講義ノート

土曜セミナー 12月

「都市のオープンスペース」

環境計画研究部  上甫木 昭春

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 都市内の「公園」は、日常生活に変化と潤いを与え、子供から老人まで様々な人々が遊び、憩える空間として計画されています。しかしこのように計画された「公園」は、地域住民の屋外での生活の場としてうまく機能しているでしょうか。今回の土曜セミナーでは、江戸時代の人々の屋外生活、明治以降の公園変遷等から、もっと楽しめる公園にしていくためのヒントを探ってみました。
 江戸のまちには、人々の遊び場として広小路、社寺境内、馬場などの広場空間が散在していました。これらの空間は、本来、火除地、場述練習等のために設けられたオープンスペースでしたが、庶民が望むレクリエーション機能が付加され公園的な場所として利用されていました。江戸時代の名所図絵等に当時の様子を見ると、屋台店、手品師、占い師、水茶屋、見せ物小屋等があり、庶民の多様な欲求を満足させる場になっていたことが読み取れます。また都市郊外に目を移すと、今も庶民に人気のある大衆文化としての花見の場がすでに配置されていたようです。このように江戸の遊び場は、人々が集い、遊び、休憩するだけでなく、飲食、大道芸等を楽しむための様々の装置や仕組みにより成り立っています。現在の画一的になりがちな公園づくりや管理運営に比べ、江戸の遊び場には、庶民自ら楽しめる公園の原点をみる思いがします。
 行政制度としての公園の誕生は、明治6年の太政官布達に始まります。これは、神社の境内、火除地等これまでに多くの人が訪れて楽しんでいた場所を、公園に指定しようとするものでした。さらに、明治21年の東京市区改正(都市計画)で公園計画がなされ、近代的な洋風公園「日比谷公園」が、明治36年に文明開化の顔として開園しました。この公園は、洋楽、洋食、洋花が体験できる非日常的な空間として状況を呈したと言われます。このような非日常的な空間体験を目指す計画の考え方は、現在のテーマパーク等に受け継がれていると考えられます。
 公園をめぐる最近の興味深い出来事として、昭和31年に制定された都市公園の施行令が、ついに平成5年6月に改正されました。施設内容の多様化、建築可能面積の拡大など、都市公園を楽しめる空間として再構築するための素地が整備されつつあります。住民の屋外ライフに対応し、住民自らが計画・設備・管理・運営に参加する、住民主体型の公園のあり方を再検討すべき時期にきていると思われます。
(本文は、平成5年12月18日に行われた土曜セミナーの公園内容を要約したものです。)

   <写真:錦絵新作浮世道中(兵庫県立人と自然の博物館所蔵)>

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Copyright(C) 1998, Museum of Nature and Human Activities, Hyogo
Revised 1998/03/20