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展示の周辺



玄武洞と松山逆磁極期


玄武洞

 博物館1階、赤いドームのなかに、「玄武洞と松山逆磁極期」という展示コーナーがあります。玄武洞はともかく、「松山逆磁極期」については多くの方々にはなじみの薄い用語のように思われます。「松山逆磁極期」は、「津波」・「和達−ベニオフ面」などとともに地球科学の世界ではよくしられており、オリジナルな日本語や日本人名に因んだものがそのまま国際学術用語として広く使用されている数少ない例のひとつです。
 方位磁針が一定の方向を指すのは、地球は巨大な電磁石で、地理上の北極付近に位置する磁北極と南極付近の磁南極が対になった双極子磁場をつくっていることで説明されます。地球の中心部(外核)は磁性のある鉄(磁鉄鉱)やニッケルを主成分とする高温の液体が対流し、弱い電流が流れ、この電流により磁力が発生します。電流の流れる方向が変われば、逆向きの磁場が生じ、地球磁場は反転します。常温では強い磁性を示す磁鉄鉱を加熱すると磁性が弱まり、578℃で磁性が失われます。磁性のなくなる温度をキューリー点といいます。1000℃以上のマグマが冷えて固まってできた火成岩では、キューリー点以下の温度まで冷えてくると、その時の地球磁場の方向に磁化します(熱残留磁気)。熱残留磁気の方向と岩石の年代がわかると、過去の地球磁場の方向を知ることができます。玄武岩のような火成岩は磁鉄鉱を多く含み、過去の地球磁場を復元するのに適しています。
 1926年、京都大学の松山は玄武洞を構成する玄武岩の熱残留磁気を測定し、それが現在の地磁気の方向と逆向きになっていることを世界に先駆けて発表しました。その後の世界各地における研究により、地球磁場は50〜100万年くらいの期間を主要な単位として反転を繰り返してきたことが解りました。現代と同じように北極付近に磁北極があった時代を正磁極期、現在とは逆に南極付近に磁北極があった時代を逆磁極期といいます。地磁気の反転史は、生物の進化に基づく化石層位学、放射性同位体の壊変に基づく放射年代学に加え、地球年代学に古地磁気層位学という新たな尺度を与えました。そのうち、249万年前から73万年前までの期間は最後の逆磁極期にあたり、玄武洞で古地磁気層位学の基礎を築いた、日本人、松山の功績に因んで「松山逆磁極期」と呼ばれています。
 豊岡市街地の北、円山川右岸の斜面を少し登った所にある玄武洞は、国の天然記念物に指定され、兵庫県版レッドデータブックのAランクにも指定されています。玄武洞には見事な柱状節理が発達しその断面の六角形の配置模様が、頭が蛇で、体が亀の形をした「玄武」(中国の妖獣)の甲羅の模様に似ていることから「玄武洞」と名付けられました。玄武洞は玄武岩(basalt)という岩石名の語源となっただけでなく、古地磁気学発祥の地ともいえるのです。地磁気のように直接眼にすることができないものを展示に取り上げるにはそれなりの工夫が要求されます。過去の地球磁場の再現となると尚更です。展示構成やどの辺りまでを対象とするかについては随分頭を痛めましたが、「玄武洞と松山逆磁極期」は兵庫県にゆかりが深く、学術的にも極めて重要であることから、「兵庫県の大地のつくりと生い立ち」の一角に加えられました。少し難しいかもしれませんが、改めてじっくりご覧になっていただきたいと思っています。

(自然・環境評価研究部地域環境地質グループ 小林 文夫)




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Copyright(C) 1999, Museum of Nature and Human Activities, Hyogo
Revised 2004/1/20