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シリーズ「人と自然,地域と向き合う-人博の多様な調査・研究活動の歩み」(第11回~第15回)

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第15回「『非認知的能力』から読み解く博物館での学び」(人とむきあう)

八木 剛(兵庫県立人と自然の博物館 主任研究員)


 みなさんは,何をしに博物館へ行きますか?勉強ですか,遊びですか?
 博物館は,実物資料とそれに精通する専門家,付帯する施設を通して,人々に学びの機会を提供する教育機関です。専門的な知識の提供は博物館の得意とするところで,社会からもその役割を期待されています。しかし,多くの利用者が博物館に求めている,あるいは博物館から提供される学びは,必ずしも知識だけではありません。これは,多種多様な利用者と日々向き合っている博物館人の多くが実感していることですが,学びの中身が何なのかについては,あまり深く議論されていませんでした。
 ひとはく(人と自然の博物館)が開館した1992年から四半世紀を経て,学びを取り巻く社会情勢はずいぶん変化しました。ITの発達によって専門的な知識もインターネットを通して今や簡単に入手できます。AIの実用化でさらに状況は変わっていくのでしょう。そんな新しい時代を前に今,「非認知的能力」という概念が注目されています。
 博物館が利用者に提供する学びのうち,知識ではないもやもやとしたものは何かという疑問は,それを非認知的能力に関するものと考えると,すっきり氷解します。もやもやしたものをうまく説明できるということは,博物館の利用者にとっても,サービスの提供者にとっても,喜ばしいことではないでしょうか。自分の経験も交えて,これについてもう少し考察してみたいと思います。

「非認知的能力」の再認識
 国立教育政策研究所は,2017年3月に「非認知的(社会情緒的)能力の発達と科学的検討手法についての研究に関する報告書」を上程しました1)。国際的な潮流となりつつある非認知的能力の育成を,わが国でも今後の教育目標(とくに学校教育)に取り入れる必要があるかもしれない。そこで,その内容がどんなものであるか,測定や記述の方法にはどのようなものがあるかについて,まずはレビューをして,今後の研究のための基礎資料としよう,というのがこの報告書の趣旨です。報告書によると,次のような背景があります。

 "OECD(経済協力開発機構)は,2015年に「Skills for Social Progress: The Power of Social and Emotional Skills」というレポートを刊行しました。このレポートでは,社会の発展や個人のwell-beingにつながるような,我々人間が持つさまざまなスキルを,認知的スキルと非認知的スキルに大きく整理して捉えており,後者を「社会情緒的スキル(Social and Emotional Skills)」と呼んでいます。
 認知的スキルは,知識,思考,経験を獲得する能力であり,獲得された知識に基づく解釈や推論などが含まれます。一方,社会情緒的スキルは,「長期的目標の達成」,「他者との協働」,「感情を管理する能力」の3つの側面に関する思考,感情,行動のパターンであり,学習を通して発達し,個人の人生ひいては社会経済にも影響を与えるものとして想定されています。
 青少年を対象とした9つの国での調査結果によると,認知的スキルは高等教育への進学や雇用,収入などでの成功を予測していますが,非認知的スキルの状態は後の認知的スキルの状態を予測するという分析がなされています。また,ある時点でのスキルが将来のスキルの状態を予測するというパターンが示され,早い段階でスキルを高めるような教育の重要性が強調されています。認知能力に対する教育に加えて,これまで過小評価されがちであった非認知能力の発達やその教育にも注目していくことの必要性が論じられています。"

 非認知的能力と言われるものの内容は,抽象的かつ難解で,私が解説しきれるものではありません。例えてみると,学力以外の個人の能力や性質,やる気,持続力,好奇心などが,学習に向かう力になり,学力の向上にも結びつく,ということでしょうか。近年の学校教育での「アクティブラーニング」も,これに関連しているようです。昔から朝礼での校長先生の訓示などで「よく遊び,よく学べ」と言われてきました。遊びを非認知能力の向上に資するものと解釈すると,どの程度遊べばどの程度の学力に結びつくのかが具体的にわかってきた,ということでしょう。

幼児教育・保育の要領・指針で見る「非認知的能力」
 非認知的能力の測定はむずかしいけれども,それが重要であることは経験的にわかっていましたし,幼児教育・保育の場では,その育成がかねてより重視されていました。2017年,幼稚園教育要領(文部科学省),保育所保育指針(厚生労働省),幼保連携型認定こども園教育・保育要領(内閣府・文部科学省・厚生労働省)がともに改定され,2018年4月から適用されました。これらを一読すると,生涯にわたる人格形成の基礎を培う幼児教育のねらいの中心が,用語こそ使われていませんが,非認知的能力の育成であると理解できます。
 要領・指針では,ねらいが総合的に達成された結果として,小学校就学時の具体的な姿(「10の姿」と称される)が示され,保育所保育指針2)では次のようになっています。

 幼児期の終わりまでに育ってほしい姿
 ア 健康な心と体
 イ 自立心
 ウ 協同性
 エ 道徳性・規範意識の芽生え
 オ 社会生活との関わり
 カ 思考力の芽生え
 キ 自然との関わり・生命尊重
 ク 数量・図形,文字等への関心・感覚
 ケ 言葉による伝え合い
 コ 豊かな感性と表現


 「10の姿」の一つ「キ 自然との関わり・生命尊重」の内容は,次のように解説されています3)

 "子どもは,保育所内外の身近な自然の美しさや不思議さに触れて感動する体験を通して,自然の変化などを感じ取り,関心をもつようになる。卒園を迎える年度の後半には,好奇心や探究心をもって考えたことをその子どもなりの言葉などで素直に表現しながら,身近な事象への関心を高めていく。子どもが身近な自然や偶然出会った自然の変化を遊びに取り入れたり,皆で集まった時に保育士等がそれらについて話題として取り上げ,継続して関心をもって見たりすることなどを通して,新たな気付きが生まれ,更に関心が高まり,次第に自然への愛情や畏敬の念をもつようになっていく。この頃の子どもは,身近な自然事象などに一層好奇心や探究心をもって関わり,気付いたことや考えたことを言葉などで表現しながら,更なる関心をもって自然に触れて遊ぶようになる。"

 最後の一文の「遊ぶ」を「勉強する」や「研究する」に置き換えて読めば,非認知的能力が認知的能力,あるいは学力へつながることの,わかりやすい解説になります。

学校より幼稚園・保育所・こども園と相性がよい,ひとはく
 「美しさや不思議さに触れて感動する体験」は,好奇心や探究心といった子どもたちの非認知的能力を開花させるトリガーとなります。しかし,幼稚園や保育所で感動するような体験を用意し続けるには,苦労が伴います。
 幸いにも,美しいものや不思議なものをたくさん持っていて,身近な自然の扱いに精通した専門家がいるところがあります。それは,博物館です。博物館の保有する資料や人材が幼稚園・保育所の現場で活躍することは,幼児たちのさまざまな能力を育成するにあたって,大きな援護射撃となります。ひとはくは,これまでも多種多様な相手と連携して事業を行なってきましたが,とりわけ幼稚園・保育所との親和性が高いのは,このような双方の特性による当然の帰結でした。
 開館25周年となった2017年度にひとはくは,「25」にちなんで,移動博物館車「ゆめはく」を活用したキャラバン事業を増強し,幼稚園等25箇所,小学校25箇所,合わせて50箇所を訪問しようと計画しました。訪問先の募集にあたって,同じ時期に,兵庫県内の幼稚園・保育所・認定こども園合わせて約1,300園,小学校約600校,中学校約260校へ,案内チラシ(写真1)を送付しました。その結果,幼稚園等から90園,小学校から5校の申し込みがあり,中学校からの申し込みはありませんでした。ただし,学校宛のチラシは他の出版物と同梱されていたため,発見されなかった可能性があります。指導内容や授業の進行による制約の大きい学校に対し,遊びを主体とする幼稚園等では,ひとはくからやってきた標本資料やスタッフが,美しさや不思議さに感動する素材やそれを助ける人材として,活用されやすいのでしょう。
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写真1 Kidsキャラバン(左)とSchoolキャラバン(右)の2017年度募集チラシ
 Kidsキャラバンのチラシは兵庫県内の幼稚園・保育所・認定こども園の計約1,300園へ,Schoolキャラバンのチラシは,同じく小学校約600校,中学校約260校へ,直接送付した。

知識偏重から脱却したひとはく
 大学の研究所を併設し,鳴り物入りで開館したひとはくは,当初,知識の提供を重視していました。普及教育機能の事業説明には,学校教育の補完,理科教育の再検討,知識の普及,などのキーワードが並び,「大学院程度の内容の講義を行い,県民の高度な知識要求に応える」ための「特別集中セミナー」なども実施していました。しかし,知識偏重ともいえるスタイルは,あるときを境に大きく変化します。
 開館から10年に満たない2000年,「行政課題解決に向けた実践的研究活動,生涯学習社会に即した県民に魅力ある博物館活動を行う,活力ある博物館への転換」を図るため,事業や組織に関する改革「人と自然の博物館の新展開」に着手しました。一言で言えば,提供者の視点から,利用者主体の視点への転換でした。それ以後,ひとはくの提供サービスの内容は,展示,普及教育,シンクタンクなど,あらゆる場面で少しずつ変化してきました。

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写真2 カブトムシの拡大模型(2017年9月,丹波篠山市のキャラバン会場)
 開館当初はなかった昆虫大型模型は,2020年現在8体あり,記念撮影スポットとして人気となっている。幼稚園・保育所へのキャラバンでも活用されている。
 先に述べたキャラバン事業も生まれ,基幹となる常設展示も徐々に変化を遂げました。ひとはくでは開館以来,大規模な展示リニューアルをしていませんが,収蔵資料の充実に伴ってコーナーごとに小さな更新を重ねてきました。次第に説明パネルや映像は少なくなり,実物資料が少しずつ主役の座を取り戻していきました。実物資料自体に対象年齢はありませんから,観覧者は,成長段階や興味関心に応じて,自由な解釈で鑑賞できます(写真2)。こうして利用者のニーズに真摯に対応してきたことが,利用者層の幅を広げることにつながりました。
 近年のひとはくでは,小さな子どもの手を引いた家族連れが「今日は楽しかったね」と会話しながら笑顔で館を後にする姿を,多く目にするようになりました。四半世紀を経て,必要な人にはじゅうぶんな知識を,はじめての人にもたくさんの思い出を,持ち帰ってもらえる魅力的な博物館へ成長したのではないかと思います。

子どもから大人まで,博物館で,遊んでください
 非認知的能力の発達の重要性は,幼児期に限りません。「美しさや不思議さに触れて感動する体験」は,青少年であっても大人であっても,学びの促進に大きな役割を果たします。それは,先に述べた保育所保育指針解説の文章中の子どもを児童や学生に,保育所を学校や家庭に,保育士を研究員に置き換えても,じゅうぶん通用することからもわかります。
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写真3 夜通し虫とりをし続け,翌朝,眠りに落ちた中学生(2020年7月,淡路市)
 中学生限定のひとはく主催セミナー「ユース昆虫研究室」にて。集合・解散以外のスケジュールは特になく,自由に虫とりをする場として,2001年から開催している。
 私は,昆虫をテーマとしたセミナーやイベントを各地で実施してきました。その一つとして,中学生だけを対象としたセミナーを2001年から続けています(写真3)。初めの頃に試みた昆虫学の講義は,まったく相手にされませんでした。彼らが求めているものは明らかに,専門的な知識ではなく,自由に活動のできる場と,自在にコニュニケーションの取れる仲間でした。この傾向は,家族対象でも,大人対象でも,同じです。
 博物館の特徴は,実物(展示・収蔵資料,そして研究員)に触れ,だれでも,いつでも,いつまでも,自由な方法で学べる,という学びのスタイルを,どこまでできるかは別として,提供できることです。このような主体的で自由な学びのスタイル,例えば,ぶらっと展示を見るとか,公園を散歩するとか,山へ虫とりに行くとかの行為は,多くの場合「遊び」と称されています。だとすれば,博物館はまぎれもなく「遊び場」,しかも内容にこだわった遊び場ということになります。
 これまでは,博物館を「遊び場」と公言することに,とくに博物館内部では,抵抗を感じる人が少なくありませんでした。それは,教室に生徒を集めて先生が講義するという学校教育の伝統的な学びへの信奉や,「遊んでないで勉強しなさい」という親の小言に象徴されるように,遊びと学びを区別してとらえる考え方から抜け出せていなかったからだと思います。「遊び」を「非認知的能力の育成」に言い換え,「学び」と同等に評価できれば,博物館は専門的知識の伝授のみならず,非認知的能力の獲得や開花にも大いに貢献している,と安心して発信できるにちがいありません。
 みなさん,これからも博物館へ遊びにきてください。ひとはくの準備は整っています。

参考文献
1) 遠藤利彦(2017)非認知的(社会情緒的)能力の発達と科学的検討手法についての研究に関する報告書.国立教育政策研究所,281p.
2) 厚生労働省(2017)保育所保育指針.厚生労働省告示第百十七号.
  https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/0000160000.pdf
3) 厚生労働省(2018)保育所保育指針解説.374p.
  https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/0000202211.pdf

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第14回「日本を代表する森林,照葉樹林の保全に向けた研究」(自然とむきあう)

石田弘明(兵庫県立大学自然・環境科学研究所 教授)


 私は,大学4年生のころから照葉樹林の研究に取り組んでいます。亜熱帯・暖温帯の多雨地域に分布する常緑広葉樹林を照葉樹林といいます。照葉樹林は日本を代表する森林の一つで,縄文時代晩期の約3000年前には東北地方以南の低地帯を広く覆っていました。しかし,今では自然性の高い照葉樹林はごくわずかしかみられません。全盛期の面積の0.06 %程度しか残っていないといわれるほどです。どうしてこのようになってしまったのでしょうか?その理由は,数千年にわたる様々な人間活動によって破壊されてしまったからです。
 わずかに残された照葉樹林を保全することはとても重要です。しかし,残念なことに照葉樹林の減少は現在も各地で進んでいます。都市化の進展などに伴って,照葉樹林は破壊される傾向にあるからです。完全に破壊されて消滅してしまったものも少なくありません。その上,近年はニホンジカによる照葉樹林の被害も多くの地域で発生しています。
 このような危機的状況にある照葉樹林をできるかぎり未来へ継承したいという思いから,私は「照葉樹林の保全に向けた研究」をライフワークにすることにしました。ここでは,私がこれまでに行ってきた研究を紹介したいと思います。

鎮守の森
 離島や九州などには自然性の高い照葉樹林がまとまった面積で分布しています(写真1)。しかし,その他の地域では,断片・孤立化した小面積の照葉樹林が「鎮守の森」として残されているにすぎません(写真2)。私は,断片・孤立化した照葉樹林の実態の解明とその保全を図るために,宮崎県,長崎県対馬,兵庫県,京都府の合計103地点で,鎮守の森として残されている様々な面積の照葉樹林を対象に,そのフロラ(植物相),面積,立地条件などを調べました。

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写真1 自然性の高い照葉樹林(撮影地は宮崎県綾町) 写真2 鎮守の森として残されている照葉樹林(撮影地は兵庫県南あわじ市)
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図1 4地域における断片・孤立化した照葉樹林の面積と照葉樹林構成種数の関係

 フロラの調査では,林内で発見した植物の名前をひたすら調査用紙に記録していきます。とてもシンプルな方法ですが,すべての植物の名前を記録するためには林内をくまなく歩き回る必要があるので,広い樹林では非常に多くの時間がかかります。また,背の高い木やそれに着生している植物は,葉を直接観察することができないので,名前を調べるのは大変です。高倍率の双眼鏡を使って葉を観察したり,落ち葉を探したり,落ち葉がないときは石や枝を投げて葉を落としたりします。大きさが数cm以下の微小な植物も調べる必要があるので,一つの樹林の調査に数日を要したこともあります。
 森の中をひたすら歩き回ってすべての植物の名前を記録するという調査には,かなりの忍耐が必要でした。しかし,苦労して集めた103地点のデータを解析すると,照葉樹林の面積と照葉樹林を構成する種数の間には予想以上に密接な関係があることがわかりました(図1)。この関係は地域の違いを超えた一般的な傾向であることも判明しました。つまり,鎮守の森として残されている照葉樹林の種多様性は面積によって強く規定されていたのです。
 では,個々の種の分布と面積の間にはどのような関係があるのでしょうか?全ての種についてそれを調べると,驚いたことに大面積の樹林に偏って分布している種が数多くみられました。また,絶滅危惧種に指定されている種のほとんどは,このような大面積依存型の種でした。これらの事実は,照葉樹林の種多様性を維持するためには面積の確保が不可欠であることを示しています。

屋久島,黒島,口之島,中之島の照葉樹林
 大隅諸島とトカラ列島は九州と奄美大島の間に位置する島嶼群で,気候的には暖温帯から亜熱帯への移行帯に位置しています。人間活動が活発化する前は,両島嶼群に属する多くの島が照葉樹林に覆われていたと推察されます。しかし現在,高い自然性を有する照葉樹林は屋久島,黒島,口之島,中之島など一部の島でしかみられません。大隅諸島・トカラ列島特有の生態系と生物多様性を未来へ継承するためには,こうした照葉樹林を適切に保全することが必要です。
 世界自然遺産の登録地である屋久島では,自然性の高い照葉樹林を対象とした調査が古くから行われており,その種組成や種多様性などの特徴が明らかにされています。しかし,黒島,口之島,中之島では照葉樹林の調査はわずかしかなく,屋久島,黒島,口之島,中之島に分布する照葉樹林の種組成・種多様性の相違やその要因などはほとんどわかっていませんでした。これらの島々はそれぞれ異なるフロラを有しており,このことが4島に分布する照葉樹林の種組成・種多様性に何らかの影響を与えている可能性が考えられます。しかし,このような観点からの研究もまったくありませんでした。
 そこで私は,屋久島,黒島,口之島,中之島の低地部で自然性の高い照葉樹林の植生調査を行うと共に,各島のフロラに関する文献調査を実施しました。そして,これらの調査で得られたデータと気候条件・立地条件に関するデータをもとに,4島に分布する照葉樹林の種組成・種多様性の相違とその主な要因について検討しました。
 植生調査の方法は次のとおりです。まず,林内に100 ㎡(10 m×10 m)の調査区を複数設けて,調査区内の樹林の階層を5層または4層に区分します。次に,これらの階層ごとに全維管束植物の出現種のリストを作り,各出現種の被度(%)を測定します。林冠を構成する樹木については胸高周囲も測定します。さらに,調査地の立地条件として緯度・経度,海抜,傾斜角度,斜面方位などを記録します。このように植生調査はとても手間のかかる調査です。一つの調査区に2時間以上かかることも少なくありません。それでも合計56個の調査区を設置して,どうにかこうにか調査を終えることができました。
 このようにして得られた貴重なデータを慎重に解析した結果,照葉樹林の種組成は4島の間で明らかに異なっており,その相違は屋久島と他の3島との間で特に大きいことが確認されました。種多様性は屋久島が最も高く,他の3島との間に明らかな差がみられました。では,なぜこのような違いが生まれたのでしょうか?様々な要因を検討したところ,種組成・種多様性の相違には島全体のフロラと潮風条件(潮風の影響の強弱)が大きく関係していることがわかりました。
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写真3 ヤクシカの採食圧によって衰退した照葉二次林(撮影地は鹿児島県屋久島)
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図2 屋久島の照葉二次林における下層の照葉樹林構成種数とシカ密度の関係(図中のrはSpearmanの順位相関係数)

屋久島の照葉二次林
 屋久島には照葉樹が優占する二次林(以下,照葉二次林)が,比較的まとまった面積で数多く分布しています。照葉二次林の多くは,かつて里山林として利用・管理されていましたが,1960年代以降は放置されたままです。屋久島における照葉樹林フロラの維持と照葉樹林生態系の復元を図るためには,放置されている照葉二次林の保全とその自然性の向上が不可欠です。しかし,屋久島に分布する照葉二次林の研究はわずかしかなく,その自然性の程度はよくわかっていませんでした。また,屋久島では近年,ニホンジカの亜種であるヤクシカの増加とそれに伴う森林生態系の衰退(写真3)が大きな問題となっていました。
 屋久島の照葉二次林を適切かつ効果的に保全するためには,まず自然性の程度とシカによる被害の実態を明らかにする必要があります。そこで私は,シカの生息密度(以下,シカ密度)が異なる様々な場所で照葉二次林の植生調査を行いました。また,照葉二次林の自然性の程度を明らかにするために,そのデータを「屋久島に分布する自然性の高い照葉樹林」(以下,照葉自然林)のデータと比較しました。調査区数は最終的に133区となりましたが,これほど多くのデータを1回の調査で得ることは不可能なので,調査の開始以降は毎年のように屋久島を訪れ,少しずつデータを集めていきました。その結果,調査の完了までに10年,論文の出版までに12年の歳月を要しました。
 大変苦労して入手したデータをもとに,ともにシカ密度の低い照葉二次林と照葉自然林を比較したところ,前者は後者よりも種組成が単純で種多様性も非常に低いことがわかりました。シカ密度の低い照葉二次林とシカ密度の高い照葉二次林の比較などからは,照葉二次林の種多様性はシカの採食圧によって大きく低下していることが明らかになりました(図2)。
 これらの結果は,屋久島の照葉二次林の自然性が照葉自然林のそれと比べて格段に低いこと,また,シカの強い採食圧がその自然性をさらに低下させていることを示しています。

口永良部島の照葉二次林
 屋久島の西方約12 kmに位置する口永良部島は,屋久島国立公園およびユネスコエコパークに指定されている火山島です。口永良部島の火山活動は現在も続いています。2015年には爆発的な噴火が発生し,すべての住民が島外へ避難する事態となりました。
 このような火山活動にも関わらず,口永良部島の大部分は森林に覆われています。これらの森林は複数のタイプに区分できますが,特に分布面積の広いタイプは照葉二次林です。照葉二次林には絶滅危惧種を含む多種多様な生物が生育・生息しているので,この森林は同島の生物多様性を支える極めて重要な存在であるといえます。
 火山島である口永良部島の表層地質は,大部分が安山岩質の溶岩原と火山砕屑物(火山灰,スコリア,軽石)の堆積地となっています。溶岩原には露岩が数多く分布しています。このような露岩の高さは数十cmから数mと様々で,中には6mを超えるようなものもあります。照葉二次林は溶岩原と火山砕屑物堆積地の両方に分布していますが,同島の照葉二次林を対象とした調査はわずかしか行われていないため,表層地質の違いや露岩の多寡が照葉二次林の種組成・種多様性にどのように影響しているのかは不明でした。そこで私は,口永良部島の照葉二次林を調査し,その種組成・種多様性と表層地質,特に露岩の多寡との関係について検討してみました。
 本研究では,照葉二次林に41の調査区を設けて植生調査を行いました。その結果,照葉二次林の種組成は溶岩原と火山砕屑物堆積地の間で大きく異なることが明らかになりました。種多様性は,溶岩原の方が火山砕屑物堆積地よりも高い傾向が認められました。これらのことから,口永良部島では地質条件,特に露岩の多寡が照葉二次林の種組成・種多様性に大きな影響を及ぼしており,溶岩原が照葉二次林の種多様性の保全にとって極めて重要な立地であることがわかりました。

これからも
 私の専門分野は,植生学をベースにした保全生態学です。日本における保全生態学の歴史はまだまだ浅く,その研究は発展途上の段階にあるといえます。しかし,森林破壊,種の絶滅,生物多様性の低下,生態系の衰退といった環境問題の解決には保全生態学の研究が不可欠です。私はこれからもこの分野の研究に力を注ぎ,上述のような研究を進めることによって,人と自然が共生する持続可能な社会の実現にできるかぎり貢献したいと考えています。

参考文献
石田弘明(2017)森林のサイズと生物多様性.福嶋 司(編著),「図説 日本の植生 第2版」,160-161,朝倉書店,東京.
石田弘明(2020)屋久島,黒島,口之島,中之島に分布するシイ型照葉樹林の種組成および種多様性.植生学会誌,37,85-99.
石田弘明・服部 保・黒田有寿茂・橋本佳延・岩切康二(2012)屋久島低地部の照葉二次林に対するヤクシカの影響とその樹林の自然性評価.植生学会誌,29,49-72.
石田弘明・矢倉資喜・黒田有寿茂・岩切康二(2018)口永良部島における照葉樹林の種組成,種多様性と表層地質の関係.植生学会誌,35,35-46.

図2は植生学会誌29巻2号から植生学会の許可(No. 1036)を受け転載したものです。著作権は植生学会誌に帰属しているため、本記事からの複写はできません。

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第13回「アフリカ・タンガニイカ湖での調査研究」(自然とむきあう)

高橋鉄美(兵庫県立大学自然・環境科学研究所 教授)


地質学的に珍しい湖
 アフリカ東部には,巨大な大地の裂け目である大地溝帯が南北に走っており,そこに水が溜まって湖沼群を形成しています。タンガニイカ湖はその湖沼群にある湖の一つで,南北に650km(東京-大阪間の距離の1.5倍以上),幅は平均50kmにもなる巨大な細長い湖です。湖面の面積は32,600km2で,兵庫県の面積の4倍近くもあります。最深部は水面下1,470mで,世界の湖の中ではバイカル湖に次ぐ第二位の深さです。一般に湖は,数千年ほどで土砂の流入によって埋まってしまうのですが,タンガニイカ湖は活発な地殻変動のため,埋め立てられるよりも早い速度で深くなり,1千万年以上も水を維持し続けています。このように古くから存続している湖は「古代湖」と呼ばれ,世界に20ほどしかありません。このためタンガニイカ湖は,地質学的に珍しい特徴を持っている,と言うことができます。

多様なシクリッドが生息
 しかしこの湖は,それだけではなく,住んでいる魚にも特徴があります。その魚はカワスズメ科(通称シクリッド)に含まれ,湖に250種ほどが生息しています。これらのほとんどはこの湖にしか生息していない固有種で,1種の祖先種から進化したことが分かっています。このシクリッドは,形態や生態がとても多様です。例えば体サイズでは,巻貝の空殻を隠れ場所や産卵場所として利用する体長3cmくらいの小さな種(写真1)から,深場と浅場を大規模に回遊する体長50cmにもなる大きな種(写真2)まで,さまざまです。
 この魚は全ての種が子供の保護をするのですが,岩の隙間に産卵して両親で世話をする種や,卵や稚魚を口の中で育てて外敵から守る種などが知られています。婚姻様式もさまざまで,魚としては珍しい一夫一妻や,オスの大きな縄張りの中に複数のメスが小さな縄張りを作る一夫多妻,逆にメスの縄張りの中に複数のオスがいる一妻多夫,またメスが一回の産卵で複数オスと繁殖する乱婚などが知られています。

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写真1 タンガニイカ湖で最小のNeolamprologus multifasciatus
巻貝の空殻を使って繁殖する。右の大きな個体がオス,左がメス。

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写真2 タンガニイカ湖で最大のBoulengerochromis microlepis
水中の点々は稚魚で,ペアで守っている。
オスの方が若干大きいが,この写真ではどちらがオスか分からない。

 最近では,ヘルパーと呼ばれる若い個体が繁殖を手伝うという社会性を持つ種の存在も,明らかになってきました。これほど繁殖生態が多様な生物種のグループは,他に類を見ません。食べ物も種によって特殊化しており,魚食,エビ食,ベントス(底生生物)食,プランクトン食,藻類食,さらには生きた魚の鱗を剥ぎ取って食べる鱗食などがあり,それぞれの種が食性に適した形態に進化しています。これら多様な種が,たった1種から比較的短い時間で進化(適応放散)したことを考えると,このシクリッドが極めて特殊で,進化研究に適したグループであることが分かります。

分かるところから研究する
 私は大学4年生のときにこの魚に出会い,以来30年近くのあいだ研究を続けています。いまでも興味は尽きません。これまで行った研究のテーマはさまざまで,6年ほど前にこの研究所(博物館)に来てからは,核DNA配列を使った系統解析,体サイズを決める生態的要因の探索,頭部にあるコブの進化の解明,新しい生態型の発見,体色変化の進化の解明などを行って来ました。これらの研究テーマは,一貫性がなくバラバラに見えるかも知れません。しかしそれは,タンガニイカ湖シクリッドがあまりにも多様で,手をつけられる所から調べた結果,このようになってしまったのです。「タンガニイカ湖シクリッドはどのように多様化したのか?」という大きなパズルのピースを,分かる所から一つずつ埋めている,といったイメージです。

研究へのモチベーション
 このように私は,タンガニイカ湖シクリッドに魅了され,「知りたい」を追求して,長いあいだ研究を続けて来ました。また,この世界的に貴重な魚類の進化を解明することは学界への貢献度も高く,研究への使命感もあります。しかし,それだけで研究へのモチベーションを維持することがむずかしいと,感じることがあります。現地に赴くのに片道で最低2日間,通常は3~4日間の修行のような旅をしなくてはなりません。とくに,満員バスに16時間以上揺られるのは苦行です。現地ではいまだに,言葉の壁でモヤモヤすることもあります。研究費を得るのに,相当な努力も必要です。年齢とともに,体力も発想力も衰え,ときに弱気になることもあります。それでもモチベーションを維持できるのは,探究心と使命感に加え,現地での生活が要因の一つとして挙げられるかも知れません。
 現地調査での一般的な生活は,次のようなものです。朝8時半に家(通称「日本人邸」)を出て,現地のコックス(艇長)が操縦するボートで調査地に移動し,午前中に潜水調査を一本行い,水から上るとコックスが準備してくれた出来立ての昼食をとり(トウモロコシの粉を練った「シマ」と魚の燻製「チニョンゲ」のトマト煮が定番),体内の窒素濃度を下げるためにもう少し休んでから二本目の潜水調査を行い,午後3時頃にボートで日本人邸に帰ってきてサンプルの処理やデータの整理をします。日本人邸では現地のガードマンを雇っており,彼らが警備のほか,家の掃除や庭の手入れ,さらに朝食と夕食の準備もしてくれます。研究や生活のサポートをしてくれる現地スタッフは素朴で,彼らと接していると,日本でのストレスがスーッと抜けて行きます。
 青い空の下,広い湖を眺めていると,生きていることを実感します(写真3)。私にとって現地調査は,それ自体に研究のモチベーションを上げる効果があるようです。

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写真3 ンクンブラ島から見た湖
主な調査地のひとつ。無人島のため,静かで落ち着く。

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第12回「可憐な花,オチフジの謎にせまる」(自然とむきあう)

高野温子(兵庫県立人と自然の博物館 主任研究員)


可憐で希少な植物―オチフジ
 植物の分布には地形や気候,地史などが影響します。本州の中央より少し西に位置する兵庫県には,その結果として現在,様々な植物の分布の西限や南限などの境界があり,豊かな植物相が成立しています(高橋,2019)。ここでは多様な植物の中でもずっと限られた分布をする,オチフジというシソ科の小さな植物の話をします。
 オチフジ(写真1)は,花咲く姿がまるで散り落ちたフジの花のように見えることからその名がついたと言われています。沢筋に近い,小さな岩くずで覆われた斜面上に生え,落葉樹林の林床を覆うように鋸歯のあるひし形の葉を広げて,フジと同じ4月下旬から5月中旬頃まで花を咲かせます。植物体は高さ10~15cm程度と小さいのですが,薄紫色の花は花冠長が3~4cmと,不釣り合いに大きくなります。葉を揉んだり,少しちぎって匂いをかいでみると強いカメムシ臭がして,可憐な姿とのギャップに戸惑います。
 オチフジの学名はMeehania montis-koyae Ohwiです。Meehaniaはラショウモンカズラ属の学名です。ラショウモンカズラ属は,北米と東アジアに隔離分布する10種足らずの小さな属です。属名(Meehania)の後に来るmontis-koyaeは,種小名といって種を特定する名前で,その意味はmontis=山,koyae=高野,つまり「高野山」です。Ohwiはオチフジの学名の名づけ親,大井次三郎氏の名字です。大井氏が,和歌山県の高野山から採集された植物に,オチフジという名前と山の名を冠した学名をつけました。
 オチフジの分布も,和歌山県と兵庫県西播磨地方だけ(福岡・黒崎1987)と,変わっています。和歌山県では高野山以外の産地は知られておらず,そこでもすでに絶滅したと考えられています(環境省生物多様性センター)。今も野生のオチフジがみられるのは,西播磨地方だけです。生育地が減少していることから,オチフジは,環境省レッドリスト(RL)で絶滅危惧1B類,和歌山県レッドデータブック(RDB)で絶滅危惧1A類,兵庫県RDBでAランクに指定されている希少種です。

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写真1 オチフジの群生

 その希少性ゆえオチフジの研究はほとんど行われておらず,生活史は謎につつまれていました。花の時期はわかっていても,種子が何時どのくらいできるのか,調べた人もいなければ,送粉様式もわかっていませんでした。希少で絶滅が危惧されているにもかかわらず,その保全を考えるうえで重要な情報が何一つない状態だったのです。そこで私は,2009年4月からオチフジの生活史を明らかにするべく,黒崎史平氏(現兵庫県立人と自然の博物館特任研究員)・迫田昌宏氏((株)中外テクノス)と共同で,交配様式や季節ごとの消長について調査を行ってきました(高野ほか,2014)。

オチフジが少ないわけ
 交配様式については,花期に調査地を訪れ,袋かけ(つぼみにメッシュの袋をかけ,開花が終わるまで放置する),自家受粉(雌しべに同じ花の花粉をかけ,除雄(=おしべを取り除くこと)したのち袋をかける),他家受粉(雌しべに他個体の花の花粉をかけ,除雄したのち袋をかける),コントロール(何も操作しない比較対照)の4つの操作を行いました。それぞれの操作を行った花の開花が終わって2週間ほどしてから,それぞれの花がいくつの種子をつくっているのか調べました。オチフジに限らずシソ科の植物は一つの花に4つの分果(=種子)をつけますから,種子の数を数えるのは簡単です。2009年,2010年,1年おいて2012年は場所を変えて同じ実験を野外で行いました。
 詳細な数字は省きますが,自家受粉でも50%を超える確率で種子が稔ることから,自家和合性があることがわかりました。花の終わりには,雌しべが自らの雄しべに接触しているところも観察されました。また自家受粉も他家受粉も,実験操作を行わなかったコントロール花より結実率が高くなりました。このことからオチフジは,花粉を運ぶ送粉者が限られるため,結実率が低く抑えられているのではないかと推測されます。実際に交配実験の操作をしながら訪花する昆虫を横目で観察していましたが,花を訪れる昆虫はほとんどいませんでした。

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図1 オチフジの地上部(=シュート.赤い丸で囲んだ部分)と、地下茎(矢印でさした部分)
オチフジの一年
 オチフジの一年の生活史を追うため,交配実験を行った調査地に大きさ約60×40cmの方形枠(コドラート)を2つ設定し,2009年5月から2010年2月の間,毎月コドラート内のオチフジの消長について調査しました(高野ほか,2010)。オチフジは地下茎を伸ばして複数のシュート(=地上に現れた茎と葉のひとまとまり)を展開する多年草であるため(図1),どこまでが一個体かはよくわかりません。ここでは,地上に現れた茎と葉のひとまとまりを「地上部」と呼び,「個体」にかわる単位として用いました。コドラートは,2009年に開花しなかった地上部の集まる場所を選んで設置しました。開花した地上部はその後結実,消失する可能性が高いからです。
 毎月現地に出向いてデジタルカメラで全景を撮影し,地上部の消長を記録しました。おもしろいことに,2つ設置したどちらのコドラートでも地上部は夏から秋にかけて次々に消えていきましたが,地上部が全て消失するわけではありません。新しい地上部が,8月の終わりから12月にかけて,入れ替わるように現れました。このオチフジの新たな地上部の出現時期は,主に10月以降であることもわかりました。これは,ちょうどオチフジ集団を覆う林を形成している落葉樹の類が葉を落とし,林床が明るくなりはじめる時期と一致します。一方,コドラートの設置時に既にあった地上部は,ほぼ全てが12月までに枯れて消失しました。したがって,オチフジの地上部の寿命は,長くとも1年前後と推測できます。
 交配実験を通じてオチフジは野外でも結実していることが分かりましたが,コドラート内に新たに出現した地上部が実生(=種からの芽生え)由来なのか,現存する地下茎由来なのかは判別できませんでした。新しい地上部の出現場所はどこも,かつて大きな地上部が存在した辺りであることから,恐らくは実生の新規参入ではなく,現存する地下茎から新たな地上部が出現したものだと考えられます。
 オチフジの一年をまとめてみます。花芽の形成は3月から4月下旬,開花期が4月下旬から5月中旬で,結実は開花後の2~3週間後で完了します。その後秋が深まるまでは,開花の有無に関わらず現存する地上部が消えていく時期です。消失時期は,株により大幅に異なりますが,開花の有無や株のサイズとは関係がないようです。一方,早いものは夏頃から,多くは秋以降から翌年の春にかけてが,新規地上部の(おそらくは種子由来の実生も)出現・成長期となります。集団としては,開花・結実期に地上部が最も大きく,数も多く目立ちますが,全ての地上部が地表から姿を消すという時期はありません。

おもしろい分布―その理由は?
 オチフジは生活史もさることながら,その分布も非常にユニークです。和歌山県と兵庫県に隔離分布するという植物は,他にはありません。しかも和歌山県の生育地は,高野山内の奥の院の奥,ただ一箇所です。高野山といえば,空海が修行の場として開いた高野山真言宗の本山があるところです。古来の霊地にふさわしい景観を維持するため伝統的に一貫した森林施策があり,森林の樹種としてマツ・スギ・ヒノキ・コウヤマキ・モミ・ツガを高野六木と称して育成保護に努め,1000年以上前から何度も大規模な造林が行われています。
 小川(1958)では,「オチフジはこの山(高野山)としては特殊なもので,産量甚だ少なく触目することすら極めて困難」と書かれています。しかし,はるか昔から森林育成事業を行っていた大きな寺院の周辺だけが生育地というのは,ちょっと不自然です。ましてや奥の院は,その中で空海がいまだ瞑想を続けているといわれる,高野山の中でも聖地中の聖地です。一方,西播磨地域のオチフジは,産地こそ10箇所足らずで産量が多いとは言いかねますが,それでも30~40kmの広がりをもって点々と分布し,生育環境にも共通した特徴があります。
 西播磨の船越山のふもとに瑠璃寺というお寺があります。船越山は,西播磨にオチフジが生育していることが明らかになった最初の場所です。瑠璃寺は高野山真言宗の別格本山(本山に次ぐ格式のお寺)で,本山に僧侶を度々派遣してきました。その昔,瑠璃寺からオチフジを本山に献上した,あるいは瑠璃寺から派遣された僧侶が故郷を偲ぶためにオチフジを高野山に持ち込んだのではないかと,ひそかに疑っています。前出の小川(1958)の文中にも,「高野山は古来比叡山と並ぶ仏教界の名山として信仰の中心をなしていたから,僧侶や他の住山者の出身地も広く全国に渡っていた。それ故,山上の寺院にある草木中にはそのような人間が持ち込んだ植物が残っているのではないだろうか」という記述があります。

衝撃!―中国にもオチフジが
 2016年のことです。例年東京で開催される藤原ナチュラルヒストリー財団のシンポジウムが神戸で開催されることになり,講演を頼まれました。2014年以降しばらくオチフジ調査から離れていましたが,兵庫県での開催だから,兵庫にゆかりの深いオチフジの話をしようと思って最近の文献を探し,2015年に発表されたラショウモンカズラ属の系統地理学的解析の論文を読んでいて衝撃を受けました。中国の研究グループが発表した論文で,なんと日本のオチフジが材料として使われていました。もっと驚いたことに「中国産」オチフジまで解析に使われているではありませんか。日本固有で絶滅危惧種であるはずのオチフジが,いつの間に中国にも分布していることになったのか?あわてて文献を漁り,2011年のオチフジ中国新産報告論文(Xia & Liu,2011)に行きあたりました。中国の地方植物雑誌に掲載された中国語で書かれた論文で,完全に見落としていました。知らない間に,オチフジは日本固有の絶滅危惧種から日中両国に分布する植物になっていたのです。

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図2 核2遺伝子の塩基配列を用いたラショウモンカズラ属の最尤法分子系統樹(Takano et al., 2020, Figure 2を一部改変) 日本のオチフジと中国のオチフジは姉妹群となる。

 しかし,この論文に掲載されていた中国産オチフジのカラー写真は,日本のオチフジとずいぶん印象が違いました。本当にオチフジなのか?疑問が膨らみましたが,一人ではどうすることもできません。昨今は国をまたいで生物材料の情報を得ることに厳しい目が向けられているうえ,中国は制限が厳しい国という認識でした。そういうことも併せてシンポジウムで話したところ,聴講されていた伊藤元巳氏(東京大学教授)から京都大学の井鷺裕司教授が中国の浙江大学と2国間共同研究を行っていると教えていただき,その事務局の阪口翔太氏(京都大学)に連絡を取りました。そして,阪口氏から紹介された浙江大学のPan Li 副教授とオチフジの共同研究を始めることができました。
 日中のオチフジ約180個体から核の2遺伝子(ITS, ETS)の塩基配列とMIGseq解析のデータを得て,分子系統解析,集団遺伝解析,日中オチフジの分岐年代推定を行いました。分子系統解析からは,日中のオチフジは最も近縁であることが示されました(図2)。しかしSTRUCTUREというソフトを用いて集団遺伝解析を行ったところ,日中のオチフジ集団の間には最近の遺伝的交流は全くないことがわかりました。そこで両者の分岐年代をBEASTというソフトを用いて求めると,日中のオチフジはおよそ650 (360~980) 万年前の第三紀後半に分岐したと推定されました。
 この時代には地球全体が寒冷化するとともに,ベーリング陸橋が出現してユーラシア大陸と北米大陸が地続きになりました。Deng et al.(2015)によれば,この時代に北米に産する唯一のラショウモンカズラ属植物(M. cordata)と他の東アジア産ラショウモンカズラ属植物が分岐し,ラショウモンカズラと近縁の東アジア産種が南下と多様化を開始したと推定されています。おそらくは時を同じくして,オチフジの祖先も日本列島を南下した集団と現在の中国大陸を南下した集団に分かれていったものと考えられます。第四紀に入り氷期と間氷期が繰り返される間,西南日本と中国は何度か地続きになりました(Harrison et al.,2001)。その時に分布域を拡大し,遺伝的な交流を行っていた植物もあるようです。ただし,中国と地続きになった氷期の最盛時は乾燥しており(Harrison et al.,2001),湿潤な環境を好むオチフジが分布を拡大して日中を行き来していた可能性は低いと思われます。
 2019年には中国のオチフジ標本調査を行い,中国産オチフジの方が日本産よりも葉のサイズが有意に大きく,シュート当たりの花数も多く,シュートの高さも最大で40cmほどであるなど,日本産個体とは異なる特徴をいくつも見出しました。訪問先の標本庫を管理する研究者からオチフジの写真を多く提供していただき,花の唇弁に濃い紫色の斑点がでるという,日本のオチフジには見られない特徴も確認できました。
 このように,日中のオチフジは分岐年代が古く,分岐後も両者の間で遺伝交流がみられずに形態的に異なる特徴を持つことから,中国産オチフジをMeehania zheminensisという名前の新種として認めることを提案しました(Takano et al.,2020)。別種にしたとはいっても,日本と中国のオチフジが最も近縁な分類群同士であることに疑いの余地はありません。兵庫のごく限られた場所にひっそり生きる植物の最も近しい親戚が1500kmも離れた中国にいることに,植物と地球の長い歴史を感じます。

参考文献
Deng, T., Z.-L. Nie, B.T. Drew, S. Volis, C. Kim, C.-L. Xiang, J.-W. Zhang, Y.-H. Wang, H. Sun(2015)Does the Arcto-Tertiary biogeographic hypothesis explaind the disjunct distribution of Northern Hemisphere herbaceous plants? The case of Meehania (Lamiaceae). PLOS ONE 10, e0117171.
福岡誠行・黒崎史平(1987)本州西部植物地理雑記6.頌栄短期大学研究紀要,19,53-58.
Harrison, S.P., G. Yu, H. Takahara, I.C. Prentice(2001)Palaeovegetation: diversity of temperate plants in East Asia. Nature 413, 129-130.
小川由一(1958)紀伊高野山植物誌.信愛紀要第2号別冊.
高橋 晃(2019)兵庫の植物,その特異な分布と博物館の標本.シリーズ人と自然第1回,人と自然の博物館ホームページ,4p.
高野温子・迫田昌宏・黒崎史平(2010)オチフジ(シソ科)の地上部の季節的消長.兵庫の植物,20,37-40.
高野温子・迫田昌宏・黒崎史平(2014)交配実験から明らかになったオチフジ(シソ科)の繁殖様式.分類14(2),161-168.
Takano, A. S. Sakaguchi, P. Li, A. Matsuo, Y. Suyama, G.-H. Xia, X. Liu, Y. Isagi(2020)A narrow endemic or a species showing disjuct distribution? Studies on Meehania montis-koyae Ohwi (Lamiaceae). Plants 9, 1159; doi:10.3390/plants9091159.
Xia, G.-H., G.-Y. Li(2011)Meehania montis-koyae, a new record of Lamiaceae from China, Guihaia 2011, 31, 581-583 (in Chinese).

謝辞
 本稿の多くは,地元の愛好家から中国の研究者まで多様な人たちとの共同研究の成果です。現地調査の補助をして下さったオチフジクラブ2013の皆さま,人と自然の博物館 原 麻砂美氏,訪花昆虫を同定して下さった澤田佳久,橋本佳明,八木 剛の各氏に感謝申し上げます。生活史と交配様式の解析は平成21年度(財)ひょうご科学技術協会 奨励研究助成(高野 温子),MIGseq解析はJSPS二国間交流事業助成(代表:井鷺裕司)を受けました。

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第11回「コロナ禍でみえた身近な地域」(人とむきあう)

藤本真里(兵庫県立大学自然・環境科学研究所 准教授)


コロナで見えてきた「歩いていける地域」
 2020年4月に発令された緊急事態宣言で,生活は一変しました。世界中を巻き込むコロナ感染拡大による被害規模は,これまでに経験したことのないものです。震災のように橋やビルが倒壊するなど目に見える被害はありませんが,経済的な打撃は,はかり知れません。しかも,コロナ禍は,多くの人々のライフスタイルを劇的に変えることになりました。
 私は,一時期に在宅勤務となり,日に1時間くらい散歩するようになりました。昨年引っ越したばかりで,現在の自宅は植木の町,宝塚市の山本にあります。引っ越し先の様子をよく知らなかったこともあり,1時間で歩いていけるところは,ほとんど行き尽くしました。立派な庭がつづく道,お地蔵さんの多いゾーン,予想外に広い造園業者のバックヤード,そこに揃えられた多種の樹木,坂上頼泰公(木接太夫)を伝える碑,美味しいコーヒー豆を売っている店,駅前から少し歩いただけで行ける別世界のような渓谷にある最明寺の滝など,一人で歩いただけでも,見つけられるものがたくさんありました。
 身近な場所に感動するものを見つけることは,予想外にワクワクする作業です。コロナ禍は,これからも続きます。他府県に移動できない,在宅勤務が増えるなどの理由で,身近な地域との関わりがこれまでよりもずっと深くなるでしょう。それは一方では,地域を深く知る機会とも言えます。

地域の魅力を再発見
 島原万丈は,「本当に住んで幸せな街〜全国「官能都市」ランキング」(光文社)で,他者との関係性,五感で感じる身体性を基準に街を再評価しています。8つのジャンルごとに4つの評価項目があります。例えば,「買い物途中で店の人や他の客と会話を楽しんだ」(ジャンル:共同体),「カフェやバーで一人で自分だけの時間を楽しんだ」(ジャンル:匿名),「公園や路上で演奏やパフォーマンスをしている人を見た」(ジャンル:街を感じる),「木陰で心地よい風を感じた」(ジャンル:自然を感じる),「遠回り,寄り道していつもは歩かない道を歩いた」(ジャンル:歩行)といった具合です。このような質的な評価から,まちの雰囲気,居心地を感じることができます。
 これまでの都市のランキングを示す評価指標は,公園の面積,公共施設の数,病床数,空き家率などでしたが,どこか,それだけじゃないと感じていませんでしたか。上位にランキングされれば,なんとなく自慢になるけど,ランキングは,具体的なまちのイメージや魅力を伝えるものではありませんでした。
 職場にさえ通勤できなくなった状況で,身近な地域を見つめ直すことになって,私なりに「官能都市的評価指標」が思い浮かんできました。「近くの公園ではじめて会った人と会話を楽しんだ」,「近くの居酒屋で一人の時間を過ごした」,「お地蔵さんに供えられた生花に癒される」,「他人の庭を楽しみながら散歩できる」などなど。住んでいる人,訪れたことのある人にしか感じることのできない現象や人とのつながりを,五感で感じとり評価する指標さがしは,身近な地域の魅力を再発見するきっかけづくりに最適な作業です。

利用する人の工夫で価値があがる屋外空間
 私は,公園のマネジメントに関わっているので,身近な空間の中でも,とくに公園を訪れる人の様子が気になります。家の近くに広大な芝生広場があります。ラジオ体操,走り回る小さな子供連れの家族,ゆっくり散歩する高齢者夫婦,愛犬を連れた散歩,自転車に乗った小学生,寝転がって読書・ゲーム,友達や家族でランチ,ベンチに座ってゆっくり休む,池の鯉をながめる,などなどと,広場を利用する人の様子は,コロナ禍以前より多種多様です。コロナ感染への対応で互いにたいへんな中,公園でくつろぎたい気持ちはよくわかります。いろいろな活動を認め合える空気があったようにも感じました。一般に広大な芝生広場は,設備も遊具もなく,利用者が少ない傾向がありましたが,昨今は,そこにテントや遊具を持ち込み,それぞれがやりたいことで楽しむようになりました。遊具や設備で使い方が限定される屋外空間より,自由に使える芝生広場の方が,コロナ禍では重宝したようです。利用する人の工夫で価値があがる屋外空間には,いろいろな可能性がありそうです。
 最近,ひとはくの周辺にある深田公園では,座り込めるシートの上に約150冊の絵本を並べた「えほんの国」,寝そべるためのシート,家族などでランチに利用できるテントなどを配置し,そこでゆっくりくつろいでもらったり,お話するきっかけを作るためコーヒーサービスをしたりするなど,集まった人々が思い思いに過ごせる場-「そとはく」をつくろうとしています(写真1)。これは,「公園でこんな楽しみ方もできますよ」というよびかけでもあります。

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写真1 ひとはくのエントランス近くの芝生広場にテントやコーヒーサービスカウンターをセッティングした「そとはく」

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写真2 たくさんのあそび道具の中から好きなものを選べる「あそびカウンター」

 また,有馬富士公園の休養ゾーンにある広大な芝生広場で「あそびカウンター」(写真2)をセッティングし,ボール,フリスビー,凧などの遊び道具を無料で貸し出しました。大きな広場で多くの人々が「あそびカウンター」を利用し,いろいろな遊びをしている様子をみていると,私も嬉しくなります。運用には何の問題もありませんでした。使いすぎてだめになる道具もありますが,仕方ありません。みなさん,「すみません」と謝りながら返してくれます。最後は,いっしょに片付けてくれる人々もいます。あそびカウンターにいると,いろいろな人が話しかけてくれます。「何でこんなことをしているのか」,「なぜ,ここにきたのか」,「どこから来たのか」,「こんなことをしてほしい」,「ありがとう」など,このような会話で得られる情報も貴重です。これらの会話が,「公園で知らない人と会話を楽しんだ」という経験につながり,さらに休養ゾーンへの愛着につながれば,うれしいことです。
 これらの事業は,人と自然の博物館の環境計画研究グループが中心となって実践しています。専門家がいないとできないことではありません。他の公園などでも,真似しまくってもらえたらよいと思っています。
 身近な地域の資源を掘り起こすという作業は,まちづくりの中で地域を知るためによく行われます。住んでいる人ほど,その地域の魅力に気づいていないことが多いからです。よく「私のまちには何もない」という人がいますが,それは,観光資源になるような有名なものがないという意味でしょう。地域資源がないまちは,存在しないと思います。何もないというのは,掘り起こすことをしていないからです。
 コロナ禍で何度も地域を歩いていると,いろいろなことがわかってきます。日常をとりまく見慣れた風景の中に,意外な履歴を積み重ねること。それが,私が最近ハマっていることで,いろいろな人に解説しています。

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