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研究の最近のブログ記事

  神戸新聞平成24(2012)年12月20日(木)夕刊を見て,びっくり!!

 

 県内初の「白トリュフ」発見の記事。しかも、新種の可能性があるらしい。

 実は、その発見者の姫路の中学生【岡田英士くん】ってのは、2011年度に一緒にボルネオジャングル体験スクールに行ったんですよ。その時も動物や植物に大変興味があり、日本で見ることのできない生き物をみて、大変感激していました。

 マレーの子ども達との交流では、折り紙でツルやカブトを折って教えてあげたりするなど、私もとても印象に残っている少年でした。新聞で笑顔を見て、昨年のことを思い出しました。

 ボルネオジャングル体験スクールでかかわった子たちが、各方面で活躍してくれるのは、わがことのようにとてもうれしく思います。今後の活躍を期待します

 

生涯学習課:八尾岡田くん!! すごいなぁ(o^^o) ますますBigになってね

 

植物標本庫の使い方

2012年12月16日

植物標本庫に保管されている植物標本は、いろいろな形で活用されています。今回はその一つとして図鑑作りの例を紹介します。

先日、東京大学総合研究博物館の池田博さんと岡山理科大の山本伸子さんが来館され、小中学生向け植物図鑑をつくるために植物標本庫で作業されました。

池田さんと山本さんは元ひとはく研究員でもあり、わたしたちも図鑑作りを応援しました。その時のようすが、山本さんから届きましたので紹介します。

 

 

こんにちは、山本です。

東京大学総合研究博物館の池田先生とひとはくの標本を見に来ました。

現在、小中学生向けの植物図鑑を出すための植物画の修正をしています。

植物図鑑を絵で作るのはとても大変です。花や葉の形はもちろん、葉のつき方や枝の伸ばし方など間違いがあってはいけません。日頃、植物に慣れ親しんでいるつもりでも、本当にそうかどうか自信が持てない部分もあります。

  

hyohon1.jpg 収蔵庫内で植物標本を調べながら植物画をチェックする

 

 

 

 

 

そこで、標本と見比べて植物学的に間違いがないか確認します。そして間違っている箇所に赤を入れて、画家さんに返却し、修正してもらうのです。

ひとはくでは、北海道から沖縄まで日本全国の植物が広く収集されているため、植物図鑑に載るほとんどの植物標本があります。また標本を広げる場所も確保していただき、このような作業をするのにとても助かりました。

 

hyohon2.jpg hyohon5.jpg 植物標本を調べる黒崎先生(左)と高橋さん(右)

 

 

 

ひとはく館員の高橋さん、高野さん、布施さん、それに県立大学の黒崎さんにも時間の合間を縫って手伝っていただき、なんとか全種の確認を終わらせることができました。

ありがとうございました。(山本伸子)

 

 

どんな図鑑が出来上がるか楽しみですね。

 

                   自然・環境評価研究部 高橋 晃

12月8日(土)ひとはくで、このような集会が開かれます。
学会会員外の方も聴講できますので、この機会に、のぞいてみてください。

日本昆虫学会近畿支部2012年度大会・日本鱗翅学会近畿支部第146回例会

(昆虫学公開研究発表会)

 

 

※ 受付は10:00から、本館4階大セミナー室前で行います。

※ 学会会員以外の方も聴講できます。観覧券(大人200円)を購入して入館し、受付で参加費(1人50円:茶菓代充当)をお支払い下さい。

※ お申込・問合せ先:兵庫県立人と自然の博物館 八木 剛

電話079-559-2001、E-mail: yagi(アット)hitohaku.jp

日時 2012年12月8日(土)10:30−17:30(10:00受付開始)

会場 兵庫県立人と自然の博物館 大セミナー室(兵庫県三田市)

 

プログラム

研究発表 

10:30 1 カワウの巣の昆虫相/八尋克郎1・亀田佳代子1・那須義次2・村濱史郎31滋賀県立琵琶湖博物館・2大阪府病害虫防除所・3株式会社野生生物保全研究所)

10:45 2 琵琶湖竹生島のカワウの巣の鱗翅類/那須義次・村濱史郎・大門 聖・八尋克郎・亀田佳代子

11:00 3 オオヒロズコガ(ヒロズコガ科)に近縁な国内未知種/○長田庸平・坂井誠*・広渡俊哉 (大阪府大院・生環  *共生科学)

11:15 4 ツマグロケンヒメバチとその近縁種における分類学的諸問題/○伊藤誠人・渡辺恭平・前藤 薫(神戸大院・農)

11:30 5 DNAバーコーディングによって発見されたハラボソコマユバチ属Meteorusの1新種/○藤江隼平・前藤 薫(神戸大・農・昆虫多様性)

11:45 6 マイマイガに寄生するチビアメバチ2種とその高次寄生蜂、およびマイマイガを利用するヒメバチ上科に見られる繭形態の多様性/渡辺恭平(神戸大院・農)

12:00〜13:00  <休憩>

研究発表 

13:00 7 ガガイモ科の送粉系に関する知見(その4):イケマへの飛翔性訪花者は送粉に貢献しているのか?_コハナバチ・マルハナバチ・蛾類、および、アリ類の間での、送粉関連形態ならびに訪花行動についての比較考察/濱西 洋(三田市)

13:15 8 クロヤマアリを誘引するカラスノエンドウ上の奇妙な種間相互作用/笠井 敦(京都大学大学院農学研究科)

13:30 9 クルミホソガ Acrocercops transecta (鱗翅目:ホソガ科) のホストレース間での寄生蜂相の比較/○河村友裕・大島一正(京都府大・生命環境)

13:45 10 ギンケハラボソコマユバチの体色の異なる2系統における日周活動性の比較/○藤井智浩(神戸大・農)・西村卓真・前藤 薫(神戸大院・農)

14:00 11 ホソヘリカメムシが飛翔時に示す光走性の解析/○名和厚樹・後藤慎介・志賀向子(大阪市大・院・理)

14:15 12 セスジアメンボ Limnogonus fossarum fossarum の餌条件を統一した飼育手法の確立/○広岡佑太,大島一正 (京都府大・生命環境)

14:30 13 ヤママユが食べて糞をする植物と全く囓らない植物の差は何?/寺本憲之(びわ湖の森の生き物研究会)

14:45〜15:45  <ポスターセッション・休憩・収蔵庫見学>

P1 外来昆虫ヘクソカズラグンバイの四国における分布拡大(第3報)/○加藤敦史(東大阪市)・山田量崇(徳島県立博物館)

P2 ヨコヅナサシガメの配偶行動とその化学因子/〇坂田大介・薬丸亮太・秋野順治(京都工芸繊維大・生物資源フィールド科学教育研究センター)

P3 寄生蜂のSSR解析のための羽化繭からのDNA抽出方法/梅基弘宣・西村卓真・前藤 薫(神戸大院・農)

P4 クロヤマアリ巣仲間認識に対する巣間距離の影響/坂田惇一・秋野順治(京都工芸繊維大・生物資源フィールド科学教育研究センター)

P5 ツノヤハズモドキの多様性/沢田佳久(兵庫県博・昆虫共生)

P6 エゾスジグロシロチョウの香気成分の経時変化/棚橋一郎(大阪工業大学)

展示 ジナンドロモルフのスズムシの行動/兵庫県立人と自然の博物館

15:45 14 アカハネオンブバッタの近畿地方への移入と分布拡大/河合正人1・市川顕彦1・冨永 修1・森 康貴1・西口栄輔1・伊藤ふくお1・金沢 至2・加納康嗣1・○松本吏樹郎21日本直翅類学会・2大阪市立自然史博物館)

16:00 15 関西での冷温帯性キジラミの新知見、特にヤマオオトガリキジラミとキハダヒメキジラミについて/宮武頼夫(橿原市昆虫館友の会)

16:15 16 海岸性甲虫類と海浜の面積および孤立度との関係/○河上康子(高槻市)・村上健太郎(名古屋産業大学)

16:30 17 聟島列島の異翅半翅類相/○伴 光哲(エー環境研究所)・岸本年朗(自然環境研究センター)

16:45 18 ブータンの蝶類について/渡辺康之(日本鱗翅学会)

17:00 19 マダラチョウ類の越冬地を求めて−台湾蘭嶼島と香港−/金沢 至(大阪市立自然史博物館)

 

 

ひとはく多様性フロアの準備のために資料を再整理していたところ、収蔵資料より今和次郎の直筆の入った図書を発見した。発見した図書について紹介しつつ、今和次郎(こんわじろう)の多岐に渡る活動を既存資料を用いて紹介する。

 

PA172557.jpeg発見した図書は、建築家・図師嘉彦(1904-1981)宛に贈呈した図書であることがわかる。戦時中、諸工場の労働者向けの良質な住宅を供給することで、労働者の効率を挙げることが考えられ、特に寒冷地で如何にあるべきかを研究することが、日本製鉄会社より課せられた。主に北海道の労務者の住宅を調査した時の旅行記である。今和次郎といえば、いわゆる「民家」というイメージが強い中で、労務者住宅についての研究の一端が紹介されていて興味深い。住宅のみならず服飾への眼差しもあり、服飾研究にも通じるものが見てとれる。

 

PastedGraphic-2.jpg

出典:今和次郎著/畑中章宏・森まおる編著「今和次郎採集講義」青幻舎,2011.11

 

青森県弘前市に生まれた今和次郎(1888-1973)は、民俗学者の柳田國男らがつくった民家研究の会「白茅会(はくぼうかい)」の活動に参加し『日本の民家』を刊行するなど民家研究で重要な足跡を残している。関東大震災を機に、一面焼け野原になってしまった東京の復興を、人々の生活や風俗から克明に記録していった。これが、昭和初期の急速に都市化していく東京の街の様子や人々の生活の変化を採集し氏の提唱した「考現学(こうげんがく)」につながっていく。戦後には、日常生活を考察する「生活学」や「服飾研究」といった新しい学問分野も開拓している。

 昨今、青森県立美術館、パナソニック汐留ミュージアム、国立民俗博物館にて「今和次郎 採集講義」と題した展覧会が開かれるなど注目を集めている。

 

                                 山崎義人(自然・環境マネジメント研究部)

公開シンポジウムのお知らせ(12/2 神戸北野にて)


自然・環境科学研究所のあゆみと展望
― 大学による地域貢献の成果を検証する ―

 当博物館と併設されている「兵庫県立大学自然・環境科学研究所」では、ひとはくと同じく研究所の開設20周年を迎えます。これを記念して、これまでの各部門での取り組みや地域貢献の成果などを紹介する公開シンポジウムを平成24年12月2日(日)に神戸市中央区のホテル北野プラザ六甲荘において開催いたします。
 基調講演には、哲学者であり森づくりや自然とのつきあいかたについて造詣が深い内山節氏をお招きして、ご講演いただきます。これに続いて、当研究所の5つの系からこれまでの取り組み等についてプレゼンテーションしていただいたのちに、パネルディスカッションを行います。生物多様性や恐竜化石、コウノトリの野生復帰、景観園芸と緑環境、野生動物の問題、宇宙天文への理解といった地域資源のマネジメントについて、大学の研究者が県の機関の職員を兼務する形式の国内に類を見ないユニークで先進的なとり組みによる成果について紹介し、今後の課題や展望について議論したいと思います。参加無料ですが、事前の申し込みが必要です。

 → 案内のチラシはこちらをご覧ください(pdfファイル 491kb)


■日 時
 平成24年12月2日(日) 13時〜17時 (受付開始は12時15分〜)

■場 所
 ホテル北野プラザ六甲荘 1Fマジョラム
 〒650-0002 神戸市中央区北野町1-1-14
  →アクセスはこちらをご覧ください 

■主催および共催
 主催:兵庫県立大学自然・環境科学研究所
 共催:兵庫県立人と自然の博物館、兵庫県森林動物研究センター、兵庫県立淡路景観園芸学校、兵庫県立コウノトリの郷公園

■内 容
【基調講演】
 自然を活かす新しい共同体をデザインする 
 内山 節 氏(哲学者、NPO法人・森づくりフォーラム代表理事)
 <homepage>

【話題提供】
 自然環境系 高橋 晃(兼・兵庫県立人と自然の博物館)
 田園生態系 江崎 保男(兼・兵庫県立コウノトリの郷公園)
 景観園芸系 斉藤 庸平(兼・兵庫県立淡路景観園芸学校)
 森林・動物系 坂田 宏志(兼・兵庫県森林動物研究センター)
 宇宙天文系 伊藤 洋一(兵庫県立大学天文科学センター)

【パネルディスカッション】
 コーディネーター:田原直樹(自然・環境科学研究所 所長)
 パネリスト: 内山節氏、高橋晃、江崎保男、斉藤庸平、坂田宏志、伊藤洋一、松原典孝

■申し込み方法
参加費は無料。電子メールもしくはファックス、はがきに、「20周年記念シンポジウム参加希望」および連絡先(住所・氏名・年齢・電話番号・FAX)をご記入のうえ、以下までご送付ください。

〒669-1546 三田市弥生が丘6丁目(兵庫県立人と自然の博物館内)
  兵庫県立大学自然・環境科学研究所 20周年記念シンポジウム係
  電話:079−559−2001 ファックス:079−559−2033
  電子メール: seminar(アット)hitohaku.jp
  締め切りは、平成24年11月27日(火)まで(先着順とさせていただきます)。
  受付は連絡はがきもしくは電子メールの返信でもって替えさせて頂きます。
  定員200名(先着順といたします)。

■お問い合わせ先
 内容などに関する詳しいお問い合わせについては以下にご連絡ください。
  ・兵庫県立大学自然・環境科学研究所所長室 (instsecあっとhitohaku.jp)

以上 

福知川の護岸修復工事の時に、工事現場に入らせていただき、福知泥炭層の調査をしました。このときに地層のはぎとり標本を作りました。地層の標本とはどんなものでしょう。

 

201205hagitori1.jpg

川岸を重機で掘ったところの写真です。地層の断面に黒い層があらわれました。よく見ると、人の身長よりも高くまであります。この黒い層が泥炭層です。

 

201205hagitori2.jpg

1m、高さ2mの大きさで地層の標本を作ることに決めました。はじめに表面を平らにけずってととのえます。高い所がとどかないので、両わきにはしごを立てました。

 

きれいにけずったら、しましまが見えてきました。白いところはけずるとじゃりじゃりします。これは砂の層です。黒い泥炭層がたまる途中で、くりかえし何度も砂が流れてきてたまったことがわかります。

 

 

 

201205hagitori3.jpg次に、地層の表面にはけで樹脂をぬっていきます。これはトマックといい、水と反応して固まる接着剤です。上から順番に、いちばん下まできれいにぬります。加藤研究員、両手をはなして作業しているけれど、落ちないでね!

 

いちばん下まで樹脂をぬったら、次に補強用のうすい布を同じ樹脂で1枚ずつはりつけます。少しだけ重なるようにはるのがコツです。大きな布1枚をはりつけてもいいのですが、小さい布のほうが手早くきれいにつけられます。

201205hagitori4.jpg全面にきれいにはりつけたら終了です。あとは乾くのを待つだけ。

 

さあ、乾いたら上からはがしていきましょう。やぶれないように、少しずつ慎重に!

 

201205hagitori5.jpg白い樹脂の裏側に、地層がきれいについてきています。やったー!

樹脂の量はちょうどよかったようです。布もやぶれずにうまくはがせそう。

 

201205hagitori6.jpgカッターで切っているのは木材です。泥炭層に木材化石が入っていました。そのまま引っぱると木材がはぎとり標本からはがれてしまうので、はぎとり標本のほうに木材が残るように切りました。

 

201205hagitori7.jpgはぎとり標本をはがし終わったあとです。この地層の表面の厚さ数ミリが、はぎとり標本についているわけです。

はぎとり標本は、博物館に持ち帰り、洗って表面を整え、板にはりつけました。

ミニ企画展「宍粟市でみつかった9000年前のタネ・はっぱ・虫」では、このはぎとり標本を展示します。できばえの気になるあなた、はぎとり標本を見にきませんか。

 

自然・環境評価研究部 半田久美子

 

野外で生まれて、野外で育ち、野外で次世代が誕生するようになりました

fukuda_sutou20120522.jpg 県立コウノトリの郷公園がコウノトリの試験放鳥を実行に移したのは2005年.2007年には放鳥したペアが初めて繁殖に成功しヒナを巣立させました.それから5年たった今年2012年に,野外で育ちの新たな世代が誕生したことになります.このことは,コウノトリ野生復帰事業の歴史に残る1ページであり,野生復帰の確かな進展を裏付けるものだと郷公園は位置付けています.

詳しくは、県立コウノトリの郷公園のHPもご覧ください。ライブ情報がもりだくさん掲載されています。

ニュース記事:神戸新聞朝日新聞東京新聞毎日新聞

(江崎保男)

みなさぁ〜ん

 

 もう申し込まれましたでしょうか? 【第7回 共生のひろば】

 「知る」という楽しみ。場所や関心により、その調べ方や楽しみ方はいろいろ。

 「共生のひろば」は自然や環境についての楽しみ方を知った方々が発表を通して、さらに多くの人と「知る」を共有する楽しい発表会です。毎年211日に実施しており、今回で第7回になります!

 

 キノコや鳴く虫、ビオトープ活動、森づくりなど、地域の自然・環境・文化にまつわる研究と活動を市民のみなさん、小学校や高等学校等など計52組が口頭発表、ポスターセッション、作品紹介を行います。発表者と聴講者の楽しい情報交換も活発に行われます。

 

場所:兵庫県立人と自然の博物館(三田市)ホロンピアホール

期日:2012/2/11(土・祝)(要 参加申込)

時間:100017:00

 ※入館料のみ必要です(大人200円、大学生150円、高校生100円、小中学生は無料)

 ※※詳細はhttp://hitohaku.jp/top/11event/11kyousei.htmlから

 ※※※当日の発表プログラム、発表要旨についても上記サイトに掲載ています。

 

申込方法:

 「共生のひろば聴講希望」と明記し、住所・氏名・電話番号等の連絡先をご記入の上、下記まではがき、Fax、またはE-mailでお申し込み下さい。(2012131日 締切)。ただし、定員に達していない場合は、締め切りを延長します。 

 

669-1546  三田市弥生が丘6丁目

 兵庫県立人と自然の博物館 生涯学習推進室

 Fax079-559-2033 E-mailseminarアットhitohaku.jp

              (アットを@に換えてください)

 

 

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 昨年度までの様子は以下の報告書にまとめられていますので、あわせてご覧ください。

 

 昨年の開催の様子はこちら

   http://hitohaku.jp/blog/2011/02/220/

 報告書「共生のひろば 6号」はこちら

   http://hitohaku.jp/top/kyousei/houkoku10.html

 報告書「共生のひろば 5号」はこちら

   http://hitohaku.jp/top/kyousei/houkoku09.html

 報告書「共生のひろば 4号」はこちら

   http://hitohaku.jp/publications/book.html#hiroba4

 報告書「共生のひろば 3号」

   http://hitohaku.jp/top/kyousei/houkoku07.html

 報告書「共生のひろば 2号」

   http://hitohaku.jp/top/kyousei/houkoku06.html

 報告書「共生のひろば 1号」

   http://hitohaku.jp/top/kyousei/houkoku05.html

生物には世界共通の名前が付いています。これを学名と言いますが、時々名前が変わることがあります。その例をヘビイチゴで紹介します。

学名は、普通「属名」と「種小名」の2つの部分からできています。人の名前にあてはめると、姓が「属名」、名が「種小名」を表します。例えばよく庭に植えてあるパンジー(三色スミレ)は、学名をViola tricolorと言いますが、Viola(スミレの仲間)が属名、tricolor(三色の)が種小名で、「三色の花をつけるスミレ」という意味になります。

さて、ヘビイチゴの学名ですが、果実がオランダイチゴに似ていることからオランダイチゴ属(Fragaria)に入れられたり、独立したヘビイチゴ属(Duchesnea)とされたりしてきました。オランダイチゴ属で扱う場合は Fragaria chrysantha、ヘビイチゴ属として扱う場合は Duchesnea chrysantha とされます。

ところが、最近の遺伝子解析の結果から、ヘビイチゴはオランダイチゴよりもキジムシロ属(Potentilla)に非常に近いということが明らかになりました。キジムシロ属植物は、ヘビイチゴと同じような黄色い花をつけますが、ヘビイチゴのように果実(果托)は膨らみません。つまり、ヘビイチゴとオランダイチゴの果実の類似は「他人の空似」で、ヘビイチゴはキジムシロと同じ仲間として扱うべきだと考えられました。

写真1    オランダイチゴ属の果実 Fragaria1.jpg写真2 ヘビイチゴ属の果実
Duchesnea2.jpg

写真3  キジムシロ属の果実

Potentilla3.jpgところが、ヘビイチゴをキジムシロ属に含める場合、学名上の問題が生じます。ヘビイチゴをキジムシロ属(Potentilla)として扱う場合、通常であれば、Potentilla chrysantha となります。ところが、この学名はすでに別の植物に対してつけられたもので、別々の植物に同じ学名がつくと、混乱を招きます。ちょうど同姓同名の人がいた時に、名前だけでは区別がつかなくなるようなものです。このような場合、後からつけられた名前には別の名前をつける必要があります。

そこで、ヘビイチゴの学名は Potentilla hebiichigo と変えられました。
「hebiichigo?」と思った人、よく気が付いてくれました。アルファベットだと思って素通りせず、なんてすばらしい!!
この名前は日本人が付けたのです。ですから、日本で使われている名をとって Potentilla hebiichigo(ヘビイチゴと呼ばれるPotentillaの仲間)という名前になったのです。


ヘビイチゴは田んぼや畑の脇などに生える多年草で、北海道から沖縄まで広く分布しています。春に黄色い花を咲かせ、その後真っ赤な実をつけます。実がデザートに食べる苺(オランダイチゴ)に似ているので「蛇苺」と言いますが、毒があるわけではありません。 

 山本伸子(自然・環境評価研究部

 

これまでのお話は→

ヘビイチゴの話 その2  http://hitohaku.jp/blog/2011/05/post_1219/

ヘビイチゴの話 その1  http://hitohaku.jp/blog/2011/04/post_1175/

 

今回のトピックス展示では、博物館への問い合わせの多い種を中心に新しく製作した56点の標本を紹介しています。青とオレンジ色が美しく、水辺の宝石とも呼ばれるカワセミ。林の中を素早く動きまわり、羽根の黄緑色と眼の周りの白の対比が美しいメジロ。

 

201106-2.jpg

                (2007年3月 愛媛県松山市

               陽光という桜の栽培品種の花を訪れたメジロ。)

 

 

カワセミやメジロと比べると見た目は地味だけど、木の幹をつつきまわり「タラララララ」という軽快なドラミングを聞かせるコゲラ。目立つ色彩のオスと比べるとちょっと知名度が低いイソヒヨドリのメス。 

 

 

201106-1.jpg

                 (2010年4月 三田市

         博物館のベランダを訪れたイソヒヨドリのメス。)

 

 

小さい体に紅いくちばし、胸のオレンジ色、黄色いラインの入った羽模様のソウシチョウ。野外ではじっくりと観察することが難しい小鳥たちをひとはくに見に来ませんか?

 

              北村俊平(自然・環境マネジメント研究部)

皆さん、図鑑を信用しすぎていませんか?本当に正しいことが書いてありますか?
図鑑だって人が作ったもの。少しくらいは間違いもあります。そんな間違いを見つけられると楽しいですね。

今日では本屋に行けば、きれいなカラー写真や色鮮やかな絵が掲載された植物図鑑が所狭しと並んでいますが、ひと昔前までは、「植物図鑑」といえば、「牧野植物圖鑑」でした。これは「日本の植物分類学の父」と呼ばれる牧野富太郎が書いた図鑑で、白黒の精密で美しい線画は生きた植物をリアルに再現したものと好評を博してきました。
ところが、よくよく見ると、この図鑑に載っているヘビイチゴの図には植物学的にはいくつか間違った部分があります。ではどこが違うのでしょうか。標本と比べてみましょう。

 


         kajiku1.jpg kajiku2.jpg

 

ちょっと難しいかもしれませんが、
植物の生長様式には単軸分枝と仮軸分枝というものがあります。単軸分枝とは、枝の先の芽がどこまででも伸びていく生長のし方です。また、仮軸分枝とは、枝の先の芽は途中で止まってしまい、脇から新しい芽が伸びていき、その芽もまた止まり、といったことを繰り返して大きくなることです。
単軸分枝の場合は、枝と葉の間にできる芽が生長して、花になり実をつけます。しかし、仮軸分枝の場合は、枝の先が花になり、その先に伸びる枝は、葉と花との間から伸びます。
写真は、ある先生がブドウ科の植物を使って仮軸分枝の説明をしているところです。
橙色で示した枝は蔓になって終わります。反対側には白色で示した葉があり、その間から黄色で示した新しい枝が伸びているのが分かります。


kajiku3.jpg

これをヘビイチゴに当ててみると、初めの枝は花で終わります(橙色)。花の反対側には葉があり(水色)、花と葉の間から新しい枝(黄色)が出ていますね。つまり、ヘビイチゴの走出枝(ストロン)は、仮軸分枝を繰り返しながら生長している、ということが分かります。

kajiku4.jpg

 

では、改めて牧野植物図鑑の絵を見てみましょう。

kajiku5.jpgもうお分かりですね。
牧野植物図鑑の絵はヘビイチゴの走出枝を単軸分枝だと考えて書かれています。
牧野さんも植物の基本は単軸分枝をするものだと思い込んでいたのかもしれません。やはり実物に勝るものはありませんね。

さあ皆さん、ヘビイチゴを上手に引き抜いて観察してみてください。これがわかれば、皆さんは「牧野富太郎を超えた」と言えるかも?

                                                                  山本伸子(自然・環境評価研究部)

中国の植物園に植物の標本調査に行ってきました。今回訪問したのは、南京にある南京中山植物園と、北京にある北京植物園です。
今回の調査の目的のひとつに、中国におけるヘビイチゴとヤブヘビイチゴの分布を把握することがありました。中国の図鑑をみると、ヘビイチゴもヤブヘビイチゴもほぼ中国全土に分布するように書いてあるのですが、どうもヘビイチゴはそんなに広くは分布していないのではないのではないかと思われたからです。というのも、ヘビイチゴとヤブヘビイチゴは、葉の形、種子の模様などで区別されますが、この2種は非常によく似ているので、しばしば間違えて同定されます。日本にある中国産のヘビイチゴとヤブヘビイチゴの標本をみたところ、ヘビイチゴは中国東部の限られた地域でしか採集されていませんでした。
たくさんの標本を調べた結果、ヘビイチゴはやはり中国の東から南の地域に限って分布しており、これまで考えられていたよりもかなり狭い範囲にしか分布していないことが明らかになりました。

 

                           hebi-ha.jpg      yabuhebi-ha.jpg

                                            ヘビイチゴの葉                             ヤブヘビイチゴの葉

 

hebi-hana.jpg

                                                                ヘビイチゴの花


hebi-hyo.jpgのサムネール画像                                                              ヘビイチゴの標本

                   

                                                                                  山本伸子(自然・環境評価研究部)

外国からの郵便物

2011年2月19日

211日の夕方、共生のひろばを終えて自分の机に戻ってくると外国からの郵便物が届いていました。ハングル文字が並んでいます。韓国からの郵便物のようです。

 

 

1.jpg 

開封してみるとKorean Journal of Ornithologyという韓国鳥学会が発行している雑誌の最新号と論文の別刷りが同封されていました。

 

  2.jpg

 

200910月に韓国から2名の研究者がひとはくにやってきました。朝鮮半島で採集された鳥類標本のデータベースを作成する目的で、世界の主要な博物館や大学の収蔵庫を巡り、標本写真の撮影を行っているそうです。当館に収蔵されている小林コレクションには、数百点の朝鮮半島産の鳥類標本が含まれており、数日間の滞在期間中に二人でテキパキと標本を撮影していました。

 

20103月に韓国から再びメールが届きました。小林コレクションの標本に含まれていたエトピリカという海鳥の標本が、実は朝鮮半島初記録だったそうです。論文として報告したいので、該当標本の外部形態データを送って欲しいとの依頼でした。その後、測定値や原稿をメールでやりとりし、完成した原稿を韓国の鳥学会誌に投稿していたのでした。

 

 

3.jpg元になったエトピリカの標本

 

肝心のエトピリカの標本は、193382日に豆満江という中国と北朝鮮の国境を流れる川で、東京農業大学の人(氏名は不明)が採集したものでした。普段は一般公開されることなく収蔵庫で厳重に保管されている標本ですが、こういった形で研究者に利用されることで、新たな発見につながることもあります。

 

北村俊平

六甲山のご当地昆虫

2011年2月 8日
 以前のブログ(2010/03/07)で標本調査の様子を紹介した西宮市のオサムシグループの研究成果の一つが公表され,プリントを送ってくださいました.「六甲山地におけるクロナガオサムシの生息地について」というタイトルです.

 六甲山は昆虫に関しても古くからよく調査された山ですが,★六甲山ならではの虫★,というのはほとんどありません.最初に六甲山から見つかった虫は,調査がすすむと本州に広くいることが分かってしまいます.名物昆虫,ご当地昆虫,が不在なのです.あえていうなら帰化昆虫のキベリハムシくらいでしょうか,国内では兵庫県南部付近のみに分布,舶来昆虫というのも神戸らしくて良いという意見も.

 オサムシ類は非常にくわしく調べられている虫で,そのスジの人にとってはどの辺りにどんな種がいるか,ココにはコレがいてアレはいない,とかは分かりきった事のようです.六甲山もまるっとお見通し.クロナガオサムシは六甲山の西麓の200〜400mに記録があるだけで,中腹以上にはいない … はずが … 意外な所で採れてしまい.それをきっかけに徹底的な調査が行われたのです.
 結果として,六甲山のクロナガオサムシは今までの常識よりはもっと高い所に産し,分布の中心は600〜700mであって既知の産地はむしろその下端とみなせること,六甲山のクロナガオサムシは近隣のものにくらべて一般に小型であり,その変異も小さく,高標高において小型化する傾向も認められないことが分かったそうです.
 クロナガオサムシは県全域にいる種類で,さほど珍しいわけではないのですが,調べてみると六甲山のものは何やら意味ありげな個体群だとわかってきたわけです.ご当地昆虫の発見というか出現というか登場というか,です.う〜ん,多様性ですねえ!
 ここのクロナガオサはなぜ小さいのか? 低い所の個体が大型化しないのはなぜか? さらに興味は深まるばかり.
 

rokko-am.gif

プルプル地形図 有馬〜六甲〜丹生山 (左が北)

 詳しく知りたい方は掲載誌「きべりはむし」(←キベリハムシにちなんだ誌名)を検索してください.PDFでダウンロードできます.第33巻です.


昆虫共生 沢田

 

世界遺産に指定されている屋久島は、コケ植物の宝庫でもあります。これまでに665種以上が屋久島から報告されていて、これは日本全国の40パーセントにもなります。これほどたくさんの種が生育できるのは、温暖な気候と豊富な雨、そして急峻な地形がもたらす多様な環境が屋久島に備わっているからです。

 しかしながら、日本の他の地域等同様、ここ数年のヤクシカの個体数の急激な増加などが原因で、豊かな森もその林床の植生が破壊され、その影響はコケ植物にも及びつつあります。

 

 屋久島のコケ植物絶滅危惧植物の分布の現状を把握するため、2004年から2008年にかけて、環境省の依頼により広範囲に調査を行いました。その成果、これまで本州中部山岳からだけ知られていた蘚類を宮之浦岳山頂から見いだしたり、キノボリヒメツガゴケと命名した新種を見つけたりしましたが、中でも一番派手な成果は、新属新種となるヤクシマコモチイトゴケを見いだしたです。

 このコケは、小杉谷や白谷雲水峡、あるいはヤクスギランド周辺といった、島内でもコケ植物が豊富な場所に生育しています。林内の細い流れの近くで、一年中良く湿っていて、時折日が差すような場所に生える背の低い灌木の枝に着生しています。初めて見たときは、屋久島には普通にある、良く似た別の種と混同していました。ですが、念のため証拠となる標本を持ち帰り、顕微鏡の下で詳しく調べてみると、全く異なる形をしていることがわかったのです。ただヤクシマコモチイトゴケは雌植物だけしか知られておらず、胞子体(植物の花に相当します)をつけません。少し伸びた枝先の葉の間に線形の無性芽(むかご)をつけますから、おそらくは無性的に繁殖しているものと思われます。

 

 新種を学界に報告するためには、どの仲間かを確定しなければならない決まりになっています。つまりどの属に所属させるかをはっきりさせないと新種の記載ができないのです。ですが、そのためのもっとも有効な手だとなる胞子体をつけていませんから、しばらくの間、ヤクシマコモチイトゴケを報告することができませんでした。このとき役に立ったのが、犯罪捜査でも活用されているDNA塩基配列の差異を利用する方法です。葉緑体遺伝子上に載っている一つの遺伝子の塩基配列情報を、たくさんの既知の種のものと比較することで、どの仲間に含まれるかを推定するわけです。私にはこのような技術がありませんでしたら、カナダ在住のコケ研究者に実験を依頼することになりました。

 

 その結果は、新種どころか属という、もう一つ上のレベルで、これまで知られているものと違っていることがわかったのです。これは本当に驚きでした。形態の相違に基づいて正確な判定が下せなかったのは、分類学者としての能力が劣っていることでもあり、決してほめられたことではありません。とはいっても、客観的な情報によって結論を出すことができた点では、胸をはることができると、自分を慰めたりもしています。

 

 普通種だと思ったとしても、なんだか少し違うなぁと感じるところがあれば、とりあえず証拠となる標本を採取しておくこと、そして持ち帰ってからしっかりと調べるのがとても大切なことなのですが、今回の一番の教訓は、判断材料にこまったときは仲間を頼って、より多くの情報を得るように努めることで道が開かれるということです。分類学というのは、個人による孤独な作業ばかりではなく、複数の分野の専門家が連携して事に当たるという協同作業でもあることをあらためて実感することができたのでした。

 

(自然・環境評価研究部 秋山弘之)

 

 

20100930A-1.jpg写真1 薄暗い林内で、黄緑色の光沢のある短い枝を出して、灌木に着生するヤクシマコモチイトゴケ

 

 

20100930A-2.jpg写真2 明るい場所ではなく、林内の薄日が差し込む程度の、小さな沢沿いのよく湿った場所にヤクシマコモチイトゴケは見つかる

 

 

20100930A-3.jpg写真3 記載論文に使った解剖図

 

 

20100930A-4.jpg写真4 新種として報告されたキノボリヒメツガゴケ

 

  omote2.jpg以前にもブログでこの写真の生き物について紹介したかと思います。
http://info.hitohaku.jp/blog/2008/09/post_158/

この生き物は、甲殻類エラオ亜綱チョウ目チョウ科チョウ属のチョウです。
学名は、Argulus japonicus Thiele,1900 。当館の液浸収蔵庫にも一部標本が保管されています。エイリアンのような格好で、養殖のコイに付着する外部寄生性の水生動物として知られています。

この写真等をブログで紹介したところ、しばらくして、広島大学の長澤先生より標本提供の依頼があり、提供させていただきました。しばらくした後に、長澤先生らにより、この標本をはじめ各地のチョウやチョウモドキ(朝来のアマゴに付着)に関する記録が以下の論文で取りまとめられています。チョウ類のことを調べたい方には、以下の文献が役立ちます。

長澤和也ら(2009)本州西部で採集されたチョウとチョウモドキ、J.Grand.Sch.Biosp.Sci.,Hiroshima Univ.48:43-47.
長澤和也(2009)日本産魚類に寄生するチョウ属エラオ類の目録(1900-2009年). Bull.Biogeogr.Soc.Japan 64.135-148

市民の方からの通報にはじまり、ブログへの掲載、そして学術論文として記録が残ることになって、なによりです。こうして、自然史の情報が積み上がってゆきます。
なかなか採れない生物、希少でマイナー生物は、こういった形で情報を流通させることで大切だということを再認識。甲殻類の専門家はこの博物館にはいませんが、生物多様性情報のハブ機関としての自然史系博物館の役割が良くわかる一連の顛末でした。
あらためて、広島大学の長澤先生にお礼申しあげます。

(みつはし ひろむね)

ヘコミ系の昆虫調査

2010年3月 9日
 西宮市自然保護協会の方々が収蔵庫でオサムシの標本調査をされました.市域に分布するオサムシを中心に,武庫川,猪名川流域のものも含めて徹底的な調査のようです.

 トラップなどによる野外調査も精力的に行っておられますが,今回の標本調査も慎重で丁寧なものでした.館としてはオサムシ科(広義の)の標本が置いてある場所をお教えすることくらいのお手伝いしかできません.それらの棚にある標本箱を順番にスキャンしていき,各個体のラベルを読んで関連の調査対象の標本であればデータを記録していくという,地道な作業です.まるまる3日×8時間×2〜4人でリストアップして居られました.

 [昆虫調査]というと,野外での採集調査を思い浮かべますが,公共の収蔵庫や個人コレクションでの標本調査も重要な意味を持ちます.採集では新規に記録される種があるわけですが,標本調査では過去の記録の再確認や,自らが行った採集調査の裏づけ的な意味合いが強いです.
 野外の調査は[やった!こんなのが採れた!初記録!]といった盛り上り系なのに対し,庫内では[やはりあの記録は間違いであったか…]とか[自分たちは採集できなかったが,やはり居ることは居るみたい.]逆に[これだけ探して採れてないということは,やはり生息していないのだろう.]といった,どっちにしてもため息の出る,ヘコミ系の成果が得られます.してその両方とも重要なのです.

 まぁ,和気あいあいで作業しておられましたが,ほんとうに頭がさがる思いです.


今日のプルプル3D

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Tomapoderus ruficollis
セアオオトシブミ(沿海州産)

昆虫共生 沢田佳久

今回まで、6回にわたってインドネシア、スマトラ島のパダンのようすやジャワ島のパンガンダランのようすを聞いていただきました。調査のおおよその内容は、3年前のものですが:

http://www.jstage.jst.go.jp/article/primate/23/0/23_51/_article/-char/ja/

に載っています。この連載でお伝えした日本語論文は、昨年、日本霊長類学会の論文誌『霊長類研究 Primate Research』に書かせていただきましたが、まだインターネットにはなっていないようです。

 また、昔、1997-98年のエル・ニーニョの年にパンガンダラン自然保護区で採集してあった植物は、人と自然の博物館の研究紀要『人と自然 Humans and Nature』に載せていただきました。インドネシアでも役に立つリストですので、インドネシア人の学生にも読んでもらうために、日本語ではなく英語で書いたのです:

http://www.hitohaku.jp/research_collections/no20pdf/No20_11.pdf


 インドネシアの調査はこれからも続けていきますが、この連載(れんさい)は、今回でいったん終わりにさせていただきます。また研究がまとまったり、言いたいことが出てきましたら、このブログで報告しようと思います。連載(れんさい)の最後になる今回は、自分の研究のことではなく、パンガンダランでお会いした漁師(りょうし)のことをお話します。自分が調査をした土地に住む人びとには愛着が生まれますし、日常の生活から森をはぐくんできた人びとでもあるからです。

 今では砂州(さす)でジャワ島本土とつながったパンガンダランですが、砂州ができたのは、百年ほど昔のことでした。それまでは小さな島だったのです。小さな漁村があるだけのところだったと思います。ところが、パンガンダランに砂州(さす)ができて、島にラフレシア・パトマ(Rafflesia patma)という珍しい植物(ラフレシアの一種)がはえていると確認されると、自然公園になり、観光地として発展していきました。砂州(さす)があると砂がたまるので、海水浴場ができるのです。


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(写真:メスのシルバールトン。姉妹だと思います。このサルが何を食べるのかを、おもに観察していました。)   

 

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(写真:林床(りんしょう)で座っている若いカニクイザル。オスだと思います。)

 
  シルバールトンやカニクイザル、それにサルではありませんが、ヒヨケザルと呼ばれる動物など、調査をしたい研究者がうわさを聞いて集まるようになりました。京都大学の渡邊邦夫(わたなべ・くにお)さんは、もう30年以上前から、インドネシアの研究者と協力してパンガンダランのデータを集めています。その数多くの調査の中から、わたしは、パンガンダランで押し合いへし合い混み合って暮(く)らすシルバールトン――ここのように多くのシルバールトンが、ひとところで暮(く)らす例は、ほかにありません――が何を食べるのかを観察しているのです。ルトンは木の若葉が大好きですから、パンガンダランには、どんな木がはえているのだろうということが気になって、それでインドネシアの研究者といっしょに植物リストをまとめてみました。それが、上でご紹介した英文のリストです。

 もともと漁師の村があったのですから、パンガンダランに自然公園ができてからも、漁師には、いろいろな例外が認められています。自然公園の中を自由に行き来できることもそのひとつです。自然公園というものは保護地域ですから、ふつうは自由に行き来することが禁じられているのです。森の中には、人びとの伝承を伝える<王家のお墓>もありました。

 昔からくふうしたらしく、さかなを捕(と)る技法にはいろいろなものがあります。大物をねらう磯の竿づり、沖のやぐらで灯(あか)りをともして太刀魚(タチウオ)をねらう夜釣り、いろいろな底魚をとる地引き網(じびき・あみ)やアミという小型のエビを、舟で網を引いてとる方法などがあります。人気のある車エビの仲間は網でとるのだと思います。高価なイセエビの仲間は、道具を使うというよりも、もぐって手でつかむのではないでしょうか。


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(写真:岸近くに泊めてあるボート。舟の左右に見えているのがアウトリガー。船外機を取り付けられるように、舟のおしりは平たくなっています。右手の遠くに見えるのが、太刀魚(タチウオ)つりのやぐらです。)

 パンガンダランには、小さな魚市場(うお・いちば)があります。パンガンダランではいつもせわになっている民宿ラウト・ビル(=海・青い)のすぐそばです。魚市場(うお・いちば)には、朝早くから、その日にとれたさかなが並びます。その前の晩(ばん)に漁師(りょうし)がとってきたさかなです。イセエビの仲間も魚市場(うお・いちば)で売られていますが、車エビは市場ではなく、パンガンダランにずらっと並んだ魚介レストランに、直接おろされます。漁師(りょうし)が魚介類(ぎょかい・るい)の仲買人(なかがい・にん)や魚介レストランもかねているのでしょう。そうして並んだ車エビやさかなを、観光客がめずらしがって買っていき、またその場で食べるのです。

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(写真:魚市場に並んださかな。) 


 アミは、インドネシアの「えびせん」、<クルプッ・ウダン>(=揚げせんべい・エビ)になります。ですから、獲物(えもの)がわたしたちの目に触れる事はなく、アミはすぐに、近くの加工場に運ばれてしまいます。

 いちばん高く売れるのが、磯で竿づりをしたクエでしょう。2メートルもあるものが運ばれていくのを見たことがあります。しかし、磯の竿づりは体力がないととてもできませんし、つれるかどうかが運しだいです。それに較べて網漁(あみりょう)では、あまり運は関係ないようです。見ていると、アミの網漁(あみりょう)には、毎日決まって出漁しているようでした。


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(写真:舟をタテに並べて、アミ用の網を引きます。)


 女性は、男性に混じって網も引きますが、それよりも、手間のかかる、後のさかなの処理(しょり)が大変そうです。小魚や小エビはすだれに並べて干します。干し上がったさかなで、かたちのよいものはおみやげにして売っています。かたちが悪くても、味に差はないのですから、きっと家(うち)で食べるのでしょう。

 


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(写真:漁師さんやその奥さんが、網をあげてくつろいでいます。)

                                                 

   mitani2-6.jpgのサムネール画像

 (写真:熱帯魚のようなかたちをしたさかなを干していました。アジの仲間でしょうか?)


 海岸一面に打ち上げられた貝ガラも、かたちのよいものは観光客に売れます。男が寝ている間に――夜中は海に出ているのですから、眠っておかないといけません――奥さんたちが貝拾いをしているところには、よく出会いました。


 

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(写真:おみやげにする貝をひろっているところです。)


 漁師は、何となく、無口(むくち)な印象があります。でも、それはわたしの思い込みにすぎませんでした。話をしてみると、何とも気持ちのよい人たちでした。パンガンダランにはこのように漁師がいます。漁師とは別に、近くの農民がパンガンダランに出てきて、人力自転車(じんりき・じてんしゃ)の<ベチャ>を漕(こ)いでいることがあります。安く人を乗せたり、荷物を運んだりしてくれます。あといるのは役人とホテルを経営している華僑(=中国系のインドネシア人)です。華僑は、もちろんインドネシア語もしゃべりますが、自分たちどおしでは中国語をしゃべっています。お金持ちが多い華僑は、パンガンダランではなく、大都会のジャカルタに住んでいることが多いのです。ですから、本当に土地の人ということになると、漁師と農民、それにお役人ということになります。

 パンガンダランは行政区でいえば西ジャワ州になりますが、中部ジャワ州とは目と鼻の先です。このあたりはスンダ民族が多く住む、スンダ語が通じる社会です。スンダ語は、いわゆるジャワ語とは異なります。社会もスンダ民族に固有のものなのでしょう。その中にあるパンガンダランですが、観光地であるだけに、スンダ社会とは少し違うようです。

 最後です。パンガンダランで見た「カニクイザルのカニ探し」のことを書いて、終わりにします。

 パンガンダランの砂浜には、何種類かのカニが住んでいます。よく見かけるのは小さな、米粒(こめつぶ)のようなシオマネキです。でもシオマネキは小さすぎて、食べてもおいしくなさそうです。やや大きな種類のカニは、砂浜に横穴(よこあな)を掘って住んでいます。この大きな方のカニを、カニクイザルが食べていました。

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(写真:若いカニクイザルが腕(うで)を地面(じめん)に突っこんで、 何かを探しています。)


 ある日、群れから離れて、若いオスザルが何かを探しているところに出くわしました。オスザルは熱心に砂浜を掘っているようすです。何をしているのかわかりませんでしたが、写真を撮(と)っておきました。オスザルは何かを食べているようです。オスザルの去った後、そのあたりに行ってみると、カニの穴(あな)が掘り返され、カニの甲羅(こうら)が食べ残されていました。


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(写真 サルが去ってから近くに寄ってみると、カニの甲羅(こうら)や 足が散っていました。)


 パンガンダランでは、人もカニクイザルも、同じようなエモノをとらえて、毎日のかてにしているようです。(おわり)


三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所/ 兵庫県立人と自然の博物館


※このブログで掲載されている文章・写真の無断転用・転載はご遠慮ください。

バッサバッサと大きな羽音を立てて飛んでいくサイチョウは、アジア・アフリカの熱帯林やサバンナに暮らす鳥です。わたしが調査を行ってきたタイの熱帯林には、大きな黄色いくちばしのオオサイチョウ(写真1、2)、立派な突起があるツノサイチョウ(写真3)、オレンジ色が美しいナナミゾサイチョウ(写真4)、ちょっと地味なキタカササギサイチョウ(写真5)など、13種のサイチョウが暮らしています。

 

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(写真1:カミキリムシの仲間を捕まえた若いオオサイチョウのオス。)

 

 

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(写真2:捕獲したオオサイチョウのくちばしを固定している筆者。)

 

 

 

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(写真3:子育て中の営巣木を訪れたツノサイチョウのオス。) 

 

 

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(写真4:調査用に捕獲されたナナミゾサイチョウのオス。) 

 

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(写真5:キタカササギサイチョウのオス。)

 

 

サイチョウは木の実や昆虫などの小動物を食べます。大きなくちばしを使って、木の実を一つずつ上手につまみ上げて、丸飲みします。1グラム程度の小さな果実なら、一度に200個以上を食べることもあります。主食は木の実ですが、時には小鳥の巣を襲い卵やヒナを食べたり、1メートルを超えるヘビを食べたりもします。

サイチョウは大木のうろを利用して子育てを行います。サイチョウのメスは産卵前に餌の受け渡しができるくらいの隙間を残して、うろの入口をふさぐ形で巣ごもり、ヒナを育てます(写真6)。これはサイチョウ以外の鳥類には見られないユニークな行動です。メスは自由に大空を舞う生活から、狭いうろの中で子育てに専念します。一方、つがいのオスはうろの中にいるメスと大食漢のヒナのために毎日せっせと餌を運びます。ずっとうろの中で過ごすメスと餌を運び続けるオス。サイチョウの子育てはなかなか大変です。

 

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(写真6:子育て中のキタカササギサイチョウの営巣木。入口の隙間から、うろ内にいるメスのくちばしの先端がのぞいている。)

 

メスが営巣を開始してから数ヶ月後、オオサイチョウやツノサイチョウなどの大型のサイチョウでは1羽、ビルマサイチョウやキタカササギサイチョウなどの小型のサイチョウでは2〜4羽のヒナが巣立ち、森へと飛び立っていきます。サイチョウたちが暮らしている熱帯林やサバンナを訪れるのは、なかなか簡単なことではありませんが、兵庫県では神戸花鳥園でオオサイチョウとツノサイチョウを見ることができます。

 

北村俊平(自然・環境マネジメント研究部)

 

 

 

 

 

 

 

企画展『六甲山のきのこ展2010〜リアルな森の妖精たち〜』のポスターが完成しました。
制作デザインは、御影高等学校2年生の吉田咲季子さんです。Photoshop Elementsとタブレットを駆使して見事にデザインされています。前回の御影公会堂でのポスターから、格段にレベルアップしています。メインキャラの娘の髪型もマッシュルームカットに!絵が上手いだけでなく、内容構成できているあたりが凄いです。こちらから注文した『ブラックサタン・魔女風』デザインも、ちゃんとロゴデザインが『黒執事風』で対応。背景画像にも定点観測地の景観がわかる写真を採用しているのもGOO。ナイフにも何気にサインが入っているあたりがプロ志向、素晴らしいです。

poster_kinoko.jpg    0211raster.jpg
(左が前作で、右が今回作です。今回作は、茶色系で統一されてます。)

さて、この企画展は、2月11日から始まります。ただいま準備中。
以下のとおり、先生と生徒が並べ中でして、まもなく完成する見込みです。
tennji3.jpgこのところ、この展示会の準備に追われています。これまでもご紹介してきたように、この展示会は御影高等学校での総合学習の一貫でして(そのレベルをすでに超えてますが・・・)、高校生はもちろんのこと、兵庫きのこ研究会の皆さんの協力というか、全部おまかせでやっているものです。
私の役割は、ちょこっとお手伝いと技術指導だけです。

tennji2.jpg
左の写真にあるように、やっと全部のキノコを並べることができました。今年の展示では、約180種になります(1〜2種扱いに困っているのがまだある)。昨年よりも、物量的に圧倒しております。

展示解説パネルも増えています。
六甲山のキノコの出現種数の予測であったり、雨量との関係性を解析したものもあれば、キノコの水彩画や写真など、いろんなコンテンツが満載です。
兵庫きのこ研究会の岩崎さんによる美しい水彩画も加わり、賑わっています。


本日のメインイベント(工作)は、採れすぎたキノコを使ってのジオラマづくりです。この企画は、高校生からの提案です。ジオラマづくりを指南します。
eki_funyuu.jpg  jiorama2.jpg  jiorama3.jpg
こんな感じで、不飽和ポリエステル樹脂に、御影高校の校長室の前で採った土を乾かして(御影を代表する土です!)、練りあわせて基盤に流し込んでいきます。基盤となる木材は、MDFパネルを使い、端材で枠をつくります。
流し込みは2回に分けて行い、水たまりっぽい印象のところに、粗めの土をまぶせて行きます。

kugi.jpg  kugi2.jpg

あらかじめ、キノコを立てる位置をきめておき、板の裏側から釘をうって、そこにプラスティネーション化したキノコを差し込んで立てます。もちろん、マツの葉や落葉樹のはっぱも上から配置します。
割と簡単にできますので、興味のある方はどうぞ。戦車を置きたいと言って人もいました。

all1.jpgこんな感じ展示会の準備がラストスパートになっています。
きのこに関心のある方は、ぜひ2月11日以降に、ひとはくへお越しください。

(みつはしひろむね/箱庭づくりは癒されます)

R0010388.jpg雪の降る寒いなか、本日(2/6)、川のなかに入って手作りによる川の自然再生を行いました。
兵庫県三田土木事務所が開催する、武庫川上流ルネッサンス懇談会というチームで実施しているものでして、ちょっとした工夫で川の自然をちょびっと再生する試みです。
これを、小さな自然再生と呼んでいます。手軽に日曜大工感覚で、川に手を加える訳です。
人間の健康でいえば、マッサージとかツボ押しぐらいでしょうか。

今回の試みは、魚がのぼりやすいように工夫することです。各方面からユニークな方々、スペシャルゲストが集まり、作業は大賑わいでした。作業時間は、朝9時から2時までみっちり。

現場は、武庫川上流の藍本地区にある日出坂の堰です。ここでは、古い井堰があるため、川のなかに段差があり、遊泳能力が乏しい魚は堰を超えて上流に行くことができません。
それで、2つの工夫を行いました。

1つめは、堰自体に簡単な階段上のプールや水がたまる場所をつくることです。
R0010433.jpg   R0010422.jpg
上の写真のような感じで、急斜面だったところを階段式にして、水をためる訳です。堰の横側にフレームを取り付けて、板を固定します。左上の写真の右側にあるのが新たに設置した堰板です。
作業は全部手作業とはいきませんので、ハンマードリルが大活躍します。

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stone.jpgこんな感じで堰の下側にも石をぴっちり並べます。石には、鉄筋が差し込まれていて(既製品です)、川底にドリルで穴を開けて、そこに差し込みます。
さらに、隙間から水が漏れにくいようにするために、石の隙間には水中ボンド(エポキシ樹脂)を練って詰め込み、小石を噛ませます。ひとつづ丁寧にとめてゆきます。今の時期は、水が少ないので、劇的に魚がのぼりやすい感じに改善されてはいませんが、雨が降って水位がやや上昇すると、石や板が抵抗となって、水がせりあがり、落差が小さくなります。魚が遡上するのは雨のあとが多いので、現状よりは確実に落差は小さくなると思われます。

2つめの方法は、『魚道を造らず、魚道を創る』というオリジナルな技です。
何かというと、この堰の約20mぐらい下流側を石でせき止めて、小さなタマリをつくります。
ちょうど狭くなっている部分を活かして施工します。
R0010401.jpg  R0010406.jpg
石をネットにくるんで、小さなダム(武庫川新規ダムと呼んでいる人も・・・)をつくるわけです。
リレー方式で石を運びます。右上の写真のように、どんどんよどみが出来てみます。
今回の施工だけで約10センチぐらいの水位が上昇しましたので、少し雨がふれば、堰の落差はもっと小さくなると予想されます。このネットの部分に土砂が詰まり、植生が繁茂してくるのを期待しています。

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こんな感じで、約20〜30m区間をかけて川の段差を解消させてゆきました。
魚が上流へと遡上するのは、すこし雨が降って増水したときが多いので、今の見た目以上に段差が解消されるものと思いますが、果たして上手くゆくでしょうか。春先の雨と産卵期に期待です。

上手く行かなかったり、石が流されたりすることも予想されますが、それはそのときに直せばいい。
手づくりの川づくりだからこそ、直しや調整も自分たちで対応できるといった点がポイントでもあります。こうした小さな取り組み、『小さな自然再生』の技法を各地で開発&挑戦中ですので、次は別の事例も紹介してゆきたいと思います。
興味のある方は、今年度末にまもなく発刊されるリバーフロント整備センターが発刊する『FRONTムック』をご覧下さい。小さな自然再生をいろいろと紹介しております。

(みつはしひろむね/ちかごろ工作がつづきます)


河南堂珍元斎でございます。

さて、「フラハチ君の冬越し」のその2の一席でございます。

つづいて、冬編。2010年1月24日。すっかり三田は底冷え。フラワータウンも冷蔵庫状態でございます。冬越しと観察のため、大谷研究員の観察箱に引っ越ししたフラハチ君たち。このきびしい寒さの中どうしているか・・・(以下 フラハチ=フ  珍元斎=珍 大谷研究員=大と表記)

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フ:「おっ、久しぶりやな。」

 

珍:女王バチさんは、寒さで産卵停止中。働きバチたちは互いによりそいあたためあっています。美しいですね。絆って感じですねえ。

 

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フ「アホかいな、わしらは、こないでもしとらな生きられへんのんや。女王バチさんが産卵はじめはるまで、なんとかみんなで生き延びていかなあかんさかいなあ。」

 

大:セイヨウミツバチは5千匹はいないと冬越しできないんです。寄り添っても温度の維持ができないんですね。まあ、この観察箱は20度の湯たんぽであったかくしてあるので大丈夫ですが。

 

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珍:えさはどうしてるんでしょう?

 

フ:「ちゃんとわしらが蓄えた蜜を食うとんねん。そやけど、これがなくなったらエライこっちゃなあ。あったかい日には蜜とりにいかんとなあ・・・。」

 

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 大:そのとおりです。温度が8度くらいならじっとしていますが、10度を超えると、ハチたちは飛べるので、なんとか蜜を探しにいきます。冬に活動するのはミツバチたちだけです。DSCF0006.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

珍:へえ、寒さにも強いんですね。でも花はあるんですか?

 

 大:2月には梅が咲きます。暖かい日を見つけては、梅の蜜を探しにでかけるはずです。

 

 

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フ:「ひとはくはメンテナンス休館中らしいな。わしらは年中無休やぞ。」

 

珍:館はメンテナンスですが、僕らは働いてますけど。でも虫なのに、2月から働くんですか。ほんまにハタラキバチですね。見習わないと・・・。

 

 

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大:あったかくなるとまた増え始めるはずです。今度は、フラハチの外の巣箱に分けた群を見にいきましょう!

 

珍:フラハチ君!無事冬越しすることを祈っています。仲良くあたためって冬を乗り越えるんですよ。あったかくなったら、またきますね。

 

 フ:「おう、まかしときな!また来いよ。」

 

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では、つづきは春のおたのしみ・・・。

 

河南堂珍元斎でございます。

さて、「フラハチ君の冬越し」の一席でございます。フラハチ君については前のブログ、捕獲大作戦!(その1http://hitohaku.jp/blog/2009/09/post446/ その2 http://hitohaku.jp/blog/2009/09/post_449/ )、飼育中(http://www.hitohaku.jp/blog/2009/09/post_464/)をお読みいただき、

今回はその続きで、秋から冬にけてのレポート!

まずは秋編から。捕獲から2カ月たった11月1日。秋も深まり、冬越しと観察のため、大谷研究員の観察箱に引っ越ししたフラハチ君たち。どういてるかなと巣をのぞいてみました。(以下 フラハチ=フ  珍元斎=珍 大谷研究員=大と表記)

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フ:「あっ、また、へんなおっさんが来たぞ・・・」

珍:女王バチさんは一生懸命1日1,500個の卵をうみ、働きバチたちはそれを喜ぶかのように、女王バチを中心に輪になって踊っています。いや、それとも、お世話をしているのでしょうか?

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フ「アホかいな、わしらは、女王バチさんのにおいをかがしてもろとんやがな。卵産みはったんを喜んで踊っとうわけでも、お世話しとうわけでもないがな。」

大:そうなんです。ロイヤルコートって呼ばれる行動で、働きバチにとって女王バチのにおいは精神安定剤のような効果があるんです。DSCF0442.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

珍:あっ、働きバチが帰ってきて巣の中へ・・・・

尻ふりダンスです。自分が蜜をとってきた場所を教えているのでしょうか?

 

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フ:「尻の先はちゃんと蜜をとった方向をさしとうけど、わしら、つい興奮が抑えられず、尻を向けてしまうんやがな。」

 

 大:ダンスは本能的な興奮しての行動で、自分が蜜をとりに行った飛行行動を再現しているように思います。ダンスよりもニオイで伝達されているというほうが現実的かと考えています。

 

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珍:よくよく見ると、背番号がついています。野球でもをするんでしょうか。だれがエースで4番なんでしょう?すごいハチたちですね。

 

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 フ「ちゃうがな、貼られたんがな。そのおっさんに。研究やいうて、わしらが生まれたてで、ハリが固まらんうちに、つかんでボンドでつけられるんや。だいぶん慣れたけど、やっぱ邪魔な気するけどなあ。」

 

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大:はい、刺されないように生まれたての子どもに、1時間で3ミリ×5ミリのゼッケンを50枚くらいつけます。それで、番号別に、ハチの行動を追跡調査して研究しています。

 

 

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珍:あっ、これは日本酒。フラハチたちは研究されているだけじゃかわいそうなので、たまには、ごほうびにお酒もらっているんですね。

 

大:いえ、ハチの群をあわせる時に使います。酔ってにおいがわからなくなるんです。観察のためのは数が多すぎたので、フラハチたちの群をわけるため、お酒で酔わせて群の一部を他の群に合流させました。

 

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珍:へえ。どこにいるか酔ってわからなくなるんですか。僕もたまにありますけど・・・。。さあ、うまく冬が越せるかどうか?乞うご期待。

つづく・・・。

身近な化石の話

2010年1月28日

人と自然の博物館で最近の化石の話題と言えば、なんといっても恐竜の化石です。しかし私は、小学生を対象としたセミナーで、チャートという石に含まれる、放散虫化石の話をよくしています。化石にはめったにみつからない珍しいものというイメージをもたれることが多いのですが、放散虫化石は身近なところにいっぱいあるのです。

furutani1-1.JPGのサムネール画像         写真:加東市の道ばたの砂利(およそ半分がチャート) 

放散虫は海にいるプランクトンの一種で、二酸化ケイ素でつくられた殻をもっているので、化石として残りやすい生物なのです。殻の大きさは0.1mmから0.2mm程度のものが多く、とても小さな生物です。放散虫化石が特に多く含まれている石がチャートなのです。チャートは微細な石英で構成された、とても硬い石です。色は黒、赤、白、青、緑など様々なものがあります。チャートの表面を水で濡らして10倍以上のルーペで観察すれば、放散虫化石を見ることができます。

furutani1-2.jpgのサムネール画像

                 写真:チャート中の放散虫化石(黒っぽく丸いもの)写真の長辺が約6.7mm

多くのチャートは、遠洋域の深海底に降り積もった放散虫の死骸がもとになって作られたと考えられています。その堆積物が海洋プレートの上に乗って大陸の下に沈み込むときに、大陸の縁辺部にくっつくのです。このようなチャートを含む地層が、北摂、丹波、播磨地域に広く分布する丹波帯や超丹波帯です。これらの地層の分布域ではチャートを見ることはできますが、それ以外の地域でも、チャートはよく見られる石です。その理由はチャートがとても硬い石だからです。地層が浸食されて石ころになったチャートは、川によって遠くまで運ばれるのです。そのため近くに丹波帯や超丹波帯などの地層が見られない、例えば加古川市などの平野部でもチャートは学校の校庭の片隅や田んぼのあぜ道にごく普通に転がっている石なのです。その意味で放散虫化石は私たちにとても身近な化石ということができるのです。

                                              

                                             古谷裕(自然・環境評価研究部)

 

 今回からスマトラ島を離れて、おとなりのジャワ島に飛びます。パンガンダランの話をしましょう。

Nov1_MMitani.GIF  (図1:インドネシア、ジャワ島の地図とパンガンダラン自然保護区の公園地域を中心とした地図です。パンガンダランは、ジャワ島本島南岸から海に突き出しています。Sは熱帯林の二次林を、TとMは、それぞれチーク(T)とマホガニー(M)の人工林を表します。もともと国立公園になる前はチークとマホガニーの植林地でした。二次林にかこまれたメッシュ(G)は草地を表します。)

 ジャワ島というのは、首都ジャカルタのある、インドネシアでいちばん人口密度の高い島のことです。前回までお話ししていたスマトラ島の東にあたります。そしてパンガンダランというのは、ジャカルタから南東に行ったところにある海に突き出たような町(森?)です。もともとそこは「パンガンダラン島」だったのですが、後に砂州(さす)ができてジャワ島とつながり、今のような形になったのだそうです。スマトラ島から行くとすると、まずパダンからジャカルタまで飛行機で飛び、ジャカルタの近くで一泊して、朝早くパンガンダランに向けて、車で出発することになります。

 ジャカルタの近くには、ボゴールという町があります。ここはボゴール農科大学(のうか・だいがく)やボゴール植物園のある大学の町です。ボゴール農科大学には、ジャワ島を訪れるたびにお世話になるバンバン・スリョブロトさんが勤めていらっしゃいます。バンバンさんやほかのボゴール農科大学の皆さんがいらっしゃるので、ボゴールのホテルなら、何となく安心するのです。

 ボゴール農科大学の皆さん同様、パンガンダランの人びとにも、インドネシアで調査をはじめた頃からずっと世話になっています。考えてみれば、わたしとパンガンダランとの付き合いは長いのです。インドネシアに行くまで、わたしはアフリカのコンゴ共和国――ブラザビル・コンゴのことです。コンゴ川をはさんだおとなりの大国、コンゴ民主共和国、つまり旧ザイール=キンシャサ・コンゴとは異なります――に、長くかよっていました。ところが、アフリカ中央部の熱帯林地域で大きな戦闘(せんとう)がおこり――いわゆる<アフリカの七カ国戦争>です――、あまりにも危険なために、コンゴ共和国には行けなくなってしまいました。それでインドネシアのパンガンダランにかようようになったのですが、こちらも残念ながら、1998年を最後に行けなくなってしまいました。インドネシアの調査を再開したのは2007年になってから、パンガンダランを再訪したのは、やっと2008年になってからです。

 この文章を読んでいらっしゃる皆さんの記憶の片隅(かたすみ)には、残っているかもしれません。パンガンダランは「津波におそわれた町」として有名になりました。2006年6月、大きな津波がジャワ島の南岸一帯にひろく押しよせました。パンガンダランは、観光地としてヨーロッパで人気が高かったのですが、地形が海に突き出していたために波をもろに受けてしまい、ホテルを初め、多くの建物が壊れてしまいました。おまけに小舟で海に出ていた漁師など多くの土地の人びとが亡くなりました。パンガンダランは、ジャワ島南岸一帯でも、かくべつ被害のめだったところなのです。

  Nov2_MMitani.jpg (図2:津波でこわれた家です。観光客がもどってきました。

      2008年9月撮影。)

 最初にパンガンダランを訪れた時は、インドネシア人を中心に観光客がもどりはじめたところでした。しかし、建物は家屋(かおく)といわずホテルといわず崩壊(ほうかい)したままです。多くの場所は放置されていました。ですからわたしは、調査地の森も津波でひどいありさまになっていると思ったのです。でも、わたしの予想に反して、そんなことはありませんでした。海水をもろにかぶったところは、さすがに立ち枯れもしていたのですが、たいていのところは津波の痕跡(こんせき)もありません。どうしたことでしょうか?
Nov3_MMitani.jpg(図3:津波の時、海の水が浸かったために立ち枯れをした森のようすです。もともとはりっぱな熱帯林でした。林冠(りんかん)の葉がなくなったために、日光が林床(りんしょう)にとどくようになり、陽地性(ようち・せい)の草がしげっています。)

 被害の集中した建物の多い町なかには、木というものがほとんどありません。木が植わっていれば波を防ぐクッションになったのでしょうが、海に突き出たパンガンダランには、そもそもアグロフォレスト、つまりかく家庭の森、屋敷林がありません。そのために、直接、波をかぶることになったのです。でも、森なら木があります。ですから、森では波の被害が減ったのだと思います。それに何より森の植物は、長い進化史の中で何度も大きな災害にあってきたはずです。自然の災害に耐えていけないのだとしたら、とっくに絶滅しているはずです。そうではありませんか?

 2回目に訪れた今年のパンガンダランは、復興も3年目ですから、目に見えて再建がすすんでいました。昨年は、防波堤は工事途中でしたが、今年は完成し、何となく安心感がありました。保護区やその手前のレジャー公園――地図では「公園地域」としています――もよく整備されて、サイチョウという鳥の仲間や、シルバールトンという葉っぱを食べるサルの仲間、ニホンザルに似たカニクイザルやルサジカをよく見かけました。

                        Nov4_MMitani.JPGのサムネール画像   Nov5_MMitani.JPG

(図左:赤ん坊を連れたメスのシルバールトンです。あまり地上に降りないサルですが、この時はたまたま下りていました。シルバールトン(=「銀のルトン」)という名前ですが、パンガンダランのものは真っ黒です。それにひきかえ、赤ん坊は黄色くてよく目立ちますね。

図右:赤ん坊を抱いたメスのカニクイザルです。生まれたての赤ん坊は、黒っぽい体毛をしています。)

 シルバールトンやルサジカは葉っぱが好物ですから、人の持ってくるスナックには見向きもしません。しかし雑食性のカニクイザルはスナックが大好きです。それで観光客が増えれば野生のカニクイザルが増えるという、一見おかしなことが起こります。カニクイザルは、かんたんに餌(え)づいてしまうのです。そのため、津波の後、観光客が来なくなったためにめっきり数が減っていたパンガンダランのカニクイザルは、今、急激に増えているようです。

 葉っぱの好きなシルバールトンはどうなのでしょう?ルトンは、観光客が減ろうと増えようと関係がないようでした。それよりも、ルトンの好きな植物が減っているか増えているかが問題なのでしょう。

 パンガンダランの1年目の調査のようすは、日本霊長類学会の機関誌「霊長類研究 Primate Research」 2009年25号

に載せていただきました。こちらは科学論文ですので、少しむつかしいかもしれませんが、その代わり、パンガンダランのことを日本語でくわしく載せていただいています。インターネットから取れると思ったのですが、2009年号はまだ掲載されていませんでした。もうすぐインターネットにも載ると思います。また掲載されたらお知らせします。(つづく)


三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所/ 兵庫県立人と自然の博物館


※このブログで掲載されている文章・写真の無断転用・転載はご遠慮ください。

enokitake.jpg                                            エノキタケ 

スーパーや八百屋の店頭でパック詰めされたものとは,まるで見かけが異なりますが,これが本当の姿です.独特の強い香りとビロード状の毛が生えた黒っぽい軸が目印です.12月から春先にかけての寒い時期にだけ生えますから,他のキノコと間違えることはありません.

                                 秋山弘之(自然・環境評価研究部)

 

昨年の6月に、篠山市に分布する篠山層群下部層(14000万年〜12000万年前)から、哺乳類を含む多数の小型脊椎動物化石が発見されました。私は、それら小型脊椎動物化石の内、トカゲ類化石の研究を行っています。日々研究していく過程で、少しずつですが篠山層群のトカゲ類について明らかになっていくことがあります。そこで私は、先日英国で開催された米国古脊椎動物学会の第69回例会で、これまでの研究の進捗状況を発表してきました。

 

米国古脊椎動物学会(Society of Vertebrate Paleontology)は、年に一度例会を開催します。その例会には、米国の研究者のみならず世界中の研究者が集うため、実質的には古脊椎動物学の国際大会となっています。09年度は、これまでの例会では初の試みとなる北米大陸外での大会となり、英国のブリストル大学で923-26日の4日間開催されました。今回の大会には、約20ヵ国、総勢約1000名の研究者が参加し、900を超える研究発表がおこなわれました。

 

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 写真(口頭発表の会場)

 

例年この大会では多数の研究者が発表するため、研究内容により選別され複数の会場にて発表が行われます。上の写真は一番大きな口頭発表の会場です。大会参加者は、事前にプログラムを調べ自身の興味のある演題を聞きもらさないように多数の会場を行き来します。

 

 

Octikeda-1.JPGのサムネール画像                       写真(ポスター発表)

 

今回私は、上の写真のようにポスターで研究成果を発表しました。このポスター会場では、お酒やスナックが振舞われ、世界中の古生物学者が交流を深め、研究についての情報交換が行われます。私は当初、「発表中にお酒はちょっと・・」と思っていましたが、少しお酒が入ることで、国籍を超えてスムーズにお互いが打ち解けることが出来るようです。

 

発表の成果も上々で、多くの研究者に、「日本の白亜紀前期の小型脊椎動物化石の発見は非常に重要で、今後の調査を楽しみにしている」とコメントを頂きました。また著名なトカゲ類化石の研究者とは、研究上疑問に思っていることや今後の課題について議論でき、非常に有益な研究発表となりました。今後も、随時、研究成果を発表していく予定です。

 

                               池田 忠広(自然・環境評価研究部)

ネパールでの植物調査の話のつづきです。

前回のお話はこちら http://hitohaku.jp/blog/2009/09/post_467/

◆調査中の食事はダル・バート、タルカリ(豆のスープとご飯、カレー味の野菜)が基本です(写真左:キッチンボーイが給仕をしてくれる)。朝は軽くダル・バート、タルカリ、昼はパンにタルカリ(写真中)、夜は豪華にダル・バート、タルカリです。ですが、コックは日本の調査隊に毎年参加していて、好みをよく分かっているので、海苔巻きや玉子丼、春巻き、ピザ(写真右)、ポリッジなど多国籍な調査隊に合わせた料理を作ってくれました。この多様な料理に、何度もネパール調査に来ているイギリス人もびっくり。自分たちの調査でも彼を雇いたいと大喜びでした。
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◆ネパールで怖いものといえばお日様、山蛭、高山病でしょう。西ネパールはとても乾燥していて、そのせいかとても暑い。毎日雨傘を日除けに使っていました(写真左)。日焼け止めも必要不可欠で、付けないと水ぶくれができて皮がむけてしまいます(写真中)。少し涼しくなると山蛭がウジャウジャとやって来ます(写真右)。髪の中に入っていたりして嫌でしたが、東ネパールに比べればまだまだ少ない方なのだそうです。また、今回は残念ながら4000mを越えるところまでいけなかったので、高山病の心配はありませんでしたが、去年はヘリコプターを使って緊急に山を降ろしたほどの重病人がでました。高山病を甘く見てはいけません。


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◆日本での調査もキャンプをすることが多かったのですが、日本では、全て自分でしなくてはいけません。寝る場所を探し、テントを張り、ご飯を作り、標本の型直しをして、サンプルの整理をする。ところが、ネパールではキャンプ場につくとテントは張られていて、お茶を出してくれ、テントで待っているとご飯が出てきます(写真左:朝食を待つサーブたち)。標本作りやサンプル整理もシェルパに手伝ってもらえるし、なんて素晴らしいんだと思いました(写真中:サーブのテントを片付けるシェルパたち)。
ただし、疲れても、調査が嫌になっても迎えは来てくれません。ただ自分の足で歩くのみです(写真右:元気なシェルパと疲れたサーブ)。
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◆最後に今回の調査で見かけた動物のいろいろ
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肝心の植物調査の話は全く出てきませんでしたが、それはまたいつか。

                                    山本伸子(自然・環境評価研究部)

2009年6月〜7月にかけて、ネパールでの植物調査に行ってきました。研究者は、日本人5人、イギリス人2人、ネパール人2人、中国人1人の計10人、調査地は西ネパールの端、バジャン地域。そこでの調査の一端をご紹介します。

◆ネパール調査の大きな特徴のひとつは、各研究者(サーブ)にシェルパと呼ばれるお手伝いをしてくれる人が1人付くことです(写真左)。彼らはテントにサーブの荷物を運び、朝はテントをたたんでくれます。私たちの調査道具やお弁当、水筒まで持ってくれますし(写真中)、植物採集やサンプリングの手伝いもしてくれます。私たちでは危ない場所にもシェルパは軽々と行って、植物を採集してきてくれます(写真右)。
研究者につくシェルパ以外にコック、キッチンボーイ、標本シェルパなどがいます。

  Nepal1-1.jpgのサムネール画像        Nepal1-2.JPG            Nepal1-3.JPG

   (サーブとシェルパ)      (ランチの準備をするシェルパ)    (岩場の植物を採るシェルパ)

 

◆ポーター(荷物を運ぶ人)の存在も忘れてはいけません。ネパールでの調査は足での移動が基本です。求める植物のあるところは、車も車の通れる道もありませんから、荷物はすべて人の足で運ばれます。今回の調査で雇ったポーターは70人。私たちの荷物やキッチンの道具、テント、標本作りに最も重要な新聞も150kg以上運びました。今回、研究者、シェルパ、ポーター合わせて100人近い隊になりました(写真)。

Nepal2-1.JPGのサムネール画像                                (荷造りをする様子)

         Nepal2-2.JPG                        Nepal2-3.JPG        

      ( ドッコ(荷物籠)を運ぶポーター)       (1人30〜40kgの荷物を運ぶ)

 

◆調査の間はテント生活をします(写真左)。研究者1人に1つのテントが与えられます。このほか食   事をするダイニングテント、キッチンテント、標本テントがありますが、私にとってもっとも重要だったのはトイレテントです(写真右)。今回は、女性がいるということで、トイレテントを立ててくれましたが、男性ばかりの時はトイレテントはないのだそうです。 (つづく)

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                                    山本伸子(自然・環境評価研究部)

 

このお話は続きます。お楽しみに!

めっきり秋らしくなってきました。植物たちも冬越しの支度をはじめています。今日はユクノキというマメ科植物の冬芽をご紹介します。 

2枚の写真を用意しました。どこが違うかお分かりですか?右手に持っている葉柄の根元の変化にご注目。下の写真では、葉がついていた場所から白い円錐状のものが顔を出しています。これが冬芽です。葉柄の基部が鞘状に膨らんで冬芽を包み、保護しているのです(葉柄内芽といいます)。今年展開した葉が、来年成長する予定の「枝の赤ちゃん」である冬芽を守っているわけです。よく出来た仕組みだと思いませんか? (自然・環境評価研究部 高野温子)

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めっきり秋らしくなってきました。植物たちも冬越しの支度をはじめています。今日はユクノキというマメ科植物の冬芽をご紹介します。 

2枚の写真を用意しました。どこが違うかお分かりですか?右手に持っている葉柄の根元の変化にご注目。下の写真では、葉がついていた場所から白い円錐状のものが顔を出しています。これが冬芽です。葉柄の基部が鞘状に膨らんで冬芽を包み、保護しているのです(葉柄内芽といいます)。今年展開した葉が、来年成長する予定の「枝の赤ちゃん」である冬芽を守っているわけです。よく出来た仕組みだと思いませんか? (自然・環境評価研究部 高野温子)

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一昨日西播磨方面へ調査にでかけました。するとこんな花が歩いている道のすぐ脇に咲いていました。マヤランです。標本や培養されているものは見たことがありましたが、野外で咲いているのを見たのは初めてです。びっくりしました。(高野 温子 自然・環境評価研究部)

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 前回は、スマトラ島の大きな町パダンからインドネシア中に拡がったパダン料理の由来と、ミナン・カバウの伝統社会についてお話ししました。今回は、ミナン・カバウの男たちの暮らしについてお話ししましょう。

0809_MMitani4-1.jpg                  (写真:上空から見たパダン上空のようすです。むこうに見えるのがバリサン
 
        山脈、手前はインド洋です。川が蛇行しているのがよくわかります。)

 


 ミナン・カバウは母系社会(ぼけい・しゃかい)です。母系社会というのは、財産や義務の相続(そうぞく)が、母や母の祖先から娘になされる社会のことです。そして、旅が勧められる社会でもあるのです。男たちは皆、あちこちに散っていきます。そんな人のうち、料理の好きな男たちが、自分たちの食べている料理を食堂に並べたのです。それは出身地の名前をとって「パダンの料理」と呼ばれました。これが「インドネシア料理」の代名詞となったパダン料理の由来でした。


 
 「旅が勧められる社会」というと、まず思い出すのは「イスラーム世界のラクダの旅」でしょうか? 王子さま、王女さまが「ラクダに乗って砂漠を旅する」というロマンチックな情景は、歌にも歌われています――実際にラクダに乗ってみたことのある人はわかるでしょうが、ラクダの背中は、乗ってみるとロマンチックでも何でもありません。ラクダが咬みつくことがありますし、尻は痛みます――。インド洋に面したスマトラ島は、インドネシアの中でも、特にイスラームの影響がつよく、ミナン・カバウの人びとも熱心なムスレムとして知られています。「旅が勧められる社会」というのもイスラームの影響だろうかと思ってしまいます。しかし、じっさいには、イスラームの人びとがやってくる以前からミナン・カバウの人びとが持っていた社会習慣でした。


 
ミナン・カバウの人の割合を見ると、多くのコミュニティーはリアウ州やジャンビ州、北スマトラ州という、パダンのある西スマトラ州にとなりあった場所に見られますが、それとともにインドネシアの首都である巨大都市ジャカルタや、さらには半島にある西マレーシア、人工的な都市国家シンガポールにも見られます。シンガポールには華僑やマレーシア人とともに、ジャワ人、ミナン・カバウ人、オラン・ラウト(現在のインドネシア語では「海の人」という意味です。マレー語でも同じ意味でしょうか? “海の民”とでも訳しておきます。土地に定住しない、ノマッドとしてくらす人びとのことです)など、多くの民族が住んでいます。

0809_MMITANI4-2.jpg          (写真2:ブタオザルにヤシの実の収穫をさせていた男性にであいました。
         写真は、まだ若いオスのブタオザルだと思います。男性がつなをひいてサル
         の動きをコントロールします。)



 研究のために日本に来ているリザルディさんは、若いミナン・カバウの男性です。ある時、リザルディさんに、ミナン・カバウの「旅が勧められる社会」についてうかがったことがあります。わたしは、ミナン・カバウは、華僑、つまり「中国から海外に進出した漢民族」に似ているような気がしたのです。するとリザルディさんは、

 「ミナン人――ミナン・カバウの人は、自分たちのことをミナン人と呼びます――と華僑は似たところもありますが、本質は違います。華僑は資本をつぎ込んで大きな商売をしますが、ミナン人は小さな商いです。華僑が家族で移住してくるのに対して、ミナン人は、男だけが“一旗揚げに”よそへ出ていくです。ミナン人は、いつも、もどるべき故郷は確保しています」

と教えてくれました。さらに、

 
  「ミナン人には、成功した人もいますが、事業に行き詰まって貧乏をしている人がいます。でも、ミナン人に共通することは、程度の差はありますが、町と故郷を行ったり来たりしていることです」

  ともつけ加えました。華僑は親せきや縁者をたよって家族ともども海外に出て行き、新しい土地に住み着いて、そこでコミュニティーをつくります。神戸や横浜の「中華街」は、そんな人びとによって作られたコミュニティーです。


 リザルディさんの教えてくれたことを、わたしなりに解釈すると、(現在の?、あるいは伝統的な?)ミナン・カバウの人びとは華僑のように移住するのではなく、田や畑は故郷に残したまま、規模の小さな商売(=行商?)をしにいろいろなところに出ていくのです。つまり、田や畑やアグロフォレストや家は、女性にしっかり守ってもらって、男たちは、さまざまな冒険の旅に出たということでしょう。わたしは男ですが、このような生活にはあこがれてしまいます。

 

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        (写真3:リザルディさんの生まれた家は、この近くだそうです。山の斜面に
         つくられた畑があります。葉が赤い木は、日本でも人気が高いクスノキ科の
  
       シナモンです。大切な換金作物です。)



 いにしえのミナン・カバウの移住者や開拓者にかかわる伝説はスマトラ島のあちこちに残っています。スマトラ島ばかりでなく、西マレ- シアは、ミナン・カバウによって15世紀から16世紀にかけて開拓された土地だそうです。

 
ミナン・カバウには、このような文化習慣があったのですが、最近はそれがくずれてきたといいます。たとえばジャカルタのミナン・カバウは、前回も紹介した加藤 剛さんの「都市と移住民:ジャカルタ在住ミナンカバウの事例」(東南アジア研究21巻、1983年)によると、「長期定着を目的とする遠距離都市への核家族ぐるみの移住が一般的となっている。ミナンカバウのいう、“中国風ムランタウ”(=華僑のような家族ぐるみの移住:三谷 注)である。大消費人口をかかえる都市の出現により、行商にしろ露天商にしろ、定着的な商いが可能になり、ひいては核家族による移住が可能となった」のだそうです。<ムランタウ>というのは地理的な移動のことを指します。もともとは「知識や富、名声を求めて村を出ること」を意味しました。現在の貨幣経済(かへい・けいざい)の影響も大きいのでしょう。


 
リザルディさんは、今はアンダラス大学の講師ですが、大学院生のころは日本に留学していました。わたしとは日本留学中に知り合いました。留学のために日本に来て、初めて帰る時には、何をみやげに持って帰るかを真剣に考えたといいます。相手の年齢や、その人が男か女かといったことをよく考えなければなりません。日本に<ムランタウ>をして「知識や富、名声」が手に入った(?)のですから、村に帰る時には山のようなおみやげが必要だったのでしょう。しかし今は、それほど真剣には考えなくなったということでした。(つづく)


   
三谷 雅純(みたに まさずみ)
   兵庫県立大学 自然・環境科学研究所/ 兵庫県立人と自然の博物館

 

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先日、岩手県北上市で行われた木材採集会に行ってきました。植物採集でなく、あえて木材採集というのは、山に生えている樹木を切って、その樹幹を集めるからです。樹幹を集めるためには樹木を伐採しなければならないので、ふつうの植物採集のように簡単にはいきません。まず林野庁に国有林での伐採許可を申請し、許可書を取ってから管轄の森林管理署へ出向き、許可エリアの山や林道の様子を聞き、林道ゲートの鍵を貸してもらって初めて山へ入ります。

山では、おもに花や実をつけている樹木を探し、直径20 cm以下の細い樹木を鋸で切り倒します。太い樹木の場合は、チェーンソーを使い樹幹から材ブロックを採取します。

 

mokuzai1.jpgのサムネール画像            (写真1チェーンソーで材ブロックを採集する)

 

 

切られた樹幹にはラベルをつけ、花や葉と合わせて写真を撮ります。

 

takahasi2.jpgのサムネール画像    (写真2 材にラベルを打ち、花とともに写真撮影)

 

枝先を採って証拠さく葉標本としますが、高い樹木の枝の採集が大仕事で、電線保守用の高枝切りを操るには若者の体力と、年配者の熟練した技術との共同作業が必要です。

 

takahasi3.jpg      (写真3 さく葉標本用の枝先の採集)

 

採集会は現地よりも宿舎に帰ってからの方が大変です。重要な仕事は標本作りと食事の用意です。標本班は、乾燥機にかけている標本の乾燥具合のチェック、さく葉標本の形直し、)、材標本からプレパラート用の小さなブロック切り出しなど、夕方5時から7時過ぎまで休む間もなく作業が続きます。

 

takahasi4.jpg                (写真4 さく葉標本の方直し)

 

夕食は食事班が食料の買出しと料理を担当し、標本整理が終わるころ交代で入浴し、8時過ぎにようやく全員そろって夕食です。調査は基本的に自炊で、10数人の食事を朝、昼、晩と作るのはかなり大変ですが、美味しくても不味くても、自分たちで作った食事での酒盛りは楽しいものです。夜11時頃までには就寝して、翌朝は6時からまた標本チェックと朝食準備。食後、お昼のおにぎりを作って、8時には山へ出発します。合宿のような採集会ですが、フィールド経験の浅い若い人たちには、現地での樹種鑑定や伐倒、標本作りなどの技術習得の場として重要な意味があります。

 

 

takahasi5.jpg    (写真5 若い大学院生たちに材ブロック作りを教える)

 

この木材採集会は、(独)森林総合研究所(森林総研)が主体となり、国産全樹種の木材組織識別データベース化を目的として、樹幹(材鑑標本)、証拠さく葉標本、画像資料、DNAサンプルなどを収集しています。私もひとはくの開館前から参加して、おもに樹種同定とさく葉標本作りで協力してきました。それらの材鑑・さく葉・プレパラートの重複標本は、ひとはくの収蔵庫にも保管しています。

 

takahasi6.jpg            (写真6 ひとはくの材鑑標本)

 

1万点近い日本産材をしかも証拠標本つきでそろえた森林総研の木材標本庫は、世界的に貴重な標本庫として認識されるようになってきました。しかし、まだ国産全種の収集には遠く及んでおらず、木材採集会は今後も継続されることになっています。

 

                                高橋 晃(自然・環境評価研究部)

 皆さんご存じでしたか?兵庫県立人と自然の博物館には100万点以上の収蔵資料があることを!

     ちょっとびっくりしませんか。

 その中には、非常に貴重な資料で、日常的に展示することができない資料もあります。また、化石や魚類や昆虫類、植物など、展示できるように整理されていない資料もたくさんあって、全部を展示することはできません。

 

 じゃぁ、展示されていない資料はどこに眠っているかって?

 その謎を探るために、博物館の”蔵”をのぞいてきました。 

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 この大きな扉の奥は・・・・

 

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 広い収蔵庫棟の部屋の中は、ロッカーで埋め尽くされています。ロッカーの上には未整理の資料などが段ボール箱やコンテナボックスに入れて並べてあります。

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動物の骨格の標本やハチの巨大な模型などもあります。

 また収蔵庫の一角に厳重に管理された金庫があります。この中には金塊が・・・・!

resized_500_P1000173.JPG 実は「タイプ標本」といって、世界中で基準になる標本が管理されています。基本的に世界に一つしかない基準の標本ですから、大変重要な標本です。

  

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  動物や植物などの生き物だけではなく、古い地図なんかも収蔵されています。研究員は本(古地図)を傷めないように、ちゃんと手袋をして取り扱います。

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 恐竜の化石もおいてありますが、恐竜以外にも、貝殻の化石だとか木の葉の化石だとか、たくさんたくさんあります。

 化石だけではなくて、岩石の標本などもたくさん収蔵されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 魚などは、ホルマリンやエタノールにつけ込んで標本になります。研究員が自分で採集してくるものもあり、いつ・どこで・何をなどをマジックで書いて、整理を待っている資料もたくさんあります。

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 今回探検した収蔵庫は、「生物系収蔵庫」、「環境系収蔵庫」、「液浸収蔵庫」、「地学系収蔵庫」でした。博物館の一番大事なところを探検させていただきました。

 

 今回の探検で、博物館は標本を展示して来館者に観てもらうだけではなく、研究の最前線として学術標本(タイプ標本など)を保管・提供・研究するための研究施設でもあることがよーくわかりました。

 

情報管理課:八尾

 

 

インドネシアは広い国です。広い国土と自然の中で人びとがさまざまにくふうしたために、文化や食べ物もさまざまです。もともとインドネシアはひとつの民族からなり立っているというよりも、さまざまな民族がより集まってできた<人工の国>でした。ですから、もともとは民族集団ごとに特色のある文化があり、料理があったのです――料理はりっぱな食の文化です。ところが、そのようなインドネシアにも、例外的にひろく拡がった料理があります。それはパダン料理です。

 パダン料理は「インドネシア料理」と紹介されることがありますが、もともとスマトラ島の一地方料理、ミナン・カバウの料理でした。ミナン・カバウは西スマトラ州のミナン・ハイランドと呼ばれる山岳地域を中心に住んでいたのですが、今では西スマトラ州――そこにパダンという都市があります――はおろか、インドネシア全体にひろがりました。なぜ、そんなに広がったのでしょう?それはミナン・カバウの伝統社会のあり方と、おおいに関係があります。

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(写真:パダン料理店 屋根は典型的な「ウシのつの」型をしています。建物の右下には、外からでも見えるように、いくつもの料理が並んでいます。)

 

 皆さんは母系(ぼけい)社会という言葉(ことば)をご存じでしょうか?現在の日本では、人は死ぬ前に遺言(ゆいごん)を書いておけば、たとえば自分の財産(ざいさん)を受け取る人を決めておくことができます。遺言がなかったら、男であるか女であるかを問わず、家族ならどの人でも、法律で決まったわりあいで受け取ることができます。財産以外では、これは法律で決めてあるわけではありませんが、たとえば誰がお墓を護(まも)るのかといったことを習慣として決めておきました。このことを相続(そうぞく)と言います。母系社会というのは、その相続が母や母の祖先から娘にされる社会です。前回、紹介したアグロフォレスト(=屋敷林:やしき・りん)も、ミナン・カバウの人たちにとっては母の持ち物であり、娘に引き継がれるべき財産です。

 ミナン・カバウは、現在でも母系社会をたもっています。ただ母系社会とはいっても、お父さんの役目は、日本で見るのと変わりはありません。ある日、パダンのアンダラス大学でお世話になった先生のおうちで、夕食をごちそうになったのですが、その家庭のホスト役は、おだやかなお父さんが、もの静かに務めておられました。母家長(ぼ・かちょう)であるはずのお母さんはごちそうをつくるのに忙しく、あまり長い間おしゃべりをしたという記憶はありません。

 いずれにせよ、システムとしては母系の社会なのです。そして旅が自由にできる社会でもあるのでしょう。土地にしばられるようなかつての日本では考えにくかったことですが、男たちは皆、商人としてあちこちに散っていきます。そんな商人のうち、料理の好きな男たちが、自分たちの食べている料理を食堂に並べたのです。それは出身地の名前をとって「パダンの料理」、つまりパダン料理と呼ばれました。これが「インドネシア料理」の代名詞であるパダン料理の由来です。

 

パダン料理店では、お客が食事に来ると、まず、小皿に盛った肉やさかなを、これでもか、これでもかと、お客の前のテーブルいっぱいに並べます。その中から、お客は、自分の食べたいものを好きなだけ食べ、最後に店員が客の食べたものを確かめて、お金を請求するというやり方です。この方法だと、自分の腹具合にあわせて好きな物をほしいだけ食べらます。その上、あまりインドネシア語ができなくても問題にはなりません。よい制度だと思うのですが、でも、ついつい食べ過ぎてしまう人もいるかもしれません。

s-mitani3-2.jpg(写真2:レストランで働く若い男たち 女に比べて圧倒的に多くの男、というより少年が働いています。)

 

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(写真3:わたしの前に並んだ料理の数かず すべて食べるわけではありません。基本的に、牛肉と鶏肉、それに魚料理です。左の白いひげ面がわたし。右はアンダラス大学の講師リザルディさん。)

 

スマトラ島はインドネシアでは、いちばんイスラームの影響が強いところですから、パダン料理ではブタ肉とお酒は絶対に出ません。豚肉とお酒は、イスラームではタブーです。それにインドに近いからでしょうか、パダン料理にはカレー粉をよく使います。「インドネシア料理」とカレー粉の取り合わせは、パダン料理の影響だと思います。でもパダン料理には、ほとんど野菜を使いません。ミナン・カバウの人たちは、野菜の代わりに果物を大量に食べて、繊維質やビタミンを補うのだそうです。それでも、西スマトラは高血圧の人が多いのだと聞きました。

 

s-mitani3-4.jpg(写真4:屋台に並べられたドリアン パダンの街(まち)はドリアンの季節でした。家のアグロフォレストから取ってきて、屋台に並べます。すると、ほしい人がひとつひとつ品定めをして、よいと思うドリアンを割ってもらいます。すると大きな種を包む甘い種皮があらわれます。ほおばるとカスタード・クリームのようです。)

あちこちに散っていったミナン・カバウの人たちは、パダン料理を食べるとき以外でも、郷里である西スマトラの山や田んぼをなつかしく思うのでしょうか?
 
 なつかしく思うのだと思います。たとえば、インドネシアで一番大きな大都市ジャカルタには、ミナン・カバウの各村の同郷会があります。この同郷会は、たいへん人びとの結びつきが強く、たとえジャカルタ生まれであったとしても、自分はミナン・カバウだという思いは消えないそうです。
 
 その他にも、在ジャカルタ・西スマトラ州連絡事務所という、まるで「ミナン・カバウ大使館」のようなはたらきをしている事務所や、ミナン・カバウの伝統的な踊りや音楽を演ずるための組織、ミナン・カバウの言葉を守ろうというのでしょうか、ミナン・カバウ・アナウンサー協会といった専門家の団体まであります。このようなミナン・カバウの組織は、今でも、西スマトラの郷里に残る人びとと深い精神的つながりを絶やすことはないようです。
 
 わたしは昔から、パダンや西スマトラ州周辺のべつの都市を訪れたとき、若い男性のなれなれしさにおどろいたことがありました。そのような「なれなれしさ」は、この文章を書いていて、旅と漂泊(ひょうはく)の裏返しなのではないかと気がつきました。父系(ふけい)社会と土地にしばられた日本では、なかなか見られなかったことです。でも漂泊の人生は、たとえば中国やインドの人びと、「アラブの商人」と呼ばれるイスラーム世界の人びと、ロマの人びとなど、地球の上では広く見られます。そのことを思うと、案外、日本のような「同じ場所に住み続ける人」の方が珍しいのかもしれないなどと考えたりもします。
 
 今回の文章では、東南アジア研究21巻に載っていた加藤 剛さん(1983)の「都市と移住民:ジャカルタ在住ミナンカバウの事例」という論文を参考にしました。(つづく)
 
三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所/ 兵庫県立人と自然の博物館

 

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フォギング

2009年5月26日
 日本ゾウムシ情報ネットワークの「地域ファウナ調査会」が5月15日から25日まで京都大学の芦生研究林(京都府丹南市)で行われ,幹事業務を兼ねて参加しました.

 11日の期間のうち参加メンバー20名が集中的に採集するのは23〜24日で,天気が悪く気温も上がらず,虫の動きは低調でした.天気の様子や季節の進み具合を見て臨機応変に採集方法を使い分け,採集対象をきりかえるのも技のうち.ビーティングを中心に,捕虫網でのスウィーピング,樹幹を刷毛で払う方法(名称不明)など,それぞれに工夫して採集しておられました.

 これらの通常採集のほかパントラップやFIT(フライト・インターセプト・トラップ),マレーゼトラップなども設置しました.パントラップやFITは歩きながら良さげ場所に次々と仕掛けていくだけで,ときどきザルで回収して回るだけの手軽な方法です.マレーゼトラップは設置には手間がかかりますが,一旦設置すると,定期的に回収に行くだけです.

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パントラップ,FITと回収用具

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マレーゼトラップ

 興味深かったのは東京農業大学の方々が4人掛かりで行っていた「フォギング」です.狙った木の下に受け皿を設置し,エンジン付きの噴霧器で巨大蚊取り線香を焚きます.霧に当たって落ちてくる虫は漏斗状の受け皿の底の瓶に回収されます.
 目的の枝に正確に十分に霧を当てるためには,時間帯を選んだり,空気の流れを読んで噴射する位置どりを変えたり,けっこうコツが要る作業のようです.
 もちろん受け皿の設置にも手間と時間が掛かります,今回は朝方の風の弱い時間帯に噴霧するため,逆算して起床は4時起きだったようです.噴霧完了後の落下待ち時間は約2時間.回収が完了したあとの撤収にもそれなりに時間が必要です.

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フォギング

 昆虫の採集方法は割と単純で機動的なものが多いのですが,その中でこのフォギングはきわめて大掛かりなものです.こういうのもあるんだなぁ,というのが感想です.

昆虫共生・沢田佳久

5月16、17日に高知県で学会がありました。その学会のあと、せっかく高知県まできたのだからと18日に高知県物部村に岡山理科大学のスゲの先生とゼミ生と調査に行ってきました。

前の日は大雨でどうなるかと思いましたが、当日は大変良い天気で暑いくらいでした。

普段は特に目につかないスゲですが、たくさんの種類がありました。
観察できたスゲは、イワカンスゲ、カンスゲ、アブラシバ、チャイトスゲ、コハリスゲ、タマツリスゲ、メアオスゲ、ナキリスゲ、イトアオスゲ、ヒメスゲ、ニイタカスゲ、ヒナスゲなどです。

また、コガクウツギ、ヤマフジ、ツツジやスミレの仲間、テンナンショウの仲間などきれいな花をつける植物もたくさんありました。

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山本伸子(自然・環境評価研究部)

1月24日(土)に14名で産声を上げ発足会を行いました。そのあと,観察会を実施
しましたが,鳥をほとんど知らない人も多く,あの鳥何の鳥?スズメ?とワイワイガヤ
ガや観察会を行っている途中,有馬富士公園内である人の足元から鳥が飛び立ち,
びっくりして『アット鳥』と一言,それがアトリでした。そんな感じで楽しい一日を過ごし
ました。

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2月12日(木)に2回目の観察会を深田公園周辺等で実施しました。この日は温かい
天気に恵まれ,まだ2月10日過ぎというのに蛙も蛇も冬眠から目覚め,深田公園周辺
で写真のような出来事がありました。野鳥観察中に足元にいたヘビにかわせみの会の
女性たちはキャー!2月にヘビはいませんものね。写真ではわかりませんが,このヘビ
は攻撃的でした。尻尾を震わせ,鎌首で攻撃してくるさまはガラガラヘビのようでした。
ひとはくの田口先生に聞いたところ、シマヘビの黒くなったもので、カラスヘビだそうです。

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しかし,アオサギにくわえられたウシガエルは本当にかわいそうでした。せっかく冬眠か
ら目覚め,外の世界を見ようとしていたときの出来事なので哀れを誘います。
 
深田公園と下深田の田んぼで野鳥観察を行い,30種の野鳥が観察できました。東京都
内のオアシスといわれる明治神宮でも年間約50種とBSNHKで放送していたので、すば
らしい野鳥の数と思います。観察会が終わったらナント2時前でした。
鳥合わせをみんなで行い,急いで昼食をとり,そのあと,希望者で有馬富士公園福島大池
に向けて出発。狙いはもちろんヒメハジロです。まだ池にいるかどうかわからないけど、とに
かく出発。公園のロビーにもヒメハジロ飛来を大きく宣伝してあり,池にいることを確信しまし
た。
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目を皿のようにして池の中を探します。いたっ!と誰かの大声。みんなでその方向を双眼鏡
で追います。
いた!いた!

すぐに潜水をし姿を隠すが、すぐに浮き上がってくる。黒い頭の目の横の白いマークがとって
も目立つ。体は小さいがチャーミングでとてもかわいい。距離があるのでカメラで写せないの
で何度も何度も目に焼き付けた。

野鳥観察はとてもすばらしい!ヒメハジロよく来てくれた!「かわせみの会」のみんなもます
ます鳥が好きになっていくと確信した一日でした。

(人と自然の会 かわせみの会  能勢公紀)   

2008年の12月下旬から1月上旬にかけて,タイ国北部チェンマイ近郊にあるインタノン山(Doi Inthanon)で行われた日本・タイの協同調査に参加してきました.インタノン山はこの国の最高峰です.麓一帯の落葉性フタバガキ林,中腹の山地性シイ・カシ林,そして山頂付近のあつくコケ類に覆われた雲霧林まで,さまざまな森林が豊かに広がっていて,インタノン山は国立公園になっていて,タイの中でもっともよく森が残っている場所の一つです.調査中に森が雲に覆われると,幻想的な雰囲気になります(写真1).


写真1:雲に覆われた森の様子

 今回私たちのチームの目的は,標高1700mの山地林に設けられた縦300m横500m,面積15ヘクタールにもなる永久調査区内に生えている,およそ16000本の樹木に着生する植物の種多様性を調査することでした.もちろん,一回の調査ですべてを調べることはできず,少なくとも今後3年間はつづく研究になります.


写真2:高木の樹幹の様子


写真3:木登りの準備

 今回は60mに達する高い木の幹や上部の枝に着生する植物を調べました(写真2).普段人が知ることのない場所に,どんな植物が生活しているのかを知るためです.庭の柿の木を登るのとはスケールがあまりに違うため,日本から木登りの専門家も参加されていました.普段は樹上に建物をつくるツリーハウスの現場や木登り講習会などで活躍されている方です.木に登るためのたくさんの道具が持ち込まれていました.朝のぼると夕方まで降りてきませんので,結構大変な仕事です.登るための道具も,安全を考えてるととてもたくさんになります(写真3).


写真4:一番下の枝まであとちょっと

木登りといっても大木ですから幹を登ることは不可能で,上部の枝にかけたロープに特殊な器具(登降器)をつけて,それを何度も上下されることで上へ登ります.ですから,途中ではロープ一本に完全にぶら下がっている格好になります(写真4).

 私はコケ植物が担当でしたし,高いところは苦手なので,木に登ることもなく,ひたすら毎日林床を歩きまわり,地面や樹幹,ときには上から落ちてきた枝や幹についているコケ植物を集めていました.宿舎に戻ってからは,木登りチームがもちかえった地上40m〜60mの枝を調べて,そこについている大小様々なコケ植物を集めます.そのおかげで,日がよくさす林冠部と薄暗い林床部では,そこに生えるコケの種類が相当違っていることを実感することができました.


写真5;花盛りのサクラ

 調査期間中は雨期あけにあたり,ちょうどサクラの花盛り.小振りのピンク色の濃い花で,その可憐な姿は日本の早春を思わせるものでした(写真5)

自然環境評価研究部 秋山弘之

皆さんは、インドネシアというと、どんなとことをイメージされるでしょうか?
「暑くて、いともかんたんに伝染病が広がる、貧しい国」でしょうか?

 インドネシアは、大小の島々がつらなった島国です。マレー諸島とセレベス島
やニューギニア島の一部まではいってしまう、とても大きな国なのです。
面積は日本列島の5倍もあります。ですから、「インドネシア人」と一口に言っ
ても、いろいろな人がいます。民族や話すことば、さらには食べ物までもが、も
ともとは、地方によってことなったのです。

 そういえば、人と自然の博物館から毎年行っている島はボルネオ島ですが、ボ
ルネオ島というのはマレーシアからの呼び名で、インドネシアではおなじ島をカ
リマンタン島と呼んでいるのですよ。

 わたしはむかし、毎年のように、アフリカのコンゴ共和国とインドネシアに行
っていました。ところが日本での仕事が忙しくなり、忙しくなりすぎて、とうと
う6年前に脳梗塞になってしまいました。右半身が動かなくなったのです。そし
て闘病の後、2年前からやっとインドネシアには行けるようになりました。今で
はかなり動けるようになりましたが、それでもやはり、山に登ったり、坂をかけ
下ったりといったフィールド・ワークはムリなのです。

 今、行っているのは、スマトラ島という西の端の大きな島と、ジャワ島という
首都ジャカルタのある島です。

 スマトラ島のパダンという都市にあるアンダラス大学の先生といっしょに、車
に乗せてもらっていなかを回り、どんなところにどんな動物がいるかを調べます。
また病気になる前から通っていたジャワ島のパンガンダランでは、シルバールト
ンというサルの食べ物を調べたりしています。
  
   写真;パダンの街なか

 スマトラ島では、伝統的な〈我が家の畑〉がだんだん見られなくなっています。
それでもパダンの近くにはまだよく見られますが、パダンから山脈を越えた北東
へと続く広大な地域には、すでに伝統的な〈我が家の畑〉は見られず、かわりに、
どこまで行っても油ヤシのプランテーションが広がるようになりました。おなじ
地域には、国際的な石油会社もパイプ・ラインを伸ばしています。
  
   写真2:若い油ヤシの畑

 野生動物の生息は、プランテーションを広げたり、パイプ・ラインを引いたり
する妨げになります。ここにはアジアゾウやスマトラトラがいます。でも、生息
地を追われたゾウやトラは、畑に入りこんだり、家畜や人をおそったりするので、
人びとから恐れられています。

 スマトラ島では、経済的な開発と、伝統の生活と、野生の自然が、互いにせめ
ぎ合っているのです。
(この連載は、不定期に続きます。)

  三谷 雅純(兵庫県立大学/人と自然の博物館)

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年に一度、古生物学者なら誰でも知っているSociety of Vertebrate Paleontology
という国際学会が開かれます。
08年度は、アメリカのオハイオ州クリーブランドで、10月15-18日の4日間開催され、
三枝研究員と私は、丹波の恐竜化石など自身の研究について発表してきました。
丹波の恐竜化石の世界デビューです。

学会の参加者は総勢約1000名、発表者は約700名と数字だけみてもとても大きな大
会であることがわかります。
大会は町で一番大きなホテルを借りきって行われました。


写真�@(口頭発表の会場)

上の写真は口頭発表の会場です。何百人とはいる大会場で口頭発表が行われ、
一番後ろに座ると発表者の顔が見えません。最終日にはこの会場でパーティ
も行われます(パーティでは、みなさんそれぞれに着飾ります)。


写真�A(ポスター発表)

今回私たちは、上の写真のようにポスターで研究成果を発表しました。このポス
ター会場では、お酒やスナックが振舞われ、世界中の古生物学者が交流を深め、
研究についての情報交換が行われます。
私が最初大会に参加した時、「発表中になぜお酒?」と思いましたが、少しお
酒が入ることで、国籍を超えてスムーズにお互いが打ち解けることが出来るよ
うです。

発表の成果も上々で、多くの著名な恐竜化石の研究者が丹波の恐竜化石につい
て興味を抱いているようです。
今後も、随時、研究成果を発表していく予定です。

池田 忠広(自然・環境評価研究部)

ミツバチが収穫ダンスを踊り、その距離と方向の情報を読み取り、その情報を使い
こなしていると信じられてきた。ところが、実際に収穫ダンスのデータを取ってみる
と、信じられている実態と違うことがいくつか見つかる。
とくに、餌場に行ったことのない働きバチは、ダンス情報を「受け取っても」餌場の
場所に関するダンスをまったく踊ることができない事実には驚かされる(もちろん何
度か行けば踊れるようになる)。
また、最近の神経生理学や進化発生生物学の発展から「ダンス言語所持」を眺望
してみると、いろいろ疑問が生じてくる。尻振りダンスの客観情報を読み取ることは、
最高レベルの高度な能力を必要とするのだが、それが100万ニューロン程度の「微
小脳」で可能なのか、という疑問が湧いてくる。

 ミツバチが得意とする嗅覚情報を、実験系から完全に取り除くことは不可能に近く、
今までの実験的な証明を難しくしている。ロボット蜂の実験でも、その実力は本物の
1/5〜1/10程度と言われている。
この「実力」は漏れでた匂い情報によるものと考えることができる。

 ミツバチの世界に、匂い「言語」とダンス「言語」がある場合、その状況を精査して
みると、古い感覚系の匂い「言語」を差し置いて、高度な情報処理系のダンス「言
語」は進化しようがなく、萌芽的な状況のままで存在していることが推測される。

 ダンス「言語」を使っていないとすれば、ミツバチたちはなぜ収穫ダンスをするのだ
ろうか。現在の推測は、飛行の興奮が蓄積したとき、興奮が漏れ出して、通常使用
している飛翔筋や歩行筋を発動させてしまうというものである。いうなれば、生理的
条件がそろうと、つい出てしまう「くしゃみ」や「汗」のようなものと考えている。

                           大谷 剛(自然・環境マネジメント部)


背番号をつけた働きバチ: 収穫ダンスの実験では必ずしも個体マークはつけない
のだが、個体の日齢や経験が関係するので、つけるべきである。


観察巣箱: 餌場から帰ってきた働きバチがどのようなダンスを踊るのか、踊らない
のかをこの観察巣箱でチェックしていく。

4月23日午後5時30分からNHKラジオ第一放送(666KHz)にひとはくの池田研究員
が出演しました!


(閉館後の恐竜ラボで)

収録場所は、20日にオープンしたばかりの「ひとはく恐竜ラボ」お昼に30分ほど、NH
Kラジオのリポーターと打ち合わせをして、いざ本番。
池田研究員は事前にあれこれ話すことをメモってましたが、本番にはメモも見ることな
く、ラボの魅力を語っていただきました。
ラジオで池田研究員の姿が見れなくて残念!
池田研究員の収録様子です。


(本番中〜)

「めったに見ることの出来ない、化石クリーニング作業を身近で見てください。」とのこと
でした。

第2次発掘で見つかった化石を周囲の岩盤ごと切り出し、セッコウで固めて
大小9つ塊にした後「プラスタージャケット」で覆って保護し、クレーンで吊り
上げ、トラックに載せ搬出しました。
そのプラスタージャケットの1つがひとはくのエントランスにやってきました!
エントランスに置いてあるのは、9つのうちの2番目に大きいものです。
4月20日(土)オープン予定の化石クリーニング施設「ひとはく恐竜ラボ」に
移され、慎重に岩石から取り出す作業が進められますので、さわることが
出来るのはそれまでになります。

「ひとはく恐竜ラボ」では、作業のようすを間近に見ることができるようになっ
ています。



(プラスタージャケットはセッコウをはがして、化石の取り出し作業をします。)




この機会にひとはくに来て、中に化石が入っている、このプラスタージャケット
をさわってみてください!


(エントランスホールに置いてあるプラスタージャケット)

滅多に体験出来ませんよ。
ただし、上に乗ったり、乱暴なことをするのはやめてくださいね。
※ 衣服が汚れるかもしれません。 ご注意ください!

 企画展「クリプトガミック・ボタニー」に登場するキノコついて紹介します。

まずキノコの形をイメージしてみてください。
一番簡単なのは椎茸やシメジのような形でしょうか。傘と柄があって、傘の裏に
はヒダがあって、ヒダから胞子が出る、大体そんな形ですね。
しかし、舞茸を見てください。胞子が出てくるはずの“ヒダ”がどこにもありません。
実は舞茸はヒダのかわりに管孔(かんこう)と呼ばれる穴がたくさんあり、そこか
ら胞子を出しているのです。

キノコには面白い胞子の出し方をするものがあります。例えばキヌガサタケの胞
子は臭い粘液に混ざっています。キヌガサタケが成熟すると臭い粘液がドロリと
出てきて、蝿が群がります。胞子はその蝿によって運ばれて行くのです。また、
チャダイゴケの仲間はコップ状の体の中に碁石のようなものが入っています。こ
の碁石は胞子の塊で、雨がコップの中に落ちることで弾き出され、散布されると
考えられています。他にも体の中から胞子を噴き出すキノコなどがあります。


(★チャダイゴケの仲間)

 キノコの中には面白い生活を送るものもいます。その一つが冬虫夏草です。
冬虫夏草は生きた虫の体に寄生して生えるキノコの総称です。かつて「冬は虫で
夏は草(キノコ)になる」と考えられていたため、このような名前がつけられました。
昆虫の口や、呼吸をする気門といった部分から菌が入り込み、体液によって移動
しながら脂肪組織やタンパク質を分解して成長します。やがて昆虫が死に、体中
に菌糸を張り巡らせます。 充満した菌糸体は成熟し、昆虫の外皮の弱い部分を突
き破ってキノコ(子実体と呼ばれる部分)を伸ばすのです。

企画展では、キノコの標本や拡大模型を展示しています。
ちょっと異様で面白い生物の世界を楽しんでください。


(★冬虫夏草アリタケの拡大模型)

自然・環境評価研究部 布施 静香

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企画展「クリプトガミック・ボタニー〜隠花植物の不思議な世界」
 開催期間 2月23日(土)〜8月20日(水)
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(写真:発掘作業のようす)


(写真2:三枝研究員と池田研究員)

1月18日(金)、第2次発掘作業中にカルノサウルス類と見られる獣脚類の歯が
発見されました。この歯の長さは3.5cm以上、幅は1.5cmぐらい。
発見者は村上喜利さん。(77歳・丹波市山南町青田在住)

村上喜利さんは、発掘現場に見学に来られた方への案内ボランティアもされてお
り、見学者の方に恐竜の歯の説明もしていたそうです。そのため、自分が発掘作
業をしているときに「もしかしたら、歯が入っているかも?!この石は大事にしなく
てはいけない!」と感じたそうです。
「なんとか見つけたいという気持ちで作業していたが狙ってやれるもんじゃない。
これで励みができた」

「1次発掘も参加させてもらったが、みんなに迷惑をかけんうちに自分で定年を決
めよう。2次の発掘は参加するのを止めよう」と思っておられたそうです。しかし、1
次発掘の仲間から「やろう!まだやれる!」と誘われ、第2次発掘作業に参加。


(写真3:記者に囲まれた村上さん)

「発掘のメンバーは、とてもいい人たちばかりで楽しい」と大勢の記者に囲まれ笑
顔の村上喜利さんでした。

20日の朝刊(産経)で、オオサンショウウオがカエルツボカビ症に感染していることが報道されました。
(→産経新聞の記事へ)
(→スポーツ報知新聞の記事へ)

野生の個体とありますが、数年間飼育されていた個体なので、完全な野生個体ではありません。
「研究者らは絶滅の恐れも」という記事がありますが、少し過大表現だと思います。
海外からやってきたツボカビとは違うタイプのものらしいので、国内に元々いた可能性があるからです。

元々いたということは、オオサンショウウオと共進化してきた可能性があり、大きな被害はでないことが予想されます。
ただ、外国からきたツボカビが感染し被害がでるという可能性はあるので、これからもペットのカエルを扱うには注意が必要です。
詳しくはこちら→http://hitohaku.jp/tsubokabi/infor.htm

田口勇輝(自然・環境マネジメント研究部)

沼島のシダ植物

2007年12月19日

沼島(ぬしま)は淡路島の南方5kmほどにある周囲10kmほどの島です。
兵庫県の最南端で、兵庫県では唯一、中央構造線の南側になり、全島で、緑・紅・
白などさまざまな縞の入った結晶片岩が見られ、地質的にも興味深いところです。

 シダ植物の記録は少ないのですが、南方系のシダ植物があります。


(写真:ナンカイイタチシダ)

イシカグマ、ナンカイイタチシダは淡路本島にも分布しますが、沼島では全島に渡
ってみられます。
また園芸植物としてよく見かけるタマシダの県内で唯一の自生地もあります。

 また、島のはかつては湿地帯で、沼島の名の由来の「沼」がありました。


(写真2:デンジソウ)

1973年に水生シダ植物で四葉のクローバーそっくりのデンジソウ(田字草)が沼島
で採集されていますが、ここに生育していたと思われます。
デンジソウの胞子は地中で数十年は生きているので、デンジソウが復活するかもし
れませんが、あいにく池として深く掘られてしまったので、その可能性は低くなって
しました。

鈴木 武(自然・環境再生研究部)

カイコと生きる

2007年11月28日

昭和30年代、養蚕は貴重な現金収入で、田畑を耕す牛とともに織物の生産源

であるカイコはどの家でも見られました。また、地域でカイコの餌となる桑園をつ

くる必要があったことから、地域の繋がりを大切にした産業でもありました。

養蚕家屋も面白く、蚕棚、まぶし(カイコが繭をつくるために、段ボールで組んだ

小部屋です。)、暖房器具(養蚕には温度を一定にしておく必要があったことか

ら、暖房器具は必需品でした。しかし、これが原因で火事も多かったそうです)

など、様々な知恵が結集した空間を体験できます。そんなカイコが最近幼稚園

の環境学習で頻繁に用いられるようになってきています。カイコは子どもに伝染

する病気を持たない清潔な昆虫であること(逆に人間から感染することがあるの

で手洗いの習慣づけになること)、卵からマユ(蛹)になるのが約1ヶ月であり、

観察には丁度良い長さであること、織物や食材など人間の生活と密接に関わり

のある材料であることなどが、教材として有用である理由です。蚕1匹で1000m

以上もの糸を出すカイコを、学校やご家庭で育ててみては如何でしょうか?


嶽山 洋志(自然・環境マネジメント研究部)

 先日、上陸したてのウシガエルに遭遇しました。オタマジャクシからカエルに成長する途中で、まだシッカリ尾っぽがついています。大人のウシガエルは、なかなかのジャンプ力で、すぐに逃げてしまうのですが、コイツはまだ後肢が短いせいかヨチヨチ歩きという感じでした、笑。
 それにしても、ぶちゃいくな顔してますねぇ…。
斜め45度
 ← ポイントの斜め45度

正面
 ← 正面

たそがれウッシー
 ← たそがれウッシー

空を見上げて
 ← 「なんかえぇことないかなー」

 田口勇輝(自然・環境マネジメント研究部)

タヌキマメ全草タヌキマメ花

 今朝,姫路からタヌキマメが届けられました(写真は2枚とも送っていただいた個体です).
タヌキマメは池の土手などの草地に生えるマメ科の植物です.草地開発や土地造成により生育地が減少.1年生植物のため,種子をつける前の草刈りで,急に消えることもあるようです.現在は絶滅危惧種に指定されていないものの,今後,絶滅が心配される植物の一つです.
 この個体は,池の改修工事でできた残土置き場に生えていたそうです.以前は池の土手で多数の個体が見られましたが,改修によりもとの場所では見られなくなったそうです.今回植物をお送りくださった奥田さんは,この地域での絶滅を心配し,種子を採集して自宅での栽培を試みておられます.お送りいただいた植物は,標本にして博物館で保管させていただくことになりました.

 布施静香(自然環境評価研究部)

セトウチホトトギス

2007年9月 4日

セトウチホトトギス
 まだまだ暑い日が続いていますが,少しづつ秋の気配がしてきましたね.
今日は初秋に咲く「セトウチホトトギス」を紹介します.
セトウチホトトギスは,瀬戸内海を囲む地域に分布することからその名がつけられた植物で,近畿・中国・四国地方の一部で見られます.
写真は2枚とも兵庫県三田市内で撮影されたものです(藤井撮影).
みなさんの近所でも咲いていますか?

セトウチホトトギス花
  ■植物好きの方へ■
 セトウチホトトギスの見分けのポイントは下記のとおりです.
 ○茎の毛は下向き.
 ○花被片の付け根が黄色.
 ○花糸や花柱に紫色の斑点がある.
 ※柱頭の紫色の斑点はヤマジノホトトギスにもあるので注意.


 布施静香(自然環境評価研究部) ・藤井俊夫(自然環境再生研究部)

梅雨が明けると、いよいよシーズンです。
 「日本でいちばん美しい赤とんぼ」をキャッチコピーに、ミヤマアカネを追いかけて6年目に
なりますが、わからないことがまだまだいっぱい。小学生やお母さんお父さんといっしょに、
調べることを楽しんでいます。主体は、ひとはく連携活動グループ「あかねちゃんクラブ」。
代表は、元ひとはくミュージアムティーチャーで関西学院大学非常勤講師の足立 勲先生です。
 「あかねちゃんクラブ」では、昨年、翅(はね)に番号をつけてミヤマアカネの動きを調べる「マ
ーキング調査」をしました。その結果、2ヶ月以上生きて> いることがわかったり、仁川から池
田まで飛んで行った個体もあり、大いに盛り上がりました。
 今年の課題は、羽化地点の特定=あかねちゃんはどこで生まれるのかな?ということ。その
ために、一度は羽化の現場を見てみよう。ということで、8月上旬に、夕方から翌朝まで、ビー
ル片手に(?)蚊に食われながら、川で羽化を観察することになっています。どうなるのやら・・・

 今年もマーキングをしますよ〜。はねに番号のついたミヤマアカネをみつけたら、博物館の
八木までお知らせ下さいね。

<関連資料>
すべてこちら(http://hitohaku.jp/publications/book.html)からダウンロードできます。
「みやまあかねとすてきななかまたち」 ミヤマアカネを素材とした学習の手引き
「プチ図鑑 兵庫の赤とんぼ」 兵庫県にいる赤とんぼの見分けかた
「熱く燃えた!ミヤマアカネマーキング調査(共生のひろば 第2号:pp.62-66)」
 マーキング調査の楽しさ

以上、八木 剛@自然・環境評価研究部でした。

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写真1.「あかねちゃん」のイメキャラ

写真2.羽化直後のミヤマアカネ
 羽化は朝までに終える。ミヤマアカネの特徴ははねの茶色い帯。

写真3.マーキングされたミヤマアカネ
 秋になるとオスは赤く色づき、美しい。

企画展「瀬戸内海のいまとむかし」の片隅に、石材として瀬戸内をわたった岩石を展示し
ています。日本列島で大量に石が使われた時期は3回あります。最初に多く使われたの
は石器時代で、硬くて加工しやすいものは石器として各地に出まわりました。そのひとつ
が香川県の五色台や屋島から採れるサヌカイトという岩石です。次に古墳時代になると、
古墳や石棺の材料に各地の凝灰岩類が使用されました。なかでも高砂市の竜山石(た
つやまいし)は「大王の石」として知られています。そして、戦国時代から江戸時代になる
と、城の石垣に膨大な量の石が使われました。その代表が大坂城で、瀬戸内各地の花
こう岩が集められました。瀬戸内海はこのような石の交流の場でもあったのです。

 これらの岩石の成り立ちや利用のされ方、見分け方などを、
9月16日(日)の展示解説、http://www.hitohaku.jp/education/open_seminar.html#03 
9月24日(月)のセミナーhttp://www.hitohaku.jp/education/07syousai/A14.html 
で解説いたします。

詳しくはひとはく手帖またはホームページをご覧ください。
先山 徹(自然・環境評価研究部)

写真1 屋島。高松周辺には屋島や五色台など、上部が平坦な山塊が分布しています。
このような山地の平坦な部分にサヌカイトの溶岩が分布しています。


写真2 小豆島の海岸に残された残念石。
瀬戸内の島々や沿岸の各地には大坂城築城のときに使われずに取り残された
「残念石」が見られます。
写真は1980年代の小豆島の海岸で、現在は公園として整備されています。
一つ一つの石に文化財の番号がついているのがわかります。

バイケイソウ

2007年7月25日

若い実をつけたバイケイソウ

 2007年7月21日,高橋主任研究員と大学院生の千川君とともに,但馬でバイケイソウの調査を行いました.この植物は,兵庫県では自生地が殆ど確認されていないため,県版レッドデータブックでAランクに指定されています.
 梅雨明け間近のうだるような暑さの中,がんばって登山したかいあって,花序のついたバイケイソウを確認することができました.県下で花(正確には若い実)が見れて感激!

 布施静香 (自然環境評価研究部)

 7月7日にオオサンショウウオの階段づくりををしました。繁殖期の遡上を邪魔する堰(せき;1mの段差)の前にチョットした階段をつくって、そこをのぼってもらおうという試みです。 地域の子どもたちにも階段づくりを手伝ってもらい行った「プチ工事」です。土木・博物館・地元住民・(社)兵庫県自然保護協会・京都大学などの協働で行いました。夜には、オオサンショウウオの観察会も開催し、参加者のみなさんにじっくりとオオサンショウウオを見ていただきました。

蛇篭運び

蛇篭づくり

迂回路設置

オオサンショウウオの観察

 オオサンショウウオは繁殖期(8月下旬から9月上旬)の前になると、産卵に使う特別な巣穴を探して上流へ移動します。その時に、農業用に水を引いたり、土石流がでないために作られた段差(堰)が、オオサンショウウオの移動を邪魔しています。特に、最近つくられている、コンクリートでガッチリ河川を横断するような、高い堰の下では、登れなくてたまっているオオサンショウウオが多く見つかります。

 昼間にみんなで作った階段、本当に使ってもらえるのかとソワソワしていると、作って3時間後にさっそくオオサンショウウオがそれを使って遡上していきました!こんなに簡単に登るのかと、協力してくださったみなさんもビックリ。私自身も驚きました。今回のプチ工事が、単発のイベントに終わることなく、いろいろなところで行われていってほしいと思います。

階段をのぼるオオサンショウウオ


 (左写真:階段をのぼるオオサンショウウオ)

遡上成功


 (左写真:遡上成功!)

ABCテレビも取材にきてくださり、階段づくりやオオサンショウウオの遡上の様子を放送してくれました。(※NEWSゆう:7/9 18:29〜)

田口勇輝(自然・環境マネジメント研究部)

 先日は,マダケの花について紹介させていただきました.
 今日は最近マダケに非常に多く発生しているタケ類天狗巣病についてご紹介します.

 タケ類天狗巣病は,麦角菌科の糸状菌の一種Aciculosporium takeが感染することで起こる竹の病気です.この菌に感染した竹は,その枝がこぶ状にふくれると同時にそこから無数の小枝が出てほうきや鳥の巣状(昔の人はこれを天狗の巣に例えました)になる病状を示します.
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写真-1 タケ類天狗巣病の初期の症状(つる状)

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写真-2 タケ類天狗巣病の初期の症状(ほうき状)
(花のようにもみえることから「竹が花を咲かせた!」と間違う人もいるようです.)

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写真-3 タケ類天狗巣病の中期の症状(房状)

 病状がすすむと,竹の稈(かん)の生長量や新しい稈(かん)の生える量が少なくなり,病気がひどくなると葉が落ちて竹全体が枯れてしまいます.
 この病気は,原因菌の分生子(とてもちいさな種のようなもの)が竹にくっついて枝や稈(かん)の先にある生長点に寄生することで起きるといわれています.この分生子は雨滴などの水滴内に混じって広がり,その水滴が枝や稈(かん)の先に付くと竹は病気にかかってしまうそうです.ですから,雨の多い梅雨の時期や台風の時期にこの病気がひろがることが知られています.

 このような竹の病〜タケ類天狗巣病〜が近頃西日本を中心に各地で広がり竹林が弱ったり枯れたりしているので問題となっています.
 私たちが兵庫県三田市で76カ所のマダケ林でタケ類天狗巣病がかかっているかどうかを調べたところ,73カ所(96.1%)のマダケ林が病気にかかっており,その1/4はひどく枯れていることがわかりました.
 みなさんのお住まいの地域ではマダケの病気が発生していませんか?一度ゆっくりながめてみてください.
 観察の助けとなる資料を載せましたので参考にしてください.
タケ類天狗巣病発症状況判定シート(PDF 264kb)


                           自然・環境再生研究部
                                 橋本佳延

☆『月刊 たくさんのふしぎ 6月号 アリクイサスライアリ』 
福音館 文:橋本佳明/絵:稲田務 ¥667+税 
    2007年6月10日刊

熱帯雨林は、アリの宝庫です。たとえばボルネオの熱帯雨林では、たった1本の木から200種をこえるアリを見つけることができます。そんな中から今回は特に、アリ喰いアリのツヤヒメサスライアリを取り上げました。巣を持たず熱帯雨林を移動しながら、わずか2mmの体で他のアリの巣を襲っては食糧にしてしまう、驚くべきアリの暮らしを迫力ある絵でご紹介しています。

<絵本の写真>

一本歯の下駄

2007年6月28日

人と自然の博物館の嶽山です。僕は、公園の計画・設計・運営・レクリエーションに関わる研究やイベントに取り組んでいます。僕がひとはくで働き始めたのが2000年で、入ってすぐにその年の夏の企画展に取り組むことになりました。「外であそぼう!」(主担当:客野主任研究員)です。内容は省略しますが、今日はその最中に出会った愛らしい下駄を紹介したいと思います。写真を見て下さい。昭和49年に製作された一本歯の木製下駄です。西宮市に広がる砂浜を駆け回る子ども達が履いていた下駄で、鼻緒の部分がビニールテープをよって出来ているなど、手づくり感あふれる一品です。通常の下駄は二本歯ですよね。だけど、西宮では砂浜という地域固有の環境の中で遊ぶために、より安定性に優れた長さのある一本歯が用いられていました。子ども達が楽しく遊ぶ美しい浜の風景に思いを馳せることのできる、貴重な下駄であるといえるでしょう。

嶽山洋志(自然・環境マネジメント研究部)

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