ユニバーサル・ミュージアムをめざして27

 

漢字、絵文字、コミュニケーション支援絵記号-2

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

 

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 コンピュータや携帯電話で使う顔文字には、違和感を覚える人がいます。しかし、顔文字をじょうずに利用する人の文章から、気持ちが素直(すなお)に伝わることがあります。それは違和感を覚えるというよりも、新しい文字種の創造に近い行為です。とても上品な利用の仕方だと思っています。第一、東アジアで使う漢字自体が、もともとはイメージをまねる事で成り立っていたのです。漢字と顔文字が違うところは、使われてきた歴史の長さと、さまざまな人に伝わる社会のルールが確立しているか、いないか、なのではないでしょうか?

 

 漢字にあって顔文字にないものは<象徴性(しょうちょう・せい)>だと書きました。たとえば「赤(あか)」という漢字には、色は付いていないはずなのに、何となく温かいイメージを感じてしまいます。でも、よく考えると、「赤」は「あか」である必然はないはずです。「赤」と書いて「むらさき」と読んでもよかったし、「あお」と読んでもよかったように思うのです。ひょっとすると「赤」という漢字には、どうしても「あか」でなければならない歴史の必然があったのかもしれませんが、それにしても「赤」を「あか」と呼ぶのは不思議な気がします。二色型色覚で、うまく「赤(あか)」がイメージできない人でも、「赤(あか)」を「青(あお)」や「黄(き)」に置き換えれてみれば、わたしの言っている事は了解してもらえるはずです。

 

 それでは、コミュニケーション支援絵記号 (5) はどうでしょう?

 

 よくご存じない方のために、コミュニケーション支援絵記号を説明しておきましょう。

 

 

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 非常口の印(しるし)はご存じですね? 火事の時など、急いで外に出なければならない時のために、いつでも開いている、あるいは開けられる出口の場所を示す記号です。急いで走る人の絵が青っぽく(青緑で?)描いてあります。これが絵記号です。よく目立つ印(しるし)です。たとえ「非常口(ひじょう・ぐち)」と読めなくても、みんながあわてている時には、走っている人の示す方向に逃げなければいけないのだと、すぐにわかります。

 

 トイレの印(しるし)も、よく知られています。男性用と女性用、そして多機能(たきのう)トイレといって、車イスの利用者や赤ん坊を連れた人が利用するトイレがあります。それぞれは色や絵でわかるようになっています。多機能(たきのう)トイレも、車イスの人の絵――このデザインは、「足の悪い人」というより、「多機能(たきのう)トイレを利用する人」という意味の<象徴>です。すでに漢字に近いですね――でわかるようになっています。

 

 コミュニケーション支援絵記号とは、こういった絵記号を、まだ字を知らない小さな子どもや障がい者や母語が異なる人に、わかりやすく示した、コミュニケーションを助けるための絵記号です。

 

 非常口やトイレの印(しるし)は、公共の建物には必ず描いてあります。また、さまざまな言葉や文化を持った人が集まる国際空港で見かけることもあります。わたし自身が言葉のわからない国に行っても、空港では、トイレがどこにあるのか、わからなくて困ったという経験はありません。こういった絵記号は全世界共通のようです。でも、本当にその人の文化によって絵記号に違いはないのでしょうか?

 

 たとえば狩猟採集民はどうでしょう? 人数は別にして、地球にはさまざまな狩猟採集民が生活しています。わたしの場合、アフリカのコンゴ共和国で出会ったピグミーの友人がいます。今でも、会えば、「やあやあ」と笑顔であいさつを交わすような友人です。その友人ですが、今はお金を知り、計算や言葉――子どもの時に自然に身に付く母語ではなく、学校で習うアフリカのフランス語――を習って、定住生活を始めています。そうした人にも、コミュニケーション支援絵記号は、必要なら役に立つ記号と言えるのでしょうか?

 

 この事は、記号は本当にユニバーサルなものになれるのだろうかという問い掛けなのです。記号とは、文化があって初めて成立するものではないのか? ブロンボス洞窟から出土した石に刻まれていた模様はあまりに大昔のこと過ぎて、今では何のことだか解りません。わたしたちの周りにも、特定の文化が影響を持っています。たとえば現代の日本では、ヨーロッパやアメリカの文化が入り込んでいます。わたしたちには、ヨーロッパやアメリカの文化以外は見えなくなっている。それでは本当の意味で<ユニバーサルなもの>ではありません。わたしたちの使う、あるいは作り出す記号は、ある範囲内の文化でだけ通じる<ローカルなもの>だという事になります。ユニバーサルなコミュニケーション支援絵記号も、そうしたもののひとつではないのか? そうだとしたら、全ての人のコミュニケーションを助けるわけではない。どうなのだろうと疑問に思います。

 

☆   ☆

 

 霊長類研究所にいるチンパンジーのアイは、「ことば」を習いました (6)。それは「積み木(つみき)」や「手袋(てぶくろ)」、「鉛筆(えんぴつ)」などを表す記号です。数字も習いました。1から9までの数字です。色の名前も習って知っています。ですから、アイは、「これは何? 何個あるの?、何色?」と聞かれると、それが赤い積み木(つみき)が三個だったら、

 

「赤、積み木(つみき)、3」

 

と答えます。あるいは、

 

「積み木(つみき)、3、赤」

 

と答えることもあります。チンパンジーに語順や文法は、あまり大事ではないのです。それを、この実験のために、わざわざ作った記号で答えます。そして、その記号には、ある工夫があります。それは物と記号の間には、何の意味の関わりも持たないようにするという事です。

 

 

         

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『ことばをおぼえたチンパンジー たくさんのふしぎ傑作集』(松沢哲郎文、藪内正幸 絵、福音館書店)から

 

 たとえば「積み木(つみき)」を「■」や「▲」の記号だけで表すと、自然に積み木の形がイメージできます。これだとダメです。「鞠(まり)」とか「ボール(ぼーる)」も、「●」だけでは見たままです。簡単にイメージできます。やはりダメです。その物の形からイメージできるような記号は、わざと使わないのです。この事は、漢字やコミュニケーション支援絵記号とは、根本的に違います。つまり、チンパンジーのアイに教えた記号は、文化とは関係がなく何のイメージも与えない形が、わざと記号に選ばれたというわけです。第一アイはチンパンジーですから、人間の文化は自分たちの文化ではないのです。世界の外の出来事にすぎません。

 

 これは、ヒトとは違うチンパンジーの認知をくわしく調べるために、わざとそうしたのですが、(日常生活を送る)人間でも、そうする事が、本当のユニバーサルな記号を作る近道のように思えてしまいます。でも、本当にそうなのでしょうか?

 

 コミュニケーション支援絵記号には、確かにその人の文化を越えて分かりそうな、ヒトであれば誰でも認められそうなものがあります。コミュニケーション支援用絵記号デザイン原則(JIS T0103)(5) から例を探せば、「家族」とか、簡単な笑い顔で表した「幸(しあわ)せ」です。地平線に太陽が昇るようすを表した「朝(あさ)」も、ユニバーサルな絵記号と言えるかもしれません――視覚障がい者には、指先や唇で感じられる凹凸があれば、十分に分かってもらえると思います。

 

 

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 でも、コミュニケーション支援絵記号には、文化が異なればわからなくなりそうなものも含まれています。たとえば「消防士(しょうぼうし)」は、そのような仕事が身近になければ理解できないでしょうし、人が別の人に腕を伸ばして「感謝(かんしゃ)する」と言ったって、腕を伸ばすのがどのような行為か理解できないのなら意味がないでしょう。

 

 国際的に通用しそうなトイレの絵記号もそうです。男性と女性という区別は普遍的でも、男性は青色のズボン姿で表すだの、女性を赤色でスカートで表すというのでは、そうしない文化の人は困ってしまいます。ミャンマー(ビルマ)の男性はロンジーという布を巻くスカートのような服装が普段着だったと思います。チンパンジーのアイの習った記号は別にして、厳密に文化を離れたユニバーサルな絵記号は、現実にはなさそうです。

 

 コミュニケーション支援絵記号の、もうひとつの大切な働きは、「誰でも簡単に理解できる」という事です。「誰でも簡単に理解できる」から、母語の異なる人や障がい者といったコミュニケーション行動が取りにくい人でも役に立つのです。ただし、ここで言う「誰でも」とは、「およそ誰でも」とか「多数の人は」という意味だと理解しておかなければいけません。当然ですが、コミュニケーション支援絵記号が役に立たない少数者もいる――しかも、同じ文化圏であったとしても――という事です。

 

☆   ☆

 

 コミュニケーション支援絵記号が通じないかもしれない人として、文化や習慣がまったく異なる狩猟採集民を例にあげました。反対に、同じ文化圏であったとしても、顔文字に違和感を抱く人がいらっしゃるとも述べました。顔文字を嫌がる人は、わたしを含めた中年以上の人に多いようです。これはデジタル表示に慣れていないという事かもしれません――最近はそのような人を、「デジタル・ネイティブでない」と表現するようです。比較的、若い人は顔文字に抵抗がないのです。その代わり、デジタル表現に慣れた多くの人には、書き文字の美しさや芸術性は理解できないかもしれません。

 

 実は前回載せた「顔文字のじょうずな使い方」の例は、失語症者にいただいたメールから取りました。失語症者は文字だけで表現する事が苦手な場合があります。でも、そんな時も、顔文字や絵文字であれば、比較的理解がしやすいのです。ですから、失語症者が生活をしている文化は、多数者の文化とは微妙に違うと言う方が正確かもしれません。

 

 文字を書くという行為は、文芸であったり、人柄を表したり、時には美術にもなります。それはとても大切なことです。大切なことですが、同時にまた、それとはまったく違う自己表現のしかたもあるのだと認めあいましょう。そうある方が、きっと世界が広がります。

 

 わたしたちの周りの世界には、さまざまな貌(かお)があるものです。

 

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(5) 「コミュニケーション支援用絵記号デザイン原則(JIS T0103)」に収載されている絵記号例の公開無償ダウンロードについて

http://www.kyoyohin.org/06_accessible/060100_jis.php

 

 

(6) 『ことばをおぼえたチンパンジー たくさんのふしぎ傑作集』(松沢哲郎 文、藪内正幸 絵、福音館書店)

 

 

 

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

兵庫県立大学 自然・環境科学研究所

/人と自然の博物館

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