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「サラマンカ宣言があった!」へのご感想

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

 

 ひとはくブログ「サラマンカ宣言があった!」に、何人かの方から感想をいただきました。ご紹介します。書いて下さった方のお名前がわからないよう、文意を変えないように注意して書きかえました。書いて下さった方はご了承下さい。

 

 「サラマンカ宣言があった!」は、前回まで2回に分けて書いたブログ(1回目2回目)です。「サラマンカ宣言」というのは、ユネスコがスペイン政府といっしょに開いた「特別なニーズ教育に関する世界会議:アクセスと質」(ユネスコ・スペイン政府共催、1994年)という会議で出した声明のことです。「教育の支援が必要などんな子どもでも、みんな教育を受けられるようにしないといけない」という意味のことが述べてあります。

 

ある女性はわたしの書くブログに、こんなふうに感想を寄せて下さいました:

 

 

 このブログを読んでいると、大学の科学系専攻として受験のために勉強してきたことや、在学中、解いてきたあの数式は何のためだったのか、と不思議に思います。

 

 自然や生物を相手にされる学問では、そんなきれいに数式化できるものより、もっと形のわからない深いものがあるように思えてなりません。

 

 

今さらながら、いただいた感想を読んでわかったのですが、「サラマンカ宣言」という文書を認識している方は、あまりいなかったようです。国際的な教育の支援活動で活躍しておられる若い男性は、こんなふうに書いて下さいました:

 

 

 「サラマンカ宣言」のことは、認識しておりませんでした。この宣言が大きな変化に繋がることを願います。

 

 国際支援NPOが集まる大きなイベントが開催されました。それぞれのNPOの取組みを拝見すると、まさに(この)宣言で述べられている権利と提供が大きな課題になっていると感じました。印象深い団体が幾つかありました。

 

 教育は国力につながりますし、地域を変える力ですよね。恵まれていない国の子供たちの多くが、学習に強い気持ちを持っていることを感じます。

 

 

関西に住む60歳代の男性の感想です。お手紙を下さいました。サラマンカ宣言に関係があるところは、こんな具合です:

 

 

 サラマンカ宣言の事、一読致しました。このような教育が受けられたら、大変良い事です。しかしながら、教育者の質・数を揃えるには、相当な資金が要ると思います。赤字が続いている国・地方で、教育に使える予算が確保/増加できるのでしょうか。

 

 昔の事ですが、3歳年上の叔父は、教室不足で2部授業であったと聞いております。私の頃は、2部授業ではありませんでしたが、小学校では50人クラス、中学校では70人クラスでした。妹は、小学校で55人クラスでした。私の子等は、小学校で30人クラスになる程、人が減りました。多人数学級でも、私はまともな教育が受けられました。

 

子供の30人学級時代、担任の質の差があまりに大きいのに、驚かされています。

 

 

 インクルーシブな普通学校を当り前にするとすれば、先生の質を上げ、その人数も増やさねばならないでしょう。これを実現するには、日本でも(そうですが)、今のスペインでは、資金(予算)の上から、相当な困難を克服しなければなりません。我々の決意次第と言われるのでしょうが……。

 

 

 分かりにくい方のために、わたし(三谷)が書き直してみました。

 

 

(1) インクルーシブ教育を行うには教員の質と数が問題だが、今の日本にそれができるかは疑問。

 

(2) 生徒の数は人口や学校制度の変化で増減するが、個人的には多人数学級でもまともな教育が受けられた。

 

(3) 現在は相対的に教員数が多くなった。その一方でレベルの低い教員が目に付く。

 

(4) 資金ばかりかかって、意識の低い教員を増やすのでは、インクルーシブ教育の実行は不可能だ。

 

 

 いかがでしょうか? これで合っていますか?

 

☆   ☆

 

 このご感想には、ふたつの論点がいっしょになっていると思います。ひとつは「インクルーシブ教育にかかるお金」の問題であり、もうひとつは「教員の意識やレベル」の問題です。論点を分けて整理しておきます。

 

 まず「インクルーシブ教育にかかるお金」の問題です。

 

 何度も書きますが、「インクルーシブ教育」というのは、なるべくなら、教育の支援が必要な子は誰でも、地域の普通学校で教育を受けられるようにしようという理念です。どんな子どもも、可能な限り地域で受け入れようというのですから、地域の学校は今までの何倍ものお金がかかるような気がします。

 

 今までの教育制度よりもインクルーシブ教育がよいと言う方でも、財源をどうするのかは大問題だとおっしゃいます。直接、サラマンカ宣言に関係することではないのですが、2012年に日本の内閣府が取った障がいや障がい者に対する意識調査の結果が公表されています (1)。全国規模の世論調査です。ちょっと見てみましょう。

 

 この世論調査では、国連の採択した条約で「サラマンカ宣言」 (2) にも関係の深い「障害者権利条約」は、だいたいの人が知らないと答えました(「知っている」 18.0%、「知らない」 81.5%)。しかし、点字ブロックや音声案内といった障がい者への公的な配慮は、税金が増えて経済的な負担はあっても、63.8%の人がすると答えました。また、私企業や民間団体には、「障害のある人の雇用の促進」(61.4%)や「障害者になっても継続して働く事のできる体制の整備」(61.4%)、「障害のある人に配慮した事業所等の改善・整備」(49.5%)を希望したそうです。

 

 だいたいの方は、「サラマンカ宣言」「障害者権利条約」は知らないけれども、「サラマンカ宣言」「障害者権利条約」で言っている事には賛成しているのです。あとは金額です。あまり負担が大きすぎては、実現したくても、できないように思います。

 

 ここまで考えてみて、わたしは疑問に思った事がありました。なるほどインクルーシブ教育を推進するための財源は問題だが、それなら財政が不安定なヨーロッパで、「サラマンカ宣言」「障害者権利条約」に賛成する国が多いのはなぜでしょうか? 何かお金の問題以外の理由があるのでしょうか?

 

☆   ☆

 

 「教員の意識やレベル」の問題はどうでしょう?

 

 学校の先生という仕事は、「教育」という特殊な技能を研いた、しかし、ごく普通の方が就く職業です。職業という意味では料理人や大工や船乗りや政治家と何も変わりません。変わっているは、「教育」が人の一生を左右するというところです。教育技術が優れているという以上に、人格的に立派な先生は、おとなになった子どもの人生まで左右します。「教員の意識やレベル」の問題というのは教育の技術うんぬんではなく、おそらく子どもに影響を与える可能性の高い、教員の人格の事をおっしゃっているのだと思います。

 

 「生まれつき人格が優れている」などという人はいませんから、りっぱな先生かどうかというのは、子どもを前にした時の覚悟の問題ではないでしょうか? つまり、ごく普通の人間が子どもに何を伝えたいのかという覚悟です。この覚悟がないまま教員を続けるのであれば、できるだけ少ないエネルギーで、目に見える多くの成果を探すようになるでしょう。すると、これまで行ってきた教育制度のままですから、実質的にインクルーシブ教育はかけ声倒れという事になるでしょう。

 

 立場の弱い人びとを仲間はずれにする社会は経済的・効率的に見えても、結局、滅びてしまうだけだといいます。さまざまな立場を生かす多様性の高い社会の方が生き延びるのです。そこでは「意識やレベル」の高い先生方が活躍しているように思います。

 

 これはわたしの意見です。皆さんはどう思いますか?

 

 この次は教育心理学者である茂木俊彦さんの障害児教育を考える(岩波新書 1110)を取り上げます。

 

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(1) 「障害者に関する世論調査」内閣府大臣官房政府広報室

[http://www8.cao.go.jp/survey/h24/h24-shougai/index.html]

 

(2) もちろん「サラマンカ宣言」は障がいのある子どもだけでなく、ストレート・チルドレンや難民の子ども、お金のために売られた子どももなど、「特別なニーズが必要な子ども」すべてに教育の援助をしようという宣言です。「宣言」ですから、たとえば「条約」よりも弱いものです。ですから、「批准」や「国内法の整備」の必要もありません。

 

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

兵庫県立大学 自然・環境科学研究所

/人と自然の博物館

 

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