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ユニバーサル・ミュージアムをめざして94

違和感あり!ー2

三谷 雅純(みたに まさずみ)




 杉田俊介さんとの対談『現代思想』2017年5月号「特集=障害者――思想と実践――」『「障害者+健常者運動」最前線――あいだをつなぐ「言葉」』,青土社)(6) の中で,熊谷晋一郎さんは「『健常』を自認するマジョリティが作るコミュニティと,障がい者などマイノリティのコミュニティの間には大きな壁がある」とおっしゃっています(39ページ).元来、地続きのマジョリティとマイノリティに間に「大きな壁がある」.そう言われて素直にわたしが頷(うなず)けるのは,「健常」を自認する人たちに,わたしが障がい者コミュニティの一員として繰り返し自分たちの立場を説明するのだが,憶えているのはその時だけで,明日になれば,きれいさっぱり忘れている.そうした体験が積み重なるときです.しかし「健常」を自認する方も,我われマイノリティが感じるストレスと同様のストレスを感じている人が多くいるらしい.これは「健常者」の立場から発言をしていた杉田さんがおっしゃったことです.

 熊谷晋一郎さんは、この対談の中で,とても大切なことを言っておられます.それは,

「当事者研究の中で大事にしている理念の一つに,『責任』という概念があります.被害者として自己規定するというよりも,何か人生に問いを投げかけられてそれに応答しなければならないという責任を課せられている存在として,自分のことを見なす,ということですね」(43ページ)

という言葉です.ここでは「健常」を自認する人も障がい者も同じです.我われは自分のことを「被害者として自己規定」しがちです.皆が忘れがちな他人の立場を思い出してもらうには,自己主張である「被害者としての自己規定」が必要です.大きなストレスを感じている人なら誰でも,被害者として自己主張しなければなりません.しかし「被害者としての自己主張」だけでは前に進めません.もともと人は「被害者」としてだけ生きているはずはない.いわば「被害者」でもあり,「加害者」でもあるのです.社会的には,もともと「マジョリティーもマイノリティもない」というのが建前なのです.

 熊谷さんの言葉を、介護者と終末期の人という別の角度から解釈してみましょう.

 熊谷さんは,人は「何か人生に問いを投げかけられてそれに応答しなければならないという責任を課せられている存在」だとおっしゃいます.ここでおっしゃる「責任」とは何でしょうか.「健常」を自認している人ならば,死に近い終末期の人が外出を望んでいるとして,あなたが介護者だとしたら、どのように応答するでしょう? その人が、自分は死が近いことを知っているのだが,外の空気を吸うくらい,あまり生死に関係はないとしたら,多くの人は喜んで外出に付き合うでしょう.しかし,外出が死期を早めてしまうとしたら簡単に答えは出ません.引き止める方が無難でしょうか? それでも,死ぬ前に,ひと目,外の風景を見て死にたいとおっしゃったらどうでしょう? 外出を助ける判断をする方が多いのではないでしょうか.人の思いを汲んで人は何かをしたり,あえて何もしなかったりする.そこにコミュニケーションが成立します.

 これまでの当事者研究では,障がい者を対象としてきました.熊谷さんは脳性マヒですが,わざと自分とは異なる(と一見,思われている)発達障がいを、職業的な研究者としては見てこられました.そこでどのようなことに興味を持ったのかというと,精神科医は発達障がい者が人との関係を持つことに困難がある.これは「脳の構造に障がいがある」からだと言う.しかし,そうなら反対に「脳の構造に障がいがない」とはどのようなことを言うのだろうか.そんな「健常な脳」を持つなど仮想的なことで,人は皆,大なり小なり凸凹(でこぼこ)があると考えるべきではないか.そういうことだったそうです (7)

 熊谷さんの興味には,わたしの興味と同じものを感じます(例えば「ユニバーサル・ミュージアムをめざして19: 霊長類学者がユニバーサルな事を考える理由」)(8).そしてこのような問い掛けは,仮想的に「均質な人間像」を想定して成り立つ日本社会に違和感を申し立てることでもあります.

    *

 脳性マヒ者の団体「青い芝の会」で代表をしていた横塚晃一さんが,「鏡の前に立て」と言ったそうです.この対談には

「『鏡』というのは物理的な鏡とは限らず,当事者研究の場自体が『鏡』というか,お互いを映し合う『鏡』であるはずです.それこそ精神分析ではないですが,人は真実の自己を見つめることができない.自己肯定は自己欺瞞であり,常に嘘が入ってくる.他人の言葉を通過して自己に返ってくる言葉にこそ真理が宿る.真理は私的に所有できない.自己の身体という真理ですら」(45ページ)

 という杉田さんの発言がありました.

 わたしは,どこで「横塚晃一さんが『鏡の前に立て』と言った」ということを失念していましたので,わたしの持っている横塚さんの著書から「鏡の前に立て」という言葉を探してみました.すると,有名な『母よ!殺すな』という本の中に「脳性マヒ者としての真の自覚とは、鏡の前に立ち止って(それがどんなに辛くても)自分の姿をはっきりとみつめることであり、次の瞬間再び自分の立場に帰って、社会の偏見・差別と闘うことではないでしょうか。」横塚 2007:87ページ)(9) という言葉がありました.たぶん,これが「鏡の前に立て」ということです.

 「社会の偏見・差別と闘う」などと、闘う手段によっては何とも物騒なと感じる方もいるのでしょうが,わたしは「自分の存在を社会的・客観的に見つめ直した上で,もう一度,当事者の立場に立ち還って粘り強く意見を述べることだ」と解釈しました.「鏡を見ること」とは,主観だけの思いを客観化して,マイノリティー・マジョリティーという立場を越えて回答を見つけようという障がい者側の努力であると感じたのです.

 熊谷さんはご自分が主催する当事者研修会に,元オリンピック選手やダルクの人にも参加してもらったそうです.ダルク(DARC: Drug Addiction Rehabilitation Center)というのは薬物依存症からの回復と社会復帰支援をはかる民間の支援施設のことです.その研修会について:

「切り口としては,「能力主義」と「コミュニケーション」の二つを掲げました.結構たくさんの大学生が来てくれたのですが,いわゆる障害を持っている人はもちろん,一般大学生もだし,トップ アスリートさえも能力主義で参ってしまっている.オリンピック出場選手のように超人とされる人も、熾烈なしのぎの削り合いのなかで消耗している.オリンピックの終わった後は,まるで戦争が終わった後にPTSDを抱えた傷痍軍人のような状況に陥る場合だってあるんだと,語って下さいました.ある面で,ピークを過ぎたアスリートも,ダルクと近いリカバリーの道筋を歩いているのです.超人とされる人から、障害者とされる人まで,みんな同じようなメタファー構造のなかで苦しんでいるということを感得してもらうようなイベントをやりました.」(49ページ)

とおっしゃっています.PTSDとは「心的外傷後ストレス障害」のことで,Post Traumatic Stress Disorder の頭文字をつなげたものです.この発言は,マイノリティであるかマジョリティであるかを問わず,現在の日本列島では何か異常なことが起こっている.そのことを具体的に示しています.

 もう一度書きます.

 現在の社会システムは,人びとに「実在しそうにない仮想の人間」であることを押しつけています.わたしは,そこに強い違和感があります!

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(6) 対談『「障害者+健常者運動」最前線――あいだをつなぐ「言葉」』(熊谷晋一郎+杉田俊介,34ページから53ページ)『現代思想』2017年5月号「特集=障害者――思想と実践――」(青土社)
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3040

(7) SYNODOS 「当事者研究」の可能性について語る(荒井裕樹 × 熊谷晋一郎)(2013年11月18日)
http://synodos.jp/welfare/6180
http://synodos.jp/welfare/6180/2
http://synodos.jp/welfare/6180/3
http://synodos.jp/welfare/6180/4
の後半(/3/4)にありました.

(8) ユニバーサル・ミュージアムをめざして19: 霊長類学者がユニバーサルな事を考える理由−2 (2012年12月11日)
http://www.hitohaku.jp/blog_old/2012/12/post_1661/

(9) 『母よ! 殺すな』(横塚晃一 著, 立岩真也 解説, 生活書院)
http://www.seikatsushoin.com/bk/9784903690148.html



三谷 雅純(みたに まさずみ)
コミュニケーション・デザイン研究グループ
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

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