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世界のとらえ方が違う人-2

三谷 雅純(みたに まさずみ)



 『目の見えない人は世界をどう見ているのか』をお書きになった伊藤亜紗さんは,美学という哲学の一分野を研究していらっしゃいます.また,ご自身でアート作品を制作してもいらっしゃいます.

 美学というのはふしぎな学問です.もやもやとして輪郭が明らかでない,しかし,確かにそこにあるものを言語化する,言葉に直す試みだそうです.「輪郭が明らかでないもの」は,普通,言葉では表せません.なぜなら,「言葉にする」とは,何らかの意味で「形をはっきりさせる」とか「定義を下す」といった行為だからです.言葉では表せないものの代表が「美とか優美といった質をとらえる感性のはたらき」(p 25)であり,さらに「芸術」(p 25)だそうです.もやもやとして輪郭が明らかでないものを言葉に直そうとするのですから,美学では「質をとらえる感性のはたらき」や「芸術」が攻略の目標になるのです.

 伊藤さんはある時,世界はこうだと感じている,その感じ方は人によって違うのだと気が付いたと言います.世界とは実のところ,個人個人で皆,違うと言っていいのです.その感じ方,つまり伊藤さん個人とは異なる世界観を持つ代表者が「目の見えない人たち」でした.「世界のとらえ方が違う人-1」にも書きましたが,伊藤さんのアプローチは決して「世界の中心にいる健常者が施(ほどこ)す福祉」ではありません.「見方を変えれば,世界はがらっと変わる」.そのドキドキ感こそ,伊藤さんが本当に伝えたかったことだという気がします.

 同じような試みは別の本にもありました.志村真介さんのお書きになった『暗闇から世界が変わる――ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの挑戦』 (1) です.

 「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」(Dialog in the Dark: DID 〈暗闇での対話〉)はすっかり有名になりました.DIDのイベントを取り入れている博物館もあります.このコラムの読者には,ご存じの方も多いと思います.しかしDIDは,有名なわりに誤解を受けることが多いようです.「視覚障害者の暮らす世界を疑似体験できるイベント」だと誤解している方が多いのです.

 志村さんは「視覚障害者世界を疑似体験」することを否定はしません.否定はしませんが,しかし,このイベントの本質は違うと言います.まず,このイベントのようすを説明しておきましょう.

 DIDの会場は真っ暗闇です.その真っ暗ななかに,何かの品物や出来事があります(世界を目で見ている人にとっては,「隠されています」).その品物や出来事を使って暗闇だからこそできるしかたで楽しみます.楽しむ人は8人までのグループです.みんな「世界を目で見ている人」です.つまり普段は視力に頼って生活しています.ですがそこは暗闇です.視力は役に立ちません.きっと,すくんでしまって一歩も動けない人もいるでしょう.それを助けるのが「目の見えない人」なのです.DIDでは「目の見えない人」のことをアテンドと呼びます.

 アテンドとは「案内人」という意味です.「目の見えない人」にとって暗闇は日常生活を過ごしている場所です.暗闇を自由に動けなくては,そもそも生活自体が始まりません.暗闇を自由に動ける能力があるのですから,急に視力を失って立ちすくんでいる「目で見ている人」をガイドすることは簡単でしょう.雑作もないことのはずです.しかし,「目で見ている人」にとってはというと,そこでは「目の見えない人」がスーパーマンのように感じるはずです.暗闇という空間では「世界を目で見ている人」ができないことをするのですから.

☆   ☆

 日本では,本当に真っ暗闇にできる体育館のように大きな施設は,あまりないようです.しかし,DIDが始まったヨーロッパでは,例えば「暗闇のディナー(当然ワイン付き)」や「暗闇のボート乗船」といった催しがあると聞きます.8人もの人が一度に食べる「暗闇のディナー」には,ずいぶん大きな食卓が必要です.給仕は暗闇で日常生活を送るアテンドが勤めてくれるのでしょうが,それにしても料理を作ったり,運んだり設備は必要でしょう.第一,暗闇で注がれたワインをこぼさずに飲む時には,きっと緊張するはずです.「暗闇のボート乗船」に至っては,広い空間も必要ですが,それ以上にプールが必要になります.ぐらぐら揺れる不安定なボートに乗り込む時はアテンドを信頼して,普段は「目で見ている人」が「目の見えない人」に介助してもらう以外に方法はありません.

 日本のDIDは,例えば「世界を目で見ている」小学生が集まってロープを握り,キャーキャー言いながらそのロープを頼りに進むとか,その進んだ先に何かおもちゃが置いてあって,それを子どもたちはこわごわ触ってみるといったものだと聞いたことがあります(違っていたら,教えて下さい).その時のアテンドは「目の見えない」スーパーマンが務めてくれます.暗闇の中で自分がどこにいるのかわからなくなってしまった子は,このスーパーマンが見付けて,ちゃんと連れ戻してくれるそうです.

 状況が変化したら「世界を目で見ている人」は何もできなくなり,「目の見えない人」がスーパーマンに変身する.これが肝心です.

 ひとはくは,最近,少しずつ変わってきています.ですが「世界の中心にいる健常者が施(ほどこ)す福祉」が大事だと誤解している人は,まだ多いように思います.ひとはくにとって障がい者は,あくまで来館者の側にいます.接遇は大事なことですが,「障がい者が提供するサービス」というDIDのような発想は浮かばないようです.しかし,それでは伊藤さんが伝えたかった「見方を変えれば,世界はがらっと変わる」というドキドキ感は経験できません.「健常者が世界の中心にいる」のは,世の中の仕組みを組み立てたのが,たまたま「健常者」だったからです.この先「健常者」の定義が変わったら,もっとドキドキすることが起こるでしょう.ドキドキすることが起こらないのは,きっと,ひとはくの発想が「健常者が世界の中心にいる」時代の感覚を引きずっているからです.

 DIDはユニバーサル・デザインを取り入れているそうです.「目の見えない人」がアテンドとして,車イスの人やろう者にDIDを体験してもらうのです.ここまで読んできて,わたしの書いた状況が把握できるでしょうか? これを説明するために,少し長くなりますが『暗闇から世界が変わる』から引用します.

「あるとき電動車椅子の人が七人同時に入場したことがありましたが,この状態では暗闇の中をふつうに進むだけでもたいへんでした.ややもするとスピードの出る電動車椅子が互いにぶつかったり,アテンドが轢(ひ)かれてしまう危険性もあるのです.

 これではスタッフの負担が大きくなるだけでなく,なによりもゲストが心から楽しむことができないので,以降はすべての人を受け入れることを前提に,あえて制限をつける形に変えました.

 たとえば車椅子が必要な人は,電動ではなく手押しのものにしてもらいました.また耳が聞こえない聴覚障がいのある人には,事前にアテンドたちと打ち合わせをしてもらって,どのような形でコミュニケーションを行うかを決めるようにしました.その人のための特別ルールのようなものをつくるのです.この話し合いには,一緒に入場するユニット(=グループのこと:三谷)の他のゲストに入ってもらうこともあります.」(pp 100-101)

 つまり「暗闇のスペシャリスト」である「目の見えない人」は,アテンドとして車イスの人や耳の聞こえない人を遇するために,どうしたら安全に楽しめるのかを思案したと言うのです.考えてみれば「暗闇のスペシャリスト」なのですから,「目の見えない人」がアテンドとしてDIDの接遇に心を砕くのは当たり前です.しかし,「健常者が中心にいる世界」ではありえないことです.ありえないことですが,そこに本当の人間性があるのだと思います.

 志村さんは,「どんな立場や役割の人でもフラットになれる場所」がDIDだと言います.

「DIDという場を使って,多くの人たちに『新しい対話のあり方』を伝えたい.それによって世の中が変わっていく.そんなことを考えながらこれまで走り続けてきました.」(p 6)

ともお書きになっています.「新しい対話のあり方」とは,きっと「目の見えない人」(=アテンド)が,(車イスの人や耳の聞こえない人が含まれている)「世界を目で見ている人」といっしょになって議論する姿だと思います.

 なお志村真介さんご自身は,(たまたま)「世界を目で見ている人」のおひとりです.

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(1) 『暗闇から世界が変わる――ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの挑戦』(志村真介 著,講談社現代新書2306)
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三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

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