自然教育の場としての博物館

神戸大学教授  内藤 親彦

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 待望久しかった県立「人と自然の博物館」が開館して、早一年になります。地球の歴史や生物の進化を考えながら、人と自然の共生のあり方を探ろうとする本博物館のテーマは、現在の地球上に生きる私たちが現実を直視して考えなければならない重要な問題です。
 30数億年という気の遠くなるような地球上の生命の歴史で、最近の100年そこそこの物質文明に伴う人間の営みが、地球環境を大きく変えています。このすさまじい変化の速さを見ていると、後どのくらいの年月で生物が地球上で生きていくことができなくなるのかが心配になります。地球が無限の広がりと無尽蔵の資源を保有する存在でないことは確かなようです。
 地球の危機が叫ばれながら、しかし私たちはなお前進しようとしています。科学技術の発展が人間生活向上の最大要因とする現代社会の神話は、先進国を始めとしてその勢いの衰えを見せません。資源の乏しい我が日本は、経済大国としての将来への生き残りを最先端技術の開発に託そうとしています。「わかっていても、進むしかない」というのも、実は「定向進化」といわれる、留まることのできない生物進化の一つの現象でもあるのですが・・・ 。
 生物進化の考えの中には、生物の種は適応放散や種分化によって、一定の生活形態をとって安定すると、その後は変化しないとする「区切り平衡」説がありますが、人類には安住の場があるのでしょうか。人類とは何者で、どこへ行こうとしているのか。母なる海で誕生し、水から陸に上がり、空間を制した生命は、進化の流れからすると、宇宙への進出が残された命題であるのかも知れません。そうであるとすると、人類はその担い手ともくされているはずです。人類自身が宇宙空間を征服できるのか、或は、人類は次なる“宇宙生物”の前駆体であるのかは知るべくもありませんが、人工知能やロボットや宇宙航空技術などの熾烈な開発競争は、人類が意識するしないにかかわらず、“宇宙生物”誕生への前適応現象であるとも見えます。
 少しSFじみた話になりましたが、私たちが温かい血の通った人間としてこの地球上に留まるのか、生物の存在など問題にしない宇宙生命へと向かうのかは、お話として考えて見るのも面白いかもしれません。もし私たちが前者を望むなら、豊かな人間性を養うためにも、美しく優しい自然は私たちにとってかけがえのないものです。自然との触れ合いなしに、豊かな人間性が形成されるかどうかは、私が長年興味を抱いている疑問です。
 さて、前置きが長すぎましたが、私が「人と自然の博物館」に特に期待したいのは、これからの地球を担う子供達に、自然の美しさと不思議さの感動を与え続けて頂きたいことです。博物館に行くと、過去と現在の人と自然の歴史や関係が、すばらしい展示や映像から知ることができますが、子供達が実際に自然に触れ、身近な存在として実感できるような啓蒙活動にも力を入れて頂きたいと思います。人と自然の未来について、子供達自身が考え始める手助けをお願いしたいのです。子供達への自然教育の実践の場が少ない日本の現状の中で、博物館に期待するところ大です。

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Copyright(C) 1998, Museum of Nature and Human Activities, Hyogo
Revised 1998/03/20