場所は)「大学」という名前の付いた営利企業ですから、昔の大学の理想の形とは程遠いということでしょうか。

と書いた上で、

 「幼稚な学生を定年退職した高齢者が教える」とありました。私も、数年間、小学校の環境体験学習の支援講師として十校余に出かけました。幸い児童(小3)たちは 私の授業(野外活動と内業)に集中して参加してくれ、担任から「子供らがこんなに集中したのははじめてです」と言って頂きました。

「今日はカゲロウさん、トビケラさんが先生です。仲よしになってほしいな」と 小3の子供たちの感性に訴えたこと、子供の目線で全力で子供たちに相対したこと、担任に事前にあって話し合い、合意の上、側面から支援したこと、私自身楽しかったことなどが成功した要因であったと思います。

 以上、私の小さな体験をくどくど述べましたのは、指導者は学習者の目線に立って支援することの大事さを子供たちから教えられた……ということをお伝えしたかったのです。

 そして昔の大学教育は子弟間のつながりが深く、師や先輩に感化されるという点が多く、かつ少数精鋭のエリート教育だったということでしょう。

と書いて下さいました。元大学の教員をしておられた方は、次のような感想を寄せて下さいました。

 大学生の教室風景がユニバーサル社会だというのには、笑ってしまいました。なるほどそういう見方もあるのか……という感じです。世の中、病気もしない、どこも悪くなくても、そういう(ユニバーサルな)状態ってあるんですねぇ。

-------------------------------------
(1) 「ユニバーサル・ミュージアムをめざして42:気が付くと『ユニバーサル社会』が出現していた」

http://hitohaku.jp/blog/2013/12/post_1820/

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして45

 

多文化であることの苦しみと寂しさ

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 


 わたしは大阪で育ちました。大阪市でも南の方です。大阪の南には、昔は南蛮貿易や港町として名高い自由都市(つまりアジール)だった堺があります。そんな環境で育ったので、近所には いろんな人がいるのが当たり前でした。その人たちがいろいろな価値観を持って地域で暮らし、地域に根付いている。そのことを当たり前だと思って暮らしてきました。

ですから、例えばクラスの□□君や○○さんは韓国系の民族学校に進学すると聞いたり、奄美大島に親族がいるのだと知りましたが、何ということはなく、それよりもその生き方が羨(うらや)ましくなって、仲良かったり、けんかをしたりして過ごしていました――今でも友人として付き合いのある人もいれば、その後、縁遠くなった人もいます。

☆   ☆

 そのわたしが「日本人は繊細な感覚を大切にする」とか、「日本人は清潔好きだ」と聞かされても、何だか腑(ふ)に落ちません。なぜ、そんなことを言うのだろうと不思議な感覚を覚えてしまいます。「日本人は繊細な感覚を大切にする」というのも、「日本人は清潔好きだ」というのも、それはそれで大事なことなのですが、皆が皆、一律に「日本人は繊細な感覚を大切にする」とか「日本人は清潔好きだ」というのは間違っているのではないか。あの人やこの人や、そうでもない人を、わたしは知っていると思ってしまうのです(大阪人は「繊細な感覚がない」とか、「不潔だ」と言っているのではないですよ。大阪の商店街や路地はゴチャゴチャしているが、そのゴチャゴチャが、わたしは好きだと言いたいのです)。

 このわたしの感覚は、もともとの多文化の環境から生まれたものかもしれません。しかし、わたしのように大阪で育ったのではない人、つまり日本の多数者にとって、この感覚とは、どうも違っているらしいと、その事にようやく気が付きました。(見かけ上の)多数者は、多数者にとってだけ都合よく街作りを行い、社会作りを行っています。そのために「街」とか「社会」に居場所のなくなった人は、さまざまな事件を起こしている。しかし、(見かけ上の)多数者はそのことを見ないようにしている。そんなことに気が付いたのです。

 平田オリザさんの『新しい広場をつくる』 (1) という本を読んでみました。平田さんは図書館――生涯学習施設のひとつです――を例にあげて、社会的弱者にも居場所を提供するはずのコミュニティ・スペース、つまり「必要とする人は誰でもいられる場所」として、日本の図書館は十分に機能していないと述べています。

 ある時、中学生とホームレスが図書館に居合わせました。寒い時期だったために、中学生もホームレスも暖(だん)を求めて図書館に集まってきたのです。中学生は本を読む人の側(そば)ではしゃぎ回り、そのことをホームレスがたしなめます。ところが中学生はそのことを逆恨みし、「復讐」と称してホームレスを襲ったのです。二度、三度と襲撃は重なり、最後には仲間の高校生も加わって、ついにホームレスを殺してしまいます。この事件は新聞やテレビでも大きく取り上げられたので、憶えている方が多いでしょう。

 これは教育の問題なのでしょうか? 平田さんは、加害者となった中学生(と高校生)や被害者のホームレスが、安心できるコミュニティ・スペースを作ってこなかった街作りの問題だと言います。この場合、中学生(と高校生)やホームレスは、共に社会的弱者です。

 この本で平田さんが言っていることを引用しましょう。「これまでの日本社会は、『誰もが誰もを知っている共同体』を作ってきた。これは、農耕社会の宿痾(しゅくあ)と言っていいだろう。(中略)麦は家族経営でも収穫できるが、稲は村落共同体全体で取り組まないと収量が上がらないという宿命を背負っている。(そのため、地域は『小さくて強固な共同体』である必要がある。:三谷)/しかし、都市化が進み、この小さくて強固な共同体に限界が来ているとすれば、私たちは、この『誰もが誰もを知っている強固な共同体』を、少し広域に緩(ゆる)めつつ、『誰かが誰かを知っている穏やかな共同体』に編み変えていかなければならない。」(『新しい広場をつくる』の53ページ)

 平田さんは日本社会の特徴を「村落共同体のしきたり」に求めます。そこでは多文化が共生していく論理ではなく、異質なものを排除する論理が力を持っています。形だけは肥大して都市のようになったが、その実体は、地域が「小さくて強固な共同体」のままなのです。そこでは「暴力をふるう中学生は排除する」とか、「ホームレスは排除する」といった「排除の論理」だけの空間が出現しました。「暴力をふるう中学生は排除する」とか「ホームレスは排除する」というのは当たり前のことだと思うかもしれませんが、わたしは、そのこと自体を暴力的に感じます。「排除の論理」は社会の格差を無視した、きわめて乱暴な解決法だと思います。

 「排除の論理」は、何も彼ら/彼女らだけを排除するのではありません。社会的弱者になったが最後、わたしやあなたも、簡単に「排除」の対象になるのです。「排除の論理」は表向き、正義です。しかし、当然のことながら「排除」の対象になる人にとっては、正義でなどあるわけはありません。「誰もが誰もを知っている強固な共同体」であった水稲農耕社会に生きる人びとは、都市化によって息ができなくなる。「繊細な感覚の」「清潔な」だけの、殺伐とした世界が広がっていたのです。

 その解決策を、平田さんは「社会包摂(-ほうせつ)=social inclusion」に求めています。「ユニバーサル・ミュージアムをめざして21」に書いた「サラマンカ宣言があった!」 (2) の回の「インクルージブ教育」と同じ考え方です。

 「地域社会の崩壊や核家族化、そして長引く経済の停滞の結果、人間はあっけなく孤立化してしまう環境に生きざるを得なくなった。現代社会において孤立しがちな人間を、どうにかして社会につなぎ止めておこうというのが、「社会包摂(-ほうせつ)」的な政策だ。これは、排除(exclusion)の論理ではなく、人々を社会に包摂(inclusion)することによって、結果的に共同体全体のリスクとコストを低減していこうという考え方だ」(61ページ)というのです。この方策が、うまい解決策になるのではないかと言うことです。

☆   ☆

 平田オリザさんは、演劇という芸術の社会的な意味を探る中で、このような考え方に至りました。演劇は「地縁や血縁のように(身動きが取れないほど)熱いもの」でもないし、社会が営利(≒お金儲け)だけで動くというのでは、あまりにも冷たい。かといって、市場経済ともどうにか折り合いをつけないと、何事であれ現代社会で実現することは難しい。市場経済と折り合いをつけられる「新しい広場」として演劇があり、劇場がある。そして「街のそこかしこに」は「出会いの場=コミュニティスペース」(52ページ)が必要だと論じます。

 「演劇」と同じことは「科学」にも言えます。「科学」は直接的に社会の役に立つ(≒市場経済の商品になる)場合もありますが、ひとはくで話題になる「科学」では、直接、商品化はできない場合が多いのです――恐竜や照葉樹林からでも、何とか工夫すれば商品は作れますが、恐竜化石そのもの、照葉樹林という植生そのものが、コンビニで売っているような商品になるわけではありません。それでも博物館は必要です。なぜかと言えば、「博物館」という生涯学習施設では、何でも自分で興味を持った事を探れる場所だし、そこに集まる人びとに重要な「出会いの場」(=コミュニティ・スペース)を提供するからです。つまりユニバーサルな空間になるわけです。

 平田さんの議論にせよ、ユニバーサル・ミュージアムの議論にせよ、自由に集える場所は、基本的にお金になりません。そもそもコミュニティ・スペースは、地縁・血縁とは別物であり、市場経済にも馴染みにくいものです。しかし、「人間の孤立化」や「地域社会の崩壊」といった現代社会の弱点を防ぐためには、図書館や美術館、博物館といった生涯学習施設にユニバーサルな考え方、インクルージョンの考え方は、ぜひとも必要です。

 長く地縁と血縁のしがらみに縛り付けられていた日本列島に生きる人びとが、簡単に見知らぬよそ者を受け入れる余裕などはないと怒る人もいるでしょう。それでも社会的弱者がいる限りは、どうあってもユニバーサルな考え方、インクルージョンの考え方を受け入れなければなりません。そこには新しく受け入れる多文化であることの苦しみと寂しさがありそうです。その苦しみや寂しさは、新しいものを受け入れらきれないという感情から起こるのかもしれません。

-----------------------------

(1) 平田オリザさんの『新しい広場をつくる』(岩波書店、1,900円)
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/9/0220790.html

(2) 「ユニバーサル・ミュージアムをめざして21」に書いた「サラマンカ宣言があった!」
http://www.hitohaku.jp/blog/2013/01/post_1680/

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして44

お隣の山地民
『ゾミア――脱国家の世界史』書評-2

三谷 雅純(みたに まさずみ)


 霊長類学や古人類学では、ヒトの進化を百万年単位で考えます。有名なアルディピテクスは、だいたい五百万年前とか四百万年前とかに生まれましたし、教科書でよく見るアウストラロピテクスは、およそ三百万年前に生きていたと言います。わたしたち現生人類(ホモ・サピエンス)にしても、すでに二十万年という歴史を経てきているのです。ですから、スコットさんが『ゾミア:脱国家の世界史』の中で問題にしている千年、二千年という時間感覚は、霊長類学者や古人類学者にとっては「瞬間」にすぎません。山地民の識字率はゼロに近くても、読み書きをする潜在能力があることはもちろんですし、いったん水稲農耕をしていたといっても、もう一度狩猟をする能力は、あるのが当たり前なのです。低地に住んでいた農耕民が、狩猟採集をする山地民になったとしても、何も不思議なことはありません。

 わたしたちの思い込みとは、ヒトの社会の歴史は決まった方向に進むと信じていることです。長い長い狩猟採集の時代があって、後に牧畜や焼き畑のような「雑な」農耕の時代を経て、「合理的な産業としての農業」の時代――アジアの例では「灌漑設備の整った水田耕作」――になるのだと思いがちでした。社会ダーウィニズムはそうした考え方をします。ヒトや人の自然への働きかけは、ゆっくりとだが、しかし、確実に効率的になり、まるで単線を走る列車のように決まった終着地に着く。それまで走り続けるというのです。この考え方では、社会が後戻りをすると脱線してしまいます。つまり滅びるのです。カール・マルクスの『資本論』 (1) も、こんな考え方をしていたはずです。

 ところが、このわたしたちのこの思い込みは、「国家」という統治機構が創造したのだと言えそうなのです――現代の国家観では、元来、「国家」を統治するのは「国民」ですが、ここでは、あたかも「人格のある人間のように振る舞う国家」が、人びとにある事を信じ込ませたということです。スコットさんはそのことを、「理想と現実の矛盾に気づいた地域の人々や帝国の役人たちは文明論が単なるぺてんにすぎないと見抜いていた」(p 341)と表現します。

 ごく大雑把には、霊長類学でも同じような段階は想定しているのですが、それは十万年とか百万年を単位として考えた時の話です。人間が歴史時代になってからの話ではありません。『ゾミア:脱国家の世界史』の中で展開される横暴な政治の支配と支配される人びとの逃避の物語では、まったく時間感覚が違うのです。

☆   ☆

 『ゾミア:脱国家の世界史』はディアスポラ(diaspora:国外離散者=風に舞うキク科のタネのようにバラバラになった人びと)やエグザイル(exile:故郷喪失者)の物語です。そして山地民とは、新しい文化を創り出した人びとでした。同じような立場には、ユダヤ人やロマの人びと(昔はジプシーと呼んでいました)、サハラの「ベルベル人」と呼ばれる多くの出自を持った人びとがいます。最近の研究では、南アメリカのヤノマミやトゥピ・グアラニーといった狩猟採集生活で生きる人びとも、インカ帝国や植民地時代のスペインの支配を避けて避難したエグザイルだということです――クロード・レヴィ=ストロースが明らかにしたかった「原始時代から続く人間の『親族構造』や『神話構造』」というものは、どう考えるべきなのでしょう?

 ディアスポラやエグザイルと言えば、サハラ以南の熱帯林に住むバンツー諸語を話す人びともそうです。バンツーは森の民ではなく、もともとサバンナに暮らす農民だったのです。それが、今から三千年とか四千年いう時代に地球全体が乾燥化して、サハラに住む人が南下したために、押し出されるようにして森に逃げ込んだ故郷喪失者だと言います。

 確かにバンツーの村は、熱帯林のただ中にも関わらず丁寧に草を引き、家の前にゴミなどは落ちていません。これはサバンナに似た雰囲気を作ろうと努力しているのだと聞いたことがあります。

 森の奥の村までは、中央政府も統治(支配?)できません。そのため、バンツーの村では、今でも人びとの自治が生きています。この自治のためでしょうか、時には村と村の「戦争」(とバンツーの青年がそう呼んでいました)が起こることがありました。カメルーンのファング(Fang)という集団は、さかんに小さな「戦争」をしたことで有名です。これも大きな「国家」の支配を避ける意味では有効だったのかもしれません。

 バンツーとピグミーの交渉には、ゾミアの低地に住む水稲農耕民と山地の狩猟採集民や焼き畑農耕民と似たところがあります。バンツーが畑で取れたキャッサバ芋を提供し、ピグミーはダイカーというウシの仲間の肉や森で集める野菜=グネツムの葉といった物を交換するのです。ただ、ミトコンドリアDNAの分析から、バンツーとピグミーは数万年前には別れていたことが分かっています。その点、ゾミアの歴史とは根本的に異なるのだと思います。それでも、森という見通しの悪い場所は、バンツーに絶好の逃避地を提供しました。バンツーが何か横暴な権力から逃げたというのなら、バンツーはゾミアの山地民と同じ境遇にいたことになります。

☆   ☆

 中尾佐助さんの「照葉樹林文化論」は、ゾミアの山地民と同じ地域の文化を基に展開しています。焼き畑農耕、粘り気のある芋やアワ・ヒエといった穀物、陸稲(おかぼ)とかソバとかいった、いういろいろな作物を植え、発酵食品を好む文化は日本にもたらされたといいます。それが西日本の文化の基層になったという仮説です。発酵食品でいえば、例えば琵琶湖のフナ鮨に似たナレズシは中国の貴州省に住んでいるミャオ(Miao)も作りますし、日本の糸引き納豆も、似たものがゾミアを超えてインドネシアにまであります。日本列島とは、言うなら「海に隔てられたゾミア」でした。

 日本列島の基層文化とゾミアの山地民の成り立ちとは異なるところがあります。それは水田稲作文化を持ってきたことです。これは佐々木高明さんが書いた『照葉樹林文化とは何か――東アジアの森が生み出した文明』 (2) の195ページに載っていたことです。縄文時代の終わり、弥生時代の始まりの頃でしょう。この時代、水稲農耕の起点とされるようになった長江の下流域では何があったのでしょう? 今の上海あたりの出来事です。

 想像するしかありません。思うに「横暴な支配者」に耐えきれなくなった低地の水稲農耕民が領地を逃げ出し、海を越えて、本来のゾミアである山地に代わって九州に渡ってきたということではないでしょうか? 海に漕(こ)ぎ出すことは、山や森に隠れるのと同じ意味があります。「国家」の支配から逃れるためにです。しかも、渡った先にあったのは「未開の島」(=日本列島)です。中国の「帝国の役人たち」も、ここまでは追いかけて来ません。

 これが弥生時代の始まりと共に起こったとしたら、「日本」はエグザイル、つまり故郷喪失者が、直接、参加して作られた国だということになります。ただし、そのエグザイルも、水稲農耕という最先端の技術を持っていたために、この日本列島という「ゾミア」に(意に反して?)「国家」を作り出してしまいます。彼らエグザイルは、そのことを望んだのか望まなかったのか、今となっては分かりません。

☆   ☆

 ゾミアは日本でも研究が進んだ中世の「アジール」と似ています。「アジール」と呼ばれる場所はゾミアほど広くはありませんが、権力の支配が及ばないところとされています。例えば神社やお寺だそうです。歴史家の網野善彦さんのお書きになった『無縁・公界・楽――日本中世の自由と平和』 (3) によれば、犯罪者や離婚をしたい女性ばかりでなく、盲人やハンセン病者もアジールに逃げ込んだと言います。そのような多くの人が逃げ込んだのなら、権力の力が及ぶ一般の市井(しせい)に残った人とは、誰と誰だったのでしょうか?

 ヒトの地理分布は、二十万年前までの出アフリカの時代からディアスポラやエグザイルによって広げられました。彼らは地球の寒冷化や飢餓(きが)、病気といった止むに止まれぬ事情があって「ゾミア」に逃げ込んだのでしょう。しかし、それはまた、新天地を開拓する可能性も秘めていました。新天地とは住んで不便なことが多いものですし、思わぬ事件や事故で死んでしまうことも、よくあります。しかし、行かずにただ死を待つより、死んでしまうかもしれないが、それでも行く方がいいと覚悟を決めた出立(しゅったつ)だったのでしょう。わたしやあなたは、そのディアスポラやエグザイルの子どもなのです。

-------------------------------------------

(1) 『資本論 1』(岩波文庫 白 125-1, 882円)マルクス (著), エンゲルス (編さん), 向坂 逸郎 (翻訳)

(2) 『照葉樹林文化とは何か――東アジアの森が生み出した文明』(佐々木高明、中公新書、1,029円)

(3) 『無縁・公界・楽――日本中世の自由と平和』(網野善彦、平凡社ライブラリー150、1,223円)

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして43

お隣の山地民
『ゾミア――脱国家の世界史』書評-1

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

  map_of_Zomia.JPG

ゾミア(Wikipedia の "Zomia (geography)" より)

  わたしにとって年末年始は、普段読みたくても なかなか読めない分厚い本を読む時間です。時間に余裕がある時なので、骨の折れそうな本を読むことにしているのです。昨年までは、例えばスティーブン・ミズンの『心の先史時代』や『歌うネアンデルタール』、スティーブン・J・グールドの『人間の測りまちがい:差別の科学史』といった本を読んできました。今年は何を読もうかと考えましたが、原書が2009年に出て、2013年10月に翻訳が出た『ゾミア――脱国家の世界史』 (1) を読んでみることにしました。イェール大学の人類学者で、政治学者でもあるジェームズ・C・スコットという人が書いた本です――2段組で約400ページもあります。

 読んでみると、「ゾミア」と名付けた東南アジアの一地域の政治と、そこに住む山地民の起源が描(えが)かれていました。東南アジアに限らず、アマゾン地域やヨーロッパと北アフリカの地中海沿岸、そして、この本で直接扱っているのではありませんが、わたしにとってはサハラ以南のアフリカに住むバンツーやピグミーの生き方までも考えてしまう、とてつもなく大きな刺激を感じた本でした。さっそく新しい考え方に出会えて、何だか今年は特をした感じです。

☆   ☆

 「ゾミア」とは東南アジア大陸部の広大な丘陵地帯を指す言葉です。「ゾミア」にはベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ビルマ(=ミャンマー)と中国の4省(雲南、貴州、広州、四川)が含まれます。ここでは「丘陵地帯」と簡単に説明しましたが、行った経験のある方によると、あたりは起伏の激しい山国だということです。その山国には、いろいろな「少数民族」が住んでいます。「カレン(Karen)」や「シャン(Shan)」という呼び名なら聞いたことがあるでしょう。山の斜面に小さな村を点てんと作って住む人びとです。その人たちは、中国の漢族やタイ、ビルマといった水稲耕作が基本の大きな国家とは異なった規範を保(も)っています。異なった倫理観や宗教を保(も)つ、言うならば、大きな国家からは独立した「自由な民族」なのです。

 このような「少数民族」は、中国やタイやビルマの体制には従わない「反体制グループ」としても有名かもしれません。また、マレー語で〈オラン・アスリ(Orang Asli)〉と呼ばれる先住民とされる人びとは、今でも「洞窟(どうくつ)に住んでいる」と誤解されることがあります。

 狩猟採集生活や焼き畑農耕を基本とします。また粘り気のある里芋やヤマノイモの仲間、アワ・ヒエといった穀物、水稲ではなくて陸稲(おかぼ)とか、ソバや外来作物のトウモロコシなどを植えています。この栽培作物品目や発酵食品を好む食文化は、中尾佐助さんの仮説として有名な「照葉樹林文化」の議論につながります。これは後ほどお話します。ここでは説明を省略して、先を急ぎます。

 その「少数民族」です。たいていの皆さんは、「彼らは有史以来変わらず、昔から今と同じ生活をしていた」と思っているでしょう。言ってみれば「文明から隔絶され、大昔の生活をそのまま保った人びと」だと思われていたのです。ところが、それは事実ではない。今、「少数民族」とされている山地民は、昔は低地の灌漑(かんがい)農耕を身に付けた水稲農家であり、識字能力も身につけた、立派な臣民(しんみん:王様のいる国の人民)だったとスコットさんは主張します。つまり、現在、「少数民族」として焼き畑や狩猟に頼って生活している人も、大昔は大きな国家の構成員だったというのです。

 焼き畑や狩猟に頼っての生活は不安定です。山の恵みが乏しい時季には飢餓が起こるかもしれません。一方、「灌漑(かんがい)農耕を身に付けた水稲農家」であれば、作物の出来高は安定しています。餓死などしそうにありません。それに、村といっても山村の小さな村とは訳が違います。大きな村での豊かな生活が想像できます。ところが彼らは、その生活を棄てたと言うのです。どうして安定した生活を棄ててまで、焼き畑や狩猟に頼る必要があったのでしょうか?

 スコットさんによれば、その原因は「国家の収奪と支配からの逃避」だったと言います。国家は効率よく税金が集まることを望みます。そして、必要な時には何時(いつ)でも徴兵ができるというのが「よい国家」です。その国家の方針に従うのが、「よい臣民(しんみん)」なのです。しかし税金ばかり高くて、人びとに見返りはなく、おまけに農民には関係のない侵略のための兵役まで負わされたのでは(王様や大臣たちは贅沢三昧[ぜいたく・ざんまい]であればなおさら)、そんな国からは逃げ出したいと思うのが普通の感覚です。こうして逃げ出し、標高の高い、お役人は追い掛けて来ない山地に新しく村を作ったのが、「少数民族」とされる山地民だというのです。

 わたしは驚きました。山地民はもともと「低地の農耕民」で、おまけに「よき臣民」だったとは。この人びとは、支配から逃げて山に隠れ、息をひそめていたというのです。本当でしょうか?

 兵役に限らず、国家は人がいなければ回りません。土手の工事をするにも人手が必要です。兵役と同じように、(いやいやでも)呼べば集まるなら、労力は必要な時に集めればよいのです。しかし、そもそも人がいないのでは、集めたくても集まりません。そんな時は、山地民を捕まえて奴隷(どれい)にします。無理やり働かせたのです。そうすると、奴隷(どれい)になって働くのなど、人は誰でも嫌ですから、山地民は、ますます山奥へと逃げていくようになります。

 今でも、山の尾根といった人の寄りつかない、人が住むのに適していない場所には、一番、社会的勢力が弱い「少数民族」が住んでいるのだそうです。

 村人に限らず息をひそめていた人も多くいたと思います。現実には、賄賂(わいろ)をもらったことがばれて、逃げ出したり、タブーを犯して身を隠したりといった人が多くいたのでしょう。その時、山地は低地民の逃げ場所になるのです。

 そうすると、人類学者が最新の装備をこらして血液サンプルを集め、DNAを分析してみても無駄だということになります。「少数民族」と言われている人たちは、もともとは低地の農耕民です。中国の漢族やビルマやタイの主要民族だった人たちです。普通の人が政治のつごうで「少数民族」になったのです。DNAには何の違いもないのでしょう。

 確かに山地民と低地民の間には、生物学的には何の違いもないのですが、このような支配と逃亡の歴史が、千年、二千年と続きました。その間に、山地民は山の環境に、低地民は里の環境に慣れていったのです。そこには山地民と低地民の間で物ぶつ交換の経済活動が生まれました。自分に不足しがちな物を互いに交換したのです。日本でも、昔は山の猟師と里の商人の間で、クマやカモシカの毛皮と、なべやかま、包丁や鉄砲といった物を交換していたという話が伝わっています。ゾミアでは「山の猟師」が、もともとは「里の農民」だったということです。

 それにしても人間とは、何とタフな存在でしょう。支配から逃げて山奥で生き延び、今も「少数民族」として生きている。もちろん蔑(さげす)みは日常のことだったでしょうし、奴隷(どれい)になったら人権などありません。臣民(しんみん)として暮らすことでさえ、人権はなかったのかもしれない。それでも人は、生きていくのです。

 特別な人ではありません。お隣のご一家といったごくごく普通の人びとが、その厳しい環境で生きているのです。山地民は「どこかの誰か」のことではなく、「あなた」や「わたし」であったかもしれないということです。

 つぎに続きます。

----------------------------------------------

(1) 『ゾミア――脱国家の世界史』(ジェームズ・C・スコット著、みすず書房、6, 400円)

http://www.msz.co.jp/book/detail/07783.html

 

zomia FP.JPGのサムネール画像 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして42

 

気が付くと「ユニバーサル社会」が出現していた

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)


 

 あっと気が付くと、身の回りは、いつの間にか「ユニバーサル社会」になっていました。ただし、その社会はあまり気分がよくありません。長く過ごしたいとは思わない社会です。

 突然、こんな事を書いて、訝(いぶか)しく思われるかもしれません。わたしは「ユニバーサル・ミュージアムをめざして」を書き続けて来ました。博物館や美術館、図書館といった生涯学習施設は、本質的に誰でもが利用しやすい設備やサービスが必要です。それがなければ、本来の豊かな機能が発揮できないのです。ところが、今の生涯学習施設では、充分、少数者に配慮できない。たとえ配慮して見せても、それは形だけのことで、当事者の感覚や意見は反映されていない。内実が伴っていないのです。わたしにはそんな思いがありました。その事に、長い間、苛立っていたのです。こんな思いに至ったのは、わたし自身が障がい者になってからというよりも、もっと前からの事だったような気がします。

 ところが気が付くと、日本は、形だけは立派な「ユニバーサル社会」になっていたのです。気が付いてみて、改めて驚きました。

 わたしは本来の兵庫県立大学の教員や人と自然の博物館の研究員以外に、ある私立大学で非常勤講師をしています(していました)。その大学に勤めている知り合いの方が体調を崩(くず)され、体力が戻るまでの間、授業を手伝ってほしいと望まれたのです。わたしはその方に返すべき恩がありました。それで、迷うことなくお引き受けしました。その方は結局、思うように体調が戻らず、職を辞する事にされた(当然、手伝っていたわたしも、その大学の非常勤講師を辞める)のですが、その大学は、わたしの知る「大学」とは、かなり雰囲気が違うのです。

 学生は「学生」と呼ぶのを ためらうほど幼く、自分から望んで何かをするという事は、ほとんどありませんでした。「自分が何がしたいのかは、探さなければ見つからない」という事も知らないようでした。抽象的な事を伝えようとすると、とたんに私語が始まります。立ち歩く学生が出ます。あるいは、机に突っ伏して寝てしまいます。「わからない」「理解できない」という意味の、わたしに対する(暗黙の)抗議だと解釈しましたが(そして、抗議しているはずの「理解できない」という現実を意識している学生は、残念ながら見当たりませんでしたが)、どれほど噛み砕いて説明しても、授業は成立しませんでした。いったん私語が始まると、収まらないのです。どんな授業であれ、授業そのものを受けた経験が乏しいのだと思います。

 寝ている分には静かです。ですから、たとえ、わたしの講義を聴きたいと言ってくれる学生がいたとしても、その人の邪魔にはなりません。眠っている学生は放っておきました。ただ、わたしの説明を子守歌にして、教室中が気持ちよく眠っていたということが、現実にありました。一生懸命に説明をして、学生の方を振り返ってみて、唖然としたことがあります。大げさだと思うでしょうが、本当の話です。

 教員には高齢者が多くいました。どこかの大学を定年で辞められ、運よく再就職をした方とか、場合によっては高校を定年で辞めてから、非常勤講師として教えに来ている方もいました。わたしがお手伝いした方も、大学を定年で辞められたのです。わたしのように、「自分の考えた事をひとつの可能性と断って説明する」というのは、そこの学生には理解が難しく、重荷だったみたいです。その代わり、元高校の先生は初歩の初歩をやさしく教えてくれるので、学生から好かれていたようでした。

 このような場所を何と呼べばよいのでしょうか? わたしが「大学」と呼んで来た場所とは本質的に違います。そこは「大学」とは異質な空間に見えました。わたしは考え込んでしまいました。そして、これこそが「ユニバーサル社会」の具体化ではないのかと思い当たりました。たちの悪い冗談か、悪い夢でも見せられているようでした。

☆   ☆

 コンゴ共和国のブラザビルやインドネシアのボゴールの街は、少年・少女でひしめき合っています。高齢者もいますが、働いている人は多くはいません。人前で働くとしても、高齢者には高齢者なりの、人生の経験に似合った役目があるものです。少年・少女がする、例えば店の売り子は、経験よりも熱意と体力です。買い手の方も、売り子の熱意を買うのです。売り子の熱意は売れた時の笑顔に表れます。

 一方の日本ではどうかというと、少子高齢化社会です。ひしめき合うほどの少年・少女は、すでにこの国にはいません。少年・少女は、いたとしても過保護のためか一様に幼く、人生の何事かを決め、希望や目標を持って生きていくことは、残念ながらできそうにありません。皆がそうだとまでは言いませんが、そんな少年・少女が目に付きます。

 そのような幼稚な「学生」を、定年退職でいったんは現役を退いた高齢者が教える。その「大学」の事務は、次つぎに顔ぶれが変わる日々雇用の人が勤めている。弱い立場の市民だらけです。おまけに非常勤講師には重度障がい者(=わたし)がいます。これこそまさに、「ユニバーサル社会」以外の何物でもありません。

 聞けば、今は高齢者のための施設や病院でも、内実は似たり寄ったりだと言います。どこかの誰かは楽をしてお金を得ているのでしょうが、ここで言う「ユニバーサル社会」(=現代社会)を形作っている人の大半は、弱い立場の市民です。それ以外の何者でもありません。そして、その「ユニバーサル社会」は、決してわたしが思い描いていたような、暮らして楽しい場所ではありませんでした。

 この事を、今さらのように実感しました。

 どこが悪いのでしょう? 制度の問題でしょうか? それとも悪いところなどはなく、発展した社会はやがて滅びることが必然なのでしょうか? この社会は現実に滅びつつあるのかもしれません。そんな事まで考えてしまいます。

 「大学」という名前が誤解を生むもとかもしれません。何でもかんでも「大学」と名前を付けなくても、「○○塾」や「○○学校」と名乗って、そこで一人前の人間を育てればよいのです。「○○大学」と呼ぶと、わたしのように勘違いをしてしまう人間が出て来ます。「大学」は必ずしも創造的な場所でなくてもいいのかもしれませんが(それでも、本質的には創造的な場所であってほしいと思っています)、「一人前の社会人を育てる」というのは立派な教育です。そこで学ぶ学生の意欲も認めるべきです。それにふさわしい名称を考えて、付ける事を提案します。(「大学」と名前を付けておけば、そう名乗るだけで国のお金が支給されます。しかし、学生や教員や事務員に恩恵があったとは思えません。いったい誰が得をしているのでしょう?)

☆   ☆

 ユニバーサル社会を形作る市民citizen=公民:単純に、ある市に住んでいる人も○○市の「市民」と呼びますが、ここでは権利と義務を持つ公民という意味です)は、誰かが決めた事に、ただ黙って従う事はしません。納得したから従うのです。納得できなければ反論します。意見が割れれば、みんなのルールにはしません。それが、わたしにとっての民主主義です。ユニバーサル社会は民主主義から生まれてきます。

 ユニバーサル・ミュージアムは生涯学習施設のあり方のひとつです。ただし、それに留まりません。現実の社会ではなかなか実現できない、理想の「ユニバーサル社会」を探る社会実験です。言ってみれば、ユニバーサル・ミュージアムは現実社会のひな形なのです。

 理想のユニバーサル社会とは、気が付いたら、わたしの周りにあった、いつの間にか「ユニバーサル社会」になっていた社会とは違うのだと信じています。

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして41

 

研究者が研究対象の当事者になるということ
『「話せない」と言えるまで』書評

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

Seki Keiko_san.jpgのサムネール画像

関 啓子さんの最近のお写真です。

 

 これまでわたしは、どんなに偉い人に対しても、あえて「○○先生」とは呼ばずに、「○○さん」と呼んできました。この文章でも知り合ったばかりの関さんに対して「関 啓子さん」とお呼びしています。この文章スタイルを、ずいぶん失礼なことだと受け取る方がいらっしゃるでしょう。しかし、このようにお呼びすることで、わたしは人と人の対等な関係を確認しているつもりなのです。もちろん、わたしに対しても、「三谷先生」ではなくて「三谷さん」と呼んでいただきたいと思ってます。そうでなければ、わたしの書いた内容に異論がある時、素直に意見が言いにくいでしょう。普段は医療界の習慣に従って、同僚の方どおしを「○○先生」と呼び合っている関さんも、「関 啓子さん」と呼ぶことをお許し下さいました。このコラムを読んで下さっている方が誤解されるといけませんので申し上げますが、わたしは関さんを尊敬し、信頼しています。関さんは、ご自身の工夫と回りの方の助力によって、脳こうそくの後遺症から驚異的な回復を果たされた方です。また、わたしにとっては研究者仲間でもあります。関さんは高次脳機能障がいのリハビリテーション法を研究していらっしゃいます。

 さて、

 研究者が自分自信に起こった(起こっている)事を書いた本は、たくさんあります。有名なものでは、例えば自閉症で動物行動学者のテンプル・グランディンさんがマーガレット・M・スカリアノさんといっしょに書いた『我、自閉症に生まれて』(1) や、脳こうそくになった免疫学者・多田富雄さん『寡黙なる巨人』(2) があります。これらの本を通してグランディンさんや多田さんのファンになった方も多いでしょう。全盲の宗教民族学者、広瀬浩二郎さんには、『触る門には福来たる』(3) という本がありますし、脊髄腫瘍(せきずい・しゅよう)で首から下がマヒしてしまった文化人類学者のロバート・F・マーフィーさん、『ボディ・サイレント』(4) という本を通して「障がい者が生きるもうひとつの世界」を生き生きと、しかし、静かに描き出してくれました。しかし、いずれも研究対象の当事者そのものになった方はいません。例外は、ご自身が盲ろう者でバリアフリーのことを研究している福島 智さん『盲ろう者として生きて』(5) と、脳出血で脳が壊死していく最中(さなか)の「恍惚感」を内面から描き出した神経解剖学者ジル・ボルト・テイラーさん『奇跡の脳』(6) でしょうか。もっとあるのでしょうが、わたしが読んだのは、この2冊ぐらいです。その中で、関 啓子さんの書いた『「話せない」と言えるまで』(7) は、例外中の例外でした。研究者が自らに起こった事実を素材にして、第三者としてではなく内面から見つめることで文章にされたのです。しかも、その事実は、長年研究をされてきたことそのものでした。

 関さんは、右脳のダメージで身体の左側にあるものが分からなくなるという現象を研究していました。その右脳に関さんご自身がダメージを負ってしまいました。わたしも脳こうそくの後遺症が残る当事者だから平気で言えるのですが、普通なら、あわてふためくところです。障がい者になったことと健常者であった頃とのギャップに――それまで普通にできていたことが、急にできなくなるのです――尋常でない戸惑いがあったと思います。しかし関さんは、発症から復職の過程や現在の思いを冷静にまとめ、「1例報告」として出版されました。それはとても大切な証言でした。

☆   ☆

 はじめて関 啓子さんにお目にかかったのは、2013年11月のことです。神戸市の適寿リハビリテーション病院で講演会があり、それに参加してお会いしたのです。関さんはその講演会の演者でした。関さんは神戸大学の保健学科で長く教授を勤められた言語聴覚士です。研究室を運営され、何人も大学院生を指導して、ご自分も学術論文や書籍を発表されています。お会いした時、関さんからは「ゆったりとした、ずいぶん穏やかな方」という印象を受けました。

 講演会は失語症の家族会と病院関係者で持たれました。ただし、わたしのように勝手にまぎれ込んだ人間も、むやみに断るという事はありません(参加しますという通知は出していましたよ。念のため)。多くの若い言語聴覚士が会場の準備をし、受付をし、演者の関さんをお迎えして、失語症の当事者と家族会の皆さんが席に着いてお話は始まりました。この時のお話から、関さんは右脳にダメージを負い左半身にマヒがあること、普通は左脳にダメージを負った人がなることの多い失語症だが、右脳にダメージを負った関さんにも失語症があること、などがわかりました。

 わたしは左脳にダメージを負ったので、失語が出ても不思議ではありません。なぜかというと、多くの人は左脳に言語中枢があるからです。反対に言うと、右脳にダメージを負っていても、右利きの人なら失語が出ない(ことが多い?)のです。しかし、関さんは左利きです。関さんは右脳にも言語中枢がありました。そのために失語が出たのです。多数ではありませんが、このような人もいらっしゃるということです。

 講演が終わった後、わたしは関さんに自己紹介をして、メールで連絡を取り合えるようにお願いをしました。急なお願いでしたが、快く引き受けて下さいました。たぶん関さんもだと思いますが、たいていの失語症者は電話が苦手です。電話は発声することが苦手な音声しか伝達できないからです。わたしの障がいを無視して、平気で電話をかけてくる方がいますが、わたしの場合は不意に失語が出ることがあるために、基本的に電話には出られません。それでメールでと、お願いをしたのです。「電話に出られない」と言うのは難聴者やろう者と同じですね。

 先に『「話せない」と言えるまで』は、貴重な「1例報告」だと言いました。関さんは経験豊富な言語聴覚士です。ご自分がダメージを受けるまでは、言語聴覚士として、どうリハビリテーションをすれば当事者の機能回復や生活の向上につながるのかを客観的に考えてこられました。今度は内面から見つめるのです。ひとつひとつのリハビリテーションの意味はよくわかった上で、関さん自身が当事者として参加するのです。関さんを担当した方は、言語聴覚士は当然ですが、体や関節の大きな動きを診る理学療法士や日常生活の動作を訓練する作業療法士も、ずいぶん緊張したことでしょう。何しろ相手は、この前まで自分たちを指導していた立場の人なのですから。

 関さんはリハビリテーションを受ける際のポイントとして、当事者と療法士の信頼関係をあげておられます。療法士がどのように考え、なぜ、そのリハビリテーションが必要だと思ったのかについて、信頼していなければ効果は期待できない。信頼してはじめて回復が期待できるとおっしゃるのです。それはそうでしょう。不信に満ちていたら、たとえよい技法であっても、効果は表れません。なぜかというと、療法士の仕事は全て脳の機能に関係しているからです。不信の念は、脳の機能まで歪めてしまうことでしょう。

 それとともに、医療行為者としては、回復の見通しを当事者に伝えてほしいとも注文されます。これは、わたしが入院生活をした経験からも、どのような事を言っているのかがよくわかります。大多数の当事者には「脳こうそく」や「失語症」、「マヒ」といった現象の基本的な知識がありません。入院当初は、わたしも自分の置かれた立場が認識できませんでした。わたしの場合は右半身が動かず、言葉も出ず、おまけに気力も湧きませんでした。これから自分はどうなっていくのかという見通しは、知識として、もともと持っていなかったのです。そんな当事者にこそ、客観的な回復の見込み(や回復しない見込み)を伝えておかなければ、当事者として、また人間として、責任ある人生の選択はできません。関さんはその事をおっしゃっているのです。

☆   ☆

 わたしは、この本が誰を読者に想定して書かれたものか、一読してわかりませんでした。「右共同偏視を呈する」(視線が右側に偏っていること)とか「ブロンストロームステージ Br. Stage」(手や足のマヒの程度を測る規準)、「プロソディー障害」(イントネーションやアクセントに違和感があり、跳ねる音や長く伸ばす音などの発音が難しいようす)といった専門用語が次から次に出てくるからです。

 わたしは自分が入院した当事、ある看護師やある療法士は、わたし(=後遺症の当事者)に向かって「プラトーに達する」と言っていたのを思い出します。それは障がい当事者や家族にとって、決して親切な言い方ではありませんでした。「プラトー」とはわたしたちが日常使う言葉ではないからです。「プラトーに達する」という言葉の意味は、「回復の程度をグラフにすると、時間を追って立ち上がりが鈍くなる」ということです。そのグラフの形が、まるで「高原」のようなので、医療関係者は仲間内の符丁(ふちょう)として「プラトーに達する」(=「高原」の形に至る)と言っていたのです(間違っていたら、教えて下さい)。フランス語でしょうか。「回復のスピードが遅くなってきた」と言えば多くの人がわかるでしょう。しかし、「プラトーに達する」でわかる人は、ほとんどいないのです。正直に書くと、当初は『「話せない」と言えるまで』からも似た印象を持ちました。そのために、この書評を書くのをためらっていました。

 ところが、あることに気が付いて、関さんの意図が読み取れたように感じたのです。この本で想定した読者は、まだ経験の浅い若い言語聴覚士や、言語聴覚士になるために、現在、学んでいる学生ではないのでしょうか? そう考えて読み直すと、合点がいくところが多くありました。それに、若い言語聴覚士や学生なら、いちいち気にしなくても専門用語はわかるはずです。わからなくても、参考書が手近にあるはずです。この本を読むのに支障はないのでしょう。

 もう一度ページをめくり直すと、これは関 啓子さんの「内面から診た一例報告」なのではないかとも思いました。「一例報告」とは、「まれにしか見られない症例の記録」という意味の報告論文のことです。「一例報告」のために、この本には発症のようすから、その時のご自分の意識のこと、リハビリテーションの経過までをくわしく載せたのでしょう。

 「脳こうそくの後遺症」と一口で言っても、表れる症状はさまざまです。それはそうでしょう。脳の一部にダメージを負ったのです。その脳は体のいろいろな場所をコントロールするだけではなく、立体を立体として感じたり、イメージや美しさを実感したりします。家族や仲間や社会の概念を認識したりもできるのです。あらゆる情報を受け止め、あらゆる情報を発信するのが脳なのです。ダメージを受けた場所によって、さまざまな事が起こるのは当然です。関さんの場合は、「プロソディー障害」のために新人留学生のように話したり、左側にあるものが、あたかもないように振る舞ったりしました。この事はまれですが、しかし、関さんと同じようなダメージを負った人には、同じように起こる事なのです。それを記録しておくことで、どこかの誰かが救われるかもしない。同じ症状の出る人が多い・少ないの問題ではありません。この記録を残しておく事が、とても大切なのです。

☆   ☆

 関さんは、今、職場のあった神戸から、もともと住んでいた東京に戻っておられます。大学の職を辞して、新しく研究所を立ち上げられたからです。

 我われは、皆、関さんと同じだと思います。関さんと同じような人間の一人ひとりで、社会は成り立っているのです。そのさまざまな人びとが、(その人なりに)元気に活躍することは、社会の活力であり、我われの生きがいでもあります。「働き盛りの人」だけが社会を回しているという認識は、錯覚に過ぎません。元気な人は、つい自分があたかも主人公であり続けるように誤解していますが、いつ事故にあったり病気になるかわかりません。そして事故にあったり病気になっても、社会の主人公であることは、何も変わらないのです。たとえベッドの上で、のたうち回っていたとしてもです。

 わたしたちは、いつでも、その人なりに足掻(あが)いて生きています。倒れるまで足掻(あが)くことは無用の努力でしょうが、でも、努力は続ける必要があります。額に汗して働く努力の事ではありません。充実した生を存分に生きていく努力のことです。

 関さんにお願いがあります。折りを見て、若い医療関係者ばかりではなく、ぜひ一般の人にもわかるように、ご自分の経験をお伝え下さい。充実した生を存分に生きていく努力のさまを、お伝えいただきたいのです。その時は、もう一度、そのご本を読ませていただきます。

-------------------------------------------

(1) 『我、自閉症に生まれて』
https://shop.gakken.co.jp/shop/order/k_ok/bookdisp.asp?code=1340018200

(2) 『寡黙なる巨人』
http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=978-4-08-746592-1

(3) 『触る門には福来たる』
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/7/0230100.html

(4) 『ボディ・サイレント』
http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784582765663

(5) 『盲ろう者として生きて』
http://www.akashi.co.jp/book/b92693.html

(6) 『奇跡の脳』
http://www.shinchosha.co.jp/book/218021/

(7) 『「話せない」と言えるまで』
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=81958

 

Book_FrontPage.JPG 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして40

「正義の倫理」と「ケアの倫理」

三谷 雅純(みたに まさずみ


Carol_Gilligan02_PhD.JPG

キャロル・ギリガン

 

 キャロル・ギリガン(Carol Gilligan)の名前は、丸山里美さんのお書きになった『女性ホームレスとして生きる 貧困と排除の社会学』 (1) を読んでいて知りました。ホームレスとは、今ある社会制度からはずれてしまった人たちのことで、路上や河原、公園といった誰も私有していない土地や、山のように私有していても、あまり人の来ない土地で暮らす人たちです。かんたんな家を建てて定住している場合もあるのでしょうが、普通はブルーシートで作ったテントなどで暮らしています。

 そのホームレスです。圧倒的に男性が多くて、女性は全体の一割とか二割に過ぎないのです。それはなぜなんだろうという疑問が湧(わ)いて、丸山さんは女性ホームレスの事を社会学的に調べるようになりました。

 調べていくと、いろいろな事がわかりました。もともとホームレスは丈夫そうに見えませんが、それは病弱であったり、高齢であったり、障がいがあったりするためです。都市に住むホームレスは圧倒的に男性ですが、女性はホームレスを続けるには危険や困難が多く、また男性と違って女性は、その人が面倒を見ないと、やはりホームレスの男性――パートナーと呼べばいいのでしょうか?――は死んでしまうかもしれない、といった人間関係に縛られて、ホームレスにとどまり続ける人が多い事などです。

 その「人と人の関係」は、女性によく見られる――「女性独特の」というわけではありません――倫理観と呼んでよいのかもしれません。ここで「キャロル・ギリガン」が出てきます。

 ギリガンはアメリカ合衆国の心理学者で、大学の教員をしています。発達心理学者の立ち場から子どもたちの成長を観察していて、男の子と女の子ではものの考え方に違いが見られることに気が付きました。男の子は割り切った考え方をするのですが、女の子は人と人の関係を大切にするというのです。ギリガンはこのことを考えていって、『もうひとつの声』という本を書きました。それまで正しいと思われてきた規準とは別の規準で、人の成長や発達といったことを考えないと、女の子の発達はわからないと主張したのです。丸山さんは女性ホームレスによく見られるこの感性がギリガンの主張とよく合うと言います。このギリガンの本は、出版されると大きな論争を巻き起こしていったそうです。その影響は倫理学やフェミニズム、社会学といった分野に広がりました。

 ギリガンの主張をよくあらわす例として、「ハインツのジレンマ」が取り上げられます。少し長いですが、『女性ホームレスとして生きる』から引用します。『女性ホームレスとして生きる』の246ページにあります。

 発達心理学者であるギリガンは、道徳的葛藤状況のなかで選択を迫られた人びとが取る対応について研究するなかで、女性は道徳や人との関係について、男性とは異なる語り方をする傾向にあることに気づく。このことを象徴的に示すのが、「ハインツのジレンマ」と呼ばれる、有名な道徳性の発達指標に対するギリガンの疑問である。これは癌にかかった妻を救うために、夫のハインツは高価で買えない薬を盗むべきか否かを問うもので、その回答が男女では異なる傾向にあるとギリガンは言う。男の子のジェイクは薬を盗むべきだとはっきり答え、財産と生命を比べて生命の方が尊いと判断し、これを権利の問題へと修練させていく。女の子であるエイミーは、薬は盗むべきではないが妻を死なせるべきでもないと自信なさそうに答え、薬屋が二人の事情に配慮しないのがよくないのだと言って、これを責任の問題として解釈したのである。従来の発達理論においては、人間の発達は他者を気遣うことから、規則や普遍的な正義の原理にしたがう つぎの段階に漸進的に発達すると想定されて来たために、エイミーはジェイクよりも未成熟であると解釈されてきた。だがギリガンは、発達段階をはかるものさしが男性を規準につくられており、伝統的に女性の徳だと考えられてきた他人の要求を感じ取るという特徴こそが、女性の発達段階を低いものにしてきたことを指摘したのだった。(2)

 わたしは丸山さんの女性ホームレスの社会学を扱ったこの本とは別に、全く独立して柏木惠子さんの『おとなが育つ条件――発達心理学から考える』 (3) という本を読んでみて、「結びに代えて」の中で、再びギリガンの名前が出てきたので、びっくりしてしまいました。まあ、柏木さんは発達心理学者ですから、同じ発達心理学者(で、同じく女性研究者)のギリガンのお名前が出てきても不思議ではないのでしょうが、偶然読んだ二冊の本が、共にギリガンを引用していたのです。びっくりです。ギリガンという研究者は、本当にさまざまな学問に影響を与えたのです。

☆   ☆

 ギリガンは確かに、女性は周りの人の思いを考慮し、男性は周りの人の思いを気にかけるよりも原則に忠実だと言いました。わたしの身近にいる人を思い出してみると、当たっているように思います。男女は性によって役割が違うと主張しているかのようです。「性によって社会的役割が違う」という意見に敏感なフェミニストは、そこを批判しました (4)。

 しかし、ギリガンが『もうひとつの声』を書いた動機は、この本が出るまでは男の子にありがちな物事のとらえ方、つまり、周りの人の思いに左右されずに下す判断――冷静な判断であるとも、場合によっては冷酷な判断であるとも言えます――の価値が高く、女の子にありがちな周りの人の思いを考慮して下す判断は価値が低いという規準は、「男性優位の神話」にしか過ぎないという点にあるのです。その意味では、ギリガンもフェミニストだと言えます。

 現実には、「男性は周りを考慮せずに行動し、女性は気を使ってばかりいる」ということはありえません。わたしたちには誰にでも、育った環境や時代や文化によらず、どちらの傾向もあるのです。このふたつの考え方は、「正義の倫理とケアの倫理」と呼ばれたりします。ただ、ギリガンが『もうひとつの声』を書いた時には、その内の「正義の倫理」で現(あらわ)される男性原理だけが価値あるものとして認められ、「ケアの倫理」は本物の倫理的な規範とは認められていなかったのです(何と愚かな!)。

☆   ☆

 「ケアの倫理」は、今では、例えば看護師の持つべき倫理観として語られることが多いようです。看護師が「看護婦」と呼ばれた時代には、看護師は女性である事が当たり前でした。そのかわり医師は大部分が男性です。この暗黙の役割分担――そこには「看護婦と医者の身分差」もセットになっています――は、批判されて当然です。それが看護師と呼ばれるようになって、男性も看護に心を砕くことが当然になりました。また、今では医師とだけ聞いても、会ってみるまで男性か女性かはわかりません。つまり、男女ともに「ケアの倫理」を身につける事が求められるようになったのです。

 「正義の倫理」で想定されている人は「自立した責任ある個人」です。「自立した責任ある個人」が病人や障がい者や高齢者であってもかまわないのですが、病人や障がい者や高齢者は、いつも健康な精神を保ち続けているわけではありません。実際の病人や障がい者や高齢者では、気持ちが落ち込んでいる事がよくあります。その時には「ケアの倫理」が必要になります。他者の心を見つめる目が必要になるのです。

 ただし、「ケアの倫理」では「ケアをする人」と「ケアを受ける人」が出てしまいます。これが親と子どものような関係であれば、おとなが子どもの世話をする事は当然だと受け取る人が多いでしょうから、<ケアをする親/される子ども>で何の不思議もありません。おとなが子どもの世話をするという意味でなら、幼稚園や小学校・中学校も同じでしょうし、里親と血のつながりのない子どもでも同じです。ところが、おとなとおとなの間に「ケアをする人」と「ケアを受ける人」が生まれると、関係は急に非対称性がクローズ・アップされてしまいます。「ケアをする人」は一方的にケアを施し続けねばならず、「ケアを受ける人」はケアを受けなければ生活できないという事態になってしまうのです。これでは「ケアをする人」の負担ばかりが増え、「ケアを受ける人」は気が重くなってしまいます。「する側・される側」の両方がストレスを溜めてしまいます。

 看護師だとか教師であれば、まだ労働の代価がお金で支払われるのですから、(お金で納得できるのであれば)それもいいかもしれません。しかし、人と人の関係はお金で解決が付くとは限りません。老いた親を子どもが面倒を見る時でも、例えば、ほかの家から嫁いできたお嫁さんが義父や義母の面倒を見る時は、報酬を支払う/もらう関係とは異なるでしょう。それが「障がいのある、すでに成人した人の世話をし続ける他人」となったらどうでしょう。果たして自分は「ケアの倫理」を保ち続けることができるかどうか、とても自信がない、とおっしゃる方は多いのではないでしょうか。

 ヒトの行動生態学には「互恵的利他行動」と呼ばれる概念があります。普通、動物は自分と遺伝的に近いコドモや兄弟を助けて自分の遺伝子が残るようにするものです。ところがヒトは、必ずしも遺伝的に近い家族だけを助けるのではなく、遺伝的には関わりのないヒトまで助けてしまいます。困っている他人を助ける。それが、次に自分が困っている時には助けてもらうことにつながる。……この繰り返しによって、親切のネットワークは広がっていきます。こんな行動を、特に「互恵的利他行動」というのです。

 「ケアの倫理」は「互恵的利他行動」と関係が深いと思います。同じ事かもしれません。ただ、違うように見えることのあります。「互恵的利他行動」では、親切のネットワークは巡り巡って、いつか自分にもいいことが返って来るのです。「互恵的利他行動」を取る人が、その事を自覚しているかどうかは別にして――報酬を当てにして「親切に振る舞う人」というのは、あまりいないでしょう――、少なくとも、他人に親切にすれば人間関係がよくなり、気分よく日びが送れることは確実です。

 「互恵的利他行動」とは、普通、動物の世界ではあると考えられない利他行動が、ヒトに進化している。それはなぜなのだろうと考えた理論的な結論です。実際の具体的な人がその事を認識している必要はありません。知らなくてもやってしまうから、行動が進化で語れるのです。それに対して「ケアの倫理」とは具体的な人間の行動規範です。必ずしも、「知らなくてもやってしまう」というものではありません。しかし、ギリガンが指摘したように、この規範はヒトの遺伝子に書き込まれた行動であるかのようです。つまり、知らない間に、ついやってしまう行動という意味です。

 「ケアの倫理」でも直接の利益は期待できないのかもしれません。しかし、巡り巡って「親切のネットワーク」は自分にも及ぶのです。ユニバーサル・ミュージアム(=開かれた生涯学習施設)では、「ケアの倫理」は、あって当然です。そこに「直接の利益」、例えば「集客数が上がるから」とかいうのは、かなりピントはずれの態度です。
---------------------------------

(1) 丸山里美さんの『女性ホームレスとして生きる 貧困と排除の社会学』(世界思想社)は:
http://sekaishisosha.co.jp/cgi-bin/search.cgi?mode=display&code=1593

(2) 英語ですが、この「ハインツのジレンマ」のくだりは、インターネットに公開されていました。
https://lms.manhattan.edu/pluginfile.php/26517/mod_resource/content/1/Gilligan%20In%20a%20Different%20Voice.pdf

(3) 柏木惠子さんの『おとなが育つ条件――発達心理学から考える』は:
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1307/sin_k719.html

(4) 例えば東京大学におられた塩川伸明さんは、ギリガンの『もうひとつの声』を書評して「上野千鶴子はギリガンの議論を、かつてのような生物学的性差還元主義とは異なるものと認めた上で、それでも文化と社会の中でつくられるジェンダーを逃れるのは難しいという理由で『女性性』を固定化・本質化する――但し、かつてのようにそれをおとしめる代わりに、むしろ肯定的意義を付与して賞賛する――ものだという風にまとめる」と書いておられます。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~shiokawa/books/Giliganpdf.pdf

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして39

“ロボット万能”の時代に人が行うサービス

三谷 雅純(みたに まさずみ)


 昨日は休みだったので、家でぼんやりとテレビを見ていました。見ていると多くの商品が出てきて、これでもか、これでもかと宣伝をしています。直接、その製品の良いところを訴えるものもありますが、なかにはイメージだけを伝えているものがありました。でも、何だかその方が気になります。それを作り出した技術のすばらしさや工夫ではなく、「(直接、製品には関係のない)自然の優しさ」や「(これまた、直接、製品には関係のない)支え合う人の結び付き」、あるいは「人の温かさ」を伝えているのです。

 ここで、よくよく考えてみました。多くの製品は人工物です。農産物であったとしても、人が作り出したものです。仕事として、普通の人が、日常生活の中で商品を作るのです。商品では市場(しじょう)の原理が優先されます。いかに良いものを作るかよりも、いかに高く売るかが優先されるということです。そこで訴える「優しさ」や「温かさ」は本物である必要はありません。ただのイメージでよいのです。

 宣伝していたものがイメージにすぎないのかもしれないと思って、もう一度よく見てみると、何となく企業の主張を鵜呑(うのみ)みにしていた自分の愚かさに気が付いて、唖然(あぜん)としてしまいました。唖然(あぜん)とはしたのですが、その主張で企業や製品のイメージ――製品の品質ではありません。あくまでイメージです――が、実際よりも、よく見えた事は間違いありません。この仕組みは、心理学では、きっと「○○効果」といった名前が付いた常識なのでしょう。しかし、わたしは心理学のことをよく知りません。

 テレビだけでなく、ラジオはもちろん、雑誌や新聞やインターネットでも事情は同じだと思います。マスコミ(=マス・コミュニケーション)はマス、つまり「大勢の人」に、いっぺんにメッセージを送るのです。メッセージは受け手の意向に左右されて当然です。つまり、商品を作る賢い企業・そのメッセージ(=イメージ)を送るマスコミ・受け手の三者は共同して、イメージをせっせと肥大させ続けているのです。

 考えてみれば、わたしたち研究者の仕事である(はずの)「科学」というものも、この三者が共同で肥大させているイメージと大差ないのかもしれません。後になって振り返れば、研究者自身が「何で、あの時、あんなに一生懸命やったのかわからない」といった事が、たぶんありそうです。少なくとも、わたしにはあります。

 ただし、送り出すメッセージは受け手の意向を汲んだものなのですから、「自然の優しさ」や「支え合う人の結び付き」、あるいは「人の温かさ」には、本当は「人工物の冷たさ」や「機械の持つ融通の利かなさ」があったとしても、大勢の人にその事を忘れさせてしまう何かがあるはずです。

 わたしたちは、日常の生活に追われて、つい忘れがちですが、本来、剥き出しの自然は冷酷なものです。津波や火山噴火は優しくなどありません。また大勢の人がいっしょに暮らす社会を維持していくためには、一人ひとりの大変な努力が必要です。しかし、それでもわたしたちは「自然の優しさ」や「支え合う人の結び付き」や「人の温かさ」を求めてしまいます。この時だけは〈冷酷さ〉や〈大変な努力〉には目をつむり、ふわふわとしたイメージだけを追いかけるのです。あるいは、忘れてしまったふりをして、現実にはないイメージを追いかけ、踊って見せるのです。踊って見せることで、何かから逃げようとしているのでしょうか? でも、そうだとしたら、何から逃げようとしているのでしょう? あるいは、誰に向かって踊って見せているのでしょう?

☆   ☆

 ユニバーサル・ミュージアムとは、誰でも、どのような人でも参加できる施設をめざす運動です。ユニバーサル・ミュージアムのお手本が、どこかにあるわけではありません。「こうすると、あの人は参加できるだろうか」とか、「ああすれば、この人も参加しやすいと思うのだが」といった事を、少しずつ実現し、実践していくことです。だから、このコラムのタイトルは「ユニバーサル・ミュージアムをめざして」なのです。

 最近、あちこちでロボットの話を聞くようになりました。遠い夢の世界の話かと思っていたら、コンパクトな掃除ロボットが商品として売り出されています。わたしが知らないだけで、以外なほど多くのロボット類似の機能が付いた商品が存在するのかもしれません。

 ロボットの中に介護ロボットという概念があります。人の体を抱き運ぶ時、役に立つ力(ちから)の強い補助ロボット機具や、孤独な人に抱かれて甘えるペット代わりのロボットのことです。ユニバーサル・ミュージアムにも、ロボットがあったら便利な気がします。ユニバーサル・ミュージアムは、もともとは社会を構成していた(はずの)さまざまな人が、ありのままの姿で暮らす社会の雛形(ひながた)です。多様な人には多様な思いがあり、多様な希望があるはずです。要求も多様でしょう。その要求に応えるのが、本質的にはロボットという機械の長所のはずです。そんな機械は、まだ存在しないのですが、でも、あったとしたら、本当に便利です。

 

 その時は、もう人間は要りません。受付はロボットがこなしますし、切符は今でも機械が発行しています。守衛もロボットです。万が一、事故が起こっても対策は万全です。設備のメンテナンスもロボットに任せます。事務仕事もロボットです。小さな子どもやお年寄りの世話もロボットがします。調査とか研究といった仕事は、人間がやるよりロボットに任せておいたら失敗がありません。ロボットなら、これこれの方針で調査をするとなったら文句など言いません。ああだこうだと不満の多い人間に任せるなど、地球規模のグローバル化の時代には、考えられません。

 来館者は、それで満足でしょうか? 満足するはずです。いくらロボットがやるからといって、「自然の優しさ」や「支え合う人の結び付き」、あるいは「温かさ」といったイメージは大切です。このふわふわとしたイメージを売り物にして、来館者を増やしましょう。来館者はイメージに踊るのです。本物でなくてもいいのです。

 

 「本物でなくてもいい」だって?

☆   ☆

 現実には、誰も、そんな機械しかない場所には行きたくないでしょう。人がいっしょにいることで、ロボットにはスマートさや優しさが滲み出ます。それは一見、ロボットの個性のようですが、そうではありません。管理する人の心が、ロボットという道具を通して滲(にじ)み出るのです。

 つまりロボットとは、あくまで人を助ける存在なのです。ロボットの側(そば)には、必ず人がいることが大切です。

 高齢者が生涯学習施設のボランティアとして活躍している例が多くあります。高齢者には長い経験と豊かな智恵があるからです。まだ言葉のよくわからない小さな子どもも、高齢者なら何となくその子の気分を察し、経験のない、若い人には真似のできない、楽しい雰囲気を盛り上げてくれます。高齢者には、ぜひ昔の経験を教えてもらいましょう。高齢者にしか伝えられない地域の伝統や歴史をです。高齢者の側もわかりやすく伝える術(すべ)を工夫し、頭を使い、計画を立てることで、若わかしい精神が保てます。

 ユニバーサル・ミュージアムなのですから、ボランティアや施設の職員には、ぜひとも障がい者が必要です。さまざまな人にモノを伝えるには、伝える側も「さまざまな人」でなければならないからです。

 ユニバーサル・ミュージアムで働くロボットとは、そんな「さまざまな人」を助ける存在であってほしいのです。送り手と受け手の双方の不便を減らすのが、ロボットであるはずです。高齢者や障がい者や子どもを助けるロボットは、まさに万能ロボットと呼ぶにふさわしい存在だと思います。そのロボットから滲(にじ)み出るべきなのは、ロボットの側(そば)にいる「さまざまな人」の心です。

 


三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして38

 

視覚に頼らない世界を
テレビはどこまで伝えられるのか

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

 

biwa_housi.JPG頭書増補訓蒙図彙 巻の4 1695年=元禄八年

琵琶法師です。「瞽者(こしゃ)」とは目の見えない人のことであり、文中には「盲目」「盲人」と書かれています。また、琵琶法師と呼ばれる人がいて、昔は琵琶を奏でて平家のことを語っていたそうです。その後、琴や「三線(さんしん)」を扱い「座頭(ざとう)」とも呼ばれたそうです。最後の部分は読めませんでしたが、「検枝勾富四分」という字が見えます。絵では月夜に琵琶を演奏する琵琶法師が描かれています。

Copyright EASTERN OLD BOOKS -和古書の挿絵と和のaiベクターフリー素材-


 テレビのドキュメンタリー「世界を触れ!」 (1) のDVDを送っていただきました。みんぱくの広瀬浩二朗さんの世界を描いた作品です。

 放送は夜の遅い時間帯でしたから、わたしは眠すぎて、起きていられませんでした。関西地区に限定した放送でしたが、幸い、わたしの住む地域では視聴できます。それで予約録画をしようと思っていました。ところが、たまたま、最近テレビを買い換え、その時、うっかりとDVDが録画できなくなったのです。何と! どうしようかと思っていたら、友人が録画してあげるよと言ってくれました。それで見る事ができたわけです。

 ドキュメンタリーは、かつて、テレビ番組の花形だったと思います。ところが、いつの間にかローカル番組となり、深夜枠の放送になっていました。それでもドキュメンタリー番組は装いを変え、今ではクイズ番組になったり、場合によってはコマーシャルになったりして何とか生き延びています。しかし、今に生きる、いろいろな人の生き方や、自然のありさまを記録するという意味では、元来、テレビ向けの形式だったはずです。

 ドキュメンタリーでは実在する人びとの生活をカメラで切り取るのですから、作品を創り出すまで、さまざまに大変な事があるでしょう。プライバシーは守らなければいけません。守らなかったら、二度と出てくれません。その一方で、同時に多くの視聴者の興味をひかなければなりません。興味をひかない作品は、わざわざ作る意味がありません。

 一方で作り手――ディレクター、プロデゥーサー、カメラマン、編集をする人、ともかく大勢の、その人にしかない技術や感性を持った専門家――がいて、受け手である視聴者がいる。その作り手・受け手の相互作用で作品は産み出されるのだと思います。作品によっては送り手の意図を超えて、受け手とともに息をしはじめる。それは、今も昔も変わらないプロセスのはずです。

 送っていただいた「世界を触れ!」は、みんぱく(国立民族学博物館)の文化人類学者、広瀬浩二郎さんの生きている世界を描こうとしています。このエッセイにも何度か登場願いましたが、広瀬さんは全盲のフィールドワーカーです。広瀬さんの生きる世界は、世の中の多くの人とは異なります。それは視覚に頼らない世界です。匂いを嗅ぐ。味わう。手で触る。ことに指先の感覚は大切です。なぜなら、広瀬さんにとって指先は、多くの人の目に当たるからです。多くの人が目で見て情報を得るように、指先で触っていろいろな情報を得るのです。そこには視覚に頼る世界とは質の異なる認識世界があり、イメージの広がりがあります。

 指先で得る情報とはどのようなものなのでしょうか? 視覚と聴覚しか使えないドキュメンタリーで、このことを表現するのは、難しかったと思います。ディレクターという職業は、世の中には多様な人がいるという事をよく理解することが必要です。また、よく理解しているから、その様(さま)をドキュメントして残そうとします。しかし、どうしても感覚的にわからない事は、あるものです。わたしは、たまたま晴眼者ですから、「広瀬さんのイメージしている心象世界は、どのようなものであるのか正確にはわからない」というしかありません。

 実はこの作品、放映された段階では、まだ完成していないのではないかと思いました。受け手に浸透してはじめて、形のあるものになる。そういう事ではないかと思っているのです。

 受け手のひとりは、広瀬さんご自身です。主人公であり、取材対象でもある広瀬さんは、つい送り手のひとりだと思われるでしょうが、取材を終えると、完成までの時間、ドキュメンタリーは主人公の思いを超えてひとり歩きをはじめます。そのあいだは、多くの専門家によって、素材の映像や音声がドキュメンタリーに「創られる」のです。映像や音の表現を探り、効果音を確かめます。ナレーターはいちばん良い読み方を探します。そして編集が終わります。そこではじめて、主人公は自分の映った姿を確認できるのです。広瀬さんの場合は、奥さんがどのような映像であるかを説明したのかも知れません。やがて納得して――最初は誰でも、自分の映し出された映像には、とまどうものです――いよいよ放送となります。

 その次の受け手は、多様な不特定多数の視聴者です。不特定多数の視聴者ですが、見た段階でさまざまで感想を持ち、興味を持った人、なかでも障がい者やそのご家族はさまざまに解釈を広げます。送り手が思いも掛けなかった解釈が生まれる事もよくあると思います。そこでやっと、作品は本当に完成するのです。このプロセスは、「世界を触れ!」のような、主人公が多数者とは心象世界の明らかに異なるドキュメンタリー作品では、とても大切だと思います。

                   ☆   ☆

 「世界を触れ!」はこれまで『触る門には福来たる 座頭市流フィールドワーカーが行く!』 (2) や『さわる文化への招待』 (3) などのご著書で紹介されたことに沿った作りで、大体はこのようなドキュメンタリーになるだろうと予想できるものでした。具体的には、晴眼者にはわかりにくい視覚障がい者にとっての白杖(はくじょう)の役割とか、音の反響で構造物のある/なしを見分ける方法、風の吹き抜ける感触とそこから分かる空間的広がり、傘をたたく雨音で周りのようすがわからなくなること、美術品を触ること、あるいはうっかり触れない絵画を凸凹の触図で表わし、絵そのものはボランティアが説明するといった鑑賞技法、などなどです――説明の技量にもよるのでしょうが、人が説明をすると、かなりわかるものだと伺いました。

 一方、わたしは広瀬さんの住むもうひとつの世界を、どう表現するのだろうかということに興味がありました。視聴者の多くは晴眼者が占めているはずです。その中で、異なる世界をいかに表現するのだろうかという興味です。例えば、今、インターネットでも話題になっている「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」は、晴眼者が暗闇の中で何かを触ってみた時の驚きを楽しみ、触るという「新しい感覚」があったということを再認識するというセミナーですが、ドキュメンタリーでは画面を真っ暗にして、視聴者に広瀬さんの住む世界を疑似体験させました。また、昔、全盲の青年が琵琶法師になろうと修行をした(当然、光は要らない)真っ暗な洞窟の中と洞窟を抜けた光の世界を、やはり画面を暗転させ、やがて元に戻すことによって対比させていました。その修行僧にも見える役を全盲の広瀬さんがやっているという二重の謎かけもあったのではないでしょうか。広瀬さんの世界を擬似的に表すことに成功していたと思います。

 ドキュメンタリーが多くの視聴者に支持された時代には、映像の暗転は、やってはいけないタブーだったと聞いています。受像器に何も映らないと機械の故障ではないかと疑う人が出るかもしれませんし、送り手の意図が理解できないと、受け手は視聴を止めてしまうからです。しかし、視覚障がい者の生きる世界を表すには、目を閉じて、耳を澄ますという作業が、ぜひとも必要でした。その意味で、今回の作品では「音」をどう録音するかが、いつもにもまして大切だったはずです。

 ただ疑問に思ったことがあります。点字を表すのに、ボツボツをただ写すことでしか表現できなかったのでしょうか? 先ほども言ったように、視覚障がい者の指先は、晴眼者の目のようなものなのです。その視覚障がい者と晴眼者の多様性は、ボツボツを写す以外にも、もっと視聴覚的な表現があったのではないか? この疑問です。

 このあたりは表現の試行、というよりも冒険でしょう。しかし、今までなかったことです。やってみる価値があると思いました。タブーはあったとしても、それは「視聴者は健常者に違いないという思い込み」で成り立つ偽物のタブーです。現にわたしは健常者ではありません。それにしても、暗転させた画面をじょじょに元に戻す場面では、いったい何が言いたかったのでしょうか? 急に明るくすると、とまどう人が出るからでしょうか? これもわからなかった事のひとつでした。

 広瀬さんのドキュメントなのですから、視覚障がい者が主人公になるのは、あたりまえです。でも、その先には、さらに多様な人の世界が広がっているのだと思い当たります。例えば、ろう者は視覚言語の世界に生きていますし、失語症者は「発話のない」内言語(ない・げんご)の世界に生きています。このあたり、どこまでドキュメンタリーで表現できるでしょう。それとも、視聴覚を前提にしたテレビという媒体では、もう無理なのでしょうか?

 落ち着いた、よいドキュメンタリーでした。ディレクターの柴谷真理子さんに、わたしは個人的な面識はありませんが、インターネットで調べると、ハンセン病者 (4) や犯罪被害者のご家族 (5) について質の高いドキュメンタリー作品を発表していらっしゃいました。これからは、どのような作品をお作りになるのでしょう。期待しています。

                     ☆   ☆

 話題が変わります

 ユニバーサル・ミュージアムでよく話題になるのが、視覚障がいと博物館の展示の問題です。視覚障がい者は展示を見ません。その代わり触ります。最近の生涯学習施設には、多様な障がい者が学びやすく工夫した施設もありますが、歴史系博物館や美術館で「展示物に触れる」というところは今でも少ないし、おまけに展示品は大抵、ガラスに囲われています――目を使わない人にとって、ガラスで囲った展示物とは、壁に覆(おお)われた見えない展示物(らしきもの)なのです。

 それでも、少しずつ、視覚障がい者の事を考えた展示を工夫するようになってきました。それには、みんぱく(梅棹忠夫さんや広瀬浩二郎さんとほかの皆さん)とともに、神奈川県立生命の星・地球博物館(奥野花代子さんや濱田隆士さん、広谷浩子さんとほかの皆さん)の果たした役割が大きかいと思います。

 もともとは、視覚障がい者のための特別支援学校の影響が強かったのだと思います。きっと生命の星・地球博やみんぱくにも特別支援学校の影響があったのでしょう。でもそれは、どのような影響だったのでしょうか?

 ドキュメンタリーの中で、広瀬さんはご自身の事を少数民族に例えておられました。勤めているのが民族学博物館なのですから、当然と言えば当然です。わたしにも、よくわかる例えです。現にわたし自身、自分は少数民族だと思っています。わたしの感性は、多数者とは明らかに異なります。それに人は誰でも、理由があってはじめて考え続けられるものなのです。ですから、広瀬さんが視覚障がい者の立場を主張されることは、よく理解できるのです。

 しかし、ユニバーサル・ミュージアムとは、本来、視覚障がい者を含めた多様な人の期待に応える必要があるものです。その事は、広瀬さんご自身のまとめた本『さわって楽しむ博物館――ユニバーサル・ミュージアムの可能性』 (6) にも、少し触れてありました。しかし、この目で見直してみた時、広瀬さんの主張からは、視覚障がい者以外の人の姿が見えてこないのです。それは、なぜなのでしょうか? 今まで、思い出した時にはいつも、この疑問を聞いてみました。また今回のドキュメンタリーでも、何かおっしゃっていないかと探してみました。しかし、わたしにわかる回答は、残念ながらありませんでした。

 機会があったら、ぜひ、わたしにもわかるように説明して下さい。

-----------------------------------------
(1) ザ・ドキュメント「世界を触れ! -見える人にこそ伝えたいー」(関西テレビ放送、2013.9.14 OA)
http://www.ktv.jp/document/index.html

(2) 『触る門には福来たる 座頭市流フィールドワーカーが行く!』(岩波書店、2004)は、もう絶版のようです。古書店で手に入ります。「ノーマライゼーション 障害者の福祉」2004年11月号に望月珠美さんの書評がありました。
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n280/n280021.html

(3) 『さわる文化への招待』(世界思想社、2009)
http://www.sekaishisosha.co.jp/cgi-bin/search.cgi?mode=display&code=1411

(4) 柴谷真理子さんのドキュメント作品:「望郷の島から ハンセン病と家族の絆」
http://www.ktv.jp/ktv/info/shingi/101111.html

(5) 柴谷真理子さんのドキュメント作品:「罪の意味―少年A仮退院と被害者家族の7年―」
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/13th/05-013.html

(6) 『さわって楽しむ博物館――ユニバーサル・ミュージアムの可能性』(広瀬浩二郎 編著、青弓社、2012)
http://www.seikyusha.co.jp/wp/books/isbn978-4-7872-0048-8

 なおユニバーサル・ミュージアムをめざして11に「 『さわって楽しむ博物館』を読んでみました」という回があります。
http://hitohaku.jp/blog/2012/07/post_1576/

 

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして37

 

脳の多様性?-3

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

 

neurodiversity_FP.JPG 

 『脳の個性を才能にかえる―子どもの発達障害との向き合い方―』(トーマス・アームストロング著、中尾ゆかり訳、NHK出版)の読後感の続きです。

 

 この本で取り上げている「個性的な脳」を順にあげると:ADHD(=注意欠損/多動性障がい)、自閉症、ディスレクシア(=難読症、日本では学習障がいの一種と見なされています)、うつなどの気分障がい、不安障がい、知的発達の遅れ、統合失調症です。

 

 「個性的な脳」の話なのですから、その一つひとつには異なった苦労――「ふつう」の人が形作る社会で生きる苦労や、場合によっては「苦しみ」――はありますが、同時に、「個性的な脳」ゆえの他の人には真似(まね)のできない長所があるとおっしゃいます。

 

 例えば、ADHDは障がいではなく、ただ幼稚なだけだというのです。この研究は,2007年の全米科学アカデミー紀要(PNAS) (1) に載りました。紀要によるとADHDの子どもの脳は正常に発達しているのですが、「ふつう」の子どもに比べると、約3年の遅れがあることがMRI(磁気共鳴画像装置)を使った検査でわかったのだそうです。つまり、脳が「幼い」のです。

 

 脳の成長が遅いとどんな事が起こるのかでしょうか? それは「ふつう」の人はすでに興味を失ったような事にも、興味が維持できると考えられます。例えば「時間と空間の関係」など、毎日の生活に追われる現代人(「ふつう」の人=多数者)にはどうでもよい事ですが、ADHDの人は「時間と空間の関係」という「些末(さまつ)な事」にこだわってしまうのです。アームストロングさんがあげるADHDの有名人に、アルバート・アインシュタインがいます。アインシュタインは、子ども時代、クラスの落第生でした。幼稚な人で、おとなになっても子どものままの心を持っていました。カメラに向かってアッカンベーをしている写真は有名です。そのアインシュタインが相対性理論を考えついたのは、「時間と空間の関係」という「些末(さまつ)な事」に興味を持ち続けていたからです。ピカソやモーツアルトやシェイクスピアも、似たような心を持っていたと言われています。

 

 ADHDの人の脳は、ヒトの進化に典型的な「幼形成熟」ではないかとアームストロングさんは考えます。これはアームストロングさんが勝手に言っているのではなく、アシュレイ・モンターギュいう人類学者がチンパンジーとヒトを比較して言った事なのです (2)。ヒトの〈こころ〉の特徴は、好奇心や遊び心、驚き、創造性、柔軟性、発明力、ユーモアなどなどです。これらは子ども時代には、誰でも普通に持っていた性質ですが、おとなになって生活に追われるようになると、多くの人は持っていた事を忘れてしまいます。しかし、ADHDの人は、いくつになっても忘れる事がないのです。アームストロングさんは、ADHDの人は、ひょっとすると人類進化の最先端にいるのではないかとまで考えます。

 

 同じように、自閉症の人は他人の心を類推して、その人に寄り添う、つまり「共感」することは苦手ですが、「システム化」することは得意です。ですからコンピュータや数学のような抽象的な思考とか、切手やDVDのコレクションのように組織化できることには嬉き(きき)として取り組みます(博物館で大切な、標本の収集もそうですね)。

 

 またディスレクシアの人は、字という「象徴的な図形」を理解したり書いたりする事に苦労しますが、絵を描いたり、機械の構造を理解する事は得意です。ディスレクシアの人は右脳人間と呼ばれたりします。芸術家に多いそうです。例えばADHDでも登場したピカソもそうですし、ダ・ヴィンチ、ロダン、ウォーホルといった人たちがそうだったようです。そう言えば、奇妙な形をした教会を設計したことで有名なスペインの建築家、アントニオ・ガウディもデスレクシアでした。

 

          ☆   ☆

 

 うつや、高所恐怖とか閉所恐怖、心的外傷後ストレス障がいなどの不安障がい、知的発達の遅れや統合失調症といったものが、『脳の個性を才能にかえる』のような「個性的な脳」を持つ人を励(はげ)ますような本で取り上げられることは、あまりありません。知的発達の遅れについては、良いところをあげた本があり、わたしも読んだ事がありますが、うつや不安障がい、統合失調症は病気だと信じられています。このような症状の当事者は、たいてい辛(つら)い人生を送り、何かのはずみで自死する事も多いのです。実はトーマス・アームストロングさんご自身が、うつを抱えていました――この『脳の個性を才能にかえる』も、重いうつに苦しみながら執筆を続けていたという事です。

 

 アームストロングさんのうつは、父方に伝わる遺伝によるものでした。同じように不安障がいや統合失調症も遺伝的な背景があります。知的発達の遅れも遺伝子に原因がある場合があります。アームストロングさんの場合は、抗うつ薬を飲んでいるために、普通に近い生活が送れると述べています。事実、ある種の抗うつ薬は、きわめて重いうつ症状や双極性障がいと闘う手だてとなっています。

 

 このように、うつが重ければ抗うつ薬が必要です。しかし、うつが軽ければ、忙しすぎる現代人には人生を振り返る、またとないチャンスとなるのです。落ち込んでいる人は、自分では重苦しくて悲しい思いをしているのですが、落ち込んでいない人よりも賢そうに見えるようです。カナダやアメリカの先住民には、昔から、うつの体験を「種族の個性」と考える人がいます。そんな人は、うつの人を「正真正銘のインディアン」として最高の指導者と見なすのだそうです (3)。人生にとって、うつは、本当は必要なものかもしれません。

 

 統合失調症にはスペクトラム――症状のごく軽い人から重い統合失調症までの広がり――が明らかなのだそうです。その中のごく軽い人は、統合失調症とは呼ばずに「統合失調型人格障がい」と呼びます。そして統合失調型人格障がいの人は、ふつうの人(=多数者)に比べて、独創性が豊かで、高度な創造力があるのだと言います。DNAの二重らせん構造を発見したジェイムズ・ワトソンには統合失調症の息子さんがいたそうですし、英語圏で「最高の作家」とされるジェイムズ・ジョイスの娘さんも統合失調症だったそうです。

 

 奇妙な事があります。統合失調症の人は結婚が難しいために、子どもを残しにくいのです。でも、遺伝的に統合失調症になる人は、あらゆる民族に一定の割合(およそ人口の1パーセント)で存在することも事実です。子どもに伝わりにくい性質が、つねに一定の割合で出るなんて、不思議だと思いませんか? なぜでしょうか?

 

 『天才と分裂病の進化論』 (4) (金沢泰子訳、新潮社)の著者、デイヴィッド・ホロビンは、脳の脂肪含有量――脳は脂肪のかたまりのような組織です――を調節する遺伝子が、神経系のスピード・アップに貢献し、ヒトらしい認知や言語を産み出したと考えました。脂肪はヒトらしさを保障する鍵だったのです。そして、ヒトとチンパンジーのゲノムを詳(くわ)しく調べてみると、統合失調症に関わりのある変異の多くは、ヒトの生存に利益があったとされているのです。つまり、統合失調症の遺伝子は、適切にあればヒトらしさを発揮(はっき)するが、多すぎると統合失調症になってしまうというわけです (5)。

 

 それにしても、統合失調症の人は苦しんでいます。いくらヒトの進化に必要な変異だからと言ったって、当事者の苦しみは減りません。統合失調症は、決してロマンティックな病気ではないのです。

 

 前衛芸術とか現代芸術と呼ばれる芸術があります。水玉模様のアートばかり描き続ける草間彌生(くさま・やよい)さんが有名です。水玉模様(みずたま・もよう)のアートばかりを作り続けてきた草間さんの芸術は、一見、奇妙な印象を与えます。しかし、水玉だらけのカボチャや壁やボディ・ペインティングされた草間さんご自身は、幻想に悩まされる草間さんを救う方策だったそうです。(6) そして、今では草間さんの芸術が、草間さんご自身だけではなく多くの人に支持されています。草間ファンが多いのです。

 

 幻想に苦しめられた草間さんは、前衛芸術とか、現代芸術とか言われる分野に居場所を見つけました。アームストロングさんが言う「個性的な脳」で形作られる社会や、社会の雛形(ひながた)である学校のクラスにも、草間さんのように、本来、自分の居場所を見つけたり、創り出したりする才能が埋もれているのだと思います。

 そして学校の先生のお仕事は、本質的にそのような子どもを見出し、いっしょにクラスや人生の居場所を考えてやる事だと思います。

 

 

 

neurodiversity_back_page.JPG---------------------------------------------
(1) 2007年の全米科学アカデミー紀要(Proc Natl Acad Sci USA: PNAS)に載ったADHDの脳の成長の研究。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2148343/


 同じものですが,PDFもありました.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2148343/pdf/zpq19649.pdf

 

(2) アシュレイ・モンターギュの本は『ネオテニー 新しい人間進化論』(どうぶつ社,絶版)があります.


 またインターネットでは,"Time, Morphology, and Neoteny in the Evolution of Man" というアメリカ人類学会誌の1955年の論文が無料でダウンロードできました.
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1525/aa.1955.57.1.02a00030/pdf

 

 これとは別に九州大学学術情報トリポジには,土戸敏彦さんが教育学紀要に2006年にお書きになった「ネオテニー仮説と<子ども>性 : 言語獲得の代償」
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/8049/1/KJ00004493700.pdf
が,自由に閲覧できる論文として載っていました.これが読みやすいかもしれません.

 

(3) 「正真正銘のインディアン」として最高の指導者と見なすというのは,"Unstrange Minds: Remapping the World of Autism" (Roy Richard Grinker, Basic Books)という本に載っているそうです.わたし(三谷)は,残念ながら読んでいません.

 

(4) 松岡正剛さんが,『天才と分裂病の進化論』の書評を書いていらっしゃいました.
http://1000ya.isis.ne.jp/0684.html

 

(5) 霊長類学や進化生物学の立場から統合失調症を調べた研究は多いようですが,英語のものばかりでした.

 

(6) 草間彌生(くさま・やよい)『無限の網 草間彌生自伝』(新潮文庫)、

http://www.shinchosha.co.jp/book/136541/

 

Network of infinite.JPG

 

『水玉の履歴書』(集英社新書)

http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0692-f/

 

 

Resume polka dot.JPG 

 

 

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

兵庫県立大学 自然・環境科学研究所

/人と自然の博物館

 

 

ユニバーサル・ミュージアムをめざして36

 

脳の多様性?-2

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

neurodiversity_FP.JPG 

 前回から書いている『脳の個性を才能にかえる―子どもの発達障害との向き合い方―』(トーマス・アームストロング著、中尾ゆかり訳、NHK出版)を読んで感じた、わたしの読後感の続きです。

 

 ひとつ、おことわりです。実は昨日(2013 9 9日)まで霊長類学会(正確には第29回日本霊長類学会・日本哺乳類学会2013年度 合同大会)という大会があり、わたしも出席していました。その大会が終わって、昨日帰ってから、このブログを書き足そうと思っていたのですが、疲れてしまって書き足せませんでした。それで、このブログは「脳の多様性?-2」にして、残りは次に書くことにします。中途半端ですいません。

 

☆   ☆

 

 アームストロングさんは『脳の個性を才能にかえる』を、8つの原則ではじめます。それは:

 

1.人間の脳は機械ではなく生態系に似ている。

 

2.人間も人間の脳も、能力の連続体のどこかに位置する。

 

3.人間の能力は所属する文化の価値観で決まる。

 

4.障害があると見られるか、才能に恵まれていると見られるかは、生まれた場所と時代で決まる。

 

5.人生で成功する鍵は、周りの世界のニーズに脳を適応させること。

 

6.人生で成功するのは、個性的な脳のニーズに合わせてまわりの世界を修正することも必要(ニッチづくり)。

 

7.ニッチづくりには、個性的な脳をもつ人特有のニーズに合う職業や生き方の選択、支援ツール、支援者など、人生を豊かにする手だても必要。

 

8.積極的なニッチづくりは脳に直接働きかけ、ひいては周囲に適応する能力を高める。

 

の8つです。2の「連続体」は、最近の言葉では自閉症スペクトラムと同じ意味です。社会の多数者は「ふつう」と「障がい」は別ものだと思っているかもしれないが、本当はつながっていて、「ふつう」と「障がい」は区別できないのだという事です。この8つの原則を、私なりに解釈してみましょう。

 

 人間の脳が複雑であるのと同じように、我われが生きている社会も複雑です。現代社会では「障がいがある」と見なされている「個性豊かな脳」は、その個性ゆえに支援ツールや支援者の助け、場合によっては薬が必要な場合があります。しかし、支援や薬よりも大事な事があります。それは才能を生かせる場所を探すという事です。なければ新しく作るのです。「脳」と「社会」はお互いに影響し合います。「脳」と「社会」は独立しているわけではありません。

 

 これがアームストロングさんの言いたいことだと思います。

 

☆   ☆

 

 わたしはこの本を読む時、ずっと気にかかっていることがありました。それはアームストロングさんが、「ふつう」の人を、どんなふうに考えているのだろうということです。今は変わってきたかもしれませんが、少し前の日本の教育現場では、「クラスには多数の『ふつう』の子どもがいる」と考えるのが常識でした。少数の障がいのある子どもは、「ふつう」の子どもがたくさんいるクラスに混ぜてもらっている。そして「『ふつう』の子どもと障がい児は区別できる」と考える教師が多かったと思います。言い方を変えれば、例えば発達障がいを例に取ると、ADHD(注意欠損/多動性障がい)や学習障がい、自閉傾向のある子どもが、突然、「ふつう」の子どもになったりしない。そして「ふつう」の子どもが、突然、学習障がいになったりはしない。それは障がいのある子どもは遺伝子レベルで「病気に罹(かか)っている」からというのが大きな理由です。

 

 それなら、なぜ、障がい児の授業を「ふつう」の子どもがいるクラスで受けるのでしょうか? 普通のスピードや、普通の難しさでやる授業は、障がい児の負担になるのではないでしょうか?

 

 誠実な教師や誠実な医師にこの疑問をぶつけると、大抵(たいてい)は次のように答えます。それは障がい児が「ふつう」の子どもといっしょに生活する練習をしておかなかったら、これから先ざき、(「ふつう」の人が作る「ふつう」の)社会で暮らしていくのが難しくなる。そのような「ふつう」の多数者に合わせる練習を、あらかじめすることが大切だというのです。

 

 先に挙げた考え方では、「ふつう」の人が作る社会や「ふつう」の人がいるクラスは固定していて、そこに障がい者が「入れてもらう」、「ふつう」の人の側では「入れてあげる」ことになります。しかし、アームストロングさんが8つの原則で言っているのは、「『ふつう』の人が作る固定した社会などは、実は存在しない」ということのようです。認識や発想の仕方が、根本的に違うのです。

 

 別の言い方をすると、「『ふつう』の人が作る社会」というのは、アームストロングさんにとっては「あったらいいな」というぐらいの幻想に過ぎず、現実の社会や、社会の幼い雛形(ひながた)であるクラスとは、さまざまな個性のぶつかり合う、多様性に満ちた場所なのだというのです。それにしても、「あったらいいな」と「誤解」しているのは、誰なのでしょうか?

 

 以前、インクルーシブ教育について書いたことがあります。「インクルーシブ教育」というのは、ユネスコがスペイン政府といっしょにスペインの大学町・サラマンカで出した「サラマンカ宣言」で有名になった言葉です。「ユニバーサル・ミュージアムをめざして21: サラマンカ宣言があった!ー1(1) で、わたしは、

 

「インクルーシブ」というのは、あえて日本語にすれば「多くを含んだ」という意味です。「多様な要求を持った」とでも訳せばよいのでしょうか。ここでは、たとえ普通学校であっても、すべての子どもが「ふつう」という規準に合わせるのではなく、子どもはひとりひとり、みんな違うのだから、いろいろな子どもの「当然の要求」、つまり「ニーズ」を学校の側が形やプログラムを柔軟に変えて、尊重しなければいけないという意味で使っています。(ユニバーサル・ミュージアムをめざして21: サラマンカ宣言があった!ー1)

 

と説明をしました。この言葉を今のテーマに置き換えれば「個性豊かな脳」を持った子どもたちが創り出すクラスの雰囲気や未来の社会の姿は、誰か有力な人が描いたクラス像や社会像を実現するのではなく、「個性豊かな脳」を持つ子どもたち一人ひとりの興味や学習の都合で入れ代わる、柔軟な、共同作業の結果だと言ってよいのかもしれません。

 

 そこでは「ふつう」の子どもや「ふつう」の人は、たまたま、ある集団で人数が多いのであって、「多数者だからと言って、何でも意見が通る」というようには考えません。例えば、コンピュータの扱いは高機能自閉症者が強いでしょうし、音楽はダウン症者が大好きでしょう。その時は自閉症者やダウン症者が活躍するのだと思います。しかし、それでも自閉症者やダウン症者は少数者であることには変わりません。

 

 アームストロングさんも、「ふつう」の人については、たまたま多数者であって、多数者に合わせるのではなく、教師の側は「子ども一人ひとりの自然な発達を信じる」(9章 脳の多様性に満ちた教室、p. 249)ことが重要だと述べています。

 

 つぎに続きます。

 

------------------------------------------------

(1)  http://hitohaku.jp/blog/2013/01/post_1680/

 

 

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

兵庫県立大学 自然・環境科学研究所

/人と自然の博物館

 

ユニバーサル・ミュージアムをめざして35

 

脳の多様性?-1

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

 

neurodiversity_FP.JPG 

 本を題材にして、多様性について考えます。

 

 「生物多様性」は博物館でも よく聞く言葉です。かんたんに言ってしまえば、いろんな生き物が、いるべきところに、ちゃんといるということです。

 

 それから「遺伝的多様性」です。野生でも、同じ種類の生き物に生まれつき体の色や大きさが違うという場合があります。たとえばチョウの羽根は、少しずつ模様が違うのが普通です。また人間の血液型はA型やB型、AB型、O型の人がいて、それぞれの血液型は生まれつき決まっています。これは「生物多様性」の中でも特に、「遺伝的多様性」と言っています。

 

 「文化的多様性」という言葉もあります。この多様性は人間にだけ見られます。

 

 例をあげておきましょう。もともと台湾という島に住んでいた人は、日本人や朝鮮人、そして中国大陸から台湾に移り住んだ漢民族とは異なる習慣や宗教を持っていました。わたしの友人に台湾先住民はいないので、顔つきを思い出すというわけにはいきませんが、本で調べると、フィリピンやマレーシア、インドネシアの人たちと顔立ちが似ているそうです。マレーシアのサバやインドネシアのスマトラ島とかジャワ島なら何度も行った事があります。そこで友だちになった人たちとは、今でも、よくメールのやり取りをしています。そのような人たちと顔立ちが似ているそうです。台湾先住民には何となく親近感がわきます。

 

 生活の仕方や習慣も似ているのでしょう。それはわたしの生活や習慣とは違います。文化の成立の仕方や歴史が違うからです。そのような社会の多様性は、現代では巨大な経済活動によって見えなくなりました。つまり、地球の上では誰もが同じ物を食べ、同じ仕事をしているように思ってしまうのです。しかし、それぞれの民族のそれぞれの集団を訪れると、そこには、力(ちから)では断ち切ることのできない絆(きずな)のようなものを感じます。「文化的多様性」とは、それぞれの絆(きずな)が、それぞれ価値を持っていることの証(あかし)です。

 

 そして「脳の多様性」です。わたしにとっては新しい言葉でした。いったい何のことでしょう。今から書いていく文章は、『脳の個性を才能にかえる―子どもの発達障害との向き合い方―』(トーマス・アームストロング著、中尾ゆかり訳、NHK出版)を読んで感じた、わたしの読後感といったものです。

 

 ところで「脳の多様性」といった場合、それは、たとえば血液型の多様性とは違うものなのでしょうか?

 

 ほとんど同じでした。ただ違うところもありました。遺伝的な多様性は、純粋に生物学的な概念です。「脳の多様性」も脳の働きに関わる遺伝子の話ですから、もともとは「脳の遺伝的多様性」のはずでした。ところがそこに「文化的多様性」含まれるのです。人間は「脳の遺伝的多様性」を「異常/正常」や「病気/健康」や「障害/健常」に分けたために、純粋な生物学的概念であったはずのものが、社会的な価値観を含むようになってしまったのです。「異常/正常」や「病気/健康」や「障害/健常」は、どれも、片方がもう一方よりも良いという価値判断の入った概念です。

 

 この本では人間の多様性の中でも、社会的によく問題になる「障がい」を取り上げています。取り上げる「障がい」を順にあげます。まずADHD(注意欠損多動性障がい)です。次に自閉症です。そしてデスレクシアを取り上げます。さらに、うつなどの気分障がいを取り上げます。そしてこの種の書物にはあまり取り上げられなかった脅迫性障がいPTSDなどの不安障がいが話題に上ります。またダウン症など知的発達に遅れがちな人のことが取り上げられます。そして最後に統合失調症です。皆、遺伝子の多様性が原因で起こるのです。程度は重い・軽いの差があるスペクトルが見られるのだそうです。以上を明らかにした上で、他の人とは違う、当事者の良いところを探そうというのです。

 

 原題は "The Power of Neurodiversity: Unleashing the Advantages of Your Differently Wired Brain" です。直訳すれば「脳の多様性の持つ力:つながり方の違うあなたの脳の才能を解き放つ」とでもなるのでしょうか。日本語のタイトルは日本でよく話題になる発達障がいに偏った本というイメージです(訳者か出版社が、発達障がいについての本だと誤解してもらうことを望んだのかもしれません)が、読んでみると、発達障がいよりももっと広く、うつやダウン症、統合失調症の人の才能を探っているのです。わたしには、このような著者の話題設定が新鮮でした。

 

 わたしがこのブログや他のエッセーに書いてきたことと似ています。わたしは、世の中でネガティブに捉(とら)えられがちな「障がい」を、人の、あるいはヒトの多様性と捉(とら)え直すことで、いろいろな価値観が驚くほどひっくり返る。ヒトの進化を見る目はおろか、人の社会の意味付けまでが変わってしまう。その事を知ってもらいたくて、さまざまに書いてきました。それが別の国の、別の人によって本になっているなんて、嬉しくなってしまいました。それにしても、わたしは neurodiversity(ニューロダイバシティ:「精神の多様性」?)なんて言葉は、本当に聞いたことがありませんでした。わたしが知らないだけで、英語では普通の言葉なのでしょうか? 霊長類学の研究者としては恥ずかしいのですが、その可能性もあります。

 

 と言うことで、"neurodiversity" をキーワードにインターネットで検索をしてみました。ただし普通に検索をかけたのでは、多くのデタラメ情報が引っかかってしまいます。わたしが検索をしたのは学術情報サイトです。そこでは学術論文と認められている情報だけを検索します。これでもデタラメは混じりますが――すべての学術論文に事実だけが載っているというわけではありません――だいぶ確からしくなります。結果はどうだったかというと、多くの論文に"neurodiversity"という言葉が使われていたのでした。ただし、それは生物学や医学のような自然科学の論文ではなく、出てきたのは社会学や倫理学のような社会科学とか人文科学の論文ばかりでした (1)

 

☆   ☆

 

 "Neurodiversity"という言葉を使った論文には、数ある多様性の中でも高機能自閉症について書いたものが目に付きました。アームストロングさんの書いた『脳の個性を才能にかえる』とは立場が違うのかもしれません。『脳の個性を才能にかえる』は読んでしまいましたので、次に"neurodiversity"で引っかかってきた論文も、目に付いたものを読んでみることにしました。

 

 すると、だいたいの傾向が分かりました。引っかかった論文の著者は、高機能自閉症やアスペルガーを遺伝的なヒトの多様性と捉(とら)え、認知の仕方が多数者とは違うが、その存在は多数者にとっても役に立つ、独特の才能を持った人なのだと主張しているのです。ちょうど〈ろう文化〉を思い出せば分かりやすそうです。ろう者は聴覚を使いません。赤ん坊の時から、周りのおとなのおしゃべり(=発話言語)は聞かず(=聞きようがなく)、手話を母語として育った人です。ろう者は視覚的な記憶力が優れているそうです。それはそうでしょう。手話という視覚言語で、日常のコミュニケーションをしているのですから。それと同じような、ただし、ろう者とはまた違う才能が、自閉症者にはあるそうです。高機能自閉症やアスペルガーを持った人は、人間関係に疎(うと)いところがありますが――相手の気持ちを推し量ることが苦手だそうです――、道具やコンピュータの扱いといった物との付き合いはお手のものです。また人間よりも動物の方が、何を感じているか分かるという高機能自閉症の動物行動学者もいます。でも人間だけはつき合えないのです。

 

 それにしても、なぜ高機能自閉症なのでしょう。

 

 わたしは、昔、「高機能自閉症者は認知能力のエリートだ」という主張をしている人がいると聞いたことがありました。ひょっとしたら、"neurodiversity"がそうなのだろうかと疑いました。論文を書いた著者にも高機能自閉症やアスペルガーの人がいるかもしれません。そんな人が、自分のことをよく見せるために、こういった論文を書いたのでないだろうか? そんな疑いです。

 

 日本の民俗学者で歌人でもあった折口信夫(おりぐち・しのぶ)は、日本文学には貴種流離譚(きしゅ・りゅうり・たん)と呼ばれる物語作りの基本構造があると主張しました。貴種流離譚(きしゅ・りゅうり・たん)というのは次のようなことです。

 

「高貴な血筋に生まれたが、赤ん坊の時に父親に嫌われ、棄てられる。その赤ん坊は、偶然、動物や卑しい女に拾われて育てられる。やがて育った若者は、自分を棄てた父親に巡り会い、復讐を果たす。そして高貴な血筋にふさわしい身分を取り戻す。」

 

ちょうど、この貴種流離譚(きしゅ・りゅうり・たん)が高機能自閉症の寓意だと、こういった論文は主張しているのではないのだろうか? そんな思いがしました。つまり、高機能自閉症はちゃんとした才能があるのに、世の中はその才能を認めていない。そればかりか「治療する」と称して薬を飲ませる。薬を飲むと頭はどんよりと雲がかかったようになり、本来の才能が失せてしまう。本当の自分は高機能自閉症という遺伝的な「貴種」なのだから、人びとはその事を認めて、「貴種」として扱うべきだ。

 

 もちろん論文には、こうしたことが、直接、書かれているわけではありません。しかし、一旦、このような想像をしてしまうと、何だか恐ろしくなりました。言うなら、「遺伝的に『文化』が違うと信じている人びとが、いるのかもしれない」ということなのですから。

 

 しかし、このような心配はまるっきり当たっていないと、すぐに気が付きました(よかった!)。高機能自閉症者の特徴は人間関係に弱いところがあることです。微妙な人間関係は理解できないのです。ですから「復讐」だの「高貴な身分」への憧(あこが)れだのといった気持ちは、はじめから持ちようがないのです。

 

 著者には、本当に高機能自閉症者がいるのだと思います。その人たちは自分のことを、「エリート」だとか「貴種」だと言っているのではなく、現実に生きていくのが辛(つら)いのです。それをどうすればいいだろうかと考えたのが、この論文だったのだと思います。この辛(つら)さをどうにかしたいという足掻(あが)きが、論文を書かせたのだと思いました。

 

 次ぎに続きます。

 

--------------------------------------------------

(1) たとえば Health Care Analysis という雑誌に Pier Jaarsma と Stellan Welin が書いていた Autism as a Natural Human Variation: Reflections on the Claims of the Neurodiversity Movement

 http://liu.diva-portal.org/smash/get/diva2:457919/FULLTEXT01

 

や Andrew Fenton と Tim Krahn が Journal of Ethics in Mental Health に書いていた Autism, Neurodiversity and Equality Beyond the ‘Normal’

http://noveltechethics.ca/files/pdf/210.pdf

 

などでした。アームストロングさんご自身の文献がないかと探しましたが、あまりありませんでした。ただ、学校の教員向けらしい Educatinal Leadership という雑誌に書いていた First, Discover Their Strengths が大変わかりやすかったです。

http://web.uvic.ca/~gtreloar/20%20Latest%20Research%20Articles/First,%20Discover%20Their%20Strengths.pdf

 

 

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

兵庫県立大学 自然・環境科学研究所

/人と自然の博物館

 

ユニバーサル・ミュージアムをめざして34

 

「生き方を変える病(やまい)」へのいくつかのご感想

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

 

 前回までひとはくブログ「ユニバーサル・ミュージアムをめざして」に書いていた『生き方を変える病(やまい)―1』『生き方を変える病(やまい)―2』に、何通もの感想をいただきました。『生き方を変える病(やまい)』は、わたしが読んだ全国失語症友の会連合会の『「失語症の人の生活のしづらさに関する調査」結果報告書』に、わたし自身が感想を書いたものです。その感想に、さらに感想をいただいたわけです。

 

固有名詞などを削除して、文意を損ねないように注意しながら、文章を書き換えてみました。ご本人が了解をして下さいましたので、その文章の一部をご披露させていただきます。

 

 その前に、同じく全国失語症友の会連合会の報告書を読んでお書きになった新聞コラムが出ました。毎日新聞 20130718日 大阪朝刊からです。まずこれを紹介しましょう。

 

 

発信箱:1票のバリアフリー=二木一夫

 

毎日新聞 20130718日 大阪朝刊

 

 難聴の夫と失語症の妻が期日前投票に出かけた。前回の参院選のことだ。

 

 夫は職員に「妻は急に尋ねられると名前も言えないので私が世話したい」と頼んだが、別々の場所に誘導された。投票した夫が妻を捜しに戻ると受付近くに座っていた。生年月日を答えられず、そのままにされたという。夫は、失語症患者家族会にその悔しさと怒りを訴えた。

 

 外見から症状をうかがえない失語症は「見えない障害」と言われる。脳の病気や外傷によって、読む、聞く、話す、書くの機能が十分働かず、他人との会話が困難になる。そのため、役所や金融機関などに1人で外出できる人は少ない。

 

 NPO法人全国失語症友の会連合会が本人と家族に実施した調査では、20~50代での発症が6割を占めた。働き盛りで仕事を持つ人は2割に過ぎない。職場復帰や就労支援は、切実な問題だ。

 

 深刻なのは、家族間でさえ意思疎通が難しいことだ。介護する側は、本人の気持ちを推し量るしかなく気遣いが絶えない。思いの届かない本人は怒りをぶつけ、ストレスで互いが疲れ果てる。

 

 失語症は全国に50万人とされるが、援助制度はない。調査の報告書は、支援者の育成、相談機関の設立、リハビリの充実を求める。公的施設での理解できる案内表示やコミュニケーションを手助けできる人材の窓口配置も欠かせない。

 

 成年後見人の付いた知的障害者らの選挙権を認めた裁判長は「胸を張って生きて」と原告に語った。見えない壁を破るバリアフリーが障害者の社会参加を保障するという認識を共有したい。安心して1票を投じられる環境の整備は、民主主義の質も高めよう。

 

 

 

 期日前投票所の職員は公務員か臨時に雇われた人だったのでしょう。決まったマニュアルがあったのだと思います。その係の人は、マニュアルで決められた手順に従って、投票に来た人一人ひとりに、相手が本人であることを“口頭で”確かめたのです。失語症者には、“口頭で”聞かれても、何を聞かれたのか理解できない人がいるのですが、そして何度も書いてきたように、筆談やコミュニケーション支援用絵記号があれば問題なく生年月日は答えられたはずですが、係の人は“口頭”で確かめる事に固執してしまったのです。

 

 その場の状況は想像するしかありません。しかし、何となくわたしは、その対応した係の人は“口頭で”聞いても答えないその人の事を、実はしっかりとした認識能力をお持ちだと察していたのではないかと感じます。人には共感する力(ちから)があります。「共感する力(ちから)」とは、喋(しゃべ)らなくても相手の感じていること、考えていることがわかる事です――自閉症スペクトラム(=広汎性発達障がい)の人は相手の感じていることが、よくわからないと言いますが、まさか自閉症スペクトラムの人に受け付けの仕事を与えたりはしないでしょう。人にはその人に合った仕事があるはずです。ですから、係の人は失語症のご婦人の気持ちを、察したはずなのです。

 

 失語症のご婦人と対応をした人の双方が、共にいたたまれないものだったはずです。消え入りたかったと思います。

 

 別の方法でもよかったはずです。当然、係の人はすぐに気付いていたはずです。それならなぜ、代わりになる方法をとらなかったのでしょう? その原因は「規定」やマニュアルの書き方にあったのだと思います。係の人が参照すべきマニュアルに、そうした臨機応変な対応は書かれていなかったのです。マニュアルにある規定には、代わりになる方法でもいいとは書いていない。そのために、その人は個人の判断で確かめることができなかったのだと思います。

 

 三重の不幸です。

 

 どういう不幸かというと、まず失語症当事者の投票する権利が奪われたこと。そして投票所の係の人は、自分がそうすることで人の権利を奪うことがわかりきっているのに、適切な対応がとれなかったこと。さらにその規定=マニュアルを作った人びとの、人間に対するイマジネーションの決定的な不足があることです。

 

 筆談やコミュニケーション支援用絵記号は、公(おおやけ)に認められた音声言語に変わる手段です。ろう者では手話が加わります。さまざまな人の中には、音声言語ではない手段を使わないとスムーズにコミュニケーションできない(=音声言語ではない手段を使えば、スムーズにコミュニケーションができる)人がいるのだとイメージすることが、それほど難しいとは思いません。自分とは違うさまざまな人の存在を認めなければ、社会はいつまでも、「健常者」という一部の人だけの独占物に留まり続けます。そしてこのコラムが言うように、障がい者の社会参加を保障する認識は共有できません。

 

☆   ☆

 

 では最初のご感想から。

 

 

(『「失語症の人の生活のしづらさに関する調査」結果報告書』は)130頁もあり、読むのに時間がかかってしまいました。

 

 失語症については、ある程度の予備知識がありました。しかし、結果報告書を通読すると、失語症の程度も様々であるようです。重症の場合、本当に生活に支障を来しておられます。しかし、見かけ上は障碍(しょうがい)者らしくないので、障碍(しょうがい)の認定の程度が低くなるとありました。制度を改めるべきです。

 

 失語症を引き起こす脳の血管の障碍(しょうがい)や破裂、テレビの話によれば、老化が原因とばかりは言えません。ストレスなどの原因で、若い人もなるようです。

 

失語症について、厚生労働省や医師会が広報する必要もあります。生活習慣病予防に、メタボ検診について、よく広報されています。特に、私の住む○○市は、熱心にメタボ検診を受診するように言ってきます。私もこのところ年一回の検診を続けて受けています。

 

検診結果についての集団説明会を受けてきましたが、失語症についての話はなかったです。脳梗塞(こうそく)、脳卒中の話はあったのですが、その後遺症について、殆(ほとん)ど話されませんでした。失語症についての認識が、説明会の講師にもなかったのでしょう。

 

 

 ある失語症の女性からは、わたしのブログ『生き方を変える病(やまい)』への感想と共に、全国失語症友の会連合会の『「失語症の人の生活のしづらさに関する調査」結果報告書』に対する反論をいただきました。失語症者と女性というふたつの属性を理解していないと、この感想はわからないかもしれません。なお失語症になると表音文字の平仮名(ひらがな)が使い難(にく)くなる場合があり、この方は単語と単語の間に空間を取ること(=いわゆる「字間を空ける」わけです)で、読んだり、書いたりをしやすく して いらっしゃいます。原文では「/」の位置に改行があり、行と行の間にも空間がありました。つまり、空行を入れる事で、見やすくして おられるのです。

 

 

私には (漢字)が 得意です。/漢字を視覚表象 と して 結果 漢字の意味を 理解してます。/それから平仮名と漢字を 音声して 云ってから /文章の内容を 理解してます。

 

失語症友の会の件で /若い失語症者が 参加したがらない事で 私にも わかります。/グルーブ訓練で /たとえば 普通のジャンケンを <勝! 負ける!>を ただ する事は 私には /嫌いです。

 

<脳の活性に なる>って 説明が 在るのは 知ってるけど /何故か~~  やっぱり 嫌いです。

 

<失語症に 関する調査>は 表と文章を 理解して 読みました。/<失語症に 関する調査>の感想へ 私には 異見が チョッと あります。/私は ほとんど 生活に 支障を してません。

 

(生活のしづらさ)は 失語症者だけでは ない です。/例えば 銀行や 役所へ 一人で行き出来ない人は /病気前から 銀行や 役所へ (例えば) 奥さんに してもらってた ので/病気後は もちろん 出来ない と 思います。

 

失語症者が 何でも 一人で してる人も たくさん います。

 

練習して 時間が 掛かるけど 何でも 生活が 出来ます。/(出来ない事)が (思いこみ)と 思います。/何を 変化して 人が チャレンジして/助力するのが (先生)だ! と 思います。

 

 

 働き盛りの若い方からは、次のようなご感想をいただいています。

 

 

特に考えらせられたのは、「生き方を変える病(やまい)-2」 です。

 

 コミュニケーション能力への期待と要求は非常に強くなっています。この仕事をしていると、特にその点を求められていると感じますし、お手本にすべき人に出会います。しかし、ご指摘のように、そのコミュニケーション能力も一面的なもので判断されがちと感じました。

 

 幾つかの技術系資格試験を受けて感じるのは、健常者が圧倒的に有利な点です。試験時間内に小論文をいくつも書かなければならないので、手が不自由なだけで、取得は困難を極めることになります。(技術士試験は、この点の配慮なのか、かつてよりは執筆文字数が大幅に減りましたが……)

 

 世の公平性とはいかなる形であるのか。少なくとも健常者側の理解が広がらなければなりませんし、その優位性の保持に捉(とら)われない思考が求められると感じました。

 

 残念ですが、現実、寛容な人は多くはありませんし、優位に立とうする人が目に付きます。

 

 人が如何(いか)なる生き物と成り得るのか。

 

 コミュニケーションを強く問われる時代であるからこそ、試される時代ですね。どこまで広い視野を持ち、各々(おのおの)の良さを感じ取れるのか、自分への挑戦でもあります。

 

 

 別の方は、次のように書いて下さいました。文章は三谷が勝手に手を入れました。

 

 

ブログ、読ませていただきました。

 

「異なる人への恐怖」は、実は特に日本でものすごく進行している、ある種の心の病のような気がしています。違うということがこれほどまでに拒絶される文化は、病んでいるとしか言いようがないように感じます。

 

今は基本的に文系的な発想で仕事をしていますが、一つ一つの言葉に神経質になり、論理的な説明をしようとする姿勢は、ひじょうに細かなことを気にする奴(やつ)で、仕事の足を引っ張るやつだと受け取られることしばしばです。

 

いかに自然科学者が聖人君子面して、福祉や倫理に関して良い加減なことを言っているかは大きな問題です。科学者が知りうること、考えることは絶対ではなく、あくまで科学という思考法に則(のっと)ったものでしかないのですから、自らの守備範囲を知るべきです。その上で、そこには、とうぜん限界があるもので、その外に広がっている世界はまだまだあり、その多様性をどう受け入れながら(研究という仕事を)進めていくべきかを考える姿勢がなければならないはずです。しかし、それができていません。

 

(私は)決してアメリカ万歳の人間ではありませんが、多様な文化を受け入れているアメリカは、そういう意味においては多様性を受け止める素地も持っていると思います。もちろん完璧ではありませんが。少なくとも日本人のように、KY(=“空気が読めない”の頭文字をローマ字で表したもの。「雰囲気がわからない人」のことをバカにしていう言葉)だとか言うような、同一性・同質性を持たない者への無言の攻撃は、はるかに少ないと思います。英語にも “read between the lines"(=行間を読む)という表現はありますが、それ以上に self-assertion(=自己主張)が求められると思います。

 

“異質”なものの排除は、決して少なくないのだということを感じます。こうしたことがイジメを生むのだろうし、イジメは決して子どもの世界(だけ)のものではないですよね。

 

研究者はこうしたことを真正面から受け止めて、新たな価値観を描いて、より良い社会へ人々を導くのが求められることのはずですが、現実は重箱の隅を突(つつ)くような小さな発見で留まっているのが多いと思います。科学者が(科学以外のことに目を向けようとしないで)単に新しい知見を生むことだけを目標とする職業になってしまっていることに原因あるのだと、少なくとも日本の現状からは、思います。

 

わたしはこの日本の社会に対して、ものすごく危機感を持っています。

 

 

 最後に企業の社会的責任と日本の企業風土についてのご感想です。これにもわたしの責任で、一部、手を入れました。

 

 

 『生き方を変える病―2』、一読致しました。

 

 私は、平成○○年に定年退職しております。当事も、企業の社会的責任という事、言われてはおりました。しかし、私の勤めていた会社の親会社は一部上場企業でしたが、企業の社会的責任について興味がありませんでした。法律に違反さえしなければ、何をしてもよいという考え方であったようです。今は、変わっていることを期待しますが。

 

法律を守るという事は、最低基準です。社会的責任を果たすという事は、法に決められていなくても何か社会に貢献できることをするという事になります。

 

業界団体の会合が年に何度かありました。その会合で、(業界団体の)理事長さんから企業の社会的責任について色々と教えていただきました。それを出張報告書にして提出していたのですが、親会社から来ている上司は、法律を守ってさえいれば、それ以上のことをする必要はないと言われました。

 

ひとはくブログの主題から少々ずれていますが、社会的責任について一筆。

 

 

 正直に書くと、わたしは失語症の当事者や言語聴覚士の方から感想が、もっと、いただけるのではないかと期待しました。しかし、残念ながら、ほとんどいただけませんでした。その意味で、今回、失語症の当事者が届けて下さった感想は、ご紹介できなかったものも含めて、とても貴重でした。

 

 「失語症に対する社会的な理解が乏しい」というのが、全国失語症友の会連合会の結論のひとつでした。感想を書いて送るという行為では、最低限、文章をつづる力(ちから)が必要です。その力(ちから)が、大なり小なり失われたからこそ失語症なのです。その事を十分にわかった上で書くのですが、「他人に読ませる滑(なめ)らかな文章が書けないのだから、書かない」のでは、失語症者やその他のコミュニケーション障がい者が感じているさまざまな事が、まるで最初からなかったかのように霧散(むさん)してしまいます。それでは、せっかくの報告書も無駄になってしまいそうです。そうではないでしょうか?

 

 

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

兵庫県立大学 自然・環境科学研究所

/人と自然の博物館

 

 

ユニバーサル・ミュージアムをめざして33

 

生き方を変える病(やまい)-2

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

Report_Aahasia.JPGのサムネール画像 

 

 NPO法人全国失語症友の会連合会と作成ワーキンググループがまとめた報告書『「失語症の人の生活のしづらさに関する調査」結果報告書』 (1) を読みました。「生き方を変える病(やまい)-1」に引き続き、この報告書を読んだ感想を書きます。

 

 失語症になると、若いのに――つい「若くて体力もあるのに」と書き掛けたのですが、失語症は高次脳機能障がいの一種ですから、疲れやすいのです。その事を身を持って知っているので、あわてて「若いのに」とだけ書き直しました――再就職や復職は難しいのです。「失語症全国実態調査」 (2) 障害者職業総合センターが行ったアンケート調査 (3) も見てみましたが、同じ結果でした。どのアンケートでも、データの補正を入れれば失語症者の復職率は2~3割程度だそうです。失語症者は言葉を話せなかったり、聞いてわからなかったりするのですが、社会人としての知性は保っています。それでも再就職や復職は難しいのです。なぜでしょう? 純粋な失語だけという人は少なくて、マヒのある人が多いことと関係しているのでしょうか?

 

 報告書によれば、「企業が新卒採用選考にあたって最も重視する要素は、2012年まで9年連続で『コミュニケーション能力』であった(日本経済団体連合会、20127月)」そうです。また「コミュニケーション能力が『人間としての価値基準』として取り上げられることが増えた、と考える人も少なくない(伊藤剛寛、日曜の朝に、読売新聞くらし・家庭欄、201333日)」と述べています。その上で失語症は「言語を用いるすべての情報処理能力に影響を与え、たとえ十分な言語リハビリテーションを受けたとしても職業遂行に必要とされるレベルの言語能力を回復することは極めて困難な障害である」と言っているのです。

 

 ここに挙がっている「理想的な人間像」からは、「円滑な人間関係の中で、流暢(りゅうちょう)な『コミュニケーション能力』を駆使して働く、ビジネスパーソン」がイメージできます。つまり「自分たちビジネスパーソンの価値観を体現した人」が「理想的な人間像」になるわけです。これは利益を最優先する経済団体が言っているのですから、このこと自体、わたしは当然だと受け止めました。しかし、世の中の数多くの人びと――当然、失語症者も含まれます――が、「経済団体の考える価値観が世界のスタンダードで、それ以外はありえない」と思い込むのは、はなはだしい誤解です。

 

 言葉はコミュニケーションの主流です。ビジネスパーソンの言葉であるビジネス英語について考えていました。ただ残念ながら、わたしはビジネスの世界に疎(うと)く、ビジネス英語も流暢(りゅうちょう)に喋(しゃべ)った経験はありません。しかし、何年にもわたってアフリカの熱帯林に住んでいた時には、自然とアフリカ式のフランス語を喋(しゃべ)っていました。もちろん、アフリカ訛りのフランス語ですから、アフリカ人以外には通用しません――喋(しゃべ)っても、わかっているだろうに、フランス人は“わからない振り”をする人がいました。その上、アフリカ人でも学校に通った一部の人にしか理解できないのです。フランス語が公用語になる前に学校に通った高齢者や学校に通えなかった女性には通用しない言葉でした。

 

 決してアフリカ式フランス語は、民主的でユニバーサルな言葉ではないのです。それでも、さまざまな民族がひと所に住み、村ごとに母語が異なるのがアフリカです。かの地には、是が非でも共通語が必要だったのです。この言葉がなければ、国家としてはまとまらないからです。そういう意味でアフリカ式のフランス語は、もともとスマトラ島の一地方の言葉を国語にしたインドネシア語とか、場合によったら日本標準語も親戚と言うべきかもしれません。ビジネス英語も似た人工言語でしょうか?

 

☆   ☆

 

 もっとも、日本の経済団体が言う「コミュニケーション能力」は言葉に限りません。ビジネスを円滑に進めるための段取りとか、周りの人からの信頼とかも含まれます。その上、霊長類学から見ると、コミュニケーションは、元来、言葉に限ったものではありませんでした。たとえば赤ん坊は言葉は喋(しゃべ)れませんが、立派におとなとコミュニケーションをしています。失語症者は言葉は話せませんが、社会人として恥ずかしくない、常識的なコミュニケーションは可能なのです。ということは、失語症者の雇用を拒んでいる本当の原因は、失語という状態ではないという事になります。では、いったい何なのでしょうか?

 

 わたしはそれを、「自分たちとは異質な存在」、つまり「周辺に生きる何者か」への恐怖ではないかと思うことがあります。「周辺に生きる何者か」とは、昔は〈死者の霊〉のことでした。今は「周辺に生きる何者か」自体が人びとの概念から一掃され、地域に生きる者は誰でも、皆、人権のある市民になりました。しかし、どうしても自分とは違う何者かがいるとしたら、どうでしょう。人は知らず知らずの内に、その存在を避けてしまうのではないでしょうか?

 

 こんな事を書くと誤解(ごかい)を受けそうです。第一、わたし自身が失語症者ですが〈死者の霊〉ではありません。自分を弁護す