ユニバーサル・ミュージアムをめざして77

『バリアフリー・コンフリクト』を読む-3

三谷 雅純(みたに まさずみ)



 さらに『バリアフリー・コンフリクト』を読んだ感想の続きです。

 『バリアフリー・コンフリクト』には、岡 耕平さんがお書きになった「『障害者雇用』って本当に必要なの?」という章があります。「障害者雇用」とは、ひとはく のような公共施設はもちろんですが、私企業も、一定の人数で障がい者を雇わないといけないという制度です。雇わなければお金を払わなければいけません。反対に言えば、お金を払いさえすれば「障害者雇用」に知らんぷりができてきました。

 今、書いたように、お金を払ってでも知らんぷりをしたい企業が、現実にあります。そのような「企業の論理」とは、いったいどのようなものでしょう?

 岡さんは、厚生労働省の実施した平成20年度障害者雇用実態調査 (1) から見えてくる、現代の企業が障がい者を雇う時に抱く懸念を次のようにまとめています。



「社内には障害者にできる仕事はおそらくなく、障害者が安全に働くための保証もできない。一度雇用すると簡単には解雇できないために雇う前に適正を見極めたいが、障害者の適正を把握するのは難しい。さらに、従業員が障害特性について理解できるかどうか、障害者がどの程度意欲を持って仕事に取り組んでくれるかどうか不安だ。」(81ページ)

「こうした懸念は、とりわけ障害者雇用そのものに高いハードルを感じている企業の実感として、かなり一般的なものかもしれない。つまり、多くの企業は障害者に非障害者と同様のパフォーマンスを期待しており、にもかかわらずそれが満たされないのではないかという不安を持っているということだ。」(81ページ)


 「非障害者と同様のパフォーマンス」は、わたしにも似た経験があります。ある方はわたしの能力には何も関心を示さず(あるいは、仕事はおいおい憶えていくだろうから)、わたしの2種2級の障害者手帳だけを見て「健常者と同じように働けるのなら雇ってあげる」とおっしゃったのです。残念ながら、わたしにはその方が求めるパフォーマンスは発揮できませんでした。発揮できないから2級の障害者手帳を持っているのだし、それでも、求めるパフォーマンスに代わる才能は充分にあるつもりです。2級は重度障がいです。わたし一人で二人の障がい者を雇ったことになります。何のことはない、その方は「2種2級の障害者手帳を持った健常者」を求めておられたのです。この「多くの企業は障害者に非障害者と同様のパフォーマンスを期待」する実態には根深いものがあります。簡単にはぬぐい去れません。

☆   ☆

 近藤武夫さんは「読み書きできない子どもの難関大学進学は可能か?」の中で、(障がい者に対する)合理的な配慮など「社会では通用しない」と主張される方に対して反論を試みています。



「『(障害に伴う配慮を社会が、あるいは企業や公共施設などの事業体が提供することは)理想であり現実には存在しないもの』だという言外の前提、つまり配慮がない状態で示される能力を規準にするような考え方をその発言者が持っていることを示している。また、障害による困難・弱みは周囲の配慮でサポートし、それ以外の強みの面でその人の能力を見ようとする考え方を、『甘い』『生ぬるい』考えとして認めない態度が透けて見える。』(108ページ)


 資本主義経済のもとでは、私企業はしのぎを削る競争をしています。その意味では「社会では通用しない」という言葉も安易には否定はできません。ただ、わたしたちは民主主義の社会に生きているのですから、民主主義に根ざした主張も大切です。近藤武夫さんは障がい者の支援をしている側にそれなりの覚悟を求め(障がい当事者にも同じだけの覚悟を求めておられるのだと思いますが、ここでは「支援をしている人たち」に対して):


「周囲からの配慮が得られにくい状況に対して、障害者の側の準備性を高めようと支援していくことは非常に大切である。具体的には、障害当事者が出会う現実場面への対処法としてアサーション(相手の主張も認め、自分の意見も上手に伝える)技法を学ぶ機会を提供するなどのコミュニケーション支援を用意するといったアプローチが考えられる。」(108ページ)


と述べています。

 2016年 4月から「障害者差別解消法」が正式に施行されます (2)。「障害者差別解消法」では差別行為を禁止していますが、「合理的配慮」をしないでいると「差別」をしたことになってしまいます。このことは行政機関では当然ですが、私企業でも努力義務があります。

 つまり先ほどの、「合理的配慮」は理想だが現実の「社会では通用しない」という言い方は、法律の上でも「通用しない」のです。ただし、わたしの経験から言うと競争社会はこれからも続きますし、配慮することを「甘い」「生ぬるい」とする態度が社会的マジョリティ(=「健常な働き手」=気が付いていないだけの「障がい者」)には喜ばれるままだと思います。

 『バリアフリー・コンフリクト』は2012年に出た本ですが、その後、人の心が劇的に変わったという実感はありません。最初に「時代は変わった」と書きましたが、それは根深い感情が見え難くなっただけだとも言えるのです。

 我われの社会は、時として過度な競争を煽(あお)ります。そんな時、障壁が乗り越えられない人がいるのなら、その人が自力で乗り越えられるように配慮する。互いに障壁を作らないように工夫する。工夫したものを社会に示す。思い出して下さい。それが公共施設の役割だったはずです。『バリアフリー・コンフリクト』はその道しるべを示しました。

 ひとはくをはじめとする生涯学習施設では、どうあることが、競争で社会システムから抜け落ちたものを補填(ほてん)することになるのでしょうか? わたしは今、改めて、そのことを考え直してみたいと思っています。

barrier free conflict_part2.jpg

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(1) 平成20年度障害者雇用実態調査(厚生労働省職業安定局, 2009)
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000002fxj.html

(2) 「障害者差別解消法」
http://www.normanet.ne.jp/~jdf/pdf/sabetsukaisyohou2.pdf




三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

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