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ミトコンドリア・イブとY染色体・アダム―2

三谷 雅純(みたに まさずみ)



 南アフリカのカラハリ砂漠に住む狩猟採集民サンには,遺伝的に近い別のグループがいます.コイコイと呼ばれる牧畜民です.コイコイは、昔は「ホッテントット」と呼ばれたそうです.サンとコイコイは隣り合った地域に住み――「隣り合った」の感覚が分かりにくいのですが,日本で言えば「隣の県」ぐらいなのでしょうか?――,遺伝的にも近いのですが,サンが狩猟採集民であるのに対して,コイコイは牧畜民だそうです.

 アフリカの乾燥地に住む牧畜民は、多くがウシを世話します.ですから、どこか日本の畜産業と同じように聞こえます.しかし,アフリカの牧畜と産業としての畜産業には大きな違いがあります.日本の畜産業は市場経済が前提です.ウシやブタを育てて市場(しじょう)に出し,小売店で売るために肉にするのです.畜産業者にとって家畜は商品です.しかしアフリカの牧畜は全く異なります.ウシは〈神からの預かり物〉です.乳を搾ったり,食肉として利用することもありますが,量はあまり多くないはずです.それよりもウシは〈財産〉として大切に保護します.例えば結婚をする時の「婚資(こんし)」としてなら,花婿が花嫁の家族に支払う貨幣のような役割をはたします.また子どもへ「相続」したりします.〈ウシ〉とは,本来,肉をとるための家畜ではなく,わたしが経験した森のなかの〈火〉と同じように,ある意味で宗教的な象徴なのです.アフリカでウシを追う若い男――狩猟採集民サンの女性が日常のカロリーや栄養を得る採集をし,男性が象徴的な「狩猟」という行為をするのと同じです――は,言ってみれば「(神に仕える)神職」のような存在だと言えます.

 ここでコイコイの生活について調べてみようとしたのですが、わたしに読める適当な文献が見つかりませんでした.それで東アフリカのケニアに住む人ですが,コイコイと同じく乾燥地に住む牧畜民のマサイの社会について調べることにしました.コイコイとは違うのでしょうが、基本は同じはずです.またマサイではありませんが,『性の人類学』河合香吏さん「チャムスの民俗生殖理論と性――欺かれる女たち」(5) という論文で東アフリカの牧畜民についてまとめておられます.これも参考になりました.

 マサイは,サンのような平等主義者ではなく,社会的階層のある社会を形作って暮らしているそうです.わたしたちの知る資本主義社会とは異なり,あくまで「神の前に」という前提があるのですが,ウシという〈財産〉を持つ人と持たない人がいる.つまり人びとの間に社会的な身分差がある.そういうことになります.

 身分の差異は人びとの婚姻観にも影響しています.狩猟採集民であるサンが明確な婚姻制度を保っているのかどうか、わたしには責任を持って言えませんが,どちらかと言えば婚姻するまでは「乱婚的」であり,いったん結婚したら「一夫一妻的」になるのではないでしょか.しかしマサイは制度として一夫多妻だそうです.多くの家族を養うには財力が必要です.人生の経験も必要なはずです.財を持ち人生経験が豊富な人というのは、普通は比較的高齢です.皆の信望を集める村長さんのような存在でしょう.そんな人が一夫多妻になるのだと思います.

 宗教も発達しています.サンは菅原さんに「死んだら砂になる」と語ったそうですが,マサイは一神教を奉じています.我われにも身近なキリスト教やユダヤ教,イスラム教と同じではありませんか.

    *

 もちろんマサイとコイコイは違います.一緒にすべきではありません.しかし,社会の基本は同じだと思っています.コイコイの社会にも「婚姻制度」や「身分」,「財産」や「宗教」といった象徴的な概念の形作った何かが存在するに違いありません.そんな気がします.

 ところが,サンとコイコイは,遺伝的にはひじょうに近いのです.サンとコイコイのふたつの民族を合わせてコイサン人,あるいはカポイドと呼びます.言葉に似たところが多くあるそうです.そしてコイサン人がひとつにまとめられているのは,外見や言葉が似ているだけではありません.Y染色体上のDNAの並びが,とてもよく似ているのです.

 Y染色体というのは,ヒトを含む哺乳類に共通の,オスの遺伝子が乗った染色体のことです.オスにだけある染色体というのですから,それに乗った遺伝子は父から息子へと伝わることを意味します.ということは,この染色体の遺伝子を調べれば父系の先祖を調べることができそうです.わたしは先ほど「Y染色体上のDNAの並びが,とても似ている」と書きました.ふたつの民族は同じ父系の祖先から出て来たに違いありません.あるいは,いつの時代かはわかりませんが,いっしょに住んだことがあるに違いありません.

 どんな生物でも突然変異は常に起こっていますが,突然変異の起こったY染色体の遺伝子がとてもよく似ているのです.しかし狩猟採食民と牧畜民です.生きている社会や生きる価値観がまるで違います.それなのに遺伝子は似ている.不思議です.

 ここで注意しておくことがあります.Y染色体に限らず,普通,突然変異は「中立的に起こる」と言われています.進化が中立的に起こるとは,大部分の突然変異は「自然淘汰の影響を受けない」という意味です.つまり、生まれたコドモに強い/弱いはないのです.ごくごくたまに,コドモが多く生まれたり,あるいは全くできなかったりするような突然変異もあるはずですが,我われの身近で今日も起こっていることは,そのような淘汰に影響する変異は無視できるほど希(まれ)だということです.

 さて,

 Y染色体の遺伝子と同じように,母からコドモに伝わる遺伝子がミトコンドリアDNAです.ミトコンドリアとは,わたしたちの細胞にある小器官のことです.エネルギーの供給にとても大切な働きをしています.そのミトコンドリアは,ミトコンドリアだけのためのDNAを持っています.それが母親からだけコドモに伝わるのです.ということはY染色体と同じように,母系の先祖はミトコンドリアDNAで辿れることになります.そしてミトコンドリアDNAも,コイサン人ではよく似ていると分かっているそうです.

 コイサン人は,一番,人類の祖先に近い遺伝子を持っているそうです.その人たちは狩猟採集民として,同時に牧畜民として生きている.ちなみに,その祖先のそのまた祖先の......というふうに辿ると,ついには全人類の共通の先祖に行き着けそうです.その人(現実にはその先祖と同世代の人びと)は,推定してみると,現在のアフリカ中央部のカメルーンにあたる地域にいたようでした.その仮想的な祖先をミトコンドリア・イブと呼びます.ミトコンドリア・イブと同じ意味で,父系を辿るとY染色体・アダムに行き着きます.Y染色体・アダムのいた場所には,いくつかの説があります.しかし,いずれにしてもアフリカであることは間違いありません.

    *

 森に住むピグミーとバンツーも関係も,サンとコイコイの関係に似ています.狩猟採集民のピグミーと農耕民のバンツーには,平等主義者と社会的な階層の中で住む人とか,「死んだら森になる」と言っている人と立派な宗教を信じる人といった差異はありますが,遺伝的にはとても近いのです.

 もっとも「遺伝的に似ている」ことは当然だとも言えそうです.というのは,ピグミーとバンツーの間には抜き差しならない差別・被差別の関係があって,農耕民であるバンツーは「自分たちだけが本当の人である」と考え――そもそも「バンツー」という言葉が "本当の人" という意味です――,ピグミーを人だとは見なしていません.そのため一夫多妻のバンツーは夫婦そろって高齢になり,身体が弱ると,ピグミーから「嫁」をもらって,年老いた妻にできなくなった畑仕事をさせるのです.反対にピグミーがバンツーをめとることは,基本的にありません.わたしはそうした例を知りません.第一,森で野生植物を採集して生活することなど,バンツーにはできそうもありません.

 ですからピグミーとバンツーが遺伝的に似ていても当たり前なのです.ただし,ふたつの民族が仲良いから似ているのではありません.厳然とした差別・被差別の関係があっても,混じり合うことは可能だったということです.

    *

 ヒトの遺伝的な多様性は,チンパンジーやゴリラに比べれば,比較にならないくらい低いものでしかありません.「人種」を越えたヒトの間の遺伝的な差異よりは,わたしとわたしの住んでいる町内のどなたかとの遺伝的な差異よりも,ずっと小さなものである可能性があります (6) .人間は,いったん小さくなった集団の遺伝的な効果――専門的には「ボトルネック効果」と呼びます――がとても大きいのです.その遺伝的な多様性の小さな生き物が,さまざまな生業で生きている.わたしはピグミーとして育った青年が,いったん町で教育を受けた後,「森の暮らしに帰る」と言い残して村を去り,ピグミーの狩猟採集生活に戻ったことが忘れられません.


N_nanga Pigmy.jpg













ピグミーのンナンガさん.わたしの森の師匠.

 このエッセイは,わたしの今年のひとはくセミナー「霊長類学 頭の体操2017年版」(5月14日)で喋ったことを基にしました.

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(5) 河合香吏 (1994)「チャムスの民俗生殖理論と性――欺かれる女たち」,高畑由起夫 編著『性の人類学』(世界思想社),pp. 160-203.
http://www.sekaishisosha.co.jp/cgi-bin/search.cgi?mode=display&code=0510

(6) ベルトラン・ジョルダン (2013) 『人種は存在しない -人種問題と遺伝学』(中央公論新社)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024313931-00





三谷 雅純(みたに まさずみ)
コミュニケーション・デザイン研究グループ
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

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