ユニバーサル・ミュージアムをめざして80

和地 俊さんの『私のサックス』(あるいは『私とサックス』)(1)

三谷 雅純(みたに まさずみ)

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 若い頃、通った店がありました。静かにジャズを聴きながら、お酒やおしゃべりを楽しむ店です。お酒が出るので、ひとりで入るのは気恥ずかしくて、大抵は誰か仲のいい友だちを誘っていました。地階に下りていく店です。左京区の大学の近くでした。

 店には静かなジャズが流れているので、場違いに騒ぐ人などいません。この店に来ると、わたしは、つい何か考え事をしてしまうので、友人が話しかけても生返事ばかりでした。雰囲気から言えばウイスキーが似合うのでしょうが、アルコールの強いウイスキーだと酔ってしまいます。わたしはいつもビールを飲んでいました。

 普段は、この店ではレコードをかけるのですが、時にはミュージシャンが演奏に来ることがありました。演奏するのはわたしと同世代の若者ばかりだった気がします。名前の売れた、よく知られた人が演奏することはありませんでした。きっとプロを目指す若者が修行の場にしていたり、ひょっとするとアマチュアの音楽好きが練習の成果を試しに来ていたのだと思います。

 フラットなフロアーで生の演奏を聴くのは、何となく恥ずかしいものです。舞台のように演奏者と観客の間に距離がありません。同じ目線で演奏をし、ジャズを聴きます。演奏者もわたしも目を合わすのが恥ずかしくなり、つい目を伏せて演奏をし、目を伏せて聴くのです。トランペットもあったのでしょうが、今でも記憶に残るのはピアノとサックスです。

 先日、和地 俊さんと奥様のえり子さんが演奏するのを聴かせていただきました。えり子さんがピアノを弾き、俊さんがサックスを吹きます。わたしは思わず自分の青春時代を思い出しました。演目も静かなジャズで、ぴったりです。わたしは楽器を弾いた経験がほとんどないのですが、聴く側としては、どのジャンルよりもジャズが好きです。それも静かなジャズが好みです。静かなジャズは心を穏やかにしてくれます。

『私のサックス』(あるいは『私とサックス』)は、和地 俊さんがミュージシャンの立場から、ご自分で経験したことを思い出し、思い出を語った本です。ただし書店で売っている本ではありません。和地 俊さんご自身が作って自費出版の本です。表紙には山田厚子さんの絵が添えられています。筆で描いた絵に派手さはありませんが、その絵は落ち着いた和地さんの雰囲気をよく表しています。

☆   ☆

 和地 俊さんは、左手だけでサックスを演奏します。51歳の時、脳出血になったのです。そのため右手は使えず、言葉も出ません。

 この文章を読んだ皆さんは、ご自身が左手だけでサックスを演奏する場面を想像してみて下さい。小指から人差し指までで穴をふさぎ、それを親指で支える。それにしても、片手ではぐらぐらしそうです。支えるのが親指だけでは不安定です。そのあたり、和地さんは両ももでサックスのお尻(=カーブのふくらみ)を支えて安定させ、指の自由を確保していらっしゃるのでしょう。もしこの通りなら、和地さんは、いつも座って演奏なさることになります。

 『私のサックス』を読んでいて知ったのですが、音楽療法士という仕事があるそうです。体が不自由になったとき、もしその人が音楽に親しんだ人ならば、残された機能を工夫して、もう一度、音楽を楽しめるようにする。そういうお仕事のようです。

 和地さんも音楽療法士の世話で、人に聴かせるだけのサックスが吹けるようになりました。よく聞くことですが、最初はそれまで吹いていたようなまともな音が出ず、はじめて〈ピィー〉と音が出たときには、思わず泣いてしまったということです。

 同じように人の活動を支える仕事に、園芸療法士や臨床美術士があります。園芸療法士は、植物が育つ喜びを活かして人の活動を助けてくれます。臨床美術士は絵画や陶芸、あるいは彫刻の技術を、不自由になった機能を補い、あるいは人によっては「障がい」を負ったから得た感覚を活かして、新しい世界を創造する。そのような手助けをして下さるそうです。

 「障がいを負って得た感覚を活かして、新しい世界を創造する」とは、どういうことでしょう。普通に考えれば「障がいを負う」というのは、「五体満足」な状態から何か機能が欠けたのですから、「補い」こそすれ、「新しい世界を創造する」とは言い過ぎだと感じるかもしれません。

 しかし、こんなふうに考えてみればどうでしょうか。つまり、確かに、ある機能はなくなったのだけれども、それは「健常な機能の一部が欠けた」というだけではなく、代わりに別の機能が付け加わった。しかし、大抵の人は付け足された機能に気が付かず、おまけにせっかくの新しい機能を活かそうとしないもんだから、ついには「本当になかった」ことになる。新しい能力は最初から生まれなかったことになる。今までのリハビリテーションは、そんなところが多かったのかもしれません。

 今さらながら気が付いたのですが、失語症者の集まりでは、音楽や絵画、陶芸といった活動が盛んなのです。そして、多くの人と同じように、生まれついての才能と人一倍の努力が決め手になるのかもしれませんが、人によっては以前とは異なった才能が芽吹き、思いもしなかった大きな花を咲かせる。そういうこともある。そういうことだと思います。ちょうど、和地さんのサックス演奏のように。

☆   ☆

 和地さんは、ホスピスを兼ねた病院の院長から頼まれて、イタリアのカラーラという街を訪れたことがあったそうです。リビエラ海岸に近いトスカーナ地方の歴史的な街だということです。そこで演奏会をしたのです。

 病院では、患者さんたちが力を合わせて、さまざまな活動をしています。例えばバルコニーにはレモンの木をプランターや鉢に植えていますし、壁一面に広がるタペストリーが飾ってあります。それは皆、患者さんたちの作品だというのです。

 演奏会は、小さな部屋に満員の患者さんたちが待ちかまえて、始まったそうです。患者さんたちは、そこが病院であることを感じさせないくらいドレス・アップしていました。日本の病院では、ともすると、一日をパジャマで過ごしていたりしますが、そこがイタリアなのでしょう。客を迎えるときには、どちらが迎える側で、どちらが訪れた側かを混同することはないようです。

 こんな話を聞くと、人生の意味について考えさせられます。ホスピスにいる、死期の近い患者さんだといっても、生活を送る上での礼儀と見栄えは、まだ死期から遠い頃と何も変わりはない。考えてみれば、「死期に近い患者さん」と「〈今はまだ死なない〉人生の盛りにいる人」の違いとは何でしょうか? そもそも、違いなどあるのでしょうか?

 和地さんのサックスは、イタリアの人びとにも受け入れられました。院長は和地さんが左手だけで吹き続けているサックスに、いたく感銘を受けたということです。イタリアでは、障がい者になると家に閉じこもり、外に出なくなるそうです。ただし、これは歴史の古い街の「悪しき習慣」だと思います。歴史が古いとバリアフリーの設備が少なくなり、そこに住む人びとも「当たり前」のこととして古い習慣を受け入れている。そういうことのような気がします。

 そして古い習慣に閉じ込められた人の中から、「障がい者」側の人間として、とんでもない発想が生み出される(かもしれない)。これは「不自由」ということを知らずに暮らす人びとにはとても着想できない、新しい発想だと思います。

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(1) 和地 俊さんの『私のサックス』の表紙には『私とサックス』という題名がありました。題名など、細かいところはどうでもよいということでしょうか。それもまた、見識です。

 『私のサックス』(あるいは『私とサックス』)は、「第31回日本失語症協議会 全国大会」の懇親会場で、参加者の皆さんに配られました。「第31回日本失語症協議会 全国大会」では、わたしも招待講演者としてお話しをさせていただきました。

「第31回日本失語症協議会 全国大会」の内、「ゆっくりと、じっくりと、社会の主人公になる」です。
http://hyogo-pt.or.jp/event/wp-content/uploads/sites/6/6d2e9eb64b3b469b015de4df1414f687.pdf

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三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

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