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ヒトの<こころ>の進化などー2

障がいのあるネアンデルタール人は幸せだったか?ー2

三谷 雅純(みたに まさずみ)



 イラクのシャニダール洞窟で見つかったネアンデルタール人の男性がシャーマンだとしたら、どんなことしたでしょう? 狩猟や採集を生業(なりわい)とするピグミーの、人と人との付き合い方を考えれば、威圧的に振る舞い、時には仲間にとっても危険な存在であるシャーマンだった。わたしには、そんなふうに思えます。

 もちろん、これは空想です。空想ですが、根拠はあります。

 第一にネアンデルタール人の<こころ>――現生人類とは種(しゅ)が違うのですから、<こころ>の進化の有様(ありよう)もどこか違うでしょう。しかし基本は同じはずです。なぜなら、現生人類とネアンデルタール人は交雑できるほど遺伝情報が似ていたのです。現実に、我われの遺伝子の1.8 パーセントから2.6 パーセントがネアンデルタール人に由来するものだとわかりました。ネアンデルタール人のゲノム解析は、2例成功しているそうです(ナショナル ジオグラフィック, 2017) (5)。そうすると、<こころ>のあり方も、違うのだけれど、どことはなく似ている。それが当然だ。そんな気がします。

 第二に、現生人類である障がいのあるピグミーの生活からの類推です(戸田美佳子, 2011 (6); 2015 (7))。

 戸田美佳子さんはカメルーン南東部の熱帯雨林に分け入って、民族名を「ヤンゲレ」や「ボマン」と自称する農耕民と、民族名を「バカ」と自称するピグミーが住む村で、村人とともに暮らしながら障がい者の生活を記録し考察しました。人類学の記録ですが、障害学という学問――障がいを医学的にだけ捉えるのではなく、誰でも持っている多様性の一部と捉えるならどう考えるべきか、どう振る舞うべきかを考察する学問 (8)――でもあります。

 「農耕民と狩猟採集民が一緒に住むシチュエーションは考えにくい」と感じられている方が多いでしょう。でも、わたし達の住む東アジアでも、かつては山里の農家と山の上に住む猟師が物ぶつ交換をした――農家はアワや大根といった作物を、猟師は獲物の新鮮な肉や乾燥した皮を持ち寄って交換した――例はどこにでもあったことです。ことによると、それが市場(いちば)の始まりであったのかもしれません。アフリカでは農耕民が地球規模の乾燥化によってサハラ南部のサバンナを追われ、もともと森に住んでいたピグミーと、偶然、出会い、共存しました。現在の農耕民はディアスポラ(故郷喪失者)の子孫ということになります。

 戸田さんが調べた障がい者は、ヤンゲレとボマンと自称する農耕民がそれぞれ一人ずつ、狩猟採集民のバカが二人の、計4人でした。ヤンゲレの男性:ノエルとボマンの女性:ソフィーはポリオに罹(かか)り、その後遺症で下半身がマヒしています。バカはいずれも男性で、一人:ジャノは失明し、もう一人:アインビは両下肢と右手が硬直しています。

 ノエルは生活習慣が違うバカから奥さんをもらいました。日常生活を助けてもらうためです。またミシンを使う裁縫技術を身に付けていて、カカオ畑の経営と共に現金収入を得る手段にしています。

 ソフィーも現金収入のためのカカオ畑を持っています。戸田さんの本や論文を読んでいると、ソフィーという人は障がい者だということを忘れさせるほどの働き者で、たいていの家事労働はこなします。自分ひとりでできない時は、親族の子どもに手伝ってもらってやっているようです。

 ジャノは中途失明者のようです。生まれつき目が悪かったのかもしれませんが、それでも本当に失明したのはつい最近のことのようです。ジャノは杖をついて歩き回り、元来は女性の仕事とされている台所仕事を手伝います。台所に行ってマニオク(=キャッサバ、イモノキの芋のこと)の製粉を手伝ったり、草刈りをしたりして、食料を手に入れています。

 アインビもカカオ畑を持っていますが、自分自身では畑の世話ができず、彼に代わって世話を頼める人もいないということで、ムスレムのハウサの商人に頼んで、畑を人に貸し出しています。写真で見ると、ピグミーが作るモングル (Mongulu) と呼ばれるドーム型のテントの家ではなく、農耕民と同じような土壁の四角い家に住んでいます。動き回れないので、普段はこの家で座って過ごすことが多いようです。

 狩猟の季節になると、アインビは狩猟採集民の血が騒ぐらしく、普段は動けないのに狩猟のリーダーとして森に入ろうとします。そんな時は同じバカの青年が背負って、狩猟キャンプまで連れていってくれるのだそうです。

 村から狩猟キャンプまでといえば、わたしの経験でも数十キロメートルはあります。それに、いくら小柄だとはいってもアインビは大人の男性です。それを背負って行くのです。森の中では、けもの道しかありません。わたしが若い時に背負える荷の重さは、長時間の歩行を考えると30キログラムが限度だったでしょうか。アインビの体重は50キログラムはあるはずです。いくら屈強なピグミーだといっても、限度を越えているように思えます。しかし狩猟の季節には、決まってアインビを背負ってキャンプに出るのです。アインビには、そのようにさせる魔力が備わっているかのようです。

    *

 このような障がい者の生活を、どう考えるべきでしょうか。日本で見るみじめさはみじんも見当たりません。それぞれ詳しく調べてみれば障がいゆえの弱さ、不便さはあるのでしょうが(障がい者でなくても、弱さ、不便さはあって当たり前です)、4人が4人とも、自分自身の制限の中で自由に生きています。そればかりか、男性/女性、農耕民/狩猟採集民、障がい者/非障がい者の枠(わく)を、軽がると越えているように思えます。戸田美佳子さんのお書きになった『越境する障害者――アフリカ熱帯林に暮らす障害者の民族誌』(7) のタイトルは、おのずと人が縛られる習慣や文化的規制、障がい者の場合は心身の状態ではなく社会の思い込みから受ける制限を越えて、おのおのが主体的に振る舞うさまを表現しています。

 「アフリカ熱帯林に暮らす障害者」には、日本のような福祉制度はありません。例えば、病院で診てもらったら、障がいが何級で、障害者年金がもらえるとか、もらえないとかいった行政の決まりは、あるのかもしれませんが、森の奥の村までは届きません。しかし、親族や村、村の中の複数のグループから生まれるコミュニティは相互扶助の助けとなっています。そして何よりも、一人ひとりの人が自立しているのです。言うなら、一人ひとりの障がい者は、暗黙の内に周辺に追いやられるのではなく、コミュニティの真ん中にいて、その他の人と同じように、その人なりの機能を果たしているのです。ことによったら自らが「障がい者」だという意識もないのかもしれません。(9)

 ネアンデルタール人のシャニダール1は、威圧的に振る舞い、時には仲間にとっても危険な存在であるシャーマンだったのではないか。わたしは、そう書きました。シャーマンは誰にでもなれるものではありません。シャーマンは「神」や「精霊」と交信し、「霊界」とこの世をつなぐ特別な人です。シャーマンであるためには、トランスと呼ばれる特殊な心理状態になって普通の人であることを止め、またその人がシャーマンであることを誰も疑わないだけの権威が必要です。「神」や「精霊」の言葉を伝えるのですから、人びとに対して威圧的であることは当然であり、「神」や「精霊」が怒ったら危険な厄災が引き起こされるのです。その危険を避け、村に平穏をもたらす術を知っているのも、またシャーマンなのです。

 シャニダール1が現代の福祉制度で言う「ケア」を受けたために、重度の障がいがあっても長く生きることができたという意見がありました。わたしは違うと思います。シャニダール1はコミュニティの中心にいて、他の人と同じように人としての機能を果たし、その上で長く生きたのです。

 シャニダール1は、ことさらに不幸であったとも、幸せであったとも思いません。ごく普通のネアンデルタール人として、自然体で生きたのだと思います。

 本稿は 2018年5月13日(日)に行った ひとはくセミナー「F01霊長類学 頭の体操(2018年版)」の内容を元に再構成しました。

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(5) 「ネアンデルタール人のゲノム解読、我々の病に影響」(ナショナル ジオグラフィック News, 2017.10.10)
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/101000384/

(6) 戸田美佳子(2011)アフリカに「ケア」はあるか?―カメルーン東南部熱帯林に生きる身体障害者の視点から―. アジア・アフリカ地域研究, 10 (2): 176-219.
https://www.asafas.kyoto-u.ac.jp/dl/publications/no_1002/AA102_5_toda.pdf

(7) 戸田美佳子(2015)『越境する障害者 アフリカ熱帯林に暮らす障害者の民族誌』(明石書店)
http://www.akashi.co.jp/book/b195995.html

AfricanDisabilities.jpg

 なお「障がい者/非障がい者」というのは、わたしの書き方です。本当の意味で、世の中に「健常者」はいないのだが、今は「障がい者」の定義に含まれない人がいるという思いを表しています。

(8) 少し過激なことを書きます。わたしは、もうすぐ高齢者になる重度障がい者なのですから、過激なように聞こえても、ただ徒(いたずら)に過激というわけではありません。社会の主流派は決して口にしない(少なくとも、わたしの職場では耳にしたことがない)ことを書きます。

 ある社会に住む人びとが、この多様性なら認めてやろう、別の多様性は別の地域で住んで欲しいといった選別をするなら、社会の価値観は単調になります。現実にヒトは遺伝的に、あるいは文化的に多様な存在です。そして多様なヒトに、それぞれの生きがいや生き方を支える考えを認めるのが健全な社会だと思います。しかし、例えば日本の現状は厳しい格差社会であり、競争社会なのですから、特定の人は最初から競争に参加できず、社会の主流から外れた人生を選ばざるを得ない現実があります。男女格差や日本人と外国人の格差は歴然としてあり、例えば100メートル競走のような「競争」では、当然のことですが、高齢者や障がい者は「負けるのが当たり前」なのです。それなのに「(年齢や麻痺を考えない)公正な競争で負けたのだ」と言って、暗黙の内に社会の周辺化――生きがいや生き方を支える思想を捨て去ること――を強制する。わたしの目に日本はそういう社会に写ります。多様性が新しいイノベーションを生み出すことは事実ですが、その意見をよくよく聞いてみると「多様性を認めるふりをすればお金が儲かる」といった類(たぐ)いの、社会の主流派にだけ都合の良い、(その一方で「多様性」の当事者であるはずの周辺に生きる人びとには何の関係もない)お金儲けの話であることが多いように思います。

(9) 戸田さんの論文(2011)を読んでいると、「障害」にあたる現地の単語が出てきます。ただし、戸田さんは「調査地においては,「身体的障害をもつ人々,奇形,湾曲した体をもつ人々」の意味をもつ単語が存在する.バカ語では「ワ・フォア(wà póà)」,カコ語では「モ・ジェンティ(mojέmtí)」という.ジャノ♂やアインビ♂も,「ワ・フォア」である.さらに,運動面に障害をもっており歩くことが困難な状態にある人々を,バカ語で「ワ・クマ(wà kúmà:「脚が自由に動かない人々」の意味)」と呼ぶ.アインビ♂は特に「ワ・クマ」と認識されている./ただしこのような語には,「動かない」や「目が見えない」といった機能障害の状態を示す以上の社会的意味を見出すことは難しかった.つまりは,身体的な差異は,人々によって認識されているが,当該社会のなかで個々の人格の正当性を失ったり,可能性に影響を与える言説として語られてはいないのである.」(189ページ)と書いています。「♂/♀」は生物学では「オス/メス」を表しますが、人類学では「男性/女性」を表します。



三谷 雅純(みたに まさずみ)
コミュニケーション・デザイン研究グループ
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ヒトの<こころ>の進化などー1

障がいのあるネアンデルタール人は幸せだったか?ー1

三谷 雅純(みたに まさずみ)


 イラク北部からイラン西部、トルコ南東部にかけては、クルディスタンと呼ばれる地域が広がります。山岳地帯で、「国を持たない最大の民族」であるクルド人が住む地域として有名です。ちなみに「クルディスタン」は「クルド人の土地」という意味です。「アフガニスタン」や「パキスタン」と同じく「-イスタン」という接尾辞が、「~の土地」とか「~の多く住む場所」を表しています。クルディスタンのイラク北部は、とくにクルド人自治区と呼ばれ、一時は観光産業や油田で活発な経済活動をしていたのですが、その後、独立を求めるクルド人自治区の住民投票に対して、見せしめのためでしょうか、イラク政府は今でも経済封鎖をしているそうです。

 そのクルド人自治区のトルコとの国境に近いあたりに、シャニダール洞窟があります。洞窟の中は広く、ウェブで見ると、小さな村ならすっぽり一つ入ってしまうような空間です。このシャニダール洞窟からは、ネアンデルタール人の骨が10体も見つかりました。

 広場のような洞窟で見つかった何体ものネアンデルタール人です。今は滅びてしまったネアンデルタール人の生活や価値観――何を大切に思い、どのように扱ったのか――、そして運がよければ、ネアンデルタール人の価値を象徴するもの――例えば現生人類のお墓で言えばマンモスの牙で作ったビーズや、東アジアの例ですが埴輪(はにわ)などの人形、太刀など――が見つかるかもしれません。ビーズや埴輪(はにわ)は、それがあるからといって生命を長らえさせるものではありません。しかし、わたし達と同じようにネアンデルタール人にも、抱くイメージ、つまり象徴性があるのならば、役には立たないけれど、それでも大切にしたかった何かが見つかるのではないか? そんな期待が膨らみます。

    *

 ネアンデルタール人の遺骨のまわりの土からは花粉が見つかりました。

 思考をめぐらせた研究者は、最初、この花粉は死者に供えられた花束からこぼれたのではないかと考えました。現代の葬式のように、ネアンデルタール人も死者を送る儀式を行ったのかもしれない。ということは「花束」が死者とその死を悼(いた)む象徴物ということになります。そればかりではありません。「死後の世界」さえも信じていたのかもしれない。わたし達は、豊かな精神性は我われだけのものだと思い込んでいます。しかし、ネアンデルタール人が死者を悼(いた)むのなら、彼らの精神性は我われと同じではないのでしょうか。そう思えてきます。

 でも本当でしょうか?

 実は、その後、いろいろ異論が出てきました。ある研究者は、風に運ばれた花粉が土に混ざっただけだと言い、また別の研究者は、ネズミか何かの小動物が集めてきた果実や花に付いていた花粉だと主張しました。つまり、ネアンデルタール人の精神性を、必要以上に高く見積もらなくてもいいと主張したのです。

 わたしは「埋葬と花束」の議論よりも、ずっと気になっていたことがありました。それは研究者にシャニダール1と呼ばれている高齢男性の遺骨のことです。シャニダール1の年齢は40歳から50歳と見積もられているそうです。

 「40歳から50歳」で高齢とは、おかしなこと言っていると思うでしょうか? わたしはアフリカ中央部のコンゴ共和国で、友だちの40歳の誕生日を祝う集いに参加したことがあります。その人は男性の外交官で、地方の村に住むのではなく、ブラザビルに家を持っていました。ブラザビルに住む人は栄養も良く、医療も整っています。男性の生活は、わたしの生活と同じように思えました。そのお祝いの席で挨拶に立った男性が「40歳まで生きる幸運は誰にでもあることではない」と言ったのです。それを聞いてわたしは、コンゴ共和国では人生のとらえ方が違うのだと思い知りました。

 日本人の平均寿命は、今や男女とも80歳を越えたそうです。当時のコンゴ共和国ではもっと短かったでしょう。しかし、生きた生物は、いつか必ず死にます。長く生きた人と早く生涯を終えた人のどちらが偉いというわけではありません。寿命が長いか短いかは本質的な問題ではありません。寿命の長さは相対的にしか測りようがないのです。

 実のところ、ネアンデルタール人の「40歳から50歳」は、十分に長寿だと思います。そして何よりもわたしが驚いたのは、シャニダール1には片手がなく、片目が見えず、うまく歩けなかった上に、聴力にまで障がいがあったということが分かったのですTrinkaus and Villotte, 2017 in PLOS One)(1)

    *

 ネアンデルタール人は狩猟や採集を生業(なりわい)とします。山岳地の狩猟では、丈夫な足腰とつよい体幹が求められるでしょう。そのような環境で障がい者が何かの役に立ったでしょうか? 通常は、何の役にも立たないでしょう。しかし、シャニダール1は飛び抜けて長寿だったのです。重度の障がいを負いながらです。ネアンデルタール人の間には、無償のケアが成立していたとでも言うのでしょうか?

 そうかもしれません。カラハリ砂漠に住むサン(ブッシュマン)やアフリカ中央部の熱帯雨林に住むピグミーは、よく「平等な社会」だと言われています。これは狩猟能力に差があっても――狩りのうまい人、へたな人がいるのは当然です――平等に獲物を分けるのです。老人や障がい者も平等です。そしてこれは、「神の前では平等だ」ということを体現しているのです。

 もちろんサンやピグミーに体系化された高等宗教はありません。その上、現生人類とネアンデルタール人は違います。ですから、ネアンデルタール人が平等主義者で、「重度の障がい者にも同じだけの肉や野草を分ける『無償のケア』が成立していた」と言いたいわけではないのです。そうではなくて、あたかも「無償のケア」に見える狩猟採集する民であれば、おのずと一定の価値観があったのではないか。それは現代の狩猟採集民の思考から類推すると「神」の概念が一番ありそうに思えると言いたいのです。

    *

 あるいはいっそ、このネアンデルタール人の集団は、高齢な障がい者に特別な意味を認めていたのだとしたらどうでしょう。例えばネアンデルタール人と彼らの神や精霊をつなぐシャーマンです。

 今は京都精華大学マンガ学部で教え、自分でマンガ『ナチュン』をお描きになっている文化人類学者の都留泰作さんは、京都大学の大学院生時代にピグミーの精霊儀礼を研究されています(都留, 1996; 2014(2), (3)。都留さんによれば、ピグミーは森に住む精霊を信じていて、自分たちと同じように森を移動し、キャンプを作り、儀礼では人に憑依して人を威圧したり、中には道化のように振る舞って踊るのだそうです。

 わたしはこの論文を読んで、日本でもかつて盛んだった正月の「門付け」を連想しました。「門付け」は稲の取り入れが一段落した農民が各地をまわり、言祝(ことほ)ぐための芸能を見せたもののことです。「門付け」から現代の漫才が起こり、また神社のお神楽(かぐら)や、仏教の「説教」もここから起こったそうです。わたしの祖母は子どもの頃、四国の高松に住んでいましたが、村むらをめぐって、面白おかしくお「説教」をするお坊様のことを懐かしく話してくれたものでした。

 ピグミーの精霊は人びとの間の諍(いさか)いや、ギクシャクした仲間関係を修復してくれます。日本の「門付け」は稲作農耕と深い関わりがありますが、ピグミーは農耕が大の苦手です。少なくとも、わたしの知っているピグミーは苦手でした。

 ネアンデルタール人のシャニダール1がシャーマンだとしたら、どんなことしたでしょう? ネアンデルタール人が狩猟や採集を生業(なりわい)とすることを考えれば、シャニダール1はピグミーの子どもたちに愛される道化のような精霊ではなくて、威圧的に振る舞い、時には仲間にとっても危険な存在であるシャーマンだった。そんな気がします (4)。

 次に続きます。

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(1) Trinkaus and Villotte (2017) External auditory exostoses and hearing loss in the Shanidar 1 Neandertal. PLOS One
http://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0186684
が原典ですが、日本語で書かれた GIZMODO のページ:
https://www.gizmodo.jp/2017/10/neanderthals-with-disabilities-survived.html
も見つけました。

(2) 都留泰作 (1996) バカ・ピグミーの精霊儀礼. アフリカ研究
https://www.jstage.jst.go.jp/article/africa1964/1996/49/1996_49_53/_pdf/-char/en

(3) 都留泰作 (2014) カメルーンの森に踊る精霊. FIELDPLUS
http://repository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/78072/1/field-11_p14-15_kai.pdf

(4) 農耕民であるバンツーも精霊の存在は信じています。しかし、それは人に害をなす危険な存在だと見なしています。かつて、わたしがいたカメルーン南西部のカンポに住むバンツーは、精霊をマキザールと呼んでいました。マキザールは自然霊で、悪霊だということでした。それに比べてカメルーン南東部に住むバカ・ピグミーの精霊は、おどろおどろしい悪霊ということは無く、威圧的に振る舞う精霊も出てきますが、たいていは子どもに人気のあるコミカルな精霊です。まるで着ぐるみのようです。




三谷 雅純(みたに まさずみ)
コミュニケーション・デザイン研究グループ
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

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