ユニバーサル・ミュージアムをめざして33

 

生き方を変える病(やまい)-2

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

Report_Aahasia.JPGのサムネール画像 

 

 NPO法人全国失語症友の会連合会と作成ワーキンググループがまとめた報告書『「失語症の人の生活のしづらさに関する調査」結果報告書』 (1) を読みました。「生き方を変える病(やまい)-1」に引き続き、この報告書を読んだ感想を書きます。

 

 失語症になると、若いのに――つい「若くて体力もあるのに」と書き掛けたのですが、失語症は高次脳機能障がいの一種ですから、疲れやすいのです。その事を身を持って知っているので、あわてて「若いのに」とだけ書き直しました――再就職や復職は難しいのです。「失語症全国実態調査」 (2) 障害者職業総合センターが行ったアンケート調査 (3) も見てみましたが、同じ結果でした。どのアンケートでも、データの補正を入れれば失語症者の復職率は2~3割程度だそうです。失語症者は言葉を話せなかったり、聞いてわからなかったりするのですが、社会人としての知性は保っています。それでも再就職や復職は難しいのです。なぜでしょう? 純粋な失語だけという人は少なくて、マヒのある人が多いことと関係しているのでしょうか?

 

 報告書によれば、「企業が新卒採用選考にあたって最も重視する要素は、2012年まで9年連続で『コミュニケーション能力』であった(日本経済団体連合会、20127月)」そうです。また「コミュニケーション能力が『人間としての価値基準』として取り上げられることが増えた、と考える人も少なくない(伊藤剛寛、日曜の朝に、読売新聞くらし・家庭欄、201333日)」と述べています。その上で失語症は「言語を用いるすべての情報処理能力に影響を与え、たとえ十分な言語リハビリテーションを受けたとしても職業遂行に必要とされるレベルの言語能力を回復することは極めて困難な障害である」と言っているのです。

 

 ここに挙がっている「理想的な人間像」からは、「円滑な人間関係の中で、流暢(りゅうちょう)な『コミュニケーション能力』を駆使して働く、ビジネスパーソン」がイメージできます。つまり「自分たちビジネスパーソンの価値観を体現した人」が「理想的な人間像」になるわけです。これは利益を最優先する経済団体が言っているのですから、このこと自体、わたしは当然だと受け止めました。しかし、世の中の数多くの人びと――当然、失語症者も含まれます――が、「経済団体の考える価値観が世界のスタンダードで、それ以外はありえない」と思い込むのは、はなはだしい誤解です。

 

 言葉はコミュニケーションの主流です。ビジネスパーソンの言葉であるビジネス英語について考えていました。ただ残念ながら、わたしはビジネスの世界に疎(うと)く、ビジネス英語も流暢(りゅうちょう)に喋(しゃべ)った経験はありません。しかし、何年にもわたってアフリカの熱帯林に住んでいた時には、自然とアフリカ式のフランス語を喋(しゃべ)っていました。もちろん、アフリカ訛りのフランス語ですから、アフリカ人以外には通用しません――喋(しゃべ)っても、わかっているだろうに、フランス人は“わからない振り”をする人がいました。その上、アフリカ人でも学校に通った一部の人にしか理解できないのです。フランス語が公用語になる前に学校に通った高齢者や学校に通えなかった女性には通用しない言葉でした。

 

 決してアフリカ式フランス語は、民主的でユニバーサルな言葉ではないのです。それでも、さまざまな民族がひと所に住み、村ごとに母語が異なるのがアフリカです。かの地には、是が非でも共通語が必要だったのです。この言葉がなければ、国家としてはまとまらないからです。そういう意味でアフリカ式のフランス語は、もともとスマトラ島の一地方の言葉を国語にしたインドネシア語とか、場合によったら日本標準語も親戚と言うべきかもしれません。ビジネス英語も似た人工言語でしょうか?

 

☆   ☆

 

 もっとも、日本の経済団体が言う「コミュニケーション能力」は言葉に限りません。ビジネスを円滑に進めるための段取りとか、周りの人からの信頼とかも含まれます。その上、霊長類学から見ると、コミュニケーションは、元来、言葉に限ったものではありませんでした。たとえば赤ん坊は言葉は喋(しゃべ)れませんが、立派におとなとコミュニケーションをしています。失語症者は言葉は話せませんが、社会人として恥ずかしくない、常識的なコミュニケーションは可能なのです。ということは、失語症者の雇用を拒んでいる本当の原因は、失語という状態ではないという事になります。では、いったい何なのでしょうか?

 

 わたしはそれを、「自分たちとは異質な存在」、つまり「周辺に生きる何者か」への恐怖ではないかと思うことがあります。「周辺に生きる何者か」とは、昔は〈死者の霊〉のことでした。今は「周辺に生きる何者か」自体が人びとの概念から一掃され、地域に生きる者は誰でも、皆、人権のある市民になりました。しかし、どうしても自分とは違う何者かがいるとしたら、どうでしょう。人は知らず知らずの内に、その存在を避けてしまうのではないでしょうか?

 

 こんな事を書くと誤解(ごかい)を受けそうです。第一、わたし自身が失語症者ですが〈死者の霊〉ではありません。自分を弁護する意味でも、この事は丁寧(ていねい)に説明しておきましょう。

 

 普通の人は、さほど苦労しなくても、言葉が喋(しゃべ)れます。音を聞き、言葉と認識して、概念を構成し、内言語を作って、それを模倣して筋肉を動かす。これだけの複雑なことが苦労なくできるのです。少し変わった人では、音が聞こえなかったり、発声する筋肉を動かすことができなかったりします。ですが、そんな人のことは何となく理解できます。そのような人は(だいぶ変わってはいるけれど)、市民として認めてあげましょう。

 

 しかし、失語症者は違います。どうしても理解できません。「脳のどの部位にダメージを受けたかで、状態は異なる」だの、「ダメージを受けた部位の大きさで回復の程度が異なる」だのと聞かされても、つい数か月前までは当たり前の人のひとりだったのです。それが急に「得体の知れない何者か」になるなんて。ましてや、その得体の知れない存在が「人間の理性」を保っているとしたら、一体、それを何と呼ぶべきなのか。こちらの(=普通の人間の)理性の方が壊れてしまいそうです。

 

 書き過ぎました。ここに書いたことは、今の日本では、とても認められません。でも、先の経済団体の報告を書いた人びと、というより、その人びとに代表される「普通の感覚を持った人びと」が、そうとは知らずに失語症者を排除してしまう理由は、こうでも考えなければ失語症の当事者として理解しきれないのです。

 

☆   ☆

 

 今、企業は脇目もふらずに利益を求めるのではなく、「企業の社会的責任」を果たさなければいけないと言われるようになりました。規模の大きな企業が中心です。よくCSRCorporate Social Responsibility)と略称されています。「人は一人前になったら権利と共に社会的責任を果たしていく。企業は利益を探る組織だが、人と同じようにその権利は社会的責任とセットになったものだ」という考え方です。平たく言えば「会社も、いつまでも我が儘(わがまま)な子どものように振る舞っていないで、早くおとなになれよ」ということです。

 

 CSRを企業のイメージ戦略だと誤解している経営者が多いそうです。しかし、まったく別のものです。今では、ぼんやりして社会的責任を果たさない企業の株価がどんどん下がってしまう、といったことまで起こるそうです。

 

 中小企業は大企業のようにCSRとは言いませんが、中小企業の社長は、大企業のように法人と個人の人格が別のものというより、個人の中に利益を探る権利とその社会的責任が混在していると考えたらどうでしょう。そう考えれば同じことです。

 

 CSRでは企業の利益を求める権利を認める代わりに社会的責任を果たそうとします。ヨーロッパの個人主義に近い気がします。アフリカのピグミーやサモアの伝統的な社会、ミャンマーの山岳民族の社会でも、人の生き方がさほど違うわけはありませんから、CSRに「真っ向から反対する」ことはないのでしょう。でも別のその社会にあった〈しきたり〉があると思います。現代の日本の企業規模では、CSRの求める社会的責任論が合っているのだと思います。

 

 そのCSRです。失語症者をはじめ障がい者には、多くの就労可能な人がいます。それも福祉就労と呼ばれるものではなく、その人がもともと身に付けていた労働の冴えで働くのです(若者なら“スキル”とでも言い出しそうです。でも、わたしたちの世代は“スキル“という、わけの分からない言葉では、ごまかされている気がします)。障がいで元していた労働ができなくても、身体の中にはその経験が生き残っています。その経験を活かさないで、何がCSRでしょう。

 

 企業が口触りのいいものだけを並べても、それを「おいしい」と言ってくれるのは利害のある人だけです。「企業風土」というものがあるとしたら、それを遊び道具のようにしてはいけません。立派なおとなとしての社会的責任を果たすべきです。

 

 わたしはそう思います。

 

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(1) 『「失語症の人の生活のしづらさに関する調査」結果報告書』(NPO法人全国失語症友の会連合会と作成ワーキンググループ,2013

http://www.japc.info/2013-3-25.pdf

 

(2) 「失語症全国実態調査」朝倉ほか(2002)失語症研究 22: 241-256.

http://ci.nii.ac.jp/naid/110007558217

高次脳機能障害全国実態調査報告」種村ほか(2006)高次脳機能研究 26: 209-218.

https://www.jstage.jst.go.jp/article/hbfr/26/2/26_2_209/_pdf

も出ています。

 

(3) 障害者職業総合センターが行ったアンケート調査は、「失語症のある高次脳機能障害者に対する就労支援のあり方に関する基礎的研究」(サマリー)

http://www.nivr.jeed.or.jp/download/houkoku/houkoku104_summary.pdf

に、調査研究報告書「失語症のある高次脳機能障害者に対する就労支援のあり方に関する基礎的研究」

http://www.nivr.jeed.or.jp/download/houkoku/houkoku104.pdf

にあります。

 

(4) 全国失語症友の会連合会のホームページに、わたし自身が書いた『ヒトは人の始まり』の案内を載せて下さいました。

http://www.japc.info/japc_6.htm#ヒトは人のはじまり

 

 

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

兵庫県立大学 自然・環境科学研究所

/人と自然の博物館

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