研究ノート

作用のさざ波・関係のもつれ、あるいは生態学における風桶問題

生態研究部・遠藤知二

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 生態学者の好む諺に「風が吹けば桶屋がもうかる」というのがあります。辞書の説明によると、「思わぬ結果が生じることのたとえ」とも、「あてにならぬ期待をすることのたとえ」ともあります。このへんで考え込む人もでてくるはず。思わぬことであれ何であれ、ともあれそういう結果が生じることもあると、納得すればよいのか。はたまた、そんなこと起こりっこないと、高をくくればよいのでしょうか。
 生態学者の扱う対象は、本質的に複雑です。たとえば、私自身はたまたまアカオニグモ(1)というクモの一種を研究対象にしましたが、このクモはキスジベッコウ(2)という狩蜂の獲物となります。同じ場所には近縁のオニグモの仲間が他に2種いて、やはりこのハチに狩られます。
 アカオニグモがどれだけ狩られるかという問題を考えてみましょう。ある期間にある場所で狩猟されるクモの数は、その周辺にいるアカオニグモだけでなく、他の2種のクモの密度、そこで活動するハチの個体数などによっています。他種のクモの密度に依存するというのは、とても興味深い問題なのですが、それはひとまずおきます。さて、これらの要因もそれぞれ他の諸要因に影響されています。たとえば、ある場所で活動するハチの個体数を決める要因としては、前年つくられたハチの巣の数と羽化率、さらに雌バチの移出入にかかわる社会的条件などが絡みます。羽化率を左右する要因の一つには、ハチの巣に蛆を生むヤドリニクバエによる寄生率があります。この寄生バエにも数種類がおり、それぞれ鱗翅目幼虫を狩るジガバチやクモ狩りの別のベッコウバチなど、他の狩蜂の巣の密度に影響されると考えられますが、今のところよくわかりません。
 こうして因果関係は、さざ波のように次第に減衰しながらも、多方面へ広がり、もつれあっていきます。この宇宙でもっとも複雑な存在といってよい生物の関係によって織りなされる世界の複雑さときたら、風が吹くと桶屋がもうかることもあるかもしれないし、もうからないこともあるかもしれない、ひょっとするともうかるのはカラオケ屋だったりする、そういう類のものなのです。
 物事をできるだけ単純な要素に絞り込むというのが科学の常道ですが、本質的に複雑なものをそれで捉えられるのかどうか。では、「複雑なものを複雑なまま捉える」として、どこからどう手をつけたものか。これは、生態学方法論上の大問題です。
 とりあえず、「風桶問題」をもう少し子細に眺めてみましょう。少し唐突ですが、風桶問題では、三味線製造業者の猫皮入手経路と販売経路がどの範囲に及んでいるかに注目する必要があります。もちろん、風の吹き方と砂ぼこりの舞い方の関係とか、猫とり業者の捕獲圧が猫の個体数減少にどれくらい影響するかとかが、大事ではないというのではありません。これらは、伝統的に生態学が扱ってきた問題でした。
 おそらく、風桶過程のうち、ある事象とそれが一因となって引き起こされる事象との間で舞台が空間的に大きく広がるのは、三味線の需要増から猫の捕獲の増加へいたる部分でしょう。三味線が売れる場所と猫が捕られる場所は違っていて、そのために因果関係は曖昧になり、見えにくくなります。生態学の用語でいえば、ここで影響の及ぶ領域(3)が一挙に広がるのです。もう少し一般的にいえば、さまざまな生態学的事象についてそれが作用を及ぼす空間的スケールを捉えることが必要なのです。
 川の上流から沿岸部へといった、かけはなれた場所への影響、あるいはかけはなれた生物への影響について、私たちはまだほとんど何も知らないといってよいでしょう。「足元」から一挙に「地球環境」へ飛ぶのではなく、着実に影響の連鎖を追いながら見極める必要があるのではないでしょうか。

用語解説

(1) アカオニグモ(Araneus pinguis) 大型のオニグモ(コガネグモ科)で、北海道から本州の山地にかけて分布。兵庫県でも北部の山地で記録があります。
(2) キスジベッコウ(Batozonellus lacerlicida) ベッコウバチ科としては大型のハチで、コガネグモ科のクモだけを獲物として狩ります。ユーラシア大陸北部に広く分布。昔は池田市猪名川の河原でも観察記録がありますが、稀種といわれています。
(3) 影響の及ぶ領域 D.S.ウィルソンは、その内側では影響の受け方がおおむね均一であると仮定できる範囲をこう呼びました。

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Copyright(C) 1998, Museum of Nature and Human Activities, Hyogo
Revised 1998/03/20