ユニバーサル・ミュージアムをめざして89

ミトコンドリア・イブとY染色体・アダム―1

三谷 雅純(みたに まさずみ)



 ニシゴリラ(かつては「ニシローランドゴリラ」と呼びました)を,コンゴ共和国のオザラ国立公園で観察していたことがあります.森の奥まで二日かけて川をボートで遡(さかのぼ)ったところで,村からはずいぶん離れたところでした.もともとはリンガラ語だと思うのですが,現地の言葉で〈バイ〉と呼ばれる湿地性の草原があります――アフリカのそのような草原を,今では英語でも "bai" と呼ぶようになりました.水辺に生える草を食べるために,そこにゴリラが集まってくるのです.わたしはゴリラたちの振る舞いを身近に見る機会を得ました.

 

 ゴリラの社会はシルバーバックと呼ばれる1頭のオスと複数のメスで作られます.基本的に,メスは互いに血縁はありません.そんなところから「ハーレム」と呼ばれたりします.でも人間の作るハーレムとは少し違うようです.人間のハーレムは,ひとりの男に何人かの女が嫁ぐ婚姻習慣のことです.わたしの見知ったアフリカ中央部の森に住むバンツーの農家では,高齢になった村長さんが働き手として若い娘を迎えていました.ですから主体はどうしても男が選択しているように感じました.しかし,ゴリラは違うようです.

 違うところの第一は,メスがオスを品定めしていたことです.例えば若いオス――ソリタリーと呼ばれる,まだメスとペアになっていないオス――と若いメスの出会いでは,オスはあらぬ方を向いて「草を食べている振り」をしています.するとメスがゆっくりと近づいてきて,オスを品定めするように選びます(そのように見えました).メスの気に入れば,メスはオスと並んで歩き始めます.気に入らなければ別べつの方向に歩み去ります.そしてメスとオスがペアーになっていたとしても,新しく表れたオスが気に入れば,メスは平気でオスを取り替えます.一方のオスはというと,メスが選ぶのをおとなしく座って待っているのです.ペアーになっていたオスにとっては当然ですが,新しく表れたオスも気が気ではないはずです.オスたちの早鐘のように打つ心臓の音が聞こえてくるようでした.

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 関西学院大学の高畑由起夫さんが執筆され,まとめられた本が『性の人類学――サルとヒトの接点を求めて』 (1) です.高畑さんはわたしの大学院時代の先輩です.1994年に出た本ですから,ずいぶん前です.出てすぐ読んだ覚えがあるのですが,その時は,何やら生物学で突き詰めていけばヒトが分かる気がして,高畑さんが霊長類学と共に苦労してやっておられる社会学や,場合によっては哲学まで含んだアプローチに,わたしとは方向が違うという思いがしたものでした.

 本当のことを言えば,「方向が違う」と言うよりも,高畑さんの努力は「自分には無理」な伊谷純一郎さんの学問スタイルに近いものでした.人と自然の博物館の準備室長(実質的な初代館長)で,学部時代にわたしの指導をしていただいた伊谷さんが論文や本で示しておられた,複雑な現象から真実を捉え,大胆に抽象化して描き出す.そういう能力は,とても自分にはない気がしていました.それで,伊谷さんとは別の方向を探ろうと足掻いていたというのが近いのかもしれません.

 後になって,ヒトの感覚とか遺伝とかいった多様性,つまり具体的には「発達障がい者」(=発達凸凹者)の心や,ろう者の〈ことば〉の感覚,盲人のとらえる世界の姿といったものを,例外として無視してよいわけはない.近代になって人間の価値を生産性だけで測るようになり,人の多様な能力が例外と見なされ,脇に押しやられていたのだが,こういった多様性は,決して忘れてはいけないことじゃないのかと気付いた時,高畑さんの試みは,とても大切なアプローチだと思い直したのです.それで『性の人類学』を再読してみました.今回は特に,菅原和孝さんの「狩猟採集民の母性と父性――サンの場合」(2) を読み直してみて,新たに感じたことを書いておきます.

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 菅原さんが調査したサンというのは,一般には「ブッシュ・マン」と呼んだ方が分かるかもしれません.南アフリカのカラハリ砂漠を中心に住む狩猟採集民のことです.狩猟採集では,①男は動物を狩り,女は植物を採集する.しかし,②おもなカロリーは男の捕る動物の肉ではなく,女の集める植物のいろいろな部位から得る.③いわゆる「核家族」より大きな社会単位は安定していない――つまり「村長」や「知事」,「首相」や「大統領」は存在しない.④はじめから財産はほとんどなく――あっても弓矢ぐらいでしょうか――「相続」という概念は存在しない,といった特徴があるそうです(菅原さんの記載をわかりやすくするために,わたしなりに書き直してみました).

 わたしが長く付き合った森の狩猟採集民ピグミーにも言えるのですが,母親の子どもに対する授乳期間は,日本の多くの母親で見られるよりも著しく長いのです.菅原さんは,サンの授乳期間は3,4年も続くと述べています.ヒトの子どもは2歳ぐらいになる前に歯が生えていますから,それから後の授乳はお母さんに負担です.乳歯が乳首にあたり,とても痛い気がします.それならなぜ狩猟採集民が長く授乳するのかというと,わたしはピグミーの例から,バース・コントロールだと思っていました.授乳している間は妊娠しないのです.なぜ狩猟採集生活でバース・コントロールが大切かというと,妊娠したお母さんにとって移動しなければいけない生活は大変だからです.家屋というものを持たず,自然の素材だけで組んだテント暮らしです.一日に10キロメートルとか,場合によってはそれ以上も歩くのです.

 ついでですから言っておきますが,わたしは何も「ピグミーはバース・コントロール,つまり産児制限の科学的な知識があって,授乳期間を長くしている」と言っているのではありません.そうではなく,生活の知恵をして「(科学的な根拠はわからないが,結果的に)授乳期間が長い方が移動生活が楽だということを経験的に知っていた」と言っているのです.たぶんサンも同じことでしょう.

 女性は赤ん坊に授乳するだけではなく,子どもを育て,木の実や芋を採集し,現実の生活に必要な作業をします.

 それなら男性はどんな作業をするのでしょうか? それは狩猟です.獣(けもの)を倒して,その肉をキャンプまで持ち帰るのです.ただしサンの狩猟は,食物として肉を得るという目的もあるのでしょうが,それよりも獣(けもの)の肉には、単にカロリーや栄養を得るためよりも,もっと象徴的な意味があるようです.

 わたしは昔,コンゴ共和国のンドキの森 (3) (4) で調査をしていた頃,(狩猟採集民のピグミーではなく,農耕民である)バンツーの猟師モゲッサ・マルセルさんといっしょに森を歩いていたことがありました.わたしは霊長類の調査をしているのですから、動物を見かけたら,まず双眼鏡を出します.しかしマルセルさんは,動物によっては銃を構えます.しとめる動物は森林性のウシの仲間ダイカーやイノシシが多かったと思います.

 マルセルさんは手際よく獣(けもの)を捌(さば)き,火をおこして肉を乾燥させます.生肉は腐りやすいし,乾燥させないと重くて村まで持ち帰れません.農作業に忙しい妻や子に食べさせたい一心です.その肉を乾燥させる火で,わたしはある日,ゴミを燃やしていました.すると,いつもの穏やかなマルセルさんらしくない強い口調で、わたしを叱ります.

「それは〈火〉だぞ!」

 猟師のマルセルさんにとって,〈火〉はわたしが感じる以上に神聖なものなのでしょう.生きて動く野生動物を神の恵みである〈肉〉に変えてくれるもの.われわれにとっての〈稲〉とか,アイヌにとっては〈クマ〉に近いのかもしれません.サンにとっても,狩ってきた〈肉〉はカロリーや栄養で測る以上に尊いものなのだと思います.

 だからだと思います.サンは〈肉〉を平等に分けます.狩りに参加した男性ばかりでなく,女性や子ども,老人や障がい者にも、平等に分けるのです.「神の視線は誰にも平等に注がれている」と言うかのようです.まるで,神を前に行う神聖な儀式のようです――もっとも,サンに我われが認識しているような高度な宗教はありません.菅原さんには「死ねば砂漠の砂になるだけ」と語ったそうです.そう言えば,ピグミーも「死んだら森になる」と言っていました.

 次に続きます.

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(1) 高畑由起夫(編)『性の人類学――サルとヒトの接点を求めて』(世界思想社,1994年刊)
http://www.sekaishisosha.co.jp/cgi-bin/search.cgi?mode=display&code=0510

(2) 菅原和孝 (1994)「狩猟採集民の母性と父性――サンの場合」『性の人類学』,pp. 204-229

(3) 三谷雅純 (1996) 『ンドキの森―アフリカ最後の原生林』(どうぶつ社,絶版)
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN15594185

(4) 三谷雅純 (1997) 『ゴリラの森の歩き方―私の出会ったコンゴの人と自然』(地人書館)
http://www.chijinshokan.co.jp/Books/ISBN4-8052-0535-0.htm




三谷 雅純(みたに まさずみ)
コミュニケーション・デザイン研究グループ
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

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