サイトマップ |
文字サイズの変更

シリーズ「人と自然,地域と向き合う-人博の多様な調査・研究活動の歩み」

30thanniv-humans&nature-title.jpg
 兵庫県立人と自然の博物館は,1992年10月の開館からすでに27年目を迎えました。2022年10月の開館30周年に向けて,開館後に本館の研究員が進めてきた調査・研究活動の歩みを,研究現場の貴重な写真やいろいろなエピソードとともに,わかりやすく,おもしくろく解説します。兵庫県を主とした,大地とそこに暮らす生き物,人とそれらとの関わり,人の暮らしなどに関わるさまざまな題材をテーマとした調査・研究活動の醍醐味を楽しんでください。

第26回「実験的な風景づくりからの都市計画」(地域とむきあう)

福本 優(兵庫県立人と自然の博物館 研究員)


はじめに
 みなさんは、都市計画という言葉を聞いて身近に感じますか? きっとそのような人はほんの一握りで、多くの人にとって都市計画は「どこかのお役人が決めている自分とは縁のないこと」なのではないでしょうか。確かに少し前までは、都市計画は市民から縁遠い存在でした。しかし最近、市民によって生み出される都市の活動が、公の都市計画に影響を与える事例が生じています。本稿では、公の立場から取り組む実験的な風景づくりからの都市計画の事例について紹介したいと思います。

そもそも、都市計画って? そして、その変化って?
※調整中※
図1 産業革命後のロンドンの様子(出典:レオナルド・ベネーヴェロ著、訳)佐野敬彦、林寛治(1983)「図説 世界の都市史4‐近代‐」相模書房)
 さて、市民にとっての都市計画が、遠い存在から少しずつ近い存在に変わり始めていると述べました。そもそも「都市計画はどのように生まれたのか」を知ることで、身近になった理由を知ってもらえるのではないかと思います。
 図1は、産業革命後のロンドンの様子です。奥に描かれた橋の上をモクモクと煙を立てて走る汽車の様子が、いかにも産業革命を象徴しているようです。目を下の方に移すと、たくさんのテラスハウス(長屋)が描かれています。今も残るロンドンらしい風景なのですが、その庭に注目してください。よく見ると、人がたくさんいませんか? 産業革命が生みだしたものはたくさんありますが、大量生産と流通も、その一つです。そして、この変化は従来までの働き方を変化させ、多くの労働者を生み出しました。地方で仕事のない人々は都市に労働者として流入し、図1にあるような過"密"な状態を生み出したのです。過"密"になった都市は大きな問題に直面しました。感染症です。不衛生な水や空気により、過"密"に暮らす都市民の多くが病にかかってしまったのです。この状況を改善すべく、上下水道や住環境の改善を目指したのが、近代の都市計画の起こりなのです。それ以降、さらに産業が発展し都市が発達すると、煤煙や工業廃水による都市環境汚染やモータリゼーションなどによる交通問題等、都市が抱える問題も膨らみました。そうすると、人々が健康的な環境を求めて都市から離脱するため、郊外ベッドタウンが発展し、新たな乱開発の問題も生まれました。こうした都市の取り巻く環境の変化が背景にあり、都市が大きく発展する拡大期での都市計画の最大の目的は「安全で衛生的な都市をつくる」ことだったのです。
 しかし近年、日本をはじめ先進諸国は人類史上初めての課題に直面します。それが人口減少です。実は、大きなトレンドとして人口が減少するという事態は、今まで私たちは経験したことがないのです。それぞれが地続きの欧州諸国とは違い、日本では、その影響は特に大きな課題として昨今取り上げられています。人が増えることで消費が進み、発展する社会をベースにしていた都市の拡大期では、課題に対して更なる拡大により応えてきたわけですが、人が減り、消費の増加が見込めない社会をベースにした課題への解決策は、誰も持ち合わせていません。日本だけで考えれば、人口が減り、経済活動の縮退も予見される社会の中で、近代都市計画で既に大きく育った「安全で衛生的な都市」を「どう使いこなすか?」という、縮小期での都市計画の目的が生まれてきているのです。
 放っておいても発展する都市の拡大期には、無秩序な発展を、行政が都市計画によって定めた開発基準等の制限を行うことで管理することができました。しかし、縮小期に既にある都市を使いこなすことは、行政にも経験がなく、我々住民が主体となって考えることが重要となります。図らずも、コロナ禍という感染症が私たちの暮らし方に再び変化をもたらしています。デジタル技術の進歩もその変化を助けてくれます。「行政がルールを決めて使う」から、「私たちが相談しながら使う」に都市計画も変化していく時代になっているのです。

今ある都市空間を使いこなす。~実験的な風景づくり~
 「私たちが相談しながら使う」って、どうするの? となりますよね。駅前でストリートライブしたり、オフィス街でキッチンカーを使ってカレー販売したり、「都市空間を使うなんて、めっちゃハードル高いねんけど」と、やはり自分とは関係ない話になってしまいがちです。しかし、例えば、あまり使われていない芝生広場で子供と遊ぶことや、芝生の端の小さな塀に腰かけてお茶することくらいなら、どうでしょうか? こんな小さな使いこなしから、都市空間は変わっていきます。芝生広場にも管理者が存在します。「芝生維持のために広場の利用禁止」という張り紙を見かけたことがあるかもしれません。管理者は芝生の管理コストをできる限り下げるために利用を禁止しているわけですが、では何のために芝生広場があるのでしょう。"庭園全体の美のため"なら利用禁止という管理も合点がいきますが、公園のような都市の憩いの空間であれば、利用禁止という管理は良くないかもしれません。適切な程度はありますが、多くの人が憩いのため、遊んだりお茶したりする使いこなしが実現するような、管理の仕方が求められると考えます。しかし、今まで続けてきた管理を変えることは難しく、利用者(=市民)も禁止されているので使いだせない、管理者もニーズが見えていないので解放できない、という状況が生まれがちです。私は当博物館を使って、こうしたジレンマから一歩踏み出して、都市空間の利用や管理(マネジメント)を変化させるような取り組みを、試みています。

ルールはないけど、なんだか使いにくい芝生広場を使ってみる!
30thanniv_26-fig2.jpg
図2 そとはくの様子
手前では自前のシートを広げ、風景に参加する人が登場している。
 2017年に着任した時に気になっていた、あまり上手に使えていない芝生広場が、博物館にありました。博物館は、運用で利用禁止にしていなかったのですが、きれいに管理されているためか、歩道からよく見えるためか、芝生で遊ぶ人を見かけることはなかなかありませんでした。芝生広場は遊ぶ場・居る場とは認識されていませんでした。
 そこで、2018年から実験的に『そとはく』とタイトルを付け、『パラソルとミニテント、カフェカウンターと少しの絵本を持って、芝生に立つ』という活動を始めました(図2)。芝生で遊ぶプログラムは展開せず、芝生を「居られる空間」に少しだけ変化させるという取り組みです。カウンターに私が立っているので、「何しているのですか?」と声を掛けられれば、「芝生でゆっくりしてください」と答える活動を続けていると、芝生広場にシートを敷いてお弁当を食べる家族や絵本を読みながら座る人が登場し始めました。誰かが利用し始めることで、芝生広場が遊ぶ場・居る場と認識され、次の利用者を誘引します。利用が継続していると、地域の子育て支援施設の方たちも芝生広場に来てくれるようになりました。赤ちゃんと日向ぼっこするお母さんも見かけるようになりました。まずは、実験的に利用しやすい風景を作り、利用している実態を積み重ねることで、場所のイメージを変化させることができた事例です。
 現在、この利用の変化は博物館の新たな施設計画や、市の地域再生ビジョンにも影響を与えようとしています。利用ニーズが不明な状態での新たな計画づくりは、特に行政では難しく、公共空間の整備などでは大きなハードルとなります。しかし、実験的に風景を作ることで、私のような都市の専門家以外でも直観的に理解することができるようになります。多くの人の目に見える形で「こんな風景って素敵だ」と伝え、多くの人が都市空間を使いこなせるのだという実績が、これからの計画づくりの将来イメージとなり、基礎資料となっていくのです。

おわりに
 私は公的施設の研究員として、また都市計画の専門家として、実験的な風景づくりを通して、地域の再生に取り組んでいます。そこには、一定の将来の都市イメージがあります。しかし、私のような専門家が持つイメージだけで都市が形作られていくわけではありません。都市計画は大きな変化の真っ只中にあります。誰か一人が考える都市計画から、市民一人ひとりが考える都市計画が求められる時代です。そして、その多様さが都市の魅力を生み出していくのです。自分本位ではなく、多くの人が他者を尊重しつつ主体的に利用することで、都市空間の価値が育まれていくのです。
 コロナ禍の2020年からは、住まいの近くで過ごす時間も増えています。もう一度、自分が暮らす地域(=都市)に目を向けてみる機会です。なんだか楽しくない都市を、暮らしていて楽しい都市に変えるチャンスは、意外と近くにあるものです。大きな都市像などを描く必要はありませんが、「こんなことができる街になったらいいのに」という思いをちょっと実践することが、これからの都市の姿を創り出していくことにつながるのです。

第25回「風景の価値を探る―世界遺産登録に向けた調査の現場から」(地域とむきあう)

大平和弘(兵庫県立大学自然・環境科学研究所 講師)


はじめに
 人は大昔から大地の上で自然と共に暮らしてきました。厳しい自然と向き合い、自然から多くの恵みを得るため、地域ごとに違った営みや暮らし方を発展させてきました。また、人はときに人知を越えた自然の力や美しさに感銘を受け、祈りや芸術など地域ごとに豊かな文化を生み出してきました。このような人と自然との関わり方が眼に見える形で示されている、あるいは眼に見えなくとも感じることのできる姿を、我々は「風景」として捉えることができます。
 私は、造園(ランドスケープ)を専門分野とする立場から、「人と自然がうまく調和した風景をいかに守り、いかに創り出していけるのか」ということを命題に地域と向き合っています。ここでは、「風景の価値はどこにあるのか」という、専門分野の根源的なテーマが問われる調査の現場から、研究活動の一端をご紹介したいと思います。

世界遺産登録を目指す「鳴門海峡の渦潮」
30thanniv_25-fig1-1.jpg
図1 船から捉えた鳴門海峡の渦潮の風景
 「うずしお(渦潮)」という言葉は誰しも聞いたことがあると思いますが、実際に本物の渦潮を観潮したことのある人は少ないかもしれません。渦潮がみられる場所は国内に幾つかありますが、最も有名な場所が淡路島南西端(兵庫県南あわじ市)と四国の北東端(徳島県鳴門市)との間に位置する「鳴門海峡」です。狭い海峡に潮が流れ込み、海峡中央の速い流れと海峡周囲の遅い流れとの間の海面に、渦模様が次々と現れる姿は圧巻です(図1)。世界的にみても、これほど大きな渦を間近で見られる場所は珍しく、近年この鳴門海峡の渦潮を世界遺産へ登録するための社会的気運が高まり、世界遺産に相応しい自然的、あるいは文化的に優れた価値を持つことを証明するための学術調査が進められています。
 鳴門海峡は、古くは歌川広重が国内の名所を描いた六十余州名所図会(1853~1856年)に取り上げられ、日本八景(1927年)や新日本百景(1957年)、平成百景(2009年)などにも繰り返し選ばれてきた、日本を代表する風景です。私は、鳴門海峡のどんな風景が称賛され、価値が見出されてきたのかを探ることにしました。

絵画に描かれた風景から探る
 絵画(風景画)は、実際に見えるものを絵師の心情や表現したいことのフィルターを通して描き出されたものです。このとき、主題とする要素や構図によって、描く要素の取捨選択が行われます。したがって、当前のことですが、絵画に描かれた風景の要素は、その風景を表現する上で、無くてはならない重要な要素といえます。また、絵画は、その場所を訪れたことのない多くの人々に、風景の魅力や価値を伝える媒体となります。そこで、近世から現在(1735~1969年)に鳴門海峡が描かれた絵画を56点集めて、絵画にどんな要素が描かれているのかを調べてみました。
 たとえば、図2の浮世絵、歌川広重(1857年)「阿波鳴門之風景」には、「島」や「渦」のほか、さまざまな海面表現がみられるなど11の風景要素を読み取ることができます。この要素を、構図や主題の変化で分けた4つの時代区分(第1期:近世1735~1851年、第2期:幕末1855~明治1915年、第3期:大正から戦後~1954年、第4期:現代~1969年)で集計しました(図2グラフ)。その結果、鳴門海峡の風景を代表する「渦」以外にも、対岸の「山」や海峡の「岬・入江」「島」、「黒松」などが多く描かれ、これらの要素は鳴門海峡の風景として普遍的な価値を有する要素といえます。一方、近世(第1期)に多くの種類の要素が描かれていたのに対し、現代(第4期)は「渦」や「白波」など要素が限定的になりました。近世は標高の高い展望台からパノラマ景を楽しむ旅が主流であり、現代は図1の写真のように船の上から渦を鑑賞する観光が主流となるなど、風景の捉え方が時代によって変化していることがうかがえます。このように、絵画を通じて過去の風景の価値やその捉え方がみえてきました1)
30thanniv_25-fig2-1.jpg
図2 絵画の風景要素の読み取り例と各要素の描写頻度

絵葉書に捉えられた風景から探る
 鳴門海峡は、鑑賞上価値の高い風景を有することから1931年に名勝に指定され、その後観光地化が進められるなど、近代に大きな変化を迎えました。先の絵画の分析から、時代によって風景の捉え方が異なっていましたが、鳴門海峡の風景の価値は、鑑賞すべき対象、あるいは保護すべき対象として近代に成熟し確立したものと考えられます。そこで、鳴門海峡の見所となっていた風景が撮影された近代の絵葉書(1913~1939年)を160種類集めて、どの場所から何が映し出されていたのかを調べました。
 その結果、撮影場所はA~Lの12エリアに分けられ、図3で示すような要素が鑑賞すべき対象として捉えられていました。具体的には、海峡中央の渦潮を捉えた絵葉書はAとHのみとなり、島々と岬や入江が創り出す渚の風景(B・E・Fなど)や、岩や黒松ごしの島の風景(D・Gなど)、珍しい形の奇岩の風景(L)などを鑑賞すべき風景として捉える特徴がありました。このように、絵葉書から価値づけがなされた当時の鳴門海峡の風景の姿を知ることができました2)
30thanniv_25-fig3-1.jpg
図3 各エリアを代表する絵葉書と鑑賞すべき対象
矢印で示す対象は、そのエリアの特徴として統計的に有意な関係性が示された対象を示す。絵葉書はいずれも人と自然の博物館蔵。

風景の価値をめぐる今日的課題
30thanniv_25-fig4-1.jpg
図4 現在の孫崎からの風景(図3のBから撮影)
30thanniv_25-fig5-1.jpg
図5 大鳴門橋遊歩道から捉えた渦潮の風景
 以上のように、絵画や絵葉書を通して風景の価値を探ると、かつての鳴門海峡の風景は、「渦潮」だけでなく、対岸の山並みや岬・入江、点在する島々や黒松・岩など多くの鑑賞すべき対象があり、それらを望む風景に価値が見出されていたことが明らかとなりました。
 しかしながら現在は、海峡を大鳴門橋が縦断しており、海岸や山の頂上にはホテルや観光施設、風力発電施設などが建ち並んでおり、自然的な風景を損ねていることが懸念されます3)。図4に示すように、大鳴門橋の巨大な橋脚や植生の遷移などにより、価値が見出された当時から変わらぬ風景を鑑賞することは難しい状況にあります。一方で、図5に示すように、大鳴門橋の存在は、渦潮の風景を真上から鑑賞することのできる新たな展望地として評価することもできます4)。今後は、現在の風景の姿を捉え、変わらないものや変えてはいけない価値のあるもの、変わってしまったものや変わることを許容するもの、新たに価値を有するものを整理し、鳴門海峡の風景の本質的な価値がどこにあり、何を保護すべきなのか、議論を積み重ねていく必要があります。
 「風景の価値はどこにあるのか」という冒頭の命題に対しまだまだ道半ばです。むしろ、道半ばであるからこそ、調査研究することの面白さや学術的な意義があるのではないかと感じます。

引用文献
1) 大平和弘・藤本真里・福本優・赤澤宏樹(2019)絵画にみる鳴門海峡の風景認識の変遷に関する研究、ランドスケープ研究82(5)、pp.571-576
2) Kazuhiro OHIRA(2021)A Study of Viewpoint Areas and Landscape Features of Modern-day Naruto Strait as Seen in Postcards, Journal of Environmental Information Science Vol.2020, No.2, pp.31-41
3) 大平和弘、大野渉、白取茂(2020)鳴門海峡を捉えた眺望景観における構成要素と構成領域の評価に関する研究、環境情報科学研究発表大会論文集第34、pp.162-167
4) 大平和弘・大野渉・白取茂(2019)鳴門海峡における渦潮の視点場と見え方に関する研究、環境情報科学研究発表大会論文集33、pp.7-12

 ※ PDF版もダウンロードできます。こちらから>>

第24回「コミュニティと身近な緑」(地域とむきあう)

赤澤宏樹(兵庫県立大学自然・環境科学研究所 教授)


路地と下町の暮らし
30thanniv_24-fig1.jpg
図1 実家近くの路地
住民の配慮によって、狭いながらもきれいに管理されている。
 私は、大阪市内に残る戦前長屋で生まれ育ちました。実家の前は狭い路地で、父親が仕事の支度をしたり、近所のお母さん達が井戸端会議をしたり、年末にはご近所で餅つきもしていました。路地園芸も盛んで、幼少期の私にとって、ここは緑に囲まれた公園でもありました。ろう石で道に線を書いてケンケンパをしたり、色んな遊びの思い出があります。遊んでいる友達も10歳くらいの年齢幅があり、年長さんが年少さんの面倒をみてくれていました。おそらく母親は、どこかの公園に行くより、この路地で遊んでいる方が安心だったと思います(図1)。
 色んな人が狭い空間を共有する路地では、お互いの配慮が濃くみられます。例えばニュータウンでは、幅が広い道路ほど街路樹など緑が多く大きくなりますが、下町では広めの道路でも邪魔になるため緑は少なく、狭い奥まった路地になるほど緑が多く大きくなります。自転車も通れない狭い路地の奥に、8mを越す高木が植わっていることもあります。狭い路地は、ご近所さんしか使わないことがわかっているので、その範囲で生活の邪魔にならない最大の緑化をするのです。もちろん、迷惑がかからないように落葉の掃除はきちんとしますし、邪魔な枝はすぐ切ります。空間の広さにではなく、住民の生活にあわせて緑が植えられるのです。

阪神・淡路大震災とコミュニティを再生する緑
 1997年1月17日、阪神・淡路大震災が起こりました。当時、大学4年生だった私は、春休みには公園の避難地利用の調査を手伝ったりしながら、避難所や仮設住宅で孤独死の問題があることをニュースで聞いていました。被災地に下町も多く含まれていて、濃密なコミュニティで暮らしていた方々が、命の確保のためにバラバラに避難生活を送らざるを得ない状況でした。大学院に進学した私は、震災復興の手伝いを直接できないことに無力感を感じながら、密接なコミュニティの大切さを研究しようと、実家近くを含めた路地の研究をしました。車中心の機能的な(画一的な)まちではなく、路地のような多様な空間の大切さを示しました。
30thanniv_24-fig2.jpg
図2 だんだん畑での収穫祭の様子
全814戸に配れるよう栽培されたが、採れすぎて当日蒸して食べることに。
 人と自然の博物館の研究員として働き出したのは、震災から3年目で、避難・復旧から復興に本格的に移り始めた頃です。仮設住宅から移り住むための、災害復興住宅が建ち始めていました。その1つの南芦屋浜災害復興公営住宅(以下、南芦屋浜)のまちづくりに、参加させていただくことになりました。南芦屋浜では、色んな仮設住宅から移り住む方々のために、早期のコミュニティづくりが工夫されていました。入居前から仮設住宅での「暮らしのワークショップ」を通じて、新たな暮らしの準備がされました。その中に、住棟の真ん中にあるだんだん畑で、みんなで緑を育てて仲良くなろうという試みがありました。だんだん畑以外の場所でも勝手花壇がみられるなど、緑を通したコミュニケーションが見られましたが、だんだん畑の活動ではそれがはっきり加速しました。当初の区分貸し花壇から、「みんなが仲良くなるために」共同畑に変更となり、収穫を中心とした交流を重ねることで(図2)、新しいコミュニティが生まれました。これらの活動を、自分たちの意志で行い、ルールなども自分たちで決めるまちづくり的な方法も、だんだん畑の成功に寄与しました。

コミュニティ・ランドスケープ
 路地の緑と、南芦屋浜のだんだん畑の取り組みを比べて、「"共空間"を媒体としたコミュニティ・ランドスケープの形成」をテーマに博士論文を執筆しました。従来から景観(ランドスケープ)は、人の生活も含めた様々な環境が視覚的に現れたものとされていましたが、中でも人の生活が色濃い景観を「コミュニティ・ランドスケープ」と定義しています。かっこよくてシュッとした景観ではないかもしれませんが、自分の場所と感じ、交流によって育まれ、安心や愛着を感じるコミュニティのための景観です(図3)。路地やだんだん畑に限らず、庭や道路、公園や街路樹など様々な場所でコミュニティ・ランドスケープをつくることができると思います。
30thanniv_24-fig3.jpg
図3 "共空間"とコミュニティ・ランドスケープの概念

30thanniv_24-fig4.jpg
図4 交通公園の南半分が芝生化され、周りの樹林広場と一体化した西武庫公園の再整備計画
コミュニティと公園
 身近な公園でも、コミュニティ・ランドスケープをつくる機会がありました。尼崎市にある西武庫公園は、1963年に開園した古い公園で、交通公園や分区園といった施設があることで有名です。2012年に兵庫県から尼崎市に移管されましたが、その際に必要性が低くなった交通公園を単に芝生化するのではなく、ワークショップを開催して、地域の皆さんの公園愛を継承する計画をつくりました。機能としてはいらなくなった交通公園部分も一部残し、地域の有志による交通教室の継続や、プレイパークやその他イベントがしやすい空間に再編しました(図4)。今でも地域の方々から、交通公園の愛称で親しまれ、ご近所の保育園の運動会などにも使われています。公園のリノベーションの先駆けとなる事例です。
 この公園に関わるきっかけを作っていただいた、関西学院大学の角野幸博教授(当時、武庫川女子大学教授)に、本の企画で「パブリック(公共)って何ですか」と質問しました。答えは「誰のものでもない場所を、誰かの場所にすること」でした。日本の公園は「みんなの場所だから、あなたの場所ではない」と考えられることも多く、みんなの内1人が反対するだけでボール遊び禁止、会話禁止、自転車禁止などどんどん使いにくい場所になっています。本来はなにか問題が起こっても、互いの配慮によって使い方を工夫したり、禁止ルールではなく使い方マナーを決めたりするべきでしょう。このような取り組みが進むよう、各地で緑の基本計画の策定支援をしたり、ソフトも含めた公園づくりのワークショップ支援を続けています。
30thanniv_24-fig5.jpg
図5 パツンパツンに剪定された街路樹
ここまで切られると、樹形は元に戻らない。
30thanniv_24-fig6.jpg
図6 視覚化され、問題の全体が把握できるようになった街路樹への苦情
30thanniv_24-fig7.jpg
図7 緑の多様な効果と機能


苦情で生まれるパツンパツンの街路樹
 最近では、街路樹で問題が多く起こっています。この文を読まれている皆さんも、パツンパツンに刈り込まれた、棒のような街路樹を見かけたことがあると思います(図5)。あれは、3年に1度で済ませるため大きく剪定する、狭い空間に大きくなる樹を植えてしまっているなどの理由もありますが、最も多い理由は地域住民からの「掃除が大変なので、葉が落ちる前に枝ごと切って」という苦情です。問題を最も簡単で直接的な方法(枝ごと葉を無くす)で解決しようとして、地域の価値を損なっている例です。行政職員も切りたくて切っている訳ではなく、よく解決方法を相談されるので、まずは実態を研究で明らかにしました(図6)。
 苦情もデータとして蓄積し分析すれば、解決の方向性や、一緒に解決するパートナーは見つかります。パツンパツンにして欲しくない人は、多くいるけど声はあげないだけです。例えば自治会やまちづくり協議会で話し合い、みんなで落葉を掃除したり、適切に剪定したりすると、街路樹だけでなくコミュニティも育成されます。このような協働型の街路樹管理が、全国で見られ始めています。

緑の効果と機能
 自然・環境と大きく捉えられがちな緑ですが、様々な効果と機能があります(図7)。まず、「存在効果」として景観形成、防災、環境調節、生物多様性などの機能があり、あるだけで多様な価値があります。加えて、「利用効果」として保健休養や生産機能があり、使うことで人の生活に近い価値を更に生み出します。これらの存在と利用を媒体することで、文化・交流、健康福祉、教育・学習、賑わい創出、コミュニティ形成、子育て支援、不動産価値など多様な機能が発揮され、地域の価値向上につながるのです。
 地域には、子どもから大人まで、住民から商業者や企業までが一緒にいて、様々なコミュニティがあります。それぞれの気持ちやできることを持ち寄って、身近な緑を育むことで、コミュニティが強くなり、地域の価値も向上します。今回紹介した事例は、これまでは少し特別な事例でしたが、その効果が広く認識され、当たり前のように地域で取り組まれることを願っています。

参考文献
赤澤宏樹・増田昇・下村泰彦・山本聡(1998)住宅密集市街地における空間構造と空間認知の係わりに関する研究、ランドスケープ研究、61(5)、705-710.
赤澤宏樹・田原直樹(2002)住民による緑化の発生と集合住宅の空間特性との関係、環境情報科学論文集、No.16、217-222.
赤澤宏樹・中瀬勲(2000)南芦屋浜団地における緑化活動を通したコミュニティ形成への支援に関する研究、63(5)、631-634.
柴田俊樹・村本次正・遠嶽明子・津田主税・赤澤宏樹(2015)西武庫公園の協議方式による再整備と継続的な活用、ランドスケープ研究増刊 技術報告集、8、128-133.
赤澤宏樹・奥川良介・加我宏之・忽那裕樹・小西弘朗・近藤秀樹・長濱伸貴・野口健一郎・野田奏栄・花村周寛・武藤克夫・山崎亮・山本聡(2006)『マゾヒスティック・ランドスケープ』(分担執筆)、学芸出版社、pp256.
赤澤宏樹・川口将武・藤本真里・上田萌子・大平和弘・田原直樹(2015)東大阪市におけるテキストマイニングを利用した街路樹管理への市民要望の把握、ランドスケープ研究、78(5)、741-744.
赤澤宏樹(2021)公園緑地計画.造園学概論、朝倉書店、60-79.

 ※ PDF版もダウンロードできます。こちらから>>

第23回「恐竜化石を求めてゴビ砂漠へ行く」(標本とむきあう)

久保田克博(兵庫県立人と自然の博物館 研究員)


はじめに
 2003年8月。当時、筑波大学大学院の修士課程2年であった私はモンゴルのゴビ砂漠に足を踏み入れました。初めて体感した限りなく広がる大地、深い青空、満天の星といった豊かな大自然に私は心躍っていたことを今でも鮮明に覚えています。それから20年近くが経ちますが、今でも毎夏ゴビ砂漠を訪れています。(最近2年間、コロナウイルス感染拡大の影響で訪蒙できないのは残念です。)今回は私がなぜゴビ砂漠を訪れるようになったのか、そこでの発掘調査や研究の一部についてご紹介します。

中里に行こう!
 私がモンゴルへ行く前年の2002年、修士論文の研究テーマである「手取層群北谷層の堆積環境と古土壌」1)を進めるべく、福井県で野外調査を行っていました。そんなある日、私が恐竜研究について相談していた福井県立恐竜博物館の小林快次氏(現北海道大学総合博物館教授)が声を掛けてくれました。「明日、中里に行こう!」中里とは日本初の恐竜の足跡化石が発見された群馬県中里村のことで、私が生まれた県でもあります。そこにはモンゴル産の恐竜化石が数多く展示される恐竜センターがあります。しかし私たちが中里に到着したのは既に夜。恐竜センターが開いているはずもなく、小林氏の誘導で小さな集落に入っていきました。そこで出会ったのが元恐竜センターの担当であり、有限会社ゴビサポートジャパンを立ち上げたばかりの高橋功氏でした。そして、高橋宅の蔵に入ると、大量の輸送用木箱が積み重ねられていました。その中にはモンゴル産恐竜の実物化石が入っていたのです。高橋氏曰く、「モンゴル科学アカデミー古生物学センター所長のリンチェン・バルズボルド博士と一緒に、モンゴル産恐竜を日本に紹介するために発掘や剖出、骨格組立、展示等のお手伝いをしている。」とのことでした。続けて、「今度、バルズボルド博士が来日するから、化石の整理を手伝ってほしい。」と私に言われました。このことを契機として、バルズボルド博士と高橋氏の仕事を手伝うこととなり、修士論文をまとめつつ、化石の写真撮影や特別展の設営に奔走していました。そして、2003年7月に佐賀県で開催されたモンゴル恐竜展を無事にオープンさせて、私はモンゴルに初めて渡ることとなったのです。

初めてのゴビ砂漠での発掘調査
30thanniv_23-fig1.jpg
図1 ゴビ砂漠で化石のジャケットをつくるモンゴル科学アカデミー古生物学センターの副所長ラハスレン氏。
 私が参加したゴビ砂漠の発掘調査は1990年代に開催していた大規模な一般向けツアーの名残ということもあり、現地では移動式住居のゲルが設営され、モンゴルチームはバルズボルド博士をはじめとする専門家、日本チームはアマチュアという構図でした。しかし、アマチュアと言ってもこれまで何度となくゴビ砂漠を訪れて、モンゴルチームと協働で発掘調査をしてきているため、ゴビ砂漠が初めての私はそこでの生活から基本的な発掘方法まで多くのことを学ぶことができました。2003年は白亜紀前期の地層が広がるフルンドッホで、イグアノドン類という恐竜化石の発掘調査の続きでした。手取層群に由来する硬い岩石をハンマーで割るのとは異なり、踏み固められたような砂地をスコップで掘り化石を探します。しかし、これまでの発掘で多くの部位が既に掘り出されていたため、同年に発見できたものは数点の肋骨に留まりました。地層から発見された化石は概して脆く、そのままでは研究施設に持ち帰ることができず、保護が必要となります。私にとって、初めてのジャケットづくりの始まりです。ジャケットとは石膏を染み込ませた麻布で化石を保護したものになります。ここでは作り方の詳細は割愛しますが、覚えたての日本語とボディランゲージを駆使して、私に指導をしてくれたのが古生物学センター副所長のラハスレン氏でした(図1)。また、ラハスレン氏は私にモンゴル語を教えてくれたり、夜な夜なモンゴル人で囲う宴に呼んでいただき、ポリタンクに入った馬乳酒(馬乳を発酵させた酒で、強い酸味と特有の臭気がある)をたくさん飲ませていただいたりと、初めてのゴビ砂漠での生活を楽しいものとしていただきました。

ダイアステマはある?
 ゴビ砂漠での発掘調査に魅了されていた私ですが、2004年に修士課程を無事に終え、恐竜化石を研究対象として博士課程に進むこととしました。しかし、これまで恐竜化石どころか脊椎動物化石を研究対象として扱ったことがないため、解剖学用語がほとんどわからない状態でした。そこで私は高橋宅の蔵に剖出作業のために保管されていたフルンドッホのイグアノドン類を教材として、時折訪れる小林氏の指導の下、骨の記載や系統解析の練習を始めました。そう、この化石は2003年までゴビ砂漠で発掘していたものです。実はフルンドッホからは既にアルティリヌスという高い鼻面を持つ大型のイグアノドン類が記載報告されていたため、私が手にした資料(図2)の研究を進めるに当たり、アルティリヌスとの比較は必須でした。

30thanniv_23-fig2.jpg
図2 フルンドッホで発見されたイグアノドン類の骨格(A)と頭骨(B)の化石(モンゴル科学アカデミー古生物学センター所蔵)。(B)の赤線の範囲がダイアステマに当たる。

30thanniv_23-fig3.jpg
図3 イグアノドン類における個体成長に伴うダイアステマの伸長パターン(Kubota & Kobayashi, 2009を改変)。
幸いにも質の良いアルティリヌスの頭骨レプリカは国内博物館にも収蔵されており、両者を比較する機会を得ることができました。まず、大きな違いとして個体サイズがありました。アルティリヌスが全長8mに対して、フルンドッホのイグアノドン類は4m余りと小型でした。脊椎動物の成長段階を調べる一つの指標として、脊椎を構成する神経弓と椎体の癒合が挙げられます。この特徴から、前者は成熟個体、後者は未成熟個体ということが分かりました。また、骨の特徴に基づいた分岐分析によれば、両者は互いに近い類縁関係であるとされました2)。分析結果が示す通り、両者における骨の特徴の多くが類似している一方で、歯骨の筋突起の前後長や上角骨孔の有無など、いくつかの違いも見られました。そのひとつにダイアステマの有無がありました。ダイアステマとはハドロサウルス科の鳥脚類に見られるような前歯骨の後端と最前部の歯骨歯の間隙を指します。一般的にダイアステマは原始的なイグアノドン類では"ない"もしくは"短い"、ハドロサウルス科では"ある"もしくは"長い"とされています。しかし、同じ資料を観察しているにも関わらず、ある研究者は"ない"もしくは"短い"としたり、別の研究者は"ある"もしくは"長い"としたりする事例がありました。この混乱はそれぞれの用語に明確な定義が存在しないことに起因していました。これを発端として、私はイグアノドン類における歯骨に対するダイアステマの長さについて、実物化石やレプリカ、論文から測定することにしました。その測定値によると、0.11以下と0.13以上でそれぞれグループ分けされ、更に先行研究を考慮すると、前者を"短い"、後者を"長い"とみなすことが妥当であるという見解に達しました3)。しかし、この研究で注目すべき点はダイアステマの"短い"と"長い"の定義ではなく、歯骨の長さが成長を示す指標と仮定した、個体成長に伴うダイアステマの伸長パターン(図3)でした。原始的なイグアノドン類は記載された標本数が少なく、伸長パターンの調査は困難でしたが、ハドロサウルス科は北米を中心に歯骨の長さが異なる多くの個体が記載されています。これによると、ハドロサウルス科の1グループであるハドロサウルス亜科では歯骨に対するダイアステマの長さがほぼ一定のまま、個体が大きくなっていることが分かりました。一方で、もう1グループであるランベオサウルス亜科では歯骨に対するダイアステマの長さが個体成長とともに大きくなることが分かりました。両グループにおけるダイアステマの伸長パターンの相違は、植物食に適応したそれぞれの顎の機能と関係しているのではないかと考えられています。

ゴビ砂漠東部で恐竜化石を掘る
30thanniv_23-fig4.jpg
図4 シネ・ウス・フタグの丘に埋没した竜脚類化石。
30thanniv_23-fig5.jpg
図5 ジャブクラント層から発見されたテリジノサウルス類の巣化石。
 このように恐竜の勉強をしている最中、毎夏のゴビ砂漠での発掘調査に小林氏が加わったことで、学術調査の様相を呈してきたこともあり、2006年からゴビ砂漠東部の新たな産地を調査することになりました。白亜紀後期前半に堆積したバヤンシレ層が露出するシネ・ウス・フタグと呼ばれる場所はバルズボルド博士曰く、「長らく調査が行われていなかった産地」とのことでした。先発隊として現地に入った小林氏や私は足元に多くの遊離した恐竜の骨化石を発見しました。その調査中に小さな丘の麓(図4)を歩いていると、密集した骨の欠片を見つけることができました。更にそれは丘の斜面にも散乱しています。それらを追って丘を登ると、その供給源となった骨化石がありました。長径10cm、短径3cmくらいの楕円形の断面が見えたため、私たちは鳥脚類の肩甲骨かと思い、発掘を始めました。もし肩甲骨であれば、50cmくらいで全体像がみえるはずと予想していたのですが、私たちの予想は外れ、1mの長い骨が目の前に現れたのです。そして、その骨の端はL字に曲がっていました。更にその周囲を発掘すると、華奢そうな頸椎の神経弓と思われる50cm近い骨が複数見つかりました。期待と不安を抱きながら、丘の反対側を調べると、数点の尾椎を発見しました。これらのことから、私たちの目の前にある丘の下には大型恐竜、骨の特徴から竜脚類がほぼ1体分眠っていることが予測されたのです4)。その後に開始される2週間の調査には大きすぎる発見でしたので、私たちは可能な限り発掘し、続きは後に来る国際チームに託すこととなりました。こんな大発見から始まったバヤンシレ層での発掘調査ですが、現在でも調査地点を変えて継続的に行っています。その間には中~大型の獣脚類5)や竜脚類など多くの恐竜化石の発見もありました。そして、同じ白亜紀後期前半に堆積したジャブクラント層からは恐竜類の営巣地6)(図5)も報告しています。

なぜ白亜紀後期前半の恐竜に惹かれるのか
 白亜紀後期後半の恐竜と言えば、北米のティラノサウルスやトリケラトプス、モンゴルではタルボサウルスやヴェロキラプトルなど多くの名前が挙がると思います。白亜紀前期では北米に加えて、中国からも多くの化石が発見されており、特に中国産の羽毛恐竜等により多くの謎が解き明かされつつあります。しかし、約1億年~8000万年前の白亜紀後期前半というと、多くの方が恐竜の名前すら思い浮かばないのではないでしょうか。それは世界的に恐竜化石が極端に少ないことに起因し、見つかったとしても断片的なものがほとんどであることから、この時代に生きた恐竜たちの謎は深まるばかりです。
 兵庫県の篠山層群は"謎の時代"の直前に堆積した地層であり、交連状態のトロオドン科の骨化石7)や、中央アジアの"謎の時代"の地層で報告される薄く長い脱落歯8)が発見されています。まさにバヤンシレ層と比較するには最高のフィールドということができます。今後、私は篠山層群やバヤンシレ層等の化石調査を経て、"謎の時代"の恐竜たちの謎解きにチャレンジしていきたいと思います。

引用文献
1) 久保田克博(2003)福井県勝山市北谷地域に分布する手取層群北谷層の堆積環境と古土壌.日本地質学会第110年学術大会講演予稿集,75.
2) Kubota, K., Kobayashi, Y., and Barsbold, R. (2005) New material of iguanodontian (Dinosauria: Ornithopoda) from the Lower Cretaceous Shinekhudag Formation, Choir Basin, Mongolia. 65th Annual Meeting of Society of Vertebrate Paleontology, 81A.
3) Kubota, K. and Kobayashi, Y. (2009) Evolution of dentary diastema in iguanodontian dinosaurs. Acta Geologica Sinica 83(1), 39-45.
4) Barsbold, R., Kobayashi, Y., and Kubota, K. (2007) New discovery of dinosaur fossils from the Upper Cretaceous Bayanshiree Formation of Mongolia. 67th Annual Meeting of Society of Vertebrate Paleontology, 44A.
5) Kobayashi, Y., Tsogtbaatar, K., Kubota, K., Lee, Y., Lee, H., Barsbold, R. (2014) New ornithomimid from the Upper Cretaceous Bayanshiree Formation of Mongolia. 74th Annual Meeting of Society of Vertebrate Paleontology, 161A.
6) Tanaka, K., Kobayashi, Y., Zelenitsky, D.K., Therrien, F., Lee, Y.-N., Barsbold, R., Kubota, K., Lee, H.-J., Chinzorig, T., and Idersaikhan, D. (2019) Exceptional preservation of a Late Cretaceous dinosaur nesting site from Mongolia reveals colonial nesting behavior in a non-avian theropod. Geology 47(9), 843-847.
7) 三枝春生・池田忠広・半田久美子(2012)篠山層群産恐竜化石の追加標本について.日本古生物学会2012年年会講演予稿集,14.
8) 久保田克博・三枝春生・池田忠広(2021)兵庫県丹波地域の下部白亜系篠山層群から産出した獣脚類恐竜の歯化石の分類学的帰属に関する予察的報告.日本古生物学会第170回例会講演予稿集,19.

 ※ PDF版もダウンロードできます。こちらから>>

第22回「生物標本の遺伝情報を利用する」(標本とむきあう)

中濱直之(兵庫県立大学自然・環境科学研究所 講師)


はじめに
 ひとはくをはじめとした国内外の博物館には多くの生物標本が収蔵され、数々の研究に活用されています。これらの標本は、これまで形態に基づく分類学的研究や、採集情報に基づく生物多様性情報学に利用されることが多かったのですが、近年は標本に含まれる遺伝情報も、海外を中心に注目されるようになって来ました。標本の遺伝情報を利用すると、どんなメリットがあるのでしょうか? わかりやすく言うと、過去の情報を今によみがえらせる、いわば「タイムカプセル」の役割を果たします。本稿では、その具体例や、関連する話題をいくつか御紹介します。

絶滅種の標本を用いた研究
 すでに絶滅してしまった種では、生きた個体の遺伝子を手に入れることは不可能です。しかし博物館には、絶滅してしまった種の標本も、たくさん収蔵されています。そうした標本の遺伝情報を利用することができれば、絶滅した生き物について様々なことが分かります。例えばWaku et al. (2016)は、すでに絶滅したニホンカワウソの遺伝情報を博物館標本から取得し、ユーラシアカワウソに最も近縁であることを明らかにしました (図1)。
30thanniv_22-fig1.jpg
図1 ニホンカワウソとその近縁種の分子系統樹
ミトコンドリアDNAのND5配列とcytb配列を使用。ユーラシアカワウソと最も近縁であることがわかる。Phylogenetic tree for Lutrinae based on the partial mtDNA together with the L. nippon (Ehime) © Waku et al. 2016 (Licensed under CC BY 4.0) から一部改変。

30thanniv_22-fig2.jpg
図2 ウスイロヒョウモンモドキ
現在は兵庫県と中国地方のごく限られた地域のみに生息する。絶滅の危険は非常に高いことから、種の保存法で国内希少野生動植物種に指定されている。
博物館標本の遺伝情報を生物多様性保全に活用する
 標本は、すでに絶滅した種の研究だけでなく、絶滅危惧種の保全にも役立ちます。筆者らは、種の保存法で国内希少野生動植物種に指定され、絶滅の危機にあるチョウ類の一種ウスイロヒョウモンモドキについて研究を実施しました(図2; Nakahama and Isagi 2018)。ウスイロヒョウモンモドキが生息している地域とすでに絶滅した地域において、標本などを用いて1990年前後と2010年前後の遺伝的多様性を比較したところ、いずれの地域においても遺伝的多様性の大幅な減少が見られました。遺伝的多様性が減少すると、有害遺伝子の発現により成長や繁殖が失敗しやすくなる現象(近交弱勢)が起こるリスクが増大します。特に遺伝的多様性の低い地域では、近交弱勢を起こさないように適切な管理をする必要があります。どの地域を特に注意して守っていくべきか、今後の保全対策にとって非常に重要な知見が得られました。こうした保全への活用はNakahama (2021)で詳しく解説していますので、ご興味のある方はそちらをご覧ください。

博物館標本の遺伝情報を用いたデータベースの整備
 世界中に生息する生物について、特定の遺伝子領域の配列を決定し、種の識別に利用する「DNAバーコーディング」を進める国際プロジェクトが2008年に設立され、配列情報の蓄積が世界中で進行しています。このDNAバーコーディングは、池や川の水に含まれるDNA断片から生物相を明らかにする環境DNA、また動物のフンから餌生物を推定する食性解析などに大きな力を発揮するため、今後も多くの分類群における配列情報の網羅的な蓄積が望まれます。しかし、種数が極めて多い昆虫類をはじめとする無脊椎動物については、配列情報がまだ十分に網羅されていないことが多く、今後効率的に配列の決定をしていく必要があります。
 ここでも標本が大きく役立ちます。博物館の標本は、特定の分類群について網羅的に収蔵されていることが多いため、新たなサンプル収集をする手間を省くことができます。Hebert et al. (2013)では、オーストラリアの12,699種41,650個体ものチョウとガの標本を用いて、たった14週間でバーコード配列を決定しています。これだけの数を野外で一からサンプリング、標本作製をするとなると、非常に手間がかかることは容易に想像でき、博物館標本の威力を思い知らされます。

博物館標本の破壊を抑えた遺伝解析手法
 これまで、標本から遺伝解析をする際にはどうしても標本の一部を切り取らざるを得ず、その破壊的な利用が問題となっていました。博物館標本は人類共有のかけがえのない財産であり、研究のためとはいえ、破壊的な利用はできる限り抑えられるべきです(志賀 2013)。
 近年、博物館標本の外部形態を破壊せずにDNAを抽出する方法が、確立されるようになってきました。例えば昆虫では、タンパク質分解酵素を含んだDNA抽出液に身体を浸し、DNAが溶け出した後に再度乾燥させることで、外骨格を破壊せずにDNAを抽出することができます (Patzold et al. 2020)。また植物でも、DNA抽出液を標本上に静置し、しばらくしてから回収することで、標本を破壊せずにDNAを抽出できることがわかってきました (Sugita et al. 2020)。まだすべての分類群でこうした方法が開発されている訳ではありませんが、いずれは博物館標本をほとんど破壊せずに遺伝情報を取り出せる時代が来るかもしれません。

30thanniv_22-fig3.jpg
図3 昆虫の乾燥標本の解析成功率と採集年代の関係
右上のbpは遺伝解析に必要なDNAの長さの単位で、この値が大きいほどより品質の高いDNAが必要となる。Variation in percentage success in recovery of four COI amplicons from 12,031 Lepidoptera specimens of varied age from ANIC © Herbert et al. 2013 (Licensed under CC BY 4.0) から一部改変。
30thanniv_22-fig4.jpg
図4 DNAを長期保存できる昆虫標本
昆虫の体の一部とプロピレングリコールをPCRチューブに入れ、チューブの蝶番に昆虫針を刺すことで、標本とDNAサンプルを一体的に保存できる。
博物館標本の遺伝情報の長期保存
 博物館の標本は、長期間常温保存されることが多いため、新鮮なサンプルと比べてDNAがボロボロに劣化しています。また当然ながら、劣化は年を経るごとに進行するため、古ければ古いほどDNAの解析が難しくなります(図3)。従来の遺伝解析方法では、このような劣化したDNAの配列決定が非常に難しく、次世代シーケンサーなど解析技術の発展に伴って、やっと利用され始めたところです。しかし、やはりDNA情報を安価に安定して取得するには、博物館標本のDNAの品質をできるだけ維持しておく必要があります。
 そこで、昆虫標本の遺伝情報を長期間保管する技術を開発しました。これまで昆虫をはじめとする動物のDNAサンプルは、無水エタノールで保存するか冷凍庫で保存するのが一般的でした。なんとか昆虫の乾燥標本中で保管できないか検討したところ、「PCR用チューブにプロピレングリコールと昆虫の体の一部を入れて、チューブの蝶番に昆虫針を刺す(図4)」ことで長期間保管できることがわかりました(Nakahama et al. 2019)。通常の方法では標本の作製後1年を経過すると、コオロギではDNAバーコード領域のPCR(DNAを増幅する操作)ができないほど劣化していましたが、開発した手法では、DNAバーコード領域の2倍を超える長さのPCRも全く問題なく実施できました。プロピレングリコールを用いることで、エタノールのように短期間で蒸発する心配がなく、長期的に保管することが期待できます。また今後は、昆虫だけでなく植物など、他の分類群でもDNAの長期的な保管ができないか、研究を進めているところです。

今後に向けて
 遺伝解析の技術は、指数関数的に発展し続けています。たった20年ほど前におよそ100億円もの費用がかかったヒトゲノムの決定は、今や15万円程度で決定することができます。野生生物においても、ゲノムレベル(数億~数百億塩基対)の遺伝解析を実施することが珍しくなくなってきました。しかし、どこまで解析技術が発展しても、過去の情報を知ることは簡単ではありません。標本の遺伝情報は、過去の情報を知ることで新しい知識を得る、いわば「温故知新」のための強力な材料となりえます。現在、海外を中心に標本のゲノムレベルでの解析を実施した研究が増えつつあります。日本でもこうした潮流に乗り遅れず、研究が進んでいくことが強く期待されます。

引用文献
Hebert, P. D., DeWaard, J. R., Zakharov, E. V., Prosser, S. W., Sones, J. E., McKeown, J. T., ... & La Salle, J. (2013). A DNA 'Barcode Blitz': Rapid digitization and sequencing of a natural history collection. PLOS ONE, 8, e68535.
Nakahama, N. (2021). Museum specimens: An overlooked and valuable material for conservation genetics. Ecological Research, 36, 13-23.
Nakahama, N., & Isagi, Y. (2018). Recent transitions in genetic diversity and structure in the endangered semi‐natural grassland butterfly, Melitaea protomedia, in Japan. Insect Conservation and Diversity, 11, 330-340.
Nakahama, N., Isagi, Y., & Ito, M. (2019). Methods for retaining well-preserved DNA with dried specimens of insects. European Journal of Entomology, 116, 486-491.
Patzold, F., Zilli, A., & Hundsdoerfer, A. K. (2020). Advantages of an easy-to-use DNA extraction method for minimal-destructive analysis of collection specimens. PLOS ONE, 15, e0235222.
Sugita, N., Ebihara, A., Hosoya, T., Jinbo, U., Kaneko, S., Kurosawa, T., ... & Yukawa, T. (2020). Non-destructive DNA extraction from herbarium specimens: a method particularly suitable for plants with small and fragile leaves. Journal of plant research, 133, 133-141.
Waku, D., Segawa, T., Yonezawa, T., Akiyoshi, A., Ishige, T., Ueda, M., ... & Sasaki, T. (2016). Evaluating the phylogenetic status of the extinct Japanese otter on the basis of mitochondrial genome analysis. PLOS ONE, 11, e0149341.

 ※ PDF版もダウンロードできます。こちらから>>

第21回「雪と森の国に生息するイヌワシの不思議な生態」(自然とむきあう)

布野隆之(兵庫県立人と自然の博物館 研究員)


はじめに
 冬には雪が降ります。そして、春になると、雪は解け、木々が芽吹き、夏にかけて緑に覆われた森へと移り変わります。私たちにとっては、美しい四季の移り変わりです。しかし、動物たちの視点に立つと、日本の四季は、彼らの生息地をダイナミックに変貌させるため、メリットとデメリットの両方があるようです。ここでは、森林生態系の頂点に位置するイヌワシが、日本の四季のメリットをどのように活かし、そして、デメリットをどう克服しているのかを紹介します。

30thanniv_21-fig1.png
図1 大空を飛翔するイヌワシ
イヌワシは国の天然記念物に指定され、環境省レッドリストにおいて絶滅危惧ⅠB類に区分される絶滅危惧種。推定生息数は、わずか500羽。
イヌワシとは
 イヌワシは、絶滅危惧ⅠB類に区分される大型の希少猛禽類です(図1)。全長は約90 cm、翼開長は約200 cmです。主な餌は、ノウサギ、ヤマドリ、およびヘビ類です。イヌワシの最大の特徴は、飛行機の一種であるグライダーのように風に乗り、滑空することです。滑空は、風の力を巧みに利用する飛翔法であり、労力がほとんどかかりません。イヌワシは、ノウサギなどの餌動物を探索する際に、滑空を多用します。従って、労力をほとんどかけずに、餌を得ることができるのです。

世界のイヌワシ生息地
 イヌワシが最も多く生息する地域は、北アメリカです。約7万羽が生息します。次いで、ヨーロッパには少なくとも5千羽が定着しています。また、モンゴルにも、数千羽が生息すると推定されています。これらのイヌワシ生息地は、それぞれ、荒地(図2a)、山岳地(図2b)、および大平原(図2c)です。全く異なる環境に見えますが、実は、地上付近に樹木などの遮蔽物がなく、上空からの見通しが良いため、イヌワシにとって餌を発見しやすいという点で共通しています。

30thanniv_21-fig2.png
図2 イヌワシの生息地
a)北アメリカ、b)ヨーロッパ、c)モンゴル、d)東北地方、e)北陸地方、f)近畿地方。

日本のイヌワシ生息地
 それでは次に、日本における代表的なイヌワシ生息地を見てみましょう。図2下段の左から東北地方、北陸地方、近畿地方の順に、国内のイヌワシ生息地をそれぞれ示しています。いずれも樹木の密集した森林です。イヌワシ生息地の地上付近は、樹冠で覆われ、上空からの見通しは極めて悪く、イヌワシによる餌の発見が困難であることが分かります。このため、イヌワシは餌動物の探索に膨大な労力を費やします。森林では、労力をかけなければ、餌を得ることができないのです。

世界の事例から日本のイヌワシ生息地を考える
 イヌワシは上空から地上の餌動物を探索するため、地上付近が樹冠で物理的に遮蔽された森林では、餌を得ることがとても困難になります。そして森林は、イヌワシの採餌行動だけでなく、彼らの繁殖活動や生息分布にも強く影響を与えることが報告されています。例えば、イギリスのスコットランド地方では、大規模な植林に伴ってイヌワシの繁殖成功率が低下したことや、イヌワシ営巣地の周辺における植林面積が広いペアほど巣立ちヒナ数が少なくなることが報告されています。また、北アメリカのアパラチア地方では、植生遷移に伴う森林化に伴って、現在ではイヌワシが殆ど生息しなくなった事例も報告されています。
 世界の事例を踏まえると、森林がイヌワシの採餌行動をはじめ、繁殖活動や生息分布に負の影響を与えていることは間違いありません。しかしながら、日本のイヌワシ生息地は、いずれも森林に覆われています(図2下段)。なぜ、日本の森林にはイヌワシが生息し、繁殖できるのでしょうか? 彼らは、日本の森林をどのように克服したのでしょうか? 以降では、最新の研究成果を交えながら、日本のイヌワシの生活を紹介します。

日本の四季のメリットとデメリット
 日本のイヌワシ生息地では、冬に雪が積もります。積雪深は地域によって異なりますが、雪の少ない近畿地方は2 m前後、豪雪となる北陸地方は5~7 mに達します。降り積もった雪の重さは300 kg/m3であるため、樹木はその重みに耐えることができず、幹から折れてしまいます。このため、積雪地では「しなやか」な樹種が多く、幹から折れ曲がって雪の下に埋没し、倒壊を避けることが知られています。実際に、イヌワシ生息地では、胸高直径が10 cm以下であり、樹高が10 m以下のすべての樹木が、雪の下に埋没します。
 その結果、冬季のイヌワシ生息地は、雪原と疎林がモザイク状に広がる環境へと変貌します。雪原と疎林で構成された環境は、地上付近に遮蔽物がなく、上空からの見通しが良いため、イヌワシにとって餌を発見しやすい環境です。日本の冬は、イヌワシに大きなメリットをもたらしていることが分かります。
 一方、雪が解けると、イヌワシ生息地は再び樹木に覆われ、森へと逆戻りします。森林はイヌワシの採餌行動をはじめ、繁殖活動や生息分布に負の影響を与えるため、明らかにデメリットです。日本の四季のうち、消雪の期間は春季・夏季・秋季であり、冬季に比べて長期にわたります。日本に生息するイヌワシは、一年のうち、多くの期間をデメリットにさらされているのです。

日本の四季のデメリットを克服するために
 日本のイヌワシは、ヘビ類を高頻度に摂食します。イヌワシの餌に占めるヘビ類の割合は約60%です。北アメリカやヨーロッパに生息するイヌワシがヘビ類をほとんど摂食しないことを踏まえると(イヌワシの餌に占めるヘビ類の割合は0.1~25.7%)、日本のイヌワシがヘビ類の摂食に著しく特化していることが分かります。しかし、ヘビ類は、決して「良い餌」ではありません。イヌワシの主要な餌動物(ノウサギ)に比べて、栄養価が低く、消化率も悪いのです。
 「悪い餌」を摂食することは、生物学的に考えて、とても不思議な現象です。しかし、この不思議な餌利用にこそ、日本の四季のデメリットを克服する秘訣があることが分かってきました。図3をご覧ください。図3aは、冬季におけるイヌワシの採餌場所の分布を示しています。採餌場所とは、イヌワシがノウサギを捕獲する場所を指します。冬季の採餌場所は主に雪原や疎林です。冬季の採餌場所は、イヌワシの行動圏内に広く分布することが分かります。
 ところが、雪が解けて春になり、木々が芽吹いて緑の樹冠が形成されると、冬季のイヌワシの採餌場所(雪原や疎林)は消失し、イヌワシ行動圏内に分布しなくなります。つまり、春季~秋季のイヌワシ行動圏内では、ノウサギを捕獲できなくなるのです。
 イヌワシは、春季~秋季にノウサギを捕獲できないため、代替の餌を必要とします。この代替の餌が、実は、「ヘビ類」です。変温動物であるヘビ類は、日光を浴びて体温を上昇させるため「林冠ギャップ」と呼ばれる樹木の倒壊地を高頻度に利用します。一方、イヌワシは、林冠ギャップを春季~秋季における採餌環境としています(図3b)。つまり、春季~秋季に、林冠ギャップを介して、イヌワシとヘビ類の捕食―被食関係が形成されるのです。

30thanniv_21-fig3.png
図3 イヌワシの採餌場所の分布
a)冬季、b)夏季。900時間におよぶ行動観察に基づきイヌワシの採餌場所を特定した後、それらと統計的に類似する場所を、GISを用いて地図上に示した。

 ヘビ類は、栄養や消化といった側面でノウサギに劣る「悪い餌」です。しかし、春季~秋季にヘビ類を捕獲できなければ、イヌワシは、日本の森林で生き残ることができません。イヌワシがヘビ類を摂食することは、おそらく、日本の森林に生息し繁殖するための生態戦略です。
 このように、最新の研究によってイヌワシが四季のデメリットを克服し、日本の森林で生息・繁殖する秘訣が明らかになってきました。冒頭で紹介したように、日本のイヌワシは絶滅危惧種です。今後も、イヌワシが日本の森林に定着し続けるためには、冬季にノウサギ、春季~秋季にヘビ類を捕獲できる生息地を創出・保全し、四季を通じて安定して餌を供給することが重要です。

 ※ PDF版もダウンロードできます。こちらから>>

【バックナンバー】

第20回「海浜植物ウンランと海辺の自然の保全に向けて」(自然とむきあう)

黒田有寿茂(兵庫県立大学自然・環境科学研究所 准教授)

 ※ 詳しくは別ページをご覧ください。 こちらから>>
 ※ PDF版もダウンロードできます。 こちらから>>


第19回「ヘビ類化石の研究―小さく目立たない化石が教えてくれること―」(標本とむきあう)

池田忠広(兵庫県立大学自然・環境科学研究所 准教授)

 ※ 詳しくは別ページをご覧ください。 こちらから>>
 ※ PDF版もダウンロードできます。 こちらから>>


第18回「神戸層群の年代を調べる」(自然とむきあう)

半田久美子(兵庫県立人と自然の博物館 主任研究員)

 ※ 詳しくは別ページをご覧ください。 こちらから>>
 ※ PDF版もダウンロードできます。 こちらから>>


第17回「地域の自然に配慮した緑化のしくみを目指して」(人とむきあう)

橋本佳延(兵庫県立人と自然の博物館 主任研究員)

 ※ 詳しくは別ページをご覧ください。 こちらから>>
 ※ PDF版もダウンロードできます。 こちらから>>


第16回「身近な生き物から地域の特徴を知る~市民参加型調査の手法と成果」(自然とむきあう)

鈴木 武(兵庫県立大学自然・環境科学研究所 講師)

 ※ 詳しくは別ページをご覧ください。 こちらから>>
 ※ PDF版もダウンロードできます。 こちらから>>


第15回「『非認知的能力』から読み解く博物館での学び」(人とむきあう)

八木 剛(兵庫県立人と自然の博物館 主任研究員)

 ※ 詳しくは別ページをご覧ください。こちらから>>
 ※ PDF版もダウンロードできます。こちらから>>


第14回「日本を代表する森林,照葉樹林の保全に向けた研究」(自然とむきあう)

石田弘明(兵庫県立大学自然・環境科学研究所 教授)

 ※ 詳しくは別ページをご覧ください。こちらから>>
 ※ PDF版もダウンロードできます。こちらから>>


第13回「アフリカ・タンガニイカ湖での調査研究」(自然とむきあう)

高橋鉄美(兵庫県立大学自然・環境科学研究所 教授)

 ※ 詳しくは別ページをご覧ください。こちらから>>
 ※ PDF版もダウンロードできます。こちらから>>


第12回「可憐な花,オチフジの謎にせまる」(自然とむきあう)

高野温子(兵庫県立人と自然の博物館 主任研究員)

 ※ 詳しくは別ページをご覧ください。こちらから>>
 ※ PDF版もダウンロードできます。こちらから>>


第11回「コロナ禍でみえた身近な地域」(人とむきあう)

藤本真里(兵庫県立大学自然・環境科学研究所 准教授)

 ※ 詳しくは別ページをご覧ください。こちらから>>
 ※ PDF版もダウンロードできます。こちらから>>


第10回「六甲山系における森林の植生と土壌を調べる」(自然とむきあう)

小舘誓治(兵庫県立大学自然・環境科学研究所 講師)

 ※ 詳しくは別ページをご覧ください。こちらから>>
 ※ PDF版もダウンロードできます。こちらから>>


第9回「兵庫県のヤマラッキョウの地域的変異」(地域とむきあう)

藤井俊夫(兵庫県立人と自然の博物館 主任研究員)

 ※ 詳しくは別ページをご覧ください。こちらから>>
 ※ PDF版もダウンロードできます。こちらから>>


第8回「琉球・台湾にキノボリトカゲの仲間は何種いるのか?」(自然とむきあう)

太田英利(兵庫県立大学自然・環境科学研究所 教授)

 ※ 詳しくは別ページをご覧ください。こちらから>>
 ※ PDF版もダウンロードできます。こちらから>>


第7回「ナウマンゾウの祖先をエチオピアで掘る」(標本とむきあう)

三枝春生(兵庫県立大学自然・環境科学研究所 准教授)

 ※ 詳しくは別ページをご覧ください。こちらから>>
 ※ PDF版もダウンロードできます。こちらから>>


第6回「兵庫の海にさぐる氷河時代の環境変動」(自然とむきあう)

佐藤裕司(兵庫県立大学自然・環境科学研究所 教授・所長)

 ※ 詳しくは別ページをご覧ください。こちらから>>
 ※ PDF版もダウンロードできます。こちらから>>


第5回「意外と役立つアリの研究―博物館の研究が取り持つ人や社会との絆」(人とむきあう)

橋本佳明(兵庫県立大学自然・環境科学研究所 准教授)

 ※ 詳しくは別ページをご覧ください。こちらから>>
 ※ PDF版もダウンロードできます。こちらから>>


第4回「ジャゴケを求めて西に東に」(標本とむきあう)

秋山弘之(兵庫県立大学自然・環境科学研究所 准教授)

 ※ 詳しくは別ページをご覧ください。こちらから>>
 ※ PDF版もダウンロードできます。こちらから>>


第3回「エチオピアの大地に人類進化の謎を探るーコンソ村での調査」(自然とむきあう)

加藤茂弘(兵庫県立人と自然の博物館 主任研究員)

 ※ 詳しくは別ページをご覧ください。こちらから>>
 ※ PDF版もダウンロードできます。こちらから>>


第2回「ヒトの進化とスペクトラム」(人とむきあう)

三谷雅純(元 兵庫県立大学自然・環境科学研究所 准教授)

 ※ 詳しくは別ページをご覧ください。こちらから>>
 ※ PDF版もダウンロードできます。こちらから>>


第1回「兵庫の植物、その特異な分布と博物館の標本」(標本とむきあう)

高橋 晃(元 兵庫県立大学自然・環境科学研究所 教授・所長)

 ※ 詳しくは別ページをご覧ください。こちらから>>
 ※ PDF版もダウンロードできます。こちらから>>

Copyright © 1992-2021, Museum of Nature and Human Activities, Hyogo, All Right Reserved.