ユニバーサル・ミュージアムをめざして71

「柳に風」
「河合雅雄さんがおっしゃったこと」へのご感想-1

三谷 雅純(みたに まさずみ)


 今回のコラム「河合雅雄さんがおっしゃったこと (1) に興味を持って下さった方から、いくつかご感想をいただきました。ありがとうございます。

 本題に入る前に、少しだけ寄り道です。

 10月に兵庫県宝塚市で高次脳機能障がいの啓発シンポジウムが開かれました。これに参加してきました。シンポジウムでは言語聴覚士の方が「高次脳機能というものを、どうとらえるべきか」とか、高次脳機能障がい者ご自身の対談が企画されていたので、わたしにとっては本当によい勉強になりました。わたしも失語症という高次脳機能障がい者のひとりですが、ダメージを受けた脳の場所は一人ひとり違うので、さまざまな高次脳機能障がい者の意見は新鮮です。新しい認識が得られるのです。

 脳にダメージを受けた「さまざまな高次脳機能障がい者」というのは、ちょうど手足や内臓など、ダメージを受けた身体の場所によってそれぞれ違う症状が出ることに似ています。脳は身体のいろいろな場所を個別にコントロールしているからです。ただし、身体の動きを司るだけではなく、脳は思考や感情といった形にはならない重要な働きもしています。身体のコントロールよりも、もっと広い範囲にわたるのです。

 夕方からシンポジウムの参加者が集まって、歓談と意見交換をする機会がありました。本当であれば、わたしは夕方から行われる催しには参加しません。高次脳機能障がいのせいで、極端に疲れやすいからです。しかし、その日は大勢の高次脳機能障がい者が参加しています。医師や言語聴覚士もいます。体調が悪くなっても大丈夫そうです。安心して任せておけばよいでしょう。わたしは歓談に参加して、おしゃべりを始めました。

 しゃべり始めて一時間も経った頃、おかしな感じがしました。初めての感覚です。最初は何が起こっているのか、よくわかりませんでした。

 おしゃべりをしている相手の口元が、音もなくパクパクと動いています。その上、微笑んでいます。でも声は聞こえません。確かにワーンというノイズは聞こえるのですが、言葉が聞こえない。ふしぎな感覚でした。わたしは、これが「聴覚失認」かもしれないと思い当たりました。厳密には違うのかもしれません。しかし、ノイズは聞こえるのに言語音は聞こえなくというのは、いかにも「聴覚失認」だと思えてしまいます。

 いずれにせよ、その聴覚失認(もどき?)の感覚がわたしの身に生じて初めて、やっと「聴覚失認」を実感できた気がしました。聴覚失認という現象が不思議でも何でもなくなりました。それまでのわたしは「言語音が聞こえる」のは当たり前でした。言葉は身近にあったのです。それが具体的に「聴覚失認」を体験したのです。

 大げさに聞こえるのかもしれませんが、自分自身の「聴覚失認」は、研究者として貴重な体験だった気がします。

 10分ほどして、わたしの聴覚はもとに戻りました。わたしと話をしていた人は医療関係者でしたので、わたしのようすが変だと気が付いたかもしれません。でも幸いなことに、その方はごく自然に振る舞い、微笑んで、わたしが話し始めるのを待っていて下さいました。きっと、ようすは変だが、その内、元に戻るということを経験から知っておられたのでしょう。

☆   ☆

 このブログに書いてきたことは、多様な人びとの感覚を見直し、人を「目が見えない」とか「耳の聞こえない」といったマイナスのイメージで捉えるのではなく、こんな世界観もあるんだとおもしろがる。伊藤亜紗さんが『目の見えない人は世界をどう見ているのか』で書かれたこと (2) を、目を使わない人だけでなく多様な人を対象に書くことでした。ですから、このコラムは福祉がテーマではありません。ましてや自分のことでもあるのですから、失語症や高次脳機能障がいの不利益を訴えて「哀れを誘う」ことでもありません。わたしの書くことに障がい者の「不幸」や「悲しみ」といったテーマ設定はありえません。

 河合雅雄(かわい まさを)さんの書かれてきたことも同じだと思います。

 性格によるのか、志向によるのかはわかりません。「自分は河合さんと似たところがあるから、河合さんのように偉いのだ」などと言うつもりもありません。河合さんは河合さん、わたしはわたしです。それぞれ別の人格なのですから、個人個人、分けて判断してもらうべきだと思っています。

 インドネシアに連れて行っていただき、わたしが脳塞栓症を発症した後も、いっしょにフィールド・ワークをして下さった元京都大学霊長類研究所の渡邊邦夫さんは、次のような感想を送って下さいました。意味がわからないといけませんので、カッコに入れて補います。


私も河合さんから「柳に風」の話を聞かされたことがあります。

河合さんは、子供の時から喧嘩はそれなりに強かったんだけど、いかんせん結核をやったせいで(体力が)長続きしない。すぐに熱が出るので学校を休むことが多く、(そんな時)裏山に入っては自然と語らっていたんでしょうね。それで、いろんな思いやイメージを膨らませて、人にわかりやすく伝える術を身につけたんだと思います。

「原稿を頼れた時に、イメージがすっと湧いてきたものは、すぐに書ける。そうでないものは、呻吟しても、なかなか書けない」と言っておられました。長い自然との語らいによって身についたものを、一気に文章にして書いていく。それが面白く読める含蓄のある文章の基になっているんでしょうね。

自分の不幸を話のネタにして、笑い飛ばしてしまう。

このアフリカのロアロア(=ロア糸状虫)にやられた時でも、医者に行ったら他にもたくさんの熱帯病を持ち帰っていて、大変重宝がられたとか、(河合さんの書かれた)『ゴリラ探検記(3) でもジープが横転して大怪我をしながら、「『ライオンがいるぞ』と言って気を失った」と書く。

事故の時に一緒だった水原洋城さん (4) に、本当ですかと聞いたら、「肋骨を何本も折って、アコーディオンみたいになっていて、イタタ!イタタ!しか言わなかった」とか。

こうやって前向きにプラス思考で生きて行くのがいいんでしょうねぇ。なかなか真似のできないことです。

サル学者の仲というのも、必ずしも、いつもいいだけじゃなかった。当然でしょうね。河合さんは「いつもは仲が悪いけど、何事かがあれば団結するんだ」とも言ってました。

私は川村(俊蔵:しゅんぞう)さん (5) の弟子だったけれども、河合さんには可愛がってもらいました。本当は私が勤務した宮崎県の(京都大学霊長類研究所)幸島観察所には直系の弟子をいれたかったのでしょうけれども、そんなことは、おくびにも出さずに、幸島の運営だけでなく、たくさんの支援を頂きました。

偉い先生はたくさんいたけれども、やっぱり人間的に、とてもできた先生だったなぁと思います。だから今でもたくさんの人に取り巻かれているし、91歳になっても、まだ重要なポストで活躍できる。堺屋太一さんが「80歳過ぎて、まだ影響力を残していたら、人は妖怪と呼ぶ」と書いてますが、まぁ、河合さんは大妖怪でしょう。


 わたしのひとはくブログを覗いて、いつもご感想を下さる山家健盛さんは、下さったお手紙の中で、このように書いておられます。


私は 伊谷先生や河合先生のご著書 何冊か読んでおります。河合先生の事は三谷さんからもお聞きしておりますが、ご自身でも片肺がつぶ(潰)れている事を書いておられます。弟さん(=ユング派の心理学者だった河合隼雄さんのこと:三谷)の方が先にお亡くなりになったのに、河合先生は今もあちこちの会に出席して挨拶されておられます。

一病息災を体現されているのが、河合先生だと思います。

河合先生がおっしゃった『ヤナギに風について......』は、本当だと思います。しかし、ついつい かっとする事もあるのが日常生活で起こりがちな事かと思います。心したいものです。


 残りは次に続きます。

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(1) コラム「河合雅雄さんがおっしゃったこと」は:
http://www.hitohaku.jp/blog/2015/10/post_2074/

(2) 伊藤亜紗さんの『目の見えない人は世界をどう見ているのか』は:
http://www.hitohaku.jp/blog/2015/09/post_2065/
http://www.hitohaku.jp/blog/2015/09/post_2066/

(3) 『ゴリラ探検記』は光文社版や講談社学術文庫で出ていましたが、今は筑摩書房の全集
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480045065/
でしかないようです。

(4) 水原洋城さんは日本モンキーセンターの研究員、東京農工大学の教員をお勤めになりました。わたしの本棚を見ると『ニホンザル行動論ノート』(どうぶつ社)がありました。

(5) 川村俊蔵さんについては「河合雅雄さんがおっしゃったこと」
http://www.hitohaku.jp/blog/2015/10/post_2074/
に書いておきました。



三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

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