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ユニバーサル・ミュージアムをめざして65

 

さまざまな人が創る社会-1

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

 

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平成26年度「障害者週間のポスター」最優秀賞(小学生の部)
玉名市立玉名町小学校四年  両角 藍さん(熊本県)

 

 「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」,通称「障害者差別解消法」が2013年(平成25年)に成立しました.この法律には国際連合(=国連)の条約:「障害者の権利に関する条約」をめぐって,ちょっとした歴史があります.この条約はすべての障がい者の尊厳と権利を保障するための人権条約です.国連では2006年に採択され,日本も早く受け入れるつもりだったそうです.ところが日本の批准に対して,日本国内の主要な障害8団体で結成しているJDF(日本障害フォーラム)から待ったがかかりました.それは「日本の法律では,障がい者の権利が、きちんと保障されていない」からでした.批准してこの条約を認めるという前に,ちゃんと国内法を整備しなければいけない.ということは,言い換えれば「『障がい者の権利を保障して,差別を禁止する』日本の世論は十分に高まっていない」と指摘を受けたのです.そこで日本は2011年に「障害者基本法」を改正して,基本的な考え方を整理し直すことにしました.結局,日本の批准は2014年になりました.

 

 「障がい者を差別してはいけない」というのは当然のことです.しかし,何が差別になり,何が障壁(しょうへき)になるのか,たいていの人は戸惑うことがあるでしょう.そんな時は,本当に「障がい」が何だったのかイメージできません.イメージできないから「結果的に差別してしまう」ことがある.ことさら差別する気はないのです.しかし,そのために障がい者は,社会に出て働いたり,自分の立場で意見を言ったりできなくなる.これは大きな社会的損失です.このようなことをなくしましょうということで,「障害者差別解消法」は作られました.これで障がい者の権利を保障する気運は作られました.

 

 もちろん人のこころはさまざまですし,中にはあからさまな差別をする人も,現実に,います.「障がい者の権利を保障する」と言っても,まだ気運が整っただけです.この法律ができたのだから,今すぐ実践すればよさそうですが,なかなかそうはいきません.そのために,皆さんに「障がい者の権利」とか「差別の禁止」とかの意味をよく理解してもらおうと,準備期間を3年ほど設けたのです.施行は2016年(平成28年)4月の予定です.ずいぶん悠長(ゆうちょう)に思えますが,「差別の解消」は,それほど時間をかけなければ実現しないということです.

 

☆   ☆

 

 わたしは失語症の方としゃべっていて,困った顔をされたことがあります.どんなことを言った時かというと,わたしは,

 

「多くの人は『障がい』をネガティブなものと捉えがちです.ところが、見方を変えればポジティブに捉えることもできます.例えば,ろう者は手話で示された多くのジェスチャーを順に覚えて会話をしますが,これはろう者以外にはできません.ろう者にとって手話は母語の人も多いのですから,当たり前といえば当たり前です.聴者(ちょうしゃ:聞こえる人)の発話言語(=音声を発して意味を伝える言語)と同じように,ジェスチャーを覚えなければ手話のコミュニケーションは成り立ちません.

 

盲人も同じです.盲人にとって指先は目のようなものです.ものに触れることで,いろいろなことを認識します.ものの大きさや形,質感,光沢といったものまで認識できるのです.そのイメージの再現力は,目を使う人には及びもつきません.この鋭い指先の触覚があるからこそ,点字で意味を記録し,イメージを伝えることができるのです.

 

失語症者や高次脳機能障がい者は,なかなか言葉が出てきません.しかし,言葉になる前の〈ことば〉,つまり内言語(ない・げんご)では,しっかりものが考えられる人がいます.そうして考えたことの中には,当事者でなければ思いつかなかったことも,きっと多くあるはずです.

 

「障がい」とか,「障がい者」というと悪いイメージばかりを持ちがちですが,わたしも含めて失語症者や高次脳機能障がい者は,「~が足らない」のではなく,「他の人にはない~の長所がある」のだと考えることはできないでしょうか?

 

 これを聞いていた失語症者は困った顔をされました.

 

「失語症の長所って何ですか?」

「私は失語症でよかったと感じたことは一度もありません」

 

このように,おっしゃったのです.わたしは,そんなネガティブに考えなくてもいいのではないかと思いましたが,ポジティブに評価する理屈は,残念ながら,とっさには思いつきませんでした.でも絶対に,どこかいいところがあるはずです.でなければ,人間として価値があるのは,人生の盛りである「若者」の一時期だけということになりかねません.「若者」以外の大部分の人は,全員,どこかが欠けた人です.

 

 でもちょっと待って下さい.若者だけが完全な人間ではありませんよね.そんなことは当たり前です.赤ん坊には赤ん坊の才能があり――事実,赤ん坊には共感覚や写真のような記憶能力があるのだが,〈ことば〉の獲得とか象徴性の獲得とともにその能力を失うという話があります――,思春期の少年・少女には,おとなには見えない「過去」や「未来」がチラチラと見えてしまうというのは,都市伝説に過ぎなかったとしても,よく聞く話です.高齢者が互いに矛盾したことを共に認める能力がある――「清濁併せ呑む」――のは,長い人生の結果だと思います.だとすると失語症者や高次脳機能障がい者も,少し視点を変えただけで見え方ががらりと変わり,ポジティブな資質になるということが,きっとあるに違いありません.先ほど挙げた「内言語の沈思」はポジティブな資質ではないでしょうか.だとしたら,後は当事者の出した結論を聞き取り,普通の〈ことば〉に直す才能を持った「翻訳家」がいたら,「内言語の沈思」の結果は社会でおおいに役立つでしょう.

 

☆   ☆

 

 ひとはくを始めとする多くの公共施設は,バリアフリー・デザインやユニバーサル・デザインに取り組んできました.法律では,このような工夫を「環境整備」と呼んでいます.バリアフリー・デザインでは,目に付いた欠陥を直すことで,さまざまな人がスムーズに活動できるようにします.例えば段差があるときは,ゆるやかなスロープを渡すとかの工夫があると,たいていの車イス利用者や足もとが不安定な高齢者も安心して上り下りができます.ユニバーサル・デザインは,バリアフリー・デザインよりも,もっと多くの人が利用しやすい工夫を言います.理想としては,すべての人が使いやすくできれば,それに越したことはありません.

 

 それにしても「すべての人が使いやすい」デザインって,いったいどんなデザインなのでしょう? そんなことがありえるのでしょうか?

 

 わたしは,厳密にはありえないと思っています.しかし,ひとはくを始め,多くの公共施設が,現にユニバーサル・デザインを取り入れてきました.その理由は,ユニバーサル・デザインなら誰にでも「平等」に設計できるからです.公共施設では,何よりも見かけの「平等」が大切です.だから,そうしてきたという背景があると思います.法律で規準が決められたバリアフリー・デザインや,マニュアルに従ったユニバーサル・デザインです.現実にそれを使う障がい者には,どういうわけか計画に意見を言ったり,実地に使って確かめてみたりといった機会が,あまりないように思います.意見も聞かない,確かめてみることもしないために,公共施設では,使いたくても使えないといったことが,実は,よくあります.

 

 それは「体のいい差別」だと感じています.「バリアフリー」とか「ユニバーサル」とか言っているだけに,よけい質(たち)が悪く感じられます.

 

 さまざまな立場の人が集まって意見を出し合い,互いに自分以外の人の主張を尊重しあって,少しずつ,ひとつのものを創り上げていく.それは元来,すてきなことですが,手間もお金もかかります.しかし,今までそうした手間やお金をかけてこなかったことの方が不思議です.必要なことにまで手間とお金を惜しむのは本末転倒です.新しい「障害者差別解消法」は,障がい者の人権を守り,障がい者の権利を保障するための法律です.それは「さまざまな立場の人が集まって意見を出し合い,互いに自分以外の人の主張を尊重しあって,少しずつ,ひとつのものを創り上げていく」ことの保障でもあるのです.

 

 新しく何かを公共財として創り出す.その試みに,わくわくしませんか?

 

 この稿は続きます.次は障がい者の側の責任について書こうと思います.

 

 

 

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館
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