研究ノート

地元の花に恋して30年

系統分類研究部主任指導主事  橋本 光政

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 兵庫県下で採集された古い標本に、明治33年新宮町の故人大上宇市氏が東京大学の牧野富太郎博士に送ったコヤスノキがある。その標本は「植物学雑誌」に発表され Pittosporumillicifolium Makinoの新学名がつけられた基準標本である。同博士著「随筆草木誌」(1936)には「こやすのきとよぶものがある。(中略)飯沼慾斎の「草木図説」の木部にその図説があり、(中略)久しく世にでなかったが、ついにはその正体を見つけることができた。薩摩国に上上宇市氏という物産学に熱心な人があって、同氏より同地産の植物の名称を標本を添えて質問に来たことがある。(中略)しめたと非常に嬉しかった。」とある。 京都大学の植物学教室に在職された田代善太郎氏は「田代善太郎日記」の中で、大正14年大上氏を訪ね「氏は本草家の如く、種類を得るに随って記載し、著書堆をなす。」と記されている。
 大上氏のコヤスノキの採集から90有余年、兵庫のフロラ(植物相)の全貌は今だに未完のままである。例えば、私の緊急課題としている河川に多いヤナギ、湿地や溜池に多いホシクサ、早春の野草ネコノメソウ、山地に多いトリネコなどは、県下にどんな種類が何種類あるのかすら判然とはしていない。ラン科や、ユリ科食物は知り尽くされたようであるが、フロラとしては不十分である。過去の食物目録や、植生調査報告は多くの種類を挙げているが、その証拠となる標本はわずかしかない。県下にそれを収蔵する施設がなかったからである。ここ3〜40年の間に分類群の検討が進み、過去に記録された植物も疑問とされる種が多く存在する。
 現在、大学等ではDNAやアイソザイムを用いた手法の分類学が脚光を浴びている。一方、本格的なハーバリウム(植物標本館)をもった地方の公立博物館が、地元のフロラの解明のため、急速に資料を整えつつあることも事実である。毎日のように多くの生物が地球上から消えつつある今日、一方を廃して一方のみに偏重があってはならない。地元の宝物は一刻も早く地元の正倉院に収納されねばならない。
 千葉県立中央博物館の大場達之副館長は「地域の持つ自然の多様性はその地域の住民にとって最大の環境資源である。その標本資料を適切に整理保管し、他の研究者や後日の参考のために整えるというのは地域の自然誌博物館の最も重要な任務である」と言われている。
 今後、今だ果たされていない兵庫のフロラを明確な標本に基づいてまとめることは県立博物館としての任務でもある。その第一ステップとして兵庫の樹木誌の解明と、そのまとめを進めている。例えばハギは多くの種名が記録されているが、野生種は5種類に整理することができた。また、カキ科についてもまだ不明な点はあるが、リュウキュウマメガキ、シナノガキ、トキワガキなどの生物地理を明かす緒をつけた。淡路で、昨年発見したツゲモチは県下の新分布として判明した数種類の一つである。兵庫の多様なフロラは最後の発掘が必要である。少しでも早くその豊かな資料をどこのハーバリウムよりも多く、質の高いものに整えたい。
 長く中断してしまったが、青春をかけて取り組んだ、加賀白山のフロラのまとめも再開できる。県下のカンアオイの分布を地史と重ね合わせたとき、分化の解析につながらないだろうか。アツミカンアオイの山陰型は東海、紀伊産とは大きく隔離分布している。その変異は細胞学的、分子系統学的手法でもって解析できないだろうか。先ずは、地元から。

  <写真:牧野富太郎博士採集のコヤスノキ  東京都立牧野標本館>

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Copyright(C) 1998, Museum of Nature and Human Activities, Hyogo
Revised 1998/03/20