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神戸市水害誌附図(1939(昭和14)年7月)

 19世紀の旧摂津国、神戸市・阪神間は大阪郊外の田園地帯でしたが、1905(明治38)年の阪神電車開通、1920(大正9)年の阪急電車神戸線の開通が呼び水となり、新しい時代の担い手であるサラリーマンの住宅地として急速に開発が進みました。この地域の町づくりには欧米から最先端の郊外型住宅団地の設計思想が取り入れられました。この新しい環境を舞台に小出楢重や谷崎潤一郎ら多数の芸術家が活躍し、阪神間モダニズムと呼ばれる華やかな市民文化が咲き誇ったのです。しかし死傷者3000人以上を出した1938(昭和13)年の阪神大水害は、そうした阪神間モダニズムの華やかな文化に一時の終焉を告げる出来事となりました。

 本館所蔵の「神戸市水害誌附図」はこの水害から1年後に、神戸市役所が出版した記録集です。117頁の資料の中には多数の写真、スケッチが収録されています。この記録スケッチ、絵巻は神戸市初等教育研究会図画部31人のメンバーが描いたものです。絵画は写真に比べ主観が入りこみやすい媒体です。しかし彼ら、彼女らは誇張することなく、冷静かつ的確に自体を捕らえ、写真では捉えきれない惨状と、その中を生きる人の姿をリアルに描き出しています。この資料を見ていると、絵画では記録できるのに、写真では見失われてしまったものがあることを知らされます。さらに「災害地図」も11枚収録されています。これは学生ボランティアによる被災状況の現地踏査を神戸市立第一神港商業学校の教員がまとめたマップから製作したもので、まさに先の震災の被災度マップの前身といえます。

 ところで「博物館行き」とは、「古くなり機能的に役に立たなくなった事」を示す詞です。しかし世の中には、時とともにその機能が高くなるものもあります。ここで取り上げた「神戸市水害誌附図」は博物館に保存され、古くなった今こそ、いっそう輝きを高めている貴重な資料のひとつです。





(自然・環境マネジメント研究部 宮崎 ひろ志)


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Copyright(C) 1999, Museum of Nature and Human Activities, Hyogo
Revised 2001/11/22