ユニバーサル・ミュージアムをめざして98

「ガラスの天井」とマイノリティの主張-2

三谷 雅純(みたに まさずみ)




 一般の企業やお役所で活躍する障がい者は,ほとんどいない.いや,「いない」というのは言い過ぎだが,人数は圧倒的に少ない.それはなぜだろうと考えていて,あることに気が付きました.障がい者団体や福祉施設以外での活躍の仕方が,障がい者自身,どのようなものかを示していないのではないか.ことによると社会で活躍する,ということに無自覚なままではなかったのか.そう気が付いたのです.つまり,別の言い方をすると,普通の障がい者が未来に夢を託せる「障がい者の成功モデル」が存在しないのです.

 それにしても「障がい者の成功モデル」って どんなものでしょう? そのことを考えている時に,また「ガラスの天井」という言葉に出会いました.今度は,京都大学人文科学研究所の竹沢泰子さんがお書きになった「ミックスレイス日系人アーティストの作品と語り:人種カテゴリをめぐる解釈と表現の戦略」という論文 (3) に使われているのを見つけたのです.

 竹沢さんが「ガラスの天井」という言葉をお使いになった背景を説明しておきましょう.

 1941年の日米開戦以前からアメリカに住んでいたロジャー・シモムラさんは,アメリカで評価を受ける美術家であり,画家です.5歳から両親や祖母の共にアメリカの強制収容所で過ごしました.この強制収容所の経験から,シモムラさんは「人種偏見や強制収容を題材とした作品を発表し続けている」(253ページ)のだそうです.シモムラさんは,日系アメリカ人は普通のアメリカ人として扱われるべきであって,日系アメリカ人をステレオタイプな「日本人」(=出っ歯でメガネをかけた小柄な人物)と混同することには意義を唱(とな)えてきたのだそうです.シモムラさんは,「ガラスの天井」によって社会的な位置づけが低く抑えられている.そうおっしゃるのです.

 ここで,シモムラさんが抱えた困難は人種偏見であって,女性を軽く扱うこととは意味が違うという意見が聞こえてきそうです.でも考えてみて下さい.「人種主義」というのは,現実を無視して特定の集団を重用し,同時に別の集団を蔑視することです.もちろん女性は同じ集団に属します.これは当たり前です.しかし,女性をゆえなく軽視する行為は「人種主義」と同じだと思います.

 「人種」や「民族」は現実に存在するじゃないかという反論もありそうです.ところが「人種」や「民族」に,生物学的な実態はないのです.その集団のたどってきた歴史や,住んでいる環境が違っているだけです.わたしは「人種」や「民族」というものは,ある集団のマジョリティーが(知らず知らずのうちに)自分たちの都合で創り上げた虚構だと思っています (4) (5)

    *

 では,わたしがあるかもしれないと感じている「障がい者の成功モデル」の「障がい者」とは,いかなる存在なのでしょう? 実は障がい者も「ガラスの天井」に社会進出を阻まれる女性と同じです.「社会の構成員」であることは間違いないのですが,決して「社会の主流」にはなれない――それどころか社会の周辺に押しやられる――存在です(誰にせいで?).

 なぜ障がい者が「社会の主流」になれないのかと言うと,

① トロトロしていて生産性が低い.
② 体力がない.つまり,必要な場合にも,加重な労働には耐えられない.
③ 疲れやすくて集中力が保たない.

 早い話が,よーい,ドンで勝ち負けを決める「競争」というやつに負けてしまうのです.そればかりか,階段のように上へ昇ることが成功の証(あかし)である社会では,周りの人は障がい者が昇進することを嫌がる(=昇進しそうになると邪魔をする)ようになるのです.

 まあ,「一見,競争に負けてしまう」というのは,実は障がい者の側にも責任があります.何の工夫もないままだから「競争に負けてしまう」のです.ああでもない,こうでもないと工夫したあげく,(当人も自覚していなかった)あっと驚くようなやり方で「勝ってしまった」ということは,十分にありえることだと思います.世間的には,そんな変革を「イノベーション」と呼んでいます (6).

    *

 「イノベーション」「社会システムの革新」と訳すのなら,社会システムは「生産性を向上させ,競争社会で生き残る」ようにも変革できますが,「多様な人が共に幸せになる」ようにも変革できるのです.

 でも「多様な人が幸せになるような革新」では「競争に勝つ」というものでは ないのじゃないか.実は,わたし自身,そう思っています.と言うか,「健康な男性だけが勝ち残る」という固定したルールでは,女性や障がい者は,そしてマイノリティのあの人やこの人は勝ち残れないことが確実です.

 ここで一つ言っておくべきことがありそうです.それは「競争に勝ち残る健康な男性」など本当はどこにもいません.これはアッケラカンとした,身も蓋もない事実です.自分たちの都合に合わせて「人種」や「民族」を創り上げたのと同じです.一点の曇りもない「健康な男性」など,空想の産物に過ぎません.どこまでもフル・スピードで加速し続けられる人はいません.どんな人でも家に帰ったら「ああ,今日も疲れた」と言ってへたり込み,「どうして皆が感じていることが分からないのだろう.どうして(職場や学校で)人を不機嫌にさせてしまうのだろう」と悩み,それこそ,わたしと同じように ドタバタ,ウロウロ,オロオロ,ジタバタしているのではないのでしょうか.どうなのでしょう.

 「健康な男性」など、どこをどう捜しても いない.にも関わらず,「健康な男性」を前提とした(誰も勝てない)競争があるかのように振る舞う.そのくせ,女性や社会的マイノリティ,さまざまな「人種・民族」,多種多様な「障がい者」は,(建前上)「いることが当然である」としながら,「ガラスの天井」という「暗黙の了解」もまた、存在することが当然であるとする社会に生きている.このような(日本の? それとも「人」,あるいは生物学的な「ヒト」という存在に?)幾重にも意味が重なりあう社会は,それはそれで人類学的な分析の対象ならば,とてつもなく面白いのです.しかし,今はそんな悠長(ゆうちょう)なことを言っている場合ではありません.女性や障がい者やマイノリティは(それに現在では人数の多くなった高齢者も)どう生きていくのか.障がい者が,どう社会で成功するか......ん?

 ......そもそも「障がい者の成功モデル」という発想自体が,競争を前提としていたりして? 少なくとも、虚構に満ちた「強いものが生き残る競争社会」のモデルでは、どこにも出口はありません.

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(3) 『人種神話を解体する3 「血」の政治学を越えて』(川島浩平 編,竹沢泰子 編,東京大学出版会)
http://www.utp.or.jp/book/b307345.html
の内,竹沢泰子さんご自身が執筆された「第III部 自分らしい生き方を求めて,第8章 ミックスレイス日系人アーティストの作品と語り:人種カテゴリをめぐる解釈と表現の戦略」のことです.

(4) (5) このことを詳しく説明する余裕はありません.
『人種神話を解体する1 可視と不可視のはざまで』 (4)
http://www.utp.or.jp/book/b307357.html
『人種神話を解体する2 科学と社会の知』 (5)
http://www.utp.or.jp/book/b307355.html
を読んで,ご自分で理解し,判断して下さい.

(6) 「イノベーション」(innovation) を「技術革新によって生産性を向上させること」だと思っている人が,特に日本人には多いのですが,これは明らかに違います.競争社会の企業の振る舞い,つまり競争社会で生き残ることと「イノベーション」は,もともと全く異なる概念です.「イノベーション」をあえて訳すなら,「社会システムの革新」とでも訳すべきでしょうか.社会システムは,もちろん生産性を向上させ,競争社会で生き残るようにも革新できますが,多様な人が幸せに暮らせるようにも革新できるのです.





三谷 雅純(みたに まさずみ)
コミュニケーション・デザイン研究グループ
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

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