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シリーズ「人と自然,地域と向き合う-人博の多様な調査・研究活動の歩み」-demo

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兵庫県立人と自然の博物館は,1992年10月の開館からすでに27年目を迎えました。2022年10月の開館30周年に向けて,開館後に本館の研究員が進めてきた調査・研究活動の歩みを,研究現場の貴重な写真やいろいろなエピソードとともに,わかりやすく,おもしくろく解説します。兵庫県を主とした,大地とそこに暮らす生き物,人とそれらとの関わり,人の暮らしなどに関わるさまざまな題材をテーマとした調査・研究活動の醍醐味を楽しんでください。

第3回「エチオピアの大地に人類進化の謎を探るーコンソ村での調査」

加藤茂弘(兵庫県立人と自然の博物館 主任研究員)


 アフリカ大陸は人類のゆりかごであると,しばしば言われます。これは,200万年前より古い人類化石がアフリカ大陸からしか発見されていないという事実に基づいています。アフリカ大陸からは,200~100万年前の地層からも圧倒的に多数の人類化石が発見されています。アフリカ大陸は,人類の誕生と進化の歴史を研究する上で最適な調査地なのです。
 しかし,広大なアフリカ大陸のどこでも人類化石が発見されるわけではありません。大多数の化石は,アフリカ大陸を2つに引き裂きつつある東アフリカ大地溝帯という帯状のくぼ地と,南アフリカの洞窟遺跡から産出しています。とりわけ,東アフリカ大地溝帯の北半を占めるケニア地溝帯,エチオピア地溝帯,そしてアファー地溝帯からは,約650万年前以降の人類化石が数多く報告されてきました(図1)。エチオピア地溝帯とアファー地溝帯が位置する国がエチオピアであり,私が1994年から25年以上にわたり人類化石の調査に訪れてきた第2の故郷ともいえる国です。

エチオピアという国
 エチオピア(エチオピア連邦民主共和国)は東アフリカ北東部に位置する面積約113万㎢,人口約1億540万人の国で,西アフリカのマリ共和国と並び,アフリカ大陸で最古の独立国の一つです。第二次世界大戦時にイタリアの植民地になりましたが終戦後に独立し,社会主義国への転換,エルトリアの分離・独立などをへて,1991年の政変後に連邦民主共和国となり現在に至っています。

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図1 東アフリカ大地溝帯と主な人類化石産地(左)およびエチオピア地溝帯とアファー地溝帯が位置するエチオピアの国土(右)古人類化石とアシュ―ル型石器の調査地であるコンソ村の位置を示した。

 エチオピアは,マラソンのアベベ選手やロバ選手などを代表に陸上の長距離走が強い国として馴染み深いでしょう。コーヒーの原産地であり,エジプト文明を育んだナイル川の源流の1つ-青ナイルが位置する国でもあります。アフリカ大陸では珍しく地下資源に恵まれず,私が初めて訪れた1994年当時は,主な産業は牧畜・皮革産業,第1の輸出品は皮革製品で,南アジアのバングラデシュと世界最貧国の座を争っていました。
 21世紀になって各種の産業が発展して経済は豊かになりましたが,今でも日用品の物価は日本の10分の1くらいです。現代文明の恩恵に溢れた首都のアジスアベバや地方の大都市を除くと,日本の弥生時代~江戸時代かと思うような農村地域が広がっています。多くの人類化石はこのような農村地域で産出するため,私たちは近郊の小都市に滞在して人類化石の調査を行ってきました。

30thanniv-researchinethiopia-pic11.jpgライフワークの始まり
 東京大学の大学院生であった1992年の夏,助手の池田安隆先生から,この春に東京大学総合研究博物館に赴任された諏訪元 博士が,エチオピアの人類化石調査に参加できる若手の地質・地形研究者を探しているので参加してみないかというお話を頂きました。諏訪さんは,約440万年前のラミダス猿人の化石の発見者として著名な研究者で,1988~1991年に行われたエチオピア人類化石の探索調査に参加し,エチオピア地溝帯南部のコンソ村で直立原人の下顎化石と大量の旧石器を発見されていました。そして,エチオピア人研究者のブルハネ博士(古人類学)やヨナス博士(考古学)とともに,コンソ村での調査をさらに進めようとしていたのです1)。
 東アフリカ大地溝帯の地形・地質に興味を持っていた私はすぐに参加をお願いし,年長の研究者として長岡信治博士を推薦しました。長岡さんとは1994年~1996年にコンソ村での調査を共にし,地質・火山灰層序といった専門分野だけでなく,人間的にも多くのことを学ぶことができました(写真1)。
 私は,大学院時代にはできの悪い院生の代表でした。運よく人と自然の博物館に就職できた時も,なぜあなたが就職できるの?と言われたほどです。それでも,諏訪さんやその先生のホワイトUCLA教授(古人類学),ブルハネ・ヨナスの両博士,長岡さんら,世界の第一線で活躍する研究者らと調査・研究を進める中で,学び,成長し,一人前の研究者として自立できるようになりました。研究者にとっては,研究テーマをしっかりと設定し,尊敬できる研究者と,根気よく研究を続けていくことが大切だと思います。

30thanniv-researchinethiopia-pic2.jpg共存した2種の古人類
 1994年に初めてコンソ村の古人類学調査に参加しました。1994年~1997年の4年間は,野外調査とアジスアベバのエチオピア国立博物館での調査準備や調査後の整理を含めて,各年約2ヵ月をエチオピアですごしました。調査地のコンソ村では,丘陵地に約200~80万年前に堆積したコンソ層という地層が浸食されて露出しています(写真2)。浸食された地層からは,古人類を含む哺乳類の化石やワニ,カメの化石,古人類が製作した石器が取り残されて,地表の窪みに集積しています。それらの化石や石器を産出した地層を特定し,その地層と年代指標となる火山灰層との上下関係を明らかにしていくのが,私たち地質調査班の重要な役割でした。
 KGA10と名付けた調査区では,黒色や暗灰色の粘土層に挟まれた赤茶けた砂礫,砂,泥の互層から,直立原人(Homo erectus)だけでなく,ボイセイ猿人(Australopithecus boisei)に属する別種の古人類の化石が発見されました(写真3)。これらの古人類化石の産出層の直下にはピンク色の細粒火山灰(Lehayte火山灰)が挟まれ,上位には灰色の粗粒火山灰(Karat火山灰)が見つかりました。Lehayte火山灰の直下には,灰色~暗灰色の粗粒火山灰(Trail Bottom火山灰)があることもわかりました。これらの火山灰の最も粗い部分を数㎏採取し,キャンプに持ち帰ってふるい分けし,粒径0.5mm以上の砂粒を取り出します。日本の研究室で,この砂粒からカリウム(K)に富んだアルカリ長石という鉱物を選び出し,それをアメリカのUCLAの研究室に送って,Ar-Ar法を用いて1粒1粒の放射年代を測定しました。30thanniv-researchinethiopia-pic3.jpgその結果,Karat火山灰から141万年前,Trail Bottom火山灰から143万年前の年代が得られ,2つの火山灰に挟まれた地層から化石が産出した直立原人とボイセイ猿人は,約142万年前に共存していたことがわかりました2)。
 古人類化石を産出した赤茶けた地層を周囲に追いかけると,扇状の分布を示すことや,次第に厚さが薄くなり,ついには黒い粘土層中に消えていくことがわかりました。この粘土層は,カバやワニの化石や,湖沼に生息する珪藻の化石を多く含むことから,湖底で堆積した地層だと考えられます。一方,赤茶けた地層は礫や砂が多く,河川が堆積した地層です。したがって,約142万年前には湖に流入する河川が造る扇状地状の平野が広がり,そこに直立原人とボイセイ猿人が暮らしていたと推定されます。ウマの化石が多く産出し,この平野には草原が広がっていたこともわかりました。
 コンソ村でボイセイ猿人が発見されたのは,KGA10の調査区だけです。直立原人の化石は他の調査区でも発見されており,いずれの調査区も相対的に湿潤な環境を示していました。直立原人との生存競争の中で,ボイセイ猿人は,より乾燥して食物資源に乏しいKGA10でしか生き延びられなかったのかもしれません。

30thanniv-researchinethiopia-pic4.jpg石器製作技術の進歩
 コンソ層からは19点の古人類化石しか発見されていません。一方,地表に散在する石器は数百点を超え,大半の調査区から採集されています。古人類化石のように,石器を産出する地層と火山灰層との上下関係や火山灰層の放射年代を明らかにしていくことで,石器の製作技術の変遷を約100万年間にわたり追いかけることができました。これには,1998年~2000年,2002年~2003年,2010年の6度の野外調査を要しました。
 最終的にコンソ層中ではアシュ―ル型石器という石材の両面に加工を施した大型の石器が,約175万年前,160~150万年前,約140万年前,約125万年前,約90~80万年前の5つの時代から産出することを明らかにできました3)。これらの時代の石器を並べて比べてみると,石器の形状が時には緩やかに,時には著しく,変化していることがわかります(写真4)。約175万年前の石器は,アシュ―ル型石器に分類される世界最古の例です。この時代には東アフリカ地域で初期のホモ属(Homo ergaster)が出現しており,アシュ―ル型石器の発明と人類進化との関係性が示唆されます。約125万年前までは,石器に徐々に手のこんだ加工が施されるようになり,見た目も美しい形状をとるようになります。
 約90~80万年前になると,石器の形状は一変します。とくにハンドアックス(手斧石器)は,左右に対称的な楕円形をなし,縦断面は見事な流線形を示しています。石器の縁辺には細かな加工が施してあり,これが美しい楕円を造る要因の1つとなっています。50万年前までには,硬い石で大まかな加工を済ませた後に,骨や木などより柔らかい加工具を利用して周囲の形を整えるソフトハンマー技法が生まれたとされていました。コンソ層の石器もソフトハンマー技法で製作されたもので,これまで知られていたよりずっと古い時代に,この技法が用いられていたことが明らかになりました。約90~80万年前は,東アフリカ地域で脳がより大きく,現代人に近い特徴を持った直立原人が出現する時期にあたります。

エチオピアの野外調査
 エチオピアの野外調査は,命の危険と隣り合わせです。マラリアやチフスのような病気に加えて,体長1.5mに達するコブラやガラガラヘビに注意を払わないといけません。1994年の調査では,現地の井戸水が合わずに水あたりを起こし,ずっとお腹をこわしながら1月半の調査を耐えました。アジスアベバに戻ると,出発前に62㎏あった体重は47㎏に激減していました。1997年の調査では,金泥棒と間違えられて長い槍を持った5~6名の現地人に囲まれ,知らないうちに命の危険にさらされていたこともありました。
 ふりかえると,コンソ村の調査は今ならとても耐えられない日々の連続でした。しかし,古人類の化石や奇跡とも言えるほど大量の石器を目にして,研究者の好奇心は強くかきたてられました。ここにしかない知的好奇心の満足があったからこそ,長期にわたる野外調査を完遂できたと思います。そして,この思いが,30年以上にわたる調査・研究を支える礎になったと感謝しています。

参考文献
1)加藤茂弘(2014)エチオピアのテフラ研究―コンソ遺跡におけるテフラ編年学的研究―.月刊地球 36,256-265.
2)Suwa,G., Berhane, A., Yonas, B. et al.(1997)The first skull of Australopithecus boisei.Nature 389, 489-492.
3)Yonas, B., Katoh, S., WoldeGabriel, G. et al.(2013)The characteristics and chronology of the earliest Acheulean at Konso, Ethiopia.PNAS 110, 1584-1591.

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第2回「ヒトの進化とスペクトラム」(人とむきあう)

三谷 雅純(兵庫県立大学 自然・環境科学研究所准教授)


 社会にはいろいろな人がいます。生い立ちや生活のしかたもさまざまです。日本ではひと処で暮らす農耕民が多かったのですが、地球レベルで見直すと、もっといろいろな人生があります。わたしは長くアフリカ中央部の熱帯雨林でサルや類人猿と植物の関係を調べていました。人びとはピグミーであり、バンツーでした。東アジア出身者は、大抵、わたし一人でした。

 ピグミーは森を移動しながら暮らす狩猟採集民です。焼き畑農耕民のバンツーは豊かな土地であれば定住もしますが、痩せた土地では新たな農地を求めて森を焼き、少しずつ移り住むのが普通です。そのような伝統や環境によって、人びとの生活はさまざまに変わります。生活の仕方や社会のありようは「文化」と呼ばれています。

 人間を生物学的に語る場合はカタカナにして「ヒト」と表します。ヒトの遺伝子も、文化同様、多様です。科学的な根拠のない「人種」や「民族」のことを言っているのではありません。すべての人はさまざまな突然変異を持っている。そのようなヒトの遺伝子のせいで、人間は多様な行動をとります。

 遺伝によって決まるヒトの行動は、大抵、程度が大きいか小さいかで表されます。それを科学の世界では「スペクトラム」と表現します。その典型的な例が自閉スペクトラム症です。

 自閉スペクトラム症とは、かつては「子どもに典型的な精神疾患」とされた「自閉症」のことです。コミュニケーションがへたで、あたかも友だちとうまく付き合えないように見えます。かと思うと、好きなことならいつまでも続ける人がいます。ひとつのことにこだわってしまい、実際、夜、眠るときに、枕元でオモチャが一列に並んでいないと眠れないという子どもがいるそうです (1)。「自閉スペクトラム症」という言葉は、アメリカ精神医学会がまとめた『精神障害の診断と統計マニュアル』の最新版 DSM-5 によって一般的になりました。

自閉症に関連した遺伝子は多く、次つぎに見つかっています。研究室レベルでいうと(つまり、まだ研究途上のものを含めると)100種類を越えているはずです。そしてこの遺伝子は,例外なくどの人も持っていることが解ってきました。しかし、誰でもこの自閉症に関係のある遺伝子を持っているのだとしたら、医師はどうやってある人を「自閉症」だと診断するのでしょうか。

 どのような社会にも、この人は病気だから医師にしっかり診てもらった方が良いが、あの人は少し変だが医師に診てもらう程のことはないということがあるものです。その判断の基準が『精神障害の診断と統計マニュアル』に載っているのです。日本のように多数者、つまり「普通の人]から外れる人を排除しがちな社会と、アフリカの狩猟採集民とでは、当然、「病人」かどうかの基準が変わります――ここでは詳しく説明する余裕はありませんが、付き合ってみた感覚で、狩猟採集民のピグミーは、日本では発達障がいの一種とされている注意欠陥・多動性障がい(ADHD)の人が多いように感じました。ADHDの人の優れた行動パターンである、さまざまなことに注意深く神経を研ぎ澄ましている人でないと、毒蛇や猛獣のいる森の中で生活するのは難しいのです。


 「定型発達症候群」という聞き慣れない言葉があります。「定型発達症候群」は「自閉症」と診断された人の造語です。「普通の人」は自閉症者のことを「変わっている」とか「変だ」と(攻撃的に、あるいは悪意を持って?)言いつのるのですが、自閉症者から見ると「普通の人」が変なのです。ちなみに「定型発達:Neurotypical (NT) 」という単語は学術的には「発達障がいでない」という意味で使われ、「定型発達症候群」の人も「充分に変な症状なのだ」という含意があります。例えば:

◎ 暇な時はなるべく誰かと一緒に過ごしたい。
◎ 集団の和を見出す人を許せない。
◎ 社会の習慣にはまず従うべきだ。
◎ はっきり本音を言うことが苦手だ。
◎ 必要なら平気で嘘をつける。

などが自閉症者から見て「定型発達症候群」のある「普通の人」の行動パターンとして挙げられる変な癖なのです (2)。これらは「普通の人」にとって当たり前のことばかりなのでしょうが、よく考えるとそのような行動をとる理由は不明です。

 ウエブに挙げられたオリジナルの「定型発達症候群」のページ (3) では、もっと辛辣なことが書かれています。つまり「定型発達症候群」の人は、「自分が正しいという保証はないにもかかわらず、他人との些細な差異で人格攻撃をし、常に自分が正しいと勘違いをしており、そのくせ嘘つきだ」という評価です。これは自閉症者から診た「普通の人」への(きわめて率直な)感想だと言えるのです。

 わたしは「普通の人が嘘つきだ」という言い方がよく理解できます。ともかく医療行政の基準に照らせば、社会は「自閉症」か「自閉症」でないかでくっきりと分かれてしまいます。ちなみに「自閉症」かどうかは分かりませんが――診断を受けたことがありません――、わたしは「漢字を書いたり読んだりすることが苦手な学習障がい者」です。この点で発達障がいであることに変わりはありません。その分、自閉症者の気持ちがよく分かるのです。

 一方「普通の人」にとっては「嘘も方便」なのです。嘘をつく行為を恥ずべき行為だとは思っていません。人と人との関係を円滑につなぐ「大人の知恵」として、「普通の人」は「嘘」を奨励しているぐらいです。


 セルゲイ・ガブリレッツ(Servey Gavrilets)という進化生態学者の本におもしろい図(Gavrilets, 2010の図3.3)(4)が載っていました。元もとは突然変異と種分化の過程を示す「適応度ランドスケープ(Fitness Landscapes)」の図です。「適応度ランドスケープ」とは「ヒトに認識できるように視覚化した、子孫を残す可能性の図」とでもいうものです。デコボコが山や谷のように見えますから「ランドスケープ」なのでしょう。


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 適応度ランドスケープ(Fitness Landscapes)(Gavrilets, 2010の図3.3)
(a)のように生き物の適応度は環境条件によって変化します。(b) のような単一の基準で適応度が決まると考えるのは「神話」にしか過ぎません。


 わたしがおもしろいと思ったのは図-aです。子孫を残す可能性が高い山の頂上がひとつに限らないのです。「子孫を残す可能性が高い」ということは、その生物が種として長く生き残ることを意味します。そして時間が経つ内に、当然のことですが、山の場所が変化することもあるのです。環境が変わったらある種は滅び、別の種が栄える。これなど、どこにでも見つかる現象です。もう一つの図-bは頂きがひとつだけです。ただ1種の生物が生き残る。現実に、このようなことはありそうもありません。なぜなら、ただ1種で生態系は形作れないからです。少なくとも安定して生き残ることはできないでしょう。

 この図を我われ自身に当てはめてみると、どんなことが言えるでしょう。狩猟採集生活ではADHDでないとなかなか生き残れないかもしれません。しかし、定住した農耕民の生活では、いろいろなことに気を使うよりも、スケジュールに沿った単調な生活が多くの作物を育てるポイントでしょう。我われは長い狩猟採集生活の時代を経て農耕を基本とする生活に変わりました。そして今では、実体のないイメージ(例えば電子マネーやe-スポーツ)にまで振り回される時代になりました。これなどまさに、適応度の山が時間とともに激しく変化した例です。

 我われの社会は図-aで表した、デコボコの入り乱れた社会であったはずです。どのような生物の生き残り策が一番良いかは時代によって変わります。ここに、我われの行動がスペクトラムである本当の理由がある気がします。ひとつの頂きしかない単純な図は、喩えて言うとひとつだけの基準――力の強さとか、高校までの学力とか――で生き残りを決めるようなものです。現実にそんなことはあり得ません。

 少なくとも、わたしの経験してきた人生はもっと複雑でした。決して機械では測れない人生。それは辛いこともあるけれども、喜びの多い人生です。

 その方が人間らしい。そうは思いませんか?


引用文献
(1) NHK 発達障害プロジェクト[http://www1.nhk.or.jp/asaichi/hattatsu/about_nt.html]
(2) 『発達障害を生きる』(NHK スペシャル取材班,集英社)の中の「コラム③ 『定型発達症候群』という考え方」pp. 132-134.
(3) Institute for the Study of the Neurologically Typical[https://web.archive.org/web/20160309001527/http://isnt.autistics.org/]
(4) Servey Gavrilets(2010)High-Dimensional Fitness Landscapes and Speciation[http://citeseerx.ist.psu.edu/viewdoc/download?doi=10.1.1.432.8638&rep=rep1&type=pdf].In: Massimo Pigliucci & Gerd Muller (eds.) Evolution-the Extended Synthesis, MIT Press.

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第1回「兵庫の植物、その特異な分布と博物館の標本」(標本とむきあう)

高橋 晃 (前 兵庫県立大学自然・環境科学研究所教授・所長)


 日本の植物の分布には、日本列島の地形、気候、地史などが影響して決まっているいくつかの分布パターンがあることが知られています。実際に野外で植物がどのような分布をしていて、それに種の違いなどがどのように関係するのかといった問題は、昔から植物分類学や生物地理学のフィールド研究の主要なテーマでした。最近では遺伝子情報を含んでいなければ学術研究で取り上げられることはほとんどなく、時間や労力がかかるばかりで業績になりにくい分野なので、手を染める若い研究者も少なくなりました。それでも地方の博物館にとって、依然として詳細を解明すべき重要なテーマの一つです。
 植物は種によって決まった分布域をもっていて、兵庫県内でもすべての植物の種がどこにでも生えているのではなく、特定の地域や場所に限って生えていることが多いのです。それらの種の分布を調べるためには、博物館に収蔵されている植物標本が不可欠です。

植物標本の役割
30thanniv-plantsofhyogo-pic1n.jpg 植物標本は、草花や樹木の枝先を押し葉にして台紙上に貼り付け、さらにその植物をだれが、いつ、どこで採集したかという情報を書き込んだラベルを貼付したものです(写真1)。ラベルには樹木の大きさや花の色など、その植物が標本になったらわからなくなる情報や生育場所の環境情報など、採集者にしか分からない情報も書き込まれます。種名は暫定的に書き入れますが、のちに花などの形態を詳しく調べた結果、当初の種名はまちがいであり、別の種であると判明すれば、新しい名前を書き込んだ鑑定ラベルを追加して貼付します。別種であることがわかった結果、採集地がその種にとっての新産地になることもあります。
 標本によって採集場所が特定されるので、ある場所にその種があるかどうかの判定に使えます。逆に、採集場所が特定できることが貴重種の盗掘などの被害につながる可能性があるので、付属情報の取扱いには十分に注意する必要があります。さらに年月日が書かれているので、ある場所にその種がいつ頃から存在していたのかということがわかります。また、ある種で50年以上前の標本はたくさんあるが、それから現在までの標本が採られていなければ、その種が絶滅した可能性を疑う必要が出てきます。
 このように博物館に収蔵されている植物標本は、多くの人たちが調査した結果の集約であり、種の識別を可能にしたり、特定の時間や場所に存在していたことを証明したりと、じつにたくさんの役割をもっているのです。

日本海要素植物の分布を調べる
 南北に長い兵庫県では、降水量の違い、とくに冬の降雪量の違いが植物の生育状況に大きな影響を与えるので、北の日本海側と南の瀬戸内海側でおのずと生えている植物の種も異なります。日本海側の多雪地帯に限って分布する植物は日本海要素とよばれています。日本海要素の植物の例としてよく知られているのが、クロモジとオオバクロモジです。クロモジは太平洋側に分布し、オオバクロモジが日本海側に分布するとされ、兵庫県内でもそのような分布の違いがみられます。オオバクロモジ以外にもハイイヌガヤ、サワグルミ、ミズメ、ハルニレ、サンインシロカネソウ、コケモモ、タジマタムラソウ、クロバナヒキオコシ、タニウツギ、ワカサハマギクなど多くの日本海要素植物があります。
30thanniv-plantsofhyogo-pic2n.jpg これらの植物の分布を詳しく調べるためには現地調査が必要になりますが、多くの場所へ何度も足を運んで調べることはあまりに労力がかかりすぎ、一人ではできません。そこで植物標本を用いるのです。植物標本は過去何十年の間に多くの人たちにより、いろいろな場所でいろいろな季節に採集されたものであり、標本の一枚一枚に貴重な自然環境の情報が蓄積されています。標本の種の鑑定がきちんとできていれば特定の種が特定の場所に生育していたという証拠になるので、それらの採集地情報を地図上にプロットすれば分布図ができます。そこで一部の植物について、兵庫県内のどこに分布しているかを地図で表してみました。
 わかりやすい例として、日本海側に生育していることにちなんで名付けられたキンポウゲ科の植物サンインシロカネソウ(写真2)を見てみます。この種は福井県から島根県までの日本海側に分布する日本海要素植物の一つで、山間の沢筋など水気の多い場所に生えています。兵庫県内での分布をみると、但馬地域に限られていることがわかります(図1-A)。

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 スイカズラ科のタニウツギ(写真3)は、北海道の西部から東北、北陸、山陰地方の日本海型気候の地域にかけて分布している日本海要素植物の一つです。ところがこの種は、県内では但馬地域に限られているのではなく、播磨や丹波地域、さらには姫路市や神戸市にまで分布を広げており(図1-B)、これらの地域周辺の丘陵地で5月にはピンク色のきれいな花を見ることができます。同じ仲間にヤブウツギ(写真4)という種があり、これは東京以西の太平洋側の低山地に生え、東海、近畿から中国、四国にまで分布するとされています。この花は濃い赤色で下向きに咲き、県下では六甲山周辺と淡路島でのみ見ることができます。タニウツギとヤブウツギについて標本情報からそれらの詳細な分布図を作ってみると、六甲山近辺で両種が入り混じって分布していることがわかります(図1-B)。タニウツギは東北から北陸地方までは確かに日本海側に限定された分布をしていますが、近畿地方になるとずいぶん南の方まで分布が広がっています。近畿地方の中北部では日本海側と太平洋側を隔てる標高の高い脊梁山脈が途切れ、兵庫県丹波市石生地区には標高100m以下の、本州一標高の低い谷中分水界があることが知られています。このことがタニウツギの分布を南方に広げる要因になっているのかもしれず、ひょっとしたらタニウツギは雪がそれほど多くなくても育つ植物なのかもしれません。
30thanniv-plantsofhyogo-pic3-6n.jpg ツツジ類のなかで兵庫県に生えているミツバツツジの仲間はコバノミツバツツジ(写真5)が一般的ですが、但馬地域の日本海側にはコバノミツバツツジよりもやや赤味が強い紅紫色の花を咲かせるユキグニミツバツツジ(写真6)がみられます。ユキグニミツバツツジは、秋田県以南、鳥取県までの東北、北陸、山陰地方の日本海側に分布する日本海要素植物の一つです。名前からしても日本海側の多雪地域の代表のように思われますが、兵庫県ではその生育範囲はずっと南に下がっていて、六甲山や淡路島の諭鶴羽山にまで分布することが知られています(図1-C)。タニウツギのように但馬地域から丹波、摂津地域にまで連続的に分布する植物とは異なり、ユキグニミツバツツジの主たる分布域は但馬の山間地です。但馬地域より南では笠形山や六甲山、諭鶴羽山という比較的高い山地に分布が限られているので、タニウツギとは異なる経歴があるのかもしれません。

植物標本で種名を同定する
 ミツバツツジ類は分類のむずかしい群です。花が咲いている季節に野外で目にすると、ツツジであることはすぐにわかりますが、詳しく調べて決めないと、名前を間違うことがあります。コバノミツバツツジとユキグニミツバツツジは比較的区別しやすく、前者には葉の縁に細かな鋸歯がありその先に細く長い毛が生えていることや、葉裏の葉脈が著しく、葉柄に毛が密生するなどの特徴があります(図2-a)。ユキグニミツバツツジは、花色がより赤味の強い紅紫色であることのほか、葉の縁には鋸歯がなく、葉柄は無毛である(図2-b)ことなどで前者と区別できます。
 ユキグニミツバツツジが六甲山に生えていることは古くから知られていましたが、淡路島にあることは30年ほど前に初めてわかったことです。淡路島にはミツバツツジ類は少なく、諭鶴羽山で見られたものはコバノミツバツツジだと思われていました。ところが、どうも様子が違うということで標本の葉の毛の様子などが詳しく調べられた結果、ユキグニミツバツツジだと判明したのです。
30thanniv-plantsofhyogo-fig2n.jpg 兵庫県内には、この2種以外にもダイセンミツバツツジ、トサノミツバツツジ、オンツツジといったミツバツツジの仲間が生えていることがわかっています。ダイセンミツバツツジはユキグニミツバツツジとは変種の関係で、分布域が一部重なりますが、葉柄に毛が密生することから区別できます(図2-c)。トサノミツバツツジとオンツツジはいずれも淡路島の山地で見つかっており、前者は花茎や果実に短い腺毛が密生すること、後者は葉柄に淡褐色の長毛が密生することなどから区別できます(図2-d,e)。
 花がない季節であっても、標本をきちんと作っておけば、希少植物の産地が新たにわかったり、ないと思われていた植物が兵庫県に産することが新しくわかったり、思わぬ新発見につながることがあるので、標本を蓄積することは重要なのです。

東西方向で特異的な分布がみられる植物
 兵庫県の南北方向で分布域が異なる植物を見てきましたが、東西の方向でも分布域に特徴のある植物があります。カンザシギボウシは九州、四国、中国地方に分布し、兵庫県内では武庫川が分布の東限になります。同じ仲間のキヨスミギボウシは関東、東海、近畿地方にまで分布し、武庫川が分布の西限にあたります。フジとヤマフジも、東西の分布を見ると、おもしろい特徴があることがわかります。フジは、ほぼ全県的に分布していますが、ヤマフジは九州から四国、中国地方、兵庫県の西播磨地域にまで分布し、市川より東になるとぱたっとなくなります。チトセカズラ、ナツアサドリも中国地方のいくつかの県に分布していますが、兵庫県の西播磨が分布の東限で、それより東側には分布しません。コヤスノキはもっと分布域が狭く、岡山県南東部と西播磨にだけ生えています。
 このように分布域の南北の境界や東西の境界が兵庫県内にある植物は、けっこうたくさんあります。こういった植物の県内における詳しい分布を明らかにするためにも、博物館の植物標本が役立っているのです。

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