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「風流」はいずこへ−JR宝塚線、秋の鳴く虫−

八木 剛 研究員(兵庫県立人と自然の博物館 系統分類研究部)



 忙中にあっても日本人たるもの、風流を愛でる心を忘れたくないものである。
 秋の虫たちの奏でる音は代表的な風流なるもののひとつであるが、巷間では、近ごろめっきり虫の声を聞かなくなった、という。
 それには3つの原因がある。その1.虫が少なくなった−たしかにそうだ。ペット売場以外にスズムシをみつけることができるだろうか。その2.まわりがうるさくなった−1分間ほど目を閉じてみるとよい。我々はいかに人工物の発する音に包囲されているか。かよわい虫の音など容易にかき消されてしまうのである。その3.虫の音に耳を傾ける気がない−胸に手をあてて日常生活を振り返ってみるとよい。はたして日々そんな余裕があるだろうか。
 この3つの悪徳は、相まって巴状の渦を巻きながら、我々の風流を愛でる心を奈落の底へ引きずり込んでゆくのである。
 そういうことなんだろうな、とあらためて思ったのは、つい最近の帰りの電車の中でだ。私はJR宝塚線(福知山線)で通勤しているが、以前から意外に虫の声が多いなと思っていた。今回、ボランティアだよりに何か書こうと思って、停車のたびに虫の種類を記録してみたのだが、そこでわかったことが「そういうこと」であった。たとえば私の記録は、次のような具合である。


97年9月7日(日)小雨〜本降りの雨 むし暑い
乗った電車  
神鉄フラワータウン22:56発、三田行。先頭車両、先頭のドア;
JR三田23:04発、「普通」京都行。すき間の多い水色の電車。7両編成。4両目の先頭のドア
フラワータウン 電車を待つ間にアオマツムシエンマコオロギミツカドコオロギ
          結構いるじゃないの、と上機嫌。
          しかし、電車に乗った瞬間に虫のことを忘れてしまった。
横山・三田本町・神鉄三田  不明
JR三田      電車を待つとき、そうだ今日は虫の声を聴くんだった、と思い出して記録。
        ツヅレサセコオロギシバスズカワラスズ
道場      アオマツムシ
武田尾     なし。
          こないだ2両目に乗ったときにはウマオイの声が聴こえたのだが、
          4両目はトンネルの中に停まるのだ。
          電車のモーターの音がうるさくて何も聴こえない。
西宮名塩    なし。  やはり半分トンネルのような駅で、電車のモーターの音がうるさい。
生瀬      なし。  雨が本降りとなってきた。
宝塚      なし
中山寺     なし
川西池田    不明   網棚で発見した「スポニチ」をつい読み耽ってしまい...
北伊丹     不明    同上
伊丹      なし
猪名寺     なし
塚口      なし
尼崎      なし。  23:42着、東西線「普通」放出行に乗換える。
加島・御幣島  なし。  地下駅のため

 天気が悪かった。生瀬あたりから雨が本降りとなり、虫がほとんど鳴いていなかった。雨の音も結構うるさいし、電車(特に旧式ボロ電車)はモーターやエアコンの音がうるさい。停まったときくらい静かにしろといいたくなる。


97年9月9日(火)曇
乗った電車
神鉄フラワータウン20:39発、三田行;
JR三田20:50発「快速」奈良行。新型車両。7両編成1両目の3番目のドア
フラワータウン 〜 神鉄三田  またしても不明
JR三田     駅で電車を待っているとき、アッそうだ、虫の声を聴かねば、と思い出す。
       アオマツムシミツカドコオロギツヅレサセコオロギカワラスズマダラスズ
西宮名塩   なし。  先頭車両はトンネルの入口付近に停まる。名塩は後ろの車両がよい。
宝塚     なし。  向かいのホームに停車中の電車がうるさい。
川西池田   かすかにアオマツムシ
         向いのホームに停車中の電車の音、エアコンの音でわかりにくいが。
伊丹     不明。  考えごとをしていた...
尼崎     ツヅレサセコオロギ
加島・御幣島 なし

 快速電車の停車駅はつまらない。やはり風流を楽しむなら普通電車だろう。


97年9月11日(木)晴
乗った電車
神鉄フラワータウン19:09発三田行。1両目3番目のドア;
JR三田19:20発「快速」木津行。新型車両、7両編成5両目2番目のドア
フラワータウン アオマツムシ
横山      アオマツムシ
三田本町    アオマツムシ
神鉄三田    アオマツムシカワラスズ
JR三田    アオマツムシカワラスズエンマコオロギツヅレサセコオロギ
西宮名塩    アオマツムシ
          ホームの壁の窓からかすかに聴こえてくる。
宝塚      かすかに遠くでアオマツムシ
          向かいのホームに停車中の電車がうるさい。
          電車の中でオッサンが5人、ビールなんぞ飲んでいてうるさい。
川西池田    かすかにアオマツムシ
          向いのホームに停車中の電車の音、エアコンの音でわかりにくい
伊丹      不明。
          ついつい会話が盛り上がってしまい(同乗:石田、藤井、中尾)、
          気がつくと過ぎていた。
尼崎 19:51着。 ツヅレサセコオロギ
尼崎 23:13発「快速」松井山手行を待つ  ツヅレサセコオロギミツカドコオロギ


 三田はまだまだ虫の声が多い。JR三田駅だと、電車を待っている間に5種類くらいの声を聞き取れる。ところで、JRと神鉄の三田駅にいるカワラスズというコオロギは、けっこう珍しいものだ。もともとは河川の中流域の、コブシ大の石が転がっているような河原に住んでいるが、よく似た環境なのだろう、鉄道の線路にもしばしば見られる。おそらくここらでは武庫川本流にいるものと思われるが、武庫川でそのような環境といえば、道場から武田尾あたりの現在廃線の旧福知山線が通っていたあたりだ。三田駅のカワラスズはおそらくまだJRが複線電化されていない頃、線路を伝って道場あたりからやってきたのだろう。もし、JRが最初から今のようにトンネルと高架主体のルートだったのなら、三田駅にカワラスズはいなかっただろう。カワラスズが福知山線のどの範囲にいるのかは興味のあるところだ。
 大阪へ近づくにつれ、特に宝塚から向こうでは虫の種類、数とも少なくなる。さもありなんである。
 いざやってみると、電車の停車駅で虫の声を記録することは、意外に難しいものであった。停車時間は短いし、電車のモーターとかエアコンの音が大きなノイズとなる。これは、武田尾や西宮名塩などトンネルや半トンネルの駅では、壁に反射してさらにひどくなる。人の会話や通行人の靴音も相当なの音量がある。我々の耳はこういった雑音に慣れっこになっていてほとんど感じないが、同時に虫の声もこれらの音に埋もれてしまっているのである。
 つまり、意識しないと聴こえないということだ。意識とは、「虫の声に耳を傾ける気持ち」である。虫の存在を忘れることは、私でさえごくたやすい。考え事をしていたり、新聞を読んでいると、虫の声は聴こえないのだ。大音声のアオマツムシでさえである。我思うゆえに鳴く虫は存在し、風流たり得るのだ!
 オマケ・・・今回、私の集中力は30分しか続かないことが明らかとなった。毎回「伊丹」近くでほかのことに目移りしてしまうのである! 30分とは幼稚園児並。何たることか。

『ボランティアだより 第16号』 (1997.9.21) より