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お隣の山地民
『ゾミア――脱国家の世界史』書評-1

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

  map_of_Zomia.JPG

ゾミア(Wikipedia の "Zomia (geography)" より)

  わたしにとって年末年始は、普段読みたくても なかなか読めない分厚い本を読む時間です。時間に余裕がある時なので、骨の折れそうな本を読むことにしているのです。昨年までは、例えばスティーブン・ミズンの『心の先史時代』や『歌うネアンデルタール』、スティーブン・J・グールドの『人間の測りまちがい:差別の科学史』といった本を読んできました。今年は何を読もうかと考えましたが、原書が2009年に出て、2013年10月に翻訳が出た『ゾミア――脱国家の世界史』 (1) を読んでみることにしました。イェール大学の人類学者で、政治学者でもあるジェームズ・C・スコットという人が書いた本です――2段組で約400ページもあります。

 読んでみると、「ゾミア」と名付けた東南アジアの一地域の政治と、そこに住む山地民の起源が描(えが)かれていました。東南アジアに限らず、アマゾン地域やヨーロッパと北アフリカの地中海沿岸、そして、この本で直接扱っているのではありませんが、わたしにとってはサハラ以南のアフリカに住むバンツーやピグミーの生き方までも考えてしまう、とてつもなく大きな刺激を感じた本でした。さっそく新しい考え方に出会えて、何だか今年は特をした感じです。

☆   ☆

 「ゾミア」とは東南アジア大陸部の広大な丘陵地帯を指す言葉です。「ゾミア」にはベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ビルマ(=ミャンマー)と中国の4省(雲南、貴州、広州、四川)が含まれます。ここでは「丘陵地帯」と簡単に説明しましたが、行った経験のある方によると、あたりは起伏の激しい山国だということです。その山国には、いろいろな「少数民族」が住んでいます。「カレン(Karen)」や「シャン(Shan)」という呼び名なら聞いたことがあるでしょう。山の斜面に小さな村を点てんと作って住む人びとです。その人たちは、中国の漢族やタイ、ビルマといった水稲耕作が基本の大きな国家とは異なった規範を保(も)っています。異なった倫理観や宗教を保(も)つ、言うならば、大きな国家からは独立した「自由な民族」なのです。

 このような「少数民族」は、中国やタイやビルマの体制には従わない「反体制グループ」としても有名かもしれません。また、マレー語で〈オラン・アスリ(Orang Asli)〉と呼ばれる先住民とされる人びとは、今でも「洞窟(どうくつ)に住んでいる」と誤解されることがあります。

 狩猟採集生活や焼き畑農耕を基本とします。また粘り気のある里芋やヤマノイモの仲間、アワ・ヒエといった穀物、水稲ではなくて陸稲(おかぼ)とか、ソバや外来作物のトウモロコシなどを植えています。この栽培作物品目や発酵食品を好む食文化は、中尾佐助さんの仮説として有名な「照葉樹林文化」の議論につながります。これは後ほどお話します。ここでは説明を省略して、先を急ぎます。

 その「少数民族」です。たいていの皆さんは、「彼らは有史以来変わらず、昔から今と同じ生活をしていた」と思っているでしょう。言ってみれば「文明から隔絶され、大昔の生活をそのまま保った人びと」だと思われていたのです。ところが、それは事実ではない。今、「少数民族」とされている山地民は、昔は低地の灌漑(かんがい)農耕を身に付けた水稲農家であり、識字能力も身につけた、立派な臣民(しんみん:王様のいる国の人民)だったとスコットさんは主張します。つまり、現在、「少数民族」として焼き畑や狩猟に頼って生活している人も、大昔は大きな国家の構成員だったというのです。

 焼き畑や狩猟に頼っての生活は不安定です。山の恵みが乏しい時季には飢餓が起こるかもしれません。一方、「灌漑(かんがい)農耕を身に付けた水稲農家」であれば、作物の出来高は安定しています。餓死などしそうにありません。それに、村といっても山村の小さな村とは訳が違います。大きな村での豊かな生活が想像できます。ところが彼らは、その生活を棄てたと言うのです。どうして安定した生活を棄ててまで、焼き畑や狩猟に頼る必要があったのでしょうか?

 スコットさんによれば、その原因は「国家の収奪と支配からの逃避」だったと言います。国家は効率よく税金が集まることを望みます。そして、必要な時には何時(いつ)でも徴兵ができるというのが「よい国家」です。その国家の方針に従うのが、「よい臣民(しんみん)」なのです。しかし税金ばかり高くて、人びとに見返りはなく、おまけに農民には関係のない侵略のための兵役まで負わされたのでは(王様や大臣たちは贅沢三昧[ぜいたく・ざんまい]であればなおさら)、そんな国からは逃げ出したいと思うのが普通の感覚です。こうして逃げ出し、標高の高い、お役人は追い掛けて来ない山地に新しく村を作ったのが、「少数民族」とされる山地民だというのです。

 わたしは驚きました。山地民はもともと「低地の農耕民」で、おまけに「よき臣民」だったとは。この人びとは、支配から逃げて山に隠れ、息をひそめていたというのです。本当でしょうか?

 兵役に限らず、国家は人がいなければ回りません。土手の工事をするにも人手が必要です。兵役と同じように、(いやいやでも)呼べば集まるなら、労力は必要な時に集めればよいのです。しかし、そもそも人がいないのでは、集めたくても集まりません。そんな時は、山地民を捕まえて奴隷(どれい)にします。無理やり働かせたのです。そうすると、奴隷(どれい)になって働くのなど、人は誰でも嫌ですから、山地民は、ますます山奥へと逃げていくようになります。

 今でも、山の尾根といった人の寄りつかない、人が住むのに適していない場所には、一番、社会的勢力が弱い「少数民族」が住んでいるのだそうです。

 村人に限らず息をひそめていた人も多くいたと思います。現実には、賄賂(わいろ)をもらったことがばれて、逃げ出したり、タブーを犯して身を隠したりといった人が多くいたのでしょう。その時、山地は低地民の逃げ場所になるのです。

 そうすると、人類学者が最新の装備をこらして血液サンプルを集め、DNAを分析してみても無駄だということになります。「少数民族」と言われている人たちは、もともとは低地の農耕民です。中国の漢族やビルマやタイの主要民族だった人たちです。普通の人が政治のつごうで「少数民族」になったのです。DNAには何の違いもないのでしょう。

 確かに山地民と低地民の間には、生物学的には何の違いもないのですが、このような支配と逃亡の歴史が、千年、二千年と続きました。その間に、山地民は山の環境に、低地民は里の環境に慣れていったのです。そこには山地民と低地民の間で物ぶつ交換の経済活動が生まれました。自分に不足しがちな物を互いに交換したのです。日本でも、昔は山の猟師と里の商人の間で、クマやカモシカの毛皮と、なべやかま、包丁や鉄砲といった物を交換していたという話が伝わっています。ゾミアでは「山の猟師」が、もともとは「里の農民」だったということです。

 それにしても人間とは、何とタフな存在でしょう。支配から逃げて山奥で生き延び、今も「少数民族」として生きている。もちろん蔑(さげす)みは日常のことだったでしょうし、奴隷(どれい)になったら人権などありません。臣民(しんみん)として暮らすことでさえ、人権はなかったのかもしれない。それでも人は、生きていくのです。

 特別な人ではありません。お隣のご一家といったごくごく普通の人びとが、その厳しい環境で生きているのです。山地民は「どこかの誰か」のことではなく、「あなた」や「わたし」であったかもしれないということです。

 つぎに続きます。

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(1) 『ゾミア――脱国家の世界史』(ジェームズ・C・スコット著、みすず書房、6, 400円)

http://www.msz.co.jp/book/detail/07783.html

 

zomia FP.JPGのサムネール画像 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

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