ユニバーサル・ミュージアムをめざして5

 

 

博物館の基礎科学と応用科学

 

 

 人と自然の博物館の研究者が取り組んでいる学問には、いろいろなものあります。その幅があまりに広いので、ひとことで説明するのは難しいくらいです。

 

 わたしが長くやって来たのは霊長類学(れいちょうるい・がく)という学問です。霊長類というのは、サルや類人猿やヒトの事です。でも、霊長類学は「サルの動物学」ではありません。化石に残らない、ヒト(とヒト以外の霊長類)の行動や社会を科学する学問です。霊長類学は理学の一種ですから、基礎科学ということになります。しかし、人と自然の博物館では、「わたしのやっている霊長類学は基礎科学です」といって、すましているわけにはいきません。学問を求める人には、さまざまな立場の人がいらっしゃるのですから、その人、一人ひとりに合った、わかりやすい展示やセミナーを工夫していかないといけないからです。

 

 

 たとえば、次の文章はどうでしょう? 

 

「マカクの脳の下前頭回(F5領域)と下頭頂葉では、自分で行動する時と、他の個体が同じ行動するのを見ている時で、同じ活動電位が発生する」

 

こう書いてしまったのでは、何だかひどく難しく感じてしまいます。なぜなら、これでは専門家を相手にした時の説明の仕方だからです。

 

 

 それでは、向学心のある市民――博物館を訪れる可能性のある多くの方――には、どんな説明をするべきなのでしょうか? わたしなりに書いてみます。たぶん

 

「ブタオザルやアカゲザルは、あることをするのを見ただけで、脳の一部が自分がやっている時と同じように反応してしまう」

 

と書く方が、ずっとわかりやすくなると思います。いかがでしょう? まだ、わかりにくいですか?

 

 

 さらに、

 

「その『脳の一部』というのは、失語症に関係の深い、ヒトの言語中枢(ブローカ野)に進化した可能性が高い」

 

と聞くと、失語症者はもちろんですが、ご家族に失語症者がいる方も興味を持ってくれるでしょう。また、この脳の一部は「共感」とも関連が深いと想像されていることを説明すると、ご家族に自閉症者がいる方の興味をひくかもしれません。

 

自閉症の方は、「共感」、つまり理解したくても、他人の気持ちを理解する能力が低いと言われているのです。

 

 

 絵や写真も大切です。小さな子どもには、ことばの説明そのものはわからないかもしれません。そんな時は、「サルの赤ちゃんが人のまねをして舌をつき出している写真」を見てもらえば、理屈はわからなくても、伝えたいことはわかってもらえると思います。

 

ちなみに、この写真のような物まねは、サルでは起こらないと考えられていました。しかし、最近の研究では、生まれたてのサルにかぎって起こることがわかりました。まだ脳のどこが働いて、サルの赤ちゃんが物まねをするのかはわかっていませんが、ミラーニューロンという場所があやしそうです。そのため、サルのF5領域は、「物まね細胞」とか、「ミラーニューロン・システム(=まるでカガミに映ったかのように、動作をまねする時に使う神経システム)」と呼ばれることがあるのです。 

 

1280px-Makak_neonatal_imitation.jpgのサムネール画像のサムネール画像Evolution of Neonatal Imitation  Gross (2006), PLoS Biology 4: 1484-1485

 

 

 応用科学や教育を経験してきた方は、わかりやすい説明の大切さがわかっています。しかし、基礎科学しか経験してこなかった人は、なかなかわかりません。わたしがそうでした。わたしは脳塞栓症(のう・そくせん・しょう)の後遺症で、今でも少し失語が出るのですが、失語症になる前は、文を読んでも理解できない人がいることに、(知識としては知っていたのですが、心の底では)納得できませんでした。ましてや、自分自身が失語症がなるなんて、夢にも思いませんでした。

 

 「一人ひとりにわかりやすい展示やセミナー」は、博物館員であれば、やって当たり前の工夫です。しかし、それをユニバーサル・デザインとか、特に博物館や美術館、図書館などの生涯学習施設ではユニバーサル・ミュージアムと呼ぶ事があります。ユニバーサル・デザインとかユニバーサル・ミュージアムと呼ぶと、特殊なことに聞こえます。何だか大げさに聞こえるのです。しかし、それは、やってごく当たり前のことなのです。

 

 どうしてもできない人がいるとしたら、それは、かつてもわたしのように、人やヒトに対する想像力が不足しているのかもしれません。でも、不足しているのなら話は簡単です。補えばそれですむように思います。

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

Copyright © 1995-2014, Museum of Nature and Human Activities, Hyogo, All Right Reserved.