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人と干潟


ムツカケ(ムツゴロウ釣り);円内は有明海を代表する魚ムツゴロウ(撮影 京大大学院・中山節子氏)

干潟とは

 干潟は川から流入した土砂や泥が河口域や湾奥に堆積してできた、広くて平たんな砂泥地です。遠浅の海岸で引き潮のときに砂泥が露出する干潟は、とくに内湾など川の流れが緩やかな海域に多くみられます。干潟の砂泥は川に運ばれた、きわめて豊富な栄養塩類や有機物を含んでいます。さらに日に二回の干潮時には干上がり、空気にさらされる干潟は酸素が十分に供給される生物の楽天地です。満潮時に冠水する干潟は、多くの魚類が集まり、幼稚魚が生育します。
 干潟には、動植物の遺がいや糞などの有機物が分解された有機物の小さな粒(デトリタス)、けい藻類、植物プランクトンなどを食べるゴカイ、ホシムシ、イソメなど、二枚貝類(アサリ、アゲマキ、ソトオリガイなど)、甲殻類(スナガニ、コメツキガニ、シオマネキなど)が豊富に生息します。これらの底生生物を鳥類(チドリ、シギ、サギなど)や多くの魚類(トビハゼ、ムツゴロウ、ワラスボなど)が餌とします。そして鳥や魚などは最終的にバクテリアによって分解されるという食物連鎖が成り立っています。
 干潟は、大きく次の三つに分けられます。
1.前浜干潟
   砂質前浜干潟:潮干狩りを行う新舞子浜や的形など。
   泥質前浜干潟:有明海の湾奥など。
2.河口干潟:塩分濃度が大きく変化する汽水域に適応できる生物が生息します。貝類が少なく、甲殻類が多い。伊勢湾河口など。
3.マングローブ干潟:日本では奄美大島以南の南西諸島に見られる亜熱帯地域の前浜や河口に発達した湿地。

干潟の利用

  人類が干潟を干拓することは古くからありましたが、それよりも干潟に生息するさまざまな魚介類を食用にしてきた歴史はもっと長いのです。全国の干潟の40%以上の面積を占める有明海では、伝統的なさまざまな漁業がつい最近まで行われていました。かつては潟土や砂も田畑の肥料として用いられていました。
 筑後川などの河川が運ぶ栄養豊富な有明海では、アサクサノリやナラワスサビノリ、カキやモガイの養殖やアサリ、タイラギ、サルボウなどの貝類、ガザミやイソギンチャク、アリアケシラウオやシタビラメなどを採捕する漁業が盛んです。主な漁法は、ムツカケ(ムツゴロウ釣り)、長柄(ながえ)じょれん、繁網(しげあみ)、タカッポ、ワラスボ掻き、アナジャコ釣り、刺し網などです。泥質干潟の上を滑るスイタと呼ばれる潟スキーを操作しながら、主にタカッポ、ワラスボ掻き、ムツカケを行います。
 また、沖縄県・石垣島の網張(あんぱる)には広大なマングローブ干潟が開けています。この地には15種類ものカニたちを主人公にした八重山を代表する民謡があります。現在では潮干狩りやガザミをとったりするくらいですが、かつては相撲や競馬などを盛んに行う憩いの場でもありました。
 海と陸を兼ね備えた干潟は、いわば半陸半海という生態系です。人類がさまざまな食物を採捕・確保するうえで不可欠な「海の畑」でした。大した技術を労しないで、女性、子供、老人たちがごく日常的に関わり合ってきたのです。一日の潮の干満を利用するだけで採捕が周年可能であることは、人類が生きていくうえで重要でした。同時に干潟における採捕活動は、狩猟・採集経済から食物生産経済にいたる人類進化史の過程を考察するうえでも示唆深いものなのです。


二枚貝のアゲマキも最近は韓国産のものが導入されるようになりました。(撮影 京大大学院・中山節子氏)(左)
タナジブと呼ばれる四手網。潮が満ちてきたときに引き上げます。(撮影 京大大学院 中山節子氏)(右)

干潟の現状

 1978年の環境庁調べでは、日本の干潟の三分の一は工業用地などに埋め立てられました。干潟が消滅する原因として陥没、浚渫(しゅんせつ)、自然の変化、地盤沈下、干拓などがあげられますが、行政サイドが一方的に立案・推進する工業用地がもっとも大きな原因になっています。
 1978〜91年の13年間に全国で4,076ヘクタール(甲子園球場の広さに換算すると1,030個分に相当します)の干潟が消滅しました。その半数は埋立による消滅が原因です。同じ期間に兵庫県では55ヘクタール(甲子園球場の13個分)が消滅し、現在残っている干潟は69ヘクタールに過ぎません。干潟はその立地条件などから埋立地や干拓地としてもっともねらわれやすいのです。
 兵庫県の干潟には、東から甲子園浜、加古川、的形、白浜、新舞子浜、千種川河口の赤穂・唐船、赤穂・古池と、淡路島に成ヶ島と大園島があります。甲子園浜では1970年に兵庫県が国に埋立免許を出願していました。しかし1971年にこの計画を知った地元小学校のPTAなどの地域住民が立ち上がり、鳥や魚など多くの生き物がすむ干潟を守れと埋立反対訴訟を起こしました。1972年に和解が成立し、その結果、かろうじて甲子園浜は守られたのです。近くにある西宮市の下水処理場から排出される養分が干潟の富栄養化に寄与しているようです。汚濁がすすんでしまった水域に多いアサリとゴカイが目立っています。
 人工干潟は、よそから運んだ土壌(客土)の性質や干潟の位置、海水の交換などの条件をつくることによって自然の干潟に近い生物相を支えるように工夫されています。東京湾奥の二ヶ所の野鳥公園や横浜、大坂湾奥の南港野鳥園などがあります。しかし、干潟の保全はできるだけ自然に近いかたちで維持するのが望ましいものです。ただでさえ汚染物質が流れ込んで死に瀕している干潟を、開発という名目で一方的に破壊してしまうことだけはしないように住民一人ひとりが干潟の価値と生物に関心を抱き、たえず監視の目をもたなくてはならないのが、現在干潟の置かれている現状といえるでしょう。
(生態研究部 武田 淳)
           


大坂湾に残された数少ない干潟の一つである甲子園浜(西宮市)
(撮影 生物資源研究部・戸田耿介)

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Copyright(C) 1997, Museum of Nature and Human Activities, Hyogo
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