ユニバーサル・ミュージアムをめざして74

放送音が聞こえるか?

三谷 雅純(みたに まさずみ)


 博物館に集まっていただいて、〈ことば〉の大切さを調べる聴覚実験をしています。と書いても何のことかわからないでしょうから、説明をします。

 ここ10年ほど、わたしは人の多様性について調べることが多くなりました。中でも〈ことば〉は重要です。この5年ほどは、高次脳機能障がいの人に頼んで聴覚実験を受けてもらっています。被験者(実験を受けていただく方を、こう呼びます)になっていただいて、放送を模した録音の音声を聞いていただき、「今の録音はよく理解できた」とか、「一回聞いただけでは理解できなかった」といったことを答えてもらっているのです。

 「高次脳機能障がい」というのは、病気や事故で脳の一部にダメージを負うと、その後遺症でなります。失語症は高次脳機能障がいの一種です。脳の一部にダメージを負うと〈ことば〉が話せなくなったり、聴覚には問題がなくても音声が人間の声として認識できなくなったりするのです――大抵は耳鳴りがして、ノイズが聞こえる人が多いそうです。人によっては物事の決断が付かなかったり、尊大に見える態度をとったりもするようです。そして高次脳機能障がい者に例外なく言えることは、極端な疲れやすさです。わたしもそうですが、何時間か続けて根を詰めた作業をすると、気が遠くなります。そんな時、わたしにとっては、甘い紅茶がごちそうです。

 幸いわたしは(疲れていなければ)言語音(げんご・おん)を人間の言葉として認識できるので、どのような放送でも、わりと聞きわけられます。しかし、高次脳機能障がい者の中には、聞くことが難しい人が、案外多くいらっしゃいます。そのような人には、どんな工夫をしたら放送音を聞いて理解できるようになるのでしょうか。それを、いろいろ試しているのです。これが聴覚実験の目的です。

 それにしても、なぜ高次脳機能障がい者にとっては、それほど放送音が聞こえるかどうかが問題なのでしょうか? たとえ聞こえなくても、身近な人やご家族がいれば、その人がよく聞いていて、教えてあげればいいでしょうに。

 それはそうです。しかし、身近な人といっしょに暮らしている人ばかりとは限りません。独り暮らしの人も多くいるのです。

 ご自分が高次脳機能障がい者だとして、ひとりでいる時に「緊急災害情報」が流れてきたと想像してみて下さい。「緊急災害情報」です。例えば海岸に近いところに住んでいるのなら、「今から津波が来るから、急いで高台に避難しろ」と促しているのかもしれません。大雨の時には、土砂が流れ込れむから、坂の下や川のそばを離れろと言っているのかもしれません。津波の来ない内陸に住んでいるのなら、地震の時は「あわてて外に出ると、かえって危険かもしれない」と言っていることだってあるのです。ところが高次脳機能障がい者は言語音が聞き取りにくく、何を言っているのかがわからないのです。

 放送は娯楽や楽しみだけではありません。生命に関わる重大なニュースが流れることもあります。「緊急災害情報」で、逃げろと呼び掛けているのか、あわてて外に出るなと言っているのかでは対応がまったく異なります。そんな時、工夫のない放送を並べ立てるのでは危険です。どうすれば、わかりやすい放送になるのかを考えておくことは、とても大切なのです。どうすればよいかがわかったら、放送局に言って、いっしょに可能な放送の仕方を工夫してもらえるでしょう。聴覚実験では、その根本の部分を調べようというのです。

 高次脳機能障がい者にとっては、音声の理解は生死を分けるかもしれません。

☆   ☆

 人と自然の博物館のある三田は阪神地区の北側にあります。阪神地区には阪神・淡路大震災がありました。震災の時、わたしは看護師の妻と一緒にコンゴ共和国北部の国境に近い村:ボマサにいました。そしてボマサ村からウエッソという地方都市に出たときに、「西日本のコーベをいう大都市が地震で壊滅した」と聞かされました。それまでニュースというものは何も聞くことができませんでした。わたしはたちの悪い冗談だと思いました。「西日本」と「震災」が、わたしの頭の中ではすぐに結びつかなかったのです。ところが阪神・淡路大震災は現実に起きていました。阪神地区に大きな地震は起きないというのは、ただの神話にすぎなかったのです。

 実験に協力して下さった方の多くが、この震災の経験者でした。当然、実験では聞きたくもない災害情報を、何度も聞いてもらわなければなりません。そうしなければ、信用のできるデータが得られないからです。

 なるべく精神的な負担にならないように、それまでの実験では学校唱歌や童話の絵本を題材にしてきました (1)。得られる結果が同じなら、無理をして恐い情報を聞く必要はないからです。しかし、それだと緊迫感が違います。本物だけが持つ何かは得られません。それで今回は、直接「緊急災害情報」を使ってみることにしたのです。

 聴覚実験で精神的な安全を取るか、実際の放送に近い「緊急災害情報」を取るか。どちらも一長一短がありそうです。ただ、被験者の方は恐いのを押して実験に協力したのですから、わたしには真剣に分析に取り組む義務があります。


Y&F20151114.jpg博物館で聴覚実験を受けていただいた後の若者と家族の会の皆さん。
ひとはくブログに載せる了解をいただいています。皆さん、笑顔が素敵です。


 もちろん高次脳機能障がい者ばかりではなく、普通に放送の内容がわかる人――病気や事故で脳の一部にダメージを負ったことがない人と自然の博物館で働いている人――にもこの実験に協力していただきます。その第一の目的は、来館者の多数を占める若い人から高齢の方まではどんな放送が聞きやすいかが調べられます。そして第二に、高次脳機能障がい者と比較したデータを取ることによって、高次脳機能障がい者の反応がより明白になるからです。

 今まで取ってきたデータの結果は、「人と自然 Humans and Nature」25号 (2) や26号 (3) にあります。

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(1) 小学生向けのお話『くんくんくん おいしそう』を題材に使った時のようすは「失語症者に助けてもらう」
http://www.hitohaku.jp/blog/2012/06/post_1556/
http://www.hitohaku.jp/blog_old/2012/06/post_1563/
http://www.hitohaku.jp/blog/2012/07/post_1564/
にあります。

(2) 「生涯学習施設の館内放送はどうあるべきか:聴覚実験による肉声と人工合成音声の聞きやすさの比較」 25: 63-74.
http://www.hitohaku.jp/publication/r-bulletin/No25_02.pdf

(3) 「聞くことに困難のある人がわかりやすい音声: 視覚刺激の付加により高次脳機能障がい者の理解は進むか」 26: 印刷中.

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

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