「展示こぼれ話」(4)

高校生に発見されたアメリカマストドン

まえに戻る  目次へ  つぎへ進む  



 私は、自然系博物館(現人と自然の博物館)準備室ができた最初の都市である1989年の8月から9月にかけて、化石など地学関係資料の調査や博物館の訪問などを目的に、ボリビアをはじめとする南米諸国とアメリカ合衆国へ出張しました。現在人と自然の博物館の1階に展示されているアメリカマストドンはその時にニューヨークで見たものです。ところがこの出張の1番の目的はアメリカマストドンの視察ではなく、自然系博物館で展示される予定になっていたボリビア産アンデスマストドンのレプリカ制作に関して、ボリビア現地の状況を視察し、標本の発掘を行った(財)進化生物学研究所の吉田彰氏と共に今後の日程についてボリビア側と協議をすることでした。
 アンデスマストドンはアメリカマストドンとは別のグループに属するマストドンの仲間です。その標本はボリビア南部のタリハ市郊外の更新世中〜後期のタリハ層群から、1978年と1980年の2回に分けて発掘され、1978年に発掘された標本は日本に持ち帰られてクリーニングされ、レプリカも制作されていました。ところが2回目の発掘の時には、ボリビア政府の方針が変わって日本に持ち帰ることが出来なくなりました。そこで現地のタリハ大学でクリーニングを行い、日本から技術者と資材を提供してレプリカを制作しようということになったのです。兵庫県は、その計画に何らかの形で協力し、その見返りとして1体分のレプリカを、自然系博物館での展示用として提供を受ける、という予定でした。
 アメリカマストドンの話はその年の3月、国立科学博物館の富田幸光氏から実物標本が売りにでていると聞いたのが最初でした。標本を所有しているのは、ニューヨークにあるアメリカ自然史博物館に勤務する一方で、ニュージャージー州に自分の博物館を持っているソイヤーさんという人でした。実物が入手できるという話はたいへん魅力的に思えましたので、最初の予定を変更してニューヨークに立ち寄って見てくることにしたわけです。
 ニューヨークには9月11日朝に着く予定が、飛行機の故障で夜になってしまい、動ける日が1日しかなくなって、大変忙しい思いをしました。翌9月12日、アメリカマストドンの視察のほかに予定していた、アメリカ自然史博物館での恐竜のレプリカに関する情報の収集をすませた後、同じ館内でソイヤー氏に会うことができました。ソイヤー氏は30代半ばぐらいのアメリカ人としては比較的小柄な人で、想像していたよりも普通の人という印象を受けました。博物館内の恐竜やゾウの展示を簡単に説明してもらったあと、ニューヨーク市内(場所は忘れました)のアメリカマストドンの修復作業をしている倉庫に案内されました。倉庫といっても、古いアパートの一室を物置として使っているような感じで、薄暗いところにソイヤー氏が教材用に販売している0歳児から成人までの人間の骨格標本などいろいろなものが雑然と置いてある気味の悪いところでした。
 アメリカマストドンの骨格は、まだほとんどばらばらの状態で床や作業台の上にところせましと置いてあり、牙の根本など、部分的に色の違うレプリカが継ぎ足してありました。私は脊椎動物化石の専門家ではないのですが、実物の骨が残っている部分は非常に生々しく、大変保存状態の良いもののように思えました。ソイヤー氏の話では、この標本は1969年、彼がまだ高校生だった頃、ニュージャージー州ブレアーズタウンにある自宅近くの土木工事現場で見つけたもので、地主に頼んで工事を4日間ストップしてもらい、自分一人で発掘したものだとのことでした。発見したときはすでに工事によって一部破壊されていて、発掘できたのは全身の65%だったそうです。現在、勤務先のアメリカ自然史博物館の標本などを参考に欠けている部分の修復を進めていて、まもなく一体分の骨格が完成するので博物館の展示用に売りたいと言っていました。
 アメリカ自然史博物館の展示はソイヤー氏に案内してもらったときと、別れた後のわずかな時間に大急ぎでみただけでした。翌日の朝7時には次の目的地コロラド州デンバーに出発しましたので、残念ながらニューヨーク滞在は実質的に2泊1日の短いものとなってしまいました。
 レプリカよりも実物が良いということから、人と自然の博物館での展示用として結局アメリカマストドンが選ばれたのはご承知の通りです。

(地球科学研究部  古谷 裕)


まえに戻る  目次へ  つぎへ進む  


Copyright(C) 1998, Museum of Nature and Human Activities, Hyogo
Revised 1998/03/20